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【休載中】世界を救った代償に存在を消された盲目の【最強】魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に【勘違い】認定されました  作者: ミロク
第4章 咆哮の峰ヴォルグと孤独の黄金宮殿

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声なきレクイエムと、不穏な影

 セトの記憶の最深部でクレオとの黄金の思い出を見たノア。しかし、黄金の都の崩壊の陰には、信じられない「不穏な影」が存在していました。

 そして、セトの本当の願いに応える「声なきレクイエム」が響き渡ります。


 記憶が、変わった。


 温かい黄金の色彩が——じわりと、濁っていく。


 市場の笑い声が減った。夜道に、かつてはなかった不穏な足音が混じるようになった。井戸の水が、少しずつ枯れていく。国境の向こうから、重い鎧の音が近づいてくる。


 セトの記憶が、崩壊の始まりを映し出していた。


 外からの侵略者。隣国の軍勢が、黄金の都の富を奪おうと押し寄せてきた——セトはそう記憶していた。


 けれど、その記憶の片隅に。


 奇妙な男が、いた。


 セトの記憶の中では背景に溶け込むようにして、目立たぬ位置に立っている男。侵略者の軍勢に紛れ込んでいた——いや、軍勢を導くようにして、都の門のそばに佇んでいた人影。


 その男がセトに何かを囁いた記憶は、もう曖昧になっている。数千年の歳月と狂気が、細部を磨り減らしてしまっている。


 けれど——匂いだけは、はっきりと残っていた。


 泥のような、黒い、澱んだ匂い。


 人間の匂いではない。生き物の匂いですらない。


まるで——世界の理そのものが腐って溶け出したような、嫌な匂い。


その男がセトに近づいた日から、都の音が少しずつ歪み始めた。笑い声が悲鳴に変わり、歌が叫びに変わり、やがて——セトの中で何かが壊れた。


音を消さなければ。


音が聞こえるから、悲鳴が聞こえる。


悲鳴が聞こえるから、心が壊れる。


だから——全部、消してしまえ。


それがセトを狂わせた「無音の毒」の、最初の一滴だった。




僕の意識が、記憶の奔流から引き剥がされた。


現実に戻る。フクの背中の温もり。シオンの小さな体重が右肩にある。ドスンさんの金属の盾が、まだ前方に構えられている。


硝子のピラミッドの中。嵐は止んだままだ。


セトの怒りは——もう、燃えていない。最後の矢が、何重もの心の壁をすべて貫いて、一番奥にあった記憶を解き放ってしまったのだ。


「ノア」


シオンの声が、強張っていた。


普段のシオンの声ではなかった。鋭い警戒でも、柔らかい気遣いでもない。声が——震えていた。


「どうしたの、シオン」


「……あの記憶。あなたの矢がセトの心を開いた時、私にも流れてきたわ」


シオンは僕と命のパスで繋がっている。僕に流れ込む感覚は、シオンにも伝わる。ただし僕が感情や匂いや音で受け取るものを、シオンは——映像として視ることができる。


「クレオとの思い出も、その後の崩壊も。全部視えた」


「……うん」


「でも、最後の——セトを狂わせた男の記憶。あの男の顔を、私は視たわ」


シオンの声が、さらに低くなった。


「ノア。あの男——おかしいのよ」


「おかしい?」


「数千年前の記憶の中の男の顔が——私には、はっきり視えた」


シオンの爪が、僕の肩に食い込んだ。小さな猫の体が、かすかに震えている。


「嘘でしょう……なんで、こんな……」


「シオン、落ち着いて。何が視えたの」


「——あの男。覚えてる? ここに来る前に、帝国の調査隊とすれ違ったでしょう。メビウスの後ろにずらりと並んでいた、あの隊列の中に」


僕の背筋を、冷たいものが走った。


覚えている。


帝国のメビウス調査軍と遭遇した時——あの薬品と消毒液の匂いに混じって、一人だけ、異質な気配の人間がいた。


理の糸を感知する僕の感覚が、その時はっきりと違和感を拾っていた。帝国の兵士たちの糸は、良くも悪くも「人間」の色をしていた。荒々しかったり、冷たかったり、怯えていたり——けれど全員が、人間の糸だった。


