[行政手続法31条・聴聞手続の準用]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所は、昼より少しだけ静かです。
電話が鳴らない。
来客もいない。
羊羹も、まだ一切れ残っている。
最後の一つについては、事務所内の緊張がやや高めですが。
「先輩」
「何だ」
「それ、私の分です」
「まだ手を出してない」
「目が出してます」
「目に代理権はない」
「今日のテーマに寄せてこないでください」
私は羊羹から視線を切り、ノートを開きました。
今日の題名。
――聴聞手続の準用。
うん。
やっぱり眠そうです。
字面だけなら、行政法の中でもかなり上位に入る睡眠誘発ワードだと思います。
「準用って」
私は呟きました。
「また使う、ってことですよね」
「雑だな」
相馬先輩が言います。
「でも方向は合ってますよね」
「まあな」
今日、河村正一さんの件で問題になったのは。
本人が入院中で役所へ来られないこと。
そして。
本人が来られないなら、事情説明はできない。
市の担当者が、最初はそう考えていたことでした。
でも実際には。
妹の美佐子さんを代理人にする道があった。
そこで私は未来の行政手続法第三十一条を思い出したのです。
聴聞に関する手続の一部を。
弁明の機会の付与にも準用する。
具体的には。
第十五条第三項。
そして第十六条。
「所長」
「何だ」
「第三十一条って、聴聞のルール全部を弁明に持ってくるわけじゃないんですよね」
「当然だ」
「一部だけ」
「ああ」
ここ。
最初の重要ポイントです。
行政手続法第三十一条は。
聴聞の規定を全部まとめて弁明の機会へ移す条文ではありません。
準用するのは。
十五条三項。
十六条。
そこだけ。
「じゃあ」
相馬先輩が言いました。
「聴聞で認められてることが、弁明でも全部使えるわけじゃない?」
「そうです」
私は答えます。
そして。
ここが試験でかなり大事。
聴聞と弁明の機会の付与。
似ている。
どちらも不利益処分前の意見陳述手続。
でも。
手続の重さが違う。
だから。
聴聞で認められている制度の一部は、弁明では認められない。
「具体的に?」
相馬先輩。
最近ほんとに問題集みたいになってきました。
「まず、文書の閲覧請求権」
「聴聞は?」
「認められています」
「弁明は?」
「認められていません」
「次」
「口頭意見陳述権」
「聴聞は?」
「認められています」
「弁明は?」
「原則認められない。行政庁が口頭による弁明を認めた場合だけ例外的に可能」
「主宰者」
「聴聞では行政庁が主宰者を指名します。弁明では主宰者を指名しません」
「よし」
私は一瞬、相馬先輩を見ました。
「何だ」
「完全に講師ですよね」
「黙って書け」
昭和六十三年の実務派、未来の行政書士試験対策に適応しすぎです。
私はノートに三本線を引きました。
文書閲覧請求。
口頭意見陳述。
主宰者。
聴聞と弁明の大きな違い。
「これ」
私は言いました。
「準用されるものを覚えるより、準用されないものをセットで覚えたほうがいいですね」
「そのほうが試験向きだろうな」
所長が言いました。
たしかに。
第三十一条を読むと。
十五条三項。
十六条。
これだけ。
逆に言えば。
それ以外の聴聞固有の重い手続は。
弁明にはそのまま入ってこない。
ここが見える。
「じゃあまず十五条三項」
私はページをめくります。
今日の現場では直接問題になりませんでしたが。
片桐所長が市役所で聞いた。
――本人の所在が分からなかったら、どうするんです。
あれです。
未来の行政手続法では。
不利益処分の名あて人となるべき者の所在が分からない場合。
通知を普通に送れない。
だからといって。
何もせず処分へ進むわけでもない。
「掲示するんですよね」
「何を」
相馬先輩が聞きます。
「本人の氏名」
「うん」
「弁明書の提出先と提出期限」
「うん」
「それから、行政庁が必要事項を書いた書面をいつでも本人に交付する旨」
「そうだな」
つまり。
通知内容そのものを全部掲示板へベタ貼りするというより。
必要な事項を記載した書面を。
いつでも本人に渡せる状態にして。
そのことを掲示する。
そして。
掲示場所は。
行政庁の事務所の掲示場。
「で」
相馬先輩が言いました。
「いつ通知が届いたことになる」
「掲示を始めた日から二週間」
