第十話「父の戦場」
暗がりの先に、死んだものがいた。
フェルラムは、灯火を低く保った隊の中で、その暗がりへ足を踏み入れた。前に降りたときは、ここで引き返した。血の池の手前のこの暗がりが、群れの濃いところだと分かっていたからだ。今度は引き返さない。フェルラムはここを抜ける。
最初に届いたのは、音だった。
鉄が鉄を打つ音。骨が砕ける音。砕けたものが、また組み上がる湿った音。それが暗がりの先から、絶え間なく返ってきた。始まりがなかった。終わりもなかった。同じ密度で、ただ続いていた。
隊は足を進めた。音のほうへ近づいた。近づいたが、音は大きくならなかった。鉄の音も骨の音も組み上がる音も、近づいた分だけ増えるということがなかった。距離が縮まっている。歩いている。それなのに、音の量だけが、変わらなかった。
灯火を高く掲げても、光は暗がりの先で消えた。光が空間に染み入る前に、どこかで途切れた。隊は見えない音の壁の中を進んだ。
やがて灯火の届く縁に、戦場が見えた。
骨の人型が、砕かれては組み上がり、組み上がっては砕かれていた。倒れた骨が地面でわずかに動いて、立ち上がった。立ち上がって、また同じ一撃を放った。
放った先には、別の骨の人型がいて、それも同じ一撃を返した。互いに砕き合い、互いに組み上がり、同じ場所で同じ相手と争い続けていた。
誰も、前へ進んでいなかった。
フェルラムはそれを見た。これは決着のつく戦場ではない。骨を砕いても、骨は戻る。戻った骨がまた同じ動きを繰り返す。何度倒しても、数は減らない。歴戦の体がそれを先に判じた。ここは勝つ場所ではない。抜ける場所だ。
「フェルラム。前へ」
ヴェロの声が後ろから短く届いた。
濃いところは、重装が先頭でこじ開ける。前の下見のあとで決めてあった段取りだった。フェルラムは剣を抜いて、先頭へ出た。出た背中の後ろに誰かが入った。誰が入ったかは見なかった。前へ出た体はもう前しか見ていなかった。
◇◇◇
群れがフェルラムのほうを向いた。
向き方が、生きている者とは違った。関節がありえない角度で曲がった。曲がった関節のまま、骨の人型が着実に近づいてきた。一体ではなかった。岩の陰から、暗がりの底から同じ人型が続いて立ち上がった。
フェルラムは左の肩を前に出した。
重い体を、重い側で押す。それが彼の構えだった。左肩で受け、右の剣で打つ。
左肩の上には、古い肩当てがあった。革は擦れ、金具は黒ずんでいた。鎧のほかのどの部分よりも、その一枚だけが、長く使われてきたものだった。
左肩を前に出すたび、その重みが彼の体の左側にいつもの位置で乗った。乗った重みごと、彼は前へ出た。
最初の一体が剣を振り下ろしてきた。
骨の腕が戦士の太刀筋でフェルラムの頭のほうへ伸びた。フェルラムはそれを左肩で逸らした。打ち合わなかった。受けて、流した。流された骨の人型が勢いのまま前へつんのめった。
つんのめった骨の膝の付け根を、短剣が横から払った。
ヴェロだった。逸らした隙間に、いつの間にか入っていた。払われた一体が横へ崩れた。ヴェロは崩れた骨を追わなかった。
次の一体がもうフェルラムの正面に来ていた。その目のあたりに矢が立った。立った一体が一拍止まった。止まった一拍の分だけ、フェルラムは前へ進んだ。
「火は灯りに回せ。砕け。止まるな」
ヴェロの声だけが音の中を抜けて届いた。火が後ろの低いところで生まれた。骨へは向かわなかった。低く掲げられた火が戦場の縁を薄赤く照らした。照らされた縁で骨の人型が砕かれては組み上がっていた。
逸らす。隙間に短剣が入る。膝が折れる。矢が次を止める。その繰り返しで、隊は前へ進んだ。
骨の人型は同じ動きしかしなかった。同じ太刀筋。同じ踏み込み。一度見れば、次がどう来るか読めた。生きている戦士なら、こうはいかない。生きている戦士は、読まれたら変える。これは変えなかった。
読める骨を読んで、隊は進んだ。
砕いた骨はすぐにはなくならなかった。地面でまだわずかに動いていた。フェルラムはそれを追わなかった。止めても止まらないものを止めようとすれば、腕と腰が尽きる。
ここまでは、見えていた。
