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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈商法・会社法 配点20点/300点〉 株式

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617/701

[会社法・単独株主権と少数株主権]現場編 「たった一株の株主に何ができる」の嘘。三パーセントの反撃と、会社を私物化したワンマン社長の誤算

挿絵(By みてみん)

 会社の社長だからといって、会社のすべてが自分のものになるわけではありません。


 社長の椅子に座っていても。


 金庫の鍵を持っていても。


 社員全員が頭を下げても。


 会社には、社長よりも強いものがあります。


 それは。


 株主の権利です。


 たった一株でも行使できる権利。


 一定の株式を持たなければ行使できない権利。


 この二つを区別するだけで。


 誰にも逆らえないと思っていたワンマン社長が、顔色を変えることがあるのです。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 その日、私は知ることになります。


 会社を支配しているつもりの人間ほど。


 自分以外の株主を、ただの飾りだと思っている。


 そして。


 その油断こそが、商法の刃を最も深く突き刺す隙になるのだと。


「うちの社長が、会社の金を自分の金みたいに使っているんです」


 朝九時。


 事務所を訪れた女性は、そう言いました。


 名前は、三浦澄江さん。


 四十六歳。


 紺色の事務服を着た、落ち着いた女性です。


 ただし。


 その手は、膝の上で強く握り締められていました。


「会社の金を、ですか?」


 私が尋ねると、澄江さんは頷きました。


「父が作った会社なんです」


 会社名は、株式会社三浦精機。


 町外れの工業団地にある、小さな金属加工会社です。


 従業員は二十八人。


 旋盤やフライス盤を使い、自動車部品の下請け加工をしている。


 創業者は、澄江さんの父親。


 三浦源蔵さん。


 七十二歳。


「父は三十年かけて会社を育てました。でも三年前、体を悪くして社長を退いたんです」


「それで、今の社長は?」


「父の弟です」


 私は少し身構えました。


 親族経営。


 中小企業。


 社長交代。


 この三つがそろうと、どうしても嫌な予感がします。


「叔父の三浦重蔵が、代表取締役になりました」


「叔父さんが?」


「はい。最初は、父も喜んでいたんです。弟なら会社を任せられる、と」


「でも、違った?」


 澄江さんの表情が曇りました。


「叔父は、会社の預金から自分の別荘の購入代金を出していました」


「……え?」


「熱海の別荘です。二千万円近いお金が、会社から出ているんです」


 私は思わず鉛筆を止めました。


 二千万円。


 昭和六十三年の地方の町工場です。


 決して小さな金額ではありません。


「会社の事業用の保養施設だった可能性は?」


 相馬先輩が尋ねます。


「私もそう思いたかったんです。でも、不動産の登記名義は叔父個人でした」


「会社から叔父への貸付けという処理は?」


「帳簿には『設備投資仮払金』と書かれていました」


「設備投資?」


「はい。でも工場には新しい機械なんて入っていません」


 なるほど。


 設備投資の名目で、会社の資金が支出されている。


 しかし、実際には社長個人の不動産購入に使われた疑いがある。


「父が問い詰めたんです」


 澄江さんは続けました。


「そうしたら叔父は、こう言ったそうです」


 ――俺が社長だ。会社の金をどう使おうと俺の自由だ。


 ……。


 出ました。


 会社の金は俺のもの理論。


 法律の教科書で、一番最初に赤線を引いて否定したくなる考え方です。


「でも、お父様は創業者ですよね?」


「はい」


「株式は持っていらっしゃるんですか?」


「持っています。ただ……」


 澄江さんは鞄から、一枚の紙を出しました。


 株主名簿の写し。


 そこには、発行済株式総数一万株と書かれています。


「父が百八十株。私が百二十株です」


 私は数字を見ました。


 百八十。


 百二十。


 合計三百株。


 一万株のうち三百株。


 つまり。


 三パーセント。


 あ。


 私は顔を上げました。


「三パーセント……!」


 澄江さんが驚きます。


「え?」


「所長!」


 私は勢いよく立ち上がりました。


「これ、使えます!」


 相馬先輩が新聞から顔を上げます。


「何がだ」


「少数株主権です!」


 よし。


 来ました。


 会社法。


 行政書士試験で勉強した、あの分野です。


 株主には、たった一株でも行使できる単独株主権がある。


