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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈商法・会社法 配点20点/300点〉 商法

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602/618

[商法・運送人]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 荷物を運ぶだけなら、誰にでもできそうです。


 箱を積んで。


 トラックを走らせて。


 目的地で降ろす。


 それだけ。


 でも。


 その途中で荷物が消えたら?


 届いた荷物が壊れていたら?


 運送会社が、


「うちは悪くない!」


 と言い張ったら?


 そして。


 その運送会社が、届かなかった荷物の運賃まで請求してきたら?


 商法は、そんなときのために、意外なほど細かいルールを用意しています。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は、机の上にノートを広げていました。


 表紙には大きく、


 ――こはるノート・商法編。


 と書いてあります。


「……運送人って、怖いですね」


 私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「いきなり何だ」


「いえ、運送人の法律って、思ったより厳しいなって」


「そりゃそうだろ」


「荷物を運ぶだけなのに」


「お前、まだそれ言ってんのか」


 先輩が呆れた顔をしました。


 私は笑いました。


 でも。


 本当にそう思っていたのです。


 昨日までの私は。


 運送会社の仕事を、ただ荷物を運ぶことだと思っていました。


 ところが。


 森下精機の事件で、その考えは完全に変わりました。


 三つの木箱。


 三百二十万円分の精密部品。


 一番と二番の木箱は、豪雨で流失。


 三番の木箱は、積み替え後の固定不備で破損。


 それなのに。


 東海急送の黒岩社長は、


「不可抗力だから責任はない!」


「でも、運賃十二万円は払え!」


「うちが悪いというなら、そっちが証明しろ!」


 と主張していました。


 ところが。


 商法第五百七十六条。


 そして。


 商法第五百七十七条。


 この二つを確認したことで、事態は大きく動いたのです。


「先輩」


「何だ」


「今日は、運送営業を完全攻略します!」


「また始まったな」


「行政書士試験に出ますから!」


「お前の試験勉強に、何で俺が付き合うんだよ」


 そのとき。


 奥から片桐所長が声をかけました。


「相馬」


「はい」


「付き合ってやれ」


「……所長まで」


 よし。


 今日も強制勉強会、開催です。


「まず、運送人とは何か、です!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――商法第五百六十九条。


 運送人。


「運送人とは、運送を営業として行う人です」


「うん」


「昭和六十三年の商法では、陸上または湖川、港湾において、物品や旅客の運送を業とする者をいうんですよね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きます。


 ここで重要なのは。


 単に、一度だけ荷物を運んだ人ではないこと。


 営業として運送を行う者。


 つまり。


 運送を商売として引き受ける人です。


「たとえば、トラック運送会社」


「そうだな」


「それから、鉄道会社」


「ああ」


「バス会社」


「そうだ」


 私はノートを二つに分けました。


 ――物品運送。


 ――旅客運送。


「物品運送は、荷物を運ぶものです」


「うん」


「旅客運送は、人を運ぶもの」


「そうだ」


 物品運送。


 今回の東海急送のように、工場の部品などを運ぶ。


 旅客運送。


 鉄道やバスなどで、人を目的地まで運ぶ。


「ここは簡単ですね!」


 私は胸を張りました。


「荷物なら物品運送、人なら旅客運送!」


「まあな」


「これなら間違えません!」


 すると、片桐所長が言いました。


「では、海の向こうまで船で荷物を運ぶ場合は?」


「え?」


 私は固まりました。


「……物品運送です!」


「それはいい」


「はい!」


「だが、適用される規律まで、今読んでいる陸上運送の条文だけで判断していいか?」


「……あ」


 私は六法を見ました。


 なるほど。


 昭和の商法では、運送の種類によって規定の置き場所が異なる場合があります。


 今読んでいる第五百六十九条以下の運送営業の規定だけで、あらゆる船舶運送まで説明できるわけではありません。


「所長」


「何だ」


「運送人っていう言葉だけで、全部同じ法律を当てはめたら駄目なんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が笑いました。


