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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

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[行政手続法12条・処分基準]現場編 「一回違反したら三十日営業停止です」の罠。見えない物差しで罰する役所と、処分の重さを決める基準

挿絵(By みてみん)

 罰そのものより怖いのは、どこまで怒られるのか誰にも分からないことです。


 一回なら注意。


 二回なら停止。


 三回なら取消し。


 そんなふうに決まっていれば、まだ覚悟はできます。


 けれど、


「今回は重いので三十日です」


 と突然言われたら。


 たぶん誰でも、一度は聞きたくなる。


 ――その「重い」って、誰の物差しですか。


 昭和六十三年。


 地方都市の片隅にある片桐行政書士事務所で、私は朝からその「物差し」に頭を殴られていました。


「営業停止、三十日……」


 目の前の紙を読み上げる。


 相馬先輩が煙草をくわえたまま言いました。


「読めば分かる」


「分かりますけど、三十日ですよ?」


「一か月だな」


「算数の確認をしてるんじゃありません」


 相談者は、駅前商店街で小さな食堂を営む宮下澄江さん。


 五十代半ば。


 白いブラウスの袖を何度も握り直しています。


 店の名前は「お食事処みやした」。


 カツ丼、焼き魚、うどん。


 昼になると市役所の職員も食べに来る、町によくある食堂だそうです。


 問題が起きたのは、一週間前。


 厨房裏の生ごみ容器の蓋がきちんと閉まっていなかった。


 巡回に来た市の衛生担当職員から指摘を受けた。


 その場で片づけた。


 ここまでは宮下さんも争っていません。


「私が悪かったんです」


 宮下さんは小さく言いました。


「忙しかったからって言い訳にもならないし。蓋を閉めてなかったのは本当だから」


「以前にも指摘を受けたことは?」


 片桐所長が聞きます。


「二年前に一度。床に段ボールを置いちゃって、それを注意されました。でも、その日のうちに直しました」


「処分は?」


「ありません。口頭で注意だけ」


 そして今回。


 市から突然、


 衛生管理上の義務違反が繰り返されているとして、営業停止三十日を検討している。


 そう告げられた。


「三十日店を閉めたら……」


 宮下さんの声が細くなる。


「うちは終わります」


 私は顔を上げました。


「そんなに?」


「食堂なんて、一か月閉めたらお客さん戻ってこないよ。それに仕入れ代もあるし、店の家賃もあるし」


 夫は数年前に亡くなった。


 大学へ進学した息子に仕送りもしている。


 派手な話じゃない。


 新聞に載るような事件でもない。


 ただ、小さな店を三十日閉める。


 それだけで、一人の生活はかなり簡単に壊れる。


「役所では、何て?」


 相馬先輩が聞きました。


「『二度目ですから』って」


「二度目なら三十日?」


「そう聞いたんです。そしたら……」


 宮下さんは鞄からメモを出しました。


「担当の人が、『今回は悪質と判断しましたので』って」


 悪質。


 私は眉を寄せました。


 便利な言葉です。


 便利すぎて、法律の世界ではだいたい危ない。


「何が悪質なんです?」


「分かりません」


「蓋を開けてた時間?」


「分かりません」


「害虫が発生したとか?」


「してません」


「食中毒?」


「一度も」


「改善命令を無視した?」


「そんなことしてません」


 私は黙りました。


 相馬先輩も黙った。


 所長だけが、いつもの無表情で書類を見ています。


 宮下さんがぽつりと言いました。


「私、罰を受けるなって言ってるんじゃないんです」


 その言葉に、私は少し驚きました。


「悪かったところは直します。注意でも何でも受けます。でも……三十日って言われても、どうして三十日なのか分からないんです」


 ああ。


 そこだ。


 胸の中で、何かが引っかかりました。


 昨夜まで――正確には未来の昨夜まで――行政書士試験のテキストで眠そうに並んでいた言葉。


 処分基準。


 不利益処分。


 行政庁が、どんな場合にどの程度の不利益処分をするのか、その判断の物差し。


 未来では行政手続法十二条が、それについて書いている。


 処分基準を定め、公にしておくよう努める。


 そして定めるなら、不利益処分の性質に照らして、できる限り具体的に。


 私はそこまで思い出して――止まりました。


 待って。


 昭和六十三年です。


 行政手続法、まだありません。


 平成五年制定。


 平成六年施行。


 未来の法律をここで振り回したら、私は行政書士見習いから未来人認定へ華麗な転職を遂げます。


「こはる」


