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130キロの通知を、夫には黙っていた。還暦祝いで「家を寄こせ」と言う義母を、親戚50人ごと我が家のトイレへ案内した  作者: 空の異変


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第五話 家族四人

鍵を最後まで回した。


ドアが開く。玄関のたたきに、男物の革靴と女物のパンプスが一足ずつ並んでいた。


リビングに人はいない。ローテーブルの上で、スマホが二台、並んで光っていた。


「……忘れていったのね、二人とも」


「二人一緒に?」


伯母さんがお義母さんの顔を見た。


2階で、何かがドアに当たる鈍い音がした。続いて、掛け金の落ちる小さな金属の音が一つ。


お義母さんが、廊下の真ん中で両腕を広げた。


「はい、もう見たでしょう。家は見たんだから、ホテルに戻りましょう」


「伯母さん、まだ売ってない新型で、座った人の体重まで量れるんです。ご覧になります?」


「さっきの38万の? 見る見る」


伯母さんが階段に足を掛ける。お義母さんがその前に回りこんだ。


「トイレなんか見てどうするのよ」


「新しい機械を見るくらい、いいでしょ。どいて、文乃」


伯母さんが上がり、私が続いた。親戚が一人ずつ狭い階段に列を作り、入りきらない人は玄関と門の外で待っている。


2階のトイレのドアは、廊下側へ引いて開ける。伯母さんがノブを引いた。


開かない。もう一度引くと、内側から引き戻す力が返ってきた。


「中に人が?」


「まさか」


お義母さんの声が、階段の途中から上がってくる。


「まさかって、今、引っぱり返されたよ」


    *


手の中のスマホが震えた。


『便座変形の進行を検知。保護モードを起動しますか』


初めて見る画面だった。「起動する」を押すまでに、3秒かからなかった。


画面の下に、提案の時刻と起動の時刻が、二行並んで記録される。


ドアの向こうで、何かが噴き出す音がした。続いて、温風の唸り。


「止めて!」


女の悲鳴だった。


「おい、何だよ、これ」


押し殺した男の声。


廊下にいた全員が、同じドアを見た。


「今の、絵津子さんの声よね。男の声もした」


「何でトイレに二人で」


「雄介くん? いるの?」


「大丈夫? 開けて」


誰かがドアを叩く。返事はない。


「……修理をしてるのよ」


ドアの内側から、お義姉さんの声がした。


「動かないで、動くと余計に固まる!」


後ろの誰かが、スマホを構えた。


    *


財布から、表面のくすんだ十円玉を出した。ドアノブの下に、非常解錠の溝がある。


お義母さんが、私の手首に飛びついた。


「開けないで!」


「お義母さん、どうして開けてはいけないんですか」


「私がだめと言ったらだめ!」


十円玉を溝にはめて、回した。カチ、と掛け金の外れる手応えがある。


ノブを引く。中から押さえる手があった。


伯母さんと、後ろにいた親戚の男性が二人、ノブに手を添えた。


「せーの」


ドアが開いた。


二人は便座の上にいた。どちらも、服が乱れていた。


便座の縁から白いフォームが盛り上がり、下ろした服の裾を噛んでいる。


脱げば立てる。50人の前では、脱げない。


雄介は片手で顔を隠していた。もう片方の腕は、まだお義姉さんの体に回ったままだ。


「あんたたち……トイレの修理?」


後ろで、誰かが吹き出した。


「義理の弟と兄嫁で、修理? 脱いで修理?」


「宗悟が死んで何年だ。兄貴の嫁の面倒を、自分の懐で見てたのか」


お義姉さんが裾を直そうとした。噛まれた布に引っぱられて、また便座に座り直す。


雄介が顔から手を離して、私を見た。


「お前が仕組んだな! 便座に何をした!」


「私が何を。あなたたちこそ、どうして二人でうちの便座に」


