表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第2章 琥珀氷の黄昏郷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/57

永遠に傾かない夕陽。三時間歩いても太陽が動かない「止まった村」

到着したのは、琥珀色の氷に埋もれた廃村……と思いきや、そこには確かに人々の営みがありました。

 最初に分かったのは、太陽。


 いや、正確には——太陽の「動かなさ」だ。


 北の山道を登り始めて、もう何時間経っただろう。


 足を止めずに歩き続けているのに、空の「温度」が変わらない。


 風は吹いている。虫の声も聞こえる。草が揺れる音も、土の匂いもある。


 でも、「時間」だけが——進んでいない。


「シオン、僕たち、どのくらい歩きました?」


「三時間は歩いてるわ。……でも、太陽が動いてないの。さっきからずっと、同じ角度のまま」


 三時間。


 その間——太陽は一度も傾いていない。


 ……似ている。


 逆樹海で水竜を止めた時の、あの「アブソリュート・ゼロ」の感覚に。


 でも、違う。


 あの時は、すべてが完全に「静止」していた。対象の時間の糸を、僕が一本残らず正確に止めたからだ。言ってみれば整理された静寂。


 ここは——もっと乱雑だ。


 止まっているのではなく、時間の糸同士が複雑に絡まり合って、動けなくなっている。毛糸玉が雨に濡れて固まったみたいに、ぐちゃぐちゃに。


 だから太陽が動かない。時間が前に進めないから、太陽も前に進めないのだ。


「……シオン」


「分かってるわ。もうすぐよ」


 シオンが僕の腕を引く速度が、わずかに緩む。


 慎重に。


 まるで足元が急に変わるのを予期しているように。


 次の一歩を踏み出した瞬間——地面が変わる。


 土の感触が消えて、つるつるした硬い何かに変わる。


 氷だ。


 でも、ただの氷じゃない。


 足裏に伝わる感触が、普通の氷よりずっと厚くて、硬くて、深い。


 地面ごと、この場所の時間が凍りついているような感触。


「……ノア」


 シオンの声が、いつもより低い。


「目の前に、村の門がある。木製の門なんだけど——氷に埋まってる。半分くらい」


「半分、ですか」


「一年前から止まっているんでしょう。少しずつ、氷が成長して……」


 シオンの言葉が、途中で止まる。


 何かを見ている気配。


 長い沈黙。


「……きれいよ」


 最後に、ぽつりとそれだけ。


 シオンが「きれい」と言うのは珍しい。


 めったに言わない言葉だ。


「どんな感じですか?」


「……夕陽ね。真っ赤な夕陽が、空の半分を焼いているの。でも動いていない。完全に止まっている。そしてその光を受けた氷が——ただの氷じゃない。琥珀よ。蜜のように濃い、深い黄金色の琥珀。……不思議ね、こんなにきれいなのに、この色はどこから来ているのかしら」


 僕はゆっくりと手を伸ばす。


 シオンに誘導してもらいながら、氷の表面に指先を触れる。


 冷たい。


 でも普通の冷たさじゃない。


 理の糸が、この中でぐちゃぐちゃに絡まっている。


 時間を動かすための糸と、熱を伝えるための糸と、光を運ぶための糸。


 それらが互いに絡み合って、がんじがらめになっている。だから時間が「止まっている」のではなく、時間が「動けなくなっている」。


「星の綻びの核が、ここにあるんですね」


「ええ。……深い場所に。村の中心部、たぶん塔か何かの、一番高い場所に」


「時計塔かな」


「……そうかもしれないわね」


 僕は氷の表面から手を離した。


 絡まった糸の重さが、指先に残る。


 一年間。


 この村の人たちは、一年間、この夕陽の中で暮らしてきたのだ。


「入れますか?」


「……村の門には、氷の隙間があるわ。少し狭いけど、通れる」


「じゃあ行きましょう」


「その前に」


 シオンの足が止まる。


「理の糸に触らないで。絡まり方がまだ分かってない。下手にほどくと、もっと固く結ばれるわ」


「はい」


「私がいいと言うまで、危険なことをしない」


「はい」


「いい、私の指示があるまで、むやみに糸をいじろうとしないこと」


「……それもはい」


 シオンが深く息を吐く。


「……行くわよ」


 僕たちは、止まった夕陽の中へと足を踏み入れる。


 足元の氷が、静かに、静かに軋む。


 村の中は、不思議な場所だ。


 声は届く。足音も聞こえる。空気は動いているし、風も吹く。


 でも、空の太陽だけが、まるで張り付けられた絵画のように動かない。永遠の夕暮れ。時間が「絡まって」、前に進めなくなっている。


 そして——においがした。


「ノア」


「分かります。人の匂いがする。ご飯の匂いも」


「生活してるのよ、ちゃんと。一年間、この夕暮れの中で」


 前方から、誰かの足音が近づいてくる。


 軽い。子供だ。


「——お客さん?」


 高い、女の子の声。


「ええ。旅の者よ。この村を通らせてもらえるかしら」


「うん、いいよ。ねえ、そのお兄ちゃん、目が見えないの?」


「……ええ」


「なんでまぶたを閉じてるの? 開けたほうがいいよ」


「それが、開かないんです」


「そうなんだ」


 女の子は、至極あっさりとした声。


 怖がる様子もなく、哀れむ様子もない。


 ただの「そうなんだ」だ。


「ねえ、お兄ちゃんたち、名前は? あたしはミーナ!」


「……ノアです。こちらはシオン」


「ノアとシオン。変な名前!」


「変かなぁ」


 ミーナが、ぽたぽたという小走りの足音で、僕たちの周りを回る。


「ここ、全部止まってるんだよ。あたしの時計もね」


「時計?」


「うん。ママがね、あたしの誕生日にくれたの。小さな懐中時計。すっごくきれいなやつ。でもここに来てから、ずっと止まったまま。針が動かないの」


 ミーナの声が、少しだけ小さくなる。


「ママはもういないんだけどね。だから、この時計だけが……ママの形見なの」


 僕は何も言えない。


「ねえ、ノアお兄ちゃん。時計、直せる?」


 ミーナは、まっすぐな声でそう聞く。


 僕は少しだけ笑う。


「……見てみますね。直せるかどうかは、まだ分からないですけど」


 ミーナがぱたぱたと走っていく気配。


「ねーねー! お客さんが来たよ! あたしの時計を直してくれるかもしれない!」


 村の奥から、複数の足音が近づいてくる。


 でも——僕の耳には、通り過ぎる足音に混じって、奇妙な「ノイズ」が引っかかった。


 歓迎の足音の中に紛れ込んだ、不相応に冷ややかな囁き声だ。  

 視力を失い、世界の理を「糸の振動」で捉えるようになった僕の耳は、そこに混じった明確な拒絶と不安を、嫌な質感と共に拾い上げてしまった。


「……また余計なことを」 「……直されたら困るのは、こっちなんだぞ」 「しっ。……あの子に聞こえるだろ」


 止まった夕陽の中で、少しだけ、何かが動き出す気配がした。


 ——でも、それを歓迎していない人たちもいる。


 その確かな違和感だけが、指先から伝わる理の揺らぎと共に僕の胸に残った。

止まった夕陽を見上げ、少女ミーナは言いました。「ママの、時計、直せる?」。次回、ノアの指先が一年ぶりに時間を動かします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