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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

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[行政手続法25条・聴聞の再開]現場編 「もう聴聞は終わっています」の罠。終わった手続と、新しく出た証拠を切り分ける“やり直し”の一手

挿絵(By みてみん)

 終わった話ほど、あとから厄介なものが出てきます。


 会議。


 夫婦喧嘩。


 町内会。


 そして、役所の手続。


 人間は「これで終わりです」と言われると、不思議なくらい安心します。


 でも法律の世界では。


 終わったあとに新しい事実が出てきたら、安心している場合ではありません。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所の朝は、今日も紙の山から始まりました。


「こはる」


「はい」


「それ、昨日のファイルだ」


「……はい」


「何で新しい棚に入れた」


「終わった案件かと思って」


「終わってない」


「見た目が終わってました」


「書類の見た目で仕事を判断するな」


 相馬先輩は朝から容赦がありません。


 私は棚から分厚いファイルを引き抜きました。


 行政書士事務所に来て分かったことがあります。


 法律事務というものは、机の上だけ見れば八割くらい「紙を違う紙の間に挟む仕事」です。


 なのに一枚の紙を間違えると、人の土地や店や許可が吹き飛ぶ。


 紙、怖い。


「そこ置け」


「はい」


「あと茶」


「はい」


「濃いの」


「注文が細かい」


「聞こえてるぞ」


「聞こえるように言いました」


 そんな平和なやり取りをしていた午前十時過ぎ。


 事務所の引き戸が勢いよく開きました。


「片桐先生いますか!」


 入ってきたのは、作業着姿の男性でした。


 五十代くらい。


 顔が日に焼けています。


 手には茶封筒。


 息が上がっている。


 そして。


 ものすごく困った人の顔です。


「先生じゃない。所長だ」


 相馬先輩が妙なところを訂正しました。


「相馬先輩、今そこですか」


「大事だ」


 片桐所長が奥から出てきます。


「どうしました」


「うちの営業許可、取り消されるって話なんです」


 男性は椅子に座るなり、封筒から通知書を取り出しました。


「もう役所で話もしました。言いたいことも全部言いました。それで、昨日『手続は終わりました』って言われて」


「はい」


「でも今朝になって、こんなのが出てきたんです」


 男性が机の上に置いたのは、一冊の帳面でした。


 油の染みた古いノート。


 表紙には、


 ――東陽運送 車両整備記録。


 と書いてあります。


「お名前は」


「柴田宗一です。東陽運送をやってます」


 運送業。


 駅前再整備の資材搬入にも入っている会社です。


 最近、この町の問題は何でも駅前につながっていく。


 そのうち町の猫が喧嘩しても再整備のせいになりそうです。


「何の許可ですか」


 私は聞きました。


「市の資材運搬車両の乗入れ許可です」


 柴田さんは答えました。


「工事区域に大型車を入れるには、市の許可がいるんです。うちはそれで仕事してる。でも先月、うちのトラックが制限重量を超えたまま仮設橋を通ったって言われまして」


「重量超過?」


「そうです」


「事実は?」


「うちは違うって言ったんです」


 柴田さんの声に力が入ります。


「役所は、七月十四日の午前六時二十分に、うちの四号車が橋を渡ったっていう。監視員の日報にも車番が書いてあるって」


「でも違う?」


「四号車は、その時間、工場で修理してたはずなんです」


「はず?」


「整備担当がそう言ってた。でも、役所に呼ばれたときには、修理記録が見つからなくて」


「証拠が出せなかった」


「そうです」


 なるほど。


 私は帳面を開きました。


 日付。


 七月十四日。


 車両番号。


 四号車。


 午前五時五十分。


 後輪ブレーキ油圧異常。


 午前六時十分より分解作業。


 午前八時四十分試運転。


 整備担当者の署名。


 しかも。


 部品交換の納品書番号まで書いてある。


「これ、かなり具体的ですね」


「今朝、倉庫の古い箱から出てきたんです」


 柴田さんが言いました。


「事務員が去年の帳簿と一緒に綴じてしまってた」


「この記録が本物なら」


 私は言いかけて、止まりました。


 四号車は、午前六時二十分に仮設橋を走れない。


 少なくとも、かなり大きな疑問が出る。


「役所には持っていきました?」


「今朝すぐ」


「何て?」


 柴田さんの顔が曇りました。


「『もう話を聞く手続は終わっています』って」


 はい。


 来ました。


 私は背筋を伸ばしました。


「終わってるから見ない?」


「そう言われました」


「誰にですか」


「商工整備課の窓口の若い人です。『一度終わった聴取をまたやるわけにはいかない』って」


 私は、心の中で小さく呻きました。


 またです。


 役所の「終わりました」。


 行政法で出てくる「終わった」は、ときどき「考えるのが面倒なので閉じました」と紙一重です。


「処分はもう決まったんですか」


 片桐所長が聞きます。


「まだです」


「取消処分の通知は」


「来てません」


「では、手続が終わっただけだ」


 柴田さんが顔を上げました。


「違うんですか」


「違う」


 所長は短く答えました。


「話を聞く段階が終わったことと、行政庁が最終的に処分を決めたことは別だ」


 あ。


 私は頭の中で線を引きました。


 聴聞が終わる。


 それで全部が確定するわけではない。


 聴聞が終結し。


 記録や報告が行政庁に上がり。


 その後。


 行政庁が最終判断をする。


 もし、その途中で。


 結論に関わる新しい事情が出たら?