「過ぎたら?」
「到達したものとみなされます」
私は二週間に丸をつけました。
「ここ、数字狙われそう」
「狙われるだろうな」
「一週間とか、一か月とかに変えられそう」
「お前なら引っかかるな」
「否定しません」
数字は怖い。
行政法の数字は、だいたいこっちが油断してると刺してきます。
でも。
今日の河村さんの件を思い出すと。
この二週間は、単なる暗記数字じゃなくなります。
本人が見つからない。
行政は永遠に待てない。
でも。
見つからないから即日で処分。
それもまずい。
だから。
掲示する。
待つ。
二週間。
そして法律上は、通知が届いたものとして扱う。
「みなし到達」
私は呟きました。
「本人が実際に見たかどうかとは別?」
「そういう仕組みだ」
所長が言います。
ここ。
ちょっと冷たい。
本人が本当に掲示を見た保証はない。
それでも。
二週間たてば、通知が到達したことになる。
「やっぱり制度って冷たいですね」
「何度目だ」
相馬先輩が言いました。
「でも今回は特に」
実際に見ていなくても。
見たことに近い扱いをする。
でも。
そうしなければ。
本人が見つからない限り、行政手続が永久に止まる。
逆に。
何もしないまま進めたら。
本人に何の機会もない。
だから。
掲示という形で、できる限り通知の入口を作って。
一定期間経過後に前へ進める。
「完全に優しくはない」
私は言いました。
「でも完全に切り捨ててもいない」
「それが制度だ」
所長が短く言いました。
やっぱり。
この人、たまに一言で全部終わらせる。
私は次へ進みます。
十六条。
代理人。
こっちは今日、ど真ん中で使いました。
河村正一さん。
脳梗塞で入院。
本人は役所へ行けない。
最初、市の担当者は。
本人が来られないなら事情説明はできない。
そう考えた。
でも。
未来の十六条が弁明に準用されれば。
本人は代理人を選任できる。
「今日なら美佐子さん」
「そうだな」
「家族だから代理人になれた?」
「違う」
相馬先輩がすぐ答えます。
「本人から代理権を与えられたからだ」
そう。
ここも大事。
家族イコール代理人。
ではない。
配偶者。
兄弟。
子。
親。
血がつながっているだけで。
自動的に手続上の代理権が生えるわけではない。
「本人が選任する」
私は書きました。
「それで代理人は?」
相馬先輩。
「各自、当事者のために、弁明の機会の付与に関する一切の行為をすることができる」
「各自?」
「代理人が複数いる場合、それぞれができるってことですね」
「そうだな」
私はそこへ線を引きます。
一切の行為。
かなり強い。
事情説明書を出す。
証拠資料を提出する。
必要な主張をする。
手続上必要な行為を行う。
本人が来られなくても。
代理人が本人のために動ける。
「ただし」
所長が言いました。
「権限の有無は明らかにする」
「はい」
未来の十六条では。
代理人の資格は。
書面で証明しなければならない。
今日。
美佐子さんは。
正一さんの署名押印入りの委任状を持っていった。
それで。
誰が。
誰のために。
どんな手続を代理するのか。
市側も確認できた。
「口で『妹です』じゃ駄目」
「そうだ」
「『本人に頼まれました』だけでも?」
「弱い」
「書面で証明」
「そういうことだ」
私は頷きました。
これ。
地味です。
本当に地味。
でも。
代理人制度を安全に使うためには必要です。
でなければ。
本人の知らないところで。
誰かが勝手に。
「私が代理人です」
と名乗って手続するかもしれない。
「役所側も怖いですね」
「当然だ」
相馬先輩が言います。
「代理人に渡した書類や説明が、実は無権限でしたってなったら揉める」
「だから書面」
「そう」
そして。
もう一つ。
代理人がその資格を失った場合。
たとえば。
本人が代理人を解任した。
委任関係が終了した。
そういう場合。
選任した当事者は。
その旨を行政庁へ書面で届け出る。
「これ」
私は言いました。
「最初に資格を証明するだけじゃ駄目なんですね」
「途中で変わることがあるからな」
相馬先輩が答えます。
「入口と出口、両方書面」
「そう覚えるといい」
所長が言いました。
なるほど。
選任時。
書面で資格証明。
資格喪失時。
書面で届出。
「代理人、かなり書面社会ですね」
「お前の未来は何でも書面だな」
「行政手続法は特にそうです」