「誤解です。壊れたから、ちょっと見てもらってただけで」


「ベルトを外して修理するの?」


お義母さんが、親戚を押し分けて戸口に入ってきた。


「撮らないで。家の中の話よ。撮らないでってば」


私は狭いトイレに一歩入った。


雄介の頬に、平手を一発。


「死んだお兄さんに、顔向けできるの」


「家族の冗談よ、こんなの」


「息子と長男の嫁が脱いで冗談? 派手な家だね」


    *


大人の脚の間から、小さな頭が出てきた。


大樹くんが、伯母さんのスカートの横をすり抜けて、戸口に立っていた。


「パパ、どうしてまたママと一緒にこのトイレに座ってるの? この前も、ぼくに外で待っててって言ったよね」


「また」のところで、廊下の声が止んだ。


お義姉さんが裾に引かれながら身を乗り出し、大樹くんの口を手で塞いだ。もう遅かった。


「大樹……今、パパって。宗悟の子じゃないの」


大樹くんは母親の手から顔を振りほどいた。


「おばあちゃんが、人がいないときだけパパって呼んでいいって」


「悪いおばさんが家をおばあちゃんにあげたら、一緒に住めるって」


私はしゃがんで、大樹くんの肩に手を置いた。


「大樹くん、下に行こうか」


肩を押して、階段を一段ずつ下りる。親戚が壁際に寄って、通り道を空けた。


玄関を出たところに、伯母さんの娘さんがいた。


「少しだけ、お願いします」


「うん。大樹くん、おばちゃんとお庭にいようか」


私は何も聞かずに、2階へ戻った。


お義母さんは、トイレの戸口の柱をつかんで立っていた。


「今日の家は、お義姉さんのためだったんですね」


「違う。子どもの言うことよ。子どもは何でも」


お義母さんは最後まで言わなかった。


    *


手洗いカウンターの上に、小さなスマホが一台置いてあった。庭先で、雄介が内ポケットから出していたものだ。


手に取ると、画面が点いた。パスコードの入力画面が出る。


雄介の顔が、少しだけ緩んだ。画面の上の端では、小さな顔のマークが点滅している。


雄介は首をひねって、顔を壁へ向けた。


私はスマホを手に持ったまま、何もしなかった。雄介の顔にも、体にも触らない。


廊下で誰かが言った。


「雄介くん、何で壁見てんの」


「見せられないもんでも入ってんのか」


雄介の肩が震えた。首が、こちらへ戻ってくる。


「お前が仕組んだな!」


振り向いた顔に、手の中の画面が反応した。鍵のマークが外れる。


メッセージのアプリを開いた。一番上のスレッドの登録名は「絵津子」で、その下の番号は9836で終わっていた。


画面を、戸口の伯母さんたちのほうへ向ける。


『お母さんの還暦の日に、あの女を追い出す』


伯母さんが、画面と、便座の上のお義姉さんを見比べた。


LINEに切り替えた。トークの一覧に、『家族四人』というグループがある。


メンバーは三人。雄介、絵津子、文乃。


指で送って、雄介の名前の吹き出しで止めた。


『家の名義が変わったら、あなたと息子はここへ』


前の列の誰かが、声に出して読みかけてやめた。


「あなたと息子って……」


「絵津子さんと、大樹くんのこと?」


もう少し下へ送る。


『子どもに人前でパパと呼ばせるな』


伯母さんが、階段のほうを振り返った。玄関の外に、大樹くんがいる方向だ。


最後に、もう一つ。


『カメラは抜いた』


「カメラって、この家の?」


画面を消さずに、そのまま持っていた。


    *


廊下の目が、一つずつお義母さんへ移っていった。


「返しなさい。それは、うちの」


お義母さんが、私の手のスマホに飛びついた。伯母さんが、その前に立った。


「還暦の贈り物が欲しかったんでしょ。これが、お嫁さんからの贈り物よ。親戚50人に見届けてもらって、これ以上の還暦祝いがある?」

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