 未来のテキストが、頭の奥で開きます。


 行政手続法第二十五条。


 聴聞の再開。


 ――まだ、この時代にはありません。


 でも。


 問題はもうここにある。


「柴田さん」


 私は帳面を指しました。


「役所が問題にしてるのは、七月十四日の六時二十分に四号車が橋を渡ったかどうか、ですよね」


「はい」


「この帳面は、その時刻に四号車が工場で修理中だったことを示すかもしれない」


「そうです」


「つまり」


 私は少し考えてから言いました。


「終わった手続そのものの不満じゃなくて、終わったあとに出てきた新しい証拠の話なんですよね」


 柴田さんが黙りました。


 相馬先輩が私を見る。


「続けろ」


「昨日までの材料だけなら、役所が『四号車が走った』と考えたのは分かる。でも今日、この帳面が出た」


「うん」


「それなのに『もう話は終わったから』だけで無視したら」


 私は帳面を閉じました。


「結論を出す前に、わざと目を閉じることになりませんか」


 片桐所長が頷きました。


「市役所へ行く」


「ですよね」


「相馬」


「はい」


「こはるも」


「やっぱり」


「言い出しっぺだ」


 昭和の職場。


 今日も言い出しっぺに厳しい。


 市役所の商工整備課へ行くと。


 窓口の奥に、見慣れた疲れ顔がありました。


 倉田係長です。


 私たちを見るなり。


「今日は何ですか」


 挨拶がもう防御態勢です。


「こんにちは、が先では」


「君らが来る日は、大体こんにちはで済まない」


「失礼ですね」


「経験則です」


 反論しづらい。


 柴田さんが整備記録を出しました。


「これです」


 倉田係長は帳面を開きました。


 最初は面倒そうだった顔が。


 数行読んだところで変わりました。


「……これ、いつ見つかったんですか」


「今朝です」


「原本?」


「はい」


「整備担当者は?」


「今もいます。話せます」


 倉田係長はしばらくページを見ていました。


「これなら」


 私は言いました。


「少なくとも確認は必要じゃないですか」


 係長はため息をつきます。


「問題はそこなんですよ」


「どこです?」


「聴取はもう終わっています」


「それ、窓口でも言われました」


「一度終わったものを、担当者の判断で勝手にまた開くわけにもいかない」


 お。


 同じ「終わった」でも。


 意味が少し違います。


 窓口は、


 終わったから無理。


 倉田係長は、


 担当者だけでは勝手に戻せない。


 ここは重要です。


「じゃあ」


 私は聞きました。


「誰なら戻せるんですか」


 倉田係長が私を見ます。


「何だ、その質問」


「だって今、問題は『戻せるか』じゃなくて、『誰が戻す判断をするか』ですよね」


 相馬先輩が小さく笑いました。


「今日も論点で喋ってんな」


「使える論点です」


「まあな」


 片桐所長が倉田係長に聞きます。


「最終判断は誰がする」


「課長決裁のあと、部長まで上げます」


「まだ決裁前ですね」


「はい」


「なら、新資料が出たことを決裁権者へ上げるべきでしょう」


 倉田係長は眉間を押さえました。


「それはそうなんですが」


「何が引っかかってる」


 相馬先輩が聞きます。


「もう聴取結果の報告書が上がってるんです」


「だから?」


「そこに、『本人の反論を踏まえても違反事実を覆す事情はない』と書かれている」


 ああ。


 私は分かりました。


 役所の中ではもう、話が次の工程へ流れている。


 担当。


 主宰する人。


 報告。


 決裁。


 工場のベルトコンベアみたいなものです。


 一度流れた書類を戻すと。


 面倒。


 とても面倒。


 でも。


 面倒だから戻さない、で済ませていい話ではない。


「その報告書を書いた人は、この帳面を見てないんですよね」


 私が聞くと、


「見てない」


「じゃあ」


 私は帳面を指しました。


「報告書の前提が変わるかもしれませんよね」


 倉田係長が黙りました。


 そこへ。


 奥から課長が出てきました。


 前にも見た、グレーのスーツの人です。


「何の話だ」


「柴田さんの件です」


 倉田係長が立ち上がりました。


