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第3話 毒舌少女は内包物を愛す

専門用語の補足説明


• クラリティ

— 宝石の透明度を示す鑑定項目。透明度が高いほど価値は上がる。


• インクルージョン

— 石の内部に残った“成長の傷跡”。凛香はこの傷から感情の残響を読み取ってしまう。石の人生そのもの。

 公開鑑定オープン・ルーペには、四つの欄がある。


 正体。処理。来歴。保証。


 最後の保証欄へ署名した瞬間、鑑定士は自分の信用を石の隣に置く。間違えれば、依頼人の損害を負い、階級を失い、場合によっては二度と鑑定書を発行できない。


 だから普通の鑑定士は、百八十七万人が見守る生配信で、正体不明の加工を主張したりしない。


「今さら普通を目指すの、無理じゃない?」


 控室で澪が言った。


「口に出してないけど」


「顔に書いてある。クラリティ低め」


 彼女は私の右手へ薄い指サックをはめ、さらに綿手袋を重ねた。昨日まで『触って泣く鑑定士』と呼んでいたくせに、手つきは妙に慎重だった。


「勝手に石へ触らない。気分が悪くなったら三秒以内に言う。あと、倒れる方向は私と逆」


「心配してくれてる?」


「高額機材の上に倒れられたくないだけ」


「目をそらして言うと説得力がなくなるよ」


「うるさい。湿度高すぎ。除湿剤食べる?」


 差し出されたのはレモン味のグミだった。


 会場は鑑定士協会の公開検査室。中央に白い机が二つ並び、防振ケースに入った《白妃の涙》が置かれている。壁面モニターには、宝生ルカの配信ロゴと視聴者数が表示されていた。


 審査席の中央には一脚だけ、黒い椅子が空いたまま置かれている。本来なら、前回の鑑定責任者である華乃が座るはずだった。


 姉は欠席した。代理人が提出した文書には、《既存鑑定に変更なし。未知の処理が証明された場合、その検査費と競売損害を黒百合商会が負担する》とある。


 逃げたようにも、私へ道具を渡したようにも読める文章だった。


 二百四十三万人。


 昨日より増えている。


「それでは、公開再鑑定を始めます」


 赤いジャケットのルカが、カメラへ完璧な角度で微笑む。


「対立する主張は二つ。私、宝生ルカは、《白妃の涙》を天然・無処理のダイヤモンドと鑑定します。東雲凛香さんは、天然石であることを認めつつ、“別人の記憶が上書きされた層”が存在すると主張しています」


