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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈商法・会社法 配点20点/300点〉 株式会社の機関    

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647/701

[会社法・株主総会決議の取消し・無効・不存在]現場編 「議事録にハンコがあれば総会成立」の嘘。開かれなかった株主総会と、三つの法律が暴く社長の乗っ取り計画

挿絵(By みてみん)

 会議を開かなかったことと、会議で間違った決定をしたことは、同じではありません。


 たとえば。


 株主総会で、招集通知を出し忘れた。


 これは、手続の問題です。


 株主総会で、法律に違反する決定をした。


 これは、決議の内容の問題です。


 では。


 そもそも株主総会を開いていなかったら?


 ……。


 それなのに。


 議事録だけは存在していたら?


 しかも、その議事録には、


 ――反対者なし。全会一致で承認。


 と書かれていたら?


 そんな紙切れ一枚で、会社を乗っ取ることができるのでしょうか。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 その日の私は、株主総会をめぐる三つの言葉に出会うことになります。


 決議取消し。


 決議無効。


 決議不存在。


 似ているようで、まったく違う。


 そして。


 この違いを間違えると。


 会社を守るための貴重な時間を、失ってしまうのです。


「私、会社を追い出されるそうなんです」


 朝九時。


 事務所を訪れた女性は、震える声でそう言いました。


「……追い出される?」


 私は聞き返しました。


 女性の名前は、杉浦澄江さん。


 四十八歳。


 地元の金属加工会社、杉浦精機株式会社の株主です。


 亡くなったご主人と一緒に、町工場を大きくしてきた人でした。


「主人が亡くなってから、会社の経営は専務に任せていたんです」


「専務さんですか」


「はい。黒田という男です」


 澄江さんは、膝の上の封筒を握りしめました。


「でも先週、その黒田が突然言い出したんです」


 私は身を乗り出しました。


「何をですか?」


「株主総会で、私の夫の弟を取締役から解任した、と」


「えっ」


「それから、黒田自身が新しい代表取締役になった、と」


 なるほど。


 経営権争いです。


 ただし、代表取締役を誰にするかは、当時の株式会社では原則として取締役会の問題です。


 株主総会では、取締役の選任や解任などが問題になります。


「それで、澄江さんは株主総会に出席されたんですか?」


「いいえ」


「欠席された?」


「違うんです」


 澄江さんは首を振りました。


「そんな株主総会があったなんて、知りませんでした」


「……え?」


「通知も来ていません」


 私は固まりました。


 株主総会。


 招集通知。


 株主の議決権。


 嫌な予感がします。


「ちょっと待ってください」


 私は手帳を開きました。


「澄江さんは、会社の株式をどのくらい持っているんですか?」


「四割です」


「四割!」


「はい。主人が亡くなったあと、相続しました」


「黒田さんは?」


「二割です」


「残りは?」


「親族や昔からの従業員が持っています」


 私は考えました。


 澄江さんが四割。


 黒田が二割。


 残り四割。


 少なくとも、黒田一人の持株だけで会社のすべてを決められるわけではありません。


「それで、こちらが会社から渡された書類です」


 澄江さんが封筒を開きました。


 中には、一枚のコピー。


 私は受け取りました。


 ――杉浦精機株式会社 臨時株主総会議事録。


 開催日時。


 昭和六十三年六月十五日。


 午後七時。


 開催場所。


 本社会議室。


 議案。


 第一号議案。


 取締役杉浦義雄の解任。


 第二号議案。


 黒田正志ほか二名の取締役選任。


 決議結果。


 全会一致で承認可決。


 私は最後の一行を見ました。


 全会一致。


「……全会一致?」


「はい」


「澄江さん、出席していないんですよね」


「もちろんです」


「それなのに、全会一致?」


「そうなんです!」


 私は頭を抱えました。


 これは。


 ちょっと待ってください。


 何かがおかしい。


 いえ。


 何かどころではありません。


「所長!」


 私は奥の机を振り返りました。


「これは、株主総会決議の取消しですよね!」


 片桐所長が顔を上げました。


「なぜそう思う」


「招集通知が来ていません! 招集手続に瑕疵があります!」


 よし。


 現代会社法の知識です。


 会社法八百三十一条。


 株主総会決議の取消しの訴え。


 招集手続や決議方法が法令・定款に違反した場合。


 あるいは著しく不公正な場合。


 そういうときに問題になる制度です。


「しかも、三か月以内です!」


 私は勢いよく言いました。


「急いで対応しないと!」


「こはる」


 相馬先輩が低い声で呼びました。


「はい!」


「お前、今、何条を考えた?」


「会社法八百三十一条です!」


「……会社法?」


 しまった。


 相馬先輩が眉を寄せました。


