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世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第3章 錆骸の機巧谷

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鉄板焼きの熱気と、機巧谷の不穏なる鼓動

「鋼の胃袋」という凄い名前の食堂へ向かったノアたち。そこで看板娘のベルと出会い、街の現状について話を聞きます。


 『鋼の胃袋』は、大通りから一本入った路地にある。


 三つ目の歯車看板を左——親方の言う通りに進むと、鋼鉄の配管で骨組みされた建物の入口に、鉄板を叩いて成形した看板がぶら下がっている。


 胃袋の形を模した看板の裏から、肉の焼ける匂いと、蒸気と、大勢の笑い声が漏れ出していた。


「ノア、段差。入口に鉄の閾がある」


「はい」


 シオンの手が、僕の右手をぎゅっと握り直す。


 人間の姿のシオンは、僕より少しだけ背が高い。


 星空の匂いのする温かい手。


 盲目の僕が人混みの中を歩くとき、この手だけが、世界の座標を教えてくれる灯台になる。


 足元では、フクが僕の左側にぴったりと寄り添って歩いている。


 街に入ってからずっと盲導狼モードだ。


 普段の「お師匠見て見てッス!」がすっかり鳴りを潜めて、尻尾の振動すら最小限に抑えている。


 偉い。


「入るわよ」


 シオンが扉を引くと、店内の音が一気に押し寄せてくる。


 理の糸が、密度の高い人の気配を伝えてくる——満席に近い。


 鉄板の上で肉が弾ける音。


 ジョッキが机に叩きつけられる低い衝撃。


 ドワーフ特有の地鳴りのような笑い声が、店の壁面を揺らしている。


「いらっしゃい! ——おっ、人間のお客さんだ! 珍しいね!」


 カウンターの向こうから、弾むような声が飛んでくる。


 若い女性の声。


 ドワーフの声帯にしては高く、明るく、よく通る。


「こっちこっち! カウンター席が空いてるよ!」


 シオンに手を引かれて、カウンター席に腰を下ろす。


 フクが椅子の下にもぐり込んで、僕の足の甲にあごを乗せる。


 温かい。


「へぇ——美人なお姉さんと、可愛い男の子の二人旅? なんかいい感じだねぇ」


「可愛い男の子?」


 シオンが僕を指差して、少し考えて、頷く。


「……まぁ、否定はしないわ」


「えっ、そこ否定しないんですか」


「あなた自覚ないの? 煤で灰色になった髪がまたいい感じに似合ってるのよ、腹立たしいことに」


「……えへへ」


 カウンターの向こうで、声の主がけらけらと笑っている。


「あはは! 仲いいなぁ、二人とも! ——あたしはベル! この店の看板娘兼料理人兼掃除係兼会計! ようこそ『鋼の胃袋』へ!」


「すごい兼任ですね……」


「人手不足でねぇ。この街、職人は山ほどいるのに、飯炊きをやりたがる奴がいないのよ。みんな鉄を叩く方が好きなんだから」


 ベルがカウンターにメニューの鉄板——文字通りの鉄板——をがしゃんと置く。


「今日のおすすめは鉄板焼きステーキの骨つきドワーフ盛り! あと岩塩パンと地底キノコのスープ! 坊やは何にする?」


「全部ください」


「おっ、いい返事! お姉さんは?」


「同じので」


「あいよ! ——あ、下にいるその子にも何かいる? 犬用の骨なら余ってるよ」


 フクが足元から顔を覗かせて、小声で「ワフッ……骨ほしいッス……」と呟く。


 ベルが目を丸くする。


「喋った!? この子喋る!?」


「すみません。フクって言います。少し変わった仔犬で」


「変わったどころじゃないよ! 面白いねぇ!」


---



 鉄板の上で、分厚い肉が焼ける音が近づいてくる。


 じゅう、という低い音。


 脂が鉄板に触れて弾ける、小さな爆発の連鎖。


 匂いが凄い。


 岩塩と黒胡椒のシャープな香りが、獣脂の甘さと混ざり合って、鼻腔の奥まで一直線に突き刺さる。


「はい、お待たせ! ——そっちのお嬢さんの分と、坊やの分ね」


 前に置かれた皿から、鉄板の余熱がもわりと立ちのぼる。


「……いい音がしますね、この鉄板」


「え? 音?」


