[行政手続法14条・不利益処分の理由提示]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ紙の音が大きく聞こえます。
電話が減る。
来客が途切れる。
相馬先輩が帳簿をめくる。
所長が新聞を折る。
そして私の机には、一枚の通知書。
柴崎洋品店。
屋外広告物掲出許可取消通知。
理由。
――関係規定に違反したため。
「……やっぱり短い」
私は呟きました。
「何が」
向かいの机から相馬先輩が聞きます。
「理由です」
「昨日からそればっかりだな」
「だって見れば見るほど、何も書いてないんですよ」
「書いてあるだろ」
先輩が読み上げます。
「関係規定に違反したため」
「だから、それは“違反したから処分する”って言ってるだけでしょう」
「そうだな」
「理由を聞いてる人に、“理由は違反したからです”って答えたら」
「怒るな」
「怒りますよ」
私はノートを開きました。
昨日。
柴崎さんは、市役所から許可取消しの通知を受けました。
けれど、通知に書かれていた理由は一行だけ。
関係規定に違反したため。
何の規定なのか。
何をしたのか。
どの事実を認定したのか。
なぜ許可取消しまで必要なのか。
何も分からない。
そこで理由を掘ってみたら。
役所が古い道路境界図を使っていたことが判明しました。
新しい境界杭で測り直すと、看板は基準内。
取消しは撤回――というより、まだ確定前だった処分方針そのものが消えました。
そして私は。
未来の法律を知っています。
行政手続法十四条。
不利益処分の理由提示。
もちろん。
昭和六十三年のこの机で、
「行政手続法十四条によればですね」
などと言えば。
相馬先輩より先に、時代が私へ異議申立てしてくるでしょう。
なので。
今日も未来の条文は、私の頭の中だけです。
私はノートの一番上に書きました。
――不利益処分の理由提示。
「また未来語か」
相馬先輩が言いました。
「分類上そうなります」
「説明しろ」
「はい」
私はペンを持ち直しました。
「未来では、行政庁が不利益処分をするとき、原則として、その名あて人に対して、処分と同時に理由を示さないといけません」
「同時?」
「はい。同時です」
私はそこを二重線で囲みました。
処分と同時に。
「あとで聞かれたら説明すればいい、じゃない?」
相馬先輩が聞きます。
「原則、それじゃ駄目です」
「なぜ」
「だって」
私は昨日の柴崎さんを思い出しました。
「処分されたその瞬間から、その人は困るからです」
許可を取り消された。
営業停止になった。
資格を奪われた。
命令を受けた。
なのに。
なぜそうなったのか分からない。
それでは。
直すべきなのか。
争うべきなのか。
事実認定が違うのか。
法令解釈が違うのか。
何も判断できません。
「昨日の柴崎さんがそうでした」
私は通知書を指しました。
「取消通知は届いた。でも、“関係規定に違反したため”だけ」
「うん」
「だから、何を直せばいいか分からない」
「うん」
「何に反論すればいいかも分からない」
「うん」
「そもそも役所が何を見て判断したのかも分からない」
「なるほどな」
所長が新聞を畳みました。
「理由を示す意味は、何だと思う」
来ました。
夕方の口頭試問。
昭和の事務所に模試はありません。
代わりに所長がいます。
しかも採点基準非公開。
「ええと」
私は考えます。
「本人が処分の根拠を知るため」
「それから」
「不服があるなら、争うかどうか判断するため」
「それから」
「行政庁自身に、慎重に判断させるため」
所長が頷きました。
「そこだ」
やっぱり。
私は昨日の出来事を思い出します。
理由を書こうとすれば。
行政側も、
どの条文に基づくのか。
どの事実を認定したのか。
その事実は本当に正しいのか。
そこを言葉にしなければならない。
言葉にしようとすると。
矛盾や間違いが見える。
昨日もそうでした。
もし役所が最初から、
旧図面上の道路境界から何センチ突出しているため、許可基準に違反する。
そう具体的に書いていれば。
途中で誰かが、
旧図面?
