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世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第2章 琥珀氷の黄昏郷

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僕は戦います。——盲目の調律師、初めての「実力行使」

 琥珀氷の塔、その最上階での決戦が始まります。

 普段は戦いを避けるノアが、大切な「仔」を救うために自ら戦うことを選びました。

 彼がかつての旅で仲間と共に編み出した、真実の魔力の片鱗をご覧ください。

 怪物が、立ち上がる。


 骨と骨が擦れ合う不快な軋みが、塔の天蓋まで響いて反射する。


 床に散った骨の破片が、カタカタと震える。


 空気の温度が、一段階、落ちる。


 僕の吐く息が凍って、パリパリと唇の上で砕ける音がする。


「ノア、起きたわ。——ウェンディゴの全身から冷気の糸が膨張してる。あれは威嚇じゃない、体温を感知して反応する自動防衛よ。あなたの体温に反応してる」


 シオンの声が、右耳のすぐ横で響く。


 いつもの精密な空間情報——でも今日は、声の奥に別の音が混じっている。


 怒り。


 この子の声に、怒りがある。


「範囲は?」


「塔の最上階全域、半径およそ二十メートル。逃げ場はないわ、出口は今あなたが登ってきた階段一つだけ。——その階段も、もう凍りついて塞がった」


 背後を確認するまでもない。


 足裏から伝わる理の糸の反響で分かる。


 螺旋階段が、氷の壁に呑まれた。


 閉じ込められた。


「……困りましたねぇ」


 困った、と口では言ってみたけれど。


 正直なところ、困ってはいない。


 もともと逃げるつもりはなかったから。


「シオン。ひとつ、聞いていいですか」


「なに」


「あの怪物——ウェンディゴの中にいる仔の周りの理の糸、どうなっていますか。ほどけそうですか」


 沈黙。


 シオンが瞳を凝らしているのが分かる。


 肩の上の小さな爪が、ローブの布地に食い込む。


「——無理ね」


 短く、断言。


「あの仔を囲んでる氷の檻は、ウェンディゴの生命活動そのものと一体化してる。怪物が生きている限り、氷は溶けない。糸をほどこうにも——あの密度じゃ、指を差し入れた瞬間に凍りつくわ。あなたの指が」