 一方で、一定の割合以上の株式を持つことで行使できる少数株主権もある。


 そして。


 総株主の議決権の三パーセント以上。


 これが、株主総会の招集請求権につながる数字。


「お父様と澄江さんの株式を合わせれば、三パーセントです!」


「それで、どうなるんですか?」


「株主総会を開くよう求めることができます!」


 澄江さんの目に、少し光が戻りました。


 しかし。


「こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「お前、今、何の法律を考えてる」


「会社法です!」


「……会社法?」


 先輩の眉が動きました。


 あ。


 しまった。


 またです。


 昭和六十三年。


 この時代には、現代の独立した会社法はありません。


 株式会社についての基本的なルールは、商法第二編。


 有限会社については、有限会社法。


 現代の私が当たり前に使っていた法律体系とは違うのです。


「ええと……商法です!」


「最初からそう言え」


「はい……」


 相馬先輩は株主名簿を見ました。


「それと、数字だけで飛びつくな」


「え?」


「この三百株、議決権のある株式なのか?」


「あ」


「株主名簿に名前があるからって、それだけで必要な要件を全部満たすとは限らねえ」


 私は慌てて資料を確認しました。


 三浦精機は、株式を取引所に上場している会社ではありません。


 小さな同族会社。


 今回の三百株はいずれも議決権のある株式で、単位未満株式の問題もありません。


「はい。議決権を行使できる株式です」


「保有期間は?」


「父は創業時から。私は十五年前からです」


 澄江さんが答えました。


 相馬先輩が頷きます。


「よし。では、その三百株には意味がある」


「本当ですか?」


「ただし、三パーセントで会社を乗っ取れるわけじゃありません」


 私は少し冷静になりました。


 そうです。


 三パーセント。


 これは、会社を支配できる数字ではない。


 普通決議を単独で通せる数字でもない。


 でも。


 会社の経営者に対して、正式な手続を要求するための数字にはなる。


「所長」


 私は言いました。


「株主総会の招集を請求しましょう」


 片桐所長は、すぐには答えませんでした。


 株主名簿。


 定款。


 決算書。


 そして、澄江さんが持参した帳簿の写し。


 一枚ずつ確認しています。


 やがて。


「その前に」


 所長が言いました。


「昨年の株主総会の議事録はあるか」


「はい」


 澄江さんが封筒を取り出しました。


「これです」


 所長は受け取りました。


 そして。


 ある一行で、指を止めました。


「……なるほど」


 小さな声。


 私は思いました。


 あ。


 これは。


 所長が、何か見つけたときの声です。


「この議事録、おかしいですね」


 私は所長の示した部分を読みました。


 ――昭和六十二年六月二十日、午前十時より本店会議室において定時株主総会を開催した。


 出席株主。


 四名。


 議決権数。


 九千七百株。


 議案。


 取締役の選任。


 利益処分案の承認。


 いずれも全会一致で可決。


「……全会一致?」


 私は首をかしげました。


「澄江さん、お父様はこの総会に出席されましたか?」


「いいえ」


「招集通知は?」


「届いていません」


「議決権の代理行使を頼みました?」


「そんなこともありません」


 私は議事録を見直しました。


 出席株主四名。


 議決権数九千七百株。


 つまり。


 澄江さんとお父様の三百株は含まれていない計算です。


 それ自体は、必ずしもおかしくありません。


 全株主が出席しなければ、株主総会が成立しないというわけではないからです。


 しかし。


「招集通知が届いていない?」


 私は呟きました。


 定款には、株主総会の招集通知についての規定がありました。


 そして、澄江さんたちに適法な通知がなされたことを示す資料は、見当たりません。


「所長」


「何だ」


「株主を呼ばずに、勝手に総会を開いたんでしょうか」


「可能性はある」


「じゃあ、決議取消しの訴えです!」


「待て」


 相馬先輩が遮りました。


「はい?」


「いつの決議だ?」


「昨年の六月です」


「今日は?」


「昭和六十三年の……」


 あ。


 私は固まりました。


 株主総会の決議取消しには、出訴期間があります。


 いつまでも自由に取り消せるわけではありません。


 現代の会社法でも、決議の日から三か月という期間が重要になります。


 昭和の商法でも、決議取消しについて期間の制限がありました。


「……過ぎています」


「そうだ」


 先輩が頷きます。


「昔の議事録がおかしいからって、いつでも取消訴訟を起こせるわけじゃねえ」


「はい……」


