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紅迷宮の澱  作者: そこらへんの宝箱
第一部 第一幕
10/12

第六話「数えられない人数」

その一団は、人数を、すぐには数えられなかった。


セルウィウスの言ったとおり翌日の昼前、セラフィナは三層を歩いたことのあるという連中と、ギルドの奥の卓で顔を合わせた。卓を囲んでいたのは四人だった。だが、その四人にこちらの四人――セラフィナと、セルウィウスと、イグネリアと、フェルラム――が加わると、卓の周りは急に混み合った。


イグネリアが卓の端に腰を下ろしながら低く言った。


「多いね」


それだけだった。けれど、セラフィナも同じことを思った。多い。この卓を囲む者が、いつのまにか、片手では足りない数になっていた。


「あんたらが、二層の二人だな」


四人のうちいちばん若く見える男が先に口を開いた。背は高くないが肩から先がよく締まっていて、軽装の革鎧の上から見ても無駄な肉のない体だった。彼は腰のあたりに短剣を二本提げていた。一本は接近戦用らしいありふれた短剣だった。もう一本は柄に細かな彫り込みのある、使い込んで光沢を帯びた短剣だった。


「ヴェロ」


男は自分の名を言った。


「軽戦士だ。──こっちの取りまとめを、やってる」


ヴェロはセラフィナの聖印を一度見て、それから顔を見た。値踏みする目ではあったが嫌な目ではなかった。手が足りるか足りないか。それを量る目だった。


「神官か。ありがたい。──二層の二人と、神官と、それから」


ヴェロの目がセルウィウスのほうへ動いた。


「剣の方が、一人」


「ええ」とセラフィナは答えた。


「なら、こっちの神官と合わせて、神官が二人だ」とヴェロは言った。「神官が二人なら、手が回る。三層は、手が、いくらあっても足りない」


ヴェロはそれだけ言って、卓の向こうのもう一人のほうへ軽く顎を向けた。


「ヴィタ」


そう呼ばれた女が卓の向こうから軽く頭を下げた。


セラフィナはその女を見て、一瞬、動きを止めた。


女は白い法衣を着ていた。冒険者用に裾を膝下まで短く仕立てた、動きやすい法衣だった。胸元には聖印が留めてあった。白い布に、赤い涙滴の形をした宝石が嵌まった聖印だった。


セラフィナの胸元の聖印と同じ形だった。


同じ白い法衣。同じ白い布に、同じ赤い涙滴の聖印。神官の装いとしてありふれたものだった。本職の神官が身につける、量産品の標準の形だった。それでも、セラフィナは卓の向こうに自分と同じ装いの女がいることに、一瞬、目を止めた。


「ヴィタと、申します」


女はそう名乗った。声は落ち着いていた。長く聖句を唱えてきた者の、息の通った声だった。


「神官を、しています。止血と、骨折と、解毒くらいまでなら」


「セレナ・ヴェスペルと、申します」とセラフィナは答えた。「私も、同じくらいの範囲です」


「では、似たような者が、二人ですね」


ヴィタはそう言って少しだけ笑った。


似たような者が、二人。その言葉を、セラフィナは、受け取った。受け取りながら、彼女は、卓の向こうの女が、自分と同じ装いで、自分と同じことを言ったことを、心の隅で、一度、確かめた。それから、その確かめを、すぐに、しまった。


◇◇◇


残りの二人は対の武器を持っていた。


一人は長身の男だった。椅子の脇に長弓を立てかけていた。白っぽい木で削り出された弓で、握りの部分が深く使い込まれていた。彼は口数が少なかった。セラフィナが卓に着いてからも、彼はほとんど何も言わなかった。


「サギッタ」


ヴェロが代わりに彼の名を言った。


「斥候だ。弓を引く。──こいつは、外さない」


サギッタと呼ばれた男は、それを聞いても表情を変えなかった。ただ、軽く顎を引いた。それが会釈の代わりらしかった。彼の傍にもう一人、女が座っていた。


「ウェントゥスです」


女のほうが自分から名乗った。サギッタよりはずっと若く見えた。彼女は膝の上に杖を一本横たえていた。その杖も白っぽい木で削り出されていた。サギッタの長弓と同じ白さの木だった。


