表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第2章 琥珀氷の黄昏郷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/57

「……たすけて……さむいよぉ……」——一年間泣き続けていた幼い魂。僕は、この子を救いたい

ついに辿り着いた、特異点の核——時計塔。 そこは、理の糸が結晶化し、空間そのものと一体化してしまった極限の静止世界。 そして塔の奥から聞こえてくるのは、もはや振動ではなく、幼い魂の「叫び」でした。

時計塔が近い。


 空気の温度が、もう一段階落ちている。


 吐く息の音すら凍りつきそうなほどの冷気。


 糸の硬直がますます酷くなり、指先の感覚が鈍り始めている。


 そして——前方から、地鳴りのような振動が伝わってくる。


「……来たわ。大物よ」


 シオンの声が鋭く変わる。


「正面。距離四十。高さ推定六メートル超。四足歩行、体表は全面琥珀氷。——ただの傀儡じゃない。特異点の核に最も近い場所で一年間汚染され続けた個体。もう元の生物の原型を留めてないわ」


「……番犬、ですかね」


「番犬にしちゃ、でかすぎるわね」


 ズ、と。


 空気が揺れる。


 地面が震えている。


 こちらに向かって、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる重い足音。


 一歩ごとに氷が軋み、木々が裂ける音がする。


 さっきまでの獣たちとは、格が違う。


 この「もの」の全身を覆っている琥珀氷は、ただの氷ではない。


 理の糸が何百層にも重なって硬化した、分厚い鎧だ。


 正面から壊すのは効率が悪い。


「シオン。その子の体で、一番糸が薄い場所はどこですか」


「……待って。見る」


 肩の上で、シオンの身体が微かに緊張する。


 猫の瞳が特異点内部の魔力の流れを読んでいるのだろう。


「——後頭部。首の付け根のすぐ上。氷の結晶が一箇所だけ歪んでて、わずかに隙間がある。そこだけ糸の層が三枚分薄い」


「三枚分。十分です」


 僕は杖を地面に突き立て、両手を空ける。


 ——来い。


 巨大な足音が加速する。


 突進。


 地面ごと砕きながら真っ直ぐに駆けてくる質量の暴力。


 空気が裂ける音。


「距離三十……二十……十……ノア!」


「はい」


 僕はその場にしゃがみ込む。


 頭上すれすれを、岩のような何かが通り過ぎていく。


 風圧で髪が激しく煽られ、琥珀氷の冷気が頬を灼くように撫でる。


 ——でかい。本当にでかい。


 通り過ぎる刹那。


 左手を真上に伸ばす。


 指先が、巨大な体の底面を掠める。


 その一瞬で——三本の糸を、後頭部の隙間へ向けて投げ入れた。


「——第一弦から第三弦、通過。接続完了」


 つまり、もう終わっている。


 三本の糸は、僕の指先と「巨体の中の核」を直接繋いでいる。


 あとは弾くだけ。


 背後で、巨体が地面を抉りながら急停止する音。


 振り返ってくる気配。


「……ちなみにシオン」


「なに、こんな時に」


「この子が持ってる糸の構成って、さっきの獣たちと同じですか?」


「……元は狼ね。体長一メートル半くらいの、普通の森の狼。それが一年かけてこうなった」


「狼、ですか」


 ふぅ、と息を吐く。


「じゃあ痛くないようにしてあげないと」


 再び突進が来る。


 地面が割れる振動。


 もう距離は十五もない。


 僕は立ち上がり、繋いだ三本の糸を——そっと弾いた。


 タ、リン。


 澄んだ音が一つ、森に響く。


 それは音であって、音ではない。


 核へ向かって走った振動が、琥珀氷の中で絡まりに絡まった何百層もの糸を、一瞬で正しい形に巻き戻していく。


 氷が解けるのとは違う。


 狂った弦を、正しい音程に戻しただけ。


 調律。


 パァン、と。


 乾いた破裂音が響いて——あとは、サラサラと雪が降る音だけになる。


「……」


 シオンが何も言わない。


 静寂の中に、どすん、と重いものが地面に倒れる音。


 そして——小さな、か細い呼吸音。


 生きている。


 六メートルの琥珀氷の鎧の中から出てきたのは、おそらくシオンが言った通りの、普通の森の狼なのだろう。


 一年分の飢えと脱水で意識はないけれど、呼吸は安定している。


「……あなたって本当に」


 シオンの声が呆れを通り越して、何か別の感情を含んでいる。


「殺さないのね。絶対に」


「殺す理由がないですから」


 当たり前のことを言っただけなのに、シオンの尻尾がぎゅっと首に巻きついて、すぐに緩んだ。


---




 森が開ける。


 足元の感触が変わり、石畳のような硬さが靴底に伝わる。


 広場だ。


 そしてその正面に——。


 巨大な構造物の気配。


 理の糸が、目の前で渦を巻いている。


 凄まじい密度で絡まり合い、硬直し、そこだけ世界が完全に停止している。


 時計塔。


 特異点の、核。


 そして——あの声が、ここで一番強く響いている。


『……たすけて……さむいよぉ……だれか……だれかぁ……』


 もはや振動ではなく、叫びだ。


 幼い魂が、一年間ずっと泣き続けている悲鳴が、理の糸を通じて僕の全身を貫く。


 指先が震える。


 怒りではない。


 悲しみでもない。


 もっと単純で、もっと原始的な衝動。


 ——この子を、助けたい。


「ノア。あなた今、怖い顔してるわよ」


「怖い顔なんてしてませんよ。見えないんですから、自分では分かりませんけど」


「……分かるわよ。空気で」


 シオンが小さく息を吐く。


「行くんでしょう」


「行きます」


「止めても無駄なんでしょう」


「無駄ですね」


「……ったく」


 肩の上で、小さな猫が姿勢を正す気配。


 戦闘態勢。


「——おうかがいを立てた私がバカだったわ。さっさと行きなさい」


 僕は頷いて、凍りついた時計塔の扉へ向かって歩き出す。


 扉に手をかける。


 氷のように冷たい——いや、氷そのものだ。


 指先が張りつきそうになる。


 扉の向こうで、誰かが泣いている。


 一年間、ずっと。


 一人で。


 ——待っていてください。


 今、行きますから。


扉の向こうで震える、見知らぬ誰か。 扉に触れた指先が凍りつきそうになっても、ノアの決意は揺るぎません。 「——待っていてください。今、行きますから」 次回、琥珀色の美しさに隠された、この村のあまりにも残酷な真実が明らかになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