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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈民法 配点76点/300点〉 債権

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534/614

[民法・組合]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 お金を出した人が、一番偉いのでしょうか。


 百万円を出した人。


 五十万円を出した人。


 一円も出さず、三年間働き続けた人。


 もし、この三人が共同で商売を始めたとしたら。


 財産は、誰のものになるのでしょう。


 そして。


 一番多くお金を出した人が、勝手に店を売ってしまってもよいのでしょうか。


 答えは。


 いいえ、です。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、一冊のノートを開いていました。


 表紙には、大きく書いてあります。


 ――こはるノート・民法編。


 今日のテーマは。


 組合。


 そう。


 あの漬物屋さんの事件です。


 三年間、毎朝四時に起きて働いてきた森下春江さん。


 百万円を出資した大沢源蔵。


 五十万円を出資した高橋茂さん。


 三人で始めた共同事業。


 ところが、源蔵は言いました。


「金を出してない奴に、店の財産なんかない!」


 そして、組合の設備を自分の別会社に安く売ろうとしたのです。


 でも。


 契約書と民法を突きつけたことで、源蔵は設備売却を中止。


 帳簿の開示にも応じました。


 最後は三人の同意で組合を解散し、財産を清算することになりました。


 あの事件。


 行政書士試験で覚えるべき論点が、山ほど詰まっていたのです。


「……組合って、怖いですね」


 私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「何がだ」


「友達同士で始めた商売でも、法律問題になるんですよ」


「当たり前だろ」


「でも、仲がいいときには、法律なんて考えませんよね」


 先輩は鼻で笑いました。


「仲がいいときに決めておくから、仲が悪くなったときに助かるんだよ」


 ……。


 なるほど。


 それ、名言です。


「先輩!」


「何だ」


「今の言葉、ノートに書いていいですか?」


「好きにしろ」


 私は早速書きました。


 ――共同事業の契約書は、仲が悪くなったときに本当の力を発揮する。


 よし。


 今日の勉強会。


 開始です。


 ◇


「まず、組合契約の成立からです!」


 私はノートに書きました。


 ――民法第六百六十七条。


「組合契約は、各当事者が出資して、共同の事業を営むことを約束することで成立します」


 相馬先輩が頷きました。


「そうだな」


「そして、出資は金銭だけじゃありません」


「うん」


「労務でもいいんです!」


 私は、春江さんの名前を大きく書きました。


 森下春江。


 金銭出資、ゼロ円。


 労務出資、あり。


「ここが、今回の事件の出発点でした」


「ああ」


「源蔵さんは、お金を出していないから組合員ではない、と言いました」


「そうだったな」


「でも、それは間違いです」


 民法六百六十七条。


 出資は、労務を目的とすることができます。


 つまり。


 お金がなくても、技術や労働力を提供して、共同事業に参加することができる。


「たとえば」


 私は指を一本立てました。


「料理人が腕を提供する」


「うん」


「大工さんが建築技術を提供する」


「うん」


「漬物職人が、製造と販売を引き受ける」


「春江さんだな」


「そうです!」


 ただし。


 ここで、注意です。


「先輩、働いている人は、全員組合員ですか?」


「違うだろ」


「ですよね!」


 従業員として雇われている人。


 請負契約で仕事をしている人。


 委任契約で業務を任されている人。


 そうした人も、労務を提供しています。


 でも。


 それだけで組合員になるわけではありません。


「大事なのは、共同の事業を営むという合意なんです」


 私はノートに線を引きました。


 単なる労働の提供。


 それだけでは組合とは限らない。


 労務を出資として持ち寄り、共同事業を営む合意がある。


 ここが重要。


「春江さんの場合は?」


 先輩が尋ねました。


「共同事業契約書がありました」


「うん」


「労務を出資すると明記されていました」


「そうだ」


「利益を三分の一ずつ分ける約束もありました」


 私は頷きました。


 だから。


 春江さんは、単なる従業員ではない。


 共同事業の当事者だったのです。


「でも、先輩」


「何だ」


「組合契約って、必ず契約書が必要なんですか?」


「いや」


「そうなんです!」


 私は嬉しくなりました。


 組合契約は、原則として諾成契約。


 当事者の合意によって成立します。


 必ずしも、書面がなければ成立しないわけではありません。


「じゃあ、口約束でも成立することがあるんですね」


「ああ」


「でも、証明が大変になります」


「そのとおりだ」


 誰が。


 何を出資したのか。


 利益をどう分けるのか。


 業務を誰が決めるのか。


 損失をどう負担するのか。


 それらを後から争うことになる。


「だから契約書なんですね」


「そうだ」


 相馬先輩は、私のノートを指で叩きました。


「法律上、口約束でも成立することと、口約束だけで安全に商売できることは別だ」


 ……。


 また名言が出ました。


 私は、慌てて書きました。


 ◇


「次は、組合財産です」


 私はページをめくりました。


 ――民法第六百六十八条。


 組合財産は、総組合員の共有に属する。


「共有、ですね」


「ああ」


「でも、普通の共有とは違います」


 ここが重要です。


 私は、ノートの左側に普通の共有。


 右側に組合財産。


 そう書きました。


「たとえば、三人で土地を買って、普通の共有にした場合です」