 所長が呼びました。


「さっきから変な顔をしている」


「未来と現在が衝突してました」


「熱でもあるのか」


「大丈夫です」


 相馬先輩が嫌そうに私を見る。


「で、何が引っかかった」


 私は宮下さんの通知をもう一度見ました。


「三十日って、どうやって決めたんでしょう」


「担当者が決めたんじゃないのか」


「じゃなくて」


 私は紙を指で叩きます。


「何をしたら注意で、何をしたら七日停止で、何をしたら三十日になるのか。その基準です」


 相馬先輩の目が少し変わりました。


「役所の内部基準があるかもしれんな」


「ですよね」


 宮下さんがこちらを見る。


「そんなものがあるんですか?」


「あるかどうかを、これから確認します」


 所長が静かに言いました。


 その一言で話が決まりました。


     ◇


 市役所の衛生課は、午後一番から電話が鳴り続けていました。


 昭和の役所です。


 パソコンの画面をクリックすれば規程が出てくる、なんて文明的な世界ではありません。


 紙。


 ファイル。


 紙。


 バインダー。


 そして紙。


 行政は紙でできている。


 たぶん役所を燃やしたらものすごくよく燃える。


 いや燃やしませんけど。


 窓口に出てきたのは、見覚えのある男でした。


「……また片桐さんですか」


 倉田係長。


 最近、やたら遭遇します。


「嫌そうですね」


 私が言うと、倉田係長はため息をつきました。


「朝比奈さん、君が来ると質問が増えるんだよ」


「行政書士事務所に対する評価としては褒め言葉ですね」


「褒めてない」


 今日は敵意というより疲労が強い。


 駅前再整備だの露店だの飲食店だの、この人もこの人で板挟みなのでしょう。


 所長が宮下さんの件を説明すると、倉田係長は頷きました。


「その件でしたら、衛生担当から聞いています」


「三十日の営業停止を検討していると」


「ええ」


 相馬先輩がすぐ聞きます。


「なぜ三十日です?」


「衛生管理違反が繰り返されていますから」


「それは理由であって、日数の根拠じゃない」


 今日も切れ味がいい。


 倉田係長の眉間に皺が寄りました。


「過去にも指導歴があります」


「二年前に一回。即日改善」


「今回は再度の違反です」


「だから三十日?」


「……そうです」


「一日じゃなく?」


「はい」


「七日でもなく?」


「はい」


「二十九日でもなく?」


「何が言いたいんです」


 相馬先輩が机に肘をつきました。


「三十日の物差しを見せてくれって言ってる」


 倉田係長が黙りました。


 私は横から聞きます。


「処分の基準みたいなもの、ありませんか」


「基準?」


「違反の内容や回数によって、警告、営業停止、その日数、許可取消しなんかを区別する内部基準です」


「ああ……」


 倉田係長は少し考えました。


「取扱要領ならあります」


 あった。


 私と相馬先輩の視線が同時に動く。


「見せてもらえますか」


 私が言うと、倉田係長の顔が固まりました。


「それは内部文書です」


 はい。


 来ました。


 行政法でやたら遭遇する単語。


 内部。


 職員しか見ない。


 部外秘。


 取扱い。


 だいたい、その奥に住民が一番知りたいことが寝ています。


「見せられない?」


「一般向けに公表しているものではありません」


 私は一瞬、未来の条文を思い出しました。


 処分基準を定め、かつ、これを公にしておくよう努めなければならない。


 でも今は昭和六十三年。


 その条文は、まだ生まれていない。


 だから私は別の角度から聞きました。


「じゃあ宮下さんは、どうすれば三十日停止を避けられたんですか」


「衛生管理を適切にしていればいいんです」


「それは違反しないための話です」


「同じでしょう」


「違います」


 思ったより強い声が出ました。


 倉田係長が私を見る。


「宮下さんは、蓋を閉めなかったこと自体は認めています」


「なら――」


「問題は、その違反に対して、なぜ三十日なのかです」


 私は通知を机に置きました。


「注意で済む違反と、三十日店を閉めさせる違反の境目を本人が知らない。それで三十日って言われても、自分の処分が重いのか軽いのかさえ分からないじゃないですか」


「それは行政の裁量です」


 倉田係長が答えました。


 裁量。


 これも便利な言葉です。


 行政法界の万能調味料。


 かけすぎると全部同じ味になります。


 相馬先輩が鼻で笑いました。


「裁量って言えば、何日でもいいのか?」


「そんなことは言ってません」


「じゃあ何で三十日だ」


「だから、過去にも指導歴が――」


「それを何回聞かせるんだ」


 声は荒くありません。


 でも相馬先輩の声が低くなると、だいたい相手が一歩引きます。