「無効や不存在の問題と、取消しの問題も区別しろ」


 私は深く頷きました。


 なるほど。


 株主だからできる。


 それだけでは足りない。


 どんな権利なのか。


 いつ行使できるのか。


 どんな要件があるのか。


 そこまで確認しなければならない。


 片桐所長が議事録を閉じました。


「だが、この議事録は保管しておけ」


「はい」


「招集手続について疑問があったことを示す資料にはなる」


 そして。


 所長は、もう一枚の書類を手に取りました。


 今年の株主総会の招集通知です。


 議題は、役員報酬の増額。


 その一行を見た瞬間。


 私は思わず声を上げました。


「社長の報酬、上げるんですか!?」


 澄江さんが頷きました。


「はい。会社は赤字なのに、叔父は自分の報酬を増やそうとしているんです」


「いくらですか?」


「年額一千八百万円から、二千四百万円に」


 ……。


 六百万円の増額。


 赤字の町工場で。


 従業員の賞与は削られ。


 設備更新も見送られ。


 それなのに。


 社長の報酬だけは増える。


「これは……」


 私は拳を握りました。


「許せません!」


 相馬先輩が言いました。


「感情は後にしろ」


「でも!」


「許せねえだけじゃ、株主総会は動かねえ」


 先輩は招集通知を指差しました。


「お前なら、どうする?」


 私は少し考えました。


 今年の総会。


 議題は役員報酬。


 ならば。


「総会で、反対します」


「それだけか?」


「それから、取締役の責任についても問題にします」


「どうやって?」


「……議題を提案します」


 私は、そこで思い出しました。


 株主提案権。


 そうです。


 少数株主権には、総会の招集を請求する権利だけでなく、株主が一定の事項を総会の目的とするよう求める権利もある。


 しかも。


 今回の会社では、三百株を持つ二人が共同して動ける。


「所長!」


 私は言いました。


「総会を開かせるだけじゃありません。何を議題にするかにも、株主の権利が使えます!」


 片桐所長が頷きました。


「そうだ」


「社長が自分に都合のいい議題だけ出して、終わりにはできないんですね」


「法定の要件を満たした請求ならな」


 私は株主名簿を、もう一度見ました。


 三百株。


 全体の三パーセント。


 会社を支配するには小さい。


 しかし。


 会社の経営者が無視してよい数字では、決してありませんでした。


 三日後。


 相馬先輩に同行して、私は三浦精機を訪れました。


 工場には、油と鉄の匂いが満ちています。


 古い旋盤。


 天井から吊られた蛍光灯。


 作業着を着た職人たち。


 機械の音が、途切れることなく響いていました。


 その奥。


 社長室だけが、妙に豪華でした。


 革張りのソファ。


 大きな飾り棚。


 高そうな洋酒。


 そして。


「何だ、お前ら」


 机の向こうに座っていた男が、こちらを睨みました。


 三浦重蔵。


 五十八歳。


 三浦精機の代表取締役です。


「片桐行政書士事務所の相馬です」


「行政書士?」


 重蔵は鼻で笑いました。


「何だ。兄貴の娘が、代書屋なんぞを連れてきたのか」


 ……。


 その言い方。


 少し腹が立ちます。


「本日は、ご本人から依頼された書類作成に必要な事項について、確認をお願いしたく参りました」


 相馬先輩が落ち着いて言いました。


「確認?」


「今年の株主総会に関する件です」


 重蔵はソファに深く座り直しました。


「株主総会なんて、毎年やってるだろ」


「招集通知を確認しました」


「それで?」


「三浦澄江さんと三浦源蔵さんが、株主として権利を行使する意向です」


 重蔵は笑いました。


「ははは!」


 大きな笑い声。


「たった三百株でか?」


 私は唇を噛みました。


 重蔵は続けました。


「うちの株は一万株あるんだぞ。三百株なんて、たった三パーセントだ」


「はい」


「九十七パーセントは俺の言うことを聞く。たった三パーセントで、何ができる?」


 重蔵は机を叩きました。


「会社ってのはな、社長が動かすもんなんだよ!」


 ……。


 典型的です。


 会社を自分の王国だと思っている人。


「しかもな」


 重蔵は得意げに続けました。


「俺がこの会社の代表取締役だ。会社の金を使うのも、役員を決めるのも、俺の裁量だ」


 私は、つい口を開きました。


「でも、会社の財産は社長個人の財産ではありません」


「あ?」


「株式会社は、社長とは別の法人です」


「だから何だ」


「会社のお金を、社長個人の別荘に使っていいことにはなりません」


 重蔵の目が細くなりました。


「小娘が、法律を教えるつもりか?」


「いえ、ただ……」


「会社なんてな、俺みたいな人間がいなきゃ回らねえんだよ!」


 重蔵は笑いました。


