第四話 既読のつかない返事
正月2日の楡庭は、玄関から廊下の奥まで、出汁の匂いがしていた。
座敷に卓が三つ。上座に祖父母、その脇に伯父夫婦と崇史。
うちの両親は、入口にいちばん近い卓の端だ。叔母二人の家族も、分家の年寄りたちも揃っている。
従妹の紬と従弟の敦志は、もう卓の下でゲーム機を突き合わせていた。
乾杯が済むと、崇史が立ち上がった。
「えー、一応、仕事の挨拶ってことで」
スーツの内ポケットから名刺入れを出して、上座から順に一枚ずつ配って回る。
「あら、名刺。ずいぶん立派になって」
上の叔母が、両手で受け取った。
「配信って、テレビみたいなもの?」
「テレビより売れるよ。画面の向こうで、みんな財布出すんだから」
分家の年寄りが、へえ、と名刺を目から遠ざけて眺めた。
「稼ぐのは、この子だからねえ」
祖母が目を細める。伯母が、隣で膝を揃え直した。
「この前もね、鞄を買ってくれたのよ。私はいいって言ったのに、どうしてもって」
俺の前にも、一枚が滑ってくる。
『株式会社キオラ配信 ライブコマース配信者 鷺沢崇史』
キオラ配信。どこかで見た字面だった。
「うちの社長、実はこの町の出身なんだよ。そのうち紹介するわ」
崇史が、卓の向こうで声を張る。
俺は名刺を裏返して卓に伏せ、写真を一枚撮ってから、卓の下で根岸に送った。
『この会社、分かる?』
返事は、1分もかからずに来た。
『社長、ご自分の会社です』
『昨年春の増資で、筆頭株主になられた会社です。初期にご出資された会社が上場したあと、最初に入られた案件でした』
『名刺のこちらの配信者は、昨年契約した業務委託の一人です』
『配信実績が振るいません』
『来月で契約終了の予定です』
『ご親戚でしたら、上に話を通しますが』
俺は一行だけ返した。
『公私混同はしない』
『承知しました。先方への連絡は控えます』
画面を伏せて顔を上げると、上の叔母と目が合った。
*
「征吾ちゃん、お正月まで仕事?」
「まあ、少し」
崇史が、ビールのグラスを持ったまま笑った。
「社畜はそういうもんだって。上の人のLINEは即レス。既読つけて放っといたら、休み明けに席ないぞ」
何人かが笑う。
上の人、か。
床の間の掛け軸が、エアコンの風を受けて、裾だけかすかに揺れていた。
崇史が、今度は鞄から分厚いクリアファイルを引っぱり出す。
「ついでに報告。マンション、買いました」
「えっ、ほんとに?」
下の叔母が身を乗り出した。
「県庁のほうの人気学区。新築で、80平米。年末に引き渡しも済んでる」
ファイルから書類を一枚抜いて、卓の真ん中に置く。
「9000万円。ローンは月23万円だけど、まあ余裕だろ」
「9000万……」
「ねえ、9000万って、どれくらい?」
敦志が紬に小声で聞いて、紬は「知らない、いっぱい」と答えた。
「崇史くん、まだ31でしょう。一人でそんな」
湯呑みを置いて、伯父が短く言った。
「保証人は俺だ。そこは話がついてる」
座敷が、またひとしきり沸いた。
「たいしたもんだ。30そこそこで、なあ」
分家の年寄りが、伯父の盃に酒を注ぎに立つ。伯父は、照れたように盃を両手で受けた。
「征吾は、いつ買うんだよ」
崇史がこっちを見る。
「賃貸で足りてる」
祖父が、盃を卓に置いた。
「家も買えない男が、何を言う」
「ほんとにねえ。崇史と比べちゃ、かわいそうだけど」
祖母が続けると、伯母がすぐに頷いた。
「征吾ちゃん、大学院まで出て、今は何をしてるの?」
上の叔母の声は、あくまで心配している調子だった。
「結局、勉強なんて、お金にならなきゃ意味ないのよねえ」
「征吾ちゃん、住む所はどうするの。結婚するなら、先に家を決めないと。お嫁さんの来手がないわよ」
下の叔母が、そこへ重ねる。
父は下を向いたままだった。
「まあ、そもそも彼女もいないんだけどな」
崇史が言って、また笑いが起きた。
*
俺は箸を置いた。
「で、彼女さんは何時に来るの?」
笑いが、途中で止まる。
「……は?」
「連れてくるって、書いてたよな」
「そうよ崇史、瑠衣ちゃん、何時に来るの?」
下の叔母が手を叩いた。紬と敦志が、ゲーム機から顔を上げる。
崇史は、グラスを置いた。
「ああ、うん。ちょっと、遅れてるのかもな」
「電話してみなさいよ。道に迷ってたら大変じゃない」
崇史はスマホを取り出して、しばらく画面を指で撫でていた。座敷じゅうの目が、その指先に集まっていく。
耳に当てる。
「あ、もしもし。キオラ配信の鷺沢と申します。……あ、マネージャーさん。いつもお世話になっております」
声が、一段高い。
「いや、あの、乙部さんに直接……ええ、はい。新年会の件で、ちょっと」
受話口から、女の声が漏れてくる。平らで、短い声だった。
「……そういったご用件は、事務所ではお受けしておりませんので」
「あ、はい。……はい、失礼します」
崇史はスマホを耳から離して、画面を少しのあいだ見ていた。
「仕事で、来られないそうだ」
「なんだ、それは」
祖父が、盃を卓に打ちつけるように置いた。
「親戚が揃って待ってるところに、仕事だと。舐められてるんだ」
「女優さんって、そういうものなのかしらね。お忙しいでしょうから」
下の叔母が、伯母の顔色をうかがいながら言う。
「まあ、来年もあるし。な」
崇史が、誰にともなく笑ってみせた。
*
卓の下で、スマホが短く震えた。
画面に、瑠衣の名前が浮かんでいる。
『あと10分で着く』
座敷では、祖父がまだ、近ごろの女優の礼儀について話している。
俺は、親指を一度だけ動かした。
『来るな』
送った吹き出しの横に、何も付かない。
伯母が、崇史のグラスにビールを注ぎ足していた。
既読が、つかない。