「うん」


「各共有者は、原則として自分の持分を処分できます」


「そうだな」


「でも、組合財産については違います」


 組合員が持分を処分したとしても、その処分を組合や組合と取引した第三者に対抗することはできません。


 民法六百七十六条です。


「つまり」


 私は言いました。


「源蔵さんが、組合財産についての自分の持分を、勝手に他人へ売ったとしても」


「うん」


「その処分を根拠に、組合に対して権利を主張させることはできません」


 私は大きく丸を描きました。


 これが、組合財産の特殊性。


 講学上は。


 ――合有。


 と呼ばれます。


「合有って、難しい名前ですよね」


 私が言うと、相馬先輩は肩をすくめました。


「名前より中身を覚えろ」


「はい!」


 私は続けました。


「組合財産は、共同事業を行うためにまとまっている財産なんです」


 冷蔵庫。


 包装機。


 配送用トラック。


 預金。


 それらは、組合の商売のために存在しています。


 だから。


 一人が、


「俺の持分だから、この機械を勝手に持って帰る!」


 とは言えない。


 また。


「今すぐ財産を分けろ!」


 という請求も、清算前には認められません。


「先輩」


「何だ」


「組合財産って、共同事業のために束ねられた財産なんですね」


「そうだ」


「誰か一人の都合で、ばらばらにされたら困る」


「そのとおりだ」


 私は頷きました。


 今回、源蔵がやろうとしたこと。


 それは。


 共同事業のための設備を、自分の別会社へ移そうとする行為でした。


 しかも、他の二人は反対している。


「ただし、こはる」


 片桐所長が、奥から声をかけました。


「はい!」


「持分処分の制限と、組合の業務として財産を売却することは、区別しろ」


「……あ」


 そうでした。


 組合の事業のため、適法な業務執行として財産を売ることはあり得ます。


 たとえば。


 古くなった冷蔵庫を買い替える。


 不要になった機械を売却する。


 そうした行為まで、すべて禁止されるわけではありません。


「問題は、誰が、どのような決定に基づいて処分するか、ですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


 私は書き足しました。


 ――合有とは、組合財産を一切売れないという意味ではない。個々の組合員が自由に処分できないということ。


 なるほど。


 これなら、間違えません。


 ◇


「さて」


 相馬先輩が新聞を畳みました。


「今回、一番揉めたところだな」


「業務執行ですね!」


「ああ」


 私はノートに書きました。


 ――民法第六百七十条。


「ここ、昭和と現代で、条文の書き方が大きく違うんです!」


 私は勢いよく立ち上がりました。


「何だ、また未来の話か」


「大事なんです!」


 私は昭和六十三年の六法を開きました。


 旧民法六百七十条。


 そこには、組合の業務執行を組合員の過半数で決するという規定があります。


「たとえば、組合員が三人なら?」


 私は先輩に尋ねました。


「二人だな」


「正解です!」


「それくらい分かる」


 私は続けました。


「四人なら?」


「三人」


「五人なら?」


「三人」


「十人なら?」


「六人だ」


「完璧です!」


「俺を小学生扱いするな」


 ……。


 でも、重要なのです。


 過半数。


 半数を超える数。


 三人なら二人。


 四人なら三人。


「そして、ここで注意があります」


 私は言いました。


「過半数は、原則として人数で数えるんです」


「そうだな」


「出資額の過半数じゃありません!」


 今回の三人。


 源蔵、百万円。


 高橋さん、五十万円。


 春江さん、労務。


 仮に源蔵が出資額の過半を占めていたとしても。


「俺が一番金を出したから、俺一人で決める!」


 とはならないのです。


「ただし、組合契約による業務執行の定めも確認する必要があります」


 私は契約書第四条を思い出しました。


 ――重要事項は三名の協議によって決する。


 今回、源蔵は、自分にすべての処分権限があるように振る舞っていました。


 でも。


 その根拠は明確ではありませんでした。


 しかも、他の二人が反対していた。


「だから、内容証明で権限を問題にしたんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


「ところで、こはる」


「はい?」


「俺たちの時代の六百七十条を、もう一度見ろ」


 私は読みました。


 そして、現代の知識と比較しました。


「あ……」


「どうした」


「現代では、業務の決定と執行を、もっと明確に分けています」


 そうです。


 令和の民法六百七十条。


 組合の業務は、組合員の過半数で決定する。


 そして、その決定に基づき、各組合員が執行する。


 また、組合契約によって、業務の決定及び執行を、一人又は数人の組合員や第三者に委任することもできます。


「昭和六十三年の条文では、業務執行の決定を過半数ですると規定されています」


「そうだ」


「現代では、決定することと、実際に執行することの関係が、よりはっきり書かれているんです」


 私は頷きました。


 法律の基本的な考え方は、つながっています。


 でも、改正によって、実務で問題となる部分が整理された。


「さらに、現代では六百七十条の二もあります」


「そんな条文、今の六法にはねえぞ」


「はい!」


 私は苦笑しました。


「組合の代理について定めた、未来の条文です」


「未来の条文を持ち出すな」


「分かってます!」


 でも。


 あの源蔵の事件では、まさにそれが問題でした。


 組合内部で、設備売却を決められるか。


 そして。


 外部の買主との契約を、誰が組合のために締結できるか。


 これは、区別して考える必要があります。


「だから、内部で反対があっただけで、第三者との売買が必ず無効になるとは限らないんですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「相手方の認識や代理権なども問題になる」


