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第7話 黒曜会の夜

 秘密競売ノクターンには、値札がない。


 あるのは、誰がその石へいくらの責任を載せられるかだけだ。


「要するに、金持ちが仮面をつけて責任転嫁する会ね」


 港湾第九倉庫の貨物用エレベーターで、澪が黒い蝶の仮面を押し上げた。


「声が大きい」


「防音仕様。ここで叫んでも、地上にはフォークリフトの音しか届かない」


「どうして知ってるの」


「宝石オタクの一般教養」


 一般の定義を鑑定し直した方がよさそうだった。


 澪は黒いワンピースを着ていた。本人は『潜入のための布』と言い張っているが、白銀の髪と琥珀色の目によく似合っている。


「似合ってる」


「何が」


「潜入のための布」


「そこまで言い換えるなら最初から黙ってて」


 耳が赤くなったので、今夜はもう一度くらい言おうと思った。


 地下へ着くと、古い倉庫の下に劇場が現れた。


 半円形の客席。中央には黒曜石を敷いた円形舞台。天井の照明は宝石を見るための白色光と、競売演出用の蝋燭色へ切り替えられる。


 客は全員仮面姿だった。美術館の理事、輸入会社の経営者、灰色市場の仲介人。顔を隠していても、指輪と時計と護衛の数が身分を喋っている。


 入口で私のC級章が読み取られる。


「東雲凛香様、補助者一名。黒曜会へようこそ」


 黒服の係員が一礼した。


「黒曜会?」


「《ノクターン》へ継続参加する顧客と鑑定士の通称です。石の色ではなく、光を返さない約束を重んじる方々です」


「言い方だけ高級な口止め契約」


 澪が呟く。


 係員は聞こえなかったふりをした。高級な接客だった。


 舞台正面に、一人の男が立つ。


 久世玄冬。


 国際競売会社オルビスの代表。白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけ、黒い杖の柄に無色のダイヤモンドを埋め込んでいる。


