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【休載中】世界を救った代償に存在を消された盲目の【最強】魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に【勘違い】認定されました  作者: ミロク
第4章 咆哮の峰ヴォルグと孤独の黄金宮殿

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五牙の奈落と、名もなき匂い

 お読みいただきありがとうございます!

 獣王の咆哮砦の地下牢で一夜を過ごしたノアたち。

 朝を迎え、いよいよ大山脈の最高意思決定機関『五牙』の長たちの前へと引き出されます。

 盲目の新魔王に下される裁定は——死か、生か。


 肩を、揺さぶられた。


 小さくて柔らかい、猫の前脚。


「ノア。起きなさい」


 シオンの声は静かだったけれど、その下に、研ぎ澄まされた緊張の糸がひとすじ張っているのが、僕にはわかった。


「……おはようございます、シオン」


「おはようじゃないわよ。来たわ」


 鉄格子の向こうから、複数の足音が近づいてくる。


 昨日までの、ひとりかふたりの見張りとは違う。


 四つ、五つ——いや、もっと多い。


 爪が石床を叩く硬質な音、革の鎧が擦れる音、そして何よりも、彼らの体から立ち昇る緊張した体温が、地下牢の冷たい空気をじわりと押し返していた。


「……お師匠、やばいッスよ」


 フクが僕の膝の上から跳び起きた気配がした。


 低い声で唸るような、仔狼の警戒の呼吸。


「大丈夫ですよ、フク」


 僕はソファー形態のドスンさんの背もたれから身を起こして、寝癖を軽く手で撫でつけた。


 がちゃり、と鍵が外れる音。


 ぎい、と鉄格子が引き開けられる。


 流れ込んでくる空気が変わった。


 地下牢の湿った苔の匂いに、赤土と獣脂の乾いた匂いが混じる。


 外の空気だ。


「——出ろ」


 アルヴァの声だった。


 冷徹で、端的で、余計な言葉が一切ない。


 昨日と同じ声。


 だけど、彼の心拍が、ほんの僅かに速い。


 理の糸越しに触れる彼の気配は、僕たちに向けた敵意ではなかった。


 何かを——心配しているような、そんな揺れ方をしている。


「おはようございます、アルヴァさん。今日はお天気ですか?」


「…………」


 アルヴァは答えなかった。


 代わりに、小さく——本当に小さく、溜め息のような息を吐いた。


「……余計なことを喋るな。黙ってついてこい」


 その声が、どこか不器用に優しく聞こえたのは、僕の気のせいだろうか。


 ドスンさんがきゅるりと流体音を鳴らし、ソファーの形を解いて、するりときゅるっと小さな金属の球体へと可変した。


 水銀のように滑らかに形を縮めたドスンさんを、僕は両手で抱きかえるようにして抱っこする。ひんやりと温かい、不思議な重み。


 牢の外で待機していた獣人の兵士たちの間に、微かなざわめきが走ったのがわかった。


 ——金属なのに、まるで生き物のスライムのように縮んで腕に収まる。


 初めてドスンさんの変形を見る者は、たいていこの反応をする。


 フクが僕の足元にぴたりとくっつき、シオンが僕の右肩に飛び乗った。


 小さな肉球が、ぎゅ、と僕のローブの肩を掴む。


「……いい? 何を訊かれても、余計なことは言わないの。あんたは黙っていなさい」


「はい」


「絶対よ」


「はい」


「……信用してないけど」


「えぇ?」


 シオンの尻尾が、ぺし、と僕の首を叩いた。


 僕たちは、アルヴァに先導されて、地下牢のトンネルを戻り始めた。


 昨日、連行された道を逆に辿っている。


 石畳を踏む僕の足音と、ドスンさんの重い——けれどどこか柔らかい歩行音と、フクの軽い爪の音が、規則正しく反響していた。



   *



 トンネルの先で、空気が——爆ぜた。


 そうとしか表現できなかった。


 地下の冷たく閉じた空間から一歩踏み出した瞬間、頭上から途方もない量の風が、まるで巨大な滝のように僕の全身に叩きつけてきた。


 冷たい風ではない。


 大山脈の岩肌が朝日に焼かれた、乾いた土と鉄錆の熱を含んだ上昇気流だ。


 そして——下だ。


 足元の地面の先が、ぷつりと途切れている。


 漂う理の糸が、崖の縁でふっと途切れて泳ぐ感触が伝わってきた。


 ——落ちている。


 深い。


 果てしなく深い。


 崖の下から吹き上げる風を撫でていた糸の感覚からして、底まではかなりの距離がある。


 崖だ。


 巨大な、垂直の崖。


 砦の内部にぽっかりと口を開けた、天然の縦穴のような構造で、頭上は遥か高くまで吹き抜けており、朝の空が筒のように切り取られている。


「……すごい場所ね」


 シオンが、僕の肩の上で息を呑んだ。


「直径百メートル以上はある巨大な縦穴よ。崖の壁面にいくつもの洞窟が穿たれていて、それぞれが部族の居住区になっているみたい。正面の崖の一番高いところに——五つの巨大な岩が、牙のように突き出しているわ」