 私はノートに書きました。


 ――業務の決定権と、対外的な代理権は混同しない。


 これも、現場で覚えた重要な教訓です。


 ◇


「では、業務執行者です!」


 私はページをめくりました。


 組合では、業務執行を特定の人に任せることがあります。


 たとえば。


 五人で飲食店を経営する。


 でも、全員が毎回集まって、仕入れや営業方針を決めていたら大変です。


 そこで。


 二人を業務執行者にする。


「この場合、先輩」


「何だ」


「業務執行者が二人なら、意思決定には原則として何人必要ですか?」


「二人だろ」


「正解!」


 過半数。


 二人なら、二人。


 三人なら、二人。


 五人なら、三人。


 私は書きました。


 ――業務執行者が数人いる場合、原則としてその過半数で決定する。


「ここは昭和の旧法にも、業務執行を委任された者が複数いる場合の規定があります」


「そうだな」


「現代ではさらに、業務の決定及び執行の委任や、総組合員による決定などが整理されています」


 私は頷きました。


 ただし。


 ここで、もう一つ重要な例外があります。


「組合の常務です!」


 私は大きく書きました。


 ――常務。


「先輩、常務って何ですか?」


「いつもの仕事だろ」


「そうです!」


 日常的。


 反復継続的。


 普通の営業で行われる事務。


 たとえば、漬物屋なら。


 いつもの漬物を販売する。


 包装紙を仕入れる。


 日々の事務処理をする。


 こうした常務については、各組合員又は各業務執行者が単独で行える場合があります。


「毎回、多数決を取っていたら商売になりませんからね」


「そうだな」


 でも。


「先輩!」


「何だ!」


「例外の、さらに例外があります!」


「騒がしいな」


 私は、指を立てました。


 ――他の組合員又は業務執行者が、完了前に異議を述べた場合。


 その常務を、単独で行うことはできません。


「ここ、試験で狙われそうですよね!」


「そうなのか」


「はい!」


 たとえば。


 春江さんが、普段どおり包装紙を大量に仕入れようとする。


 これは通常の営業事務かもしれません。


 でも。


 仕入れが終わる前に、他の組合員が異議を述べた。


 その場合。


 常務だからといって、単独で押し切ることはできません。


「ただし、すでに完了した行為について、後から異議を述べれば何でも覆せるわけではありません」


「そうだ」


 そして。


 今回、源蔵が行おうとしたのは。


 包装紙の仕入れではありません。


 店の冷蔵庫。


 包装機。


 トラック。


 営業設備一式。


 これらを、別会社へ売却することでした。


「これは、日常の常務とは考えにくいですよね」


「そうだな」


「だから、通常の業務執行権限や契約内容を確認する必要があった」


 私は頷きました。


 なるほど。


 普通の営業と。


 事業の存続を左右する行為。


 それを同じように扱ってはいけないのです。


 ◇


「次は、業務執行組合員の辞任と解任です」


 私は書きました。


 ――民法第六百七十二条。


 組合契約によって業務執行を任された組合員には、特別なルールがあります。


「先輩、業務執行組合員って、嫌になったらいつでも辞められるんですか?」


「駄目だな」


「はい!」


 正当な事由がなければ、辞任することはできません。


「じゃあ、他の組合員が気に入らないからという理由で、簡単に解任できるんですか?」


「それも駄目だ」


「正解です!」


 業務執行組合員の解任には。


 正当な事由。


 そして、他の組合員の一致。


 この二つが必要です。


「たとえば、源蔵さんが正式に業務執行組合員として選ばれていたとして」


「うん」


「勝手に組合財産を安売りしようとしていたなら、正当な解任事由が問題になります」


「そうだな」


「ただし、他の組合員全員の一致も必要です」


 今回なら、春江さんと高橋さん。


 二人が一致することが必要になります。


 もちろん、実際に正当な事由があるかは、具体的な事情によって判断されます。


「ここで大事なのは」


 私は言いました。


「業務執行を任された人でも、好き勝手にはできないということです」


 相馬先輩が頷きました。


「権限を任されたからこそ、責任もあるんだよ」


 ……。


 また、いい言葉です。


 私はノートに書きました。


 ◇


「さて、今回もう一つ、源蔵さんが間違えていたことがあります」


 私はノートをめくりました。


 ――民法第六百七十三条。


 組合員の業務及び財産状況に関する検査。


「これ、今回の決定打の一つでしたよね」


「ああ」


 春江さんは、帳簿を見せてほしいと頼みました。


 でも、源蔵は拒否しました。


「金を出していない奴が、帳簿に口を出すな!」


 私は、あの偉そうな声を思い出しました。


「……腹が立ちますね」


「今さら怒るな」


「だって!」


 私は六法を指差しました。


「組合員には、組合の業務や財産状況を検査する権利があるんです!」


 しかも。


 ここが重要です。


 業務の決定や執行をする権利がない組合員であっても、検査することができます。


「つまり」


 私は言いました。


「店の経営を全部任せているからといって、他の組合員が帳簿を見られなくなるわけではありません」