と気づいたかもしれない。
「つまり理由提示って」
私は言いました。
「市民のためだけじゃなくて、役所自身へのブレーキでもあるんですね」
「そう考えればいい」
所長が短く答えました。
私はノートに書きます。
理由提示。
相手に、なぜ不利益処分を受けるのかを知らせる。
不服申立てや訴訟など、争うかどうか判断できるようにする。
行政庁に慎重・合理的な判断を促す。
「じゃあ」
相馬先輩が通知書をつまみ上げました。
「理由って、どこまで書けばいいんだ?」
「そこですよ」
私は身を乗り出しました。
「“理由を書けば何でもいい”わけじゃない」
「関係規定に違反したため、じゃ駄目?」
「昨日の事件を見る限り、少なくともそれだけでは何を理由に処分されたか具体的に分からないですよね」
「じゃあ条文番号を書けばいい?」
「それだけでも足りない場合があります」
「面倒だな」
「行政法ですから」
「便利な言葉にするな」
私は笑ってから、ノートへ戻りました。
理由提示の核心は。
名あて人が、
なぜその処分を受けるのか、
具体的に分かること。
単に。
法令違反だから。
基準に合わないから。
不適切だから。
では。
何を認定され。
どの基準に触れ。
どう判断されたのかが分からない。
「昨日なら」
私は言います。
「看板のどの部分が、どの境界から、どれだけ出ていて」
「うん」
「どの基準に反しているから」
「うん」
「許可取消しにするのか」
「そこまでつながってれば、柴崎さんも反論できる」
「そういうことです」
柴崎さんなら。
境界が違います。
その図面は古いです。
もう移動しました。
測り方が違います。
そう言える。
でも、
関係規定に違反したため。
では。
反論のボールを投げる場所すらありません。
「理由提示って」
私は言いました。
「行政から相手に、“あなたが争うならここを争ってください”って、論点を開示することでもあるんですね」
相馬先輩が眉を上げます。
「敵に手の内を見せるみたいだな」
「でも行政は喧嘩してるわけじゃないですから」
「役所もたまに忘れてそうだけどな」
「先輩」
「何だ」
「刺し方が雑です」
「事実を言っただけだ」
所長は止めませんでした。
ということは、半分くらい同意しているのかもしれません。
私は次に大きく書きました。
――いつ理由を示す?
「さっき言っただろ。同時」
相馬先輩が言います。
「原則は、です」
「来たな」
「はい。例外があります」
「法律はどうして毎回例外を作るんだ」
「現実が例外を作るからです」
「珍しく上手いこと言ったな」
「褒められた」
「調子に乗るな」
厳しい。
私は続けました。
原則。
不利益処分をするとき。
処分と同時に理由を示す。
でも。
例外。
理由を示さないで処分しなければならないほど、差し迫った必要がある場合。
「例えば?」
相馬先輩が聞きます。
「うーん」
私は考えました。
「今すぐ危険を止めないと被害が広がる場合とか」
「前の食堂事件みたいな?」
「似てます」
田所食堂の件。
もし今まさに危険な食品が大量に販売されていて。
被害拡大を防ぐため即時に処分しなければならない。
そんな場面なら。
理由書を整えてから処分します、
では遅いことがある。
「だから」
私は言いました。
「処分と同時に理由を示すことまで待てないほど差し迫っているなら、ひとまず処分を先にできる」
「じゃあ理由は無しで終わり?」
「そこが違います」
私は大きく丸をつけました。
「あとで示します」
「いつ」
「処分後、相当の期間内」
「必ず?」
「原則として」
また原則。
行政法は本当に、
原則。
例外。
ただし。
もっとも。
この四人で町内会を作っています。
「昨日の柴崎さんの通知でも」
私は言います。
「仮に本当に危険な看板で、今すぐ撤去命令や取消しをしなきゃいけない状況なら」
「うん」
「理由を詳しく書き上げるまで待てない場合はあり得る」
「でも」
「あとから理由を知らせる」
「なるほど」
私はノートに矢印を引きました。
通常。
処分+理由。
同時。
緊急時。
先に処分。
後で理由。
「これ」
私は言いました。
「前回の十三条と混ざりそうなんですよね」
「何が違う」
所長がすぐ聞きました。
はい。
ここ。
試験で絶対刺されるところです。
私は姿勢を正しました。
「十三条は、不利益処分をする前の意見陳述です」