「三百株の株主が文句を言ったところで、何が変わる?」


 そのとき。


 相馬先輩が、静かに言いました。


「一株でも、できることはありますよ」


 重蔵の笑みが止まりました。


「……何?」


「株主としての議決権があれば、総会で賛否を表明できます」


「当たり前だろ」


「法令や定款に反する総会決議について、一定の場合には、一人の株主でも取消しを求める訴えを起こせます」


「何だと?」


「それから、取締役が会社に損害を与えた場合の責任追及も問題になります」


 重蔵が眉をひそめました。


「責任?」


 相馬先輩は続けました。


「社長個人が会社の資金を流用した疑いがあるなら、会社に対する損害賠償責任の問題です」


「……」


「株主が、会社のためにその責任を追及する仕組みもある」


 株主代表訴訟。


 私は心の中で、その名前を呟きました。


 重蔵の顔から、少し余裕が消えました。


 でも。


「俺は社長だぞ」


 まだ言います。


「社長なら、会社の金を自由に使えると思ってるんですか」


 相馬先輩の声が低くなりました。


「社長が一番偉いんじゃねえ」


 重蔵が睨みます。


「何だと?」


「商法を守った奴が勝つんだよ」


 一瞬。


 社長室が静まり返りました。


 ……出ました。


 相馬先輩の、法律で殴るときの声です。


 ただし。


 先輩は、それ以上の言い争いをしませんでした。


「本日は、事情の確認までとさせていただきます」


「何?」


「ご本人から、正式な書面が届くことになると思います」


 重蔵は鼻で笑いました。


「好きにしろ」


 そして。


 机の上の葉巻を手に取りながら、言いました。


「どうせ、三パーセントだ」


 私は、その言葉を忘れませんでした。


 三パーセント。


 重蔵にとっては、笑い飛ばせる数字。


 でも。


 私たちにとっては。


 これから、彼の足元を崩す数字でした。


 事務所に戻ると、私はすぐに六法を開きました。


「先輩!」


「何だ」


「やっぱり、あの社長おかしいです!」


「知ってる」


「三パーセントだから何もできないって!」


「だから、できることを調べろ」


「はい!」


 私はノートに二つの見出しを書きました。


 単独株主権。


 少数株主権。


 まず単独株主権。


 これは、必要な資格や条件を満たしていれば、一人の株主でも行使できる権利です。


 持っている株式が少ないからといって、当然に消えるものではありません。


 配当を受ける利益。


 議決権。


 一定の場合の株主総会決議取消しの訴え。


 会社に対する役員の責任追及。


 もちろん、それぞれ行使要件は違います。


 たった一株なら、どんなことでも自由にできる。


 そういう意味ではありません。


 でも。


 会社の経営者が、一株の株主を無視してよいわけではない。


 一方で。


 少数株主権。


 これは、一定割合以上の株式を持つなど、特別な要件を満たす株主に認められる権利です。


 たとえば。


 株主総会の招集請求。


 株主提案。


 会社の解散を求める訴え。


 それぞれ、必要な持株割合や条件が違います。


 私はノートを見ながら、首をかしげました。


「所長」


「何だ」


「これ、ややこしいですね」


「何がだ」


「一株でできることと、三パーセント必要なことと、一パーセントでできることがあるんですよ」


「そうだ」


「どうして全部一株じゃ駄目なんですか?」


 相馬先輩が横から言いました。


「考えてみろ」


「はい?」


「もし一株持ってる奴が、毎週『株主総会を開け』って言い始めたらどうなる」


「……大変です」


「だろ」


「でも、経営者に不正があっても、一株の株主が何も言えなかったら困ります」


「そのとおり」


 なるほど。


 ここに、制度の意味があるのですね。


 株主一人ひとりの権利を守ること。


 そして。


 会社の経営が、少数の株主による無制限な要求で混乱しないようにすること。


 両方が必要なのです。


「だから、権利によって要件が違うんですね」


「そういうことだ」


 私は頷きました。


 そこへ。


 片桐所長が、古い六法を机に置きました。


「こはる」


「はい」


「今の話を、昭和六十三年の商法で確認しろ」


「あ」


「また未来の条文を使うつもりだったか」


「……少しだけ」


「使うな」


「はい!」


 私は慌ててページをめくりました。


 商法第二編。


 株式会社。


 現代の会社法とは、条文番号も制度の整理も違います。


「ちなみに所長」


「何だ」


「現代なら、発起人一人でも株式会社を設立できるんですけど……」


「何だそれは」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「今の株式会社は発起人が七人以上必要だぞ」