「そうだ」


「業務執行者が一人でも」


「うん」


「他の組合員が、経営の中身を確認できる」


「そういうことだ」


 私は大きく頷きました。


 もし、この権利がなかったら。


 業務執行者が、売上金を隠しても分かりません。


 組合財産を勝手に使っても分かりません。


 利益が出ているのに、


「赤字だから分配できない」


 と言われても、確認できません。


「だから検査権なんですね」


「そうだ」


 片桐所長が頷きました。


「業務を任せることと、監視する権利を失うことは違う」


 私は、その言葉をノートに書きました。


 ――任せても、確かめられる。


 短い。


 覚えやすい。


 しかも。


 現場の春江さんの顔を思い出すだけで、忘れそうにありません。


 ◇


「では、損益分配です!」


 私は、新しいページを開きました。


 ――民法第六百七十四条。


「ここ、行政書士試験で計算問題っぽく出たら嫌ですよね」


 私が言うと、相馬先輩が顔をしかめました。


「お前、数字が苦手なのか」


「嫌いではありません!」


「じゃあ何だ」


「法律なのに計算させられるのが嫌なんです!」


「わがままだな」


 ……。


 さて。


 損益分配。


 利益と損失を、どう分けるかという問題です。


「まず、割合を決めていない場合です」


 私はノートに書きました。


 甲。


 出資百万円。


 乙。


 出資五十万円。


 丙。


 出資五十万円。


 合計二百万円。


「この三人が、利益分配の割合を決めていなかったら?」


 先輩が答えました。


「出資の価額に応じるんだろ」


「正解です!」


 甲は二分の一。


 乙は四分の一。


 丙は四分の一。


 これが原則です。


 ただし。


 出資が労務の場合には、その価額をどう評価するかという問題が生じます。


「春江さんのような場合ですね」


「ああ」


 だから、共同事業を始めるときに、損益分配の割合を明確にしておくことが大切なのです。


「そして、割合を契約で定めた場合には?」


「その約束に従う」


「そうです!」


 今回の契約書には。


 利益は三人に三分の一ずつ分配する。


 そう書かれていました。


「だから、源蔵さんが百万円を出したとしても、利益を全部持っていけるわけではありません」


「そうだな」


「春江さんが金銭出資ゼロ円でも、約束した利益分配を受けられるんです」


 私は頷きました。


 ところで。


 ここに、一つ試験の罠があります。


「先輩、契約書で利益の割合だけ決めていたら、損失はどうなりますか?」


「利益と同じ割合だと推定されるんだろ」


「そのとおりです!」


 民法六百七十四条第二項。


 利益又は損失についてのみ分配割合を定めたときは、その割合は利益及び損失に共通であると推定されます。


「つまり」


 私は書きました。


 利益。


 甲二分の一。


 乙四分の一。


 丙四分の一。


 損失の割合については、何も書いていない。


 この場合。


 損失も、原則として同じ割合と推定される。


「ここ、重要なのが『推定』です」


 私は赤鉛筆を取りました。


「推定ってことは?」


 相馬先輩が尋ねました。


「違う合意があったと証明できれば、その合意に従います!」


「そうだ」


「絶対に同じ割合になるわけじゃないんですね」


 私は頷きました。


 さて。


 ここで、もう一つ厄介な問題があります。


「先輩、もし源蔵さんが契約書に、こんなことを書いていたらどうでしょう」


 私は声を低くしました。


 ――利益は全部、大沢源蔵が取得する。


 ――損失は全部、森下春江と高橋茂が負担する。


 相馬先輩が顔をしかめました。


「ひでえ契約だな」


「ですよね!」


 特定の組合員だけが利益を独占し、他の組合員には損失だけを負担させる。


 そんな定めは、組合の共同事業という性質に反し、無効とされます。


「でも、先輩」


「何だ」


「ここで、もう一つ例外があるんです」


 私はノートに書きました。


 ――明治四十四年十二月二十六日、大審院判決。


「明治?」


 先輩が聞き返しました。


「はい!」


 これ、かなり古い判例です。


 特定の組合員について、損失を負担させず、利益の一部を取得させるという約束。


 その組合員の労務が貴重で、加入させることが相当といえる場合には、有効と認められ得ます。


「つまり」


 私は言いました。


「利益も損失も、必ず全員が同じように負担しなければならない、というわけではありません」


「そうだな」


「共同事業の実態によるんです」


 ここでも。


 労務。


 働くことの価値が出てきます。


 私は、春江さんの姿を思い出しました。


 三年間、毎朝四時。


 漬物を仕込む。


 店を開く。


 販売する。


 その仕事がなければ、事業自体が成り立たなかった。


「所長」


 私は尋ねました。


「民法って、お金だけで貢献を測っていないんですね」


「そうだ」


 所長は短く答えました。


「共同事業には、いろいろな役割がある」


 私は、静かに頷きました。


 ◇


「次は、組合員の加入です!」


 私はページをめくりました。


 ――民法第六百七十七条の二。


「……あれ?」