セラフィナはその二つの木を見比べた。


弓と、杖。長身の男のものと、若い女のものと。二つの木は同じ白さで、よく見ると、木の表面に走る目の筋が同じ方向に揃っていた。一本の木から続けて削り出されたもののように見えた。


「兄妹です」とヴィタが横から言い添えた。「弓のほうが、兄。杖のほうが、妹。同じ木から、作ったんですって」


「ヴィタ」とウェントゥスが少し慌てたように言った。「待って、それは、わざわざ言うことじゃ」


「ごめんなさい」


ヴィタはまた少し笑った。ウェントゥスは頬をわずかに赤くして、杖を膝の上で少し抱え直した。サギッタはそれを横で黙って見ていた。咎めも笑いもしなかった。ただ、妹のほうへ目を一度だけ向けた。


「私、風と火を、使えます」とウェントゥスは話を逸らすように言った。「兄さんが、前に出るので、私は、後ろから。──いつでも、出せるように、用意しておくのが、得意なんです」


「待つのが、得意ってことだな」とヴェロが言った。


「待ってませんっ」


ウェントゥスは口を尖らせた。だが、その尖らせ方には本気で言い返しているという色はなかった。仲間うちでいつも言われていることなのだろうと、セラフィナには分かった。


セラフィナは卓の周りをもう一度見渡した。


ヴェロ。サギッタ。ウェントゥス。ヴィタ。それに、イグネリアと、フェルラムと、セルウィウスと、自分。卓の周りに八人がいた。八人。彼女はその数を一度頭の中で確かめた。確かめてから、なぜ確かめたのかが、自分でもよく分からなかった。


◆◆◆


降りる前の最後の夜、八人は迷宮の口の近くの宿の一つの部屋で段取りを合わせた。


ヴェロが卓の上に一枚の擦り切れた紙を広げた。三層のごく浅いところの見取り図らしかった。線は途中で何度も途切れていた。


「描けてるのは、ここまでだ」とヴェロは言った。「これより先は、誰も、ちゃんとは描いてない。三層は、そういう場所だ」


「報酬は」とフェルラムが訊いた。


「三層の魔物は、体の中に、魔石を持ってない」とヴェロは答えた。「だから、稼ぎにはならない。──稼ぎたいなら、二層で稼げ。俺たちが三層へ降りるのは、その先へ、行くためだ」


ヴェロはそれきり、その先、という言葉をはっきりとは言わなかった。だが、その先がどこを指すのかを、セラフィナはもう知っていた。


「全員、生きて帰る」


ヴェロは最後にそう言った。


「これは、決めてる。三層へ降りるとき、いつも、これだけは、決めてる。全員、生きて帰る。──それだけだ」


ヴェロの声は低く確かだった。リーダーが自分の連れに言う声だった。セラフィナはその声を聞いて、ふと思った。全員、という言葉の中に、彼は自分を入れているのだろうか。なぜそんなことを思ったのか、彼女には分からなかった。ただ、全員、と言ったときのヴェロの声が、自分を勘定の外に置いた者の声に、どこか、似ていた。


セラフィナはその思いを追わなかった。追わないまま、見取り図の途切れた線のほうへ目を移した。


◇◇◇


その夜は宿の一室で火を囲んだ。


ヴィタが小さな火を部屋の真ん中の鉢に起こした。八人がその火を囲むように座った。八人が囲むと、火の輪は大きくなった。これまでセラフィナが囲んできた火は、もっと小さい輪だった。二層では、イグネリアの火を四人で囲んだ。一層では、ファウストの一団と、もう少し多い数で囲んだ。今夜の輪は、それより大きかった。


火を挟んで向かい側にヴィタが座っていた。


火の明かりがヴィタの白い法衣の縁を薄く照らしていた。同じ明かりがセラフィナの白い法衣の縁も照らしているはずだった。火を挟んで、同じ装いの神官が二人、向かい合って座っていた。


