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硫黄島のサターン  作者: ヒロセカズヒ
3/11

戦車の燃料

七日目の朝、霧島は記録帳を開いて、数字を見つめた。


残機数:三十三機。


七日間で十九機使った。偵察で帰還できたものが六機。攻撃に向かって戻らなかったものが十三機。

一日平均で約二・七機の消耗。


このペースでは、あと十二日しか持たない。


霧島は鉛筆を置いた。壕の外から朝の砲声が聞こえた。もう驚かなくなっていた。七日でそうなった。


大石が茶を持ってきた。無言で置いた。霧島の顔を見て、何も言わなかった。


「充電はどうだ」


「昨日、戦車から二回やりました。今日も朝に一回できると思います」


「西中佐に話を通してあるか」


「田村さんが昨夜のうちに。今日も貸してもらえるそうです」


霧島は茶を飲んだ。硫黄の匂いがする湯だった。最初は気になったが、七日経つと普通になった。人間の慣れというものは恐ろしい、と霧島は思った。



*  *  *


九七式中戦車は、壕から少し離れた窪地に置かれていた。


霧島が充電に来るたびに、戦車の乗員たちは最初こそ怪訝な顔をしたが、今は当たり前のように場所を空けてくれた。


今朝の担当は、古参の下士官だった。三十代半ば、寡黙な男で、名を岩崎軍曹といった。


「また来たか、電気屋」


「お世話になります」


「何分かかる」


「三十分ほど。低電流でゆっくり入れないと——」


「わかった。その間、エンジンを回してやる」


岩崎軍曹はそれ以上何も言わなかった。戦車のハッチを開けて、中に入った。エンジンがかかった。


霧島は銅線をダイナモの出力端子に繋いだ。電圧計を確認した。十二ボルト。安定している。


バッテリーをゆっくり繋いだ。

爆発しなかった。

電流計の針が、僅かに動いた。


充電が始まった。


三十分、霧島は戦車の脇に座って待った。戦車のエンジン音を聞きながら。この音がバッテリーを生かしている。サターンを飛ばし続けている。


岩崎軍曹がハッチから顔を出した。


「お前のやつ、何機残ってる」


「三十三機です」


「減ってるな」


「使っていますから」


岩崎軍曹は少し考えてから言った。「あれは死ぬのか、使ったら」


霧島は手を止めた。「死ぬ、とは」


「戻ってこないだろう、攻撃に行ったら」


「戻ってきません。攻撃型は」


岩崎軍曹は黙った。それからまたハッチの中に消えた。


しばらくして、中から声が聞こえた。


「……特攻と同じじゃないか」


霧島は答えなかった。

答える言葉を、持っていなかった。



*  *  *


その日の昼過ぎ、西中佐が霧島を呼んだ。


「座れ」


西中佐の天幕に入ると、地図が広げてあった。


「直接に言う。燃料の問題だ」


霧島は背筋が伸びた。


「戦車の燃料が、予想より速く減っている。理由は二つ。一つは昨日の夜間の陣地転換。もう一つは——」


西中佐は霧島を見た。


「サターンの充電だ」


「申し訳——」


「謝るな。事実を言っている」西中佐は続けた。「このペースで行くと、戦車の燃料は十日ほどで尽きる。それ以後、戦車は動けない」


霧島は計算した。十日後、サターンの残機数は。


「……二十機以下になります」


「そうなる。つまり、戦車が動かなくなる頃に、サターンも残り少なくなる」


二人は地図を見た。


「中佐殿。充電の回数を減らすことはできます。ただその分、サターンの飛行回数も——」


「わかっている」西中佐は言った。「どちらを優先するかではない。どう両立させるかだ」


「両立、ですか」


「戦車が動かなければ上陸部隊を止められない。サターンが飛ばなければ情報が取れない。どちらも必要だ。問題は——」


西中佐は地図の一点を指した。


「どこで、何のために使うか、だ」


霧島は地図を見た。上陸地点。陣地の位置。敵の推定進路。


「サターンを、戦車の補助に使えます」


「詳しく言え」


「戦車が動く前に、サターンで敵の配置を確認する。無駄な動きをなくす。燃料の消耗を抑える」


西中佐は少し考えた。


「つまりサターンが目になる」


「はい。そして戦車が拳になる」


西中佐は頷いた。ゆっくりと。