「聴聞とか弁明とか?」
「はい」
「緊急なら?」
「意見陳述手続を省略できます」
「あとでやる?」
「やりません」
相馬先輩が眉を上げます。
「やらないのか」
「そこが十四条と違うんです」
私は二つを並べました。
十三条。
意見陳述。
処分前。
公益上、緊急に処分する必要があり、意見陳述手続を執れないなら、省略できる。
そして。
後から聴聞や弁明をやり直す義務はない。
十四条。
理由提示。
原則、処分と同時。
差し迫った必要があれば、同時提示は省略できる。
でも。
原則として、後で理由を示す。
「ここ、試験でいやらしく出そうですね」
「未来の試験は性格が悪いな」
「全国の受験生を敵に回しますよ」
「お前もだったんだろ」
「だから言ってるんです」
私は自分のノートを指しました。
「十三条の緊急例外は、“事前手続を飛ばして終わり”」
「うん」
「十四条の緊急例外は、“同時提示を飛ばすだけで、理由提示そのものは原則あとで必要”」
「なるほどな」
私はさらに、記憶に引っかかっている部分を掘りました。
「ただし、十四条でも、後から理由を示さなくていい場合があります」
「まだ例外があるのか」
「あります」
「行政法、例外の上に例外積むな」
「私に言わないでください」
「何だ」
「名あて人の所在が分からなくなったとか」
「ほう」
「処分後に理由を示すことが困難な事情があるとき」
「そりゃ渡せないな」
「はい」
柴崎さんに理由を示そうとしても。
本人がどこにいるか分からない。
送る先もない。
説明のしようがない。
そんなときまで、
絶対に理由を示せ。
とはできない。
「だから整理すると」
私は言いました。
「差し迫った必要があるから、処分時には理由を示さなかった」
「うん」
「でも、それで理由提示義務が完全消滅するわけじゃない」
「原則あとで示す」
「そうです」
「ただ、所在不明とかで後から示すこと自体が困難なら」
「そこは不要」
「よし」
相馬先輩が頷きました。
「今日は俺でも分かる」
「昨日までは?」
「半分」
「正直」
私は次の見出しを書きました。
――書面。
「まだあるの?」
「あります」
「長いな」
「十四条一条だけですよ」
「法律の一条、密度高すぎだろ」
それは本当にそう。
「未来の行政手続法では」
私は言いました。
「不利益処分を書面でする場合、理由も書面で示さないといけません」
「口で説明しただけじゃ?」
「足りません」
「昨日、大森さんが後から窓口で詳しく説明したのは?」
「未来の十四条の考え方なら、それで最初の書面の理由提示が適切だったことにはならないですね」
「なるほど」
これも大事です。
処分は紙。
理由は、
窓口で聞けば教えます。
ではない。
なぜなら。
処分書を後から読み返す人。
代理人。
審査する行政庁。
裁判所。
誰が見ても、何を理由に処分されたのか分かる必要がある。
「紙で処分するなら」
私は言いました。
「紙に理由を残す」
「後で“言った言わない”にならないためでもあるな」
相馬先輩が言います。
「そうですね」
所長が言いました。
「それだけじゃない」
「え?」
「後で理由を差し替えにくくなる」
私は止まりました。
あ。
なるほど。
「処分したときは理由Aだったのに」
「うん」
「あとから問題になって、実は理由Bでしたって」
「それを防ぐ意味もある?」
「理由を明らかにしておけばな」
私は急いで書きます。
理由の書面化。
処分時の判断根拠を固定する。
後から理由を曖昧にしたり、都合よく作り替えたりすることを防ぐ。
「やっぱり」
私は言いました。
「理由提示って、市民だけじゃなく行政側にもかなり効きますね」
「手続は両方を縛る」
所長が言いました。
短い。
でも。
かなり好きな言葉でした。
手続は両方を縛る。
行政だけをいじめるルールではない。
市民だけを守る魔法でもない。
誰が担当しても。
誰が相手でも。
同じように確認する。
その冷たさが。
むしろ公平さになります。
私は昨日の大森さんを思い出しました。
悪い人ではなかった。
ただ、
書式がそうなっていた。
一行欄だった。
前からそうしていた。
忙しかった。
だから、
関係規定に違反したため。
で処理した。
たぶん。
行政手続の怖さって。
悪意より、こっちなのかもしれません。
誰も悪くしようとしていないのに。