ただ一人を除いて。


隊列の端に、一人だけ。まるで影法師のように存在感を消して立っていた男の糸は——泥のように黒く、澱み、腐っていた。人間の糸ではなかった。生き物の糸ですらなかった。


あの時は、戦場の緊張の中で気に留める余裕がなかった。帝国の魔導実験の被験者か何かだろうと——深く考えなかった。


けれど。


「その男の顔が——数千年前のセトの記憶の中にいた男の顔と、同じだった」


シオンの声が、囁くように言った。


「完全に、同じ顔よ。ノア」


心臓が、一度だけ強く打った。


同じ匂い。同じ泥のような澱み。——そして、同じ顔。


数千年前に古代の王を狂わせ、黄金の都を滅ぼした男が——現代の帝国の調査隊に、何食わぬ顔で紛れ込んでいた。


「……人間じゃ、ない」


僕の唇から、その言葉が零れた。


「人間の寿命では、ありえない。数千年前と同じ顔——同じ存在が、今もこの世界にいる」


「ええ」


シオンの声は、もう震えてはいなかった。怒りに変わっていた。低く、冷たく、けれど制御された怒り。


「セトを狂わせたのは——偶然の狂気じゃない。あの男が、意図的にセトに『無音の毒』を植え付けた。そしてそいつは今も、帝国の影に潜んで——」


「——シオン」


僕はシオンの言葉を遮った。


今はまだ、その先を追うべき時じゃない。


「後で。必ず、後で考えましょう。——今は、セトさんを」


「……ええ。そうね」


シオンは深く息を吐いた。


「先に、目の前のこの子を救いなさい」


僕は頷いて、フクの背からゆっくりと降りた。


硝子の床に、裸足の足が触れる。冷たい。けれどもう、敵意のある冷たさではなかった。


セトは——そこにいた。


嵐を失い、怒りを失い、何重もの壁をすべて剥がされて——裸の魂のまま、硝子の床にうずくまっている。


その糸に触れた。


孤独で、冷たくて、けれどもう凍りついてはいない糸。三射の光の矢が少しずつ溶かし、四射目が最後の氷を砕いた——けれどまだ、完全には調律されていない。


糸を、弾いた。


指先で。そっと。楽器の弦を鳴らすように。


リンッ——。


音が、広がった。


それは言葉ではなかった。旋律ですらなかった。ただ一音——正しい振動が、セトの魂に染み渡っていく。


声なきレクイエム。


僕の光の糸が、セトの冷たい糸に絡みつき、優しく包み込んでいく。凍りついた因果を解きほぐし、歪んだ結び目をひとつずつ、丁寧にほどいていく。


セトの魂が——震えた。


——……ああ。


声が聞こえた。セトの声。もう怒りも憎しみもない、裸のままの声。


——この音。


——この音じゃ。


——妾が……聞きたかったのは……。


「聞こえますか、セトさん」


——……聞こえる。


セトの声が、小さく笑った。


——温かい。


——お前の音は……市場の子どもたちの笑い声に、似ておる。


僕の目から、涙が零れた。


止まらなかった。止める気もなかった。


「セトさん。あなたの都の音は——消えてなんかいませんでしたよ」


——……。


「あなたの心の一番奥に、ずっと残っていました。クレオさんの声も。子どもたちの笑い声も。パンの焼ける匂いも。噴水の音も。——全部、全部。あなたが大切に守っていたんです」


——……そうか。


セトの糸が、ゆっくりとほどけていく。


冷たかった糸に、温もりが戻っていく。


——クレオ。


セトが、誰かの名前を呼んだ。


——すまぬ……妾は、お前の言う通り、ずっとこうしていることが……できなかった。


その声は、もう王の威厳も、古代の重みもなかった。ただの——大切な人に謝りたい、一人の子どものような声だった。


——けれど。


セトの糸が、最後に一度だけ、強く震えた。


——この少年の音を聴いて……思い出した。妾はかつて、この音の中で生きておったのだな。


光が、溢れた。


セトの魂から。冷たい硝子で覆われていたすべてが——温かい光に変わって、ゆっくりと空へ昇っていく。


レクイエムが、響いている。


僕が奏でたのではない。セトの魂そのものが——最後に、自分自身の音を取り戻して、歌っている。


無音の世界に、音が戻る。


硝子の壁が、天井が、床が——サラサラと崩れて、黄金色の砂に変わっていく。冷たい硝子ではなく、太陽に温められた、あの記憶の中の砂。


「きれいッス……」


フクが、呆然と呟いた。


きゅるるる……。


ドスンさんのランプが、青に変わった。


「……ええ」


シオンの声が、静かに言った。


「きれいね」


崩れていくピラミッドの中心で、セトの魂が光になって昇っていく。


その光が——ほんの一瞬だけ、僕の頬に触れた。


温かかった。


子どもの手のような、小さくて、砂まみれで、けれど世界で一番優しい温もり。


——ありがとう。調律師よ。


——妾の最後の音を、聞いてくれて。


セトの声が、消えた。


光が、空に溶けた。


ピラミッドは——もう、どこにもなかった。


代わりに、僕たちの頭上には砂漠の空が広がっていて、星の光が降り注いでいた。足元の砂は、温かかった。


無音の世界は——終わった。


風の音が聞こえる。砂が擦れ合う音。フクの尻尾が揺れる音。ドスンさんの関節がきゅるりと鳴る音。そして——シオンの小さな呼吸の音。


世界が、音を取り戻していた。


「——おい! ノア、無事か!?」


砂丘の向こうから、聞き慣れた、少し焦ったような大声が響いた。


レオンだ。


砂丘の砂を派手に蹴立てながら、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。その背後には、アルヴァたち獣人二世たちの姿もある。


