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硫黄島のサターン  作者: ヒロセカズヒ
5/11

回収

USSエセックス、格納甲板。


海兵隊の軍曹、ロバート・ハリスは、目の前に置かれた残骸を見ていた。


板切れだった。

焦げた板切れが、テーブルの上に並んでいた。翼の断片。胴体の一部。配線の残骸。それだけだった。


「これがトイプレーンか」


「残骸の一部です。海面から回収しました。昨日の攻撃で撃墜したものと思われます」


ハリスは板切れを手に取った。軽かった。呆れるほど軽かった。


「段ボールじゃないか」


「はい。主要構造材は段ボールと軽量樹脂です。フレームの一部にアルミ合金。それだけです」


「こんなもので艦船を攻撃したのか」


「こんなもので、レーダー二基を沈黙させ、通信アンテナを一基倒壊させました。昨日だけで」


ハリスは黙った。



*  *  *


翌日、技術将校のウィリアム・フォスター少佐が残骸を分析した。


フォスターはMITで電気工学を学んだ男だった。戦前はレイセオン社で無線機器の開発をしていた。


彼が残骸を見た時の反応は、ハリスとは全く違った。


長い沈黙だった。


「フォスター少佐?」


フォスターは残骸から目を離さなかった。基板の断片を光にかざした。焦げてはいたが、回路のパターンが残っていた。


「この集積密度は……」


「少佐?」


「おかしい」フォスターは静かに言った。「この基板の集積密度は、現在の我々の技術水準を大幅に超えている」


室内が静まり返った。


「どういう意味ですか」


「この回路を作るには、現時点では不可能な精度の製造技術が必要だということだ。日本がこれを作ったとは——」


フォスターは言葉を止めた。


「作れない。日本には作れない。我々にも作れない」


「では、誰が」


フォスターは答えなかった。

答えを持っていなかった。



*  *  *


その日の夕方、太平洋艦隊司令部に暗号電文が送られた。


内容は三点だった。


一、硫黄島の日本軍が無人飛行体(通称トイプレーン)を運用している。

二、回収した残骸の技術水準が、既知のいかなる国の現行技術とも一致しない。

三、桜花攻撃との連携により、本日の作戦に支障が生じた。詳細調査を要請する。


電文を受け取った参謀のジョージ・ムーア大佐は、三点目を読んでから、もう一度一点目と二点目を読み返した。


それから部下を呼んだ。


「フォスターの報告を直接聞きたい。明日、エセックスに渡る」


「大佐自らですか」


「技術水準が既知と一致しない、というのはどういうことか。それを聞かなければならない」



*  *  *


翌朝、ムーア大佐はエセックスの分析室でフォスターと向き合った。


テーブルの上には残骸が並んでいた。昨日より増えていた。別の場所で回収された断片が追加されていた。


「率直に聞く。これは何だ」


フォスターは少し考えてから答えた。「正確にはわかりません。ただ、わかることを申し上げます」


「言え」


「機体の主要構造材は段ボールと軽量樹脂です。製造コストは極めて低い。しかし制御基板の技術水準は、逆に極めて高い。この矛盾が、まず奇妙です」


「矛盾?」


「安い材料で作った機体に、信じられないほど高度な頭脳を積んでいる。これは——誰かが意図的にそう設計したということです。使い捨てにするために、安く作った。しかし性能は妥協しなかった」


ムーア大佐は腕を組んだ。


「日本がこれを開発したと思うか」


「思いません」フォスターは断言した。「この制御基板を日本が自力で開発することは、現時点では不可能です。技術的な飛躍が大きすぎる」


「ならばどこから来た」


「……わかりません」


「わからない、か」


「ただ」フォスターは続けた。「一つだけ確かなことがあります」


「何だ」


「この技術は、将来的に戦争のあり方を根本から変えます。パイロットのいない飛行機。安価で大量に作れる。使い捨てにできる。しかし精密に誘導できる。これが完成した時——」


フォスターは残骸を見た。


「空母が、無意味になります。我々の主力が」


室内が静まり返った。



*  *  *


ムーア大佐はエセックスの艦長室を借りて、一人で考えた。


事実はこうだ。


日本軍は、既知の技術水準を超えた兵器を持っている。

その兵器は、安価で大量に運用できる。

しかし今のところ、数は限られているようだ。

桜花との連携を見る限り、日本側は計画的に使っている。


問題は二つある。


一つ目。この兵器の出所を特定しなければならない。

日本が独自開発したとは考えにくい。では誰が、どのような経路で日本に渡したのか。ソ連か。別の第三者か。あるいは——


ムーア大佐はその考えを、意識的に止めた。

それ以上考えると、報告書が書けなくなる。


二つ目。この情報を、どう扱うか。


正直に報告すれば——硫黄島への上陸作戦が見直される可能性がある。損害が予想を超えている。トイプレーンの脅威が想定外だ。作戦を継続すべきか、再検討が必要だ。

そうなれば、作戦は遅れる。

次の沖縄作戦にも影響する。

戦争全体のスケジュールが狂う。


しかし縮小して報告すれば——

トイプレーンによる損害は軽微だった。陽動として使われたが、作戦目標の達成に支障はない。引き続き作戦を継続する。


ムーア大佐は窓の外の海を見た。

どちらが正しいか、わかっていた。


どちらが都合がいいか、もわかっていた。



*  *  *


ムーア大佐が書いた報告書は、二つのパートに分かれていた。


公式報告:

「日本軍は無人飛行体(通称トイプレーン)による陽動作戦を実施した。一部の施設に損傷を与えたが、作戦遂行能力に影響はない。引き続き上陸作戦を継続する」


技術調査報告(極秘・限定配布):

「回収した飛行体の制御技術は、既知のいかなる国の現行技術とも一致しない。出所の調査を強く推奨する。この技術が完成・量産された場合、現在の海軍航空戦力の優位性が根本から覆される可能性がある」


二つの文書は、別々の宛先に送られた。


公式報告は、太平洋艦隊全体に配布された。

技術調査報告は、三名だけに届いた。


現場の兵士たちには、公式報告だけが伝わった。


「トイプレーンによる陽動があったが、作戦に支障なし」


USSブランソンの若い将校は、その報告を読んで、少しだけ安堵した。

そして少しだけ、何かが引っかかった。


あの夜、甲板で聞いた音のことを思った。

暗闇の中を飛ぶ、蜂の羽音を太くしたような音のことを。

あれは玩具の音ではなかった。

しかし報告書には「トイプレーン」と書いてあった。


若い将校は報告書を閉じた。

上官がそう言うなら、そうなのだろう。



*  *  *


フォスター少佐は、残骸をもう一度だけ見た。


明日、この残骸は本国に送られる。より詳細な分析のために。

それまでに、自分が見ておきたいものがあった。


基板の断片。

焦げていたが、回路のパターンが一部残っていた。

フォスターは拡大鏡でそれを見た。


設計の思想が、見えた気がした。


小型化。軽量化。低コスト。しかし高性能。

これを設計した人間は、兵器として作ったのではないかもしれない、とフォスターは思った。

もともと別の目的のために作られたものを、誰かが兵器に転用したのではないか。


本来の用途は、何だったのか。


フォスターにはわからなかった。

しかしこれを設計した人間は、誰かを傷つけるために設計したわけではない、という確信が、なぜかあった。


根拠はなかった。

ただ、回路のパターンに、そういう気配があった。


フォスターは拡大鏡を置いた。


「誰が作った」


誰もいない部屋で、独り言を言った。


答えは、なかった。



*  *  *


霧島が気づいたのは、三日後だった。


サターンの偵察映像を松下と見直していた時だった。


「ここを見てください」松下が画面を指した。「昨日の映像です。艦上で、何かを運んでいます」


霧島は画面を見た。


兵士が何かを運んでいた。箱のようなものを。慎重に。


霧島はその形を見た瞬間、息が止まった。


翼だった。

サターンの翼の断片だった。


「回収されている」


「はい」松下は静かに言った。「三日前の攻撃で海面に落ちたものを、拾い上げたようです」


霧島はしばらく画面を見た。


向こうはサターンの残骸を持っている。

分析している。

この技術が何であるか、調べている。


「西中佐に報告する」


「どうなりますか」と松下が聞いた。


霧島は答えなかった。

答えは一つしかなかった。


向こうが分析を終える前に、残骸を残してはならない。

攻撃に使った機体は、海に落ちる。回収される。

では——偵察で帰還した機体は。

壕の中で順番を待っている機体は。


全部燃やせばいい。

そういう考えが、頭をよぎった。


霧島はその考えを、今は押さえた。

まだ使える。まだ飛べる。

燃やすのは、最後でいい。



*  *  *


西中佐は報告を聞いて、しばらく黙っていた。


「向こうはどこまで分析できると思うか」


「残骸の状態によります。基板が残っていれば——かなりのことがわかります。残っていなければ、段ボールと金属片だけです」


「どちらだと思う」


「……基板は燃えやすい。体当たりの衝撃と爆発で、大部分は損傷しているはずです。ただ、完全に分析不能とは言えない」


西中佐は地図を見た。


「向こうが分析を進めれば、対策を取ってくる。妨害電波。対空警戒の強化。あるいは——」


「あるいは?」


「この技術の出所を調べ始めるかもしれない」


霧島は黙った。


出所。

自分にもわからない問いだった。

木箱がどこから来たのか。誰が送ったのか。なぜ硫黄島にあったのか。


「中佐殿。一つお願いがあります」


「言え」


「帰還した機体の、コア部品だけを取り外して保管しています。基板、モーター、カメラの主要素子。これは絶対に向こうに渡したくない」


西中佐は霧島を見た。「なぜだ」


霧島は少し考えた。正直に言うことにした。


「……戦後のために、です」


戦後、という言葉が、この島で口から出た。

霧島自身が一番驚いた。


西中佐はしばらく霧島を見ていた。


それから静かに言った。


「わかった。お前に任せる。ただし——」


「はい」


「生きて帰れ。コア部品と一緒に」


霧島は頭を下げた。


生きて帰れ、という言葉が、しばらく頭の中に残った。



*  *  *


同じ夜。


エセックスの分析室で、フォスターは残骸の最後の観察を終えた。

明日、本国に送られる。


硫黄島の壕で、霧島は帰還した機体からコア部品を丁寧に取り外した。

布に包んだ。小さな木箱に入れた。


二人は会ったことがなかった。

会うことも、おそらくない。


しかし同じ夜に、同じものを見ていた。


一方は分析しようとして。

一方は守ろうとして。


同じものを。


霧島は木箱の蓋を閉めた。


フォスターは残骸に布をかけた。


硫黄島の夜は、静かだった。

遠くで砲声がした。

海の向こうでも、砲声がした。




(第五話 了)

次話「二十機」


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