「新しい資料が出ました」


「新しい?」


 課長は帳面を受け取りました。


 数分。


 黙って読む。


 柴田さんが、その間ずっと膝の上で拳を握っています。


「……整備記録か」


「はい」


「しかし、本人からの事情聴取は既に終わっている」


 また出ました。


 今日三回目。


 役所の「既に終わっている」は、スタンプカードならそろそろ景品がもらえそうです。


「課長」


 私は口を開きました。


「一ついいですか」


「何だね」


「もしこの記録が本物で、四号車がその時刻に修理中だったら」


「仮定の話だ」


「はい。だから確認するんです」


 課長の眉が動きました。


「確認した結果、違う車だったとか、記録が間違っていたなら、それでいい」


「……」


「でも」


 私は言葉を選びました。


「処分するかどうかに関わるかもしれない新しい証拠が出たのに、『前の話し合いが終わったから』という理由だけで見ないのは、おかしくないですか」


 課長は帳面を閉じました。


「君は簡単に言うが、一度終わった手続をやり直すとなれば、担当者も呼び直す。記録も作り直す。本人にも通知が必要だ」


「はい」


「行政は暇じゃない」


 私は一瞬、言葉に詰まりました。


 正論です。


 役所の手続は、無料で空から湧くわけではない。


 人。


 時間。


 紙。


 日程。


 全部かかる。


 でも。


 そこへ片桐所長が一言。


「だからこそ、必要なときだけ戻す」


 課長が所長を見る。


「何?」


「新しい資料が出るたびに全部やり直せ、と言ってるんじゃない」


「……」


「処分するかどうかに関わるほど重要な事情なら、最終判断の前に確認しろ、と言っている」


 短い。


 でも。


 整理されました。


 何でも再開。


 ではない。


 終わったから絶対再開しない。


 でもない。


 必要性。


 そこを見る。


 私は胸の中で、未来の条文と今の所長の言葉を重ねます。


 聴聞の終結後に生じた事情にかんがみ。


 必要があると認めるとき。


 行政庁は。


 主宰者に対し。


 報告書を返戻して。


 聴聞の再開を命ずることができる。


 行政手続法第二十五条。


 未来では。


 この「戻す」という面倒くさい動作まで、ちゃんと条文になる。


 なぜなら。


 今まさに面倒だからです。


「課長」


 倉田係長が言いました。


「私も、確認した方がいいと思います」


「倉田」


「この記録が正しいなら、監視員の日報の車番が誤っている可能性があります」


「……」


「逆に、記録に問題があるなら、それも聴取すれば分かる」


 課長はしばらく黙っていました。


 やがて。


「整備担当者は今日来られるか」


 柴田さんが顔を上げます。


「呼べます」


「監視員も確認する」


「はい」


「処分決裁はいったん止める」


 柴田さんが大きく息を吐きました。


「ありがとうございます」


 でも課長はすぐに手を上げました。


「まだ何も決まっていない」


「分かってます」


「整備記録があるから即無罪、ではない」


「はい」


「むしろ」


 課長は帳面を机に置きました。


「これが出た以上、こちらも確認せざるを得ない」


 私は、少しだけ嬉しくなりました。


 こういう言い方が好きです。


 情けをかける。


 ではない。


 かわいそうだからやり直す。


 でもない。


 判断材料が変わったから、手続を戻す。


 そこに人情はなくてもいい。


 制度の冷たさは、こういうところで強い。


 その日の午後。


 急きょ、柴田さんと整備担当者。


 それから市側の監視員。


 担当職員。


 何人かが会議室に集められました。


 正式名称が何なのかは、この時代の市の規程次第です。


 少なくとも未来の行政手続法上の「聴聞再開」ではありません。


 まだ、そんな法律は存在しない。


 でも。


 やっていることは。


 驚くほど似ていました。


「七月十四日、四号車を修理したのはあなたですか」


 市の職員が聞きます。


「はい」


 整備担当の男性が答えました。


「何時から?」


「六時前です。後輪のブレーキが抜けまして」


「六時二十分時点では?」


「走れません」


「確実ですか」