 私は手を止めました。


「どうした」


 相馬先輩が尋ねます。


「ありません」


「何がだ」


「六百七十七条の二がありません!」


「当たり前だろ」


 先輩が六法を覗き込みました。


「そんな条文はねえ」


 ……。


 しまった。


 未来の民法。


 また踏みました。


「先輩!」


「何だ」


「この条文、現代では存在するんです!」


「だから、今は昭和六十三年だ!」


「はい!」


 私は慌てて説明しました。


 現代の民法では。


 組合員は、全員の同意によって、又は組合契約の定めるところにより、新たな組合員を加入させることができます。


 そして。


 成立後に加入した組合員は、加入前に生じた組合の債務について、原則として弁済する責任を負いません。


「でも、昭和六十三年には、その六百七十七条の二が存在しないんです」


「そうだな」


「新しい組合員の加入については、契約や法律関係を解釈して処理する必要がありました」


 私は頷きました。


 現代の改正民法では、その取扱いが明文化されたわけです。


「でも、先輩」


「何だ」


「これ、実務では大事ですよね」


「何でだ」


「たとえば、赤字の組合に新しい人が入る場合です」


 私はノートに書きました。


 甲と乙。


 二人で共同事業を始めた。


 借金、三百万円。


 そのあと。


 丙が新しく加入した。


「ここで、丙が加入前の借金まで当然に全部負担するとなったら、困りますよね」


「そうだな」


「現代では、その問題について明文の規定があるんです」


 私は線を引きました。


 ――新加入者は、加入前に生じた組合債務について、原則として弁済責任を負わない。


 もちろん、別途債務を引き受けるなどの合意があれば、別の問題になります。


「なるほど」


 相馬先輩が頷きました。


「新しく入る奴が、知らない昔の借金を背負わされないようにするわけか」


「そうです!」


 私は笑いました。


 組合という制度。


 昔から存在していました。


 でも。


 共同事業が複雑になるにつれて、法律関係を明確にする必要が生じた。


 そうして、現代の改正民法では、加入や代理などについても規定が整えられたのです。


「昔の法律が、全部間違っていたわけじゃないんですね」


 私が言うと、所長が頷きました。


「長く使われてきた制度を、分かりやすく整理する改正もある」


 私は、その言葉を書き留めました。


 ◇


「さて」


 相馬先輩が、私のノートを覗き込みました。


「春江さんが最後に相談したことは、まだだろ」


「あ、脱退ですね!」


 私は、新しいページを開きました。


 ――民法第六百七十八条。


 組合員の脱退。


「先輩、組合って、嫌になったらいつでも辞められるんですか?」


「場合によるだろ」


「そうです!」


 まず。


 組合契約で存続期間を定めなかった場合。


 または、ある組合員の終身の間、組合が存続すると定めた場合。


 この場合には、原則として、各組合員はいつでも脱退できます。


「じゃあ、春江さんの場合は?」


「期間の定めがなかったな」


「はい!」


 だから、原則として脱退できる。


 ただし。


 ここで、重要な制限があります。


 ――組合に不利な時期。


 やむを得ない事由がない限り、そのような時期に脱退することはできません。


「たとえば」


 私は説明しました。


「飲食店で、一年で一番忙しい年末の営業が始まる直前に、調理を一人で担当する組合員が突然辞める場合です」


「うん」


「その人が抜けると、店が営業できなくなるかもしれません」


「そうだな」


「だから、組合に不利な時期の脱退には制限があります」


 もっとも。


 やむを得ない事由がある場合は別です。


「今回みたいに、他の組合員との信頼関係が壊れている場合は?」


 相馬先輩が尋ねました。


「具体的な事情によっては、やむを得ない事由が問題になります」


「そうだ」


「ただし、嫌になったというだけで、常に認められるとは限りません」


 私は頷きました。


 そして。


 存続期間を定めている組合でも。


 やむを得ない事由があれば脱退できます。


「つまり」


 私は書きました。


 期間の定めがない組合。


 原則、いつでも脱退可能。


 ただし、不利な時期には制限。


 期間の定めがある組合。


 やむを得ない事由があれば脱退可能。


「これで整理できます!」


 私は満足して頷きました。


 ところが。


 相馬先輩が言いました。


「辞められたとしても、金の問題が残るだろ」


「……あ!」


 そうでした。


 脱退。


 それで全部終わるわけではありません。


 むしろ。


 財産の精算が、始まるのです。


 ◇


「次は、脱退した組合員の持分払戻しです!」


 私は書きました。


 ――民法第六百八十一条。


「ここ、春江さんの事件で重要でしたね」


「ああ」


 春江さんは、金銭を出資していません。


 でも、労務を出資しました。


 そして、共同事業を支えてきました。


「ここで源蔵さんは言いそうですよね」


 私は低い声で物真似しました。


「金を出してねえんだから、返す金なんかねえ!」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「似てねえ」