「記憶の存在そのものは、鑑定項目にしていません」


 私は訂正した。


「私が証明したいのは、通常の報告書に記載されていない人工的な処理です」


「言い換えは大事ですね。怪談から鑑定へ、一歩前進です」


 笑顔のまま刺してくる。嫌いではない。少なくとも、ルカは私を笑いものにするためだけにここへ立っているわけではない。


 制限時間は三十分。使用できるのは十倍ルーペ、顕微鏡、紫外線照射器、偏光フィルター、携帯型分光器。石を傷つける検査は禁止。


 開始のベルが鳴った。


 ルカは迷わず重量と寸法を確認し、ガードルの刻印、内部特徴、蛍光反応を順に見ていく。動きが速い。配信用の派手さとは別に、基礎が恐ろしく正確だった。


「天然由来の微小な成長線。Ⅱa型に多い歪み模様。既知の合成ダイヤモンドに見られる金属包有物なし。ガードル付近に再研磨痕はありますが、旧台帳と一致」


 解説しながら、答えへ一直線に進んでいる。


 私は石を顕微鏡の下へ置いた。


 触れない。


 光だけで見る。


 最初の五分で、私は一つ間違えた。


 ガードル近くに見えた白い線を接合痕だと思い、倍率を上げた。けれど焦点をずらすと、線は内部へ沈む。天然ダイヤモンドに生じた微細な成長線だった。


 配信コメントが画面の端を走る。


《もう誤鑑定?》《やっぱ霊感だけ》《ルカ様余裕》


 頬が熱くなる。早く逆転しなければ。触れれば、何か分かるかもしれない。


 指が石へ伸びかけたとき、観察席から小さな音がした。


 澪がレモングミの袋を、わざと大きく開けた音だった。


 倒れる方向は逆。勝手に触らない。


 私は手を戻した。


 見たい答えではなく、見えている石を見る。


 完璧な石だ。内側には、ごく薄い成長線が一筋。底面のファセット接合も精密で、研磨の乱れはほとんどない。


 それでも、昨日から感じていた違和感が消えない。


「何かない、じゃなくて、何を消したか見て」


 背後の観察席から澪の声が飛んだ。


「助言は禁止です」


 協会員が注意する。


「独り言。推し石が雑に無処理扱いされて機嫌悪いだけ」


「誰が推し石よ」


「欠点ゼロは解釈違いだから推してない」


 私は思わず笑いそうになり、肩の力が抜けた。


 何を消したか。


 石の中心ではなく、境界を見る。


 顕微鏡の焦点を、クラウンからガードル、さらにパビリオンへ滑らせる。すると、ファセットの稜線に沿って、ごく細い二重像が現れた。


 研磨の影にしては規則的すぎる。


「偏光フィルターを」


 交差させた二枚のフィルターの間で石を回す。内部の歪み模様は青と橙に変化した。だが、表面からほんの数十ミクロンの範囲だけ、歪みの動きが遅れる。


 石の上に、別の透明な皮膚がある。


 さらに倍率を上げると、その皮膚の境界に、針先ほどの気泡が一つだけ閉じ込められていた。天然ダイヤモンドの内部特徴ではない。けれど一般的な接着剤の気泡とも違い、輪郭が多面体に結晶化している。


 澪なら、これを見て喜ぶだろう。


 欠点ではない。何かがここに存在した証拠。


「層がある」


「反射のゴーストでは?」


 ルカがこちらの画面をのぞく。


「可能性はあります。でも、全周ではない。再研磨された面だけを避けて残ってる」


 私は紫外線照射器へ切り替えた。


 《白妃の涙》は淡い青色の蛍光を返した。ところが、ガードル近くの一部だけ、青い光が針で縫ったように途切れる。


「表面コーティングなら、もっと均一なはずです」


 ルカの声から、配信用の軽さが消えた。


「ええ。着色や保護の膜じゃない。石の一部だけを覆って、何かを保持してる」


「“記憶”を?」


「そこまでは科学鑑定で言えません」


 母の教えを思い出し、私は首を振った。


「でも、無処理ではない」


 残り時間、四分。


 ルカは自分の机へ戻り、別角度から蛍光像を撮る。私はガードルのC―01を探した。刻印は見つかったが、その周囲だけ表面層が厚い。


 なぜ番号の周りだけ。


 手袋越しにリングを固定しようとして、指先がわずかに滑った。裂けてはいない。直接触れてもいない。


 なのに、冷たい涙が胸へ落ちた。


『返して』


 少女の声。


 同時に、顕微鏡の視野でC―01の一の字が光った。


「刻印じゃない」


 私は呟いた。


「何?」


「この縦線、表面へ彫ったんじゃない。層の内側にある。番号ごと封じ込めてるんだ」


 残り一分。


 澪が観察席で身を乗り出した。右手が机の縁へかかり、袖がずれる。火傷痕が露わになった。


 私の頭の中で、石から見た少女の手と重なる。


 ルカがマイクへ向き直った。


「宝生ルカの最終鑑定。天然ダイヤモンド。従来型の着色、充填、接合処理は確認できません。ただし、表層に未登録の透明物質が局所的に存在する可能性を認めます。追加の非破壊分析が必要です」


 会場がざわめいた。


 完全な敗北ではない。勝利でもない。


 けれど、昨日まで怪談と呼ばれていたものが、初めて検査項目になった。


 石の世界では、名前のない処理は「存在しない処理」と同じ扱いを受ける。報告書に欄がなく、基準がなく、誰も保証しないからだ。


 今、たった一行でも記録へ残せば、次に同じ石を見た鑑定士は、そこを観察できる。


 真実を全部暴けなくても、見落とされる場所へ印をつける。それも鑑定士の仕事なのだと、初めて思えた。


 私は自分の鑑定欄へ記入する。


 正体――天然ダイヤモンド。


 処理――局所的な透明層。目的不明。


 来歴――C―01施工時の記録欠落。


 保証――追加検査まで売買停止を推奨。


 署名する手が震えた。


 審査員長が結果を告げる。


「現時点で、東雲凛香氏の“記憶上書き”という表現は証明されていない。一方、宝生ルカ氏の“無処理”も確定できない。競売は停止を継続。東雲氏への資格剥奪処分は見送る」


