焚き火の宴と、無音の招待状
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模擬戦を終え、獣王ゲイルに「客人」として迎えられたノアたち。
五牙の長たちと獣王が並ぶ食卓に招かれ、温かな食事を囲みながら、なぜ人間に「魔王」と呼ばれているのか、そして大山脈が今抱えている深刻な問題が語られます。
静かな夜に交わされる言葉が、新たな旅路への扉を開きます。
砦の最上層——獣王の広間は、想像していたよりも質素だった。
巨大な岩壁をくり抜いた半洞窟の広間に、長い石のテーブルがどんと据えられている。天井には無数の燭台が吊るされ、獣脂の炎がゆらゆらと揺れていた。
テーブルの上座にゲイルが座り、その左右に五牙の長たちが並んでいる。
僕たちは——その向かい側に、客人として通された。
「さあ食え、小僧。腹が減っては話もできん」
ゲイルの声に促されて、目の前に次々と料理が運ばれてくる。
焼いた山羊の肉、煮込んだ根菜の鍋、蜂蜜を垂らした固いパン。——そして、レオンが言っていた山イチゴのスープ。
「おや。甘い匂いがしますね、シオン」
「山イチゴとヤギ乳のスープよ。……悔しいけど、いい匂いね」
シオンが僕の右肩の上で、小さく鼻をひくひくさせた。
僕がスープを一口すすると、ほのかな酸味と甘みが舌に広がった。
「……美味しい」
「だろ」
テーブルの向こうで、レオンがぼそりと言った。
「バラムの奴が作ると、なぜかこれが一番うまい」
「……レオンが美味いって言うと作り甲斐がある」
バラムが巨体を揺らして照れくさそうに笑う。その隣でアイラが「あんた料理の時だけ繊細よね」と冷静に突っ込み、ガルダが翼を畳んで黙々と肉を齧っている。
アルヴァだけが、少し離れた場所から僕たちを静かに観察していた。
——まだ、完全には心を開いていない。けれど、敵意はもうない。
フクはもう三皿目の肉をハグハグと平らげており、ドスンさんはテーブルの脇できゅるると体を丸め、単眼のランプを穏やかな青に灯していた。
不思議な食卓だった。
獣王と五牙の長たちが並ぶ席に、盲目の人間の少年と、黒猫と、仔狼と、鉄塊が座っている。
「——さて」
ゲイルが骨付き肉を豪快に齧り終え、ぐいと杯を煽ってから口を開いた。
「小僧。お前に訊きたいことがある」
「はい」
「なぜ人間どもは、お前を『魔王』と呼ぶ」
広間が、しん、と静まった。
五牙の長たちの視線が、一斉に僕に集まる。
「……僕にも、正直よく分からないんです」
僕は、苦笑した。
「以前、ある街で——星の綻びを直しました。特異点と呼ばれる、世界のマナが歪んで暴走している場所です。それを調律……ええと、元に戻したんです」
「元に戻した、だと?」
「はい。歪んだマナの糸を解いて、正しい流れに編み直しただけです。……でも、その時の戦いの映像が街の中継で流れて、僕の魔術が——その、とても大きく見えてしまったらしくて」
「……フン」
ルーガスが鼻を鳴らした。
「つまり貴様は、世界を救った行為を以て、世界の敵に仕立て上げられたと?」
「救ったなんて大袈裟なものじゃないですけど……はい、そういうことに、なってしまいました」
「バカバカしい」
ゼピュロスが吐き捨てた。
「人間どもの愚かさは百年前から変わらんな。恩人を追い立てる。俺たちの同胞を実験台にしたのと同じだ。——やることが変わらん」
実験台。
その言葉に、テーブルの空気がさらに冷えた。
「……実験、ですか?」
「知らんのか、小僧」
ゲイルの声が、低くなった。
「二十年前、ガルヴァニア帝国が俺たちの国境の村を襲った。若い獣人を四十人以上攫い、『感覚略奪実験』と称して——獣人固有の聴覚や嗅覚を切り取り、人間の兵士に移植しようとした」
「……っ」
「生き残りは、三人だった。全員が五感の大半を失い、廃人となって帰された。——見せしめだ」
僕は、何も言えなかった。
「ルーガスの弟は、その三人のうちの一人だった」
ゲイルが静かに言った。
ルーガスは黙ったまま、杯の中の酒を睨んでいた。
——だから。
だから彼らは、人間を信じない。信じられない。
「……ごめんなさい」
僕は、小さく頭を下げた。
「僕には、何もできません。でも——」
「謝るな」
ゲイルが遮った。
「お前がやったことじゃない。——だが、お前が人間であることは事実だ。その上で、俺はお前を客人として迎えた。その意味が分かるか?」
「……」
「お前は今日、俺の精鋭を指一本で完封して、誰も傷つけなかった。それは『強さ』じゃない。あれは——お前の本性だ」
ゲイルの声に、不思議な温かさが混じった。
「守護者。——俺はそう言ったな」
「はい」
「その守護者に、頼みがある」
——来た。
シオンの尻尾が、僕の首筋でぴくりと動いた。
「南だ」
ゲイルが、テーブルの上に大きな手を置いた。