「荷物なら全部一緒って考えるなよ」


「はい!」


 私は早速、ノートに書き足しました。


 ――運送人は、物品運送と旅客運送に分かれる。運送の方法によって適用規定にも注意する。


 よし。


 最初の論点、突破です。


「では、次です!」


 私はページをめくりました。


 ――運送状。


 ――貨物引換証。


「……これ、嫌いでした」


 相馬先輩が顔を上げました。


「何がだ」


「名前が似ているんです!」


「そうか?」


「運送状と貨物引換証!」


「違う名前だろ」


「そうですけど!」


 私は机に二枚の紙を並べました。


 一枚目。


 森下精機の運送状の控え。


 二枚目。


 東海急送の貨物引換証の写し。


「先輩、問題です!」


「俺に出すな」


「運送状は、誰が作りますか?」


「荷送人だ」


「正解!」


「知ってるよ」


「じゃあ貨物引換証は?」


「運送人だ」


「正解!」


「だから知ってるって」


 私は満足して頷きました。


 ここ。


 行政書士試験では、絶対に混同したくないところです。


 まず。


 運送状。


 昭和六十三年の商法第五百七十条。


 荷送人は、運送人から請求された場合、運送状を交付しなければなりません。


「荷送人というのは?」


 私は言いました。


「荷物を送る側の人です」


「うん」


「今回なら、森下精機ですね」


「そうだ」


 では。


 運送状には、何を書くのでしょうか。


 私は指を折りました。


 運送品の種類。


 重量または容積。


 荷造りの種類。


 個数と記号。


 到達地。


 荷受人の氏名または商号。


 運送状の作成地と作成年月日。


 そして。


 荷送人の署名。


「つまり」


 私は言いました。


「何を、どこへ、誰に、どれだけ送るか、ですね!」


「そういうことだ」


 相馬先輩が頷きました。


 森下精機の事件なら。


 精密金属部品。


 重量八百四十キログラム。


 木箱三個。


 記号はMS一、二、三。


 到達地は名古屋。


 荷受人は名古屋精工株式会社。


 これらが書かれていました。


「もし宛先がなかったら?」


 私が聞くと、相馬先輩が答えます。


「どこへ運べばいいか分からねえな」


「荷受人が書かれていなかったら?」


「誰に渡すんだって話になる」


「そうです!」


 運送状は。


 運送人が、正しく運送するための情報を示す書類なのです。


「じゃあ、荷送人は必ず運送状を作らなきゃいけないんですか?」


 私は自分で問いかけました。


 相馬先輩が答えます。


「運送人から請求されたときだ」


「そこ!」


 私は赤線を引きました。


 ――運送人の請求により。


 この言葉が重要です。


 昭和の商法第五百七十条は、運送人の請求があった場合の交付義務を定めています。


「つまり、すべての運送契約で、運送状がなければ契約自体が成立しないという意味ではないんですね」


「そうだ」


 私は頷きました。


 なるほど。


 運送状は重要な書類。


 でも。


 運送契約の成立そのものと、運送状の交付義務は区別しなければならない。


 ここを間違えると。


「運送状がないから契約は全部無効!」


 なんて、黒岩社長みたいな乱暴な主張をしてしまいそうです。


「じゃあ、貨物引換証です!」


 私は二枚目の紙を取りました。


 昭和六十三年の商法第五百七十一条。


 今度は、運送人が荷送人の請求により、貨物引換証を交付する義務を負います。


「さっきと逆だな」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


 私は頷きました。


 運送状。


 荷送人から運送人へ。


 貨物引換証。


 運送人から荷送人へ。


「それに」


 私は紙を指差しました。


「貨物引換証には、運送賃も書かれます」


「そうだ」


 貨物引換証には、運送品の種類や重量、到達地、荷受人などのほか。


 荷送人の氏名または商号。


 運送賃。


 作成地と作成年月日。


 そして、運送人の署名が必要になります。


「今回は、十二万円でしたね」


「ああ」


「それから木箱三個!」


「そうだ」


 東海急送自身が、木箱三個を引き受けたことを示していた。


 この記載が、事件の出発点を確かめるうえで役立ったのです。


「でも、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「貨物引換証を、ただの荷物の預かり証だと思うなよ」