「また妙な法律を持ち出しやがって」


「あ……」


「ここは昭和六十三年だぞ」


「はい……」


「会社法なんて独立した法律はねえ」


 私は固まりました。


 そうでした。


 現代の株式会社は、会社法という独立した法律で規律されています。


 でも。


 昭和六十三年。


 会社の基本的なルールは、商法第二編。


 有限会社には有限会社法。


 今とは法体系が違うのです。


「株主総会の決議を争うなら、まず商法を開け」


「はい!」


 私は慌てて六法を開きました。


 商法。


 第二編。


 会社。


 株式会社。


 そして。


 株主総会。


「……あった!」


 商法第二百四十七条。


 株主総会決議取消しの訴え。


「これですね!」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


「三か月という期限も大事だ」


「はい!」


「だがな」


 先輩は議事録のコピーを指差しました。


「お前、まだ肝心なことを確かめてねえだろ」


「え?」


「本当に株主総会は開かれたのか?」


 私は止まりました。


「……あ」


 そうです。


 招集通知が来なかった。


 だから取消し。


 私は、そう考えました。


 でも。


 その前に。


 本当に株主総会が存在したのか。


 そこが問題なのです。


「まず、当日のことを教えてください」


 相馬先輩が澄江さんに尋ねました。


「六月十五日です」


「はい」


「その日の午後七時、会社で何かありましたか?」


「私には分かりません。ただ……」


「ただ?」


「会社は、その日、午後五時で閉まったと聞いています」


 私は顔を上げました。


「閉まった?」


「はい。工場の電気も落として、従業員も帰ったそうです」


「じゃあ、会議は?」


「それが……」


 澄江さんは別の紙を取り出しました。


「工場長が、これを持ってきてくれたんです」


 そこには。


 ――六月十五日。


 ――午後五時十分、工場施錠。


 ――午後五時二十分、全員退社確認。


 と書かれていました。


 工場の管理日誌。


「所長」


 私は言いました。


「開催場所は、本社会議室ですよね」


「そうだ」


「でも午後七時には、会社が閉まっていた?」


「その可能性がある」


 所長は静かに頷きました。


「ただし、施錠されていたことだけで、総会がなかったと決まるわけではない」


「あ……」


「鍵を持つ者が入った可能性もある。事実を積み上げろ」


 なるほど。


 またです。


 私は、すぐ結論に飛びついてしまいました。


 所長は澄江さんを見ました。


「他の株主には確認しましたか」


「はい」


「何人に?」


「五人です」


「何と?」


「誰も、株主総会に出席していないそうです」


 私は息を呑みました。


「招集通知は?」


「届いていないそうです」


「五人全員?」


「はい」


 相馬先輩が腕を組みました。


「なるほどな」


 その顔。


 嫌な予感がします。


 先輩がこういう顔をするとき。


 だいたい、相手の逃げ道がなくなり始めています。


「こはる」


「はい」


「取消しと不存在。どっちの問題も見えてきたな」


「……不存在」


 私は呟きました。


 そうです。


 総会を開いた。


 でも手続に問題があった。


 それなら取消し。


 しかし。


 そもそも総会を開いていなかった。


 出席者もいない。


 議決もされていない。


 なのに議事録だけ作った。


 それなら。


「決議不存在確認……!」


 私は顔を上げました。


「所長!」


「何だ」


「これ、ただの招集通知漏れではありません!」


「そうだな」


「決議そのものが、存在していない可能性があります!」


 所長は小さく頷きました。


「その違いを、忘れるな」


 その日の午後。


 さらに驚くべき話が入ってきました。


 杉浦精機の工場長から、澄江さん宛てに電話があったのです。


 黒田が。


 会社名義の土地を担保に入れようとしている。


 しかも。


 新しく選任されたという取締役たちは、全員黒田の知人。


 そして。


 元の取締役である杉浦義雄さんには、


 ――お前はもう役員じゃない。


 と通告したそうです。


「会社の土地まで……!」


 澄江さんが青ざめました。


「主人が残してくれた工場なんです」


 私は拳を握りました。


 これは、まずい。


 かなりまずい。


 株主総会の議事録。


 取締役の選任。


 取締役会。


 代表取締役の変更。


 会社の重要財産。


 全部がつながっています。


 もし。


 偽物の決議が本物として扱われたら。


 黒田は、わずか二割の持株しかないのに。


 会社の経営権を握ったように振る舞える。


「所長!」


「何だ」


「すぐ会社へ行きましょう!」


 私は立ち上がりました。


「黒田さんに、こんな決議は無効だって言ってやらないと!」


「座れ」


「えっ」


「まず、本人の意思を確認する」


 所長は澄江さんを見ました。


「あなたは、どうしたいですか」


 澄江さんは唇を噛みました。


「会社を守りたいです」


「はい」


「黒田を追い出したいというより……」


 その声が震えました。


