魔王の産声
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ドスンさんとの共鳴で、ノアの魔力が何十倍にも膨れ上がりました。
三百人の軍勢が放つ、対都市殲滅級の攻撃が——今、落ちてきます。
光が、落ちてきた。
【大聖裁の天柱】。
さっきの【聖裁の天柱】が太陽なら、これは——太陽系そのものだった。
白い光の壁が、谷の幅を超えて、空を覆い尽くしながら降りてくる。
同時に、アルケインの魔導師三百人が放つ魔砲弾が、色とりどりの光弾となって光の壁に混じり合う。
炎と氷と雷と風が渦巻く、多属性複合砲撃。
二つの国の全火力が、一点に——僕たちに向かって、収束する。
「ドスンさん」
僕は、鉄の脚に額を押し当てたまま、囁いた。
「全部、返しましょう」
きゅるん。
歯車が、一回だけ力強く鳴った。
了解の合図。
僕は、指を動かした。
焼けた指先が、痛みを忘れていた。
ドスンさんの歯車を通じて増幅された理の糸が、何十本も同時に宙を走る。
その糸の一本一本が、空から降り注ぐ光と炎の奔流に向かって——飛んだ。
やったことは、単純だった。
降りてくる攻撃の魔力の「流れ」に、理の糸を絡ませる。
そして——流れの方向を、反転させる。
川の流れを、上流に向かって押し返すようなもの。
本来なら不可能だ。
三百人分の魔力の奔流を、一人の力で押し返すなど。
でも、今の僕は——一人じゃなかった。
ドスンさんの歯車が回る。
僕の糸を巻き取り、増幅し、何十倍にして返す。
その増幅された糸が、敵の魔力を掴み、引き剥がし、方向を書き換える。
光が——止まった。
降りてきていた白い壁が、空中で静止した。
「……な」
ヴィクターの声。
「止まった……だと……?」
止まっただけではなかった。
光が——逆流し始めた。
ゆっくりと。
だが確実に。
【大聖裁の天柱】の白い壁が、混じり合った魔砲弾ごと、上空へ押し戻されていく。
いや——押し戻すだけではなかった。
理の糸が、敵の魔力を掴んだ瞬間に一つの法則を刻んでいた。
——倍返し。
敵が込めた力と同じだけの力を、ドスンさんの増幅で上乗せして、そのまま送り主に返す。
三百人分の攻撃を吸い込み。
三百人分の力を上乗せし。
六百人分の力にして——撃ち返す。
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!」
ヴィクターの叫び。
「全軍、防御陣形ッ——!!」
遅い。
光の壁が、反転して落ちた。
敵の陣形の真上に。
轟音は、聞こえなかった。
あまりにも大きすぎて、音が音として認識できなかった。
ただ、地面が跳ねた。
空気が圧縮されて、肺が潰れそうになった。
そして——静寂。
数秒後、理の糸を弾くと、返ってきた振動が教えてくれた。
アルケインの魔導師たちが展開していた神聖防壁が——粉砕されていた。
五十人リンクの防壁どころか、三百人分の魔力で急遽編み上げた防御陣形ごと、紙のように吹き飛ばされている。
防壁の内側にいた魔導師たちも、騎士団の兵士たちも、衝撃波で四方八方に弾き飛ばされ、地面に転がっている。
死んではいない。
僕は殺すつもりで撃ってはいない。
でも——もう二度目は撃てない。
魔導具は砕け、杖は折れ、甲冑は歪み、魔法陣は消し飛んでいる。
戦闘能力の大半が、たった一撃で消滅した。
「……嘘」
シオンが、呟いた。
「三百人の全力攻撃を、倍にして返した……? そんなの、聞いたことない……」
「おいらも、ないッス……」
フクが、震える声で言った。
ドスンさんが、小さくよろめいた。
胸の歯車の回転が、急速に弱まっている。
全力を出し切った反動だ。
僕も——膝から崩れ落ちた。
増幅された魔力が引き潮のように抜けていき、体中の筋肉が痙攣している。
指先の感覚がない。
息が、うまくできない。
でも——終わった。
これで、もう攻撃は来ない。
そう、思った。
——空気が、割れた。
また。
転移陣の音。
だが、今度は——たった一つだった。
それなのに、さっきの七つの転移陣を合わせたよりも——重い。
空間が軋む音が、まるで世界そのものが悲鳴を上げているようだった。
「……何」
シオンの声が、凍った。