「……え?」


「それだけじゃねえ」


 先輩は、六法の次の条文を指差しました。


 私は目を落としました。


 貨物引換証には、運送品についての権利と結びつく効力がある。


 裏書による譲渡。


 証券の所持人の地位。


 そして、運送品の引渡しとの関係。


「……あっ」


 私は顔を上げました。


「だから、所長が原本を大切に保管しろって言ったんですね!」


「そうだ」


 単なる受領メモなら、コピーを取って終わりかもしれません。


 でも。


 貨物引換証は、運送品を受け取る権利などにも関係する有価証券です。


 その取扱いを誤れば、誰に荷物を引き渡すべきかという問題まで生じかねません。


「なるほど……」


 私は感心しました。


「紙なのに、荷物の権利まで動くんですね」


「商取引じゃ、そういう証券があるんだよ」


 相馬先輩が言いました。


「現物をいちいち持ち歩かなくても、取引を進められるようにな」


 私は頷きました。


 商法は、商売を安全にするだけではありません。


 商売を迅速にするための仕組みも持っている。


 そして。


 その便利さの裏側に、厳密なルールがあるのです。


「先輩!」


「何だ」


「覚え方、できました!」


「言ってみろ」


「運送状は、送る人が書く!」


「うん」


「貨物引換証は、運ぶ人が出す!」


「そうだ」


「どっちも請求がきっかけ!」


 相馬先輩が頷きました。


「まあ、それなら覚えられるな」


「やった!」


 私はノートに大きく丸をつけました。


 試験でこの二つが出ても、もう間違えません。


「さて」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「本題に入るぞ」


「はい!」


「運送賃だ」


 私は背筋を伸ばしました。


 今回の事件。


 黒岩社長が最初に大きく間違えたところです。


 私はノートに書きました。


 ――商法第五百七十六条。


 運送品の滅失と運送賃。


「先輩」


「何だ」


「これ、最初に読んだとき、びっくりしました」


「何が?」


「荷物が不可抗力でなくなったら、運送賃を請求できないってところです」


「ああ」


 普通に考えれば。


 運送会社だって、トラックを走らせています。


 燃料も使っています。


 運転手も働いています。


 それなのに。


 途中で大洪水が起きて、荷物が流された。


 運送会社に落ち度がなかったとしても。


 運送賃を請求できない場合がある。


「ちょっと、運送会社がかわいそうな気もします」


 私が言うと、相馬先輩は頷きました。


「そう感じるのも分かる」


「ですよね」


「でも、荷送人だって、荷物が届かず困ってるんだぞ」


「……あ」


 私は森下美代子さんの顔を思い出しました。


 工場で働く八人。


 作り直しになった部品。


 失われた材料。


 そして。


 届かなかった荷物に対する十二万円の運賃請求。


「そうですね……」


 私は頷きました。


 運送賃は、運送という仕事に対する報酬です。


 荷物が不可抗力で滅失したとき、そこまでの費用を当然に荷送人へ負担させるわけにはいかない。


 そこで、昭和の商法は明確なルールを置いていたのです。


「じゃあ、確認するぞ」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「地震が起きた」


「はい」


「避けようのない土砂崩れで、運送中の荷物が全部なくなった」


「はい」


「運送会社には落ち度がない」


「はい」


「運送賃は?」


「不可抗力による滅失なら、第五百七十六条第一項により請求できません!」


「正解」


 私は頷きました。


 さらに。


「すでに運送賃を受け取っていた場合は?」


 先輩が尋ねます。


「返還しなければなりません!」


「そうだ」


 ここも重要です。


 請求できない。


 それだけではありません。


 すでに受け取っていた運送賃についても、返還が問題になる。


「だから、あの黒岩社長は……」


 私は笑ってしまいました。


「自分で不可抗力だって言い張ったせいで、運賃を請求する根拠を失うことになったんですよね」


「そうだ」


 相馬先輩が笑いました。


「悪くないと言うための理屈が、運賃請求では裏目に出たわけだ」


 私はノートに大きく書きました。


 ――不可抗力で滅失したら、運送賃は請求できない。受領済みなら返還。


「ただし」


 片桐所長が言いました。


「何でも不可抗力にするな」


