回収
USSエセックス、格納甲板。
海兵隊の軍曹、ロバート・ハリスは、目の前に置かれた残骸を見ていた。
板切れだった。
焦げた板切れが、テーブルの上に並んでいた。翼の断片。胴体の一部。配線の残骸。それだけだった。
「これがトイプレーンか」
「残骸の一部です。海面から回収しました。昨日の攻撃で撃墜したものと思われます」
ハリスは板切れを手に取った。軽かった。呆れるほど軽かった。
「段ボールじゃないか」
「はい。主要構造材は段ボールと軽量樹脂です。フレームの一部にアルミ合金。それだけです」
「こんなもので艦船を攻撃したのか」
「こんなもので、レーダー二基を沈黙させ、通信アンテナを一基倒壊させました。昨日だけで」
ハリスは黙った。
* * *
翌日、技術将校のウィリアム・フォスター少佐が残骸を分析した。
フォスターはMITで電気工学を学んだ男だった。戦前はレイセオン社で無線機器の開発をしていた。
彼が残骸を見た時の反応は、ハリスとは全く違った。
長い沈黙だった。
「フォスター少佐?」
フォスターは残骸から目を離さなかった。基板の断片を光にかざした。焦げてはいたが、回路のパターンが残っていた。
「この集積密度は……」
「少佐?」
「おかしい」フォスターは静かに言った。「この基板の集積密度は、現在の我々の技術水準を大幅に超えている」
室内が静まり返った。
「どういう意味ですか」
「この回路を作るには、現時点では不可能な精度の製造技術が必要だということだ。日本がこれを作ったとは——」
フォスターは言葉を止めた。
「作れない。日本には作れない。我々にも作れない」
「では、誰が」
フォスターは答えなかった。
答えを持っていなかった。
* * *
その日の夕方、太平洋艦隊司令部に暗号電文が送られた。
内容は三点だった。
一、硫黄島の日本軍が無人飛行体(通称トイプレーン)を運用している。
二、回収した残骸の技術水準が、既知のいかなる国の現行技術とも一致しない。
三、桜花攻撃との連携により、本日の作戦に支障が生じた。詳細調査を要請する。
電文を受け取った参謀のジョージ・ムーア大佐は、三点目を読んでから、もう一度一点目と二点目を読み返した。
それから部下を呼んだ。
「フォスターの報告を直接聞きたい。明日、エセックスに渡る」
「大佐自らですか」
「技術水準が既知と一致しない、というのはどういうことか。それを聞かなければならない」
* * *
翌朝、ムーア大佐はエセックスの分析室でフォスターと向き合った。
テーブルの上には残骸が並んでいた。昨日より増えていた。別の場所で回収された断片が追加されていた。
「率直に聞く。これは何だ」
フォスターは少し考えてから答えた。「正確にはわかりません。ただ、わかることを申し上げます」
「言え」
「機体の主要構造材は段ボールと軽量樹脂です。製造コストは極めて低い。しかし制御基板の技術水準は、逆に極めて高い。この矛盾が、まず奇妙です」
「矛盾?」
「安い材料で作った機体に、信じられないほど高度な頭脳を積んでいる。これは——誰かが意図的にそう設計したということです。使い捨てにするために、安く作った。しかし性能は妥協しなかった」
ムーア大佐は腕を組んだ。
「日本がこれを開発したと思うか」
「思いません」フォスターは断言した。「この制御基板を日本が自力で開発することは、現時点では不可能です。技術的な飛躍が大きすぎる」
「ならばどこから来た」
「……わかりません」
「わからない、か」
「ただ」フォスターは続けた。「一つだけ確かなことがあります」
「何だ」
「この技術は、将来的に戦争のあり方を根本から変えます。パイロットのいない飛行機。安価で大量に作れる。使い捨てにできる。しかし精密に誘導できる。これが完成した時——」
フォスターは残骸を見た。
「空母が、無意味になります。我々の主力が」
室内が静まり返った。
* * *
ムーア大佐はエセックスの艦長室を借りて、一人で考えた。
事実はこうだ。
日本軍は、既知の技術水準を超えた兵器を持っている。
その兵器は、安価で大量に運用できる。
しかし今のところ、数は限られているようだ。
桜花との連携を見る限り、日本側は計画的に使っている。
問題は二つある。
一つ目。この兵器の出所を特定しなければならない。
日本が独自開発したとは考えにくい。では誰が、どのような経路で日本に渡したのか。ソ連か。別の第三者か。あるいは——
ムーア大佐はその考えを、意識的に止めた。
それ以上考えると、報告書が書けなくなる。
二つ目。この情報を、どう扱うか。
正直に報告すれば——硫黄島への上陸作戦が見直される可能性がある。損害が予想を超えている。トイプレーンの脅威が想定外だ。作戦を継続すべきか、再検討が必要だ。
そうなれば、作戦は遅れる。
次の沖縄作戦にも影響する。
戦争全体のスケジュールが狂う。
しかし縮小して報告すれば——
トイプレーンによる損害は軽微だった。陽動として使われたが、作戦目標の達成に支障はない。引き続き作戦を継続する。
ムーア大佐は窓の外の海を見た。
どちらが正しいか、わかっていた。
どちらが都合がいいか、もわかっていた。
* * *
ムーア大佐が書いた報告書は、二つのパートに分かれていた。
公式報告:
「日本軍は無人飛行体(通称トイプレーン)による陽動作戦を実施した。一部の施設に損傷を与えたが、作戦遂行能力に影響はない。引き続き上陸作戦を継続する」
技術調査報告(極秘・限定配布):
「回収した飛行体の制御技術は、既知のいかなる国の現行技術とも一致しない。出所の調査を強く推奨する。この技術が完成・量産された場合、現在の海軍航空戦力の優位性が根本から覆される可能性がある」
二つの文書は、別々の宛先に送られた。
公式報告は、太平洋艦隊全体に配布された。
技術調査報告は、三名だけに届いた。
現場の兵士たちには、公式報告だけが伝わった。
「トイプレーンによる陽動があったが、作戦に支障なし」
USSブランソンの若い将校は、その報告を読んで、少しだけ安堵した。
そして少しだけ、何かが引っかかった。
あの夜、甲板で聞いた音のことを思った。
暗闇の中を飛ぶ、蜂の羽音を太くしたような音のことを。
あれは玩具の音ではなかった。
しかし報告書には「トイプレーン」と書いてあった。
若い将校は報告書を閉じた。
上官がそう言うなら、そうなのだろう。
* * *
フォスター少佐は、残骸をもう一度だけ見た。
明日、この残骸は本国に送られる。より詳細な分析のために。
それまでに、自分が見ておきたいものがあった。
基板の断片。
焦げていたが、回路のパターンが一部残っていた。
フォスターは拡大鏡でそれを見た。
設計の思想が、見えた気がした。
小型化。軽量化。低コスト。しかし高性能。
これを設計した人間は、兵器として作ったのではないかもしれない、とフォスターは思った。
もともと別の目的のために作られたものを、誰かが兵器に転用したのではないか。
本来の用途は、何だったのか。
フォスターにはわからなかった。
しかしこれを設計した人間は、誰かを傷つけるために設計したわけではない、という確信が、なぜかあった。
根拠はなかった。
ただ、回路のパターンに、そういう気配があった。
フォスターは拡大鏡を置いた。
「誰が作った」
誰もいない部屋で、独り言を言った。
答えは、なかった。
* * *
霧島が気づいたのは、三日後だった。
サターンの偵察映像を松下と見直していた時だった。
「ここを見てください」松下が画面を指した。「昨日の映像です。艦上で、何かを運んでいます」
霧島は画面を見た。
兵士が何かを運んでいた。箱のようなものを。慎重に。
霧島はその形を見た瞬間、息が止まった。
翼だった。
サターンの翼の断片だった。
「回収されている」
「はい」松下は静かに言った。「三日前の攻撃で海面に落ちたものを、拾い上げたようです」
霧島はしばらく画面を見た。
向こうはサターンの残骸を持っている。
分析している。
この技術が何であるか、調べている。
「西中佐に報告する」
「どうなりますか」と松下が聞いた。
霧島は答えなかった。
答えは一つしかなかった。
向こうが分析を終える前に、残骸を残してはならない。
攻撃に使った機体は、海に落ちる。回収される。
では——偵察で帰還した機体は。
壕の中で順番を待っている機体は。
全部燃やせばいい。
そういう考えが、頭をよぎった。
霧島はその考えを、今は押さえた。
まだ使える。まだ飛べる。
燃やすのは、最後でいい。
* * *
西中佐は報告を聞いて、しばらく黙っていた。
「向こうはどこまで分析できると思うか」
「残骸の状態によります。基板が残っていれば——かなりのことがわかります。残っていなければ、段ボールと金属片だけです」
「どちらだと思う」
「……基板は燃えやすい。体当たりの衝撃と爆発で、大部分は損傷しているはずです。ただ、完全に分析不能とは言えない」
西中佐は地図を見た。
「向こうが分析を進めれば、対策を取ってくる。妨害電波。対空警戒の強化。あるいは——」
「あるいは?」
「この技術の出所を調べ始めるかもしれない」
霧島は黙った。
出所。
自分にもわからない問いだった。
木箱がどこから来たのか。誰が送ったのか。なぜ硫黄島にあったのか。
「中佐殿。一つお願いがあります」
「言え」
「帰還した機体の、コア部品だけを取り外して保管しています。基板、モーター、カメラの主要素子。これは絶対に向こうに渡したくない」
西中佐は霧島を見た。「なぜだ」
霧島は少し考えた。正直に言うことにした。
「……戦後のために、です」
戦後、という言葉が、この島で口から出た。
霧島自身が一番驚いた。
西中佐はしばらく霧島を見ていた。
それから静かに言った。
「わかった。お前に任せる。ただし——」
「はい」
「生きて帰れ。コア部品と一緒に」
霧島は頭を下げた。
生きて帰れ、という言葉が、しばらく頭の中に残った。
* * *
同じ夜。
エセックスの分析室で、フォスターは残骸の最後の観察を終えた。
明日、本国に送られる。
硫黄島の壕で、霧島は帰還した機体からコア部品を丁寧に取り外した。
布に包んだ。小さな木箱に入れた。
二人は会ったことがなかった。
会うことも、おそらくない。
しかし同じ夜に、同じものを見ていた。
一方は分析しようとして。
一方は守ろうとして。
同じものを。
霧島は木箱の蓋を閉めた。
フォスターは残骸に布をかけた。
硫黄島の夜は、静かだった。
遠くで砲声がした。
海の向こうでも、砲声がした。
(第五話 了)
次話「二十機」