ヴィタが懐から小さな紙片を取り出した。


火の明かりに近づけて、何か書き込んでいた。書いては消し、また書き、しばらく考えて、また書いた。書きながら、ときどき、火の向こうのヴェロのほうへ目を上げた。ヴェロはそれに気づかず、サギッタと明日の道のことを話していた。ヴィタはヴェロを一度見て、それから、また、手元の紙片に何か書いた。


「それは」


セラフィナは尋ねるともなく尋ねた。


「ああ、これ」とヴィタは紙片を軽く伏せた。「ただの、書きものです。──癖なんです。考えていることを、書いておかないと、落ち着かなくて」


ヴィタはそれ以上は、その紙片のことを言わなかった。伏せた紙片を懐にそっとしまった。何を書いていたのか、セラフィナには分からなかった。ただ、ヴィタが紙片を伏せるとき、その手つきが、人に見せたくないものをしまう手つきだった。


セラフィナはそれを見なかったことにした。


火の輪の向こうで、ウェントゥスがサギッタの肩に薄い布を掛けていた。サギッタはそれをされるままにしていた。掛けてから、ウェントゥスは兄の隣に少し近く座り直した。兄妹はそれきり何も言わなかった。ただ、同じ白い木の弓と杖を、それぞれの傍に置いていた。


イグネリアがその様子を火の向こうから見ていた。


「セレナさん」


イグネリアが低くセラフィナに言った。


「明日から、八人だ」


「ええ」


「あんた、八人ぶん、見れる?」


イグネリアの問いは、雇い主が雇った神官の働きを確かめる問いではなかった。もっと、別の、心配の混じった問いだった。けれど、イグネリアはそれを、いつもの、装備の確認の声で言った。


「見ます」とセラフィナは答えた。


答えてから、彼女は火の輪をもう一度見渡した。八人。火を囲む八人。誰がいちばん先に傷を負うか。誰から手当てに向かうか。それを、彼女は火の傍で頭の中に並べ始めた。


並べ始めて、彼女は気づいた。


並べきれなかった。


これまで、彼女はそれを並べられた。ラウィスたちのとき――四人だったとき、彼女は、一人ずつ、近い順に、と、頭の隅に並べることができた。中堅の一団のとき――五人だったとき、それも並べられた。二層の、イグネリアとフェルラムのとき――四人だったとき、彼女は二人の動きの隙間まで頭の中に組むことができた。


今夜は、八人だった。


八人を、誰が先か、誰から向かうか、と並べようとすると、頭の中の、並べる場所が、足りなかった。八人めまで並べたつもりが、最初の一人が、もう、抜け落ちていた。並べ直すと、今度は、別の一人が、抜けた。火の輪の中の八人を、彼女は、一人ずつ、近い順に、と数えようとして、数えきれなかった。


数えきれない、ということが、彼女の中で、初めて起きた。


これまで、数えられないということが、彼女には、なかった。一人ずつ、近い順に。その並べ方が、彼女の体に染みついていた。染みついた並べ方が、八人を前にして、追いつかなかった。追いつかないのに、彼女の中の、数えようとする動きは、止まらなかった。止められなかった。火の輪の中の八人を、彼女は、何度も、数え直した。数え直しても、誰かが、抜けた。


セラフィナはその動きを外に出さなかった。


外に出さないまま、彼女は火を見ていた。火の明かりの中に八人の顔があった。八人の顔を、彼女はまた、近い順に、と数え始めた。始めて、また、抜けた。


「セレナさん」


イグネリアの声がもう一度届いた。


「顔色、よくないよ」


「いいえ」とセラフィナは答えた。「平気です」


「ほんとに?」


「ええ」


イグネリアはそれ以上は訊かなかった。けれど、彼女はセラフィナの肩に、いつもの薄手の上着を、火の輪の向こうから手を伸ばして掛けた。八人の輪は、イグネリアが手を伸ばすには少し広かった。彼女は半ば腰を浮かせて、セラフィナの肩に上着を掛けた。


セラフィナはその上着の下で、数えるのをやめようとした。


やめようとしたが、やめられなかった。火の輪の中の八人が、彼女の中で数え直され続けた。やがて、火が低くなった。八人は一人、また一人と横になった。火の輪がほどけて、暗がりの中の、八つの息になった。