「はい」


 たとえば。


 少し雨が降った。


 道路が濡れていた。


 運転手が速度を出しすぎて荷崩れした。


 そんな場合まで、単に天候が悪かったからといって不可抗力になるわけではありません。


「避けられなかったかどうか、具体的な事情を見るんですね」


「そうだ」


 私は頷きました。


 不可抗力。


 便利な言葉ですが。


 何でも免責する魔法の言葉ではないのです。


「では、第二項です!」


 私はノートに書きました。


 ――運送品の性質・瑕疵・荷送人の過失による滅失。


 ここでは、結論が逆になります。


「荷送人が悪い場合ですね」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


 たとえば。


 瓶に油を詰めて、運送会社へ渡した。


 ところが。


 荷送人が蓋をきちんと閉めていなかった。


 トラックは普通に走っただけなのに、中身がすべて漏れてしまった。


「先輩、運送賃は?」


 私が聞くと、先輩が答えます。


「全額請求できる」


「そうです!」


 私は頷きました。


 荷送人の過失によって運送品が滅失した。


 その場合。


 運送人は、運送賃の全額を請求することができる。


「なるほど……」


 私は鉛筆を回しました。


「同じように荷物がなくなっても、原因が違えば結論が逆になるんですね」


「そこだ」


 相馬先輩が頷きます。


 不可抗力による滅失。


 運送賃を請求できない。


 荷送人の過失などによる滅失。


 運送賃の全額を請求できる。


「では問題です!」


 私は勢いよく言いました。


「荷送人が、腐りやすい食品を送ることを隠していた!」


「うん」


「運送中に、その食品自体の性質によって腐敗し、価値を失った!」


「うん」


「運送賃は?」


「食品の性質による滅失として第二項が適用される事情なら、全額請求できる」


「正解!」


 私は大きく丸をつけました。


 ただし。


 何が原因で品質が悪くなったのか。


 運送会社の保管方法に問題がなかったのか。


 荷送人が正しい情報を伝えていたのか。


 そこは、事実によって判断しなければなりません。


「要するに」


 私は言いました。


「荷物がなくなった、という結果だけでは答えが出ないんですね」


「そうだ」


「何が原因だったかを見る!」


「そういうことだ」


 私は、森下精機の三つの木箱を思い出しました。


 一番と二番。


 豪雨による流失。


 三番。


 固定不備による破損。


 同じ運送契約。


 同じ日に出した荷物。


 でも。


 原因が違うから、法的な検討も分ける必要があったのです。


「所長」


 私は尋ねました。


「今回、三番の木箱は運送会社の過失による破損でしたよね」


「そうだ」


「じゃあ、第五百七十六条第二項の荷送人の過失には当たりませんね」


「そのとおり」


「運送人側の落ち度が原因なのに、荷送人の過失として全額請求できる、とは言えない」


「そうだ」


 私は頷きました。


 しかも。


 第三の木箱は、荷物の一部がなくなったのではなく、壊れて届いた。


 滅失と毀損も、区別しなければなりません。


「先輩」


「何だ」


「運送賃を考えるときって、原因だけじゃなくて、荷物がどうなったかも大事なんですね」


「ああ」


「全部なくなったのか、一部なくなったのか、壊れただけなのか」


「そうだ」


 片桐所長が短く言いました。


「契約の内容と、各運送品の扱いも確認する」


「はい!」


 私はノートに線を引きました。


 運賃を決める前に。


 荷物の状態。


 事故の原因。


 契約の内容。


 この三つを確認する。


 なるほど。


 法律は、結果だけを見ているわけではないのです。


「さて、次だ」


 相馬先輩が煙草を灰皿に押しつけました。


「はい!」


「五百七十七条」


 来ました。


 今回の事件。


 最大の決め手となった条文です。


 私はノートに大きく書きました。


 ――商法第五百七十七条。


 運送人の損害賠償責任。


「ここ、すごく重要です!」


 私は言いました。


「運送人は、必要な注意を怠らなかったことを証明できなければ、運送品の滅失、毀損、延着について損害賠償責任を免れない!」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


 私は、昨日の黒岩社長の言葉を思い出しました。


 ――うちが悪いって証明してみろ!


 ――証拠がないだろ!