「物真似はどうでもいいです!」


 私は続けました。


 組合員が脱退した場合。


 脱退した組合員と他の組合員との計算は、脱退時における組合財産の状況に従います。


「ここ、時点が大事なんです」


 私は赤線を引きました。


 ――脱退した時。


「組合を始めた時じゃありません」


「うん」


「最初に出資した時でもありません」


「うん」


「脱退した時の財産状況が基準です」


 たとえば。


 三年前に共同事業を始めた。


 最初の資金は百万円。


 でも、三年間の営業で財産が増えた。


 その状態で、組合員が脱退した。


「そのときに、最初の出資額だけ返せばいい、とは限らないんですね」


「そうだ」


 もちろん。


 組合の負債も考えなければなりません。


 財産だけを見て、勝手に分けてよいわけではありません。


「そして、重要なのが第二項です!」


 私は声を弾ませました。


 脱退した組合員の持分は、その出資の種類を問わず、金銭で払い戻すことができます。


「出資の種類を問わず!」


 私は繰り返しました。


「つまり?」


 相馬先輩が聞きました。


「労務出資でも、金銭で払戻しを受けることができるんです!」


「そうだな」


 私は頷きました。


 ただし。


 労務を出資したからといって。


 三年間の労働時間を、時給で計算して返してもらうわけではありません。


「組合財産の状況に基づく、持分の清算なんです」


「そこを間違えるなよ」


「はい!」


 そして。


 第三項。


 脱退した時点で、まだ終わっていない仕事については、その完了後に計算することができます。


「たとえば、脱退前に受注した商品が、まだ納品されていない場合ですね」


「そうだな」


「その仕事が終わってから、必要な計算をすることができます」


 私は、大きく丸を描きました。


 脱退時の財産状況。


 金銭による払戻し。


 未完了事項は、完了後に計算可能。


「この三つ、セットで覚えたいですね!」


 相馬先輩が頷きました。


 そこで、片桐所長が静かに言いました。


「こはる」


「はい」


「今回、春江さんは最終的に脱退したのか」


 私は手を止めました。


「……いいえ」


「そうだ」


 そうでした。


 春江さんは、最初は脱退を考えました。


 でも。


 最終的には、三人全員の同意で組合を解散することになったのです。


「脱退と解散も、区別が必要ですね」


「そうだ」


 脱退は、一人の組合員が組合から抜けること。


 解散は、組合の共同事業を終わらせ、清算へ進むこと。


 似ていますが、違います。


「ここも試験で引っかかりそうです!」


「お前は何でも試験に結びつけるな」


「受験生ですから!」


 私は笑いました。


 ◇


「では、最後は組合の解散です!」


 私はノートに書きました。


 ――民法第六百八十二条。


 そして。


 現代の知識で、四つの解散事由を書こうとしました。


 一。


 組合の目的である事業の成功又は成功不能。


 二。


 存続期間の満了。


 三。


 組合契約で定めた解散事由の発生。


 四。


 総組合員の同意。


「……よし!」


 私は頷きました。


 すると。


「こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今、何を見て書いた」


「頭の中の民法です!」


「それが怪しいんだよ」


「えっ」


 先輩は、昭和六十三年の六法を開きました。


「六百八十二条を読んでみろ」


 私は覗き込みました。


 そして。


「……あ!」


 固まりました。


 旧民法六百八十二条。


 そこに明記されていたのは、組合の目的である事業の成功又は成功不能による解散でした。


「……現代と違う!」


「またか」


「はい!」


 私は慌ててノートを書き直しました。


 昭和六十三年の六百八十二条には、現在のような四つの解散事由の列挙はありません。


 もっとも、当時でも契約による存続期間や解散事由、当事者の合意による終了が問題にならなかったわけではありません。


 その後、令和二年施行の改正民法では、解散事由が四つに整理され、条文上明記されました。


「なるほど……」


 私は頷きました。


 つまり。


 現代では、解散のルールがより見通しよくなっている。


「でも、先輩」


「何だ」


「今回、三人全員が解散に同意しましたよね」


「ああ」


「だから昭和六十三年でも、合意によって事業を終わらせることができたんですね」


「そうだ」


 私は書きました。


 ――現代の六百八十二条は四つを明記。昭和六十三年の旧六百八十二条は条文の内容が異なる。


 そして。


 解散したあとには、清算が必要です。


 残っている財産。


 組合の債務。


 未払費用。


 売掛金。


 これらを整理します。


「解散したから、その瞬間に全員で財産を好きに持ち帰れるわけではないんですね」


「そうだ」


「債務を清算して、残余財産を分ける必要がある」


 私は頷きました。


 あの漬物屋さんでも。


 設備を適正な価格で処分する。


 未払費用を支払う。


 財産と負債を確認する。


 そのうえで、残った財産を清算することになりました。


「共同事業の終わり方にも、法律のルールがあるんですね」


 私が言うと、所長は頷きました。


「始めるときだけじゃない」


「はい」


「終わるときこそ、書類が必要になることもある」


 私は、その言葉をノートに書きました。


 ◇


 窓の外は、すっかり夕暮れになっていました。


 私は、ここまでのノートを見直しました。


 組合契約。


 労務出資。


 組合財産の合有。


 業務執行。


 常務。


 業務執行組合員の辞任と解任。


 検査権。


 損益分配。


 加入。


 脱退。


 持分払戻し。


 解散。


 ……多い。


「先輩」


「何だ」


「組合、覚えることが多すぎませんか」


「知らねえよ」


「民法って、どうしてこうなんでしょう」


「法律だからだろ」


「雑な説明!」


 私は、頭を抱えました。


 でも。


 ふと、気づきました。


「……あれ?」


 相馬先輩が顔を上げました。


「今度は何だ」


「全部、あの漬物屋さんの事件につながってます」


「そりゃそうだろ」


「いえ、そうなんですけど!」


 私はノートを見ました。


 源蔵が言った。


「金を出してない奴は組合員じゃない」


 だから。


 労務出資。


 源蔵が言った。


「設備は俺のものだ」


 だから。


 組合財産の共有と合有。


 源蔵が言った。


「俺が代表だから、勝手に売る」


 だから。


 業務執行と常務。


 源蔵が言った。


「帳簿は見せない」


 だから。


 検査権。


 源蔵が言った。


「利益は俺のものだ」


 だから。


 損益分配。


 春江さんが言った。


「もう辞めたい」


 だから。


 脱退と持分払戻し。


 最後に三人が言った。


「共同事業を終わりにしよう」


 だから。


 組合の解散。


「……全部、つながってる!」


 私は思わず声を上げました。


