分析完了、全員動きなさい
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模擬戦は膠着状態。ドスンさんの球体防御に手も足も出ない第二世代の精鋭たち。
獣王ゲイルから終戦条件が告げられたそのとき——シオンの金色の瞳が、静かに開きます。
「分析は終わったわ」。
待ちに待ったフクの出番と、ノア一行の完全分業戦闘が、いま始まる。
「……小僧」
崖の上から、ゲイルの声が降ってきた。
さっきまでの笑いの温度は消えていて、代わりに、獣王としての重い響きが奈落を満たした。
「模擬戦の終わりが知りたいと言ったな。——いいだろう、教えてやる」
ゲイルが一度、地面を踏み鳴らした。
崖全体が、びりっと震える。
「俺の若き牙ども五人を、全員その場に伏せさせろ。それが終わりだ」
「…………」
奈落の底が、しん、と静まった。
「おやおや」
僕は、球体の中で苦笑した。
「倒さないといけないんですか」
「そうだ。——お前が本物かどうかを量るのに、引きこもっているだけでは判断できん。防御だけなら、臆病者にもできる」
……なるほど。
それは、確かにその通りだ。
「ノア」
シオンの声が、変わった。
それまでの観察者の冷静さが、するりと剥がれ落ちて——その下から、研ぎ澄まされた刃のような声が出てきた。
「分析は終わったわ」
球体の中の空気が、きゅっと引き締まった。
フクの耳が、ぴん、と立ったのがわかった。
「五人の連携パターン、個体の癖、結界の範囲と死角、上空の旋回軌道。全部、頭に入った」
シオンが僕の肩の上で姿勢を変えた。
猫の体が低く沈み、前脚の爪がローブの布を掴む。
戦闘態勢だ。
「フク」
シオンが、仔狼の名前を呼んだ。
その声は——さっきの「座りなさい」とはまるで別物だった。
「出番よ」
フクの尻尾が、一瞬で跳ね上がった。
「——ッ! 待ってましたッス!!」
白金の毛並みの根元から、一気に熱が噴き上がる。
太陽の欠片のような、乾いた灼熱。
球体の内側が、ほんのりとオレンジ色に染まった。
「ノア、球体を解いて。ドスンさんは私の指示で動かして」
「はい、シオン」
「いい? あんたは一歩も動かなくていいわ。指だけ。——全部、私が視る」
「お任せします」
僕は、にこりと笑った。
シオンの爪が、きゅっと僕の肩を掴んだ。
——信頼。
僕の目はシオン。僕の盾はドスンさん。僕の牙はフク。
それが、僕たちだ。
「——リンッ」
指先を弾いた。
ドスンさんの球体が、きゅるるっと音を立てて——するりと解けた。
閉じていた金属が水銀のように流れ、僕の周囲に滑らかな半球の壁として再配置される。
風が、一気に流れ込んできた。
奈落の冷たい空気。赤土と鉄錆と、五つの獣の匂い。
「——出てきたぞ!」
ガルダの声が上空から落ちた。
「今度は中から出てきた! 攻めてくる気か!?」
「レオン、正面に——」
アイラが指示を出しかけた、その瞬間。
「フク、行きなさい。闘技場を反時計回り、全速力」
シオンの声は、囁くように静かだった。
「ぜんりょくッスね!?」
「全力よ」
「了解ッスーーーッ!!」
フクが、弾丸のように飛び出した。
白金の体が地面を蹴った瞬間、四肢から太陽の炎が噴き出す。
残像すら灼けて消えるほどの速度で、フクは闘技場の外縁を駆け抜けていった。
その軌跡に——炎が残る。
地面の上を走る黄金の線が、奈落の底を円く囲んでいく。
「なっ——!? 速い!」
レオンが目で追おうとして、フクの残像を見失った。
「上空注意! いや、あれは地上——回ってる!?」
ガルダが慌てて旋回軌道を変える。
フクが闘技場をぐるりと一周し終えた時——奈落の底には、黄金の炎の囲いが完成していた。
ごう、と低い音を立てて、炎の壁が立ち上がる。
高さは三メートルほど。逃げ場を塞ぐ檻のように、闘技場の外縁を完全に囲んでいる。
「炎の檻だと……!?」
バラムが盾を構え直した。
「あの仔狼、一周で——」
「バラム、ガルダ! 上空の退路が制限されている!」
アイラが声を上げた。
「炎の熱で上昇気流が乱れてるわ! ガルダ、今の状態だと急降下の制動が——」
「わかってる! だがこのくらいの炎——」
「ノア、右」
シオンの声。
短く、正確で、無駄がない。
「——リンッ」
指を弾いた。
きゅるっ。
ドスンさんの半球壁が、右側だけをするりと伸ばして——アルヴァの無音の斬撃を、ぬるりと呑み込んだ。