「主人と従業員が守ってきた工場を、勝手に売られたり、担保に入れられたりするのを止めたいんです」


 所長は頷きました。


「分かりました」


 そして。


「相馬」


「はい」


「事実確認書を作る。議事録の原本も確認したい」


「了解です」


「こはる」


「はい!」


「定款と株主名簿を並べろ」


「はい!」


 所長は静かに言いました。


「まず、会社の本当の意思を調べる」


 その言葉に。


 私は背筋を伸ばしました。


 会社の意思。


 株主総会。


 議決。


 多数決。


 それは、ただ紙に書いてあれば成立するものではありません。


 株主が、適法な手続のもとで意思を表明する。


 その過程があって初めて。


 会社の意思として扱われるのです。


 翌日。


 澄江さん自身が、黒田に説明を求めることになりました。


 私と相馬先輩は、事前に株主名簿や議事録を確認するため、澄江さんの依頼で会社を訪れました。


 工場の事務棟。


 応接室。


 壁には、創業者である亡き杉浦社長の写真が飾られています。


 その下。


 大きな革張りの椅子に座っていたのが。


 黒田正志。


 五十四歳。


 専務として長年会社を支えてきた男。


 そして今は。


 勝手に社長を名乗っている人物です。


「行政書士?」


 黒田は私たちを見ると、鼻で笑いました。


「何だ。弁護士じゃねえのか」


 またです。


 悪徳経営者という人種は、なぜ最初にそこを確認するのでしょう。


「片桐行政書士事務所の相馬です」


 先輩が名刺を差し出しました。


「株主名簿と議事録について、事実確認をお願いしたい」


「何のためだ」


「杉浦澄江さんから書類作成の相談を受けています」


 黒田は笑いました。


「あの奥さんか」


「はい」


「会社のことなんか、何も分かっちゃいねえ」


 私は眉をひそめました。


 澄江さんは。


 創業以来、工場を支えてきた人です。


 経営の細かい実務を知らない部分があったとしても。


 それで株主としての権利が消えるわけではありません。


「それで?」


 黒田は机を指で叩きました。


「議事録がどうした」


 相馬先輩が言いました。


「六月十五日の臨時株主総会についてです」


「ああ」


「招集通知を発送した記録はありますか」


「通知?」


「はい」


「そんな細かいこと、いちいち覚えてねえよ」


 ……。


 細かいこと。


 株主総会の招集通知を。


 細かいこと。


 すごい。


 経営者として、言ってはいけない言葉を軽々と口にしています。


「では」


 先輩は続けました。


「当日の出席株主は?」


「議事録に書いてある」


「全会一致と記されていますね」


「ああ」


「具体的に、誰が出席しましたか」


 黒田は顔をしかめました。


「何だよ。尋問か?」


「事実確認です」


「株主総会は開いた。それでいいだろ」


 私は思わず口を開きました。


「でも、株主の方々は誰も出席していないと言っています」


 黒田がこちらを見ました。


「……何?」


「少なくとも、確認された五人の方は出席していません」


「だったら何だ」


「しかも、招集通知も受け取っていません」


 黒田は笑いました。


「そんなもん、後から文句を言われても困るな」


 ……。


 私は目を細めました。


「後から?」


「ああ」


「そもそも、実際に株主総会は開いたんですか?」


 黒田の笑みが消えました。


「お嬢ちゃん」


「はい」


「会社ってのはな」


 黒田は椅子に深く座り直しました。


「社長が決めりゃ動くんだよ」


「……」


「法律だの手続だの、そんなもんは会社を知らねえ奴の理屈だ」


 私は黙りました。


「俺が長年、この会社を回してきた」


 黒田は胸を張りました。


「だから俺が社長になる。それだけの話だ」


 そして。


 決定的な言葉を口にしました。


「議事録だってある。ちゃんとハンコも押してある。何が問題なんだ?」


 ……。


 ああ。


 なるほど。


 この人は。


 議事録という紙があれば、株主総会を開いたことにできると思っているのです。


「黒田さん」


 相馬先輩が静かに言いました。


「議事録は、会議の内容を記録するものです」


「知ってるよ」


「会議そのものを作り出す魔法の紙じゃありません」


 黒田の眉が動きました。


「何だと?」


「株主総会が存在しなければ、議事録に何を書いても、存在しない決議を本物にはできません」


 黒田は鼻で笑いました。


「じゃあ裁判でも何でもやれよ」


 その言葉に、先輩は表情を変えませんでした。


「裁判が必要になれば、弁護士に相談していただくことになります」


「何?」


「私たちは書類作成と事実確認を担当します」


 先輩は鞄を閉じました。


「必要な資料については、株主である澄江さんから正式に確認を求めていただきます」


 黒田は机を叩きました。


「勝手にしろ!」


 私たちは応接室を出ました。


 廊下に出たところで。


「先輩!」


「何だ」


「ものすごく腹が立ちました!」


「そうだろうな」


「あんな人が社長になれるんですか!」


「適法な手続を踏まなきゃ、なれねえよ」


「ですよね!」


「ただし」


 先輩は足を止めました。


「俺たちが、ここで社長を解任するわけじゃねえ」


「……はい」


「口で言い負かしても、登記や会社の書類が勝手に直るわけじゃない」


