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第14話 炎の中のお願い

 映像は、宝石より簡単に嘘をつく。


 宝石を削れば、研磨面が残る。


 映像を削っても、見ている人は、消えた時間があったことにさえ気づかない。


 七年前の事故映像が流出してから一時間で、鑑定士協会の前には報道車が十台集まった。


 《真贋の魔女、母親を殺害か》


 《違法な感情消去実験》


 《SS級資格の即時停止を》


 見出しは、動画より先に結論を出していた。


 華乃は正面玄関から出た。


 黒いコート。胸元のC―00。何十本ものマイクを向けられても、歩く速度すら変えない。


「七年前、装置の設定を変更したのは事実ですか!」


「お母様の制止を無視したのですか!」


「神代澪さんは、人体実験の被害者では?」


 姉は最後の質問で、一瞬だけ足を止めた。


「未成年だった関係者への取材は控えてください」


 答えたのは、それだけだった。


 私は追いかけようとした。


 澪が腕をつかむ。


「今、出たらあんたも切り取られる」


「離して。姉さんに聞かないと」


「何を? “母さんを殺したの”って、カメラの前で?」


 言葉が喉へ詰まる。


 澪の手は冷たかった。


「宝生ルカから、配信へ載る前の流出ファイルが届いた」


 私たちは協会の資料室へ戻った。


 ルカは公開された動画を保存し、配信前の圧縮情報を解析していた。端末には短いメッセージがついている。


 《私は鑑定士です。再生数のために、未鑑定の映像へ判決は出しません》


 澪が動画を一コマずつ進める。


 時刻表示は二十一時十四分〇八秒。


 華乃が設定値を二十五から百へ変える。


 次の一コマで、二十一時十四分十七秒。


「九秒、飛んでる」


 公開動画は、その前後だけ同じ明るさへ補正されていた。切断点を見えにくくするため、警告灯の赤まで塗り直されている。偶然欠けた映像ではない。誰かが、華乃の責任だけが最も鮮明に見える九秒へ研磨していた。


「圧縮の欠落じゃない」


 澪は音声波形を拡大した。


 警告音の途中に、垂直な切れ目がある。映像と音声を一緒に削り、前後をつないだ跡。


「母さんが“やめて”と言ったあと、九秒間に何があったの」


 澪は答えない。


 動画の隅には、薄い管理番号が残っていた。


 《ORBIS ARCHIVE》


 久世玄冬の競売会社。


「オルビスが研究室の監視映像を持っていた?」


「装置の一部を提供してた。あと、《白妃の涙》も」


 澪は停止画面の十一歳の自分を見つめた。


「話す。今度こそ、全部」


 七年前。


 火事から半年経っても、澪は眠れなかった。


 目を閉じれば、弟が扉の向こうで呼ぶ。


 食事をすれば、焦げた木の匂いがする。


 母は合成記憶結晶へ悲しみの二十五パーセントだけを移し、眠れる時間を作る予定だった。


 永久には消さない。


 澪が大人になり、自分で選び直せる日まで預かる。


「でも、装置へ座ったら怖くなった」


 澪の声が、七年前へ戻っていく。


「二十五パーセント残すんじゃない。七十五パーセント残るって思った。弟の声も、火も、全部まだある。だから雫先生に言った。“全部消して。今すぐ消してくれないなら、私は自分ごと消す”って」