「やってみろ。今日の夕方、陣地転換がある。その前にサターンで周辺を確認しろ」


「わかりました」


霧島が立ち上がりかけた時、西中佐が言った。


「霧島。お前は今、何機が何日持つか、ずっと計算しているだろう」


霧島は足を止めた。


「……はい」


「それでいい。ただ一つだけ言っておく」


「はい」


「計算だけで戦争はできない。計算が外れた時に、どう動くかを考えておけ」


霧島は頷いた。

西中佐が何を言いたいのか、半分しかわからなかった。

しかし半分は、わかった。



*  *  *


夕方の偵察は、霧島が自分で操縦した。


転換先の陣地周辺、半径三百メートルを、サターンに一周させた。画面を凝視した。茂みの影。岩の陰。動くものがあれば敵だ。


「北東の岩場、人影あり。二名から三名」


田村が地図に書き込んだ。松下が距離を計算した。


「東側、異常なし。南側——」


霧島は操縦器を動かした。サターンが旋回した。


「南側、通路に障害物。自然のものか、設置されたものか判断できません」


「わかった」田村が走った。西中佐への報告に。


サターンを帰還させた。大石が受け取った。ポッドを確認した。


十分後、戦車が動いた。


霧島は壕の入口からそれを見ていた。九七式が稜線を越えた。北東の岩場を大きく迂回するルートで。事前の情報通りに。


無駄な動きがなかった。

燃料が節約できた。

それだけのことだったが、霧島には大きく感じた。


岩崎軍曹の戦車が通り過ぎる時、ハッチから顔が出た。


「助かった、電気屋」


それだけ言って、ハッチが閉まった。



*  *  *


十日目に、霧島は新しい使い方を思いついた。


きっかけは、砲兵陣地からの愚痴だった。


「撃っても当たらん。着弾がどこに落ちているのか全然わからん」


霧島はその言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが繋がった。


サターンが上から見ている。

砲兵が下から撃っている。

繋げれば——


「西中佐殿。着弾観測をやらせてください」


西中佐は少し考えた。「サターンで、砲撃を誘導するということか」


「はい。上空から着弾を確認して、修正を伝えます。少ない弾薬で最大の効果が出ます」


「砲兵と連携できるか」


「田村が無線を持ちます。自分が画面を見て田村に伝え、田村が砲兵陣地に中継する」


西中佐は頷いた。「やれ」


準備は一時間かかった。砲兵陣地との無線の周波数を合わせた。田村が中継の手順を確認した。松下が標的の座標を計算した。大石が機体を点検した。


霧島はサターンを上げた。


画面に、米軍の集積地点が映った。車両。テント。人影。


「田村、砲兵に伝えろ。目標、北北東五百。方位〇三二。撃て」


田村が無線に向かった。


砲声。


画面の中で土煙が上がった。目標の左前方、およそ三十メートル。


「右に二十、前に三十。修正して撃て」


また砲声。


今度は目標に近かった。車両の一台が動きを止めた。


「命中。次の目標——」


霧島は画面を見続けた。

見なければならなかった。

これが仕事だった。


砲撃が三回続いた。


終わった時、霧島はサターンを帰還させた。操縦器を置いた。


手が微かに震えていた。


松下が隣に来た。「三回で集積地点に損害を与えました。通常なら何十発も必要なところを」


「わかった」


「うまくいきましたね」


「……ああ」


霧島は画面の中で動かなくなった車両を思い出した。その車両の中に人がいたかどうか、確認しなかった。確認できなかった。確認したくなかった。


どれが本当の理由なのか、霧島にはわからなかった。



*  *  *


その夜、西中佐が霧島を呼んだのではなく、霧島の方から行った。


珍しいことだった。自分でもそう思いながら、足が向いた。


「どうした」


「少し、話を聞いていただけますか」


西中佐は地図から顔を上げた。霧島の顔を見て、地図を畳んだ。「座れ」


霧島は座った。何から言えばいいかわからなかった。


「今日の着弾観測のことか」


「……はい」


「うまくいったな」


「はい。うまくいきました」霧島は言った。「だから——」


言葉が止まった。