 ……。


 思い出しても腹が立ちます。


「先輩」


「何だ」


「あの社長、何を勘違いしてたんでしょう」


「相手が全部証明しなきゃ、責任を負わずに済むと思ってたんだろ」


「でも、商法五百七十七条では違うんですよね」


「そうだ」


 私は頷きました。


 もちろん、荷送人は、荷物が運送中に失われたり壊れたりしたことや、損害について、必要な事実を明らかにしなければなりません。


 しかし。


 運送人が、


「必要な注意を尽くしたから、損害賠償責任を免れる」


 と主張するなら。


 その注意を怠らなかったことを、運送人側が証明しなければならないのです。


「ここが、証明責任のポイントですね」


「そういうことだ」


 私は大きく丸をつけました。


 ――運送人が、注意を怠らなかったことを証明する。


 なぜでしょうか。


 私は少し考えました。


 荷送人は、荷物を運送人へ引き渡したあと、その管理状況を自由に確認できません。


 どんな倉庫に置かれていたか。


 どんな車に積み替えられたか。


 どんな固定器具を使ったか。


 どんな経路を通ったか。


 その情報を持っているのは、運送会社です。


「だから」


 私は言いました。


「運送会社が注意を尽くしたことを説明する仕組みなんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


「荷主に、見てもいない荷台の中のことを全部証明しろって言われても困るだろ」


「はい!」


 片桐所長が言いました。


「ただし、運送人に事故の結果だけで無条件に責任を負わせる規定ではない」


「はい」


「必要な注意を尽くしていたと証明できれば、責任を免れる」


 私は頷きました。


 ここ。


 本当に大事です。


 運送人は、絶対に損害賠償しなければならない。


 これは間違い。


 逆に。


 荷送人が、運送人の具体的な過失をすべて証明しなければならない。


 これも、この規定の理解としては間違い。


 運送人が、注意を怠らなかったことを証明できるか。


 そこが重要なのです。


「では、先輩!」


 私は立ち上がりました。


「確認問題です!」


「またか」


「今度は三問あります!」


「増えてるじゃねえか!」


 私は構わず続けました。


「第一問!」


 荷物を受け取ったあと、倉庫に保管している間に、従業員が鍵をかけ忘れた。


 その結果、荷物が盗まれた。


「運送人は責任を免れますか?」


 相馬先輩が答えました。


「必要な保管上の注意を怠ったなら、免責は難しいだろうな」


「正解!」


 私は頷きました。


 運送人の注意義務は、トラックを運転している時間だけの話ではありません。


 受取。


 保管。


 運送。


 引渡し。


 これらの各段階について問題になります。


「第二問!」


 荷物を積み込むとき、運送会社の作業員が乱暴に扱って破損させた。


「これは?」


「受取や積込みの過程での注意が問題になるな」


「正解!」


「第三問!」


 荷物は壊れなかった。


 でも、運転手が運送会社の指示を無視して寄り道を続け、約束した日時より大幅に遅れて到着した。


「これは?」


 相馬先輩が笑いました。


「延着だろ」


「そうです!」


 私はノートに書きました。


 滅失。


 毀損。


 延着。


「この三つが、第五百七十七条で問題になるんですね!」


「そうだ」


 滅失は、荷物がなくなること。


 毀損は、荷物が壊れたり損傷したりすること。


 延着は、到着が遅れること。


「先輩」


「何だ」


「荷物が無事なら、何時間遅れてもいいってわけじゃないんですね」


「当たり前だろ」


 私は頷きました。


 たとえば。


 工場の部品が、必要な納期に届かなかった。


 そのせいで、生産ラインが止まった。


 そんな場合。


 荷物が壊れていなくても、延着による損害の問題が生じ得ます。


 もちろん、どんな損害でも無制限に賠償されるわけではありません。


 損害の範囲や因果関係など、別に検討すべき問題があります。


 でも。


 運送人の責任は、荷物を壊さないことだけではない。


 約束された運送を適切に履行することにも関わるのです。


「では、もう少し意地悪な問題です」


 私は言いました。


「運送会社が、別の運送業者に荷物を運ばせました」


「うん」


「その別の業者の作業員が、荷物を壊しました」


「うん」


「元の運送会社は、『うちの従業員じゃないから責任はない』と言えますか?」


 相馬先輩が、にやりと笑いました。


「いい問題だな」


「褒めました?」


「まだだ」


「またですか!」


 先輩は六法を指差しました。


「五百七十七条の文言を見ろ」


 私は読みました。


 運送人自身。


 運送取扱人。


 使用人。


 その他運送のために使用した者。


「……あっ!」


「分かったか」


「自分の従業員だけじゃないんですね!」


「そうだ」


 私は頷きました。


 運送会社が、運送のためにほかの人や業者を使った。


 その者の行為も、運送人の免責を考えるうえで無関係ではありません。


 元の運送会社が、


「自分の社員ではない」


 というだけで、当然に免責されるわけではない。


「なるほど!」


 私は大きく丸をつけました。


 つまり。


 下請けに運ばせたから責任なし。


 そんな単純な逃げ方はできないのです。


「所長」


 私は尋ねました。


「商法って、かなり現実的ですね」


「どういう意味だ」


「運送会社が、自分で全部の荷物を運ぶとは限らないって分かってるんです」


「そうだ」


 所長が頷きました。


 大きな商売になれば。


 従業員を雇う。


 別の業者を使う。


 積み替える。


 保管を委託する。


 そうしたことが起こります。


 だからこそ。


 責任を判断するときも、実際の運送体制を見る必要があるのです。


「名前だけ変えて責任から逃げることはできないんですね」


 私が言うと、相馬先輩が笑いました。


「どこの会社でも、そういう発想をする奴はいるからな」


 私は苦笑しました。


 名板貸。


 名ばかりの役員。


 運送の下請け。


 最近の商法の事件を思い返すと。


 共通するものがあります。


 名前。


 看板。


 肩書。


 その裏側で、実際に誰が何をしているのか。


 商法は、そこを見逃さないのです。


「さて」


 片桐所長が言いました。


「森下精機の事件に戻るぞ」


「はい!」


「一番と二番の木箱は、どうなった」


「豪雨によって流失しました」


「最終的な判断は?」


「資料を確認した結果、不可抗力による滅失として扱われました」


「運送賃は?」


「請求されないことになりました」


「損害賠償は?」


「運送人が必要な注意を怠らなかったと認められる事情が確認され、賠償請求はしないことになりました」


 所長が頷きました。


「では、三番は?」


「積み替え時の固定器具不足です!」


「何が問題になった」


「運送中の注意義務です!」


「証拠は?」


「運転日誌と、杉浦運転手の事実確認書です!」


「うん」


「運送会社自身も固定不備を認めました」


「そうだ」


 私は少し考えました。


 そして。


「あっ」


 声を上げました。


「所長!」


「何だ」


「これ、二つの木箱と三番の木箱で、法律上の結論が違うんですね」


「そうだ」


 私はノートに書きました。


 不可抗力による滅失。


 運送賃を請求できない。


 ただし、必要な注意を尽くしていたなら、損害賠償責任を免れることがある。


 一方。


 運送中の固定不備による毀損。


 運送人の注意義務違反が問題となり、損害賠償責任を負う可能性がある。


「つまり!」


 私は言いました。


「運送賃請求権と損害賠償責任は、別の問題!」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


「そこが、今回の事件の一番大事なところだ」


 私は、ようやく腑に落ちました。


 運送賃を請求できないことと。


 運送品の価額を賠償しなければならないことは。


 同じではありません。


 また。


 運送品について損害賠償責任を負うことと。


 運送賃の全額を請求できることも。


 同じではありません。


 何を請求するのか。


 なぜ請求できるのか。


 どの条文が根拠になるのか。


 そこを分けて考える必要があるのです。


「それから、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「もう一つ、試験で引っかかりそうなところがあるぞ」


