勇者サイド第8話 新魔王候補を追って
琥珀氷の村で、少年(新魔王)の痕跡を調査する勇者一行。
夕食は、村の食堂で摂ることになった。
時間が動き出してからまだ日が浅く品数は限られていたが、村長の計らいで北国風のクリームシチューが振る舞われた。
「一年ぶりにまともな煮炊きができたもんでね、腕が鳴るよ」
恰幅のいいおかみが、鍋から湯気の立つシチューを盛り分けてくれる。
「おっ、うまそう!」
ガルドが目を輝かせた。
「おじさんにもちょうだーい」
クラウスが皿を差し出す。
おかみがにこにこしながら、人数分の皿にシチューを盛っていく。
「すみません、あともう一——」
ガルドが口を開きかけて、止まった。
もう一皿。
誰に?
四人いる。四人分ある。足りている。
なのに——「もう一皿」と言いかけた。
指先が震えた。
胃の奥から、あの嫌な波がせり上がってくる。
「ガルド君? どしたの?」
「……いや、何でもねぇ。数え間違えた」
ガルドはシチューの皿を手元に引き寄せ、スプーンを握った。
口に運ぶ。
温かい。
美味い。
美味いはずなのに——この味を誰かと分けたいという衝動が、理由もなく込み上げてくる。
「……美味ぇな、これ」
声が震えていた。
誰も、それを指摘しなかった。
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食後。
ルークは一人で村の外れまで歩いてきていた。
街道の分岐点に、小さな道標が立っている。
北と西を示す矢印。
白い髪の少年は、ここから西に向かったと村人が言っていた。
「……西か」
呟いた言葉が、秋の夜風に吸い込まれていく。
報告書の文面が、頭の中で回っている。
『新たなる魔王級の天災が、大陸北部に出現した』。
魔王。
天災。
でも——この村にあったのは、そんなものじゃなかった。
溶けた氷の下から芽吹いた草。
動き出した時計塔。
子供の頭を撫でて、『明日の朝にはお日さまが出ます』と笑った、白い髪の少年。
誰にも名乗らず。
誰にも礼を求めず。
朝が来る前に、消えた。
「……なんでだ」
ルークは右手をぎゅっと握りしめた。
「なんで——名乗らないんだ。なんで、消えるんだ。あんなことをやっておいて——誰にも知られずに行くなんて、そんなの」
胸の奥が、軋む。
怒りじゃない。
悲しみとも違う。
もっと——根源的な何か。
この感情に名前があるはずなのに、思い出せない。
左後ろが、痛い。
振り返れば誰もいないのに、その空白に——白い髪と、閉じた瞳の輪郭が、一瞬だけ浮かんで消えた。
「ルーク君」
背後から、気怠い声がした。
振り返ると、クラウスが道の脇の石垣に腰かけて、欠伸を噛み殺していた。
いつからそこにいたのか分からない。
「……クラウス。いつから——」
「んー? さっきから。おじさんも散歩。年寄りはさぁ、食後に歩かないと太るのよ」
クラウスが石垣をぽんぽんと叩いて、「座る?」と誘った。
ルークは無言で、隣に腰を下ろした。
二人の間に、秋の夜風が通り過ぎていく。
「クラウス」
「ん?」
「……あの少年が使った魔術。セシリアにも読めなかった。おじさんは——何か分かるか?」
「おじさん? 無理無理。おじさんの専門は飲む・食う・寝る。三つ合わせて怠惰学。あの手のマニアックな解析はセシリアちゃんの領分だよ」
「そうか」
「そうそう。——ただまぁ」
クラウスが大きく伸びをして、星を見上げた。
「壊さないように戦える奴ってのはさ、すげぇよ。壊すのは簡単なんだ。守りながら戦うのが一番難しい」
「……」
「おじさんにはできないね。昔から壊す方が得意だったから」
何でもないことのように言って、クラウスは立ち上がった。
「明日、村を発つんだろ? 西に向かうならさ、早く寝な。おじさんはもう少し夜風に当たってくるから」
「ああ。……おやすみ、クラウス」
「おやすみ、大将」
ルークの背中が宿の方へ消えていくのを、クラウスは石垣の上から見送っていた。
色眼鏡の奥の表情は、暗がりに紛れて見えない。
「……参ったねぇ」
ぽつりと、呟いた。
何に「参った」のか——それ以上は、男は何も言わなかった。
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翌朝。
村を発つ前に、ルークは村長に一つだけ尋ねた。
「村長。もう一つだけ教えてください。——あの子は、なぜ塔に行ったのだと思いますか」
村長が少し考えて、答えた。
「分かりません。——ただ」
「ただ?」
「あの子が塔に向かう前にね、うちの孫がしがみついて泣いたのです。怖いよ、塔の化け物が怖いよ、と」
「……」
「あの子は、しゃがんで孫の頭を撫でて、言いました。『大丈夫。明日の朝には、お日さまが出ますから』と」
ルークは、目を閉じた。
一年間凍りついた村を一人で救いに行く少年が、戦いの前に心配したのは——子供が怖がることだった。
「——ルーク」
セシリアの声が、背後から呼んだ。
「馬車の準備ができたわ。——西に向かうのでしょう?」
「ああ。……ああ、行こう」
村の門を出る時、ルークはもう一度だけ時計塔を振り返った。
天蓋が失われた塔の頂上から、秋の空が覗いている。
歯車の音が、規則正しく刻まれていた。
一年ぶりに動き出した時間が、この村に季節を取り戻している。
誰にも名前を告げなかった、白い髪の少年が残した——静かな奇跡の音。
ルークはそれを背中に受けながら、西の道を進み始めた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
勇者たちは少年を追って西へ向かいます。
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