 そうです。


 行政書士は、紛争の代理交渉や訴訟代理を行う立場ではありません。


 まして、株主総会の決議が存在するかどうかを、私たちが最終的に裁判で判断するわけでもありません。


「でも」


 相馬先輩は言いました。


「書類の嘘は、書類で暴ける」


 私は顔を上げました。


「はい!」


「まず、誰が、いつ、何をしたか。そこを固めるぞ」


 なるほど。


 ここからが。


 行政書士の仕事なのです。


 事務所へ戻ると。


 片桐所長は、机の上に三枚の紙を並べました。


 一枚目。


 ――決議取消し。


 二枚目。


 ――決議無効。


 三枚目。


 ――決議不存在。


「こはる」


「はい」


「この三つを、同じものだと思うな」


「はい!」


「今回、どれが問題になる」


 私は最初の紙を見ました。


「まず、決議取消しです」


「なぜだ」


「招集通知が出されていなかった可能性があります」


「そうだ」


 所長が頷きます。


「適法に総会が開かれたとしても、招集手続や決議方法に問題があれば、取消しが問題になる」


「はい」


「では、二枚目は?」


 決議無効。


 私は考えました。


「決議の内容そのものに、法律上許されない問題がある場合です」


「そうだ」


 相馬先輩が横から言いました。


「会議の開き方がまずかった話と、会議で決めたこと自体が許されねえ話は、分けろ」


「はい」


 私は頷きました。


 たとえば。


 株式会社の株主総会で、


 ――会社のすべての株主は、出資額に関係なく、会社の借金を無制限に負担する。


 そんな決議をしたとします。


 株式会社の株主は、原則として引き受けた株式についての出資を限度として責任を負います。


 株主総会が多数決で決めたからといって、株主全員に会社債務の無限責任を押しつけられるわけではありません。


 こうした、法令に反する決議内容は、無効の問題になります。


「ただし」


 所長が言いました。


「昭和の商法第二百五十二条は、決議の内容が法令だけでなく、定款に違反する場合も無効確認の対象としている」


「……え?」


 私は固まりました。


 定款違反。


 現代会社法では、決議の内容が定款に違反するときは、原則として取消事由です。


 でも。


 昭和六十三年の旧商法では。


 決議内容の定款違反も、無効確認の枠組みに入る。


「そこまで違うんですか……!」


 相馬先輩が呆れました。


「お前、いったい何と比べてるんだ」


「い、いえ!」


 危ない。


 また未来の会社法を持ち込むところでした。


 所長は三枚目を指差しました。


「では、これは?」


 決議不存在。


 私は息を吸いました。


「そもそも、株主総会の決議が成立していない場合です」


「そうだ」


「総会を開いていないのに、議事録だけ作った場合などです」


「うん」


「今回の杉浦精機は、これが一番重大な問題になります」


 所長は頷きました。


「ただし、まだ断定するな」


「はい」


「実際に総会が開かれなかった証拠を揃える」


 私は三枚の紙を見つめました。


 取消し。


 無効。


 不存在。


 最初は、似たような言葉でした。


 でも。


 ようやく分かってきました。


 決議取消しは、成立した決議の瑕疵を争う制度。


 決議無効は、決議内容の違法性などが問題になる制度。


 決議不存在は、そもそも決議が成立したといえるのかを争う制度。


「所長」


「何だ」


「不存在って、すごく強い言葉ですね」


「そうだな」


「最初から、決議がなかったことになるんですよね」


 所長は静かに答えました。


「正確には、存在しない決議について、存在しないことを確認するんだ」


「……なるほど」


「紙に書いたことと、実際に起きたことは違う」


 私は頷きました。


 この違い。


 会社を守るうえで、ものすごく重要です。


「それと、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「取消しには期限がある」


「三か月です!」


「そうだ」


「決議の日から三か月以内!」


 私は勢いよく答えました。


 昭和の商法第二百四十七条。


 株主総会決議取消しの訴え。


 決議の日から三か月以内という期限があります。


 今回の議事録に書かれた日付は、六月十五日。


 つまり。


 仮に、その日に総会が実際に開かれ、取消しの対象となる決議が成立していたなら。


 三か月という期限が問題になります。


「一方で」


 私は言いました。


「決議無効確認や決議不存在確認には、取消しのような三か月の提訴期間はありません」


「そうだ」


「だから、今回も急がなくていい……?」


「馬鹿野郎」


 相馬先輩が即座に言いました。


「えっ!」


「期限がねえことと、放っておいていいことは別だ」


「……あ」


「相手はもう社長を名乗ってるんだろ」


「はい」


「会社の土地を担保に入れようとしてるんだろ」


「はい」


「だったら、何が起きる」


 私は考えました。


 偽物の議事録。


 役員変更。


 代表取締役の変更登記。


 銀行。


 取引先。


 会社の不動産。


「……被害が広がります」


「そういうことだ」


 相馬先輩は机を指で叩きました。


「法律上、いつでも争えるからって、何年も寝かせていいわけじゃねえ」