八つの息を、セラフィナは暗がりの中で聞いていた。


フェルラムの息。イグネリアの息。ヴェロの息と、サギッタの息と、ウェントゥスの息と、ヴィタの息。それから、聞こえない、セルウィウスの息。七つの息と、一つの、聞こえない息。それを、彼女は、近い順に、と、また、数え始めた。八つめまで数えたつもりが、最初の息が、抜けていた。


セラフィナはその夜、なかなか眠れなかった。


◆◆◆


翌朝、八人は迷宮の口から降りた。


一層を抜け、二層へ降りた。二層の、発光する苔の青い光の下を、八人で歩いた。これまで四人で歩いた草の原を八人で歩くと、原の上の苔の光が、八つの影を、いつもと逆向きに地面に落とした。八つの影が草の原の上に並んで伸びた。


フェルラムが岩の壁の印を辿って先頭を歩いた。


二層のいちばん奥まで、八人は降りた。草の原が尽き、苔の光がまばらになり、岩だけの地面に変わった。フェルラムが前に足を止めた地点だった。岩の壁に、剣ではない、別の傷――硬いもので岩を引っ掻いたような、平行した抉りの跡が、高いところから下のほうまで伸びていた。


「ここから先だ」とヴェロが言った。


ヴェロは抉りの跡を一度だけ見て、それから、その先の暗がりのほうへ目を移した。彼はその抉りをこわがってはいなかった。フェルラムが「嫌な気配」と言って引いた、その先へ、ヴェロは慣れた足どりで進もうとしていた。


「サギッタ、先頭。ウェントゥスは、頭上に一つ、用意しとけ」


「はい」とウェントゥスが答えた。「待って、兄さん、行きすぎないで」


サギッタが長弓に矢を一本番えた。それから、暗がりの先へゆっくりと足を踏み入れた。八人はその後に続いた。


暗がりの先は深く降りていた。


岩の地面が傾斜して下のほうへ続いていた。降りるほど空気が変わった。二層の、甘いような、胸の奥が冷たくなる匂いが、ずっと濃くなった。その濃い匂いの底に、もう一つ、別の匂いが混じってきた。腐ったような匂いだった。けれど、ただ腐った匂いとは違っていた。腐ろうとして、腐りきれずにいるような、奇妙な匂いだった。鼻の奥に張りついて離れなかった。


降りた先に広い場所が開けた。


二層のような明るい場所ではなかった。苔の青い光はもう届かなかった。八人は灯火を高く掲げた。だが、その灯火の光が奇妙だった。光を掲げても、その光が暗がりの先まで進まなかった。光が空間に染み入る前に、暗がりのどこかで消えてしまうようだった。


その広い場所の、ずっと底のほうに、何か、大きなものの流れる音がした。


血河だ、とセラフィナは思った。二層を流れていた、あの、赤黒い大河。それがここで滝のように落ちていた。落ちた先に池があるらしかった。落ちる音と、池に注ぐ音が、暗がりの底から二拍遅れて返ってきた。声を出すと、その反響も二拍遅れて返った。どこから返っているのか、定まらなかった。


「ここが、三層だ」とヴェロが言った。


ヴェロの声も二拍遅れて、暗がりのどこかから返ってきた。


「奥に、血の池がある。池から、いくつも、洞窟が、繋がってる。──そのどれかが、その先へ、続いてる。だが、その前に」


ヴェロがそこで言葉を切った。


「ここには、死んだやつが、いる」


◇◇◇


最初に動いたのは、暗がりの、岩の陰だった。


そこに何か立っていた。灯火を向けると、それは人の形をしていた。だが、人ではなかった。体の表面に、肉がほとんどなかった。骨が剥き出しになっていた。骨の表面に、血管のようなものが赤黒く浮き出ていた。その骨の人型が、ゆっくりとこちらを向いた。


それが一体ではなかった。


岩の陰から、岩の陰から、暗がりの底から、同じ骨の人型がいくつも立ち上がってきた。どれも剥き出しの骨に赤黒い血管を浮き出させていた。どれもゆっくりとこちらを向いた。向いてから、こちらへ歩き始めた。歩き方が、生きている者の歩き方とは違っていた。関節が、ありえない角度に曲がっていた。それでも、その曲がった関節で、彼らは着実に近づいてきた。


