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世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第2章 琥珀氷の黄昏郷

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王都の街道で、僕たちはすれ違った。——「四人分の食材」を買ってしまった勇者

蒼滝の事件を追う勇者ルークたち。その道中、南へ向かう勇者と、北へ向かうノアが、気づかないまますれ違います。

 

 噂は、南から来た。


 最初に報せを持ってきたのは、リタニア国境を越えてきた行商人だった。


「蒼滝の逆樹海に、おかしなものができた」と、彼は震える声で語った。


 森の一角が、丸ごと、透明な氷に閉じ込められているのだと。


 色のない氷だ。


 琥珀でも、青でも、白でもない。


 あまりにも透明で、あまりにも澄んでいて、触れるまで「そこに何もない」と錯覚させる。


 でも触れれば分かる。


 ダイヤモンドよりも硬い、気の遠くなるほど巨大な「壁」がある。


 その中に何かが閉じ込められているのだが——見えない。


 透明すぎて、見えない。


「特異点の新種ではないか」「魔王の眷属が動いているのではないか」「星の綻びがまた開いたのか」——。


 噂は瞬く間に広がり、王都へ届き、そして王の耳へと入った。


「——以上が、現地調査団の報告書の概要です」


 王の間に、書記官の声が響く。


 ルークは玉座から一段下がった場所で、直立したまま報告を聞いていた。


 隣にガルド。


 その向こうにセシリア。


 三人。


 三人、だった。


「特異点か」


 国王が、重い声で呟いた。


「魔王亡き今でも、世界の綻びは消えていないということだ。——勇者ルーク」


「はい」


「蒼滝の逆樹海へ向かえ。例の永久凍土の正体を暴き、必要であれば対処せよ。王命だ」


「……承知しました」


 ルークは頭を垂れた。


 傍らで、ガルドが鼻から静かに息を吐く気配。


 セシリアは何も言わなかった。


 三人は揃って一礼し、王の間を辞した。


 廊下に出た途端、ガルドが大きく伸びをした。


「久しぶりに三人揃ったな。セシリア姫が教団の用事から抜け出せるとは思わんかったぞ」


「……特異点の報告書に、聖女の立場から所見を述べる義務があるとかなんとか、それらしい理由をつけたわ」


 セシリアが静かに言った。


「要するに無理矢理来た、ということですね」


「そう言える可能性は否定しないわ」


 ルークは少しだけ笑った。


 久しぶりだった。


 三人で顔を合わせるのも。


 こうして他愛ない言葉を交わすのも。


「例の、透明な氷か……」


 ガルドが低い声で呟いた。


「現地から戻った魔術師たちの証言を読んだ。あれは——普通じゃない。特異点でも、魔王の遺産でもない気がする」


「私もそう思う」


 セシリアが静かに言う。


「あの氷に組み込まれた術式の記述が、報告書に少しだけ残っていたの。冷気の構造、振動の停止、糸を結ぶ手順……。私たちが旅している間、何度か見た、あの『調律』と——」


