共犯者たちの見送り
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涙の追放を受けたノアが、日没前に街を出なければなりません。
でも——この街の人たちは、黙って見送るだけの人たちじゃありませんでした。
城を出ると、空気が変わっていた。
朝の歓迎の時とは違う。
人の気配は多いのに、誰も声をかけてこない。
通りに面した工房の扉が、一つ、また一つと閉まっていく。
追放された者に関わるな——という、暗黙の了解。
それが正しい判断だと、僕にも分かる。
「……ノア」
「大丈夫ですよ、シオン」
宿に戻って、荷物をまとめよう。
日没までに門を出る。
それだけのことだ。
宿の部屋に戻ると、扉の前に何かが置いてあった。
木箱だ。
二つ。
一つは小さくて軽い。持ち上げると、布に包まれた何かと、紙の匂い。
もう一つは——重い。金属の匂いがする。
「……誰が」
「手紙が挟まってるわ」
シオンが紙を読み上げてくれた。
一通目。
『ノアくんへ。
これ、おにぎりです。五日分。腐らないように魔導保存布で包んであります。
ドワーフの握り飯は人間には大きすぎるって言ってたから、小さめに握りました。
中身はぜんぶ違う具にしてあります。梅干しが一番右の列です。
体に気をつけて。
ベル』
「……」
梅干しが一番右。
僕が目が見えないから、手探りで分かるように並べてくれている。
「ノア。泣くな。まだあるわ」
「泣いてないですよ」
「鼻声よ」
二通目。
『よぉ兄ちゃん。
ドスンのやつ、このままじゃ持ち運びにくいだろ。
だから背負子を作った。肩と腰で重さを分散する仕組みで、走っても揺れねぇ。
あとドスンのコアが収まる台座も入ってる。うちの親父の技術だけど、俺が改良した。文句は言わせねぇ。
魔導形状記憶合金のコアに合わせて調整してあるから、たぶんピッタリだ。
たぶんな。
トロ』
木箱を開けると、革と鉄の混じった匂いが立ち上った。
手で触れる。
背負子——ドワーフの鍛冶師が仕立てた、頑丈で精密な革と金属のフレーム。
肩紐は太くて柔らかい。長時間歩いても食い込まない設計。
そして箱の底に、もう一つ。
コアの台座。
丸みを帯びた金属の揺り籠のような形で、ドスンさんのコアがぴたりと収まるサイズに削り出されている。
指先で触れた瞬間——ドスンさんの歯車が、きゅる、と一回だけ回った。
寝ぼけた反応。
でも、心地よさそうな振動。
「……ぴったりだ」
「たぶんね。——たぶん、ね」
シオンの声が、少しだけ柔らかかった。
荷物をまとめ終えて、宿を出た。
ドスンさんをトロの台座に収めて、背負子で背負う。
軽い。
驚くほど軽い。
トロの言った通り、重さが肩と腰に分散されて、走っても揺れない。
フクが僕の足元を歩き、シオンが肩に乗る。
街の大通りを、門に向かって歩く。
工房の扉はすべて閉まっている。
通りに人影はない。
——はずだった。
「おう、旅人さん」
横道から、太い声。
老ドワーフが、作業着のまま壁にもたれて煙管を吹かしている。
「良い天気だな。旅日和だ」
僕を見ていない。
空を見ている。
ただ独り言を言っているだけだ。
「おう、この煙管——熱くなりすぎて持てやしねぇ。誰か通りかかったら渡してぇもんだが」
足元に、革袋が置いてある。
中身は——干し肉の匂い。
「……いただきます」
「知らんね。ワシは空を見てただけだ」
老人が煙を吐いて、くっくっと笑った。
次の角を曲がると——また。
「あら、道端にこんな水筒が。誰のかしら」
ドワーフの女性が、窓辺に腰掛けて編み物をしている。
足元に、真新しい水筒が二つ。
「中身はドール・ガリアの湧き水よ。知らないけど」
「……ありがとうございます」
「誰にお礼を言ってるの? 私は編み物してるだけよ」
そうやって——門に向かう道すがら、次から次へと「偶然」が起きた。
道端に「落ちていた」傷薬。
壁に「引っかかっていた」新しいマント。
石畳に「置き忘れられていた」火打ち石と、小さな鉄鍋。
誰一人として、僕に直接手渡した者はいない。
誰一人として、僕の名前を呼んだ者はいない。
全員が——空を見ていた。
編み物をしていた。
煙管を吹かしていた。
たまたま、そこにいただけだ。
追放された者に手を貸せば、自分たちも罪に問われる。
だから——「知らない」のだ。
全員が。
示し合わせたように。
「……共犯者が多すぎるわ、この街」
シオンが呆れたように呟いた。
でもその声は——少しだけ、鼻声だった。
大門が見えた。
朝、谷から帰ってきた時にくぐった、あの巨大な門。
その前に——一人だけ、立っている人間がいた。
人間じゃない。ドワーフだ。
若い。
鍛冶場の煤で汚れた革の前掛け。
太い腕。
トロだった。
「……よう」
「トロさん」
「背負子、合ってたか」
「ぴったりでした。すごく軽いです」
「当たり前だろ。俺が作ったんだから」
トロが鼻を鳴らした。
でも——声が震えている。
「ノアの兄ちゃん」
「はい」
「谷が——緑に戻った。親父の親父の、そのまた親父の代から赤かった谷が。兄ちゃんのおかげだ」
「僕は何もしてないですよ。ドスンさんが——」
「うるせぇ。俺たちは見てたんだよ。全部。中継で」
トロの声が、きつくなった。