 なるほど。


 やっぱり、そうか。


「つまり、まずこの怪物を弱らせないと、あの仔を解放する糸に触れることすらできない、と」


「そういうことよ」


「調律じゃなく、戦闘が必要ですね」


「……ノア?」


 シオンの声に、かすかな戸惑いが滲んだ。


 当然だろう。


 僕はいつも、戦わない。


 糸をほどく。綻びを繕う。世界を元に戻す。


 それが僕のやり方で——それしかやらないと、シオンは思っている。


 でも今日は、違う。


「シオン。これから僕は、戦います」


 ゆっくりと、はっきりと。


「あの怪物を弱らせて——あの仔を、取り返します」


 肩の上で、シオンの体が一瞬だけ強張った。


 それから——小さく、本当に小さく、喉を鳴らすような音。


「……ふうん」


 声が低い。


 でも嫌な低さじゃない。


 嬉しいのを隠しているときの、シオンの声。


「あなたが自分から『戦う』って言うの、初めてよ」


「そうですか?」


「そうよ。——いつも糸をほどいてばっかりで、殴りたいとか壊したいとか、一度も言わなかった。あなたは」


 うーん、と僕は首を傾げる。


 殴りたいとか壊したいとか、そういう気持ちとはちょっと違うのだけれど。


 ただ——。


 あの声が聞こえる。


 肋骨の奥で震えている、小さな小さな命の声。


 『……さむい……さむいよ……』


 あの声を聞いて、僕の指がいつも通りに動いてくれそうにないから。


「怒ってないですよ」


「嘘ね」


「嘘じゃないですよ」


「嘘よ。——あなたの指先、震えてるもの」


 ……ばれてた。


「まあいいわ。嘘つきのあなたに、付き合ってあげる」


 シオンの尻尾が、僕の首にきゅっと巻きつく。


 温かい。


 この子がそばにいてくれるだけで、僕はなんでもできる気がする。


「——全方位、ナビゲート開始。距離十二メートル。正面。ウェンディゴが前脚を持ち上げた——来るわ!」


---



 叩きつけられる。


 床が爆ぜた。


 ウェンディゴの前脚が地面に打ち下ろされた衝撃が、骨の破片と氷の粉塵を四方八方に吹き飛ばす。


 直撃はしていない。


 右に三歩——シオンの声に従って跳んだから。


 左に三歩。


 でも衝撃波だけで体が浮いた。


 背中から壁に叩きつけられる。


「——っ!」


 痛い。


 肺の中の空気が全部出ていく。


 でも——折れてはいない。


 頭を振って、立ち上がる。


「ノア! 無事!?」


「はい……ちょっと背中をぶつけましたけど」


「ちょっとじゃないでしょう! 三メートルは飛ばされたわよ!」


 三メートルか。


 思ったよりは飛んだ。


「次、来るわ。右前脚。——左に二歩、しゃがんで!」


 言われた通りに体を沈める。


 頭の上を、骨と氷でできた巨大な爪が通過する。


 風圧で髪が全部後ろに靡く。


 冷たい。当たったら死ぬ。


 当たらなければ、どうということはない。


「シオン、この怪物の攻撃パターンは?」


「単調よ。前脚の叩きつけと横薙ぎの尾、それと口からの冷気のブレス。間隔は——脚が約三秒、尾は不規則、ブレスは溜めてから吐くまで約五秒」


「五秒あれば——十分です」


 僕は両手を広げる。


 指先が、凍てつく空気の中を泳ぐ。


 理の糸に、触れる。


 ——この場に漂うマナの密度は、尋常じゃない。


 特異点の中心だ。


 歪んで、絡まって、暴走しているけれど——糸の「量」だけなら、これまで訪れたどの場所よりも濃い。


 十分すぎる。


 この量があれば——あの頃の魔術が使える。


「……久しぶりですねぇ、この手順」


 独り言のように呟く。


 右手の指先で、空気中の「雷の糸」を一本、摘まむ。


 ぴん、と張る。


 もう色は見えないけれど、感触は覚えている。


 鋭くて、痺れる。髪の毛より細いくせに、触った瞬間に指先がびりびりする、荒くれ者みたいな糸。


 昔、ルークの雷属性の聖剣「アスカロン」に力を込めてあげたとき——この糸をたくさん束ねて、刃に編み込んだ。


「ルーク、左手で柄頭を押さえて。揺りますよ、かなり」


「お、おう! なんだこれ、ビリビリする! ノア、俺の剣が怒ってるのか!?」


「怒ってないですよぉ。喜んでるんです、きっと」


 ——そんな会話をしたのは、何年前だったか。


 今この手に、聖剣はない。


 でも、糸はある。


「……シオン。五秒、ください」


「あげるわ。——ブレスが来る、今!」


 ウェンディゴが、顎を開く。


 空気中の水分が一瞬で白い結晶となって渦を巻き——極北の吹雪を凝縮したようなブレスが放たれる。


 でも、もう遅い。


 僕の右手には、百本を超える「雷の糸」が束ねられている。


 左手で、もう一つ——「闇の糸」を撚り合わせる。


 闇。


 光の反転。


 普通の魔術師は、闇の糸には触れない。


 触れた瞬間に自分の魔力ごと飲み込まれるから。


 僕の指は、飲み込まれない。


 理由はよく分からないけれど、昔から、そうだった。


 ルークには「お前の指はバグだ」と笑われた。


 雷の糸と、闇の糸。


 二つを、一本に撚り合わせる。


 ぎちり、と。


 歯車が噛み合うような、小さな音。


 ——い。


 リンッ。


 鈴の音が一つ、静寂を切り裂いた。




 

 ついにノアが「戦闘」を開始しました。

 勇者パーティの剣を支えていた彼の指先が、今度は直接雷を編み、怪物を貫きます。

 しかし、敵もまた特異点の番人。これだけで終わるはずもなく……。

 続きは次のエピソード、「熱の略奪者」をお待ちください!

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