◇◇◇
狭い岩の口があった。
前の下見で見ていた地形だった。口は一度に二体しか通れなかった。フェルラムはそこを先頭でこじ開けた。二体ずつなら、左肩で捌けた。捌いて半歩進む。半歩の分だけ、後ろで足音が続いた。
口を抜けた先も、道は岩の壁に挟まれて細かった。
前しか、見えなくなった。先頭の重装は前を空けるのが仕事だった。後ろは見ない。先頭が振り向けば、前が止まる。前が止まれば、列のどこかが、止まったまま骨に追いつかれる。フェルラムは前だけを見て、前だけを捌いた。
後ろは、音になった。
弦の鳴る音がどこかでしていた。どこで鳴っているのかは定まらなかった。この暗がりでは音の返りが二拍遅れた。遅れて、重なった。骨の砕ける音が右から返り、同じ音が、左からも返った。どちらが本当の側かは分からなかった。
頭の上で、風が短く鳴った。何も、降ってこなかった。
左の暗がりが薄赤く揺れていた。火は後ろにあるはずだった。揺れる薄赤さが岩壁の高いところを撫でては消えた。
誰かの名を、確かめる声がした。低く、落ち着いた声だった。誰の声かは定まらなかった。誰の名かも聞き取れなかった。届く頃には、音の縁がすり減っていた。
フェルラムは、進んだ。
進んだはずだった。彼が半歩進むあいだに、後ろで砕いた骨が組み上がる音がした。組み上がった人型がまた立ち上がった。立ち上がって、また同じ一撃を放った。抜けた隙間は、抜けたそばから骨で埋まり直した。
戦場は、フェルラムが巧く動くほど、変わらなかった。
彼が一体を砕けば、二体が組み上がった。彼が隙間を縫えば、隙間は塞がり直した。腕は冴えていた。体はまだ尽きていなかった。それなのに、前を見れば骨の人型は最初に見たときと同じ数だけ暗がりに立っていた。
抜ける。フェルラムは、そう判じ直した。減らすのではない。抜けるのだ。
◆◆◆
岩の壁が左右に開けた。
広い場所だった。灯火の光はその広さの縁まで届かなかった。光の届く範囲の中だけでも、骨の人型が互いに砕き合っていた。砕き合う群れの中を抜けるしかなかった。フェルラムは争いの渦の薄い側を選んで、その中へ入った。
入った先で、見えるものが変わった。
正面の一体は見えた。逸らして流して、半歩進む。その一体の向こうはもう動きの断片だった。腕が振られた。誰の腕かは見えなかった。骨が砕けた。何に砕かれたのかは見えなかった。
骨の腕が折れた。矢がそこに刺さっていた。
打とうとした骨の目に、もう矢が立っていた。弦の音は聞こえた気がした。聞こえたのは矢が立ったあとだった。
骨の膝が折れた。低いところを影が過ぎていた。飛んで、折って消えた。
行く手を塞いだ一体が次に見たときには、伏せていた。誰が伏せたのかは見なかった。空いた道を、フェルラムは進んだ。
岩壁の高いところから骨の塊が崩れ落ちてきた。
落ちてきた塊がフェルラムの頭の上で横へ逸れた。風がそこに先に置かれていた。
「待って」
声はそれから届いた。塊が逸れて、地面で砕けて、そのあとに声のほうが遅れて届いた。
打つべき相手の上に、薄赤い光が乗っていた。正面の一体へ目を移すたび、その一体の肩のあたりが、薄赤く縁取られていた。揺れる光は、いつも、彼の剣筋の先にあった。
白いものが二つ、視界の隅を過ぎた。どちらがどちらかは分からなかった。
群れの中に、構えの違うものたちがいた。
杖のような長いものを、両手で立てて構える一体が、遠くの暗がりに見えた。一度見えて、それきり群れに紛れた。
群れの隙間を身軽に縫って動く影があった。骨の重い動きとは違う動きで、縫って、消えた。
捩れた輪郭がゆっくりと、視界の縁を過ぎた。速いものは、形にならなかった。遅いものだけが、辛うじて形を残した。
どこかから、声のようなものが届いていた。意味は、結ばなかった。どこから届いているのかも、定まらなかった。
一度だけ、骨でも鉄でもない音が、その中に混じった。短く、一度きりだった。何の音かは、分からなかった。
群れが、薄くなった。
数歩のあいだ、誰もフェルラムの正面に立たなかった。群れが、薄い。それだけのことだと、彼は判じた。薄いあいだに、進めるだけ進んだ。