「はい!」


「しかも、単なる招集手続の瑕疵なのか、決議そのものが不存在なのか。最初から決めつけるな」


 なるほど。


 だから。


 証拠を集めながら、期限の問題にも備える。


 これが実務なんですね。


「それから」


 片桐所長が言いました。


「裁判になった場合、どの訴えで何を主張するかは、弁護士の仕事だ」


「はい」


「我々は、事実を整理し、本人の意思に基づく通知と必要な資料を整える」


「分かりました!」


「訴えの準備が必要なら、早急に弁護士へ引き継ぐ」


 私は頷きました。


 法律の知識だけではありません。


 誰が何をできるのか。


 どこまでが行政書士の仕事なのか。


 そこも間違えてはいけないのです。


 それから二日。


 私たちは、澄江さんから提出された資料を整理しました。


 六月十五日の工場管理日誌。


 株主名簿。


 定款。


 招集通知の発送記録の有無に関する確認書。


 株主五人の事実確認書。


 そして。


 決定的な資料が出てきました。


「こはる」


 相馬先輩が私を呼びました。


「はい!」


「これを見ろ」


 机の上に置かれたのは、一冊の帳簿。


 事務所の受付記録でした。


「黒田が、六月十五日の午後七時に何をしていたか分かった」


「え?」


 私は帳簿を見ました。


 そこには。


 ――六月十五日。


 ――午後六時五十分。


 ――黒田専務来訪。


 ――取引先との支払条件打合せ。


 と書かれていました。


「これ……!」


「黒田はその日、午後七時から別の場所で商談してたんだ」


「じゃあ株主総会は?」


「少なくとも、議事録に書かれた時刻との食い違いがある」


 相馬先輩は続けました。


「取引先の担当者が、当日の打合せ記録を持っていた。黒田自身の署名もある」


 私は息を呑みました。


 黒田は。


 午後七時。


 本社会議室で株主総会を開いたと言っている。


 でも。


 同じ時刻。


 別の場所で、取引先と商談をしていた。


「……二か所に同時にいたんですか?」


「黒田が分身の術でも使えりゃな」


「忍者じゃないんですから!」


「だろ?」


 先輩は笑いました。


「ただし、これ一つで決まりとは言わねえ。本人が途中で移動した可能性もある」


「はい」


「でも、株主たちの証言、施錠記録、通知記録、全部合わせるとどうだ」


 私は資料を見ました。


 株主総会の招集通知が確認できない。


 出席したという株主が見つからない。


 開催場所は施錠されていた。


 議長だったはずの黒田は、別の場所で商談していた。


 そして。


 全会一致と書かれた議事録。


「……おかしいです」


「そうだな」


「ものすごく、おかしいです」


 片桐所長が静かに言いました。


「こはる」


「はい」


「議事録は、誰が作った」


 私は確認しました。


 作成者。


 黒田正志。


 議長署名。


 黒田正志。


 そして。


 ほかの署名欄には、名前が書かれているだけ。


「……これ」


「どうした」


「ほかの取締役の方の署名押印が、確認できません」


 所長は頷きました。


「当時の商法第二百四十四条も確認しておけ」


「はい!」


 株主総会議事録。


 決議の記録。


 署名。


 記載すべき事項。


 単なるメモではありません。


 会社の意思決定を証明する重要な書面です。


 だからこそ。


 そこに嘘があれば。


 会社の仕組みそのものが、悪用されてしまうのです。


 三時間後。


 私の前には、一通の内容証明郵便の原案がありました。


 差出人。


 杉浦澄江。


 宛先。


 杉浦精機株式会社。


 代表者として届け出られている者に関する事情も確認し、送付先や通知方法は所長が慎重に検討しました。


「読み上げろ」


 片桐所長が言いました。


「はい!」


 私は息を吸いました。


「第一。本通知人は、杉浦精機株式会社の株主であり、同社発行済株式の四割を保有する」


「うん」


「第二。昭和六十三年六月十五日付臨時株主総会議事録には、取締役の解任及び選任について全会一致の決議があった旨が記載されている」


「続けろ」


「第三。しかしながら、通知人には当該株主総会の招集通知が到達しておらず、当該総会に出席した事実もなく、議決権を行使した事実もない」


 相馬先輩が頷きました。


「いいぞ」


「第四。当日の本社施錠記録、株主らの事実確認書その他の資料によれば、議事録記載の日時及び場所において、記載どおりの株主総会が開催されたことには重大な疑義がある」


「うん」


「第五。したがって、本件議事録に記載された取締役解任及び選任の決議については、その成立自体に疑義があり、株主総会決議の不存在が問題となる」


 私は一度、息を吸いました。


「第六。仮に株主総会が開催され、何らかの決議が成立していたとしても、招集手続及び決議方法について、商法第二百四十七条に基づく取消事由の有無を検討する必要がある」


 相馬先輩が言いました。


「よし」


「第七。本通知人は、上記各決議及びこれを根拠とする役員変更等について、その適法性及び効力を認めるものではない」


 私は最後の部分を読みました。


「第八。貴社において、本件株主総会に係る招集通知の発送記録、出席株主及び議決権数、議事録原本その他の関係資料について、法令に基づく適切な方法による確認に応じられたい」


