ドール・ガリア到着〜大槌の調律と親子の記憶
「錆骸の機巧谷」編のスタートです!
今回はノア視点。少し西のドワーフ領へ到着したノアですが、そこで奇妙な大槌と出会います。
西の道を歩き続けて、十日。
琥珀氷の村を発った朝はまだ地面に霜が残っていたけれど、それが日を追うごとに乾いた岩肌へと変わり、草が消え、代わりに地の底から微かに熱を帯びた風が吹き上がるようになる。
「……空気が変わりましたね」
「当然でしょう。もうすぐドワーフ領よ」
右肩の上で、シオンが鼻先をひくつかせている。
「硫黄と鉄錆と——あと、石炭の匂い。地の底で何百もの炉が燃えてる匂いだわ」
僕にはまだ匂いは分からない。
けれど、理の糸の振動が変わったのは確かだ。
土の糸が薄くなって、代わりに金属の糸が厚みを増している。
大地そのものが、岩と鉄で編まれた巨大な楽器のように鳴っている。
「ワフッ! お師匠、なんかあったかいッス! 地面がぽかぽかする!」
足元でフクが嬉しそうに尻尾を振っている。
確かに、靴底を通して伝わる地熱が、歩くたびに強くなっていく。
「火山帯の地下に街があるのよ。地熱で鋼を鍛える——ドワーフにとっては理想郷ね」
シオンがそう言い終わるか終わらないかのうちに、前方の岩壁に巨大な影が浮かび上がる。
——いや、影じゃない。
門だ。
理の糸が教えてくれる。
高さ二十メートルはある石造りの門が、切り立った岩壁のど真ん中にぽっかりと口を開けている。
門柱には歯車と槌を象った紋章が彫り込まれ、その一つ一つから微かな魔力が脈打つ。
ドワーフの職人が何百年もかけて彫り上げた、生きた彫刻。
「ここが——」
「ドール・ガリア。地底工房都市」
その名を聞いた瞬間、僕の胸の奥で、かつてルークたちとここを訪れた時の記憶が微かな熱を持って疼く。
目を閉じれば(もっとも、今も閉じたままですが)、かつての騒がしい旅路の断片が昨日のことのように思い出される。
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門をくぐった瞬間、世界が一変する。
外には乾いた岩と風しかなかったのに——。
鍛鉄の音。
歯車の噛み合う重低音。
蒸気の噴き出す甲高い悲鳴。
人の声、怒鳴り声、笑い声、何かが割れる音、何かが叩かれる音。
すべてが同時に、地底の大空洞を満たしている。
「……すごい」
思わず足が止まる。
理の糸の密度が、今まで訪れたどの街とも比べものにならない。
糸が縦横無尽に走り回り、交差し、束になり、複雑な和音を奏でている。
この街全体が、一つの巨大な工房なのだ。
「お師匠! おいら、こんなにいっぱいの音、初めてッス!」
フクが興奮して僕の足元をぐるぐると駆け回る。
温度が上がっている。
フクの体温じゃなくて、街そのものの熱。
空洞の天井には鋳鉄の配管が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、そこから漏れ出す蒸気が薄い霧のように空間を漂う。
壁面には何層にも重なった居住区と工房が鋳込まれるように嵌め込まれて——まるで大地の断面図を剥き出しにしたような、圧倒的な立体構造。
「ノア、足元に気をつけて。石畳に鉄の排水溝が走ってるわ。三歩先、右に段差」
「はい」
シオンのナビゲーションに従って歩く。
杖の先が石畳を叩くたびに、返ってくる反響が金属の混じった硬い音を返してくる。
すれ違うドワーフたちの足音は重い。
体格の割に歩幅が広く、靴底に鋼板でも仕込んでいるのか、一歩ごとにカン、カン、と規則正しい金属音が響く。
「おっ? 人間の旅人かい、珍しいな!」
通りすがりのドワーフが声をかけてくる。
低くて太い、地鳴りのような声。
「歓迎するぜ、兄ちゃん!——って、なんだそのちっこいの。ここらじゃ見ない毛並みだな」
「ワフッ! おいらはフクっていうッス!」
「おお、喋るのか! 面白ぇ! ——暑いだろ、人間にゃ。奥の広場に水汲み場があるから、まずそこで涼んどけ」
ドワーフは豪快に笑い、ガシガシと僕の肩を叩いて去っていく。
……肩が外れるかと思う。
「あら。ドワーフにしては随分と愛想がいいわね」