「何ですか?」


「荷物が壊れたから、商品代金の全額を必ず賠償しろって考え方だ」


「……あ」


 私は思い出しました。


 現場編で、私が最初に書いた内容証明の原案。


 そこには、


 ――運送会社は三百二十万円の全額を賠償する義務がある。


 と書いてしまいました。


 所長に赤線を引かれたところです。


「そういえば、賠償額は別に考えるんでしたね」


「そうだ」


 運送人に損害賠償責任がある。


 だからといって、荷送人が主張する金額を、何でもそのまま支払わなければならないわけではありません。


 昭和の商法にも、運送品の価額を基準とする損害賠償額の定めや、一定の場合の特則があります。


 契約内容。


 荷物の価値。


 損害の原因。


 故意や重大な過失の有無。


 そうした事情によって、賠償額の判断も変わってきます。


「所長」


「何だ」


「今回、三百二十万円全部を当然に請求できるわけではなかったんですね」


「そうだ」


「三番の木箱の損害について、資料を確認して解決した」


「うん」


「一番と二番は、別に判断した」


「そのとおり」


 私は頷きました。


 これも、現場に出たから分かったことです。


 試験では、


 運送人の責任。


 と一つの言葉で出てきます。


 でも実務では。


 責任があるか。


 いくら賠償するのか。


 どんな手続で解決するのか。


 それぞれ、別に確認しなければなりません。


「……法律って、段階が多いですね」


 私が呟くと、相馬先輩が笑いました。


「だから面白いんだろ」


「先輩!」


「何だ」


「今、ちょっと私の気持ちが分かりましたね!」


「別に」


「絶対、分かりましたよね!」


「うるせえ」


 私は笑いました。


 でも。


 少しだけ嬉しくなりました。


「ところで、先輩」


 私はノートをめくりました。


「昭和六十三年と現代では、運送人の条文も変わっているんですよね」


「ああ?」


 相馬先輩が顔を上げました。


「また未来の話か?」


「はい!」


「堂々と言うな」


 私は笑いました。


 でも。


 ここは非常に重要です。


 現代の商法と、昭和六十三年の商法では。


 運送営業の条文番号や内容が、かなり違います。


「まず、昭和六十三年は」


 私は書きました。


 運送人の定義。


 第五百六十九条。


 運送状。


 第五百七十条。


 貨物引換証。


 第五百七十一条。


 不可抗力などによる滅失と運送賃。


 第五百七十六条。


 運送人の損害賠償責任。


 第五百七十七条。


「これが、今回の事件で使った条文ですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


 私は、ノートの反対側に書きました。


 ――現代の商法。


 その後の平成三十年の商法改正によって、運送や海商に関する規定が大きく見直され、平成三十一年から施行されました。


 現代では。


 物品運送契約についての規定が第五百七十条。


 荷送人による送り状の交付が第五百七十一条。


 運送賃に関する規定が第五百七十三条。


 運送人の損害賠償責任が第五百七十五条。


 というように、整理されています。


「……何だ、それ」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「番号が違うじゃねえか」


「そうなんです!」


「五百七十七条はどうした」


「現代では、高価品に関する特則が置かれています」


「……ややこしいな」


「ですよね!」


 私は大きく頷きました。


 同じ商法。


 同じ運送営業。


 でも。


 条文番号が変わっている。


「だから、転生者は危険なんです!」


「また意味の分からねえことを」


「現代の条文番号を覚えていると、昭和で間違えるんです!」


「昭和の六法を読め」


「はい……」


 また怒られました。


 でも。


 これは、行政書士試験の勉強でも重要だと思います。


 法律の基本的な考え方が似ていても。


 改正によって、条文の位置や規律の整理が変わることがある。


 現代の試験を受けるなら、現行法を確認する。


 昭和の事件を扱うなら、当時の法律を確認する。


「所長」


 私は尋ねました。


「どうして、現代では運送営業の規定が整理されたんでしょう」


 所長は少し考えました。


「商売の仕組みが変われば、法律にも整理すべきところが出てくる」


「……なるほど」


 私には、現代の光景が浮かびました。


 全国を走る宅配便。


 航空機による貨物輸送。


 船とトラックを組み合わせた輸送。


 電子的な運送情報の管理。


 昭和六十三年には、今ほど一般的ではなかった仕組みもあります。


 運送の実態が複雑になれば。


 契約のルールも、分かりやすく整備する必要がある。


 現代の商法改正では、こうした取引の実情に対応するため、運送に関する規定が見直されました。


「そういえば」


 私は言いました。


「会社法も、昔は独立した法律じゃなかったんですよね」


 相馬先輩が頷きます。


「ああ。会社の規定は商法第二編や有限会社法にある」


「現代では会社法として独立しています」


「また未来だな」


「はい!」


 私は続けました。


 昭和六十三年には、株式会社を設立するために発起人七人以上が必要でした。


 取締役も三人以上。


 監査役も一人以上。


 現在のように、発起人一人、取締役一人で株式会社を設立できる時代ではありません。


 その後、会社制度は変化し、平成十八年には独立した会社法が施行されます。


 一方。


 運送営業の規定も、その後の商法改正によって整理されました。


「ただ」


 私は言いました。


「会社法の独立と、運送営業の改正は、別の法律改正なんですよね」


「当たり前だろ」


「ですよね!」


 私は笑いました。


 でも、方向性には共通するものがあります。


 社会の変化に合わせて。


 古い制度を見直し。


 実際の商取引に対応できるように整理する。


 法律は、ずっと同じ形のままではないのです。


「でも、所長」


「何だ」


「昔も今も、荷物を預かった人が責任を持つという基本は、大切なんですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「商売が変わっても、約束を守る必要がなくなるわけじゃない」