私は笑いました。
でも。
今日の河村さんの件を見ると。
書面だからこそ。
本人は病院にいても。
意思だけを役所へ届けられる。
書面が本人の手足になる。
「ここまでが準用されるもの」
私はページの中央に線を引きました。
所在不明時の掲示による通知。
代理人。
では。
準用されないもの。
ここから試験の本番です。
「まず閲覧」
相馬先輩。
「はい」
聴聞では。
当事者等に。
一定の文書や資料の閲覧請求権が認められている。
行政庁が処分判断の基礎にしている資料を確認し。
それを踏まえて反論できる。
かなり強い手続保障です。
でも。
弁明の機会の付与には。
この閲覧請求権は準用されない。
「だから」
私は言いました。
「弁明でも当然に役所の資料を見せてもらえる、は誤り」
「そうだ」
「でも任意に見せることまで禁止されてるわけじゃない」
「そこは別の話だ」
所長が言いました。
大事です。
法律上の閲覧請求権がない。
イコール。
行政庁が絶対見せてはいけない。
ではない。
でも試験では。
「弁明の機会の付与を受けた者は、聴聞と同様に文書閲覧請求権を有する」
みたいに出されたら。
誤り。
「次。口頭意見陳述」
相馬先輩。
「聴聞では口頭で意見を述べることができます」
「弁明は?」
「原則書面」
「口頭は?」
「行政庁が認めた場合のみ」
「そう」
これは第二十九条ともつながります。
聴聞。
口頭審理が中心。
弁明。
原則書面。
「だから『弁明を受ける者には当然に口頭意見陳述権がある』は誤り」
「そうだな」
そして。
主宰者。
聴聞では。
行政庁が主宰者を指名する。
主宰者が手続を進行する。
より正式で慎重な審理。
一方。
弁明の機会。
主宰者を指名しない。
「ここ、分かりやすいですね」
私は言いました。
「聴聞のほうが“ちゃんとした審理”感が強い」
「言い方は雑だが」
「試験用には分かりやすいです」
聴聞。
重い。
口頭。
閲覧あり。
主宰者あり。
弁明。
簡略。
原則書面。
閲覧請求権なし。
主宰者なし。
「ただし」
私は言います。
「弁明にも、代理人と所在不明時の通知は持ってくる」
「そういうことだ」
相馬先輩が頷きました。
見えてきました。
第三十一条。
何でも準用する条文じゃない。
弁明の簡易性を壊さない範囲で。
最低限必要な手続保障の一部を持ってくる。
そんな感じです。
「所長」
「何だ」
「何でこの二つなんでしょう」
「どの二つ」
「所在不明のときの通知と、代理人」
所長は少し考えました。
「手続の入口だからだろう」
「入口」
「本人が見つからない。本人が自分で動けない。それでも手続を始めたり続けたりできるようにする」
「なるほど」
すごく腑に落ちました。
閲覧。
主宰者。
口頭審理。
これは手続の中身を厚くする制度。
一方。
所在不明時の通知。
代理人。
これは。
そもそも手続へ参加できる状態を確保する制度。
「入口だけは狭くしすぎない」
私は呟きます。
「でも中身は聴聞ほど重くしない」
「そう覚えればいい」
未来の条文を。
昭和六十三年の実務感覚で説明すると。
こんなに分かりやすくなるんですね。
「試験での引っかけ、やります」
「勝手にやれ」
「先輩、付き合ってください」
「面倒だ」
「もう先生役に慣れてるでしょう」
「誰がだ」
私は指を一本立てました。
「弁明の機会の付与でも、本人は代理人を選任できる」
「正しい」
二本目。
「代理人の資格は口頭で証明すれば足りる」
「誤り。書面」
三本目。
「代理人が資格を失った場合、行政庁が自分で把握すれば届出は不要」
「雑だな」
「選任した当事者が書面で届け出る」
「正しい」
四本目。
「本人の所在が分からない場合、通知手続は省略できる」
「誤り」
「掲示による方法がある」
「で?」
「掲示開始から二週間で到達したものとみなす」
「よし」
五本目。
「弁明でも聴聞と同じように文書閲覧請求権がある」
「誤り」
六本目。
「弁明でも当然に口頭意見陳述権がある」
「誤り。原則書面。口頭は行政庁が認めた場合のみ」
七本目。
「弁明でも行政庁は主宰者を指名する」
「誤り」
「かなり整理できたな」
相馬先輩が言いました。
「今日だけは自信あります」
「今日だけか」
「本番の私は別人なので」
「転生前から信用ないな」
私は笑いながらノートを見ます。
第三十一条。
