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硫黄島のサターン  作者: ヒロセカズヒ
4/11

桜花

二十日目の夜、暗号電文が届いた。


霧島には内容を知る立場になかった。西中佐から呼ばれて、要点だけを告げられた。


「本土から航空支援が来る」


霧島は息を呑んだ。「本当ですか」


「三日後。一式陸攻が数機、この海域に向かう」


一式陸上攻撃機。海軍の中型爆撃機だ。航続距離が長い。十分に届く距離だった。


「陽動が必要だ」と西中佐は続けた。「一式陸攻が到達する前に、米軍の対空警戒を乱す。サターンを使えるか」


「使えます。レーダー施設と対空砲陣地を叩きます。同時に複数機を展開して、警戒網を混乱させる」


「何機必要だ」


霧島は計算した。「攻撃に六機。陽動に四機。計十機です」


「使え。残機は」


「現在二十六機。十機使えば十六機になります」


西中佐は頷いた。「準備しろ。ただ——」


中佐は少し間を置いた。


「一式陸攻が何を積んでくるか、まだわからない。当日まで詳細は不明だ」


霧島はその言葉の奥にある何かを感じた。しかし聞き返さなかった。



*  *  *


三日間、特務飛行隊は準備に費やした。


田村が米軍の対空砲陣地の位置を地図に落とした。これまでのサターンの偵察映像から割り出した情報だった。


松下がレーダー施設の映像を見直した。アンテナの位置、形状、周囲の構造。どこを狙えば最も効果的か。


大石が十機分の機体を整備した。爆装の取り付けを確認した。バッテリーを満充電にした。戦車のエンジンを借りて、三回充電した。


霧島は操縦の順序を組んだ。どの機体をどの順番で飛ばすか。どのタイミングで陽動に切り替えるか。操縦器は三組。同時に三機まで飛ばせる。田村と松下と自分で分担する。


二日目の夜、田村が言った。


「霧島伍長。一式陸攻が何を積んでくるか、聞きましたか」


「まだわからないそうだ」


「……うわさでは」


田村は言いかけて、止めた。


「うわさでは、なんだ」


「いや、うわさですから」


霧島はそれ以上聞かなかった。

聞きたくなかったのかもしれなかった。



*  *  *


三日目の夜明け前、西中佐から最終確認が来た。


「作戦決行。一式陸攻は夜明けから二時間後にこの海域に到達する。それまでに対空警戒を崩せ」


「わかりました」


「霧島。一つ伝えておく」


西中佐の声が、わずかに変わった気がした。


「一式陸攻の腹に、特別な兵器が吊り下げられている」


霧島は待った。


「桜花だ」


霧島は、その言葉の意味を知っていた。

知っていた。

知っていたくなかった。


桜花。

人間が乗る。ロケットで加速する。脱出装置はない。

設計の段階から、生還を想定していない兵器。


「……わかりました」


自分の声が、どこか遠くから聞こえた。



*  *  *


夜明けとともに、霧島はサターンを上げ始めた。


一番機。対空砲陣地の北側レーダーへ。

二番機。艦隊右翼の通信アンテナへ。

三番機。陽動。艦隊の左翼を低空で通過させる。


田村と松下が操縦器を握った。霧島は全体を見ながら、自分も三機目を操縦した。


画面が三つ同時に動いていた。霧島の目が三つの画面を交互に追った。


「一番機、目標手前。高度を下げます」

「二番機、アンテナ確認。速度上げます」

「三番機、左翼通過中。対空砲が動いています」


田村の声。松下の声。自分の声。


爆発が二つ、ほぼ同時に起きた。


「一番機、命中。レーダー施設に損傷」

「二番機、命中。アンテナ倒壊」


「三番機、帰還させます。引きつけた時間は——」


「十分です」と田村が言った。「対空砲が三番機を追っていた間、左翼側が手薄になりました」


霧島はサターンを着地させた。大石が走り寄った。


「続けます。四番機、五番機——」


作戦は続いた。


七機を飛ばした時点で、一式陸攻の爆音が遠くに聞こえた。



*  *  *


霧島は空を見上げた。


南西の方角から、機影が見えた。大きかった。一式陸攻は双発の中型機だ。翼幅が広い。遠くからでもそれとわかる。


数えた。四機。


そして——霧島は目を細めた。


それぞれの機体の腹に、何かが吊り下げられていた。


細長い。全長六メートルほど。流線型の胴体に、小さな翼。

それが、桜花だった。


霧島はそれを見た。

見続けた。


あの中に人間がいる。

今、あの細長い筒の中に、人間が座っている。

操縦桿を握っている。

脱出装置はない。


霧島は計算した。

止められなかった。理系の頭が、勝手に計算した。


一式陸攻の速度。海面までの高度。射程距離。

魚雷なら。

航空魚雷なら、この距離から投下できる。

パイロットは生還できる。


なぜ。

なぜ桜花なのか。



*  *  *


「なぜ桜花を使う」


気がついたら声に出していた。


隣にいた松下が振り返った。田村が手を止めた。大石が霧島の顔を見た。


「魚雷でも攻撃できる距離だ。なぜ人間を乗せた爆弾を——」


「霧島」


西中佐の声だった。いつの間に来ていたのか。静かだった。しかし止まれという声だった。


霧島は口を閉じた。


息が荒かった。自分でわかった。手が震えていた。操縦器を握る手が。


西中佐は空を見たまま言った。