一体だけが、横合いから来た。来た一体を、彼は左肩で逸らして、肩の付け根を砕いた。砕けながら、骨の剣が彼の右の腕を浅く掠っていった。革と肉の上を、骨の刃が滑った。血が滲んだ。彼はそれを見なかった。
砕いた骨を残して、また進んだ。次の一体は、来なかった。来るはずの間合いに、矢が、もう立っていた。
◇◇◇
群れの渦が、薄れた。
広間の縁に、岩の窪みがあった。窪みの中は争いの渦の外だった。骨の砕ける音も、組み上がる音も、背中の側へ退いた。この暗がりに入ってから、初めての静かさだった。
クァエス、フラマ、ピア、シビュル──
あなたがそう呼ぼうとした名は、もうどの人型とも結ばれなかった。
剥き出しの骨に赤黒いものが浮いた人型が、窪みの縁にいくつかいた。群れの渦から外れて、そこにいた。足は、止めなかった。
フェルラムはその中へ進んだ。
緩慢な一体が、フェルラムの行く手に、いた。
ほかの骨の人型より、動きが遅かった。長い尾のようなものが、背の後ろに伸びていた。体は、捩れていた。背骨が、片側へ、ありえない角度で曲がっていた。
曲がった体勢のまま、その一体はゆっくりとフェルラムのほうを向いた。向いて、近づいてきた。捩れた体のまま、捩れた歩き方で。
その一体の革の鎧の裂け目から、何かがこぼれた。
小さな、彫られたものだった。骨を彫ったような、白いものだった。それが裂け目から半分こぼれ落ちた。落ちきる前に捩れた体が傾いて、それはまた裂け目の中へ戻った。誰の手にも、渡らなかった。フェルラムは、それが何かを、知らなかった。
フェルラムはその緩慢な一体を、左肩で押しのけた。
押された一体が、横へ傾いだ。傾いだまま、また立ち直ろうとした。フェルラムは立ち直るのを待たずに、前へ抜けた。倒さなかった。倒す利が、なかった。緩慢な一体は、追っては来られなかった。捩れた体では、速く動けなかった。
フェルラムは、前を見た。
前に、剥き出しの骨の人型とは違うものが、いた。それは、骨ではなかった。半分、肉が残っていた。半分、皮膚も残っていた。残った皮膚の下で、骨が、剥き出しになりかけていた。それは、近づいてはこなかった。立っていた。同じ場所に、立っていた。
その傍にもう一体いた。
そちらは、痩せた人型だった。手のあたりから、何か声のようなものが漏れていた。言葉のようでもあった。だが、フェルラムにはそれが意味を結ばなかった。ただの音だった。
聞いたことのない意味の剥がれた音が、その痩せた人型の口のあたりから漏れ続けていた。音は、フェルラムのほうへ、向けられていた。群れの音は、どこから返るかも定まらなかった。この音だけが、向きを持っていた。
向けられた音に合わせて、痩せた人型の腕がフェルラムのほうへ伸びてきた。
攻撃だ。フェルラムは、そう読んだ。
詠唱に合わせて、何かが来る。フェルラムはその腕の動きを見た。見て、捌く構えを取った。痩せた人型の腕が、フェルラムの胸のほうへ、伸びかけた。
伸びかけた腕が、途中で向きを変えた。
胸ではなく、フェルラムの腰のあたりへ。骨だけの指が、フェルラムの腰の脇のあたりへ伸びかけた。
攻撃の動きでは、なかった。何かを置こうとするような、確かめようとするような、ゆっくりとした手だった。骨の指が、フェルラムの腰へ、届こうとした。
届かなかった。
骨だけの腕はそこまで伸びなかった。半端な高さで骨の指が止まった。止まって、それからその手は、また攻撃の形へ折れ曲がった。
痩せた人型の口から、意味の剥がれた音がまた漏れた。音に合わせて、腕が、今度はフェルラムの胸のほうへ振られた。
フェルラムはそれを剣で払った。
骨の腕が肘のあたりで折れた。折れた腕が、だらりと下がった。痩せた人型は、それでも、口から音を漏らし続けた。フェルラムはその音を聞かなかった。意味のない音だった。彼は痩せた人型の傍を抜けた。
腰のあたりに、何かが触れかけた感じが残った。
触れては、いなかった。骨の指は、届いていなかった。それなのに、腰の脇に何かごく軽いものがかすめたような感じが残った。フェルラムはそれを振り払った。詠唱体の、攻撃の起こりだ。届かなかった攻撃だ。それだけのことだ。彼は、前を見た。