 彼女はそこで、言葉を切った。


 その続きを、三人とも知っていた。


 言えなかった。


 なぜか言えないのだ。


 のどの奥まで来るのに、言葉にならない。


 名前のない「それ」は、いつも三人のすぐそこにある。


「……とにかく」


 ルークが前を向いた。


「行けばわかる。行ってみなければ、何も始まらない」


 廊下の先、大きな窓の向こうに、曇り空が広がっていた。


 北の方角。


 蒼滝のある、あの樹海の方角。


 ルークは無意識に、左後ろを振り向いた。


 そこには誰もいない。


 ただ、冷たい石の廊下と、吹き込む秋の風。


 それなのに——。


「……行こう」


 ルークは、その空白から目を離し、前へと歩き出した。


 翌朝、三人は王都を発った。


 ガルドが荷物を担ぐ。


「なあ、ルーク。今日の昼飯,何にするか決めてるか?」


「決めてない。ガルドが食いたいやつでいい」


「じゃあシチューにするか。野営にしては豪勢だが——」


 ガルドが一瞬、言葉を止めた。


 何かを考えるような間。


「……豆と芋と、根菜たっぷりのやつ。身体が温まる」


「ガルドの料理はいつも美味しいから、どれでも嬉しいわ」


 セシリアが静かに微笑む。


 ガルドはその言葉に少しだけ口元を緩め、でも何も言わずに視線を道の先へ向けた。


 シチューに入れる材料を頭の中で数えていた。


 芋。


 人参。


 豆。


 肉のかたまり。


 それから、食べやすいよう細かく刻んだ分の皿。


 ——四人分。


「……おい、計算間違えた。ちょっと買い足してくる」


「何を?」


「食材だ。戻る」


 ガルドは踵を返し、市場の方へと歩いていった。


 ルークとセシリアは顔を見合わせた。


「……また多く作るつもりだな、あいつ」


「……ええ」


「食べきれないって、毎回分かってるはずなのに」


「……分かってるんでしょうけれど」


 セシリアが空を見上げた。


 雲の隙間から、弱い秋の日差しが差し込んでいる。


「やめられないのよ、たぶん。——ルーク、あなたも」


「俺も?」


「また振り返ったわ。さっき、廊下で。……何を探してるの?」


 ルークは少しだけ黙った。


「分からない。……でも、何かが足りない感じが、ずっと消えないんだ」


 旗が風に揺れる音。


 馬車の蹄の音。


 行き交う人の声。


 その中で、ルークの左後ろには、ずっと、誰もいなかった。


 ——誰かがいるはずの空間が、永遠に空っぽのまま、そこだけぽかりと空いていた。


「……行けば、分かるのかな」


 ルークが呟く。


「分からないわ」


 セシリアが正直に答えた。


「でも、行かなければ何も始まらない。あなたが言ったんでしょう」


「……そうだな」


 ガルドが戻ってきた。


 袋の中に、食材がずっしりと入っている。


「待たせたな。——行くぞ」


 三人は、北へ向かう街道へと歩き出した。


 手配書一枚。王命一つ。


 そして、誰も名前を知らない「何か」を探すように、胸に空白を抱えながら。


 その頃、同じ街道の向こうから。


 別の旅人が、南へ向かっていた。


 蒼滝の逆樹海を出てから三日。


 白い髪の少年は、黒髪の女性の手に引かれながら、中央の大街道を北へと歩いていた。


 南の樹海から、北の琥珀氷の村へ。


 大陸を縦断するように、王都の外れをぐるりと迂回しながら。


「シオン、なんだか人が多くなってきましたねぇ」


「王都の外縁よ。人が多いのは当然。……ぶつかるから、ちゃんと私の腕に掴まって歩きなさい」


「はい。……あ、焼き栗の匂いがします」


「後で買ってあげるから、今は集中して」


 北へ向かうノアたちと。


 南へ向かうルークたち。


 王都外縁の大街道で、二組の旅人はすれ違った。


 ルークの外套の端がノアのローブを掠める、ほんの一瞬だったかもしれない。


 あるいは、向かいから来る人波の中に紛れて、気づきすらしなかったかもしれない。


 相手の顔が見えない。


 相手の顔を覚えていない。


 ただ、ルークが無意識に立ち止まり、後ろを振り返った。


 人混みだ。大勢の旅人が行き交う、秋の街道。


「……ルーク? どうしたの」


「いや……なんでもない」


 彼は首を振って、南への道を歩き出した。


 ノアは、後ろで誰かが立ち止まったことを知らない。


 風の向きで、ほんの一瞬だけ、焼き栗とは違う甘い匂いがした気がして——。


「シオン、さっき変な匂いがしませんでした? 甘い感じの」


「街中よ。いくらでも匂うわ」


「そうですね。……えへへ、早く焼き栗食べたいです」


「食べたいならさっさと歩く」


 二組は互いに背を向けて、それぞれの目的地へと遠ざかっていった。


 南と北に、大陸を二分するように。

ガルドは四人分の食材を抱え、ルークは誰もいない左後ろを振り返る。次回、永久に夕陽が沈まない特異点へ。

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