「理の糸が——あ、いえ。なんでもないです。いただきます」


 ナイフを入れると、肉が驚くほど素直に切れる。


 口に運んだ瞬間、噛みしめた筋繊維から肉汁が溢れ出して、岩塩の塩味がそれを追いかけてくる。


「……おいしい」


「でしょ!」


 ベルがカウンターの向こうで、えっへんと胸を張る。


「うちの鉄板はね、ドール・ガリア特産の蓄熱鋼なの。普通の鉄板の三倍の時間、均一に熱を保つのよ。だから肉の焼きムラが出ない」


「蓄熱鋼……。道具にも魂があるんですね」


 ベルが一瞬きょとんとして、それからにっと笑う。


「あんた、面白い言い方するね。——職人たちと同じこと言う」


 その時。


 隣のテーブルから、ドワーフたちの会話が聞こえてくる。


「——また霧が出てきたらしいぞ」


「マジか。先月は第三坑道の手前までだったのに」


「今度は第二坑道の換気口まで来てるって話だ。赤錆の匂いがすげぇんだと」


 赤錆の霧。


 僕は何食わぬ顔でスープを啜りながら、耳を傾ける。


「例のアレだろ? 谷の奥から出てくるやつ。触った工具が一晩で錆びるって——」


「工具だけじゃねぇよ。坑道の支柱の鉄がボロボロになってきてる。このままじゃ鍛冶場の生命線が——」


「しっ。そういうのは大声で言うな。王が対策を考えてるんだ」


 会話が低くなって、聞き取れなくなる。


「ベルさん」


「ん?」


「今の話——赤錆の霧って、なんですか?」


 ベルの表情がほんの少し曇る。


 鉄板を拭いていた手が止まって、それからまた動き始める。


「ああ、あれね。——谷の奥にさ、昔っからやばい場所があるのよ。『錆骸の機巧谷』って呼ばれてる」


「機巧谷」


「そう。誰も近づかない禁域。入ったら出てこれない、みたいな場所。ドワーフの歴史の中でもずっと封印されてきた。——でもさ」


 ベルが声を落とす。


「最近、そこから赤い霧が漏れ出してきてるの。金属を錆びさせる霧。ドワーフにとって鉄が錆びるってのは——まぁ、人間で言えば畑の土が腐るようなもんだよ。死活問題」


「……なるほど」


「王様も調査隊を出したいみたいなんだけど、谷の中はあまりに危険で。入った偵察隊が半日で帰ってきたんだけどさ……」


「何があったんですか」


「全身の装備が——鎧も剣も、全部錆びて崩れたんだって。中にいたのは半日だけなのに。あの霧に触れると、金属が生きてるみたいに蝕まれていくらしい」


 シオンの箸が止まっている。


 無言で僕の方を見ているのが、糸の振動で分かる。


 ——特異点だ。


 理の糸が崩壊した異常領域。


 有機と無機の融合。


 ここに来た目的が、また一つ、輪郭を持ち始める。


「……そうですか。大変ですね」


「まぁねぇ。でもどうしようもないし。あたしたちにできるのは、美味い飯を作って職人たちの英気を養うことくらいよ!」


 ベルがぱん、と鉄板を叩いて、話題を切り替える。


「それよりさ、あんたたち旅の人でしょ? 宿はもう決めた? この辺だと『銅の寝床ベッドロック』ってとこが安くて綺麗だよ。知り合いのおばちゃんがやっててさ、紹介してあげよっか?」


「本当ですか? ありがたいです」


「あんたたち、しばらくいるの?」


「はい。少し——この街のことをもっと知りたいので」


 ベルがにっと笑って、カウンターの下からメモ用の鉄板(小)を取り出す。


「じゃあ書いてあげる。この街の美味い店リストと、買い出しに便利な市場の場所! あたしに任せてよ!」


「ベルさん、親切すぎませんか」


「旅人に親切にするのは、料理人の基本よ! ——それに」


 ベルが小さな声で付け加える。


「この街、最近ちょっと暗いからさ。霧の話とか、不景気とか。だから——元気な旅人が来てくれると、ちょっと嬉しいのよ、あたしは」




いつもお読みいただきありがとうございます!

看板娘のベルから「錆骸の機巧谷」についての情報を得たノアたち。

次話では、ドワーフの街での数日間を過ごすノア、そしてついに到着する「彼ら」の視点を描きます。


続きが気になる!と思っていただけましたら、ブックマークや下部の☆☆☆☆☆での応援をぜひよろしくお願いいたします!

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