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世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第3章 錆骸の機巧谷

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赤い霧と侵食される理

ルークと「はじめまして」を交わした翌朝。

穏やかだったドール・ガリアの日常を塗り潰すように、谷の奥から不気味な赤い霧が街を覆い始めます。


 朝の光が、薄い。


 宿の窓から差し込む日差しが、昨日までとは明らかに違う色をしている。


 蜂蜜色の温かな朝焼けが、今朝は——鈍い、鉄の匂いを纏っていた。


「——シオン。外、何か変わってます?」


「……霧が出てるわ。赤い霧」


 シオンの声に、わずかな緊張が混じる。


「赤い?」


「街の北側、谷の方角から流れてきてる。建物の屋根がうっすら赤く煤けて、通りの向こうが見えないくらい。——朝なのに、薄暮みたいよ」


 窓枠に手をかけて、外気に触れる。


 指先に乗る空気が、ざらついている。


 砂ではない。もっと細かくて、もっと冷たい。微粒子が肌を這うような——金属の粉だ。


 理の糸を探る。


 空気の中に漂う微細な振動が、不規則に震えている。


 本来なら風に溶けるはずの理の糸が——削れている。


 虫食いのように。


 少しずつ、少しずつ。


「シオン。この霧、理の糸を侵食してる」


「……侵食?」


「空気の中の糸がぼろぼろなんです。端から錆びて、崩れて、粉になってる。それがこの赤い霧の正体ですね」


 足元で、フクがくうん、と小さく鳴いた。


 いつもなら毛布の中で丸まって起きない時間帯なのに、背中の毛が逆立っている。


 フクの鼻先が、僕のくるぶしにぐいぐいと押しつけられる。


「ノア……外、すっごく嫌な匂いがするッス。鉄が——腐ってるみたいな」


「分かりますか?」


「おいらの鼻、姉さんより利くッスから。……でもこの匂い、ちょっと怖いッス」


 太陽の匂いがする小さな体が、ぶるぶると震えていた。





 食堂『鋼の胃袋』に降りると、いつもと空気が違った。


 客の話し声が、低い。


 鍛冶場から響くはずの槌の音が、ひとつも聞こえない。


 代わりに聞こえるのは、乾いた咳と、窓を閉める音ばかり。


「ノアちゃん! 来てくれたの。——朝ごはんにはちょっと早いけど、座んなさい」


 ベルの声。


 でもいつもの弾けるような元気が半分くらい欠けていて、声の奥にこわばりがある。


「ベルさん。この霧、いつから——」


「明け方よ。谷の方からぶわーっと。アタシが起きた時にはもう通りが真っ赤でさ。トロたちが鍛冶場に火を入れようとしたんだけど、炉の排気口に霧が詰まって煙が逆流するって大騒ぎ。今朝は全工房が操業停止。——こんなの初めてよ」


「前にも霧が出たことは?」


「小さいのなら、年に二、三回。でも朝には消えてたし、こんなに濃くなかったわ。——ノアちゃん、お願いだからあんまり外を出歩かないでね。目が見えないのに、この霧の中じゃ余計に危ないんだから」


 ベルが温かいスープの器を手渡してくれる。


 指先に伝わる陶器の熱と、湯気に混じる根菜の匂い。


 だけど——スープの中にも、微かに鉄の味が紛れ込んでいる。


 水にまで、浸透し始めている。


「ベルさん」


「ん?」


「この霧が長引いたら、どうなりますか」


 沈黙。


 ベルが一瞬だけ言葉を詰まらせて、それから笑い声を作る。


「——大丈夫よ。午後には晴れるって、長老衆が言ってたし」


 嘘だ、と思った。


 嘘だと分かるのは、ベルの指先が器を渡す時に震えていたから。




お読みいただきありがとうございます!

鍛冶の街の「鉄」そのものを削っていく赤い霧。

目に見えない脅威が、街の人々の平穏を静かに脅かしていきます。

次回、この事態に対してノアが取った行動とは——。

引き続きお楽しみください!

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