第四話 立会人
土曜の昼、駅前のホテルの宴会場は満席だった。
田舎から貸切バスで出てきた親戚と、近くに住む親戚とで、50人。丸テーブルの真ん中で、造花の葉に箱の折り目がそのまま残っていた。
お義母さんは赤いワンピースを着ていた。ホテルが用意したちゃんちゃんこは、袖も通さずに椅子の背に掛けてある。
「あんなもの着たら、年寄りみたいでしょう」
歩くたびに、膝の下で赤い裾が揺れた。
「遅いわよ。お茶、まだあっちに回ってないじゃない」
「すみません、すぐに」
「うちの親戚の前で、そんな顔しないでちょうだい」
急須を持ってテーブルを回りながら、席を数えた。
雄介の妹は窓際、部下だという女性は花束を抱えて入口のそば。従姉妹の二人は、バスで来た伯母さんの隣に座っている。
45kgくらいの女性なら、この部屋に何人もいた。
入口がもう一度開いて、お義姉さんが入ってきた。
紺色の膝下丈のワンピースに、髪を低い位置でまとめている。宗悟さんが亡くなって5年、一人で息子を育ててきた人だ。
親戚は誰に聞いてもよくできた人だと言い、お義母さんは実の娘のように手招きする。
お義姉さんは上座の椅子の脇で背筋を伸ばして立ち、親戚の一人ひとりに頭を下げていた。
その手に引かれて、大樹くんが歩いてくる。
両手で抱えているのは、積木で組んだ警察車だった。屋根の角が一か所、欠けている。
欠けた縁に、白い星が半分だけ残っていた。
私は急須を置いて、しゃがんだ。
「大樹くん、それ、見せてくれる?」
小さな手が、警察車をこちらへ差し出した。受け取って、上着のポケットから青い積木を出す。
欠けたところに、押し当てる。
かちり。
白い星が、一つになった。
「ありがとう。かっこいいね」
それ以上は何も聞かずに、警察車を返した。
顔を上げると、お義姉さんがこちらを見ていた。頬の色が、さっきより薄い。
「美里さん、お母さんが呼んでます」
お義姉さんは大樹くんの手を取って、上座のほうへ連れていった。
*
乾杯のあと、三段のケーキが運ばれてきた。
隣の席の伯母さんが、私の袖を引いた。
「あんたの会社、トイレ作ってるんだってね。新しいのは、いくらするの」
「うちに付けているモニター機は、38万円です」
「38万? トイレが?」
祝儀袋を、お義母さんに渡した。お義母さんはその場で封を切り、中を数えた。
「たった2万? 乞食じゃあるまいし」
祝儀袋が、テーブルに叩きつけられた。グラスが揺れる。
「うちの息子をあげたのに、このくらいなの。絵津子さんなんか、金のブレスレットをくれるのよ」
近くのテーブルが静かになった。お義姉さんが、スマホを手に立ち上がる。
「すみません、ちょっと電話が。お母さん、大樹をお願いします」
お義姉さんは宴会場を出ていった。私はその背中を、出口まで見送る。
お義母さんは大樹くんを膝に乗せると、ハンドバッグから書類を出した。
「いいわ。贈り物は、これにしてもらうから」
「この家を、私の名義にしなさい。それが還暦祝い」
あの家は、父が建てて遺したものだ。結婚する前に相続した私名義の家で、土地と合わせて7000万円、ローンはない。
「どうせ、うちの家のものになるんだから」
書類は、ネットで拾った雛形ではなかった。
不動産の贈与契約書で、所在も地番も家屋番号も、私の生年月日まで埋まっている。受贈者の欄には、黒岩文乃。
立会人の欄には、もう署名があった。雄介の字だ。
隣で、雄介の肩から力が抜けた。口元を手で覆っても、端が持ち上がっているのは隠れていない。
「うちの妻は、物分かりがいいから」
雄介は私のグラスにビールを注いだ。それから自分のスマホに目を落とし、椅子を引いた。
「料理、急がせてくる。厨房が遅いんだよ」
雄介は軽い足取りで宴会場を出ていった。