「ですよね……」


「取締役だって三人以上、監査役も必要だ。お前は一人で会社を作る気か?」


「……そういう未来もあるんです」


「寝言は寝て言え」


 ひどい。


 でも、確かに。


 この時代の会社制度は、現代よりずっと堅苦しい。


 会社を設立するときから、大勢の人間が必要になる。


 そのせいで。


 実際には経営に関わらない人に、発起人や役員の名前だけ借りることもある。


 そして、名ばかりの役員が増えれば。


 本当に会社を監督するべき人が、社長の言いなりになってしまう危険もある。


「……あ」


 私は顔を上げました。


 三浦精機。


 あの会社も、まさにそれではありませんか。


 社長の周囲には、親戚や古くからの知人が取締役として名前を連ねています。


 しかし、社長の金の使い方に誰も異議を唱えない。


 監査役も、社長の旧友。


 こうした人間関係の中で。


 会社の金が、社長個人の別荘に流れている疑いがある。


「所長」


「何だ」


「株主が監視しなかったら、誰も止められない会社になってしまいますね」


 片桐所長は、短く頷きました。


「だから、株主にも権利がある」


 私は六法を見つめました。


 単独株主権。


 少数株主権。


 ただの暗記事項だと思っていたものが。


 突然。


 社長室でふんぞり返っている重蔵の顔と、結びつきました。


 翌日。


 私たちは、澄江さんと源蔵さんに来てもらいました。


 源蔵さんは七十二歳。


 杖をついていましたが、目つきは鋭い人でした。


「弟が、会社を滅茶苦茶にしちまった」


 源蔵さんは、そう言いました。


「わしが作った会社だ。機械を買う金もなくて、家を担保に入れて……」


 声が少し震えました。


「職人たちと、毎晩遅くまで働いてな」


 澄江さんが、父親の背中に手を添えます。


「親父が守ってきた会社を、あいつは自分の財布だと思っとる」


 源蔵さんは、唇を噛みました。


「だが、わしの株は百八十株しかない」


「はい」


「澄江と合わせても三百株だ。重蔵を社長にしたのは、わしらだ。もう何もできんのかと思っとった」


 私は首を振りました。


「そんなことありません」


 源蔵さんが顔を上げます。


「三百株でも?」


「三百株だからこそ、できることがあります」


 私は、二人の前に一枚の紙を置きました。


 株主総会招集請求書の原案。


 そこには、はっきり書かれています。


 株式会社三浦精機。


 発行済株式総数一万株。


 請求株主。


 三浦源蔵。


 所有株式百八十株。


 三浦澄江。


 所有株式百二十株。


 合計三百株。


 議決権割合三パーセント。


「会社に対し、株主総会の招集を正式に請求する書面です」


 私は説明しました。


「請求の理由も記載します。会社資金の使途や、取締役の職務執行について、株主総会で判断すべき事項があると」


「そんなことができるのか」


「はい。ただし、正式な請求には法律上の要件がありますし、この書面だけで私たちが株主総会を開催できるわけではありません」


 源蔵さんは、書面をじっと見つめました。


「……三百株」


 小さな呟き。


 その言葉には、もう諦めだけが入っているわけではありませんでした。


 片桐所長が、別の紙を取り出しました。


「こちらも必要です」


「何でしょう」


「株主提案に関する請求書です」


 私は身を乗り出しました。


 議題。


 取締役の選任・解任。


 会社資金の使途についての報告。


 取締役の責任追及に関する対応。


 ただし。


 どの事項を総会で決議できるか。


 どの事項が単なる報告や質問に当たるか。


 定款と商法を確認し、整理してあります。


「取締役の解任を求める議案についても、法定の要件と期限を踏まえて手続を進めます」


 所長が言いました。


「重要なのは、何でも一枚の請求書で実現できると思わないことです」


 私は頷きました。


 議題を提案する権利。


 総会の場で議案を提出する権利。


 事前に議案の要領を株主に知らせるよう求める権利。


 どれも似ています。


 でも、同じではありません。


 そして、法定の要件も異なります。


 源蔵さんは、二枚の書面を見比べました。


「わしらみたいな小さな株主にも、こんなことができるんだな」


 その声を聞いて。


 私は、少し胸が熱くなりました。


「はい」


 株式の三パーセント。


 社長にとっては、取るに足りない数字だったかもしれません。


 でも。


 その三パーセントを持っているのは。


 会社を一から作った父親と。


 その会社で十五年間、経理を支えてきた娘です。


 数字は小さい。


 けれど。


 そこに込められた時間は、決して小さくありませんでした。


 その日の午後。


 片桐所長は、もう一通の書面を作り始めました。


 内容証明郵便です。


 差出人は、三浦源蔵さんと三浦澄江さん。


 宛先は、株式会社三浦精機。


 代表取締役三浦重蔵。


 文面には、事実が淡々と並べられていました。


 ――通知人らは、貴社の株主であり、合計三百株を保有している。


 ――通知人らの議決権は、発行済株式に係る議決権の百分の三に相当する。


 ――通知人らは、商法に基づき、記載の目的事項及び招集の理由をもって株主総会の招集を請求する。


 ――また、貴社資金の支出について、代表取締役個人名義の不動産取得に充てられた疑いがあることから、その事実関係及び会社に対する責任の有無を確認する必要がある。


 私は読みながら、思いました。


 強い。


 すごく強い。


 でも。


 言葉は静かです。


 怒鳴っていない。


 脅していない。


 ただ、必要な事実と法律上の権利が並んでいる。


 相馬先輩が言いました。


「こはる」


「はい」


「これだけじゃ、まだ終わらねえぞ」


「分かってます」


「何が必要だ?」


「取締役の責任を追及するための証拠です」


「そうだ」


 私は机の上の資料を見ました。


 会社の帳簿。


 銀行振込の控え。


 別荘の登記事項を示す資料。


 取締役会議事録の写し。


 そして。


 社長個人のための支出だったのではないかという疑い。


「もし社長個人のために、会社の財産を不当に使っていたなら……」


「会社に損害を与えたことになる可能性がある」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「ただし、そこは証拠で立証しなきゃならねえ。疑いだけで横領だとか、損害賠償額が確定したとか、決めつけるな」


