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【休載中】世界を救った代償に存在を消された盲目の【最強】魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に【勘違い】認定されました  作者: ミロク
第3章 錆骸の機巧谷

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鋼鉄の記憶

お読みいただきありがとうございます!

 武装した近衛兵に連れられ、ノアは鋼鉄王ボルダーの元へ。

 その謁見の間の壁の向こうには——もう一つの影が、息を殺して見守っています。



 城の中は、街の喧騒が嘘のように静かだった。


 石造りの廊下を歩く。


 近衛兵の甲冑が石畳に響く金属音。


 フクの爪が床を引っかく音。


 僕の裸足の足音。


 それだけが、冷たい空気の中に落ちていく。


「ノア」


 シオンが、僕の肩の上で囁いた。


「この城……いたるところに耳がある。壁の向こうに気配。一人や二人じゃないわ」


「護衛ですかね」


「かもしれないけど——一組だけ、毛色が違う。人間。ドワーフじゃない」


 人間。


 この鉱山王国に、ドワーフ以外の人間がいる。


 誰だろう。


 考える前に、足が止まった。


 近衛兵が片膝をついた。


「陛下。ノア殿をお連れいたしました」


 重い扉が、ゆっくりと開く。


 鉄と石の匂いが、中から流れてくる。


 熱い。


 大量の蝋燭か、暖炉の火か——広い空間に、火の気が充満している。


 そして——一番奥から、重い呼吸が聞こえた。


 巨大な人間の呼吸。


 いや、ドワーフの呼吸。


 だが、その肺活量は——人間の二倍はある。


「——入れ」


 地の底から響くような、低い声。


 鋼鉄王ボルダー。


 僕は、一歩を踏み出した。





 謁見の間は、思ったよりも狭かった。


 巨大な玉座の間ではなく、小さな執務室のような空間。


 王が、一人の少年と話すために選んだ部屋。


 石壁の向こうに——シオンが言った「毛色の違う」気配がある。


 壁一枚を隔てて、誰かが息を潜めている。


 複数。


 四人。


 理の糸がほとんど使えない今の僕では、その正体までは分からない。


 ——でも。


 かすかに。


 鼻先を掠めた匂いが、一つだけあった。


 鉄の匂いでも、蝋燭の匂いでもない。


 剣の鞘に染みついた、革と油の匂い。


 ほんの微かな、甘い焼き菓子の残り香。


 ——市場で。


 リンゴを半分にした時の。


「座れ」


 ボルダー王の声が、思考を断ち切った。


 石の椅子に腰を下ろす。


 フクが僕の足元に丸くなった。


 ドスンさんを両腕に抱えたまま、正面を向く。


「……顔を上げろ」


 言われて、顔を上げた。


 見えないけれど。


 正面に座っている存在の巨大さは、呼吸の振動だけで分かった。


 長い沈黙。


 十秒。


 二十秒。


 三十秒。


 ボルダー王は、ただ僕を見ていた。


「——ワシは昨夜、一睡もしておらん」


 低い声が、部屋を震わせた。


「中継を見た。最初から最後まで。——お前が、三百人の精鋭を前にして、一歩も退かなかったところも。あの鉄の塊が、お前を守るために立ち上がったところも。そして——」


 声が、一瞬途切れた。


「——お前が、『魔王』と呼ばれたところも」


「……はい」


「ワシの隣には、勇者がおった」


 心臓が跳ねた。


「ルーク・アシュクロフト。魔王ヴォイドを討伐した英雄だ。お前もこの街で会ったと聞いている——市場の修理屋として」


 知っている。


 ボルダー王は、すべてを知っている。


「中継が終わった瞬間、勇者は立ち上がった。剣に手をかけた。魔王を討つのは勇者の使命だと——そう、教えられてきたのだろう」


 ルークが。


 あの温かい手が、剣に手をかけた。


 僕を——討つために。


「ワシが止めた」


 ボルダー王の声が、重い。


「正式な討伐命令はまだ出ておらん。そして何より——この国で勝手な行動は許さん、と」


 僕は何も言えなかった。


「勇者は今、この壁の向こうにおる」


 やはり。


 あの匂いは。


「聞いておるだろう。ワシとお前の話を。——だが、出てくるなと言ってある。この謁見は、ワシとお前の間の話だ」


 壁の向こうから、わずかな衣擦れの音が聞こえた。


 誰かが拳を握りしめた音。


 あるいは——誰かが、誰かの腕を掴んで止めている音。





 ボルダー王が、椅子から立ち上がった。


 ずしん、と床が揺れる。


 近づいてくる。


 僕の目の前で、片膝をつく気配。


 ドワーフの王が——膝をついた。


「小僧」


 至近距離から、声が降ってくる。


「お前に一つ、聞きたいことがある」


「……何でしょうか」


「ワシの右腕には、二十年前から治らん古傷がある。鍛冶場で溶鉱炉が崩れた時に負った火傷だ。どの癒し手に診せても、どの聖職者に祈ってもらっても、骨の奥に染みついた痛みだけが消えなかった」