雑な運用が積み重なって。
気づくと、市民が理由のない不利益を受ける。
「所長」
「何だ」
「理由提示って」
「うん」
「相手を納得させるため、って覚えると危ないですよね」
「なぜ」
「納得しなくてもいいから」
私は答えました。
「行政庁が適法に処分して、理由をきちんと示した。でも本人は納得しない。そういうことは普通にある」
「そうだな」
「目的は、“納得させること”じゃなくて、“なぜその処分を受けるのか分かるようにすること”」
「そのほうが正確だ」
よし。
少しつながりました。
理由提示。
説明責任。
納得。
似ています。
でも。
試験では混ぜると危険。
制度上求められているのは、
相手が心から、
なるほど役所さん、その通りです。
と頭を下げることではありません。
何を根拠に。
どの事実によって。
なぜ処分したのか。
そこが分かること。
「じゃあ」
相馬先輩がまた問題を出してきました。
「不利益処分の理由は、本人から求められたときだけ示せばいい」
「誤り」
「速い」
「原則として行政庁側から同時に示します」
「次」
「はい」
「緊急なら理由は一切いらない」
「誤り」
「なぜ」
「同時提示を省略できるだけで、原則として処分後相当の期間内に示さないといけません」
「所在不明なら?」
「後から示せないから、不要になる場合があります」
「次」
「まだやるんですか」
「書面で処分したが、理由は窓口で口頭説明した」
「駄目。書面による不利益処分なら、理由も書面」
「次」
「先生みたいになってません?」
「先輩だ」
「そこじゃない」
所長が新聞越しに言いました。
「一番混同しやすいのは十三条だ」
「ですよね」
私はページを分けました。
十三条。
事前の意見陳述。
本人に言わせる手続。
十四条。
理由提示。
行政側が説明する手続。
「あ」
私はそこで止まりました。
「これ、覚えやすいかも」
「何が」
「十三条は、本人がしゃべる」
「うん」
「十四条は、役所がしゃべる」
相馬先輩が笑いました。
「雑だが分かりやすいな」
「でしょう?」
私は勢いづきました。
十三条。
不利益処分の前。
本人が、
待ってください。
事情があります。
証拠があります。
そう言える。
十四条。
処分するとき。
行政が、
あなたをこういう理由で処分します。
と示す。
両方あることで。
処分の前後が少し見えるようになる。
「田所食堂では」
私は言いました。
「本人の話を聞かずに取消しを進めそうだった」
「十三条っぽい問題」
「はい」
「柴崎洋品店では」
「処分理由が具体的に分からなかった」
「十四条っぽい」
「そうです」
未来では。
別々の条文になります。
でも。
昭和六十三年の現場で見ると。
根っこは似ています。
行政が。
一方的に。
人の権利や利益に大きな影響を与える。
だから。
決める前には、聞く。
決めるときには、理由を示す。
その二つ。
「なんか」
私は呟きました。
「十三条と十四条、セットで見ると急に人間っぽいですね」
「法律が?」
「はい」
「珍しい感想だな」
「だって」
私はノートを見ます。
本人。
行政。
処分。
その間に。
一方通行にしないための仕組みが二つ置かれている。
本人から行政へ。
意見。
行政から本人へ。
理由。
「行政手続って」
私は言いました。
「会話を強制する仕組みなのかもしれません」
所長がこちらを見ました。
「面白い見方だな」
褒められた。
珍しい。
今日はシベリアが降るかもしれません。
……昨日もう降りましたね。
私はノートの最後に線を引きました。
そして。
今日の一行の覚え書き。
――処分するときは、「何をしたか」だけでなく「なぜしたか」を相手に残す。
相馬先輩が覗き込みます。
「昨日より普通だな」
「普通でいいんです」
「もう一行」
「最近皆それ言いますね」
「試験用」
私は少し考えて。
書き足しました。
――十三条は「先に本人の言い分を聞く」。十四条は「処分と同時に行政が理由を示す」。緊急時、十三条は省略して終わり、十四条は原則あとで理由を示す。
「長いな」
「試験用ですから!」
「一行じゃない」
「細かい!」
そのとき。
事務所の扉が開きました。
「あら、まだ皆さんいらした」
柴崎さんでした。
紙袋を持っています。
「こんばんは」
「こんばんは」
「昨日のお礼、もう一つ」
「またですか?」