「一人だけ。一人だけ来たわ。でも——この魔力は……何よ、これ……」
一人。
たった一人の転移。
なのに、この谷を満たしていた三百人分の魔力の圧が——霞むほどの存在感。
靴音が聞こえた。
ゆっくりとした、重い足取り。
地面に転がった兵士たちの間を、まっすぐに歩いてくる。
ヴィクターが、慌てて声を上げた。
「し、筆頭賢者殿……!? なぜ、こちらに——」
筆頭賢者。
ヴィクターが——あの傲慢な男が、声を裏返して敬語を使っている。
「メ、メルクリウス殿、こちらの状況はすでに中継でご報告して——」
「見ていたわ」
女の声だった。
低く、落ち着いた、感情の読めない声。
「全部、見ていたわ。中継の向こう側でね」
足音が止まった。
僕から、十メートルほど先。
「そして、私だけではない。四座の全員が見ていた」
四座。
ヴィクターが言った「天秤」。
イェレミヤが言った「天秤」。
あの二人が同じ名前を口にしていた組織——その一人が、今、目の前にいる。
「イェレミヤ執行官」
メルクリウスの声が、倒れているイェレミヤの方を向いた。
「大枢機卿ヴァレリウス猊下から伝言よ。よくやった。ここからは我らが引き継ぐ、と」
「……了解しました」
イェレミヤの声が、地面の上から返ってきた。
あの冷徹な審問官が——逆らわない。
メルクリウスが、僕の方を向いた。
理の糸が、彼女の視線の重さを拾った。
値踏みするような。
品定めするような。
そして——すでに結論を出し終えた者の、冷たい確信。
「盲目の少年」
静かに呼ばれた。
「名前は?」
「……ノアです」
「ノア。古い言葉で『安息』を意味する名ね」
小さな間。
「皮肉だわ」
メルクリウスが、手を挙げた。
その手に握られた水晶球が、白い光を放った。
中継の水晶。
今、この瞬間の映像と音声が、世界中に——飛んでいる。
「——全世界に告ぐ」
メルクリウスの声が変わった。
個人の声ではなく、組織の声になった。
「【四座の天秤】、全座一致の総意により、ここに正式な勅命を発布する」
谷が、静まり返った。
転がっている兵士も。
立ち尽くしているヴィクターも。
地面に伏しているイェレミヤも。
全員が——息を止めて、メルクリウスの次の言葉を待っている。
「第三特異点『機巧谷ドル・ガリア』にて確認された術者——名をノアという盲目の少年を」
間。
「本日をもって、正式に——」
間。
「——【新魔王】と認定する」
世界が、止まった。
止まったのは僕の時間だけではなかった。
中継の向こう側——この映像を見ている全世界の人々の時間が、止まった。
「先に発生した第一および第二特異点の不法消失も、この者の所業と断定する。コアの回収は二次目標に格下げ。全座の総力をもって——」
メルクリウスの声は、最後まで感情がなかった。
「——魔王の殲滅を、最優先任務とする」
水晶球の光が消えた。
宣言は——終わった。
たった一分にも満たない言葉で。
僕は——「安息」という名前を持つ少年は。
今、全世界の「敵」になった。
「……ノア」
シオンが、僕の肩にしがみついたまま、小さく呟いた。
「……聞こえたわよね」
「……聞こえました」
コアの歯車が——きゅる、と回った。
怯えるように。
悲しむように。
「ごめんなさい」と言うように。
僕は、ドスンさんの脚に、もう一度額を押し当てた。
「大丈夫ですよ、ドスンさん」
声が震えていないか、自分では分からなかった。
「僕は、何も変わっていませんから」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
三百人の全力攻撃を倍にして返し——勝ったはずでした。
でも、本当の敵は剣や魔法ではなかった。
たった一言。
たった一つの宣言。
中継を通じて全世界に放たれた「魔王認定」という言葉が、ノアから「日常」を奪いました。
「ノア」は古い言葉で「安息」を意味する。
安息の名を持つ少年が、世界に安息を与えないものとして——宣告されたのです。
次回、この絶望的な宣言の直後、ノアたちはどうやってこの谷を脱出するのか。
少しでも「胸が痛い」「ノアの最後のセリフが……」と思っていただけましたら、
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