「はい!」


 所長が続けます。


「取締役が会社に対して責任を負う場合、その責任を追及するのは、本来、会社自身だ」


「そうですね」


「しかし、会社の代表者が責任を問われる本人だったら?」


 私は答えました。


「会社が、自分の社長を追及しないかもしれません」


「そうだ」


「そこで株主代表訴訟ですね」


 所長が頷きました。


 株主代表訴訟。


 株主が、自分のお金を取り戻すために社長を訴える仕組みではありません。


 会社に損害を与えた役員等の責任を、会社のために追及する仕組みです。


 勝訴して損害賠償が認められれば。


 原則として、その賠償を受けるのは会社です。


 私は、そこで大事なことに気づきました。


「つまり……」


「何だ」


「社長が会社から二千万円を不当に持ち出したなら、その損害を取り戻す先は、会社なんですね」


「そうだ」


「澄江さんが二千万円をもらえるわけではない」


「当たり前だ」


 なるほど。


 これが株式会社です。


 社長の財布でもない。


 特定の株主の財布でもない。


 会社は、独立した法人。


 だからこそ。


 会社に生じた損害は、会社のために回復する。


 その考え方があるのです。


「所長」


「何だ」


「やっぱり、株主の権利って面白いですね」


「そうか」


「はい。自分の利益だけじゃなくて、会社そのものを守る権利もあるんです」


 所長は短く頷きました。


「そこが大事だ」


 そして。


 書面の最後に、一文を加えました。


 ――今後、会社に対する損害の回復が適切に図られない場合には、商法所定の要件及び手続に従い、株主として取り得る法的措置を検討する。


 私は息を呑みました。


 株主代表訴訟。


 取締役の責任。


 個人財産に及ぶ可能性のある損害賠償。


 そのどれもを、大声で叫ぶ必要はありません。


 必要なのは。


 相手が、自分の行為について説明できるかどうか。


 それだけでした。


 内容証明郵便を発送してから、四日後。


 三浦精機から、事務所に電話が入りました。


「……片桐先生は、おられますか」


 私は受話器を持ったまま、目を丸くしました。


 三浦重蔵。


 あの社長です。


 でも。


 声が違います。


 社長室で大笑いしていた男とは思えません。


「少々お待ちください」


 所長に受話器を渡しました。


「片桐です」


『あの、書面の件なんですが……』


「はい」


『うちの顧問にも見せまして』


 重蔵の声が、妙に小さい。


『株主総会の招集請求は、正式なものだと言われました』


「そうですか」


『三百株でも、要件を満たすんですね』


「株主の権利は、持株割合だけで一律に決まるものではありません」


『……』


 しばらく沈黙。


 そして。


『それから、別荘の件ですが』


 私は思わず顔を上げました。


『あれは、その……会社から借りた金ということにしておりまして』


 所長は淡々と答えました。


「貸付けであるなら、契約や承認手続、帳簿処理などについて、確認すべき事項があるでしょう」


『……はい』


「会社に損害が生じていれば、取締役としての責任も問題になり得ます」


『それは、顧問にも言われました』


 重蔵は息を吐きました。


『株主代表訴訟というものがあるそうですね』


「商法にも、その制度があります」


『……社長でも、個人で責任を負うんですか』


 所長は静かに言いました。


「株式会社が有限責任の仕組みを持つからといって、取締役自身の違法な行為や任務違反についての責任まで、当然に免除されるわけではありません」


 電話の向こうが静まり返りました。


 私は思いました。


 効いている。


 ものすごく効いています。


 あの重蔵が。


 会社の金は俺のものだと言っていた社長が。


 今。


 自分の財産を心配している。


『あの……』


 重蔵が言いました。


『株主総会は、開きます』


 私は息を呑みました。


『ただ、できれば穏便に……』


 所長は答えました。


「招集や議題については、会社として適法に手続を進めていただくことになります」


『分かりました』


「会社資金の件は、別途、資料に基づいた確認が必要です」


『……はい』


 電話が切れました。


「所長!」


 私は立ち上がりました。


「総会、開くって!」


「ああ」


「やりましたね!」


 相馬先輩が、机から顔を上げました。


「まだだ」


「え?」


「総会を開くことと、社長が責任を取ることは別だ」


「あ……」


「三パーセントで総会を開かせることができても、九十七パーセントの議決権をひっくり返せるわけじゃねえ」


 確かに。


 総会の招集。


 議題の提案。


 議決権の行使。


 役員の責任追及。


 全部、違う権利です。


「じゃあ……」


 私は言いました。


「まだ戦いは続くんですね」


「そういうことだ」


 相馬先輩は、にやりとしました。


「でもな」


「はい」


「相手が、三パーセントを無視できなくなった。それだけでも、大きな一歩だ」


 私は頷きました。


 たった三パーセント。


 でも。


 その三パーセントが、会社を動かし始めたのです。


 二週間後。


 三浦精機で、臨時株主総会が開かれました。


 法定の手続を踏んで招集された総会。


 会場には、株主たちが集まっています。


 源蔵さん。


 澄江さん。


 古くからの親族。


 そして、重蔵の知人たち。


 私は総会に出席しませんでした。


 行政書士が、株主の代理人として議決権を行使したり、経営者と紛争の交渉をしたりするためではありません。


 私たちの仕事は、事前の適法な書類の作成と確認。


 それから、依頼人が持ち帰る議事録や資料を、後で検討することです。


 でも。


 その日の夕方。


