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第13話 三つのルビー

 ルビーとサファイアは、鉱物としては同じ石だ。


 どちらもコランダム。そこへクロムが混じり、赤く見えた瞬間だけ、人は別の名前と高い値段を与える。


 ほんの少しの不純物が、その石を特別にする。


 人間も同じなら楽なのに、と私は思う。


 欠点が増えるたび、価値まで上がってくれたらいい。


「試験前の顔じゃない。今にも家族の業を顕微鏡で観察しそう」


 鑑定士協会の控室で、澪が赤いグミを口へ放り込んだ。


「昨日、あんな記録を見たんだよ」


「華乃が百パーセント設定にした紙?」


「声が大きい」


「壁、防音」


「どこへ行っても最初に確認してるの?」


「宝石オタクが秘密を抱えるための一般教養」


 母の承認欄は空白だった。


 十一歳の澪が頼んだ永久消去を、十八歳の華乃が実行した。


 紙に書かれていたのは、それだけだ。


 なぜ姉が安全上限を越えたのか。母はどう止めたのか。事故の瞬間に何が起きたのか。


 答えはない。


 けれど、署名は嘘をつかない。


「試験、延期する?」


 澪が訊いた。


「しない」


「即答。壊れかけの人ほど予定を守ろうとする現象、名前つけたい」


「B級にならないと、王冠競売へ正式な再鑑定請求を出せない」


「C級になって十日でB級予備試験。成長速度が合成宝石」


「天然には時間がないから」


 B級鑑定士は、公開競売へ単独で鑑定書を出せる。


 間違えたときに負う金額も、C級とは桁が違う。


 今日の試験に合格しても、すぐ昇格ではない。実技一次を通り、国際案件相当の公開鑑定を一件完了して、初めてB級章へ届く。


 それでも、王冠競売を止めるための扉はここにしかなかった。


 円形の試験室には、十二人の受験者と七人の審査員がいた。


 中央の審査席に、華乃が座っている。


 昨日の記録について問い詰めたかった。


 姉は私を見ても、何もなかったように試験要項をめくった。


「課題は三石」


 審査員長が告げる。


「正体、処理、保証可能な範囲を各十五分で記載せよ。最終設問は、三石のうち最も価値が高いものを一つ選び、その理由を述べること」


 赤い布の上へ、三つのルビーが並べられた。


 第一石は、二・一カラットのオーバル。


 赤の中に、わずかな青み。十倍ルーペを当てると、細いルチルの針が交差し、絹のような光を作っている。角ばった成長帯。小さな負結晶。


 高温加熱を受ければ、ルチルは溶け、輪郭を失うことが多い。周囲に熱による円盤状亀裂もない。


 《天然ルビー。加熱を示す所見なし。産地は追加分析なしに断定しない》


 第一石は、迷わなかった。


 第二石は、四・八カラット。金の古い指輪に留められている。


 肉眼では第一石より濃く、存在感がある。だが内部のルチルは短く途切れ、結晶包有物の周囲へ熱で生じた円盤状の亀裂が広がっていた。亀裂の一部は再結晶している。


 天然。


 加熱処理あり。


 ガードルには長年の摩耗。爪の下だけ色が浅く、何度かサイズ直しを受けた痕もある。


 処理を受けた石は、未処理の石より市場価格が下がることがある。


 けれど、この指輪が偽物になるわけではない。


 私は《加熱処理を開示したうえで、継続使用に問題なし》と保証欄へ書いた。


 第三石は、一・五カラットのラウンド。


 一見すると、最も透明で傷がない。


 偏光器の間で回すと、不自然な色むらが弧を描く。顕微鏡では、緩やかな曲線状成長線と、丸い気泡。


「ベルヌーイ法」


 思わず小さく呟く。


 炎の中で原料粉末を溶かし、人工的に育てた合成ルビーだ。


 百年以上前からある技術で、腕時計の軸受や実験材料にも使われてきた。天然ではない。けれど、化学組成も結晶構造もコランダムであることに変わりはない。


 ガードルの内側に、顕微鏡でようやく読める文字があった。


 《MIO 18》


 製作者の署名らしい。


 私は《合成ルビー。ベルヌーイ法。天然石との混同を避ける表示が必要》と記載した。


 三石の鑑定が終わる。


 技術項目は、すべて正解だった。


 最後の設問が、モニターへ表示される。


 《最も価値の高い石を一つ選べ》


 市場価格なら第一石。


 未加熱の天然ルビーで、色も透明度も高い。競売へ出せば、三石の中で最も高値になる可能性が高い。


 第二石は大きいが、加熱処理があり、台座の状態も完全ではない。


 第三石は合成。市場での再販価格だけなら、二つに及ばない。


 答えは明らかに見えた。


 そのとき、追加資料が配布された。


 第一石は投資会社の在庫。


 第二石は、依頼人の祖母から三代受け継がれた婚約指輪。


 第三石は、戦後に宝石職人・三緒理一が自作し、十八歳になった娘へ贈ったもの。材料も炉も失われ、同じ製法の作品は現存しない。娘は九十歳になった今も、売却を望んでいない。