「俺たちの領土の南に、硝子砂漠がある。そこに——半年前から、異変が起きている」
「……無音の蝕病」
僕が呟くと、ゲイルの眉が動いた。
「知っているのか」
「ここに来る途中、少しだけ触れました。マナの歪みが……音を消している」
「そうだ。砂漠の中心から無音が広がり続けている。——最初は砂漠の端だけだった。だが今は、俺たちの南の集落にまで浸食が始まっている」
バルガスが、静かに口を開いた。
「無音の領域に入った者は、共有聴覚を通じて脳に激痛が走り、錯乱します。斥候を三隊送りましたが、いずれも深部に到達できず撤退。——原因は不明です」
「砂漠の中心に、何かがある」
ヴォルダがぶっきらぼうに言った。
「だが、近づけねえ」
僕は、スープの椀をそっとテーブルに置いた。
「……ゲイルさん」
「ん?」
「それは——特異点です」
広間が、再び沈黙した。
「星の綻び。世界のマナが結び目のように歪んで暴走している場所。僕が各地で調律してきたものと、同じです」
「……それを、お前が直せるのか」
「直せます」
僕は、はっきりと言った。
迷いはなかった。
南の砂漠に、特異点の気配を感じていたから。
「……ノア」
シオンが、僕の耳元で囁いた。
「分かってるわよね。あの砂漠の奥に何がいるか、まだ分からないのよ」
「ええ。でも、放っておいたら——この人たちの南の集落が飲まれます」
「…………」
シオンが、小さく溜息をついた。
「……はいはい。あなたはいつもそう」
呆れたような、でもどこか誇らしげな声だった。
「ゲイルさん」
僕は、崖の上の獣王に向き直った。
「僕に、その砂漠の調査をさせてください。——特異点を調律します」
ゲイルが、じっと僕を見ていた。
長い沈黙。
そして——にやりと、獣王が笑った。
「言うと思ったぞ、小僧」
ゲイルが立ち上がり、テーブルをどんと叩いた。
「二世の精鋭を同行させる。アルヴァ、レオン、ガルダ、バラム、アイラ——お前たちが案内と護衛だ」
「——了解」
アルヴァが、静かに頷いた。
その横で、レオンが少し驚いた顔をしていた。
「……俺たちが、こいつの護衛?」
「文句あるか」
「ねえよ。——ただ」
レオンが、ちらりと僕を見た。
「護衛っつうか、こいつの方が強えから、何を護衛するのか分かんねえけど」
「レオン」
アルヴァが短く言った。
「砂漠を知っているのは俺たちだ。——それだけで、意味がある」
「……ふん」
レオンが腕を組んで、ぼそりと呟いた。
「……まあ、スープの礼くらいはしてやる」
バラムが小さく笑い、アイラが「素直じゃないわね」と肩をすくめた。
ガルダは翼を一度広げ、無言で首を縦に振った。
ヤスハが——崖の上の席から、そっと立ち上がった。
「あの——」
震えるような、でも芯のある声。
「私も、同行させてください」
「ヤスハ」
ルーガスが鋭い声を上げた。
「お前は五牙の長だ。砂漠に出る必要は——」
「蝕病の浸食は、精霊たちの悲鳴でもあります。巫女として、それを聴かなければなりません」
ヤスハが、静かに、でもはっきりと言った。
「それに——」
少女の視線が、僕のほうに向いた気がした。
「ノア様のまとう色を、もう少し近くで視たいのです」
「…………」
ルーガスが黙った。
ゲイルが「……好きにしろ」と短く笑って、杯を掲げた。
「明朝、出立だ。——小僧、酒は飲めるか」
「すみません、お酒はちょっと……お茶があれば嬉しいです」
「茶ぁ?」
ゲイルが豪快に笑った。
「こいつは傑作だ! 魔王がお茶ときた!!」
広間に笑い声が響いた。
五牙の長たちの中にも、ほんの少しだけ——険しさの溶けた空気が混じっていた。
フクが「ノア、肉もう一個!」と尻尾を振り、ドスンさんが単眼のランプをぽう、と黄色く灯す。
シオンが僕の肩の上で、前脚をぺろりと舐めた。
「……まったく。あなたって本当に、いつもこう」
「こう、って?」
「知らない間に、敵の食卓に座ってるのよ」
「敵じゃないですよ、シオン。——だって、スープが美味しい」
「…………」
シオンの尻尾が、ぱたんと僕の首を叩いた。
——明日、僕たちは南の砂漠へ向かう。
無音の特異点。星の綻び。
それを調律するのが、僕の旅だ。
温かいスープの余韻を舌に残しながら、僕はそっと微笑んだ。
お読みいただきありがとうございました!
獣王の食卓で明かされたノアの「魔王」の真実——世界を救った行為が、そのまま追放の理由になるという皮肉。
そして獣人たちが人間を信じられない深い理由も語られました。
南の硝子砂漠に広がる「無音の特異点」。ノアにとって、それは逃げる理由ではなく、進む理由です。
二世の精鋭たち+ヤスハを加えた共同調査隊が、いよいよ砂漠へ出発します!
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