肩に乗り直したシオンが、意外そうに呟く。
「元々、職人っていうのは陽気なものですよ、シオン」
僕がそう先回りして答えると、彼女は少しだけ呆れたように目を細める。
「……あなた、いつから私の台詞を先取りするようになったの?」
苦笑混じりのシオンの声に、僕は「えへへ」と小さく笑って返す。
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水汲み場で喉を潤してから、宿を探しがてら街の大通りを歩く。
通りの両脇には工房が軒を連ね、鍛冶場の開け放たれた扉から炉の赤い光がこぼれ出している。
——その中の一つから、怒鳴り声。
「駄目だ! また割れた! 何回やっても駄目だ!」
若い声だ。
ドワーフにしては甲高い。
「もう嫌だ……! こんな錆びた鉄屑、こんなもの——!」
何かが地面に叩きつけられる。
重い金属が石畳にぶつかる、鈍い衝撃。
「ノア?」
シオンが僕の表情の変化を察して、声を落とす。
「……聞こえますか、シオン」
「何が?」
「あの音。今、地面に落ちた——あれ、泣いてます」
「泣いてる?」
「鉄が。——あの金属の理の糸が、すごく悲しい音で震えてる」
声のする鍛冶場に近づく。
入口の前で立ち止まると、中にいた若いドワーフが——目が合ったかどうかは分からないけれど——僕の存在に気づいたらしい。
「……なんだよ、人間。見世物じゃねぇぞ」
「すみません。通りすがりです。——あの、今落としたもの、拾ってもいいですか」
「はぁ? あんな錆びたガラクタ、好きにしろよ。もう捨てるんだから」
しゃがんで、石畳の上に転がっている金属の塊に手を伸ばす。
指先が触れた瞬間——。
理の糸が、僕の手のひらに流れ込んでくる。
大槌だ。
錆びてはいるけれど、芯の鋼は生きている。
柄の部分に、何千回と握り締められた手の跡。
一人じゃない。
二人分。
古い手と——若い手。
古い方の手の糸は、もう震えていない。
この世にいないのだ。
「……この槌、お父さんのですか」
若いドワーフの呼吸が止まる。
「——なんで、それを」
「糸が覚えてるんです。この槌を握った人の手の熱が、まだ残ってます。とても温かい人だったんですね」
「……やめろよ」
声が、震えている。
「やめろ……。親父は死んだんだ。この槌で何を叩いても、親父みたいに鳴ってくれねぇんだよ。俺が使うと、どんな鋼も死んだ音しか出さねぇ……魂が宿らねぇんだ……!」
「それは——槌が悪いんじゃないですよ」
錆びた大槌を両手で持ち上げる。
重い。
ドワーフ用だから、僕の腕には少し大きすぎる。
「この子、ずっとあなたのことを待ってたんです。お父さんの手が離れて、寂しくて、錆びてしまっただけで——中の鋼はちゃんと生きてます」
「何言ってんだよ、お前……」
「少し、触らせてもらってもいいですか。——すぐ済みますから」
返事を待たずに——いや、彼が何か言うより先に、もう僕の指が動いていた。
槌の表面を、指先でそっと撫でる。
理の糸を手繰る。
錆に食い込んだ糸を一本ずつほどいて、結び直す。
壊れた振動を正しい音程に戻していく。
父親の手が刻んだリズムの記憶を拾い上げて、それを錆の下に眠る鋼の芯に、もう一度通してやる。
——調律。
数秒。
指を離すと、僕の手の中にあるのは、さっきとは別物の槌だ。
錆は消えていないのに——叩いてみれば分かるだろう。
この槌は今、歌っている。
お父さんの手と、息子の手と、両方の記憶を抱いて。
「……はい。もう大丈夫です」
差し出した槌を、若いドワーフがおそるおそる受け取る。
柄を握った、その瞬間。
「——っ」
声にならない声。
「……何だよ、これ。何だよ——親父の、手の——」
それ以上は、言葉にならなかったらしい。
膝から崩れ落ちて、錆びた大槌を抱きしめて泣いている。
僕は何も言わず、そっと鍛冶場を離れる。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ドワーフの街に到着したノア一行。
次話は、お調子者のフクが大事件(?)を起こします。
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