その先に半分肉の残った人型が立っていた。
◆◆◆
それは、同じ場所に立っていた。
近づいては、こなかった。フェルラムが近づくのを、待っているようでも、なかった。ただ、そこに立っていた。
剥き出しになりかけた骨の上に、半分、皮膚が残っていた。残った皮膚は、灰色がかっていた。体は、大柄だった。重い体だった。重い側──左の肩のあたりに、防具が、留めてあった。
フェルラムは、立ち止まった。
その人型は、フェルラムのほうを、向いていた。向いた顔の目のあたりに、何が映っているのかは分からなかった。剥き出しになりかけた骨の上に、半分残った皮膚があるだけだった。それでも、その人型はフェルラムのほうを向いていた。
二人の間にもう一体、割って入ろうとするものがいた。
身軽な人型だった。ほかの骨の人型より、動きが速かった。それが、半分肉の残った人型の前へ回り込もうとした。庇うように。間に、入るように。
だが、それは声を出さなかった。何の構えも、取らなかった。ただ、前へ回り込んだだけだった。回り込んで、また退いた。退いて、岩の陰の暗がりへ戻っていった。
庇いきれなかった。間に、入りきれなかった。身軽な人型は、暗がりの中へ消えた。
半分肉の残った人型は剣を構えた。
左の肩のあたりから、剣を抜いた。重い体を重い左の側へ寄せた。左肩で受け、右で打つ構えだった。フェルラムの構えと、同じ構えだった。同じ場所に、重みを置いた。同じ位置に、肩を出した。
フェルラムは剣の柄を握り直した。
この暗がりに入ってから、彼の手はいつも見るより先に動いていた。読むより先に、捌いていた。その手が柄の上で、一拍止まった。止まって、それから動いた。
左肩を前に出した。古い肩当ての重みが、彼の体の左側に、いつもの位置で乗った。乗った重みごと、彼は構えた。彼の構えと、目の前の人型の構えは、同じだった。同じ重さの同じ位置の同じ構えだった。重い側で守る、重戦士の構えだった。
二人は、向き合った。
向き合ったまましばらく動かなかった。半分肉の残った人型は、何も、言わなかった。フェルラムも何も言わなかった。
暗がりの底で血河が池に注いでいた。落ちる音と注ぐ音が、二拍遅れて返ってきた。背中の側では、骨の砕ける音が、続いていた。弦の音と風の鳴りが、その中に混じっていた。
減らなかった。遠くも、ならなかった。ただ、この窪みの中では新しい音は何も生まれなかった。
人型が、踏み込んできた。
重い体を重い左の側で押し、右の剣で、フェルラムの肩のあたりへ。同じ重さで、同じ位置から、同じ手順が来た。
フェルラムが左肩で受けるのを見越した、その上を狙う角度。受ければ、その上を抜かれる。受けなければ、肩を割られる。
同じ構えの相手だった。フェルラムの構えを、いちばん深いところまで、知っている構えだった。
フェルラムは、崩した。
重心を右へ投げた。受けるための重みを、手放した。重戦士が、決してやらない一手だった。崩れるように右へ体を倒した。倒れた体は、彼の構えの外にあった。
目の前の相手は、その構えを、外から見て覚えたのではなかった。同じ構えを、自分の体で知っていた。
人型が、フェルラムの崩れを、なぞろうとした。なぞろうとした腕が、止まった。
同じ構えを知っているほど、重い側を捨てる動きのその外側へ届かなかった。重い体は、重い側で守る。それが、この構えだ。その構えをいちばん深く知っている相手ほど、その構えを捨てる一手の外側に、なぞるべきものを持たなかった。
骨の剣が、フェルラムのいるはずの位置を、薙いだ。フェルラムはそこにいなかった。崩れた体の、低いところにいた。
止まった一瞬の中で、フェルラムの剣の切っ先が人型の体の中央へ入った。
剥き出しになりかけた骨の、いちばん深いところ。最も濃いところ。その奥に切っ先が届いた。固い手応えではなかった。震える手応えでも、抵抗する手応えでも、なかった。切っ先は、抵抗しないものへ入った。フェルラムは、押し込んだ。
押し込んだ瞬間、人型の体が一度震えた。