「指導歴一回で三十日なのか。二回なら六十日なのか。食中毒を出した店と、生ごみ容器の蓋を閉め忘れた店を同じに扱うのか。そこを聞いてる」


 倉田係長が返事をしません。


 所長が口を開きました。


「倉田さん」


「はい」


「取扱要領を持ってきてください」


「ですから内部文書で――」


「こちらが閲覧できるかどうかは、ひとまず置きましょう」


 所長の声は静かです。


「あなた自身が確認してください」


「……何をです」


「宮下さんの事案が、その基準のどこに当たるのかを」


 倉田係長が動きを止めました。


「三十日という判断が、その要領に沿ったものなのか。それだけ確認していただきたい」


 しばらく沈黙。


「少々お待ちください」


 倉田係長は奥へ消えました。


 相馬先輩が私に小声で言います。


「お前、今『処分の基準』って妙に慣れた言い方したな」


「勘です」


「嘘くさい」


「未来では普通の言葉かもしれません」


「また始まった」


 七分ほどして、倉田係長が戻ってきました。


 手には薄い灰色のファイル。


 席につく。


 開く。


 読み始める。


 ページを一枚めくる。


 もう一枚。


 そして。


「……あれ」


 小さく漏れました。


 私は聞き逃しません。


「あれ?」


「いや」


「今、役所で一番聞きたくない『あれ』が聞こえましたけど」


「静かにしてくれ」


 倉田係長はさらに読み込みます。


 やがて奥の職員を呼びました。


「佐野君。宮下食堂の過去記録、持ってきて」


「はい」


 空気が変わりました。


 相馬先輩が椅子にもたれます。


 所長は何も言わない。


 私は待ちます。


 十分後。


 倉田係長は眼鏡を外しました。


「……三十日は、重すぎます」


 宮下さんが息を呑みました。


 私は思わず前のめりになります。


「基準では?」


「食中毒など重大な衛生被害が生じた場合や、改善指示を繰り返し無視した場合などを想定している」


「宮下さんは?」


「今回は該当しません」


「じゃあ、どうして三十日に?」


 倉田係長が眉間を押さえます。


「担当者が、以前の指導歴を『改善命令違反』として扱ったようです」


「でも二年前は口頭注意ですよね」


「そのとおりです」


 相馬先輩が椅子から少し身を起こしました。


「別物を同じ箱に入れたわけか」


「……そうなります」


 宮下さんが呆然としています。


「じゃあ、三十日閉めなくていいんですか?」


 倉田係長は首を振りました。


「まだ正式な処分はしていません。今回の事案については、事実関係から改めて判断します」


「処分なし?」


「そこまでは今言えません」


 そこで所長が頷きました。


「それで結構です」


 私は宮下さんを見ました。


 完全勝利ではない。


 違反が消えたわけじゃない。


 生ごみ容器の管理を怠った事実は残る。


 適切な行政上の対応がされる可能性もある。


 でも。


 少なくとも、


 担当者が何となく「二回目だから重い」と判断した三十日営業停止。


 そのまま通ることはなくなった。


 倉田係長がファイルを閉じます。


「ただ……」


「はい?」


「この要領、確かに分かりにくいな」


 意外な言葉でした。


「職員向けにしか書いてない。違反類型も抽象的だし、『重大な場合』とか『悪質な場合』とか……」


「悪質って、さっきの担当者も言ってました」


「そうなんだ」


 倉田係長は苦い顔をします。


「書いてあるから使ったんだろう」


「でも、何をもって悪質なんです?」


「……そこが曖昧だ」


 未来の私は知っています。


 六年後。


 行政手続法が施行される。


 そこでは、不利益処分について処分基準という言葉が置かれる。


 そして、定めるなら。


 不利益処分の性質に照らして、できる限り具体的なものにしなければならない。


 もちろん、それですべての曖昧さが消えるわけじゃない。


 処分基準の策定と公表自体だって、未来の法律では努力義務にとどまる。


 でも。


 目の前の昭和六十三年で、すでに問題は起きている。


 法律ができたから問題が生まれたんじゃない。


 問題がずっと積み重なったから、後になって法律が形を与える。


 そのことが、少しだけ分かった気がしました。


「倉田さん」


 所長が言いました。


「基準があるなら、職員の中だけで意味が通じればいい、というものでもないでしょう」


「……そうですね」


「処分を受ける側から見て、なぜその重さになるのか。その説明がつかなければ、基準として働きにくい」


「検討します」


 相馬先輩がすかさず言いました。


「『検討します』を役所語で終わらせるなよ」


「相馬さん」


「何だ」


「あなたは本当に一言多い」


「一言で済ませるから役所は曖昧になるんだろ」


「君の場合は三言多い」


 この二人、だんだん仲良くなってません?