 十一歳の子どもの脅しではなかった。


 澪の手首には、当時の細い傷が残っている。


「母さんは、断ったんだよね」


「うん。“今のあなたに、永久の決定をさせられない”って」


「華乃は?」


「私のそばにいた」


 当時十八歳の華乃は、母の鑑定補助と装置管理を手伝っていた。


 父の破産後、金も時間もなかった。母の相談室を閉じずに済んだのは、華乃が危険な依頼まで受け、研究費を稼いでいたからだという。


 澪が泣きながら頼むと、華乃は母のいない隙に制御盤へ手を伸ばした。


『少しだけ、眠れるようにする』


『少しじゃ嫌。全部』


『全部消したら、家族を愛していたことも遠くなる』


『愛してたから苦しいの!』


 華乃の指が止まった。


 その夜の姉も、母と父を失いかけ、凛香と離される恐怖の中にいた。


 悲しみさえなければ、誰も壊れない。


 その考えは、澪の願いだけから生まれたのではない。


 華乃自身が、そう信じたかった。


「華乃は百へ変えた。でも、実行する前に雫先生が戻ってきた」


 映像に残る母の叫び。


『華乃、やめて!』


 ここまでは公開された動画と同じ。


 削られた九秒間。


 母は制御盤を見て、百を二十五へ戻そうとした。


 そのとき、別の警告灯が点いた。


 装置へ接続されていた《白妃の涙》の負荷表示が、最初から安全値を越えていた。


「どうして?」


「オルビスは、記憶が何も入っていない高純度ダイヤを媒体として貸したって説明してた。でも違った。あの石には、別の誰かの感情がもう入ってた」


「誰の?」


「分からない。王家の人か、取引に関わった人か。私が覚えてるのは、泣いてる女の声と、男が“今夜中に履歴を消せ”って電話で怒鳴ってたことだけ」


 澪の処置と同じ夜、オルビス側は《白妃の涙》に残る別の履歴も消そうとしていた。


 母には、全負荷が知らされていなかった。


 華乃がレバーを下ろした瞬間、二つの感情負荷が一つの媒体へ殺到した。


 装置が過熱する。


 透明な表層が白く発光し、固定具が割れた。


 母は緊急遮断をかけた。しかし、C―01には澪の悲しみがすでに流れ始めている。途中で電源を切れば、負荷が無秩序に澪へ戻る。


「雫先生は、隔離扉を開けた」


 澪が右手の火傷を握る。


「私と華乃を外へ押し出して、自分で結晶を固定した。熱くて、触れたらだめなのに」


 白衣の腕。


 赤い警告灯。


 私が《白妃の涙》から見た光景。


『華乃、凛香を――』


 母の最後の言葉は、そこで爆発音に消えた。


「私が全部消してって言わなければ、華乃は設定を変えなかった」


「でも、実行したのは華乃だよ」


 自分でも驚くほど、冷たい声が出た。


 澪の顔がこわばる。


「十一歳のあなたに責任がないからって、姉さんの責任までなくならない。母さんは止めた。姉さんは止まらなかった」


「分かってる」


「久世が嘘をついたことも、装置に別の負荷があったことも、華乃が百へ変えた事実とは別」


「分かってるって言ってる!」


 澪の声が資料室へ響いた。


 すぐに、小さくなる。


「だから、言えなかった」


「何が」


「あんたが、華乃を許せなくなるのが怖かった。私を見たら、母親を死なせた子だと思うのも。雫先生に助けられた被害者として、優しくされるのも嫌だった」


 琥珀色の目に涙が浮かぶ。


「私は、どっちでもない顔で、あんたの隣にいたかった」


 すぐに許すと言えば、たぶんきれいだった。


 でも、その言葉まで偽物にしたくなかった。


「今は、全部平気とは言えない」


「うん」


「でも、隣からいなくなってほしいとも思ってない」


 澪は鼻をすすった。


「保留?」


「追加鑑定」


「長いやつ?」


「たぶん」


「じゃあ、その間の昼食代は請求する」


「そこは通常営業なんだ」


 端末が鳴った。


 黒百合商会から、緊急記者会見の中継が始まる。


 華乃は一人で壇上に立っていた。


 背後には、C―02からC―08までの七つの量産処理石。そして中央に、その原型である《白妃の涙》が並ぶ。


『事故当日、安全設定を変更したのは私です』


 会場が騒然とする。


『東雲雫の死について、私は責任を否定しません。ただし、当時未成年だった相談者の情報は開示しない。映像の入手経路と編集については、法的調査を求めます』


「自分だけ悪者になる気?」


 私の声は画面へ届かない。


 記者が叫ぶ。


『クレア結晶は危険な技術ではないのですか!』


『危険です』


 華乃は、ためらわなかった。


『だから、秘密のまま灰色市場へ流すことを終わらせます』


 次の画面に、王冠競売の新しい目録が表示された。


 各石の処理内容、同意記録、保管責任者。クレア結晶を、正式な宝石処理として登録する申請書。


『三日後の王冠競売で、七石を公開鑑定します。落札後は、処理歴を記載した鑑定書を発行し、合成記憶結晶を正式流通させます』


「やめて」


『悲しみを遠ざけたことで、生き延びた人がいる。その事実を、事故一件で無価値にはしません』


 華乃の正しさが、最も冷たい形で世界へ差し出される。


『異議がある鑑定士は、王冠競売までに証明してください』


 姉はカメラの向こうで、私だけを見ているようだった。


『石の真贋ではなく、私の鑑定書の誤りを』


 会見が終わる。


 公開された七通の鑑定書は、物質的には完璧だった。


 天然。処理内容あり。依頼人の署名あり。


 けれど、どの書類にも一つだけ書かれていない。


 感情の履歴を消したあと、その石が同じ来歴と所有権を保証できるのか。


 王冠競売まで、三日。


 姉が出したのは、会見ではなかった。


 世界中の鑑定士へ向けた、公開対局の宣言だった。


 ここで負ければ、姉のやり方は一つの商会の秘密ではなく、宝石業界の正式な基準になる。


専門用語の補足説明


来歴プロヴェナンス

— 石が誰に持たれ、どんな事件を通ってきたかという“物語”。宝石の価値は物質よりも来歴で跳ね上がる。《白妃の涙》の核心。


• 鑑定保証 — 鑑定士が「この石はこういう状態です」と署名する行為。


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