「後輪を外してましたから」


 強い。


 物理が強い。


 車輪がないトラックに道路交通の自由はありません。


「記録は当日書いた?」


「はい」


「後から書いた可能性は?」


「ないです。部品屋の納品伝票も同じ番号で残ってます」


 その伝票も確認されました。


 午前六時十五分。


 ブレーキ部品納入。


 四号車。


 柴田さんがこちらを見ました。


 私は頷くだけにしました。


 まだ。


 結論は急がない。


 次に監視員の日報。


 車番は確かに東陽運送の四号車。


 でも。


「車番を、ナンバープレートで確認しました?」


 倉田係長が聞きます。


 監視員が口ごもりました。


「いや……側面の番号です」


「側面?」


「会社が書いている車両番号」


「四号車、と?」


「はい」


「雨でしたね、その日」


「ええ」


「見間違いの可能性は」


「……ないとは言えません」


 さらに確認すると。


 同じ会社に十四号車がありました。


 側面には大きく「14」。


 泥が跳ねて、一の部分が見えづらくなっていた可能性がある。


 え。


 私は思わず相馬先輩を見ました。


 相馬先輩も私を見る。


「四号じゃなくて十四号?」


 柴田さんが呟きます。


「十四号なら、その時間、現場に行ってます」


 会議室が静かになりました。


 監視員が頭を抱えます。


「……見間違えたかもしれない」


 倉田係長が日報を指で叩きました。


「確認が必要ですね」


 課長は何も言いません。


 でも。


 取消しの前提だった事実は、完全に揺らぎました。


 会議が終わったあと。


 廊下で柴田さんが立ち止まりました。


「朝比奈さん」


「はい」


「助かりました」


「まだ結論は出てないです」


「でも」


 柴田さんは少し笑いました。


「朝は、『もう終わった話です』で帰されました」


「はい」


「今は、『もう一度確認します』になった」


 その差。


 たった一言。


 でも。


 大きい。


「終わった話でも」


 柴田さんが帳面を抱え直します。


「新しいものが出たら、戻れるんですね」


 私は少し考えました。


「戻れる場合があります」


「場合?」


「何でもかんでも、ではないと思います」


「そうですよね」


「でも」


 私は言いました。


「終わったことそのものが理由で、見なくていいことにはならない」


 柴田さんはゆっくり頷きました。


「それで十分です」


 その言葉が、妙に胸に残りました。


 事務所へ戻ると。


 机の上に、紙袋がありました。


「これ何です?」


「柴田さん」


 相馬先輩が言いました。


「置いてった」


 中を見る。


 たい焼き。


 六匹。


「何でたい焼き」


「近所の店の差し入れらしい」


「じゃあ三人で二匹ずつですね」


「俺三匹」


「なぜ」


「先輩だから」


「その理屈、何回やるんですか」


 私は紙袋を引き寄せました。


 所長が新聞をめくりながら言います。


「一人二匹」


「ほら」


「所長まで勝手に」


「合理的配分だ」


「異議なし」


 私はたい焼きを一つ取りました。


 まだ温かい。


 尻尾から食べます。


「頭からじゃないのか」


 相馬先輩が言いました。


「何でそこまで指導されるんです」


「主義だ」


「行政指導ですか」


「従え」


「任意性どこ行った」


 所長が少しだけ口元を緩めました。


 私は笑いながら。


 机の端にあるノートを開きました。


 白いページ。


 今日の題名。


 ――聴聞の再開。


 でも。


 すぐには書きませんでした。


「何だ。今日は書かないのか」


 相馬先輩が聞きます。


「まだ整理できてません」


「何が」


「終わったあとに新しい事情が出たとき」


 私はペンをくるくる回しました。


「誰が再開を決めるのか」


「うん」


「何が出たら再開するのか」


「うん」


「勝手に担当者が戻していいのか」


「駄目そうだな」


「ですよね」


「それから?」


「一度出した報告はどうするのか」


 私はそこで止まりました。


 未来の記憶が、また浮かびます。


 行政庁が。


 主宰者に。


 報告書を返戻して。