西中佐は待った。


「だから、というのが、自分でもわからないんです。うまくいった。成果が出た。それは正しい。しかし——」


「画面の中の車両が気になっているか」


霧島は頷いた。


西中佐は少しの間、黙っていた。


「霧島。サターンは誰も殺していない」


「しかし自分が観測しなければ——」


「砲を撃ったのは砲兵だ。引き金を引いたのは人間だ。サターンはただ空から見ていた」


「ただ見ていた、では済まない気がします。自分が見なければ、あの砲弾はあそこに落ちなかった」


西中佐は霧島を見た。少しの間、真剣な顔で。


「お前は正直だな」


「正直かどうかではなく——」


「正直だと言っている」西中佐は繰り返した。「目を開けて見て、それで苦しくなるのは、正直に生きている証拠だ。目を閉じていれば苦しくならない。しかしそれは——」


西中佐は少し間を置いた。


「お前のやることじゃない」


霧島は西中佐の顔を見た。


「目を開けて戦うことが、なぜ悪い。それがお前の戦い方だ。サターンの戦い方だ」


沈黙があった。


霧島には、完全には納得できなかった。おそらく戦争が終わっても納得できないだろう、という気がした。しかしそれでいい、とも思った。

納得できないまま、それでも目を開けていることが、自分にできる唯一のことだった。


「ありがとうございます」


「礼を言うな。俺もわからないことを言っただけだ」


西中佐は苦笑した。霧島も少し笑った。



*  *  *


翌朝、霧島はまた戦車に充電に来た。


岩崎軍曹は今日も無口だった。エンジンをかけて、ハッチの中に入った。


三十分の充電を待ちながら、霧島は戦車を見た。装甲の傷。泥。昨日の戦闘の跡。


ハッチが開いた。岩崎軍曹が煙草を咥えて出てきた。


「お前の玩具は、今日も飛ぶか」


「飛ばします」


「昨日、砲兵を助けたそうだな」


「少しは役に立てたかもしれません」


岩崎軍曹は煙草を吹かした。煙が硫黄の空気に溶けた。


「俺は最初、お前らのことを邪魔だと思っていた」


「……存じています」


「なんで俺の戦車の燃料を使わなければならないのか、と。こっちは本物の戦争をしているのに、玩具に付き合っている場合か、と」


霧島は黙って聞いた。


「だが昨日の陣地転換は助かった。お前の目がなければ北東の岩場で時間を食っていた。燃料を余計に使っていた」


「それは——」


「礼を言っているんじゃない」岩崎軍曹は素っ気なく言った。「事実を言っている」


霧島は少し笑いそうになった。


「一つ聞いていいか、電気屋」


「はい」


「お前の玩具は、最終的に何機残るつもりだ」


霧島は少し考えた。正直に言うことにした。


「最後の一機まで飛ばします」


「全部なくなったら、お前らはどうする」


「……普通の兵隊になります」


岩崎軍曹は少しの間、霧島を見た。それから煙草を地面に捨てて踏み消した。


「そうか」


それだけ言って、またハッチの中に消えた。


霧島は電流計を確認した。充電は順調だった。


最後の一機まで飛ばす。

そう口にしてみて、初めて自分がそう決めていたことに気がついた。



*  *  *


十日目の夜。


霧島は記録帳を開いた。


残機数:三十三機。

操縦器:三組。

暗視ポッド:三基。

赤外線ポッド:二基(一基、着地時に損傷・修理中)。

戦車燃料:残量六割程度。


十日で十九機使った。

しかし戦車との連携で、一機あたりの効果は上がっている。

着弾観測の導入で、砲兵の弾薬消耗が減った。


数字だけ見れば、悪くなかった。


霧島は記録帳の余白に、小さく書いた。


「サターンは目になった。拳はまだ戦車にある」


書いてから、もう一行加えた。


「目を開けていることが、この戦い方だ」


西中佐の言葉だった。自分の言葉にするには、まだ時間がかかりそうだった。


壕の外で風が鳴った。

硫黄の匂いがした。

大石がサターンの機体を並べ直す音がした。毎晩やっている儀式のように、丁寧に、一機ずつ。


霧島は記録帳を閉じた。


明日も飛ばす。

目を開けたまま。




(第三話 了)

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