 私は、その言葉をノートの端に書きました。


 窓の外は、もう薄暗くなっていました。


 私は、ここまでの内容を見直しました。


 運送人。


 運送状。


 貨物引換証。


 運送賃。


 損害賠償責任。


 最初は、ただの試験項目でした。


 でも。


 森下精機の事件を思い出すと、すべてがつながります。


「所長!」


 私は顔を上げました。


「何だ」


「確認問題、お願いします!」


 所長は頷きました。


「いいだろう」


 私は鉛筆を握りました。


「運送状を作成して交付するのは誰だ」


「荷送人です!」


「いつ必要になる」


「運送人から請求された場合です!」


「貨物引換証を交付するのは?」


「運送人です!」


「いつだ」


「荷送人から請求された場合です!」


 所長が頷きました。


「不可抗力で運送品が滅失した場合、運送賃は?」


「昭和の商法第五百七十六条第一項により、請求できません!」


「すでに受け取っていたら?」


「返還しなければなりません!」


「荷送人の過失によって滅失した場合は?」


「同条第二項により、運送賃の全額を請求できます!」


「では、運送品が運送中に壊れた場合は?」


「第五百七十七条です!」


「何を証明する」


「運送人側が、運送品の受取、引渡し、保管及び運送について、注意を怠らなかったことです!」


 所長は頷きました。


「よし」


 私は思わず拳を握りました。


 やった!


 運送営業。


 基本論点、突破です。


「じゃあ、俺からも一問」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「荷物が壊れた。運送会社が必要な注意を尽くしていたことを証明した。どうなる?」


「第五百七十七条による損害賠償責任を免れることができます!」


「正解」


「次!」


 私は勢いよく言いました。


 相馬先輩が笑いました。


「今度はお前が出すのかよ」


「はい!」


 私はノートを閉じました。


「先輩! 昭和六十三年の商法第五百七十条は?」


「運送状」


「正解!」


「簡単だな」


「では、現代の商法第五百七十条は?」


「……」


 先輩が止まりました。


「先輩?」


「……」


「分かりませんか?」


「未来の条文なんか知るか!」


 私は笑いました。


「現代では物品運送契約の規定です!」


「今の仕事には関係ねえ!」


「でも勉強になります!」


「お前だけだろ!」


 また怒られました。


 でも。


 私は少し得意でした。


 昭和の条文も。


 現代の条文も。


 どちらも、今なら区別できます。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今回、一番役に立った書類は何だったと思う?」


 私は少し考えました。


「内容証明郵便です!」


「ほう」


「商法五百七十六条と五百七十七条を指摘したことで、黒岩社長の態度が変わりました!」


「確かにな」


 先輩は頷きました。


「でも、それだけか?」


「……え?」


「最初に何があった?」


 私は思い返しました。


 運送状。


 貨物引換証。


 木箱三個。


 運送賃十二万円。


 そして。


 積み替え時の固定器具不足を記した運転日誌。


「あ……」


 私は顔を上げました。


「証拠です」


「そうだ」


「内容証明に条文を書いただけじゃなくて、相手の説明が間違っていることを示す資料があったんです」


 相馬先輩が頷きました。


「商法五百七十七条があるからって、何も調べずに相手を責めても仕方ねえ」


「はい」


「実際に何が起きたかを確かめるんだ」


 私は、杉浦運転手の顔を思い出しました。


 あの人は、会社から圧力をかけられながらも。


 自分の運転日誌を示してくれました。


 固定ベルト不足。


 営業所長への申告。


 出発指示。


 その小さな記録が。


 黒岩社長の、


「うちは悪くない」


 という説明を崩したのです。


「法律って」


 私は言いました。


「正直に残された記録が、すごく大切なんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きます。


「嘘をつく奴ほど、記録を嫌がるからな」


 私は笑いました。


 確かに。


 黒岩社長は、最初から大声でした。


 運送したんだから払え。


 不可抗力だから責任はない。


 証拠があるなら出せ。


 でも。


 運送状。


 貨物引換証。


 運転日誌。


 そして、商法の条文。


 その一つ一つを並べると。


 怒鳴り声は、だんだん小さくなっていきました。


「所長」


 私は奥を見ました。


「何だ」


「法律の書面って、やっぱり怖いですね」


 所長は少しだけ笑いました。


「怖いのは、説明できない事実を残したことだ」


 ……。


 私は、以前にも似た言葉を聞いた気がしました。


 そうです。


 民法の事件。


 九歳の子供がピアノを売ってしまった事件でも、所長は同じようなことを言っていました。


 契約書に署名がある。


 ハンコがある。


 だから有効だ。


 そんな主張を、事実と法律で崩したときのことです。


 商法でも、民法でも。


 大切なことは変わりません。


 事実を正確に見る。


 法律を正しく使う。


 そして、書面に残す。


 それが、片桐行政書士事務所の戦い方なのです。


「さて」


 私はノートの最後のページを開きました。


「今日の一行です!」


 相馬先輩が顔を上げました。


「今度こそ短くしろよ」


「分かってます!」


 私は鉛筆を握りました。


 少し考えて。


 ゆっくり。


 ――運送状は荷送人、貨物引換証は運送人。不可抗力の滅失では運賃なし、免責の注意は運送人が証明する。


「……できました!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「まあ、覚えやすいんじゃねえか」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、きっと忘れません。


 森下精機の三つの木箱。


 一番と二番は、豪雨で流された。


 三番は、固定不足で壊れた。


 その違いだけで。


 運送賃と損害賠償の問題は、大きく変わりました。


 そして。


 誰が何を証明するのか。


 そこを理解していたことで、黒岩社長の主張に潜む問題点を見抜くことができた。


 試験のために覚えていた商法が。


 本当に、人を守るための知識になったのです。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今日の勉強会は終わりか?」