紙袋の中には。
最中。
今度は六個。
人数三人。
私は瞬時に計算しました。
一人二個。
完璧。
争いなし。
「今日は公平ですね」
私が言うと。
柴崎さんが笑いました。
「昨日、揉めてたから多めにしました」
「聞かれてた!」
相馬先輩が最中を二つ取ります。
「ほら。理由も示されたぞ」
「そういう使い方じゃありません」
「お前も二個取れ」
「言われなくても取ります」
私は二つ確保しました。
所長も二つ。
平和。
手続も不要。
「看板」
私は聞きました。
「その後、大丈夫ですか」
「ええ」
柴崎さんが頷きます。
「大森さんが新しい通知の見本を持ってきてくれました」
「見本?」
「理由をちゃんと書くようにしたって」
「もう?」
「早かったわよ」
柴崎さんは少し笑いました。
「『関係規定に違反したため』って書く欄が、ずいぶん大きくなってた」
私は笑ってしまいました。
理由欄の拡張。
行政改革としては、小さい。
本当に小さい。
でも。
たぶん。
こういうところから変わるんです。
一枚の通知。
一つの欄。
一行の理由。
そこを少し丁寧にするだけで。
次に通知を受ける誰かは。
昨日の柴崎さんより、少しだけ困らずに済む。
完全に救われるわけじゃない。
処分される人は、やっぱり処分される。
違反があるなら、行政は動かなければならない。
でも。
なぜ。
という問いに答える。
それだけはできる。
制度の冷たさは。
人を処分するときほど必要なのかもしれません。
かわいそうだから理由を書く。
気分がいいから説明する。
ではない。
誰であっても。
不利益処分をするなら。
理由を示す。
そのほうが冷たい。
でも。
その冷たさなら。
担当者の気分や忙しさで消えません。
私は最中を一口かじりました。
甘い。
昨日のシベリアより、かなり甘い。
「こはる」
所長が言いました。
「今日の一行」
「書きましたよ」
「もう一つ」
「またですか」
「現場用だ」
私は少し考えました。
昨日。
柴崎さんに必要だった言葉。
未来の条文番号でも。
判例でもない。
もっと短い問いでした。
私はノートの最後に書きました。
――「処分します」と言われたら、「なぜですか」を紙で残してもらう。
所長が頷きます。
「それでいい」
窓の外。
昭和六十三年の町は、もう暗くなっています。
駅前では再整備工事の灯りが点き。
古い看板と新しい杭が。
同じ通りに立っています。
未来では。
不利益処分の理由提示に。
ちゃんと条文番号がつく。
原則。
処分と同時。
差し迫った必要があれば、同時でなくてもよい。
でも原則として、後から示す。
所在不明などで困難なら例外。
書面処分なら、理由も書面。
受験生として見ると。
覚えることが多い。
面倒です。
でも。
柴崎さんの顔を思い出すと。
全部、急に意味を持ちます。
なぜ。
その一言が分からないだけで。
人は何もできなくなる。
逆に。
理由が見えれば。
直せることがある。
争えることがある。
行政の間違いに気づけることがある。
理由は。
処分の後ろにつける説明文ではありません。
処分そのものを。
勝手な力にしないための歯止めです。
「先輩」
「何だ」
「最中、もう食べました?」
「二個とも」
「早い」
「適法に配分されたからな」
「その言い方、腹立つなあ」
「お前も二個あるだろ」
私は自分の皿を見る。
一個。
「……一個しかない」
「さっき所長が一個取ったぞ」
「え?」
所長を見ると。
新聞の横に、三つ目の最中。
「所長!」
「何だ」
「三個目です!」
「そうだな」
「一人二個じゃなかったんですか!」
「その理由は?」
「六個を三人で分けるからです!」
「柴崎さんもいる」
私は固まりました。
あ。
四人。
六個。
前提事実を間違えました。
相馬先輩が爆笑します。
「事実認定からやり直せ」
「くっ……!」
行政法以前でした。
理由を語る前に。
まず事実を正しく見ろ。
昨日、市役所が古い図面を使ったのと。
今の私。
そんなに違わない。
私はため息をついて。
ノートの端に、小さく書き足しました。
――理由の前に、事実認定。
所長がそれを見て。
珍しく笑いました。
どうやら。
今日の法理編には。
まだ一つ、覚える余地が残っていたようです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