「血骨兵だ」とヴェロが言った。「数が、多い。──サギッタ」


サギッタの矢が放たれた。


矢は外さなかった。先頭の骨の人型の、頭の、目のあたりに、矢が深く刺さった。刺さって、骨の人型は一度止まった。だが、倒れなかった。止まってから、また歩き始めた。頭に矢を刺したまま近づいてきた。


「効かないのか」とイグネリアが言った。


「効く。だが、止まらない」とヴェロが答えた。「砕け。粉々に砕かないと、止まらない。──ウェントゥス」


「はい。待って、今、出します」


ウェントゥスが杖を前に向けた。彼女の頭の上に、いつのまにか、風の渦が待機していた。その渦が彼女の杖の動きに合わせて前へ走った。風が先頭の骨の人型を横から薙いだ。骨の人型は風に押されて、岩の壁に叩きつけられた。叩きつけられて、骨がいくつか砕けた。砕けて、ようやく、その一体は動かなくなった。


だが、後ろから、また、別の骨の人型が続いてきた。


「イグネリア、火を」とフェルラムが言った。


「入れる」


イグネリアの手から、火が束になって出た。火は骨の人型の、いちばん厚いところを横に薙いだ。二層では、その火が毒の魔物を焦がして動きを止めた。


今度は、止まらなかった。


火は骨の人型を、たしかに、焼いた。骨の表面の、赤黒い血管のようなものが、火に焼かれて、じじ、と音を立てた。けれど、骨は燃えなかった。骨の人型は焼かれながら、なお歩いてきた。火に焼かれた血管が、すぐにまた赤黒く浮き出てきた。焼かれたそばから、骨の人型は元に戻ろうとしていた。


「焼けない」とイグネリアが低く言った。


イグネリアの火は、二層では何でも焦がした。焦がして、動きを止めた。その火がここでは骨を焦がせなかった。骨には焦がす肉がなかった。焼くべきものが、骨の人型にはほとんど残っていなかった。イグネリアの火は、燃やすべきものを見つけられずにいた。


「火は、いい」とフェルラムが言った。「ここは、火じゃない。砕け。手で、砕くしかない」


フェルラムが重い体ごと前に出た。彼の剣が、先頭の骨の人型の肩のあたりを打った。骨が砕けた。砕けた骨が地面に散らばった。だが、散らばった骨は、すぐにはなくならなかった。地面に散らばったまま、わずかに動いていた。


セラフィナはその光景を後ろから見ていた。


二層の魔物とは違った。二層の魔物は、火に焼かれ、剣に潰され、それで死体になった。死体は動かなくなった。ここの、骨の人型は、違った。砕いても、散らばった骨が、まだ、動いていた。火に焼いても、燃えなかった。彼らは、もう、死んでいるように見えた。死んでいるのに、動いていた。死んでいるものが、動いている。それが、これまでの、どの魔物とも、違う、奇妙な恐ろしさだった。


セラフィナの体の、芯のところが、冷たくなった。


二層の群れと戦っていたときは、こんなふうにはならなかった。あのときは、ただ、傷を負う者を数えて、手当てに向かえばよかった。今は違った。目の前で動いているものが、生きているのか、死んでいるのか、その区別がつかなかった。区別のつかないものが、八人を囲もうとしていた。


「セレナさん、下がってて」とヴェロが言った。


セラフィナは八人の後ろに下がった。


◇◇◇


血骨兵の群れの中に、一体だけ、違うものがいた。


それは、ほかの骨の人型とは違って、まだ、肉が残っていた。皮膚も半分ほど残っていた。残った皮膚の下で、骨が剥き出しになりかけていた。それは、ほかの骨の人型のように、ただ近づいてくるのではなかった。


それは立ち止まって、構えた。


剣を構えた。腰のあたりから剣を抜いて、戦士の構えを取った。その構えは、ほかの骨の人型の、関節の曲がった、ぎこちない動きとは違っていた。生きていた頃の、戦士の構えだった。