 澄江さんが事務所に飛び込んできたとき。


 私は、何が起きたのかを知りました。


「こはるさん!」


「澄江さん!」


「社長が……!」


「どうしました!?」


「社長が、謝ったんです!」


 私は目を丸くしました。


「ええっ!?」


 澄江さんは、興奮した様子で話し始めました。


 総会では、まず社長の役員報酬増額案について審議が行われました。


 澄江さんは、反対を表明しました。


 父の源蔵さんも反対しました。


 持株は、合計三百株。


 もちろん、その票数だけで増額案を否決することはできません。


 しかし。


 澄江さんは、帳簿上の疑問を株主の立場から質問したのです。


 ――設備投資仮払金として支出された資金は、何に使われたのか。


 ――社長個人名義の別荘取得との関係は何か。


 ――会社と取締役との取引について、必要な手続は踏まれていたのか。


 その質問に、重蔵は即答できませんでした。


 そして。


 他の株主たちも、初めて事情を知ったのです。


「叔父の友人だった株主まで、顔色を変えていました」


 澄江さんが言いました。


「それで?」


「役員報酬の増額案は、取り下げられました」


「本当ですか!」


「はい。それから、会社資金の使途について、資料を確認することになりました」


 私は拳を握りました。


 やった。


 でも。


「それだけじゃないんです」


 澄江さんは続けました。


「総会のあと、叔父から話がありました」


 重蔵は、自分の側の顧問専門家から説明を受けていました。


 会社の金を、適切な手続もないまま私的に使っていたとすれば。


 取締役として、会社に対して損害賠償責任を負う可能性がある。


 そして。


 会社が責任追及を怠った場合。


 株主が商法所定の手続によって、会社のために責任を追及する可能性もある。


「叔父は、言ったんです」


 澄江さんの目に涙が浮かびました。


「会社のお金は、会社に返すって」


 私は息を呑みました。


「……返す?」


「はい。調査のうえ、会社に損害を与えた部分について、返還と必要な処理をするって」


 まだすべてが終わったわけではありません。


 実際の支出内容を調べる必要があります。


 法的責任の範囲も、確定しなければなりません。


 でも。


 重蔵は、もはや言わなかったそうです。


 ――俺が社長だ。


 ――会社の金は俺のものだ。


 その代わりに。


 ――会社の金は、会社に返す。


 そう言ったのです。


 私は、少しだけ目頭が熱くなりました。


 さらに一か月後。


 三浦精機から、正式な報告書が届きました。


 会社と関係専門家による資料の確認の結果。


 重蔵個人名義の別荘取得に使われた資金について、会社に対する返還の問題が整理されました。


 重蔵は、会社への返還を進めることになりました。


 そして。


 代表取締役を退く意向も示したのです。


 その後、会社では商法と定款に従って必要な機関決定が行われ、新たな代表取締役が選ばれました。


 源蔵さんは、社長に戻りませんでした。


 高齢で、体も十分ではありません。


 代わりに。


 長年、工場長を務めていた職人出身の取締役が、新しい社長になりました。


 重蔵による支出の問題も、会社として引き続き処理されることになりました。


 ある日。


 澄江さんが、写真を持って事務所へ来ました。


「見てください」


 そこには。


 新しい工作機械の前に立つ、職人たちの姿が写っていました。


「設備の更新が、ようやく始まったんです」


「本当ですか!」


「はい。会社の資金を、ちゃんと会社のために使えるようになって」


 澄江さんは笑いました。


「みんな、喜んでいます」


 私は写真を見つめました。


 古い工場。


 油で汚れた作業着。


 笑顔の職人たち。


 そして、その真ん中には。


 杖をついた源蔵さんが立っていました。


「父も、久しぶりに工場へ行ったんです」


「そうなんですね」


「機械の音を聞いたら、泣いてしまって」


 澄江さんは、少し照れくさそうに笑いました。


「三十年前と同じ音がするって」


 私は何も言えませんでした。


 会社。


 株式。


 議決権。


 少数株主権。


 教科書では、ただの法律用語です。


 でも。


 その言葉の向こうには。


 会社を作った人がいる。


 会社を支えてきた人がいる。


 毎日、機械を動かして働く人がいる。


 そして。


 その人たちが積み上げてきた財産を、たった一人の経営者が勝手に奪ってよいはずがない。


「こはるさん」


 澄江さんが言いました。


「本当に、ありがとうございました」


「いえ……」


「父は、ずっと自分を責めていたんです」


「どうしてですか?」


「自分が弟を社長にしたから、会社がおかしくなったんだって」


 澄江さんは、写真を見ました。


「でも、もう大丈夫だって言っていました」


「……そうですか」


「三百株しか持っていなくても、会社のことを考える資格はあるんだなって」


 私は首を振りました。


「資格なんて、当然あります」


 そして。


 少し笑って言いました。


「三百株は、三百株です。でも、その三百株を持っている人の思いまで、小さいわけじゃありませんから」


 澄江さんは、目元を押さえました。


「……はい」


 その姿を見て。


 私は、ようやく今回の事件が少しだけ終わったのだと思いました。


 夕方。


 澄江さんが帰ったあと。


 私は机に向かっていました。


「相馬先輩」


「何だ」


「今回、三パーセントってすごかったですね」


「そうだな」


「社長が馬鹿にしてた数字なのに」


「ああ」


「正式な手続を始める力になった」


 先輩は煙草をくわえました。


「ただし、そこを勘違いすんなよ」


「何をですか?」