     ◇


 事務所へ戻る途中、宮下さんは何度も頭を下げました。


「ありがとうございました」


「まだ終わってませんよ」


 私は言いました。


「注意なり、別の対応なりはあるかもしれません」


「それでもいいんです」


 宮下さんは笑いました。


「悪いところは直しますから」


 それから、少しだけ声を落としました。


「でも、三十日って言われたときね」


「はい」


「もう何も言えないと思ったんです。役所が決めたんだから、そういうものなんだって」


 分かります。


 行政の言葉には重さがあります。


 営業停止。


 取消し。


 命令。


 改善。


 勧告。


 紙に印刷されただけで、人を黙らせるくらいの重さがある。


「でも今日、分かりました」


 宮下さんが言いました。


「悪いことをしたかどうかと、どれだけ罰を受けるかって、別なんですね」


 私は一瞬黙りました。


 それだ。


「はい」


 自分でも驚くほど、すっきり答えられました。


「たぶん、そこを分けるのが大事なんです」


 違反した。


 だから何をされても仕方ない。


 ではない。


 違反の事実と、


 その違反に対して、どんな不利益を課すのが妥当なのか。


 それは別の問いです。


 役所に処分する権限があっても、


 処分の重さをどう決めたのかという問いまで消えるわけではない。


     ◇


 翌日の夕方。


 片桐行政書士事務所の扉が開きました。


「昨日のお礼」


 宮下さんが大きなアルミの容器を持って立っています。


「何ですか、これ」


「カツ丼」


「大きい!」


「三人前」


 相馬先輩が奥から飛んできました。


「宮下さん、悪いな」


「一番反応早いですね先輩」


「仕事した人間の正当な報酬だ」


「報酬規程を見せてください」


「内部基準だ」


「昨日何を学んだんですか!」


 宮下さんが笑います。


 その笑い方は、最初に事務所へ来たときとは違いました。


「今日、市役所から連絡がありました」


「どうでした?」


「今回は文書での注意。それから厨房管理を改善して、後日確認に来るって」


「営業停止は?」


「なしです」


 よかった。


 胸の奥から力が抜けました。


「あとね」


 宮下さんは少し嬉しそうに続けます。


「係長さんが、『処分するときの取扱いも見直します』って」


「へえ」


 相馬先輩がカツを一切れつまもうとして、私に手を叩かれました。


「まだです」


「細かいな」


「手続です」


「箸を取るのに手続がいるのか」


「少なくとも三人分を一人で食べる基準は公開してください」


 所長が奥から出てきました。


「一人一つだ」


「明確!」


「具体的!」


「異議なし!」


 所長、食べ物になると基準が異様に分かりやすい。


 行政にも見習ってほしい。


 宮下さんが帰ったあと、私は机の上にノートを開きました。


 今日書きたいことは山ほどあります。


 でも、まだ詳しく整理するのは早い。


 なぜなら。


 私は未来の行政手続法十二条を知っている。


 処分基準。


 不利益処分。


 努力義務。


 具体性。


 そして、申請に対する「審査基準」との違い。


 頭の中では、いくつもの単語がこちらを向いています。


 でも今の私は昭和六十三年にいる。


 片桐所長も相馬先輩も、未来の条文を知りません。


 それでも今日、二人は同じ問題を見抜きました。


 悪いことをした。


 だから処分する。


 そこまでは一つの話。


 でも。


 なぜ、その処分なのか。


 なぜ三十日なのか。


 似たような事案ではどう扱っているのか。


 何をもって「重大」「悪質」と判断するのか。


 そこに物差しがなければ、処分を受ける側は、自分が公平に扱われたのかさえ分かりません。


「何を書いてる」


 相馬先輩が私の横から覗き込みました。


「まだ題名だけです」


 私はページの一番上を見せました。


 ――処分基準。


「また妙な言葉作ったな」


「作ってません」


「どこで覚えた」


「未来です」


「はいはい」


 信じてませんね。


 まあ当然です。


 私はその下に、一行だけ書きました。


 違反したことと、どれだけ不利益を受けるかは、別の問題。


 相馬先輩が読みます。


「当たり前じゃないか」


「当たり前ですか?」


「万引き一回と銀行強盗十回を同じ扱いにしたらおかしいだろ」


「例が急に刑法」


「分かりやすい」


