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世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第2章 琥珀氷の黄昏郷

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「その琥珀、あの子の血ですよ」——静かに怒る少年と、凍てつく神獣の悲鳴

螺旋階段を登りきった先で待っていたのは、骨が敷き詰められた死の空間でした。 そして、怪物の肋骨(檻)の中に囚われていた、小さな、小さすぎる命。 この村を潤してきた「黄金」の正体に触れたとき、ノアの指先が微かに震えます。

 


 時計塔の扉を開けた瞬間、世界が変わる。


 外とは比べものにならない冷気が、壁のような圧力で全身に叩きつけられた。


 息を吸うと、肺の奥が焼ける。


 冷たすぎて、逆に熱い。


「——っ」


 思わず口元を袖で覆う。


 シオンの尻尾が、僕の首筋にぎゅっと巻きつく。


 彼女の小さな体も震えている。


 この場所は、異常だ。


 外の森が

「凍りついた世界」

 なら、ここは

「凍りつくことすら許されない世界」



 理の糸が、もう糸の形をしていない。


 ぐちゃぐちゃに絡まった末に硬化し、結晶化し、空間そのものと一体化して——もはやほどくとかほどかないとか、そういう次元の話ではなくなっている。


「……足元, 注意して。石段よ。螺旋階段状に上がっていく。幅は二人分。手すりは右側。全部凍りついてるから素手で触らないこと」


 シオンの声が、耳元で精密に空間を描写してくれる。


 僕は右手を壁に添えて、一段、また一段と上がっていく。


 靴底が石段を踏むたびに、キン、キン、と高い金属音がする。


 石ではない。

 氷だ。

 石段ごと凍りついて、叩けば鐘のように鳴る。


 上がるにつれて、あの声が大きくなる。


 『……さむい……さむい……もうやだ……ママ、どこ……?』


 近い。

 すぐそこにいる。




 螺旋階段を登りきると、広い空間に出る。


 足元の感触が変わる。


 石畳でもなく、氷でもない。


 何か——有機的な、ざらざらした表面。


 骨だ。

 動物の骨。

 大小さまざまな骨が、床一面に散乱している。


 触れた瞬間に指先に伝わる情報で分かる。


 鹿。

 熊。

 鳥。


 この森にいたであろう、あらゆる生き物の骨が——。


 全部、白い。


 色は見えないけれど、理の糸を通じて分かる。


 これらの骨からは、一切の「熱の糸」が残っていない。


 最後の一筋まで、完全に吸い尽くされている。


「……食べたんじゃない。吸い取られたのよ」


 シオンが低く言う。


「この部屋の中心に、何かいるわ。——ノア、あなたにも分かるでしょう」


 分かっている。


 部屋の中央。

 天井に届くほどの高さに、巨大な「何か」がいる。


 理の糸の反響で、おぼろげな輪郭が頭の中に浮かぶ。


 四本の脚。

 痩せ細った、異様に長い手足。

 背中は曲がり、肋骨のような突起が何本も飛び出している。

 頭部は鹿のような角が生え——口元からは、霧のように冷気が漏れ出している。


 エターナル・ウェンディゴ。

 特異点の番人。

 永久凍てつく琥珀の屍獣。


 そいつは、今は動いていない。


 眠っているのか。

 それとも、動く必要がないほどに、正確に。

 ゆっくりと——何かを喰い続けているのか。


「シオン。あの怪物の胸の辺りに、何がありますか」


「……待って」


 沈黙。


 シオンが答えるまでに、いつもより長い間が空く。


「——いるわ」


 その声が、微かに震えていた。

 シオンの声が震えるのを、僕は初めて聞いたかもしれない。


「ウェンディゴの肋骨の奥、氷の檻になってる。その中に——小さな獣。仔の狼よ、白金の……毛並みの」


 僕の心臓が、跳ねる。


「……生きてますか」


「……息はある、でも弱い。すごく弱い。——ノア、あの仔は」


 シオンが言い淀む。

 言い淀んでから、搾り出すように続ける。


「あの仔は、ただの仔狼じゃないわ。体から漏れ出してる熱の糸の密度が異常すぎる。太陽の属性。しかも純度が——ありえないほど高い。これは……神獣の仔よ」


 神獣。

 世界の理そのものが形を取った、自然の化身。


「……あの仔が泣いていたんですねずっと」


 『……さむいよぉ……くらい……だれか……だれかたすけて……』


 声が、こんなに近いのに。

 こんなに弱い。


「シオン、もう少し詳しく教えてください。あのウェンディゴは、あの仔に何をしているんですか」


「……吸ってるのよ、あの仔の熱を。太陽の神獣は途方もない熱を生み出す存在。ウェンディゴはそれを永遠に吸い続けて、それを冷気に変換し続けてる。あの仔は——」


 シオンの声が、怒りで軋む。


「——生きた燃料よ。あの怪物のための、永久に尽きない、生きた薪」


 僕は黙る。


 黙ったまま、ゆっくりと、息を吐く。


 長い、長い息。

 肺の中の空気がぜんぶ出ていくまで、吐き続ける。


 そして——。


「……シオン」


「なに」


「この村の氷が、琥珀色だった理由が、分かりました」


 声は穏やかだ。

 いつも通りの、おっとりした僕の声。

 でも指先だけが、微かに——本当に微かに、震えている。


「あの美しい『夕日の琥珀イブニング・アンバー』は」


 言葉を選ぶ。

 丁寧に。

 正確に。


「太陽の仔の命が、絶望の中で氷に溶け出した色でした」


 静寂。


「ボーデンさんが村人に掘らせて、貴族に売りつけていたあの美しい琥珀氷は——」


 僕の声が、ほんの少しだけ低くなる。


「——この子の、血の色です」


 肩の上で、シオンの身体が硬直する。


「……あなた」


「怒ってないですよ」


 嘘だ。

 嘘をついている自覚がある。


「怒ってなんかいません。ただ——」


 僕は両手を持ち上げる。

 指先が、凍てつく空気の中で、理の糸に触れる。


 ウェンディゴの体を構成している、途方もない量の絡まった糸。

 その奥に——一年間泣き続けた、小さな小さな命の響き。


「——ただ、この子を返してもらうだけです」


 ウェンディゴの首がゆっくりと持ち上がる気配。

 骨の軋む音。

 凍てつく息が、僕に向かって吹きかけられる。


 ——威嚇。


 だが、もう遅い。

 僕の手はもう、糸に触れている。


「シオン」


「——全方位ナビゲート、開始。

 やりなさい、ノア」


 僕は静かに笑って、一歩を踏み出す。


 時計塔の最上階で、怪物が咆哮を上げる。

 空気が凍りつき、壁が砕け、床の骨が弾け飛ぶ。


 でも僕の指先は、揺るがない。

 だって——。


 あの子の声が、聞こえているから。


 『……たすけて……』


 ——聞こえてますよ。

 もう少しだけ、待っていてください。


太陽の仔の命が、絶望の中で溶け出した色。 それを知りながら利用していた者たちへの、言葉にならない感情。 「怒ってないですよ」——嘘をつきながら、ノアは静かに一歩を踏み出します。 次回、特異点の番人ウェンディゴとの決戦。熱を奪う怪物に、ノアが「本来のちから」を突きつけます。

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