 そして。


「第九。本件について適切な対応がなされない場合、通知人は弁護士への相談のうえ、株主総会決議不存在確認の訴え、決議取消しの訴えその他必要な法的措置を検討する」


 私は読み終えました。


「……どうでしょうか」


 片桐所長は、しばらく書面を見つめました。


 そして。


 赤鉛筆を取りました。


 嫌な予感。


「ここ」


「はい」


「『不存在なので、すべての役員変更は当然に無効である』と書こうとした跡があるな」


「……はい」


「消して正解だ」


 私は胸を撫で下ろしました。


「決議の不存在が認められるかどうかは、事実に基づいて判断される」


「はい」


「その後の役員変更や第三者との取引の効力も、個別に検討すべき問題がある」


「はい」


「最初から全部を断定するな」


 所長は続けました。


「それから、内容証明郵便は裁判所の判決ではない」


「はい!」


「相手に法律上の問題を通知する書面だ。それ自体で決議を取り消したり、不存在を確定したりできるわけではない」


「分かりました!」


 所長は赤鉛筆を置きました。


「いいだろう」


「本当ですか!」


「本人に確認してもらえ」


「はい!」


 私は思わず拳を握りました。


 でも。


 書面はこれだけではありません。


 株主名簿の写し。


 工場管理日誌。


 株主の事実確認書。


 議事録のコピー。


 そして、商談記録。


 これらを整理した資料一覧も作りました。


 相馬先輩が言いました。


「いいか、こはる」


「はい」


「悪党が一番困るのは、法律用語を並べられることじゃねえ」


「何ですか?」


「自分の言ってることと、実際の記録が食い違ってると突きつけられることだ」


 私は頷きました。


 議事録には、午後七時に株主総会を開いたとある。


 でも。


 その時刻の黒田には、別の場所で商談をしていた記録がある。


 議事録には、全会一致とある。


 でも。


 出席した株主が見つからない。


 議事録には、適法に選任された取締役たちの名前がある。


 でも。


 その選任を決めた総会の存在が疑わしい。


 嘘は。


 一枚の紙だけなら、もっともらしく見えることがあります。


 けれど。


 別の記録と突き合わせれば。


 矛盾が浮かび上がる。


「所長」


「何だ」


「怖いですね」


「何がだ」


「議事録に書いた嘘って、後からこんなに追い詰められるんですね」


 所長は静かに言いました。


「書類は、人の記憶より長く残る」


 私は、その言葉を胸に刻みました。


 内容証明郵便を発送した翌々日。


 黒田から、杉浦澄江さんに電話が入りました。


『……澄江さん』


「はい」


『あの、通知書の件なんですが』


 あの威勢のよさは、どこへ行ったのでしょう。


 声が小さかったそうです。


『ちょっと、行き違いがありましてね』


「行き違い?」


『株主総会のことです』


「はい」


『その……実際には、きちんと開いていなかったかもしれないんです』


 ……。


 私は、その話を聞いて固まりました。


 きちんと開いていなかった。


 何ですか、その言い方。


 まるで会議室の椅子を並べ忘れた程度の話ではありませんか。


 澄江さんは、落ち着いて尋ねたそうです。


「黒田さん。六月十五日の株主総会は、実際に開いたんですか?」


 すると。


 しばらく沈黙があって。


『……開いていません』


 黒田は、そう答えたのです。


 ……。


 ついに。


 認めました。


『でも、取締役たちとは話をしていたんです』


「株主総会ではないですよね」


『……はい』


「全会一致というのも?」


『……書類を作っただけです』


 その言葉を聞いた澄江さんは、しばらく何も言えなかったそうです。


 ご主人が亡くなってから。


 会社を信じて預けていた相手。


 その男が。


 開いてもいない株主総会の議事録を作っていた。


 しかも。


 それを根拠に、会社の経営権を握ろうとしていた。


「黒田さん」


 澄江さんは静かに言いました。


「主人が、あなたをどれだけ信頼していたか、覚えていますか」


 電話の向こうは、沈黙したままでした。


「私は、会社を守りたいんです」


『……はい』


「もう、こういうことはやめてください」


 黒田は、何も言い返せなかったそうです。


 さらに翌日。


 黒田自身が弁護士に相談した結果、問題の重大さを理解したらしく、澄江さんに書面を届けました。


 そこには。


 ――六月十五日付臨時株主総会議事録記載の株主総会は、実際には開催していない。


 ――同議事録記載の取締役解任及び選任決議は、実際には行われていない。


 ――当該議事録の記載を根拠として会社の経営権を主張しない。


 と書かれていました。


 黒田の署名押印。


 そして。


 会社側は、適法な権限を有する役員による確認を経て、必要な是正手続を進める方針を示しました。


 会社名義の土地についても、問題となっていた担保設定の話はいったん撤回されました。


 役員変更登記に関する問題については、弁護士と司法書士が対応することになりました。


「……よかった」


 私は安堵しました。


 でも。


 相馬先輩は、まだ厳しい表情でした。


「これで全部終わりじゃねえぞ」


「え?」


「黒田が勝手に動かした金や、会社に与えた損害があれば、別の問題が残る」


「あ……」


「取締役としての責任もあり得る」


 私は頷きました。


 そうです。


 議事録の問題が解決したからといって。


 会社に与えた損害まで消えるわけではありません。


「もし会社に損害を与えていたら……」


「商法上の取締役責任が問題になる」


「株主代表訴訟も、考えられますよね」


「ああ。要件を満たせばな」


 昭和六十三年にも、株主が一定の要件のもとで取締役の責任を追及する代表訴訟の制度は存在します。


 黒田は。


 議事録を作れば、自分の思いどおりになると思っていた。


 でも。


 その行為が会社に損害を与えれば、今度は自分自身の責任を問われる可能性がある。


「先輩」


「何だ」


「会社って、社長の持ち物じゃないんですね」


 相馬先輩は鼻で笑いました。


「当たり前だ」


 そして。


 いつもの調子で言いました。