「みなさん!」


「急にピラミッドが黄金の砂になって崩れ落ちたから、心臓が止まるかと思ったぞ……!」


レオンが僕の目の前で足を止め、大きく肩で息をしながら言った。


「ゴーレムたちも、無音の結界が消えた瞬間に全部砂に還りやがった。これで終わりなんだな?」


「はい。セトさんは……旅立ちました。砂漠に、音が戻りましたよ」


アルヴァが静かに周囲を見渡した。


「ああ。風が鳴いているな。……いい音だ」


みんな怪我はないようで、僕はほっと胸を撫で下ろした。


「……おやすみなさい、セトさん」


僕は、空を見上げた。


見えはしない。けれど——理の糸が教えてくれる。空の高い場所で、ひとつだけ、とても澄んだ音を奏でている星があることを。


きっとそれが——セトだ。


「お師匠……泣いてるッスか?」


「泣いてますよ」


今度は、嘘をつかなかった。


「泣いてます。——嬉しくて」


フクの毛皮に顔を埋めた。温かい。太陽の匂いがする。


シオンの尻尾が、僕の首筋をそっと撫でた。


何も言わなかった。


何も言わなくて、よかった。


ただ——その尻尾の先だけが、かすかに震えていた。





砂の上に座り込んだまま、しばらく動けなかった。


調律の反動で体が重い。指先の感覚が薄い。光の糸を紡ぎすぎた時の、いつもの代償。


けれど——心は、穏やかだった。


「ノア」


シオンの声が、少しだけ硬さを取り戻して言った。


「さっきの話——セトの記憶の中にいた男のこと」


「……うん」


「覚えておきなさい。あの顔。あの匂い。——帝国の影に、何かがいる」


「……はい」


数千年前の古代の王を狂わせた存在が、今もこの世界のどこかで、人間の皮を被って動いている。


それが何者なのか——僕にはまだ分からない。


けれど、一つだけ確かなことがある。


セトを狂わせた「無音の毒」は、自然に生まれたものではなかった。誰かが——何かが、意図的にセトの心に毒を注ぎ込み、黄金の都を滅ぼし、この砂漠を特異点に変えた。


偶然ではなく、悪意。


そしてその悪意は——今も、どこかで息をしている。


「……怖いね」


「何を今さら。この旅は最初から怖いことだらけでしょう」


シオンの声に、少しだけ笑いが混じった。


「でも——あなたが怖がってる顔、久しぶりに見たわ」


「……見えないでしょ、シオンには」


「声で分かるのよ。あなたの声は、嘘がつけないんだから」


フクが、僕の膝に頭を乗せてきた。


「お師匠。俺がいるッスよ。何が来たって、俺とドスンさんが守るッス」


きゅるるっ。


ドスンさんのランプが、力強く青く光った。


「……ありがとう、みんな」


僕は涙の跡を袖で拭って、ゆっくりと立ち上がった。


砂漠の風が、温かく吹いていた。


もう無音ではない。風の歌が、遠くの砂丘を越えて、どこまでも広がっていく。


セトが守りたかった音が——世界に、還った。


お読みいただき、ありがとうございます!


 黄金の都の崩壊の陰にいたのは、帝国の調査隊にも紛れ込んでいた、数千年の時を超える「不穏な影」——悪魔の存在を暗示する男でした。

 不穏な未来を予感させつつも、ノアの「声なきレクイエム」によってセトはかつての黄金の音色を思い出し、安らかに昇天しました。


 ピラミッドが黄金の砂へと還り、砂漠に音が戻った今、ノアたちは再び旅路を進めます。

 砂漠編のクライマックス、そして物語は次の局面に進んでいきます。


 次回もお楽しみに!


【☆作者からのお願い☆】


壊れかけた世界を静かに直すノアとシオンの旅を、**下にある【ブックマーク登録】と【☆評価】**で応援していただけないでしょうか?


皆様の☆とブクマの温かい一票が、作者の執筆の命の糸(日々の更新の強力な原動力)になります。


少しでも「面白い!」「ノアの旅の続きが読みたい」と思っていただけましたら、どうかお力添えのほど、よろしくお願いいたします……!

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