「澱人だ」とヴェロが低く言った。「あれは、生きてた頃の、戦い方を、覚えてる。──気をつけろ。血骨兵より、厄介だ」


その澱人がフェルラムのほうへ踏み込んできた。


踏み込みは速かった。剣を握った腕が、戦士の太刀筋で、フェルラムの肩のあたりへ伸びてきた。フェルラムはそれを、盾の代わりの重い体で受け止めた。受け止めて、剣で澱人の腕を打ち返した。澱人の腕が肘のあたりで折れた。折れた腕がだらりと下がった。


それでも、澱人は退かなかった。


折れていないほうの腕で剣を握り直した。握り直して、また構えた。生前の戦い方を、それはまだ覚えていた。腕が一本折れても、それはもう一本の腕で戦士の構えを取り続けた。フェルラムが、その澱人の、頭の付け根のあたりを、剣で深く断った。澱人の動きが、ようやく止まった。止まって、地面に崩れた。


崩れた澱人を、セラフィナは後ろから見た。


それは剣をまだ握っていた。地面に崩れても、その手は剣を離さなかった。生前、戦士だったのだろう、とセラフィナは思った。戦士だった者が、死んで、なお、剣を握り、戦士の構えを取り続けていた。それが、ここにいた。死んだ者が、生きていた頃の、自分の形を、なぞり続けていた。


なぞり続けて、それは、骨だけに、なりかけていた。


セラフィナはその澱人から目を逸らした。


逸らしながら、彼女は、何か、胸の奥が、痛んだ。その痛みは、息を吸うたびに、同じ場所で、疼いた。それでも、痛んだ理由を、彼女は追わなかった。追わないまま、彼女は群れの、ほかの場所に目を戻した。八人が、骨の人型の群れと戦っていた。彼女はその八人を、また、近い順に、と数えようとした。誰が先に傷を負うか。誰から手当てに向かうか。


数えきれなかった。


八人が群れの中で動いていた。動いている八人を数えようとすると、誰かが抜けた。火の輪のときと、同じだった。


◇◇◇


最初に傷を負ったのは、ヴィタだった。


血骨兵の一体が、群れの隙間から、ヴィタの腕に取りついた。骨の指が、ヴィタの腕の肉を引っ掻いた。ヴィタは声を上げなかった。引っ掻かれた腕を引いて、自分で、傷の上から短く祈った。傷の縁が寄った。血が止まった。


「ヴィタ、平気か」とヴェロが戦いながら訊いた。


「平気です」とヴィタは答えた。「かすり傷です」


ヴィタはそう言って、また群れのほうへ向き直った。彼女は自分の腕の傷を自分で塞いで、それで終わりにした。中位の神官として、当然のことだった。けれど、その祈りの後で、ヴィタの顔色がわずかに青くなっていた。額に薄く汗が浮いていた。一度、自分に祈っただけで、彼女の息は少し浅くなっていた。


セラフィナはそれを見た。


ヴィタの祈りは止血だった。傷の縁を寄せて、血を止める。それだけの祈りだった。それだけの祈りで、ヴィタの息は浅くなり、顔色が青くなった。本職の神官だった。聖句は完璧だった。それでも、一度の祈りで、彼女は消耗していた。


セラフィナはその日、何度も祈った。


フェルラムの、骨の人型に噛まれた脚に祈った。サギッタの、群れの隙間から斬りつけられた肩に祈った。ウェントゥスの、転んで岩で擦った腕に祈った。何度も祈った。骨の人型の群れは、なかなか減らなかった。砕いても、散らばった骨がまた動いた。八人はその群れを押し返しながら、少しずつ退いた。退きながら、セラフィナは何度も祈った。


「セレナさん」


戦いが一段落して、ヴェロがセラフィナに言った。


「あんた、よく、保つな」


「ええ」とセラフィナは答えた。


「俺たちの神官は、何度も祈ると、すぐ、息が上がる。──あんたは、上がらないのか」


「無理は、していません」とセラフィナは答えた。


「そうか。──助かる。神官が二人いて、片方が、それだけ保つなら、手厚い」


ヴェロはそれだけ言って、群れのほうへ向き直った。


セラフィナが何度祈っても息が上がらないこと。それを、ヴェロは助かる、で受け取った。なぜ上がらないのか、と彼は問わなかった。神官が、何度祈っても保つなら、それだけ手が回る。ヴェロはその一点でセラフィナを受け取り、それ以上の場所には立ち入らなかった。