「三パーセント持っていれば、どんな会社でも、どんな要求でも通るわけじゃねえ」


「はい」


「総会を開く権利と、総会で決議を通す力は違う」


「そうですね」


「それから、一株の株主にも権利があるが、権利ごとに要件は違う」


 私は頷きました。


「単独株主権と、少数株主権ですね」


「そうだ」


「一株でもできることがある」


「うん」


「一定割合が必要なこともある」


「うん」


「しかも、少数株主権は、一人で持っていなくても、複数の株主が合わせて要件を満たせば使えるものがある」


「そういうことだ」


 私は、今日の事件を思い返しました。


 源蔵さん。


 百八十株。


 澄江さん。


 百二十株。


 一人では三パーセントに届かない。


 でも。


 二人なら三百株。


 三パーセント。


 その数字が、会社を動かした。


「先輩」


「何だ」


「株主って、社長の部下じゃないんですね」


 相馬先輩が笑いました。


「当たり前だ」


「社長の言うことに従うだけの人じゃない」


「そうだ」


「会社のことを考えて、必要なら経営者の責任を追及できる」


 先輩が頷きました。


「株主の権利は、社長へのご褒美じゃねえからな」


 なるほど。


 その言葉。


 なんだか、すごくしっくりきました。


 片桐所長が、帳簿を閉じました。


「こはる」


「はい」


「今日、何を覚えた」


 私は少し考えました。


 そして答えました。


「株式が少ないからといって、株主の権利がなくなるわけではない」


「うん」


「単独株主権は、一人の株主でも行使できる権利」


「そうだ」


「少数株主権は、一定の持株割合などの要件を満たして行使する権利」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 私は続けました。


「それから、株主総会を開くことと、決議を通すことは別です」


「そうだ」


「さらに、株主代表訴訟は、株主個人のお金を取り戻すためではなく、会社のために役員の責任を追及する仕組みです」


「よし」


 私は嬉しくなりました。


 今なら。


 教科書の少数株主権の表を見ても。


 たぶん、もう眠くなりません。


 だって。


 三パーセントと書かれていたら。


 重蔵の顔が浮かびます。


 あの得意げな笑い顔。


 そして。


 内容証明を受け取って、声が小さくなった姿。


 ……。


 忘れようがありません。


「所長!」


「何だ」


「私、少数株主権が好きになりました!」


「そうか」


「特に三パーセントです!」


 相馬先輩が吹き出しました。


「数字に惚れるな」


「だって、すごいじゃないですか!」


「一パーセントもあるぞ」


「そっちも好きです!」


「十分の一が必要な権利だってある」


「それも好きになります!」


「節操がねえな!」


 私は笑いました。


 でも。


 本当にそう思ったのです。


 数字は、ただの数字ではない。


 その数字の向こうに。


 人を守る仕組みがある。


 だからこそ、法律は面白い。


 そのとき。


 電話が鳴りました。


「はい! 片桐行政書士事務所です!」


『あのう……』


 男性の声。


 少し困ったような話し方でした。


『私は、ある株式会社の株を一株だけ持っているんですが……』


 私は、思わず背筋を伸ばしました。


 一株。


 来ました。


 単独株主権。


『会社の株主総会で、私の意見を聞いてもらえなかったんです』


「……はい」


『社長に、一株しか持っていない奴は黙ってろって言われまして』


 私は受話器を握り直しました。


「それは、ひどいですね」


『でも、一株じゃ何もできないんでしょうか』


 私は、相馬先輩を見ました。


 先輩がこちらを見ています。


 にやり。


 嫌な笑顔。


「こはる」


「はい」


「何から確認する?」


 私は答えました。


「まず、その株式に議決権があるかどうかです!」


「よし」


「それから、どんな総会で、何について意見を言おうとしたのか!」


「そうだ」


「そして、株主としてどの権利を行使したいのか!」


 先輩が頷きました。


「最初から決めつけるなよ」


「はい!」


 私は受話器に向き直りました。


「すみません。まず、お持ちの株式と、株主総会の状況について詳しく教えてください」


 昭和六十三年。


 商法の世界は、今日も簡単ではありません。


 一株しかないから。


 三パーセントしかないから。


 社長が反対しているから。


 そんな理由だけで、株主の権利を消してしまうことはできない。


 そして。


 私は今日、ひとつ確信しました。


 会社を私物化している社長ほど。


 株主名簿の小さな数字を、軽く見ていることがある。


 でも。


 その小さな数字が、商法の定める要件を満たした瞬間。


 社長の椅子は、決して安全な場所ではなくなるのです。


「相馬先輩!」


「今度は何だ!」


「やっぱり商法って面白いですね!」


「面白がってる暇があったら、相談票を取れ!」


「はいっ!」


 私は鉛筆を握りました。


 単独株主権。


 少数株主権。


 似ているようで、違う。


 そして。


 どちらも、会社の中で声を上げるための大切な仕組み。


 ただし。


 どんな権利でも、要件を無視して振り回してよいわけではありません。


 だから次からは。


 株数だけを見る前に。


 どの権利を、誰が、どんな条件で行使できるのか。


 そこを確かめることにします。


 だって。


 たった三パーセントだから何もできない。


 そんな一言で、創業者と娘の声を封じられるほど。


 商法は、社長に甘い法律ではないのです。

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