「でも今日の市役所では、その当たり前が見えなくなってました」


 相馬先輩が黙ります。


 そう。


 行政法の不思議なところです。


 単語になると眠い。


 処分基準。


 基準の具体化。


 裁量。


 公平性。


 透明性。


 テキストで見ると、目が閉じます。


 でも。


 一か月店を閉めさせられそうな人が目の前にいると、その全部が突然、人の生活の話になる。


「所長」


「何だ」


「役所が処分するときって、全部細かく基準を作ればいいんですか」


 所長は少し考えました。


「全部を数字で決めるのは無理だ」


「ですよね」


「事案はそれぞれ違う」


「じゃあ基準なんて意味ない?」


「逆だ」


 所長は言いました。


「全部同じにできないからこそ、何を見るのかを決めておく意味がある」


 私はペンを止めました。


「何を見るのか」


「違反の回数なのか。結果の重大さなのか。故意なのか。改善したか。被害が出たか」


 短い。


 でも、今日見た灰色のファイルよりよほど分かりやすい。


「それがないと?」


「担当者の腹具合で重さが変わる」


「嫌すぎる」


 相馬先輩がカツ丼の蓋を開けました。


「役所だって人間がやるんだ。だから物差しが要るんだろ」


 私は少し驚いて先輩を見ました。


「今の、すごく法理編っぽいですね」


「何だそれ」


「何でもないです」


 未来の私は知っている。


 この町で今日起きたような問題は、この町だけのものではない。


 処分する側に広い判断の余地がある。


 その基準が分からない。


 人によって扱いが違う。


 どこまでやれば営業停止になるのか予測できない。


 そんな積み重ねの先で。


 平成になってから、日本には行政手続法という法律ができる。


 未来の法律は、今日の宮下さんのような人を知らない。


 名前も知らない。


 カツ丼の味も知らない。


 それでも。


 きっと似たような「どうして私だけ三十日なんですか」が、あちこちにあったのだと思います。


 法律は突然、空から降ってくるわけじゃない。


 先に困っている人がいる。


 先に曖昧な運用がある。


 先に説明できない処分がある。


 それを何とかするために、あとから名前と形が与えられる。


 そう考えると。


 行政手続法十二条。


 昨日までなら数字まで見ただけで眠くなった条文が、今日は少し違って見えました。


 所長が箸を持ちます。


「食うぞ」


「あ、待ってください」


「何だ」


「配分基準の確認を」


「一人一つだ」


「公開済みですね」


「具体的でもある」


「異論は?」


 相馬先輩がカツ丼を抱え込みます。


「俺は大盛り」


「基準違反!」


「先輩だからだ」


「その『先輩だから』を裁量事由にしないでください!」


「細かい奴だな」


「昨日の今日ですよ!」


 所長はもう食べ始めています。


 迅速な処分。


 しかも理由提示なし。


 こちらはこちらで問題がありそうです。


 私は笑いながら、自分のカツ丼を確保しました。


 今日の教訓。


 「悪いことをしたんだから仕方ない」で、話を終わらせない。


 行政が誰かに不利益を与えるなら。


 次に聞くべきなのは、


 ――なぜ、その重さなのか。


 その問いでした。


 窓の外では、昭和六十三年の商店街に明かりが灯り始めています。


 まだ、この国に行政手続法はありません。


 処分基準という言葉が、全国の行政庁に同じ形で突きつけられるのも、もう少し先です。


 けれど。


 法律になる前から、問題はもうここにある。


 三十日。


 たった二文字の数字が、一軒の食堂を潰しかねなかった。


 そして、その数字を止めたのは、


 情けでも。


 特別扱いでも。


 「かわいそうだから」でもありません。


 ただ、


 その三十日は、何を基準に決めたんですか。


 と聞いただけでした。


 条文は冷たい。


 基準も冷たい。


 でも。


 物差しが冷たく同じ形をしているからこそ、


 人によって勝手に長くなったり短くなったりする手を、止められることがある。


 私はノートを閉じました。


 詳しい整理は、またあとで。


 まず今日は。


 カツ丼を冷まさないことにします。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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