ヴィタもそれを聞いていた。


ヴィタは自分の腕の傷をもう一度確かめていた。確かめながら、彼女はセラフィナのほうを一度見た。けれど、ヴィタも何も問わなかった。彼女は自分が一度の祈りで消耗することを、当然のものとして扱っていた。神官とは、そういうものだった。ヴィタにとって、それは当たり前のことだった。だから、何度祈っても保つセラフィナを、ヴィタはただ、頼もしい同業として見た。それ以上のことを、ヴィタは考えなかった。


セラフィナはその視線を受け取った。


受け取って、彼女は何も言わなかった。火を挟んで向かい合った夜、同じ装いの神官が二人いた。今、その二人が同じ群れと戦って、片方は息を上げ、片方は上げなかった。その違いについて、セラフィナは何も考えないようにした。考えないまま、彼女はまた八人のほうへ目を戻した。


◆◆◆


三層の浅いところの岩の陰で、八人は一度息を整えた。


血骨兵の群れは洞窟の奥のほうへ退いていった。澱人は、フェルラムが断ったきり、もう立ち上がってこなかった。八人は岩の陰に身を寄せて、灯火を低くした。


「ここまでは、いつもどおりだ」とヴェロが言った。「血骨兵と、澱人が、何体か。これは、三層の入り口の、いつもの顔ぶれだ。──だが、その先は、違う」


ヴェロは見取り図をもう一度広げた。途切れた線の、その先を指さした。


「血の池の、向こうだ。あそこから先は、黒風が、出る」


「黒風」とイグネリアが繰り返した。


「黒いモヤみたいな風だ」とヴェロが言った。「近くで見ると、小さい虫の群れだ。目をつけられると、寄ってたかって、血肉を、齧り取られる。一度に、殺しはしない。一撃、齧って、離れて、また来る。それを、何日も、繰り返す。──火も、剣も、効かない。当たらないからな」


ヴェロはそれだけ言って、見取り図を巻き取った。


「今日は、ここまでにする」と彼は言った。「血の池までは、行かない。黒風の出る場所へは、まだ、入らない。──下見だ。今日は、三層の入り口の顔ぶれを、確かめた。それで、いい」


ヴェロは全員を一度見渡した。


「全員、生きてるな」


八人がそれぞれ頷いた。傷を負った者はいた。けれど、セラフィナが何度も祈って、傷はすべて塞がっていた。死んだ者は、いなかった。


「よし」とヴェロは言った。「戻る」


八人は来た傾斜を上り始めた。


◇◇◇


二層の、苔の青い光の下まで戻ってきたとき、セラフィナはようやく息をついた。


二層は明るかった。苔の光が上から降っていた。草の原が足元に広がっていた。三層の、光が進まない暗がりと、死んだものが動く奇妙な恐ろしさは、傾斜の下に置いてきた。けれど、その奇妙な恐ろしさは、彼女の体の、芯のところに、まだ、残っていた。


「あんた、青い顔してる」とイグネリアが言った。


「三層は、ああいう、場所なんだ」とイグネリアは言った。「二層とは、違う。──あたしも、最初に、ちらっと見たときは、しばらく、動けなかった。あそこは、生きてる場所じゃない。死んでるものが、動いてる」


セラフィナは頷いた。


頷きながら、彼女は三層の骨の人型のことを思い出した。火に焼いても燃えなかった。砕いても、散らばった骨が動いていた。死んでいるものが動いていた。それから、あの、剣を握ったまま崩れた澱人のことを思い出した。死んで、なお、戦士の構えをなぞり続けていたもの。なぞり続けて、骨だけになりかけていたもの。