「社長が一番偉いんじゃねえ。商法を守った奴が勝つんだよ」


 私は笑いました。


 その言葉。


 今日も、よく似合っています。


 一週間後。


 澄江さんが事務所を訪れました。


 今度は、少し明るい表情でした。


「工場が、落ち着きを取り戻しました」


 そう言って、写真を一枚見せてくれました。


 そこには。


 工場の前に並ぶ従業員たち。


 古い機械。


 油に汚れた作業着。


 そして。


 中央には、亡くなったご主人の写真を抱えた澄江さん。


「みんな、心配していたんです」


 澄江さんは言いました。


「会社がどうなるのか分からなくて」


 私は頷きました。


「そうですよね」


「でも、今はまた、機械が動いています」


 その声が少し震えました。


「主人が残してくれた工場を、守ることができました」


 私は胸が熱くなりました。


 株主総会。


 決議。


 取消し。


 無効。


 不存在。


 行政書士試験の教材では、どれも硬い言葉です。


 覚えにくい。


 似ている。


 間違えやすい。


 でも。


 実際には。


 町工場で働く人たちの生活。


 亡くなった人の思い。


 株主の財産。


 そういうものを守るための制度だったのです。


「澄江さん」


 私は言いました。


「今回、一番大きかったのは、株主総会を本当に開いたのかどうかでした」


「はい」


「議事録に書いてあるからといって、本当に決議があったとは限らないんです」


 澄江さんは頷きました。


「主人も、よく言っていました」


「何をですか?」


「会社っていうのは、人が集まって作るものだって」


 私は顔を上げました。


「人が?」


「はい。社長一人で動いているわけじゃない。従業員も、株主も、取引先もいる。だから、一人で何でも決めてはいけないんだって」


 私は少し笑いました。


 なるほど。


 株主総会という制度は。


 単なる形式ではありません。


 株主が会社の重要な意思決定に参加するための仕組みです。


 招集通知。


 議決権。


 決議。


 議事録。


 それぞれに意味がある。


 そして。


 その仕組みを無視した人が、議事録一枚で会社を支配できるようでは。


 株式会社という制度が、成り立たなくなってしまうのです。


 澄江さんが帰ったあと。


 私は机の上に、三枚の紙を並べました。


 決議取消し。


 決議無効。


 決議不存在。


「相馬先輩」


「何だ」


「ようやく分かりました」


「何がだ」


「全部、株主総会の決議を争う制度ですけど、見ているところが違うんですね」


「ほう」


 先輩がこちらを見ました。


「言ってみろ」


 私は一枚目を指差しました。


「決議取消しは、招集手続や決議方法などに問題がある場合」


「うん」


「そして、原則として決議の日から三か月以内に訴えを起こす必要があります」


「そうだ」


 二枚目。


「決議無効は、決議の内容そのものが法律に違反するような場合」


「うん」


「ただし昭和の商法では、決議内容の定款違反も無効確認の対象になります」


「よし」


 三枚目。


「決議不存在は、そもそも決議が成立していない場合」


「そうだ」


「今回みたいに、株主総会を開いていないのに、議事録だけ作った場合です!」


 先輩が頷きました。


「よく覚えたな」


「褒めました?」


「事実を言っただけだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 そこへ片桐所長が言いました。


「こはる」


「はい」


「もう一つ、覚えておけ」


「何でしょう」


「裁判所の判決が確定したときの効力だ」


 私は首をかしげました。


「効力?」


「ああ」


 所長は静かに続けました。


「株主総会決議の取消しや無効、不存在が裁判で確定すれば、その効力は当事者だけの問題にとどまらない」


「……あ」


 私は気づきました。


「対世効!」


「そうだ」


 たとえば。


 ある株主が、取締役選任決議の取消しを求めて勝訴した。


 そのとき。


 裁判を起こした株主に対してだけ、取締役ではなくなる。


 ほかの株主に対しては、取締役のまま。


 そんなことになったら。


 会社は大混乱です。


「会社の役員が誰なのか、人によって違っていたら困りますよね」


「そうだ」


「だから、確定判決の効力を広く及ぼす仕組みがあるんですね」


 所長は頷きました。


「会社の法律関係は、できるだけ統一して確定させる必要がある」


 なるほど。


 ただし。


 判決で決議の効力を否定することと、その決議を前提に行われた取引の処理は、常に同じ問題ではありません。


 第三者との関係では、別の法律問題も生じ得ます。


 そこまで理解しなければ。


 本当の意味で、会社を守ることにはならないのです。


「ところで」


 私は急に思いつきました。


「相馬先輩」


「何だ」


「もし私が株主総会を開いて、先輩を解任するって決議したらどうなります?」


 先輩が顔をしかめました。


「は?」


「たとえばです!」


「お前、何の株主だよ」


「片桐行政書士事務所の株主です!」


「うちは株式会社じゃねえ!」


「……あ」


 私は固まりました。


 そうでした。


 片桐行政書士事務所は、株式会社ではありません。


 株主もいません。


 株主総会もありません。


「じゃあ、所長!」


「何だ」


「私たちで株式会社を作りましょう!」


 所長が顔を上げました。


「何のために」


「勉強会用です!」


「……」


「株主総会を体験するんです!」


 相馬先輩が呆れた声を出しました。


「馬鹿か、お前は」


「ひどい!」


「株式会社を作るのに、どれだけ手間がかかると思ってる」


「え? 発起人一人でも……」


 ……。


 あ。


 しまった。


 またです。


 現代の会社法。


 未来の知識。


 私は口を押さえました。


 相馬先輩が怪訝な顔をしました。


「発起人一人?」


「あ、いえ、その……」


「株式会社の発起人は七人以上必要だぞ」


「……ですよね!」


「それに取締役は三人以上、監査役も必要だ」


「はい……」


「お前、誰と会社を作る気だ」


 私は考えました。


 私。