 ボルダー王が、右腕を差し出す気配がした。


「だが——五日前の夜、この痛みが消えた」


 五日前。


 僕がこの街に来て、最初の夜。


 ベルの食堂で温かいスープを飲んで、トロの大槌を直して——その帰り道で、街全体に満ちていた「錆の霧」の理を、少しだけ整えた夜。


「街中の錆が薄くなった夜だ。お前が何かをした夜だ。ワシの右腕が——二十年ぶりに、痛みを忘れた。理由は分からん。だが、骨の奥が覚えている。あの時、何かが通り過ぎていった。温かくて、静かで、何も求めない——」


 ボルダー王の声が、震えた。


「——『修繕』の音だった」


 沈黙。


「お前のような音を出す存在を、ワシは魔王と呼ぶ気にはなれん」


 大きな手が、僕の頭に乗った。


 岩のように硬くて。


 炉のように熱くて。


 でも——ものすごく優しい手だった。


「だがな——」


 手が、僕の頭から離れた。


「ワシはこの街の王だ」


 声が変わった。


 個人の声から——王の声に。


「二万のドワーフの命を預かっておる。子どもたちの未来を預かっておる。討伐令が届けば、この街は戦場になる。お前を匿ったが最後、街ごと焼かれる」


「……分かっています」


「分かっているなら——言わせるな」


 ボルダー王の声が、軋んだ。


 まるで——金属が限界まで曲げられた時の音。


「鋼鉄王ボルダーの名において——命ずる」


 声が震えていた。


 王の声なのに。


 命令なのに。


 震えていた。


「盲目の旅人ノア。お前を——この国から追放する」


 追放。


 その一言が、石の壁に反響した。


「二度と、この地を踏むことは許さぬ。即刻、荷をまとめ、日が沈む前に門を出よ」


 僕は、立ち上がった。


 深く頭を下げた。


「——ありがとうございました、ボルダー陛下」


「……礼を言うな」


「いいえ。この街の人たちは、本当に温かかった。スープも美味しかった。トロさんの大槌の音も、ベルさんの笑い声も。全部、忘れません」


「黙れ」


 ボルダー王の声が、掠れた。


「さっさと出ていけ。ワシの目の前から——消えろ」


 最後の言葉が、濡れていた。


 泣いている。


 鋼鉄の王が、泣いている。


 見えないけれど——落ちた雫が、石の床を叩く音が、はっきりと聞こえた。


「——失礼します」


 僕は、ドスンさんを抱きしめて、部屋を出た。


 扉が閉まる直前。


 壁の向こうから——声にならない声が聞こえた。


 誰かが、唇を噛みしめている音。


 誰かの指が、剣の柄を白くなるまで握りしめている音。


 あの匂い。


 革と油と、甘い焼き菓子の残り香。


 ——ルーク。


 聞いていたんですね。


 僕が「魔王」で。


 あなたが「勇者」で。


 世界がそう決めてしまったことを。


 市場でリンゴを半分にした、あの人が——これから、僕を討ちに来る。


「……ルークさん」


 廊下を歩きながら、聞こえないほど小さな声で、呟いた。


「お元気で」


 二度目の、さよなら。


 一度目は——あの白い空間で。


 二度目は——この石の廊下で。


 どちらも、ルークには聞こえていない。




 最後までお読みいただき、ありがとうございます!


 鋼鉄の王が、膝をつきました。

 魂で知っている——あの「修繕の音」が、魔王であるはずがないと。

 でも、二万の民を守るために——涙を飲んで、追放を命じました。


 そして壁の向こうには、勇者がいました。

 市場でリンゴを半分にした「修理屋くん」が、魔王だと知った勇者が。

 声を殺して、すべてを聞いていました。


 ノアは気づいていました。

 あの匂いで。あの気配で。

 それでも振り返らず、「お元気で」と呟いて歩き去りました。


 次回、街の人々が「共犯者」となるノアの脱出劇——。

 少しでも「泣いた」「王がかっこいい」と感じていただけましたら、

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