第13話 聖王国の街
翌日、外に出た。
なぜか部屋にいると、剣の匂いがする気がした。
だから外に出た。
聖王国の街は、いつも通りだった。
石畳の道。
白い壁の家。
教会の鐘。
祈りの言葉。
荷車の音。
人々は朝の仕事に向かっていた。
商人は店を開け、母親は子どもの手を引き、聖職者は道行く者に祝福を与えていた。
何も変わっていない。
エルドリックが死んでも。
共和国の広場が混乱で裂けても。
この街は、昨日と同じ顔をしていた。
少し歩いてから、ふと気がついた。
魔族がいない。
いや、正確には、通りを自由に歩く魔族がいなかった。
当たり前だった。
聖王国では、魔族は奴隷だ。
荷物を運び、畑を耕し、命じられたことをする。
言葉を持たず、考える力もなく、人間の管理の下で働く。
そう教わってきた。
生まれてからずっと、それが当たり前だった。
共和国で出会った魔族の青年の声が、耳の奥に反響した。
「ここは違います」
違う。
聖王国が正しいのだ。
聖王国が正しい。
教会が正しい。
魔族は危険で、人間は守られなければならない。
僕はイライラしながら路地を曲がった。
そこに、魔族が一人いた。
大きな荷物を背負って歩いていた。
背は高かったが、背中は丸まっていた。
角の片方が欠けている。
首には鉄の輪が嵌められていた。
うつむいて歩いている。
声を出さない。
誰とも目を合わせない。
後ろには、人間の監視役がいた。
「遅い」
監視役が短く言った。
魔族は何も答えなかった。
少しだけ足を速めた。
魔族はそういうものだ。
人間に管理されるべきものだ。
それが秩序だ。
僕は足を止めずに通り過ぎた。
監視役が僕に気づき、慌てて頭を下げた。
「勇者様」
僕は小さく頷いた。
魔族は顔を上げなかった。
そのまま、荷物を背負って歩いていった。
僕は振り返らなかった。
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教会に戻ると、すぐに呼び出された。
アウレリウスの執務室だった。
扉を叩いた。
「入りなさい」
中に入ると、アウレリウスはいつもの席に座っていた。
机の上には書類が積まれていた。
彼は僕を見ると、穏やかに微笑んだ。
「少しは休めたか」
「はい」
嘘ではなかった。
眠った。
食べた。
剣も磨いた。
ただ、休めたのかどうかは分からなかった。
アウレリウスは頷いた。
「なら、次の使命を伝えよう」
アウレリウスは書類を一枚手に取った。
「二人目の英雄も、君に頼む」
二人目。
その言葉が、部屋に落ちた。
エルドリックの顔が浮かぶ。
倒れた広場が浮かぶ。
人間と魔族の悲鳴が浮かぶ。
僕はそれを押し込めた。
「標的は、リシア・ヴァレンティア」
名前は聞いたことがあった。
医療の英雄。
戦場で多くの命を救った人物。
共和国で病院を築き、貧しい者にも治療を与えている女。
教会では、こう教えられていた。
命を救うという名目で民の信頼を集め、神の奇跡ではなく人間の技術を信じさせる危険な英雄。
アウレリウスは静かに言った。
「彼女の存在は、民から祈りを奪う」
僕は黙って聞いた。
「病を癒すことは尊い。だが、人が救いを神ではなく英雄に求めるようになれば、世界の秩序は崩れる」
いつもの声だった。
穏やかで、優しくて、疑う余地のない声。
「エルドリックと同じですか」
言ってから、自分で少し驚いた。
アウレリウスは僕を見た。
怒らなかった。
ただ、少しだけ目を細めた。
「そうだ」
短く答えた。
「彼らは皆、美しい言葉で人を惑わせる」
美しい言葉。
エルドリックの声を思い出した。
僕は拳を握った。
アウレリウスは続けた。
「アレン」
「はい」
「君は一人目の使命を果たした。君なら、次も果たせる」
その言葉は褒め言葉だった。
認められている。
必要とされている。
「はい」
返事は、すぐに出た。
遅れなかった。
遅れなかったことに、少し安心した。
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執務室を出た。
廊下は静かだった。
壁には、神の絵が描かれている。
幼い頃から何百回も見てきた絵だった。
剣を掲げる神。
光に包まれる人々。
闇へ退けられる魔族。
昔は、その絵を見ると安心した。
世界には正しいものと間違ったものがある。
神は正しいものを守り、間違ったものを退ける。
自分はその剣になるのだと、そう思えた。
今日も同じ絵だった。
何一つ変わっていない。
僕はすぐに歩き出した。
二人目の英雄。
リシア・ヴァレンティア。
僕はまた、英雄を殺す。
それが勇者の使命だった。