震えと一緒に、人型の崩れた腕がフェルラムの脇腹のほうへ伸びた。骨の指が、フェルラムの鎧の隙間を、探った。だが、折れかけた腕にはもう力がなかった。
指は鎧の上を滑っただけだった。フェルラムはそれを振り払わなかった。剣をもう一度押し込んだ。
二度目の押し込みで、人型の体の中で何かがほどけた。
砕けたのでは、なかった。砕けるより前に、ほどけた。最も濃いところが内側からほどけていく感触が、剣の柄を通ってフェルラムの両の腕に伝わってきた。フェルラムは、その感触を自分の手で受け取った。
人型の体が、崩れた。
崩れて地面に伏した。伏した体はもう組み上がらなかった。ほかの骨の人型のように、わずかに動いて立ち上がる、ということがなかった。
ただ、伏したまま動かなくなった。重い体が重い左の側を、地面につけて止まった。左の肩のあたりの防具が、地面に、触れていた。
フェルラムは、立っていた。
剣の柄をまだ握れていた。左肩の重みも、右へ崩した体の傾きも、もういつもの位置に戻っていた。右腕の浅く掠った傷が、熱を持っていた。彼はそれを見なかった。
彼は伏した人型を見た。
◇◇◇
フェルラムは伏した人型の傍に立った。
しばらくそこに立っていた。暗がりの底で血河が池に注いでいた。落ちる音と注ぐ音が、二拍遅れて返ってきた。
背中の側では、骨の砕ける音がまだ続いていた。戦場は、フェルラムが一体を伏せたあとも、変わらなかった。減らなかった。進んでいなかった。
フェルラムは左の肩へ手をやった。
古い肩当ての黒ずんだ金具に、指が触れた。手が知っている、擦れた革の感触だった。フェルラムの指が、その金具のところで、止まった。
外すことも、できた。
留め金は、片手で外せた。外して、伏した人型の傍に置くこともできた。重い側──左の肩のあたりにもう一つの防具を留めた、その人型の傍に。
フェルラムは、外さなかった。
指は金具に触れたまま止まっていた。止まってから、彼はその肩当てを軽く押した。位置を、確かめるように。一度だけ。それから、手を離した。肩当ては、いつもの位置にあった。彼の左肩の上に、いつもの重みで、乗っていた。
彼はそれを外さなかった。
何も、言わなかった。伏した人型に、何も言わなかった。名も、呼ばなかった。声をかけることもしなかった。彼はただ左肩の重みを確かめた。確かめて、伏した人型から目を上げた。
上げた目が一度、暗がりの先のほうを見た。
血の池の、その向こう。黒風の出るという、その先。光がそこまで届かなかった。何があるのかは見えなかった。フェルラムの目は、その見えない先を一度見た。見て、それから目を戻した。
フェルラムは伏した人型に背を向けた。
背を向けた先に、来た道があった。
骨が、積もっていた。砕かれた骨の積もりが、暗がりの中に一本の道の形を縁取っていた。道は、群れの渦の中を続いていた。彼が抜けてきた、道だった。道の左右で積もりは厚かった。道の上だけが、薄かった。
薄かったのではない。薄くしてあった。
フェルラムはそこで、判じるのをやめた。積もりから外れた一箇所に、砕けた骨がひと塊だけあった。横合いから来て、彼が自分で捌いた、あの一体だった。それだけが、積もりの外にあった。
道の口に、隊がいた。
骨の砕ける音はもうしていなかった。灯火が低くこちらへ近づいてきた。道すがらの骨から、矢が、無言で抜かれていった。抜かれた矢が、一本ずつ、矢筒へ戻されていった。矢筒はほとんど空だった。
包帯を結び終える手が、灯火の中にあった。結びながら、低く、誰かの名を確かめる声がした。短剣を布で拭う手があった。二本を順に拭いて、腰へ納めた。
ヴェロが、先頭へ出た。
頭の上の暗がりで、風が短く鳴った。次の一つがもう置かれていた。フェルラムは、隊の後ろへ回った。
隊が動き出した。背後で、骨の人型がまた組み上がった。組み上がった人型がまた同じ一撃を放った。戦場は、フェルラムの後ろで、変わらないまま続いていた。
進んだ分は、戻る分にはならなかった。
ここから先は、戻る場所ではなかった。フェルラムは前を見た。前は、暗かった。その暗がりの先に、まだ死んだものがいた。
七人は、その先へ降りていった。