セラフィナはそれを追わなかった。


追わないまま、彼女は二層の草の原を八人で上った。八つの影が、苔の光で地面に伸びていた。八つ。彼女はその影を、また、近い順に、と数えようとした。数えきれなかった。


なぜ、数えてしまうのか。


彼女はそのことを考えようとして、考えるのをやめた。なぜ数えてしまうのかを言葉にしようとすると、それが、何か、別の、もっと暗いものに、変わりそうだった。だから、彼女は、ただ、数えた。八人を、近い順に。


◆◆◆


迷宮の口の縁に出ると、空気の匂いが変わっていた。


地下の、深いところの空気から、地上の、冬の、乾いた空気に、変わった。けれど、その地上の空気の底に、まだ、あの、甘いような、胸の奥が冷たくなる匂いが、ごく薄く、混じっていた。三層の、ずっと底の、血の池のあたりから、上がってきた匂いだった。その匂いを嗅ぐたびに、彼女の中の、あの「近い」という感じが、強くなった。


何が近いのか、彼女は言葉にしなかった。


「今日は、ここまでだ」


ヴェロが迷宮の口の縁で八人に言った。


「次は、もう少し、奥まで行く。血の池の、手前までは、行く。──だが、今日は、よく、保った。全員、生きてる。それで、いい」


ヴェロはそう言って、連れの四人をギルドのほうへ連れていった。サギッタと、ウェントゥスが、対の武器をそれぞれ背負って続いた。ヴィタが最後に、迷宮の口の縁で一度振り返った。


「セレナさん」とヴィタは言った。「明日も、よろしく。──神官が、二人いると、心強いです」


「ええ」とセラフィナは答えた。「こちらこそ」


ヴィタは軽く頭を下げて、ヴェロたちの後を追った。白い法衣の裾が、迷宮の口の縁の、冬の光の中で揺れた。同じ白い法衣だった。セラフィナはその裾が、街のほうへ遠ざかるのを見送った。


セルウィウスが迷宮の口の縁の、人気のない場所で待っていた。


「お嬢様」


その呼び方を、彼は人気のない場所で使う。


「ご無事で」


「ええ」とセラフィナは答えた。


セルウィウスはそれ以上、何も言わなかった。彼はいつものように、問われたことには答え、問われないことは口にしなかった。八人の編成の中で、彼はいつも、少し離れた場所に立っていた。火の輪のときも、戦いのときも、彼は輪の外側にいた。セラフィナが八人を数えるとき、彼の聞こえない息は、いつも、最後に、抜けた。


セラフィナは迷宮の口を見下ろした。


階段が幾重にも降りていた。底のほうは暗くて見えなかった。二層は、その底の、途中にあった。三層は、その二層の、さらに下にあった。今日、彼女はその三層の、入り口まで降りた。死んだものが動く、奇妙な場所まで。そして、その三層の、さらに底に、血の池があった。池から繋がる洞窟の、どれかが、その先へ続いていた。彼女が、本当に、行かなければならない場所は、その先にあった。


明日、また、降りる。


今度は、八人で。血の池の、手前までは。そして、いつか――フェルラムが「来るな」と言った、その先まで。けれど、それを、彼女は、考えるのをやめた。考えれば、それは、間違った形に、なりそうだった。


迷宮の口から、冷たい空気が流れ上がってきた。


その空気の底に、あの匂いが混じっていた。腐ろうとして、腐りきれない、奇妙な匂い。三層で嗅いだ匂い。その匂いが、迷宮の口にまで上がってきていた。


セラフィナはその匂いを嗅いだ。


嗅いで、彼女の体の、芯のところが、また、冷たくなった。理由は分からなかった。ただ、その匂いを嗅ぐたびに、彼女の中の、あの「近い」という感じが、強くなった。それから、火の輪の八人と、戦いの中の八人を、近い順に、と数えようとして、数えきれなかった、あの感覚も、彼女の中に、残っていた。


その八人を、彼女は、また、数えようとするだろう。数えきれないまま。止められないまま。


セラフィナは迷宮の口を見下ろしたまま、しばらく、立っていた。


階段の底の暗がりが、彼女の足元から、まっすぐに降りていた。その底に、二層があり、三層があった。冷たい空気が、その底から、流れ上がってきていた。


セラフィナは灯火を確かめた。


それから、迷宮の口の、階段の縁に、足を、かけた。

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