 《MIO 18》。


 三緒。十八歳。


 量産された合成ルビーではなかった。


 父親が、自分の手で娘のために育てた一個だった。


 私は答案へ三行書いた。


 《市場価格――第一石》


 《保険上の再調達価値――第二石》


 《現在の所有者にとって代替不能な価値――第三石》


 そして、「一つ選べ」の欄へ、第三石の番号を記した。


 終了のベルが鳴る。


 採点結果は、最終設問だけ不正解だった。


「模範回答は第一石」


 審査員長が言う。


「鑑定士が扱う価値は、客観的な市場価値を基本とする。個人的な思い入れを優先すれば、保証制度が成り立たない」


「設問には、市場価値と書かれていません」


「業務試験である以上、自明だ」


「自明なら、どうして追加資料に持ち主の事情を入れたんですか」


 試すためだ。


 感情へ流されず、市場価格を選べるか。


 たぶん、それが審査側の意図だった。


 でも私は、母の相談室にあった言葉を思い出した。


 《値段を知っても、手放す義務はない》


「市場価格は第一石だと、私も書きました」


 私は答えた。


「でも、価値と価格は同じ単語ではありません。所有者が売らないと決めた第三石へ、再販価格だけで最下位をつける鑑定書には署名できません」


「では、設問そのものが誤りだと?」


「保証する軸が足りません」


 審査員席で、華乃が答案を閉じた。


「異議を提出します」


 室内が静まる。


「東雲凛香の第三石選択を、模範正解へ変更する必要はありません」


 華乃は淡々と言った。


「ただし、不正解として失点させることにも反対します」


「理由を」


「価格、保険価額、文化的価値、所有者にとっての代替不能性。これらを区別することこそ、B級鑑定士に必要な判断です。《価値》とだけ尋ねて単一回答を要求した試験の方が、保証範囲を誤っています」


 姉は私の答案へ、黒いペンで一文を加えた。


 《設問不備。ただし受験者は、三種の価値を分離して記載しており、実務上の誤認なし》


 その下へ、SS級の署名。


「姉さん」


「礼は不要です」


 華乃は私を見ない。


「曖昧な問いに、都合のよい正解を一つだけ置く行為が嫌いなだけです」


 昨日見た永久消去の署名が、頭へ浮かぶ。


 あのとき姉は、十一歳の澪の「全部消して」という曖昧な願いを、どう鑑定したのだろう。


 傍聴していた受験者の一人が、「合成石に最高価値なんて、試験を感想文にする気か」と笑った。


 観察席の澪が、すぐに身を乗り出す。


「天然ってだけで偉いなら、そこらの砂粒に土下座してきたら? 価値の軸を一個しか持てない鑑定士の方が、よほど量産品」


「澪、試験会場で喧嘩を売らないで」


「市場調査。買い手がいないことを確認しただけ」


 審査員長の咳払いが、三回響いた。


 結果、私は実技一次を条件つきで通過した。


 国際案件相当の公開鑑定を一件完了すれば、B級昇格審査へ進める。


 喜ぶには、心の中の石が重すぎた。


 控室へ戻る途中、廊下中の端末が同時に鳴った。


 緊急速報。


 《七年前の鑑定研究室事故、未公開映像が流出》


 宝生ルカの配信が、自動再生される。


 赤いジャケットのルカは笑っていなかった。


『映像の真偽は検証中です。未成年者が映っているため、拡散は控えてください』


 そう警告する画面の横で、すでに切り抜き動画が数十万回再生されている。


 澪が私の端末を奪おうとした。


 間に合わなかった。


 映像には、七年前の研究室が映っていた。


 十一歳の澪が椅子の上で泣いている。


 母が装置の向こうから手を伸ばす。


 十八歳の華乃は制御盤の前に立ち、安全値《二十五》を《百》へ変更した。


『華乃、やめて!』


 母の声。


 警告灯が赤く染まる。


 華乃は一瞬だけ振り返り、それでも実行レバーを下ろした。


 白い光。


 映像はそこで切れた。


 母が二人を押し出した場面も、誰が装置へ《白妃の涙》をつないだのかも映っていない。


 残ったのは、母の制止を無視してレバーを下ろす華乃だけだった。


 コメント欄を、同じ言葉が埋め尽くす。


 《母親殺し》


 《真贋の魔女の正体》


 《七年前から隠蔽》


 私は動画の時刻表示を見る余裕もなく、画面の中の姉を見つめた。


 映像には、母を殺した瞬間だけが、不自然なほど完璧に残されていた。


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