「今夜の主役は、石ではありません」


 久世は静かに両手を広げた。


「石へ価格を与える、皆様の信用です」


 母の未公開研究台帳を手に入れるには、三つの公開鑑定を勝ち抜かなければならない。


 参加者は六名。私以外は全員B級以上。中には、海外競売の常連であるS級鑑定士までいた。


「今から帰って資格章を磨く?」


 澪が訊く。


「帰らない」


「だよね。そういう無駄な根性だけは高クラリティ」


 第一戦の石が、赤い絹の上へ置かれた。


 六・三カラットのオーバルカット。蝋燭色の照明では、濃い血のような赤をしている。


 制限時間は三分。


 使用できるのは十倍ルーペとペンライトのみ。


 私は石を挟み、斜めから光を入れた。内部には多くの亀裂。その一部に青いフラッシュが見える。


 充填処理。


 そう思った。


「天然ルビー。鉛ガラス充填」


 答案を出す。


 隣の鑑定士が、私より一秒遅れて書いた。


「上部は天然ルビー。下部は赤色ガラス。接合石」


 照明が白へ変わる。


 石の側面に、髪の毛ほど細い水平線が浮いた。クラウン部分とパビリオン部分を貼り合わせた境界だ。


 亀裂のフラッシュだと思った光は、接着層の反射だった。


「第一戦、東雲凛香様は失点」


 久世の声が落ちる。


 私は石を台へ戻した。


「触らなかったのは偉い」


 澪が小声で言う。


「慰めになってない」


「三分で負けた人に長い慰め、コスパ悪いから」


「もう少し人の心を」


「鑑定して。接合線を亀裂だと思った理由」


 言い返しかけて、止まる。


 私は亀裂が多いルビーを見た瞬間、《処理石》という答えへ急いだ。資格審査のサファイアで見落としたから、今度は処理を見つけようとしすぎた。


 間違いを恐れた目は、別の間違いを探し当てる。


「先に答えを決めた」


「じゃあ次は、石が答えを出すまで黙る」


 澪は私の背中を一度叩いた。


 第二戦は、古いプラチナの指輪に留められたエメラルドだった。


 課題は《来歴》。


 石の正体ではなく、目の前の指輪が過去の写真に写る王侯貴族の指輪と同一かを判定する。


 資料写真では、エメラルドは縦十二・四ミリ。現在は十二・一ミリ。重量も〇・二カラット減っている。


 他の鑑定士たちは、再カットによる価値低下を理由に《同一性不明》とした。


 私は写真とリングを見比べる。


 四隅の爪のうち、右上だけが内側へ強く曲がっていた。石が小さくなったあと、落ちないよう爪を締め直した跡だ。


 さらに、現在のエメラルドの左下には、小さな三相包有物がある。液体、気泡、結晶。写真を拡大すると、再カット前の石にも、同じ位置関係の白い点が三つ並んでいた。


「同一の石です」


 私は答案へ書く。


「欠けを除くため、左辺とパビリオンを再研磨。台座は交換されていません。右上の爪だけが再調整されています」


「根拠は?」


 久世が問う。


「包有物は石の中の指紋です。輪郭を削っても、全部は消えない」


 澪が横から顕微鏡写真を投影する。


「三相包有物の配置一致。あと、再カットした職人、右利きで神経質。研磨線が右下だけ二回やり直されてる」


「性格まで分かるの?」


「石の黒歴史はだいたい読める」


 会場から小さな笑いが漏れた。


 第二戦、正解。


 私の失点は相殺され、最終戦へ進めるのは私を含む三人になった。


 第三戦の題は、《最も高く売れる石》。


 舞台に三個の宝石が並ぶ。


 青緑のトルマリン。


 大粒のブラックオパール。


 そして、五カラットを超える深紅のルビー。


 私たちは一個を選び、真贋と来歴を保証し、明夜の競売における最低価格を記す。


「本物を当てる勝負じゃない」


 澪が言う。


「誰の鑑定書なら、客が一番高く買うかの勝負」


 B級鑑定士はブラックオパールへ一億八千万円。


 S級鑑定士はルビーへ四億円。


 私は三個を順に見る。


 トルマリンは美しいが、銅を含むかどうかはこの場で断定できない。


 オパールには補強処理の疑いがある。


 ルビーは、色も透明度も圧倒的だった。非加熱なら、四億でも安いかもしれない。


 ガードルをルーペで追う。


 一か所だけ、研磨の向きが違う。


 そこに数字の残骸があった。


 《M―17》


 削り取ろうとして、完全には消せなかった管理番号。


 胸がざわつく。


 許可証には、感情残留情報の読解も鑑定手段として認めるとある。けれど、私はすぐには触れなかった。


「澪。公開盗難品台帳、見られる?」


「三分ちょうだい」


「残り二分四十秒」


「じゃあ時空を少し曲げて」


 澪の指が端末を走る。


 私はリングライトの角度を変えた。ルビーのパビリオンに、古い台座の爪が擦った四本の跡。今の裸石保管ではつかない位置だ。


 資料が一件、表示された。


 戦時中に玻璃ヶ浦の私設美術館から散逸した、ミャンマー産ルビー。《紅王妃》。管理番号M―17。重量、寸法、古い欠けの位置まで一致する。


 所有権訴訟は未解決。


 私は答案へ書いた。


 《最低価格 0円 所有権確定まで、この石は資産ではなく負債》


 会場がざわめく。


「鑑定を放棄なさる?」


 久世が笑みを浮かべた。


「天然ルビーである可能性は高いです。でも、売る権利を誰が持つか保証できません」


「質問は、最も高く売れる石です」


「だから0円です。所有権のない石は、値段をつけた瞬間に負債になる」


 S級鑑定士が鼻で笑う。


「番号が一致しただけだ。研磨で模倣できる」


「その通りです。だから、今は売らない」


 私は保証欄へ署名した。


「追加調査が終わるまで、競売停止を保証します」


 四億円の鑑定書に対して、私は0円の鑑定書を出した。


 客席から失望と嘲笑が混じる。


 そのとき、後方の扉が開いた。


 杖をついた老婦人が、弁護士とともに入ってくる。胸元には、石の抜けた古いブローチ。


「そのルビーは、祖母の美術館から奪われたものです」


 彼女は舞台の写真を掲げた。

 ブローチに留められていた《紅王妃》。爪の位置と、石に残る四本の摩耗痕が一致する。


 裁判所の保全命令も同時に示された。


 S級鑑定士の四億円保証は、その場で撤回された。


 久世がゆっくり拍手をする。


「最高額をつけた者ではなく、最高額の損失を防いだ者。第三戦の勝者は、東雲凛香様です」


 勝った実感はなかった。


 ただ、売らないと書いた紙が、初めて誰かの石を守った。


 舞台の照明が落ちる。


 客席中央の一席だけに、白い光が差した。


 黒いドレス。黒い髪。胸元のC―00。


 華乃が座っていた。


 仮面はつけていない。


 隠す必要がない人の顔だった。


「《真贋の魔女》に拍手を」


 久世が紹介すると、灰色市場の客まで立ち上がった。


 姉は舞台へ上がり、私の答案を一瞥する。


「市場価格の問いに、所有権で答えたのですね」


「間違ってる?」


「高く売ることしか考えない場では、最も高く評価される間違いです」


 褒められたのか分からない。


 久世が私へ一枚の契約書を差し出した。


「東雲様。オルビスは、あなたの能力を正式に買いたい」


「能力だけ売る方法を知りません」


「専属契約です。過去の所有者、隠された取引、偽造された来歴。あなたが触れれば、競売の信用は絶対になる」


「私が読めるのは感情です。犯罪記録じゃない」


「顧客は違いを気にしません。信じられる物語があればいい」


 背中が冷えた。


 久世が欲しいのは真実ではない。


 私の力で作った、誰も逆らえない物語だ。


「その子は商品ではありません」


 華乃の声が割り込む。


「本人と話しています」


「本人が契約の危険を理解できる情報を、あなたは開示していない」


「姉君は、随分と妹思いだ」


「誤鑑定です」


 華乃は契約書を二つに裂いた。


「私は、価値のない取引を止めただけです」


 姉は私を見ないまま、舞台を降りた。


 胸の奥が、少しだけ温かくなったことは認めたくなかった。


 勝者の品として、黒い革表紙の台帳が渡される。


 表紙には、赤い封蝋と同じ紋章。


 ルーペの中の、一滴の雫。


 母の字だった。


 ページをめくる。


 感情残留情報の移送実験。媒体の組成。安全限界。返還手順。


 そして最初の正式記録。


 《管理番号 C―01》


 《名称 ファースト・クラリティ》


 《記憶提供者 神代澪》


 隣に立つ澪の呼吸が止まった。


 私は日付を見る。


 七年前。


 母が死んだ、その日だった。


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