「兄ちゃんが、あの鉄の巨人から街を守ってくれたこと。三百人の敵の前に立ったこと。全部見てた。——あれを見て、兄ちゃんが魔王だなんて思うやつは、この街には一人もいねぇ」
「……トロさん」
「だから——」
トロが一歩、近づいた。
ごつごつした手が、僕の手を握った。
鍛冶師の手だ。
固くて、熱くて、火傷の跡だらけの手。
「だから——行けよ。胸張って。お前は誰にも恥じることなんかしてねぇ」
握る力が、震えている。
「親父の槌を直してくれた恩は忘れねぇ。この街の誰も、忘れねぇ。——絶対に」
手が離れた。
トロが一歩下がって、門の脇に立つ。
僕は——もう何も言えなくて。
ただ、深く頭を下げた。
門をくぐった。
外の空気が、冷たい。
山岳地帯の乾いた風が、正面から吹きつけてくる。
振り返らなかった。
振り返ったら、きっと動けなくなるから。
「……お師匠」
フクが、静かな声で言った。
いつもの元気がない。
「みんな、泣いてたッス」
「うん」
「おいらも——ちょっとだけ——」
「うん。いいよ、フク」
フクが僕の足首に鼻を押しつけて、くぅん、と小さく鳴いた。
しばらくそのまま、無言で歩いた。
門の街並みが遠ざかっていく。
鍛冶場の音が薄れていく。
やがて——静寂だけが残った。
「ノア」
シオンが、声を切り替えた。
ナビゲーションモードの、冷静な声。
「ルートの話をしましょう」
「はい」
「元の計画では、ここから南下して中央のグランデールに出て、街道を使って北上するつもりだったわ。でも——」
「もう、無理ですね」
「ええ。中央部にはグランデール、アルケイン、リタニア——三つの大国が密集してる。どの国も天秤の構成国。魔王として手配されたあなたが通れるルートじゃない」
「北に戻ってガルヴァニア帝国を迂回するのは」
「論外よ。帝国はむしろ一番危険。あなたを兵器として捕獲しようとする可能性すらある。ハクの出身地でもあるし、何が出てくるか分からない」
「……じゃあ」
「西」
シオンが、短く言い切った。
「ここから西の山岳地帯を越えて、獣人領ヴォルグへ抜ける。獣人たちは天秤に属していない。人間の討伐令がそのまま適用される場所じゃないわ」
「山岳地帯……」
その言葉の重さは、僕にも分かった。
ドール・ガリアの西に広がる山岳地帯は、地理の資料で「中央と西部を隔てる自然の壁」と書かれていた場所だ。
切り立った岩山。
通れる街道はほとんどない。
天候は荒れやすく、魔物も出る。
盲目の少年と、子狼と、猫と、眠っているコアの四人パーティで越えるには——。
「……厳しいですね」
「普通ならね」
シオンの声に、わずかな笑みが混じった。
「でも——普通じゃなくなったでしょう。あなたたちは」
背中で——きゅる、と音がした。
ドスンさんだ。
トロが作ってくれた台座の中で、コアの歯車がゆっくり回っている。
まだ寝ぼけている。
でも——僕が歩くたびに、微かに振動を返してくれる。
ここにいるよ、と言うように。
「ドスンさんが元気になれば、岩壁だって鉄の足場に変えられる。風除けの壁も、雨を凌ぐ屋根も。この子は金属を自在に操れるのよ。山岳地帯のど真ん中でも——」
「——家を作れる、ってことですか」
「そういうこと。歩く拠点を背負ってるようなものよ、今のあなたは」
僕は、背中のドスンさんに手を伸ばした。
指先がコアに触れると、歯車の回転が少しだけ速くなった。
きゅるる。
嬉しそうな音。
「……ドスンさん。また、お世話になります」
きゅ。
短い一回転。
たぶん——返事。
「お師匠」
フクが顔を上げた。
目がきらきらしている。
「おいらたち、山越えるんスか?」
「そうみたいだね」
「やるッス! おいら、足腰には自信あるッス! フェンリルの子だもん!」
「道中の偵察はあなたに任せるわ」
「了解ッス、姉さん!」
尻尾がちぎれそうなくらい振れている。
さっきまで泣いていたのに——もう前を向いている。
子どもは強い。
僕は空を見上げた。
見えないけれど——風の方向で、だいたいの天候は分かる。
西から吹いてくる風は、乾いていて冷たい。
山の匂いがする。
岩と、苔と、遠くの雪の匂い。
その向こうに——音のない砂漠と、雷の山がある。
フクのお母さんが、泣いている場所がある。
「行きましょう」
僕は西を向いて、歩き出した。
背中にドスンさん。
足元にフク。
肩にシオン。
荷物の中に、ベルのおにぎりと、名も知らぬドワーフたちの「落とし物」。
全部——全部、温かかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
追放された街を歩くノアの足元に、次から次へと「偶然」が降ってきました。
干し肉を「落とした」老人。水筒を「忘れた」女性。
全員が空を見ていて、全員が知らん顔をして——全員が、共犯者でした。
そしてトロの最後の言葉。
「胸張って行けよ。お前は誰にも恥じることなんかしてねぇ」
中央は通れない。北は危険。
残された道は、西の山岳地帯を越えて獣人領へ。
普通なら無謀な道ですが——ドスンさんという「歩く拠点」を背負った今なら、いける。
次回、山岳越えの旅が始まります。
少しでも「ドワーフの共犯最高」「トロ泣ける」と感じていただけましたら、
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