同時にシオンが言う。
「上、鳥」
「——リンッ」
もう一度。
ドスンさんの上面が瞬時に硬化し、カンッ、とガルダの急降下を弾き返す。
「ちっ——! また読まれてる!?」
「読んでいるんじゃないわ」
シオンが、冷たく言った。
「視ているのよ。——フク、もう一周」
「おっけーッス!」
フクが二周目に入った。
炎の壁が、さらに厚くなる。
熱が闘技場全体に満ち始め、上昇気流がさらに乱れた。
ガルダの旋回が、明らかに不安定になっている。
「重力結界を再展開——」
アイラが杖を構えた瞬間、シオンが言った。
「ノア、左斜め下、地面」
「——リンッ」
ドスンさんの体の一部が、するっと地面に向かって液体金属のように流れ出し——アイラの足元に走りかけていた魔力の格子を、物理的に遮断した。
金属が地面を覆い、結界の起点を塞いでしまう。
「——っ! 私の結界の起点を!?」
アイラの声が、初めて揺れた。
「嘘でしょう……格子の起点の位置まで把握しているの……!?」
「バラム、正面」
シオンが次の指示を出す。
「——リンッ」
ドスンさんが正面に壁を展開し、バラムの槌の一撃をぬるりと受け止める。
軟化して衝撃を吸収し、そのまま槌の頭を金属の中に沈み込ませて拘束した。
「おわっ!? またこれか! ぬるぬるして抜けねえ!」
「バラム、手放しなさい! 呑まれるわ!」
アイラの警告で、バラムが即座に槌を手放す。
ドスンさんが、きゅるりと槌を地面に吐き出した。
その間にも——
「ノア、後ろ。影」
「——リンッ」
背後から迫っていたアルヴァの二撃目を、ドスンさんが背面に生やした薄い板でぺしりと弾いた。
アルヴァが音もなく飛び退く。
「…………」
アルヴァの気配が、静かに揺れていた。
驚きでも焦りでもない。
それは——感嘆だった。
「あの黒猫が、全部指示を出しているのか」
アルヴァが低く呟いた。
「調律師は一歩も動いていない。指を弾いているだけだ。——防御も、反撃の位置も、全て猫の声で」
「それだけじゃないわ」
アイラが、苦い声で言った。
「あの仔狼の炎で退路と制空権を奪い、金属の化け物で攻撃を全ていなし、黒猫が目となって戦場を完全に支配している。——あの調律師、最初から一歩も動くつもりがないのよ。なのに、私たちが動かされている」
「うるせえ!!」
レオンの声が、炎の向こうから響いた。
「動かないなら——動かなくていい場所まで、俺が行く!!」
地面を砕くような踏み込み。
黄金の闘気が爆発的に膨れ上がった。
レオンが、双刃槍を構えて真正面から突っ込んでくる。
「ノア、正面。大きいのが来るわ」
「はい」
「——でも、止めなくていい」
「え?」
「フク」
シオンが、静かに言った。
「あの金髪の前に出なさい。——噛まなくていいから、吠えなさい」
フクが二周目の軌道から弧を描いて飛び出し、レオンの正面に躍り出た。
白金の仔狼が、太陽の炎を全身にまとって、大きく口を開けた。
「ヴッ——!!」
小さな体から放たれた咆哮が、熱波となってレオンの顔面を叩いた。
攻撃ではない。
しかし、一瞬——ほんの一瞬だけ、レオンの踏み込みが鈍った。
その隙に。
「——リンッ」
ドスンさんが、するりとレオンの足元に薄い金属の膜を滑り込ませた。
ぬるり。
レオンの足が滑り、体勢が崩れる。
「うわっ!?」
前のめりに倒れかけたレオンを、ドスンさんの金属がするりと包み込むようにして——ぽすん、と柔らかく受け止めた。
硬い金属のはずなのに、落ちた瞬間だけ、まるでクッションのように柔らかく凹む。
「……は?」
レオンが、金属の上で目を丸くしている気配が伝わってきた。
「……怪我はないですか、レオンくん」
「な……なんだよこれ……攻撃じゃないのかよ……」
「攻撃じゃないですよ。模擬戦ですから」
「…………」
崖の上で、ゲイルが——三度目の、低い笑い声を上げた。
今度は、さっきよりも深い響きだった。
お読みいただきありがとうございました!
シオンの精密ナビゲーション、ドスンさんの流体防壁、フクの太陽の炎による制空権制圧——ノア一行の「完全分業」が、ついにその片鱗を見せました。
一歩も動かず、指を弾くだけ。それなのに、五人の精鋭たちが「動かされている」。
次回、模擬戦の決着。ノアの「調律」の真髄が、奈落を震わせます。
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