*
「判子は持ってきてるんでしょうね」
お義母さんが、ボールペンを私の前に置く。
私は黙ってケーキを切り分けた。スピーチが二つ続いて、話はカラオケに移っていく。
ケーキの皿がテーブルを一周したころ、テーブルの上でスマホが震えた。
『異常荷重を検知:131kg(継続中)』
カメラのアプリを開く。正午を少し過ぎたあたりから、また『デバイスはオフラインです』が出たままになっていた。
誰かが家に入った。誰なのかは、見ていない。
書面でした贈与は、気が変わったというだけでは取り消せない。私はまだ、どこにも判を押していない。
「ちょっと、聞いてるの。早く」
「判を押すなら、家で押します。権利証も実印も、家にありますから」
「……家で?」
「皆さんにも、お義母さんが住むおつもりの家を見ていただきましょう」
一拍あって、伯母さんが手を叩いた。
「これでこそ家族。ねえ、みんな」
拍手が、近くのテーブルから順に広がっていった。
お義母さんは書類を引き寄せ、所在の欄を爪で二度叩いた。
「名義が変わったら、ここがうちになるんだから。お茶はうちで飲みましょう」
書類を丁寧に畳んでハンドバッグにしまうと、お義母さんは伯母さんの腕を取った。
「せっかく出てきたんだもの、みんなで新居を見ていきましょうよ。一番大きい部屋を直して、姉さんたちの茶の間にするから」
デザートの皿が下げられ、バスの運転手に連絡が行く。50人がそれぞれ上着と荷物を探しはじめるまでに、また時間がかかった。
「文乃、バスはどうするの」
「置いとけばいいのよ。すぐそこなんだから」
*
ホテルから家までは、500m。
50人が、歩道に二列になって歩いた。
「歩いてすぐなの?」
「5分くらいです」
大樹くんは、伯母さんの娘さんに手を引かれて、列の真ん中にいる。
位置情報共有アプリを開けば、雄介には私の青い点が見える。見ようと思えば、ホテルを出て家のほうへ動いていく点が。
門の前で、私は立ち止まった。
「お義姉さんは? さっきお義母さんが、金のブレスレットをくださるって仰ってましたよね」
「絵津子さんはいいのよ。ブレスレットは、あとでもらうから」
「せっかくだもの、見せてもらいましょうよ」
「そうよ、文乃。呼んであげなさいよ」
親戚の声に押されて、お義母さんがスマホを耳に当てた。
呼び出し音が鳴る前に、玄関の向こうで着信音が鳴りはじめた。
ドア一枚隔てて、前列の全員に聞こえる音量だった。
「……中にいるの?」
伯母さんが、ドアとお義母さんを見比べた。
「忘れていったのよ。前に寄ったときに」
「じゃあ、雄介に聞いてみます」
スマホを出した私の手首を、お義母さんがつかんだ。爪が食い込む。
「やめなさい。今日はもう、明日にしましょう」
指を一本ずつ外して、雄介の番号にかけた。
玄関の向こうで、もう一つ、別の着信音が鳴った。二つの音が、ドアの内側で重なる。
「雄介くん、料理を見に行ったんじゃなかった?」
「絵津子さんも、電話って」
「二人とも、中に?」
お義母さんがドアの前に立った。両手を広げてはいなかったが、鍵穴の前から動かない。
「料理が冷めるわよ。ほら、戻りましょう」
「さっき、名義が変わればここはご自分の家だと仰いましたよね。どうして、ドアも開けられないんですか」
お義母さんの唇が動いた。声は出ない。
後ろのほうで、誰かが言った。
「見られて困るものでも、あるの?」
*
鍵を出して、鍵穴に差した。
お義母さんの手が、もう一度私の手に重なる。
「開けないで!」
声が途中で割れた。
「文乃、何を慌ててるの。人でも隠してるの?」
手の中のスマホの画面に、通知が残っていた。
『異常荷重を検知:131kg 継続 41分』
鍵は、半分まで回っていた。




