飢えた怪物に、「太陽」を
放たれた黒雷が怪物を穿ちますが、そこからが絶望の始まりでした。
体温さえも吸い尽くす「吸熱フィールド」に対し、ノアが繰り出した前代未聞の「逆転撃」をお楽しみください。
世界が——黒く、光った。
矛盾した表現だと思うけれど、それ以外に言いようがない。
僕の指先から放たれた雷は——黒かった。
闇を纏った稲妻。
漆黒の光を帯びた一条の雷撃が、冷気のブレスを正面から貫いた。
ブレスが——裂けた。
白い冷気の奔流が左右に割れ、その裂け目を黒い雷が一直線に駆け抜けていく。
ウェンディゴの胸に、着弾。
骨でできた装甲が砕ける轟音。
氷の破片が四散する。
「——ギィッ!!」
怪物が、初めて苦痛の声を上げた。
「直撃、胸部の氷甲が一部崩壊。——でもまだ浅いわ、あの仔の檻まで届いてない」
シオンの声は冷静だ。
分かってる。
一撃で終わるような相手じゃない。
何しろ一年間、太陽の神獣の熱を吸い続けてきた怪物だ。
溜め込んだエネルギーの総量が、桁違いなのだ。
「次いきますね」
「——来るわ、怒ったみたい。前脚、同時叩きつけ!」
ウェンディゴの両前脚が同時に振り上げられる。
さっきの単発とは比べものにならない殺意。
——でも。
「左に一歩、半身。——そこで止まって」
シオンの声に従う。
一歩だけ左に。
ウェンディゴの左前脚が、僕の右肩を掠める距離で地面を砕く。
右前脚は——三十センチ先の床を粉砕している。
当たっていない。
シオンのナビゲートは、ミリ単位で僕を生かしている。
「ありがとうございます、シオン」
「お礼は後! ——今、両脚が地面にめり込んで引き抜けてない。三秒ある!」
三秒。
僕には、それで十分。
今度は左手。
空気中の「炎の糸」を、掻き集める。
この空間は異常なほど冷たいいけれど、冷たいということは、熱が移動した痕跡があるということだ。
ウェンディゴに吸われ、空間に放出された後の余熱。
移動中の熱を、横取りする。
指先に、じわりと温度が灯る。
一本。
三本。
十本。
百本——。
集めた炎の糸を、右手で螺旋状に撚り合わせる。
圧縮して。
さらに、圧縮して。
もう一息——。
——結い。
リンッ。
二度目の鈴の音。
今度は——熱かった。
僕の指先から生まれた炎は、竜巻の形をしていた。
渦を巻きながら天蓋に向かって立ち昇り、時計塔の最上階を丸ごと朱金の光で満たす。
炎の嵐。
塔の壁に張りついていた氷が、蒸発する悲鳴を上げて溶けていく。
「——ギャアアアアアアッ!!」
怪物が暴れる。
尾が横薙ぎに振られ——僕は頭を下げてやり過ごし——次の瞬間にはもう、三本目の糸に手を伸ばしていた。
雷。
炎。
次は——。
「ノア、ウェンディゴが後退してる、一四メートル。胸部の氷甲がさらに剥離してきた——あの仔の檻が、少しだけ見え始めてるわ」
シオンの声に、期待が混じる。
もう少し。
もう少しだ。
「……あの頃は、こういう戦い方、あんまり好きじゃなかったんですけどねぇ」
ルークたちがいた頃、僕の仕事は後方で糸をほどくことだった。
ガルドさんが盾で守ってくれて、セシリアが聖歌を歌って。
ルークが前に出て斬り込んで。
僕はその裏で、静かに、敵の弱点を見つけてほどくだけ。
派手な攻撃は必要なかった。
三人が、いたから。
「でも今は——こうするしかないみたいです」
右手に「風」。
左手に「雷」。
これは、かつて魔王との決戦でルークの聖剣に纏わせた術。
黒い雷を風の刃で加速させて、音すら置き去りにする一閃。
ルークが「お前の指先で俺の剣が化け物になるな」と苦笑いしていた魔術。
剣があろうとなかろうと、やることは同じだ。
「シオン、位置」
「正面一二メートル、胸部。——あの仔の檻の三メートル右上に装甲の亀裂がある、そこを狙って」
「了解」
——結い。
リンッ。
三度目の鈴の音は、今までで一番、澄んでいた。
風の刃に乗せた黒雷が——空気を切り裂いて、亀裂に吸い込まれていく。
着弾の衝撃で、ウェンディゴの体が大きく仰け反った。
骨でできた肋骨の一部が吹き飛び——中から、琥珀色の光が漏れ出す。
「——見えたわ!」
シオンの声が跳ねた。
「あの仔よ! 氷の檻の中で丸くなってる! まだ——まだ息がある!」
生きてる。
よかった。
僕の口元が緩む。
あと少しで——。
「——っ! ノア、下がって!!」
シオンが叫ぶ。
ウェンディゴの体内の糸が——変質した。
今まで「冷気を吐き出す」だけだった回路が、逆転し——周囲の熱を吸い込み始める。
僕の体温さえ。
「ノア! あいつ今まで防御に回してた力を全部解放してる——吸熱フィールドよ! このままじゃあなたの体温が——!」
温度が、落ちていく。
指先から、つま先から。
じわじわと、確実に。
呼吸が、白い。
意識の端が、うっすらと暗くなっていく。
寒い。
寒い。
これは——まずい。
このフィールドの中では、指が動かなくなれば終わる。
肩の上で、シオンの体も震えている。
「ノア……」
「……大丈夫ですよ」
声が掠れていた。
唇が上手く動かない。
でも。
ウェンディゴの胸の奥から——まだ、あの声が聞こえている。
『……さむい……だれか……』
あの子は、僕よりずっと長い間、この寒さの中にいたのだ。
それに比べたら、僕の寒さなんて。
僕は、凍えかけた右手を——もう一度、持ち上げる。
「……シオン」
「——なに」
「一つ、試したいことがあります。この怪物が吸い込んでいるのは『熱』です」
「それは見れば分かるわ」
「なら——『吸い込ませて』あげたら、どうなると思います?」
シオンが、息を呑んだ。
「ノア、あなた——まさか」
「限界を超える量の熱を、一気に流し込む。器の容量を超えれば——あふれる」
僕は笑う。
凍えた唇で、無理やりに。
「ちょうどいい熱源が、あそこにいるじゃないですか」
太陽の仔の熱を解放して、怪物に逆流させる。
檻の中の太陽を、爆発させる。
それはあの子を救う手段であり——同時に、この怪物を内側から打ち砕く一手。
問題はあと何秒、この凍えた指先が動いてくれるか。
「……もう少しだけ」
僕は、最後の糸を、紡ぎ始めていた。
極限まで体温を奪われ、絶体絶命の窮地。
そんな中で現れる、ノアの「規格外の解決策」。
あの子を助けるための情熱が、冷え切った塔を一気に灼熱へと変える、逆転の瞬間を描いていきたいと思います。




