春を告げる太陽の仔(後編)
この春を告げる一撃に、すべてを込めます。
最後までお楽しみください!
ウェンディゴが——悲鳴を上げた。
六つの核を失った骨格が崩壊寸前まで軋み、もはやまともに立つことすらできなくなって、怪物は床にくずおれるように倒れた。
だが——最後の角だけが、禍々しいまでの冷気を放っている。
残った全ての力を角の一点に集中させ、最後の抵抗として周囲の温度を一気に吸い上げ始めた。
吸熱フィールドの、最後の名残。
角を中心に、再び白い霜が床を這い始める。
「ノア、角に近づきすぎないで! あの密度の冷気は触れた瞬間に——」
「分かってます」
どんな初級の術も、どんな上級の組み合わせも——あの角に直接当てたところで、吸熱フィールドに呑まれて消されるだけだ。
恒星圧縮のような規格外の密度がなければ、冷気の壁を突破できない。
でも——もう一度あんな術を紡ぐだけの時間はない。
あいつが角に力を集中し終える前に決めなければ、氷が再生を始めてしまう。
僕は仔狼のたてがみの中に手を埋めたまま、考えた。
この子の体温。
太陽の熱。
あの角が吸い込んでいるのは、周囲の空気の熱だ。
だけど——太陽の熱を、直接叩き込んだら?
「……シオン。一つ、聞いていいですか」
「なに」
「あの角の核の内部構造は、どうなっていますか。氷の層は何重で、一番奥に何がある?」
「……待って」
シオンの瞳が、僕には見えない世界を精査する。
「——七重。氷の層が七重に巻かれてて、中心に本体直結の理の糸が一本だけ残ってる。あの一本がウェンディゴの生命線よ。あれを切れば終わる」
「七重の氷か……なら七重ごと、焼き溶かします」
僕の指が、仔狼のたてがみの奥で——一本の糸に触れた。
仔狼の理の糸。
太陽の属性を宿した、途方もなく熱い一本の糸。
触れた瞬間、手のひらが焼けるような灼熱が腕を駆け上がった。
この子の中に眠っている力の総量が、指先を通して流れ込んでくる——その規模に、息が止まりかけた。
「……シオン。この子の炎を、僕の全属性の糸で増幅して一点に叩き込んだら——七重の氷、突破できますか」
シオンが一瞬、沈黙した。
「……理論上は。太陽の神獣の炎は、氷の吸熱を上回る。七重どころか七十重だって溶かし切れる——ただし、あなたの体がただじゃ済まない」
「分かってます」
「分かってないわよ。あの仔の太陽の力をあなたの体に通すってことは——」
「僕が導管になる、ってことでしょう。大丈夫です。この子の炎は、僕を焼かない」
確信があった。
この子のたてがみに触れている手のひらが、こんなにも温かいのだから。
仔狼が、僕の顔を見上げた。
見えないけれど、分かる——この子の瞳が、まっすぐに僕を見ている。
怖がっていない。
嫌がっていない。
この子は——僕を信じてくれている。
僕は、仔狼の頭をそっと撫でた。
「一緒にやろう。君の太陽で、あの氷を全部溶かす」
仔狼が、吠えた。
短く、力強く、僕の指先を震わせるような咆哮——同時に、全身の炎がぐわっと膨れ上がり、たてがみを握る手のひらに途方もない量の熱が流れ込んできた。
この子が——自分の力の全てを、差し出してくれている。
「ぜんぶ使って」と。
「……ありがとう」
僕は微笑んで、仔狼の背中から降りた。
そして——仔狼の正面に立ち、両手を前に構える。
右手に仔狼の炎から受け取った橙赤の糸の束。
左手に空間中から掻き集めた風と光の糸。
仔狼の太陽の力を、僕の全属性の糸で束ねて、増幅して、一点に集束する。
やることは恒星圧縮と同じだ。
ただし——あの時の触媒は塔に残る僅かな炎の糸だった。
今度の触媒は、太陽の神獣そのもの。
規模が、桁違いに違う。
これは——初級でも、中級でも、上級でもない。
戦略級。
しかも、太陽の仔との合技。
「シオン。あの角の正確な位置を」
「——十二時方角、高さ二メートル。距離八メートル。あの仔の射線上に角がある。今なら直撃コースよ」
「ありがとうございます」
僕は仔狼を見下ろした。
白金の毛並みが黄金の焔に包まれ、小さな体が太陽そのもののように輝いている。
この子の背中の炎のシルエットが——いまは巨大な成獣ではなく、翼を広げた鳳凰のような形に変わっていた。
「……名前、どうしようかな」
「今そんなこと考えてる場合!?」
「大事なことですよ。だって——この子と一緒に放つ、初めての術ですから」
僕は仔狼の頭にそっと手を置いた。
手のひらから炎が逆流するように、仔狼の太陽の力が僕の全身を巡る。
熱い。
だけど痛くない——心臓の鼓動と同じリズムで、炎が脈打っている。
僕の体を通って増幅された太陽の力が、両手の指先に集束していく。
十本の指先が白金色に発光し始めた。
風の糸が炎を加速し、光の糸が方向を定め——すべてが一点に収束する。
指の間で、小さな太陽が生まれた。
直径十センチほどの白金色の光球。
だが、その密度は恒星圧縮を遥かに超えている——太陽の神獣の力そのものが、一粒に凝縮されているのだから。
仔狼が咆哮した。
塔を震わせる、太陽の咆哮。
同時に——僕は両手を突き出した。
「——結い。プロミネンス・ノヴァ」
ゴオオオオォォォ——ッ!!