 相馬先輩が、呆れた顔をしました。


「最初からそういう制度だろ」


「でも、今なら分かるんです!」


 そうです。


 丸暗記だと、ただの条文の羅列。


 でも。


 一つの事件を通して考えると、全部に理由がある。


 組合員の地位を守るため。


 共同財産を守るため。


 勝手な業務執行を防ぐため。


 利益を公平に分けるため。


 そして。


 共同事業を終えるとき、不当に財産を奪われないため。


「民法って、ちゃんと一つの物語になってるんですね」


 私は言いました。


 片桐所長が頷きました。


「条文は、現実の問題に答えるためにある」


「はい」


「事件から条文を考えれば、覚えやすい」


 私は、大きく頷きました。


 ◇


「さて、こはる」


 相馬先輩が、椅子を回しました。


「最後に確認問題だ」


「来ましたね!」


「覚悟はいいか」


「もちろんです!」


 私は鉛筆を握りました。


「第一問」


「はい!」


「組合契約は、金銭を出資しなければ成立しない。正しいか?」


「誤りです!」


「理由は?」


「労務も出資にできます!」


「正解」


 よし。


「第二問」


「はい!」


「組合財産は共有だから、各組合員は自分の持分を自由に処分し、その処分を組合に主張できる」


「誤りです!」


「理由は?」


「組合財産の持分処分には制限があり、その処分を組合や組合と取引した第三者に対抗できません!」


「よし」


 いい調子。


「第三問」


「はい!」


「組合員が五人いるとき、原則として組合業務の決定に必要な人数は?」


「三人です!」


「出資額の多い二人が反対していたら?」


「原則は人数の過半数です。出資額だけで決めません!」


「正解」


 私は拳を握りました。


「第四問」


「はい!」


「組合の常務は、他の組合員が完了前に異議を述べても、各組合員が単独で行える」


「誤りです!」


「理由は?」


「完了前に異議が述べられた場合、常務であっても単独では行えません!」


「よし」


 先輩が頷きました。


「第五問」


「はい!」


「業務執行権のない組合員は、組合の財産状況を検査できない」


「誤りです!」


「理由は?」


「業務の決定や執行の権利がなくても、組合の業務や財産状況を検査できます!」


「正解」


 よし!


「第六問」


「はい!」


「損益分配の割合を決めていない場合、組合員全員で等しく分ける」


「誤りです!」


「理由は?」


「原則として、各組合員の出資の価額に応じて定めます!」


「よし」


 先輩が少し笑いました。


「第七問」


「はい!」


「利益の分配割合だけを決めた場合、損失にはその割合が一切適用されない」


「誤りです!」


「理由は?」


「その割合が損失にも共通すると推定されます。ただし、反対の合意が証明されれば別です!」


「正解」


 私は、得意になりました。


「次、お願いします!」


「第八問」


「はい!」


「期間の定めがない組合なら、どんなに不利な時期でも、組合員は無条件に脱退できる」


「誤りです!」


「理由は?」


「やむを得ない事由がない限り、組合に不利な時期には脱退できません!」


「よし」


「第九問」


「はい!」


「労務出資をした組合員には、脱退時の持分を金銭で払い戻すことはできない」


「誤りです!」


「理由は?」


「出資の種類を問わず、持分は金銭で払い戻すことができます!」


「正解」


 私は思わず笑いました。


 全部、分かります。


 全部、春江さんの事件を思い出せばいい。


「最後だ」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「昭和六十三年の民法六百七十七条の二には、何が書いてある?」


「存在しません!」


「よし!」


「新加入組合員の責任について明文化した、現代の条文です!」


「そこまで聞いてねえ!」


 私は笑いました。


 また未来の法律。


 でも。


 もう間違えません。


「ちなみに!」


 私は続けました。


「現代の民法六百八十二条では、解散事由が四つ列挙されています!」


「だから何だ!」


「昭和六十三年の旧六百八十二条とは違います!」


「分かったから座れ!」


 私は、笑いながら椅子に座りました。


 ◇


 勉強会が終わる頃。


 事務所の電話が鳴りました。


「はい、片桐行政書士事務所です!」


『あ、朝比奈さんですか?』


 春江さんの声でした。


「春江さん!」


『お世話になりました』


「いえいえ!」


『実は、今日、新しいお店の準備を始めたんです』


「本当ですか!」


『はい。高橋さんが、野菜を提供してくれることになって』


「わあ!」


『それから、私も少しずつ貯めたお金を出すことにしました』


 私は嬉しくなりました。


「よかったですね!」


『でも、今度は最初から、ちゃんと約束を決めたいと思って』


「はい!」


『利益の分け方とか、誰が何をするかとか、辞めるときはどうするかとか』


 私は、目を見開きました。


 まさに。


 今日勉強したことです。


「春江さん!」


『はい?』


「それ、すごく大事です!」


『そうですよね』


「最初に契約書で決めておけば、あとで揉める危険を減らせます!」


『ありがとうございます。今度、契約書の相談に伺ってもいいですか?』


「もちろんです!」


 私は、笑顔で答えました。


 電話を切ると。


 相馬先輩が、こちらを見ていました。


「何だ」


「春江さん、新しいお店を始めるそうです」


「ああ」


「今度は、最初から契約書を作りたいって」


 相馬先輩は、少しだけ笑いました。


「そりゃいい」


 私は頷きました。


 失敗したから、終わりではない。


 法律で守られたからこそ。


 もう一度、挑戦できる。


 私は、そう思いました。


 ◇


 夕暮れの事務所。


 私は、今日のノートを閉じようとしていました。


 でも。


 最後に、一つだけ書きたいことがありました。


 組合。


 この言葉を聞くと。


 私は、最初、難しい制度を想像していました。


 法律用語。


 過半数。


 業務執行。


 合有。


 損益分配。


 脱退。


 解散。


 でも。


 本当は、とても身近なものです。


 誰かと一緒に商売をする。


 お金を出し合う。


 技術を持ち寄る。


 働く。


 利益を分ける。


 うまくいかなくなったら、話し合う。


 そして。


 必要なら、別々の道を選ぶ。


 それを支えるための制度。


 それが、民法上の組合なのです。


「所長」


 私は声をかけました。


「何だ」


「今日、一つ分かったことがあります」


「言ってみろ」


 私は、少し考えました。


「組合って、誰か一人の力で成立しているわけじゃないんですね」


「うん」


「お金を出した人にも、働いた人にも、それぞれ役割がある」


「そうだ」


「だから、共同で築いた財産を、一人が勝手に自分のものにしてはいけない」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 私は、最後のページを開きました。