「はい!」


「じゃあ、机を片付けろ」


「……またですか」


「まただ」


 私は腕を組みました。


「先輩」


「何だ」


「今日の私は、運送人の法律を完全に理解しました」


「そうか」


「だから、運送という仕事については詳しくなりました!」


「うん」


「つまり!」


 私は勢いよく立ち上がりました。


「この書類の山を片付けるのは、先輩にお願いしたいと思います!」


「何でだよ!」


「運送の専門家に!」


「俺は運送屋じゃねえ!」


「でも、運送人について詳しいじゃないですか!」


「法律を知ってることと、荷物を運ぶことは別だ!」


 ……。


 私は止まりました。


 相馬先輩も止まりました。


 そして。


 二人で顔を見合わせました。


「……あ」


 私は呟きました。


「今の、大事ですね」


「何がだ」


「運送人の定義です!」


「……は?」


「法律に詳しいだけじゃ、運送人にはならないんです!」


 私はノートを開きました。


「運送人とは、運送を業とする者!」


「知ってるよ!」


「つまり先輩は、運送人じゃない!」


「当たり前だ!」


「じゃあ、書類を運ぶ義務もないですね!」


「そうだ!」


 私は満足して頷きました。


「なるほど!」


 相馬先輩が、ようやく笑いました。


「分かったなら片付けろ」


「……え?」


「見習いの仕事だ」


 私は固まりました。


 ……。


 なるほど。


 運送人ではなくても。


 事務所の書類を運ぶ仕事は、頼まれるようです。


 残念。


 法律の知識だけでは、掃除や片付けから逃げられません。


「所長!」


 私は奥へ声をかけました。


「何だ」


「事務所の書類を運ぶことは、商法上の運送営業には当たりませんよね!」


「当たらん」


「ですよね!」


「だから、早く片付けろ」


「……はい」


 相馬先輩が吹き出しました。


「ほらな」


「先輩!」


「何だ」


「法律を勉強すると、世の中の仕組みがよく分かりますね!」


「そうだな」


「でも!」


「でも?」


「片付けから逃げられる法律は、なかなか見つかりません!」


「そんなもん探すな!」


 私は笑いながら、書類を棚に戻し始めました。


 窓の外。


 夕暮れの道路を、一台のトラックが走っていきます。


 荷台には、大きな木箱が積まれていました。


 どこかの工場から。


 どこかの会社へ。


 誰かが一生懸命作った商品を運んでいるのでしょう。


 私は、その姿を見送りました。


 運送人。


 運送状。


 貨物引換証。


 運送賃請求権。


 損害賠償責任。


 どれも、最初は硬い法律用語でした。


 でも。


 その言葉の向こう側には。


 荷物を作った人がいます。


 荷物を運ぶ人がいます。


 荷物を待つ人がいます。


 そして。


 その人たちの仕事や暮らしがあります。


 商法は。


 ただ、商品を右から左へ動かすための法律ではありません。


 商売の途中で起きる危険を、誰が、どのように負担するのか。


 その約束を、法律として形にしたものなのです。


 私は、ノートの最後の一行をもう一度読みました。


 ――運送状は荷送人、貨物引換証は運送人。不可抗力の滅失では運賃なし、免責の注意は運送人が証明する。


 よし。


 完璧です。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「書類、まだ残ってるぞ!」


「今、学習内容を確認してたんです!」


「確認は後だ!」


「先輩!」


「何だ!」


「もし、この書類を運んでいる途中で不可抗力によって全部なくなったら、私は運送賃を請求できませんね!」


「そもそも運送賃を払う約束なんかしてねえ!」


「じゃあ、書類を落として壊したら?」


「怒られる!」


「商法五百七十七条ですか!」


「違う! お前の不注意だ!」


 ……。


 なるほど。


 商法上の運送人ではなくても。


 人の大切なものを預かっている以上、雑に扱っていいわけではありません。


 私は、書類を両手でしっかり抱えました。


 そして。


 丁寧に棚へ戻しました。


 明日も、この事務所には、きっと新しい相談者が来るのでしょう。


 荷物が届かない人。


 代金を払ってもらえない人。


 契約書の一行で困っている人。


 そんな人たちを守るために。


 私たちは、また六法を開きます。


 法律は。


 声の大きな人だけの味方ではありません。


 大きな会社だけの味方でもありません。


 真面目に約束を守ろうとする人が、一方的に損をしないように。


 そのためのルールでもあるのです。


 だからこそ。


 私は今日も、商法を勉強します。


 ただし。


 次からは、荷物が届かなかったという話を聞いても。


 すぐに、


「運送会社が悪い!」


 とは決めつけないことにします。


 まず確認するのは。


 何を運ぶ約束だったのか。


 何が起きたのか。


 なぜ、そうなったのか。


 そして。


 誰が、何を証明しなければならないのか。


 その四つです。


 だって。


 トラック一台の荷台には。


 法律の条文だけでは測れない、誰かの努力が積まれているのですから。

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