短い条文です。
でも。
中身は二つの方向を持っている。
一つ。
本人が見つからないとき。
それでも通知の仕組みを残す。
二つ。
本人が自分で動けないとき。
代理人を使える。
どちらも。
手続から人を落とさないための仕組みです。
ただし。
弁明そのものは。
聴聞ほど重い手続にはしない。
閲覧請求権なし。
原則書面。
主宰者なし。
「なるほど」
私は言いました。
「準用って、コピペじゃないんですね」
「何だコピペって」
「あ」
昭和六十三年。
まだ通じない。
「……写し取るみたいな意味です」
「最初からそう言え」
危ない。
未来人語彙がまた漏れました。
「必要なところだけ持ってくる」
私は言い直しました。
「それが準用」
「そういう理解でいい」
所長が頷きました。
今日。
河村さんの件で。
私はずっと。
代理人の話に目が行っていました。
本人が病院にいる。
妹が代わりに動く。
委任状。
そこまでは分かりやすい。
でも。
第三十一条を整理してみると。
もう一つ。
所在不明時の掲示。
これも同じ方向を向いている。
本人が普通の方法で参加できない。
そのとき。
手続をゼロにしない。
ただし。
無限に止めもしない。
制度として折り合いをつける。
「行政法って」
私は呟きました。
「いない人の扱いまで決めるんですね」
「いないから困るんだろ」
相馬先輩が言いました。
「本人が全部元気で、住所も分かって、毎回来てくれるなら簡単だ」
その通り。
制度が必要になるのは。
人間がいつも予定どおり動かないから。
病気になる。
引っ越す。
所在が分からなくなる。
代理人を立てる。
代理人を替える。
現実は。
教科書の事例よりずっと乱雑です。
だから。
法律は冷たい形で。
乱雑な現実に道をつける。
「今日の一行」
相馬先輩が言いました。
「はい」
「長くするなよ」
「プレッシャーかけないでください」
私はしばらく考えました。
代理人。
掲示。
二週間。
閲覧なし。
口頭原則なし。
主宰者なし。
全部入れたら一行では無理です。
だから。
制度の芯だけ。
ノートの一番下に書きました。
――弁明は聴聞ほど重くない。でも、本人が動けないことまで理由にして、入口を閉じてはいけない。
相馬先輩が読みます。
「まあいい」
「“まあ”が余計です」
「試験用も書け」
「はいはい」
その下へ。
――準用は、所在不明時の掲示通知と代理人。閲覧・当然の口頭陳述・主宰者は弁明にはない。
「こっちのほうが点になるな」
「夢がないですね」
「試験に夢を求めるな」
所長が新聞越しに言いました。
「二週間も書いとけ」
「あ」
危ない。
数字を落とすところでした。
私は横に小さく書き足します。
掲示開始から二週間で到達みなし。
「よし」
所長が言いました。
窓の外では。
昭和六十三年の町が、ゆっくり暗くなっていました。
病院では。
河村正一さんが。
たぶん今も静かに療養している。
本人は市役所へ行けない。
でも。
手続から消えたわけじゃない。
妹が代理人として声を運ぶ。
委任状がそれを支える。
もし。
本人の居場所そのものが分からない場合でも。
未来の制度は。
掲示して。
二週間待つ。
冷たい。
すごく冷たい。
でも。
「いないから知らない」で終わらせない。
そこに私は。
やっぱり少しだけ。
制度の優しさを感じます。
条文は。
抱きしめてはくれません。
代わりに。
いない人の席を、勝手に片づけない。
それくらいのことはしてくれる。
私はノートを閉じました。
「さて」
相馬先輩が言います。
「羊羹」
「待ってました」
「最後の一切れ」
「私のです」
「根拠は」
「昨日、所長が一人一切れって」
「昨日の分だろ」
「継続的慣行です!」
「法規じゃない」
「内部ルールでも守ってください!」
所長が新聞から顔を上げました。
「半分ずつ」
「え」
「公平だろ」
相馬先輩と私は顔を見合わせました。
「……異議あります?」
「ない」
「私もです」
「代理人は?」
「不要です」
羊羹は、きっちり半分に切られました。
主宰者なし。
閲覧請求なし。
口頭陳述あり。
どう考えても行政手続法の分類には入りません。
でも。
少なくとも。
今日は誰も手続から締め出されませんでした。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




