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【休載中】世界を救った代償に存在を消された盲目の【最強】魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に【勘違い】認定されました  作者: ミロク
第3章 錆骸の機巧谷

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世界の壁を越えた先に


 お読みいただきありがとうございます!

 第3章の最終話です。

 鉄の騎獣に乗って、大山脈を越えていく旅路。

 そしてその先に待つものは——。



 山に入って、三日が経った。


 ドスンさんの脚は、岩場をものともしなかった。


 がしゃん。がしゃん。がしゃん。


 四本の鉄脚が地面を掴むたびに、形状記憶合金の爪が岩の凹凸に合わせて変形する。


 垂直に近い岩壁ですら、爪を突き刺して這い登っていく。


 僕はドスンさんの背中に座って、揺られている。


 トロが設計した荷重分散の構造がそのまま鞍になっているから、長時間乗っていてもお尻が痛くならない。


 もっとも——それはトロの腕じゃなくて、ドスンさんの学習能力のおかげだろう。


 僕が少しでもバランスを崩すと、背中の金属板が微かに傾いて、自動的に水平を保ってくれる。


「お師匠! 右の崖の向こう、風が抜けてるッス! 谷があるっぽい!」


 フクが先を駆けて、偵察から戻ってきた。


 白い毛が風に靡いて、岩場を跳ぶたびに金色の残光が尾を引く。


「どのくらいの幅?」


「えっと、おいらが三回ジャンプするくらいッス!」


「それ全然分かんないわよ」


 シオンが肩の上で溜息をついた。


「フク、幅じゃなくて深さ。下が見える?」


「見えないッス! ずっと下まで雲!」


「深い谷ね。——ノア、北に迂回。稜線沿いに五百歩ほど進めば、岩棚が張り出してるはず」


「分かりました」


 ドスンさんの首元を軽く叩くと、鉄の騎獣は方向を変えた。


 叩き方で方向を伝える合図は、二日目の朝には完成していた。


 一回で前進。二回で停止。首の左右を撫でれば、その方向へ旋回。


 ドスンさんの学習速度は、恐ろしく速い。





 四日目。


 岩と砂利だけだった景色に、草が混じり始めた。


 ——景色が見えるわけじゃないけど、足元から届く匂いが変わった。


 岩の冷たい匂いに、草と土の湿った匂いが重なる。


「標高が下がってきたわね」


「風も変わりましたね。さっきまで正面から吹いてたのが、右から来るようになった」


「地形が開けてきてる証拠よ。山脈の西斜面に入ったわ」


 五日目。


 朝の空気に、乾いた砂の匂いが混じった。


 山の匂いとは全然違う。


 熱い。


 石焼きの窯の前に立ったような、地面から放射される熱。


「お師匠、すっごく広いっス! 前も右も左も——ぜーんぶ平っぽいッス!」


 フクが興奮して戻ってきた。


「木もないッス! 草もほとんどないッス! 茶色い地面がずーっと続いてて——あっ、遠くに変な岩山が見えるッス!」


「変な岩山?」


「なんか……ギザギザしてて、赤いッス。太陽の光でキラキラ光ってるッス」


「……硝子か」


 シオンが呟いた。


「ガラス質の岩が露出してるのね。乾燥地帯の特徴だわ」


 僕はドスンさんの背中で、風を感じた。


 乾いた、熱い風。


 砂粒を含んだ風。


 ドワーフの国のあの蒸気と金属の匂いが、もう遠い昔のように感じる。


「ここが——」


「ええ。獣人領の外縁よ。大山脈の西側。ヴォルグの手前」


 五日間の山越え。


 世界の壁を、越えた。





 山を下りきったのは、その日の夕方だった。


 最後の岩棚を降りると、足元の地面がじゃりじゃりと砂利に変わり、やがて硬い砂地に変わった。


 空気が一気に乾く。


 唇がぴりぴりする。


 ドスンさんの脚も、岩場用の尖った爪から、砂地に沈まない平らな足裏に自動で変形していた。


「水を確認するわ。……荷物の水筒は残り三つ。ドワーフたちがくれた分を入れても、五日分がいいところ」


「このあたりに水場はありますか?」


「地図はないけど、獣人領に集落があるなら、近くに水源があるはず。——問題は、その集落に受け入れてもらえるかどうかだけど」


 魔王として手配されている僕が、人間以外の種族にどう映るのか。


 天秤の討伐令は人間の組織のものだけど、獣人族がそれをどう受け取るかは分からない。


「まずは安全な場所で休みましょう。日が暮れる」


「はい」


 少し開けた砂地の窪みに、ドスンさんを止めた。


 ドスンさんの背中から装甲板が左右に展開して、簡易の屋根になる。


 風除けの壁も、脇から金属板がせり出してきて、三方を囲んだ。