 聴聞の再開を命ずる。


 返戻。


 つまり。


 「前の報告書は一旦返す。新しい事情も含めて、もう一度審理してこい」


 なんというか。


 法律用語のくせに。


 ものすごく事務的です。


 返す。


 やり直す。


 再提出。


 学校の宿題みたい。


 でも。


 今日の役所で実際に起きたことも。


 ほとんどそれでした。


 新しい整備記録。


 前提が揺らぐ。


 今ある報告のまま決裁するのは危ない。


 だったら。


 一度戻す。


 確認する。


 それから、もう一度判断する。


「こはる」


 所長が新聞越しに言いました。


「何を考えてる」


「一度終わったからって、全部確定するわけじゃないんだなって」


「当たり前だ」


「でも現場では、『終わった』って強いですよ」


「ああ」


「終わった。締めた。報告した。決裁に回した」


 私は指を折ります。


「そう言われると、もう触っちゃいけない感じがする」


「役所も人間だからな」


 相馬先輩が言いました。


「戻すの面倒なんだよ」


「ですよね」


「でも」


 所長が一言。


「面倒と不要は違う」


 私はペンを止めました。


 それです。


 今日の教訓。


 面倒だから、やらない。


 ではない。


 必要があるなら。


 終わった手続でも。


 一度戻す。


 法制度というものは。


 前へ進むためのルールだけじゃない。


 間違ったまま進みすぎないために。


 戻るためのルールも要る。


 私はノートの端に一行だけ書きました。


 ――「終わった手続」と「終わった判断」は同じではない。新しい事情が出たら、結論の前に戻れる道が要る。


「今日はまともだな」


 相馬先輩が覗き込みます。


「今日も、です」


「じゃあたい焼きもう一個」


「それとこれとは別です」


「新しい事情が生じた」


「何です?」


「俺がまだ腹減ってる」


「再開の必要なし」


「誰が決めた」


「行政庁たる私が」


「お前が行政庁なら、この事務所終わるぞ」


「失礼ですね!」


 所長が新聞をたたみました。


「たい焼きは一人二個だ」


「決定ですか」


「決定だ」


 相馬先輩が残りの袋を覗き込みます。


「所長。新しい事情です」


「何だ」


「一匹、餡が少ない」


「却下」


「見てもいない!」


 私は笑いました。


 今日。


 柴田さんの許可取消しは、なくなったわけではありません。


 十四号車の運行記録。


 監視員の日報。


 整備記録。


 市の管理ルール。


 まだ確認することはある。


 でも。


 朝の時点では。


 「もう終わっています」


 だった。


 夕方には。


 「もう一度確認します」


 になった。


 法律は。


 いつも答えをくれるわけじゃない。


 ときどき。


 答えを出すのを止めてくれます。


 新しい事実が出たなら。


 そのまま走るな。


 一度戻れ。


 見直せ。


 それから決めろ。


 制度の冷たさは。


 人を前へ押すだけではなく。


 ときどき。


 間違った方向へ進む足を、無理やり止めます。


 窓の外では。


 駅前再整備の工事灯が、夕暮れの中で点き始めていました。


 大型トラックが一台。


 ゆっくり交差点を曲がっていきます。


 側面には大きな数字。


 十四。


 私は思わず目を細めました。


 泥が跳ねれば。


 確かに。


 一の数字くらい、消えて見えるかもしれない。


 たった一本の線。


 でも。


 その一本を見落としただけで。


 四号車が十四号車になり。


 会社の許可が消えかけた。


 人間の判断って、案外そんなものです。


 だから。


 新しい証拠が出たときくらい。


 戻っていい。


 いや。


 必要なら。


 戻らなきゃいけない。


「先輩」


「何だ」


「たい焼き、尻尾に餡がありません」


「だから?」


「新しい事情です」


「再開するか?」


「袋の中を」


「もう空だ」


「終結してた!」


 どうやら。


 こちらの手続だけは。


 再開不能のようでした。

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