灰かぶりの修理屋と、金色の迷える勇者
お互いの正体(と探している相手であること)を知らないまま、言葉を交わす二人。
ノアの隣で、すべてを知るシオンだけが静かに見つめています。
果物屋の前の石段に、二人で腰掛ける。
リンゴを半分に割って、ルークに片方を渡す。
「え、いいの?」
「どうぞ。この街のリンゴ、すごく美味しいんですよ」
「ん——うまっ! 何これ、甘い!」
「地熱で育ってるからですかね。普通のリンゴより糖度が高いんですって」
「へぇ。——修理屋くん、この街には長いの?」
「五日くらいです。でももう少しいるつもりで。この街、居心地がいいんですよねぇ」
「分かる。ドワーフって、一見怖いけどめちゃくちゃ親切だよな。さっきも道聞いたら、肩叩かれすぎて脱臼するかと思った」
「あはは。僕も来た日にやられました」
笑う。
二人で笑う。
リンゴの汁が指を伝って、石段の上にぽたりと落ちる。
こんな何でもない時間が——たまらなく懐かしい。
以前は、こうやって道端に座って、二人でよく食べ物を分け合っていた。
焼き菓子とか。
串焼きとか。
ルークが「半分こしよう」って言って、いつも少しだけ大きい方を僕に渡してくれて——。
……知らない。
僕は、それを知らない。
知らないことに、している。
「——あ、そうだ。修理屋くん、ちょっと見てほしいものがあるんだけど」
ルークが腰の鞘から、何かを取り外す気配。
「剣の鞘の留め具が、旅の途中で歪んじゃって。開け閉めのたびに引っかかるんだ。この街で直してもらおうと思ったんだけど、鍛冶場はどこも忙しそうで」
「見せてもらってもいいですか?」
「うん」
手のひらに乗せられた、小さな金属の留め具。
指先で触れる。
——理の糸が、流れ込んでくる。
この留め具に触れてきた者たちの記録。
ルークの手。
それから——微かに、ガルドの手。
セシリアの手。
三人分の振動が重なって、小さな金属の中に息づいている。
三人。
……三人だけ。
当たり前だ。
四人目の記憶は、世界から消えている。
「簡単な歪みですね。すぐ直りますよ」
指先で、留め具の理の糸をそっと手繰る。
歪んだ振動を正す。
ほんの数秒。
元通りの、滑らかな動きに戻る。
「——はい。もう大丈夫です」
「え、もう? 触っただけで?」
「ちょっとした調整です。大したことはしてないですよ」
ルークが留め具を受け取って、鞘に嵌め直す。
かちり、と小気味いい音。
「すごい……。完璧だ。新品みたいに滑らかになってる」
「気に入ってもらえたなら嬉しいです」
「気に入るどころじゃないよ。——ありがとう、修理屋くん。お代は——」
「いらないです。リンゴのお礼ということで」
「リンゴはそっちが奢ってくれたやつだろ!」
「あはは。細かいことは気にしないでください」
ルークが、困ったように笑う。
——その笑顔が、少しだけ曇る。
「……なぁ、修理屋くん」
「はい?」
「変なこと聞いてもいい?」
「どうぞ」
「俺さ、今——すっごく変な気持ちなんだ。初めて会ったのに、初めて会った気がしないっていうか。なんだろうな。うまく言えないけど——」
ルークが言葉を探している。
見えないけれど。
分かる。
ルークは今、胸の奥にある「空白」と向き合っている。
名前のない寂しさ。
理由のない懐かしさ。
それが何なのか分からないまま、ずっと探し続けている。
「——安心するんだ。君と話してると。なんでだろ」
「それはきっと——」
僕は少しだけ間を置いて。
「リンゴって、人を幸せにする果物なんですよ。一緒に食べると、誰とでも仲良くなれるんです」
「……何それ。修理屋くん、絶対テキトーなこと言ってるだろ」
「ばれました? えへへ」
ルークが吹き出す。
その笑い声が、市場の喧騒に溶けて消えていく。
---
「——そろそろ行かなきゃ。仲間が待ってるから」
ルークが立ち上がる。
「仲間がいるんですね。いいなぁ」
「うん。三人で旅をしてるんだ。——いや、四人なんだけどな。一人は自由行動中で、どこにいるか分からない」
「賑やかそうですねぇ」
「まぁな。——あ、修理屋くんもこの街にいるなら、また会えるかな」
「会えるといいですね」
「うん。——じゃあ、またな、修理屋くん」
「はい。また」
ルークが歩き出す。
数歩。
そして——立ち止まる。
振り返る気配。
左後ろを。
「……」
でも、そこには僕はいない。
僕は、彼の正面にいたのだから。
ルークは首を振って、人混みの中へと消えていく。
その足音が完全に聞こえなくなるまで、僕は果物屋の前の石段に座ったまま、リンゴの残りを齧っている。
隣で、シオンが何も言わずに立っている。
長い、沈黙。
市場の喧騒だけが、遠い世界の出来事みたいに耳を掠めていく。
---
「……ノア」
シオンが、ようやく口を開く。
いつもより、ずっと静かな声。
「はい?」
「あなた——大丈夫?」
「大丈夫ですよ。何がですか?」
僕は微笑む。
いつもの微笑み。
ちゃんと笑えている。
「ルークさん、元気そうでよかったです」
「……ノア」
「背も伸びてましたね。声も低くなってて。一年で、ずいぶん大人っぽくなったなぁ」
「ノア」
「——また会えただけでも、奇跡のようなものですから」
シオンが、僕の手を取る。
両手で、包み込むように。
星空の匂いがする、温かい手。
「あなたは——あの子に、『はじめまして』って言ったのね」
「はい」
「——辛くないの」
「辛くないですよ」
嘘じゃない。
本当に、辛くない。
ルークが元気で、笑っていて、仲間と旅をしている。
それだけで十分すぎるほど十分だ。
僕がいなくなったことで空いた穴は——きっと、時間が埋めてくれる。
ガルドの料理も。
セシリアの祈りも。
全部、ちゃんとそこにある。
僕一人が抜けたところで、世界は回り続ける。
それが、正しい。
「……あなたのその笑顔が、一番怖いって知ってる?」
シオンの声が、微かに震えている。
珍しい。
泣いているのだろうか。
見えないから分からない。
「シオン。大丈夫ですよ」
「……大丈夫じゃないのはあなたでしょう」
「僕は大丈夫です。——本当に」
リンゴの芯を、石段の脇に置く。
立ち上がって、シオンの手を握り直す。
「帰りましょうか。フクが起きてたら寂しがりますから」
「……ええ」
シオンが僕の手を引いて、歩き出す。
市場通りを抜けて、宿へと戻る道すがら。
右手に握った温かな手の感触だけが、今の僕にとっての全世界で。
左後ろには誰もいなくて。
——それで、いいのだ。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ルークの無意識の優しさ、空白を抱える寂しさ。そしてそれを全て受け入れて笑うノアの自己犠牲と、隣で見守るシオンの思い。
第一部のクライマックスに向け、二人の運命はここで一度交わり、また離れていきます。
少しでも彼らの行く末が気になったり、「エモい!」と感じていただけましたら、ぜひページ下部の☆☆☆☆☆評価やブックマークへのご登録をお願いいたします。皆さまの応援が何よりの励みになります!