「お前の言っていることは正しい」


霧島は息を呑んだ。


肯定された。

正しい、と言われた。

しかしそれがかえって、霧島の胸を締め付けた。


正しいのに、止められない。

正しいのに、あの桜花は今も飛んでいる。


「しかし今は動かせ」西中佐は続けた。「サターンを全機展開しろ。あの人たちが死ぬ前に、少しでも道を開けてやれ」


——あの人たちが死ぬ前に。


霧島は操縦器を握り直した。

手が、まだ震えていた。

怒りなのか悲しみなのか、自分でもわからなかった。


「八番機、行きます」


声は、思ったより落ち着いていた。



*  *  *


霧島は残りのサターンを次々と飛ばした。


陽動。撹乱。対空砲陣地への攻撃。通信妨害。

できることを全部やった。


レーダーが二基沈黙した。対空砲の一部が方向を変えた。霧島たちのサターンを追って。


その隙間を、一式陸攻が突いた。


霧島は空を見た。一式陸攻の機体が傾いた。腹から何かが離れた。


桜花が切り離された。


小さなロケット炎が見えた。加速した。真っ直ぐに。迷いなく。


霧島は目を離せなかった。


あの中に人間がいる。今この瞬間、加速しながら、その人間は何を考えているのか。

空を見ているのか。

目を閉じているのか。

誰かの顔を思い浮かべているのか。


遠く、水平線の向こうで火柱が上がった。


歓声が上がった。周りの兵隊たちが叫んだ。命中だと。やったと。


霧島は操縦器を持ったまま、動けなかった。


歓声の中で、霧島だけが動けなかった。



*  *  *


作戦が終わった。


十機のサターンを使った。残機は十六機になった。

一式陸攻は四機のうち二機が帰投した。残り二機は——撃墜されたか、桜花投下後に海に落ちたか、霧島には確認できなかった。


西中佐が来た。


「よくやった」


霧島は答えなかった。


「霧島」


「……桜花のパイロットは、何歳でしたか」


西中佐は少し間を置いた。


「二十前後だ。多くは」


霧島は空を見た。もう桜花もなく、一式陸攻もなく、サターンもいない空だった。青かった。


「自分と同じくらいだ」


「そうだな」


「大学で同じ講義を受けていたかもしれない。名前も知らない誰かが」


西中佐は何も言わなかった。


霧島は続けた。自分でも止められなかった。


「サターンがあった。機械が死ぬ方法があった。なぜその人間は機械の代わりに死ななければならなかったんですか」


「……」


「自分には答えが出ません。どう考えても答えが出ない。正しくないとわかっていて、止められなかった。支援した。道を開けた。それは——」


「霧島」


西中佐の声は静かだった。


「お前は今日、あの人たちのために全力を尽くした。それは確かだ」


「しかし——」


「しかし、はない。今日のことだけを言っている」


西中佐は霧島の横に立った。同じ空を見た。


「桜花が正しいかどうかは、俺にも答えが出ない。お前が怒ることも、正しい。両方が正しくて、両方が辛い。それが——」


西中佐は一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。


「それが戦争だ。俺にはそれしか言えない」


霧島は何も言わなかった。


答えになっていなかった。

しかし西中佐が嘘をついていないことは、わかった。



*  *  *


夜、大石が霧島の隣に来た。


「霧島伍長」


「なんだ」


「桜花って……パイロットが乗るんですよね」


「ああ」


「帰ってこれないんですよね」


「……ああ」


大石はしばらく黙った。


「サターンと、何が違うんですか」


霧島は大石を見た。


「サターンも帰ってこない時がある。攻撃に行ったら」


「違う」と霧島は言った。「サターンには心がない」


「心……」


「怖くない。痛くない。誰かを思い浮かべない。ただ飛んで、ぶつかって、終わる。それだけだ」


大石は少し考えた。


「でも自分、サターンのことが心配になります。帰ってくるかどうか」


霧島は何も言えなかった。


大石は続けた。


「サターンに心があるかどうかはわからないけど。飛ばす人間には心がある。だから——」


大石は言葉を探した。十七歳の、難しい言葉を知らない大石が、一生懸命言葉を探した。


「だから、サターンは桜花じゃないと思います。乗っている人間がいないから」


霧島はしばらく黙っていた。


「そうだな」とやっと言った。「その通りだ」


大石は頷いた。それから機体の方に戻った。いつもの場所に。


霧島は空を見た。


今日、桜花のパイロットが見た最後の空と、今自分が見ている空は、同じ空なのだろうか。

同じ硫黄島の空なのだろうか。


答えは出なかった。



*  *  *


夜明け前、霧島は記録帳を開いた。


残機数:十六機。

操縦器:三組。

本日使用:十機。


霧島は数字の下に、今日の日付を書いた。

それから長い間、何も書かなかった。


最後に、一行だけ書いた。


「桜花のパイロットの名前を、知らない」


それだけだった。


記録帳を閉じた。


壕の外が、少しずつ明るくなり始めていた。

硫黄の匂いがした。

今日もサターンは飛ぶ。

誰も乗らないまま。




(第四話)

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