 残りの一方は焚き火用に空けてある。


 歩く拠点。


 シオンの言った通りだった。





 焚き火は、やめた。


 乾燥地帯では煙が遠くまで見える。不用意に位置を知らせたくない。


 代わりに——ドスンさんの歯車が回る時に発する微かな熱で、体を温めた。


 きゅるるる、きゅるるる。


 低くて規則正しい回転音。


 ドスンさんなりの暖房。


 その鉄の壁にもたれて、僕は座っている。


 正確には——座らされている。


「……ノア。少し寝なさい」


 シオンの声が、すぐ近くから降ってきた。


 近い。


 いつもの肩の上じゃない。


 ——人の姿だ。


 シオンが、人の姿に戻っている。


 温かい腕が、僕の肩と頭を支えている。


 膝の上に、僕の上半身。


 星空の匂いがする髪が、僕の頬にさらりと触れている。


「シオン……」


「黙って。あなた、山を越える間ずっと気を張ってたでしょう。理の糸で周囲を探って、ドスンさんに指示を出して、フクの安全を確認して。——三日間、ほとんど眠ってない」


「そんなこと——」


「嘘。脈が速いし、指先が震えてる。気づいてないだけ」


 シオンの手が、僕の額に触れた。


 ひんやりして、でも奥に体温がある。


 猫の肉球とは全然違う、人の指先。


「今夜は私が見張る。フクは寝てる。ドスンさんも装甲を展開したまま警戒してくれてる。あなたが起きている理由は、何もないわ」


「……でも」


「命令よ」


 有無を言わさない声。


 でも——膝の上の腕は、ものすごく優しかった。


 僕は、諦めた。


 体の力を抜いて、シオンの膝に頭を預けた。


 星空の匂いが、近くなる。


 ドスンさんの歯車の音。


 フクの寝息。


 シオンの心臓の音。


 全部が重なって——ゆっくりと、意識が沈んでいく。


「……シオン」


「なに」


「ありがとう、ございます」


「……ばか」


 それが最後に聞こえた言葉だった。





 ——目が覚めたのは、シオンの腕に力が入ったからだった。


「……ノア。起きて」


 声が変わっていた。


 ナビゲーションモードですらない。


 戦闘警戒態勢の声。


「シオン?」


「動かないで。——囲まれてる」


 意識が一気に覚醒した。


 理の糸を探る。


 枯渇した魔力で、微かな振動しか拾えない。


 でも——それで十分だった。


 分かる。


 四方から。


 息を殺して。


 音もなく。


 ——何かが、近づいてきている。


 数は——多い。


 十や二十じゃない。


 五十。


 いや——もっと。


 ドスンさんの歯車が、低い警戒音で回り始めた。


 装甲が、がちりと防御態勢に再配置される。


 フクが目を覚まし、低い唸り声を上げた。


「お師匠……こいつら……」


 フクの声が、震えている。


 怖がっているのではない。


 本能が反応している。


 同族に近い——獣の気配に。


「ノア」


 シオンが、僕を抱えたまま囁いた。


「人間じゃないわ」


 砂の上を、裸足の足が踏む音がした。


 一つじゃない。


 何十もの足が、同時に、一歩だけ前に出た。


 完璧に同期した動き。


 訓練された軍勢の足音。


 そして——暗闇の中で、光が灯った。


 二つ。


 四つ。


 八つ。


 無数の。


 低い位置から、こちらを見つめている。


 金色と、琥珀色と、翠色の——獣の瞳。


「——動くな。人間」


 低い声が、闇の中から響いた。


 唸り声のような響きが混じった、人ならざる者の言葉。


「ここは獣王の地だ。人間が踏み入っていい場所ではない」


 シオンの腕が、僕を抱える力を強めた。


 僕は——動かなかった。


 動けなかった、のかもしれない。


 ただ。


 見えない目で。


 暗闇に光る無数の瞳を。


 真っ直ぐに——見返した。



 第3章『錆骸の機巧谷と忘れられた温もり』——了。


 第4章へ続く。





 最後までお読みいただき、ありがとうございました!


 第3章、完結です。

 ドワーフの街で出会った温もり、鋼鉄王の涙、魔王の烙印、共犯者たちの見送り——そして、鉄の騎獣と共に越えた世界の壁。


 山を越えた先で待っていたのは、人の姿のシオンに抱えられて眠る束の間の安らぎと——獣の瞳に囲まれる、新たな緊張でした。


 ノアたちの旅は、人間の世界を離れ、亜人の領域へと足を踏み入れます。

 音のない砂漠、獣たちの王国、そして遥か北東に待つフクのお母さん——


 第4章『絶響の硝子砂漠』で、またお会いしましょう。


 ここまで読んでくださった皆さまに、心からの感謝を。

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