 そして。


 鉛筆で、大きく一行を書きました。


 ――組合は「出資して共に営む約束」。財産は合有、業務は原則多数決、辞めるときは清算。


「……できました!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が、覗き込みました。


「まあ、覚えやすいんじゃねえか」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、きっと忘れません。


 三人で始めた漬物屋さん。


 百万円を出した人。


 五十万円を出した人。


 三年間、毎朝四時に起きて働いた人。


 お金の額だけを見れば、差があります。


 でも。


 共同事業という約束の中では。


 労務も出資になり得る。


 組合財産は、一人のものではない。


 そして。


 誰かが勝手に仲間の権利を奪おうとしたとき。


 民法は、その約束を守るための力になる。


 私はノートを閉じました。


 今日の勉強は、これで終わりです。


 ◇


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「さっきの漬物、まだ残ってるか?」


「ありますよ!」


「じゃあ、茶を淹れてくれ」


「はい!」


 私は立ち上がりました。


 そして。


 ふと、思いました。


「先輩」


「何だ」


「今、私が労務を提供しますよね」


「ああ」


「先輩は、茶葉を提供しますよね」


「事務所の茶葉だ」


「所長は、お湯を提供しますよね」


「やかんの湯だ」


「つまり!」


 私は胸を張りました。


「三人が、それぞれ出資して、共同でお茶を楽しむ!」


 相馬先輩が、嫌な予感がしたように顔をしかめました。


「……おい」


「これは、民法上の組合契約ではありませんか!」


「違う!」


「どうしてですか!」


「ただ茶を飲むだけだろ!」


「共同の目的があります!」


「出資して共同事業を営む合意がねえだろ!」


「……あ」


 確かに。


 単に一緒にお茶を飲むことと、共同事業を営むことは違います。


「でも、先輩!」


「何だ!」


「じゃあ、お茶を販売する事業を始めたら!」


「始めねえよ!」


「私が労務出資して!」


「するな!」


「所長がお金を出して!」


「勝手に所長の財布を当てにするな!」


 そのとき。


 片桐所長が、静かに口を開きました。


「こはる」


「はい!」


「茶を淹れてくれ」


「はい!」


「それから」


「何でしょう!」


「組合を作る前に、仕事を終わらせろ」


「……!」


 相馬先輩が吹き出しました。


「ほらな」


「先輩!」


「何だ!」


「今日の私の労務出資が、無報酬になってしまいます!」


「それはただのお茶当番だ!」


「ひどい!」


 私は笑いながら、やかんを持ちました。


 窓の外。


 夕暮れの商店街に、家々の明かりが灯り始めています。


 あのどこかで。


 春江さんは、新しいお店の準備をしているのでしょう。


 今度は。


 最初から、きちんと契約書を作って。


 誰が何を出すのか。


 利益をどう分けるのか。


 誰が業務を決めるのか。


 辞めるときは、どう清算するのか。


 それらを確かめながら。


 新しい共同事業を始めようとしている。


 私は、少し嬉しくなりました。


 民法。


 組合。


 六百六十七条から続く、細かな規定。


 覚えるのは大変です。


 昭和と現代で、条文の書き方や制度の整理も違います。


 でも。


 その根底にあるのは。


 一緒に何かを始めた人たちが、公平に権利と責任を分け合うための仕組みです。


 そして。


 誰か一人が、


「俺が一番金を出した!」


 と叫んでも。


 それだけで、他の人の努力を消すことはできません。


 お金も。


 技術も。


 労働も。


 共同事業を築くために持ち寄った、大切なものだからです。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「茶はまだか!」


「今、淹れています!」


「早くしろ!」


「先輩!」


「今度は何だ!」


「私の労務の価値を、もっと尊重してください!」


「茶を淹れるだけで大げさなんだよ!」


「民法六百六十七条です!」


「それは組合契約の条文だろ!」


 ……なるほど。


 どうやら。


 労務出資の意味を覚えたからといって。


 お茶当番まで、共同事業に変えられるわけではないようです。


 残念ながら。


 そこまで都合よく使える法律ではありません。


 でも。


 私は今日、確信しました。


 民法の組合を理解するには。


 難しい条文を、ただ暗記するだけでは足りません。


 誰が、何を出したのか。


 何を、一緒にやろうと約束したのか。


 その財産は、何のためにあるのか。


 誰が、どんな権限を持っているのか。


 そして。


 別れるときには、何を清算しなければならないのか。


 そこを考えればいい。


 ――組合は「出資して共に営む約束」。財産は合有、業務は原則多数決、辞めるときは清算。


 よし。


 これなら、試験でも間違えません。


 たぶん。


「こはる!」


「はい!」


「茶が冷めるぞ!」


「今度こそ、持っていきます!」


 私は湯呑みを三つ、盆に載せました。


 三人分。


 同じ大きさの湯呑みです。


 もちろん。


 湯呑みが三つあるからといって、組合契約が成立するわけではありません。


 でも。


 誰かと何かを分け合うというのは。


 案外、こういう小さなところから始まるのかもしれません。


 そして。


 本当に大切なのは。


 誰が一番多く出したかではなく。


 何を約束し、その約束をどう守るか。


 そこなのです。


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