「牙ですか」


「ええ。それぞれの岩が椅子のようになっていて、その上に——」


 シオンが、言葉を切った。


 切ったのではない。


 シオンの喉が、僅かに詰まったのだ。


 なぜなら、理の糸が——崖の上から、押し潰されるように、軋み始めたからだ。


 凄まじい圧力。


 音ではない。


 熱でもない。


 大気そのものに、太く黄金色の大綱のような何かが、重力みたいにのしかかってくる。


 マナの圧——覇気だ。


 それも、僕が今まで感じたことのないほどの、途方もない密度の。


 空間に漂う理の糸が、その圧力に押されて一斉にびりびりと震え、まるで嵐の中の蜘蛛の巣のように激しく揺れている。


 フクが、くぅん、と小さく鳴いた。


 本能的に腰が引けてしまったらしい。


 ドスンさんのランプが、きゅるっと赤に切り替わった。


 ——大丈夫。


 僕は、フクの頭をそっと撫でた。


「大丈夫ですよ。この風、すごく大きいけれど——怒っているわけじゃないです。ただ、そこに在るだけ」


 崖の上から、声が降ってきた。


 空気をびりびりと振動させ、岩壁を共鳴させる、地響きのような重低音。


 話すだけで、その場のすべてを黙らせてしまう、王の声だった。


「——それが、人間どもの間で『新魔王』と恐れられている小僧か」


 風が、止まった。


 いや——止まったのではない。


 その声が発せられた瞬間、奈落を吹き抜ける大気の流れそのものが、まるで王の言葉に道を譲るように、一瞬だけ息を潜めたのだ。


「……あれが、この国の王ね」


 シオンが、僕の耳元で極めて小さく囁いた。


「崖の一番上、中央の岩。とんでもない巨体——二メートルを優に超えてるわ。金色の、たてがみのような髪。全身の筋肉が異常。そして、頭の上に——骨で出来た冠を被っている」


 なるほど。


 この圧倒的な覇気の主か。


 理の糸越しに触れる気配は、太陽に焼かれた乾いた赤土と、凄まじい闘気の残り香。


 そして——その奥に、不思議なほど真っ直ぐな芯が通っている。


 傲慢ではない。


 ただ、圧倒的に強いだけだ。


「ゲイル王」


 崖の上から、冷たく、凍てついたような細い糸が響いた。


 氷点下に近い体温。


 深夜の吹雪と、乾いた冷たい鉄の匂い。


 アルヴァと非常によく似た、冷たく静かな気配だ。


「人間どもの国々での噂は聞いております。そこの盲目の小僧は特異点とやらを荒らし回り、大陸中の均衡を根底からひっくり返しているとか。——帝国と教会が討伐令まで出して騒ぎ立てているほどです。人間の中でも極めて危険とみなされた個体、生かしておく理由はありません」


 灰狼の長——ルーガスと呼ばれる男の発言だった。


 すぐ隣の岩から、今度は正反対の声が飛んできた。


 氷を削り出すような、キンと冷たく響く高い声。


「議論など不要だ、ゲイル!」


 それは、大気全体を鋭く切り裂くような翼の長、ゼピュロスの声だった。


「地を這う羽なしの分際で、魔王を騙るなど……。そ奴がこの地で吐く汚い呼吸で、我が国の澄んだ空気が汚れるだけでも万死に値する! 我が天空の矢をもって、今すぐその首を山壁に縫い止めてくれよう!」


 大きな翼が、ばさりと崖の上で広がった。


 その風圧だけで、僕の前髪がふわりと揺れた。


「——お待ちください!」


 高い方の崖から、澄んだ、凛とした少女の声が響いた。


 柔らかいのに、折れない。


 薄氷の上に咲いた花のような、透き通った声だ。


 理の糸を通して触れる気配は、小さな鈴のような清らかな旋律。


 彼女の周囲だけ、大気がほんのりと甘い草の匂いに包まれている。


「彼は、盲目です。目が見えないんです。そのような方を、問答無用で処刑するなど——」


「ヤスハ様」


 灰狼の長ルーガスが、静かに遮った。


「あなたの慈悲深さは美徳ですが、人間はいつの時代も、握手を交わす裏で牙を研ぐ生き物だ。盲目であろうとなかろうと、それは変わらない」


 少女——ヤスハの息が、きゅっと詰まったのが聞こえた。


 その横で、もうひとつ、若い気配がぴくりと動いた。


 太陽に干した乾いた砂と、柑橘のような若い匂い。


 黄金色の細い糸が、未完成ながらも激しく渦巻いている。


 若い、熱い、焦っている——少年の気配だ。


 彼は何か言いかけて、しかし唇を噛んだらしく、歯を鳴らす小さな音だけが聞こえた。


 何かを言いたくて、でも言えない。


 そんな悔しさが、彼の周囲の理の糸を小さく震わせていた。


 ——ああ。


 この子は、きっと真っ直ぐな子だ。


 ゲイルが、ゆっくりと立ち上がった気配がした。


 岩が軋むような、重い音。


 大気が、再び彼の覇気に押されてびりびりと鳴る。


「静まれ」


 たった一言。


 けれどその一言で、奈落のすべての風と声と、鳥の鳴き声までが、しん、と凍りついた。


「殺すのは簡単だ。だが——」


 ゲイルの視線が、僕を射抜いているのが、理の糸越しにわかった。


 見下ろされている。


 二十メートル以上も高い崖の上から、絶対の王が、たったひとりの盲目の人間を。


「——小僧。お前が何者かは知らん。魔王だろうが、旅人だろうが、俺にとってはどちらでも構わん」


 ゲイルの声は、不思議と、怒りの色が薄かった。


「だが、死にたくないのであれば——その実力を示せ」


 実力。


「お前が本当に『魔王』と恐れられるだけの力を持っているのか。あるいは、ただの小悪党がハッタリで虚勢を張っているだけなのか。——それを、この場で確かめる」


 

お読みいただきありがとうございました!  牢から引き出され、五牙の長たちと対峙したノア。  人間たちの噂を危険視する長たちに対し、獣王ゲイルの下した判断は「実力を示せ」というものでした。  次回、いよいよ奈落の底で模擬戦の火蓋が切られます!  ブックマークや評価、ご感想をいただけますと、執筆の大きな励みになります!

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