 相馬先輩。


 片桐所長。


 三人。


 ……。


 全然足りません。


「じゃあ、商店街の人に名前を貸してもらって……」


「おい」


 相馬先輩の声が低くなりました。


「はい?」


「頭数合わせのために、安易に名前を借りようとするな」


「……はい」


「会社は遊びじゃねえ」


 片桐所長も頷きました。


「名義だけの役員を並べても、会社の責任まで消えるわけではない」


 私は背筋を伸ばしました。


 そうです。


 この時代。


 株式会社の設立には、発起人七人以上という厳しい要件がありました。


 だから。


 名義貸し。


 頭数合わせ。


 形式だけの役員。


 そういう問題が生じやすかった。


 一方。


 現代では、会社法が独立し、株式会社の設立手続も大きく簡略化されています。


 発起人一人。


 取締役一人。


 資本金一円。


 条件を満たせば、そういう株式会社も設立できます。


 でも。


 昭和六十三年には、まだ先の話。


「先輩」


「何だ」


「昔の株式会社って、大変ですね」


「当たり前だ」


「作るのも大変」


「ああ」


「運営するのも大変」


「そうだ」


「株主総会を開くのも大変」


「だからって、開いたことにするんじゃねえぞ」


「それです!」


 私は指を立てました。


「今回の黒田さんみたいに!」


 相馬先輩が笑いました。


「ようやく話が戻ったな」


 私は苦笑しました。


 そうです。


 法律が厳格だからといって。


 面倒な手続を飛ばしていいわけではありません。


 むしろ。


 その手続には、守るべき人がいる。


 会社にお金を出した株主。


 会社を支える従業員。


 会社を信じて取引する人たち。


 彼らの権利や生活があるからこそ。


 勝手に議事録を作って、会社を私物化することを許してはいけないのです。


 夕方。


 私は、机の上の書類を片付けていました。


 杉浦精機の事件。


 最初は、単なる株主総会の招集通知漏れだと思いました。


 だから、決議取消し。


 そう考えた。


 でも。


 調べてみると。


 そもそも株主総会が開かれていなかった。


 決議が存在していなかった。


 そして、その嘘を記載した議事録が、会社乗っ取りの道具に使われようとしていた。


「……怖いですね」


 私は呟きました。


 相馬先輩が言いました。


「何がだ」


「株主総会って、法律の手続一つで、会社の運命が変わっちゃうんですね」


「まあな」


「でも、逆に」


「逆に?」


「その手続をちゃんと守れば、横暴な社長から会社を守れるんですね」


 先輩は少し黙りました。


 それから。


「そういうことだ」


 と答えました。


 私は笑いました。


 所長も帳簿を閉じました。


「こはる」


「はい」


「今日、何を覚えた」


 私は少し考えました。


 そして答えました。


「株主総会の決議を争うときは、何が問題なのかを見極めることです」


「うん」


「手続に問題があるのか」


「うん」


「内容に問題があるのか」


「うん」


「それとも、そもそも決議が存在しないのか」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 私はノートを開きました。


 そして。


 今日の一行を書きました。


 ――決議は、紙に書いたから生まれるのではない。適法な手続と、実際の意思決定によって生まれる。


 よし。


 これなら忘れません。


 決議取消し。


 決議無効。


 決議不存在。


 三つの違いは。


 これから先、会社の事件を扱うたびに思い出すことになるでしょう。


 そのとき。


 電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です!」


『あのう……』


 男性の声。


『うちの会社で、株主総会を開いたんですが……』


 私は受話器を握り直しました。


「はい」


『その総会で、社長の親戚だけが得をするような決議が通ってしまいまして』


 ……。


 来ました。


 今度は。


 総会は、ちゃんと開いている。


 でも。


 特定の株主だけが、特別な利益を受けるような決議。


 しかも。


『その人が、自分の持っている大量の株で賛成したから、決議が通ったんです』


 私は顔を上げました。


「相馬先輩!」


「何だ!」


「今度は、総会自体は開いてます!」


「聞こえてる!」


「でも、特別な利害関係を持つ株主が議決権を行使したみたいです!」


 相馬先輩が煙草を灰皿に押しつけました。


「こはる」


「はい!」


「まず、何が決議されたのか聞け」


「はい!」


「特別な利害関係があるからって、それだけで何でも取消しになるわけじゃねえぞ」


 ……。


 そうでした。


 株主総会決議の取消し。


 無効。


 不存在。


 どれも。


 単純な言葉だけで判断してはいけません。


 具体的に何が起きたのか。


 どの法律が適用されるのか。


 どんな事実が必要なのか。


 そこを確認する。


 私は受話器に向かって尋ねました。


「すみません。まず、その株主総会で、どんな決議がされたのか教えてください」


 昭和六十三年。


 会社をめぐる争いは、今日も一筋縄ではいきません。


 でも。


 私は、少しだけ楽しみになっていました。


 なぜなら。


 株主総会という、分厚い六法の中にしか存在しないと思っていた制度が。


 今は。


 町工場を守るための、確かな武器に見えるからです。


「相馬先輩!」


「今度は何だ!」


「商法って、やっぱり面白いですね!」


「面白がってる暇があったら、相談票を取れ!」


「はいっ!」


 私は慌てて鉛筆を取りました。


 株主総会を開いたか。


 招集手続は適法だったか。


 決議内容に問題はないか。


 議事録には、何が書かれているか。


 そして。


 何より。


 実際に、何が起きたのか。


 そこを確かめることにします。


 だって。


 赤いハンコが押された議事録一枚で、会社を好き勝手にできるほど。


 商法は、甘い法律ではないのです。

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