 息を吐いた瞬間、足から力が抜けた。


 澪がすぐに腕をつかむ。


「倒れる方向、逆って言った」


「倒れてない」


「私が支えてるからね」


「心配してくれた?」


「機材よりは軽そうだっただけ」


 カメラが切れたあと、ルカが近づいてきた。


「負けを認めたわけじゃありません。ただ、見落としを“存在しない”と言い張るほど、私の鑑定書は安くないので」


「ありがとうございます」


「次は、感情ではなく証拠で勝ってください。視聴者は泣き顔より逆転が好きです」


 そう言って、ルカは赤いジャケットを翻した。


 検査室を出ると、私は澪を非常階段へ引っ張った。海から吹く風が、建物の隙間で細く鳴っている。


「説明して」


「何を」


「C―01。母さんの研究。あなたの火傷」


「三つ。質問は一回一個って――」


「石の中で見たの。火事の夜、右手を焼いた女の子を。あなたと同じ場所だった」


 澪の表情から、毒気が消えた。


 初めて見る顔だった。怒っているのでも、笑っているのでもない。ただ、長く閉じた扉の前に立たされた人の顔。


「昨日、あなたは“絶望は私のもの”って言った。どういう意味?」


「そのまま」


「母さんを知ってたの?」


 澪は右手を握りしめた。古い火傷の皮膚が白くなる。


「知ってた」


「事故の日も?」


「いた」


 胸の奥で、何かが落ちた。


 母の死について、私は『研究室の設備事故』としか聞かされていない。華乃は詳しいことを話さず、そのまま私を親戚へ預けた。


「何があったの」


 澪は長い沈黙のあと、私をまっすぐ見た。


 琥珀色の瞳が、逃げることを諦めていた。


「あの石に入ってるのは、あんたの母親が亡くなった夜の記憶」


【主な登場人物】


東雲凛香(しののめ りんか) 18歳

見習い鑑定士。玻璃ヶ浦の小さな鑑定所「御影宝石鑑定室」で師匠・御影宗一郎のもとに働く。石に触れると、そこに残った持ち主の感情の残響を読み取ってしまう特異な力を持つ。ある日、七億円の婚約指輪から聞こえた「別人の絶叫」がきっかけで、宝石業界を揺るがす真贋騒動に巻き込まれていく。まっすぐで、時に自分の力に振り回されがちだが、「石の声を答えだと思わない」という亡き母の教えを胸に、一歩ずつ鑑定士として成長していく。


神代澪(かみしろ みお) 19歳

凛香の前に突然現れた、正体不明の少女。宝石オタクを自称し、内包物や処理痕を見ただけで石の来歴を言い当てる異様な観察眼を持つ。毒舌でマイペースだが、要所要所で凛香を的確に助ける頼れる相棒。右手に古い火傷の痕があり、時折見せる表情の奥に、まだ語られていない何かを抱えている。


東雲華乃(しののめ かの) 25歳

凛香の実の姉。日本にただ一人、世界に五人しかいないSS級鑑定士にして、大手宝石商会「黒百合商会」の代表。冷静沈着、感情を挟まず石だけを鑑定する徹底した姿勢で業界の頂点に君臨する。七年前、母の死をきっかけに凛香のもとを去った過去があり、妹への態度は素っ気ないが、その言動の端々に隠しきれない何かがにじむ。


御影宗一郎(みかげ そういちろう)

凛香の師匠。玻璃ヶ浦の片隅で小さな鑑定所を営む、六十代の鑑定士。合成石や偽物の標本を集めるのが趣味で、「間違いを見たことのない鑑定士は、正しさを見分けられない」が持論。母を亡くした凛香を見習いとして引き取った、数少ない理解者。


・宝生ルカ(ほうしょう るか)

登録者300万人を超える人気配信鑑定士。20歳でA級に到達した実力者で、華やかな見た目と裏腹に基礎技術は非常に確かなプロ意識の持ち主。凛香とは時に対立し、時に一目置く関係になっていく。


東雲雫(しののめ しずく) ※故人

凛香と華乃の母。かつて鑑定士として活動する傍ら、石と感情にまつわる独自の研究を行っていた。七年前に他界。その研究と遺志が、物語全体の大きな謎として横たわっている。

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