白金色の光が、弾けた。
僕の指先から放たれたのは、糸でも弾丸でもない——太陽の奔流だった。
直径二メートルを超える白金色の熱線が、塔の空間を一直線に貫いてウェンディゴの角に直撃する。
七重の氷が——。
一層目。
蒸発。
二層目、三層目——触れた瞬間に消し飛ぶ。
「四層目消滅——五層目——もう氷が追いつかない!」
シオンの声が、興奮に震えている。
吸熱フィールドが悲鳴を上げている。
角が必死に周囲の熱を吸い込もうとしているが、太陽の奔流はそれを遥かに上回る速度で熱を叩き込み続けていた。
六層目が砕け散る。
七層目——最後の氷が、白金の光に呑まれて蒸発した。
「——全層突破! 生命線が剥き出しよ!」
光の奔流が、ウェンディゴの最後の生命線を直撃した。
太陽の熱が、狂った弦を焼き尽くす。
ドォン——ッッ!!
角が、根本から爆砕した。
白金色の衝撃波が同心円状に広がり、塔の天蓋を吹き飛ばして——空が見えた。
青い、青い空。
爆風が塔の中の空気を全部入れ替え、一年間凍りついていた世界に、本物の春の風が流れ込んでくる。
ウェンディゴの巨体から、すべての力が抜けていく。
骨格を支えていた残りの氷が一本ずつ蒸発し、巨大な影が——ゆっくりと、崩落していく。
骨が崩れる。
腱が解ける。
かつて永久凍結の怪物だったものが、太陽の光に照らされた古い骨と灰になって——塔の床に、静かに散った。
---
静寂が、戻ってくる。
恐ろしい静寂ではない。
凍りついた沈黙でもない。
穏やかで、温かい、世界が正しく呼吸している時の——本来の静寂だ。
吹き飛んだ天蓋の跡から、風が入ってくる。
湿った土と遠くの花の匂いがして、この塔の外はもう春なのだと気づかされた。
一年前から止まっていた時間が、ようやく動き出そうとしている。
「……終わった、の?」
シオンが、僕の肩の上で呟いた。
声に、まだ信じられないという色が滲んでいる。
「終わりましたよ」
「……あなたが言うと、なんか逆に不安になるわね」
「ひどくないですか?」
仔狼が、僕の膝にぐいっと頭を押しつけてきた。
白金の毛並みが炎を収めて、ふわふわの柔らかさに戻っている。
さっきまで七重の氷を焼き尽くす太陽の力を惜しみなく僕に預けてくれていた神獣の仔が、今は膝にじゃれついて尾をぱたぱた振っている——その落差がなんだかおかしくて、僕は思わず笑ってしまった。
「よく頑張ったね」
頭を撫でると、仔狼は嬉しそうに目を細めて、くぅん、と甘えた声を出した。
温かい。
この手のひらの下で鳴っている小さな心臓が、とても温かい。
「……ちょっと」
シオンの声に、棘が混じった。
「何をいちゃいちゃしてるのよ。まだ調律が残ってるでしょうが」
「あ、そうでしたね」
「『そうでしたね』じゃないわよ。特異点の核は壊したけど、塔の時計機構そのものはまだ止まったまま。これをほどかないと村の時間は——」
「分かってますよ、分かってます」
仔狼を抱き上げようとしたら、シオンの尻尾がぴしゃりと僕の首を叩いた。
「なんで抱くのよ。降ろしなさい。自分で歩けるでしょう、あの仔は」
「いや、だって、この子まだ疲れてるかもしれないし——」
「あなたの方がよっぽど疲れてるわよ。手、震えてるじゃない」
「……ばれました?」
「最初からよ」
シオンが溜息をつく。
でも尻尾は、僕の首筋にそっと巻きついたままだった。
温かい。
この子も、温かい。
仔狼が僕の足元にとことこと寄り添って、鼻先を僕の手にこすりつけてくる。
左肩に黒猫。
右足に仔狼。
二つの体温に挟まれて、僕は——指がまだ震えていることも、足が凍傷で痺れていることも、全部忘れてしまいそうだった。
「……さあ、時計を直しましょうか」
塔の上に、風が吹いている。
もうすぐ——この村にも、春が来る。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
これにて第2章クライマックスの決戦、完結です。
精密な「調律」を得意とするノアが、相棒となった太陽の仔と共に放った全力全開の「プロミネンス・ノヴァ」。
彼らの旅はここから、一気に加速していきます。
次話からは、村の時間の復旧、そして太陽の仔への「命名」イベントなどが待っております。
引き続き、ノアたちの物語を見守っていただければ幸いです。
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