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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈民法 配点76点/300点〉 債権

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526/606

[賃貸借の終了]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 契約は、始めるときより、終わらせるときの方が難しい。


 これは、民法を勉強していて気づいたことです。


 契約を結ぶときは、当事者が合意すればいい。


 もちろん、細かい要件はあります。


 でも。


 終わらせるとなると、話が違います。


 期間が終わったのか。


 解約を申し入れたのか。


 約束を破ったから解除するのか。


 それとも、借りていた物そのものがなくなってしまったのか。


 その違いによって。


 契約が終わる時期も。


 必要な条件も。


 そして、契約が終わった後に残る権利も変わってくるのです。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、ノートを開いていました。


 表紙には、大きく書いてあります。


 ――こはるノート・民法編。


「……賃貸借の終了って、引っかけ問題の宝庫ですね」


 私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「何だ、藪から棒に」


「だって、先日の喫茶こもれびの事件ですよ!」


「ああ。黒田の件か」


「はい!」


 駅前商店街。


 二十一年間、喫茶店を営んできた藤田澄江さん。


 大家の黒田源蔵から、


『三か月前に通知したから、明日までに出ていけ』


 と迫られた事件です。


 黒田は、民法六百十七条を根拠にしていました。


 建物賃貸借。


 期間の定めなし。


 解約の申入れから三か月。


 確かに、民法にはそういう原則があります。


 でも。


 昭和六十三年には、旧借家法が存在しました。


 大家からの解約申入れには、六か月の期間が必要。


 しかも、正当事由まで要求される。


 さらに。


 澄江さんが設置した建具や造作について、旧借家法の造作買取請求権が問題になったのです。


「今回、黒田さんが間違えた理由って、すごく単純なんですよね」


 私は言いました。


「そうか?」


「はい。民法六百十七条だけを見て、それで全部決まると思ったんです」


 相馬先輩が頷きました。


「一般法と特別法の関係だな」


「そうです!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――民法だけを読んで、賃貸借の終了を決めつけるな。


 よし。


 今日の勉強会、開始です。


 ◇


「まず、賃貸借の終了事由を整理します!」


 私はノートに四つの言葉を書きました。


 一、期間満了。


 二、解約の申入れ。


 三、解除。


 四、目的物の全部滅失。


「この四つが基本ですね」


「そうだな」


 相馬先輩が頷きました。


「ただし、合意による終了も忘れるなよ」


「あ、はい!」


 契約は当事者の合意によって終了させることもできます。


 でも、まずは基本の四つ。


 私は最初の項目を指差しました。


「期間満了です!」


「説明してみろ」


「契約で期間を定めていた場合、その期間が満了することが終了の基本的な契機になります」


「うん」


 たとえば。


 貸主と借主が、


『この機械を一年間貸します』


 と約束した。


 一年が経過した。


 原則として、契約期間は終わります。


「ただし、建物や土地については、更新の保護などがあります」


「そうだ」


「期間が来たから絶対に終了、とは限らないんですよね」


 私はノートに赤線を引きました。


 ここは重要です。


 特に建物賃貸借や借地契約。


 人の生活や営業の基盤になるものについては、借主を保護する特別法があります。


「ところで、こはる」


 片桐所長が奥から声をかけました。


「はい!」


「期間満了について、民法五百九十七条を説明してみろ」


「はい! 賃貸借の期間満了ですね!」


 私は勢いよく答えました。


 ところが。


 所長は静かに首を横に振りました。


「違う」


「……え?」


「五百九十七条は使用貸借だ」


 ……。


 私は固まりました。


 使用貸借。


 賃貸借。


 似ています。


 でも。


 決定的に違う!


「あああっ!」


 私は頭を抱えました。


「また混同しました!」


 相馬先輩が笑いました。


「何やってんだ」


「教材で並んで出てくるから、つい!」


「条文番号で丸暗記してるからだ」


 私は六法を開きました。


 使用貸借。


 これは、原則として無償で物を借りる契約です。


 たとえば。


 友人から自転車を無料で借りる。


 親戚から空き家を無償で借りる。


 こうした契約です。


 一方。


 賃貸借は、賃料を支払って物を使用・収益する契約。


 家賃を払って部屋を借りる。


 土地代を払って土地を借りる。


 機械のレンタル料を払う。


 そういう契約です。


「民法五百九十七条は使用貸借。賃貸借とは区別!」


 私は書き直しました。


 所長が頷きます。


「条文の見出しを確認しろ」


「はい……」


 危ない。


 法律の勉強では、条文番号だけを覚えていると、こんな事故が起こります。


 しかも。


 時代によって条文の内容が変わっていることもある。


 転生者には、二重の罠です。


「じゃあ、賃貸借の話に戻るぞ」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「期間満了でも、更新があれば契約関係は続く。ここまではいいな」


「はい」


「それに、期間の定めがない契約は、そもそも満了する日がない」


「だから次の論点ですね!」


 私はページをめくりました。


 ◇


「次は、解約の申入れです!」


 私は大きく書きました。


 ――民法六百十七条。


 期間の定めのない賃貸借。


 当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。


 ただし。


 申入れをした瞬間に終了するわけではありません。


「では、先輩!」


「何だ」


「問題です!」


「何で俺が問題を出されるんだよ」


「勉強会です!」


「勝手に決めるな」


 私は構わず続けました。


「期間の定めのない土地の賃貸借。解約申入れから何年で終了しますか?」


「一年」


「正解!」


「当たり前だ」


「建物は?」


「三か月」


「動産は?」


「一日」


「完璧です!」


 相馬先輩は呆れた顔をしました。


「お前、俺を馬鹿にしてんのか」


「いえ! 確認です!」


 私はノートに数字を並べました。


 土地――一年。


 建物――三か月。


 動産及び貸席――一日。


「この基本的な期間は、昭和六十三年でも現代でも共通しているんですね」


「そうだな」


 私は頷きました。


「でも、疑問があります」


「何だ」


「どうして、土地は一年で、動産は一日なんですか?」


 相馬先輩は少し考えました。


「お前なら、どう考える」


 私は鉛筆を止めました。


 土地。


 建物。


 動産。


 それぞれ、借りている人の事情が違います。


「……代わりのものを用意する大変さ、でしょうか」


「続けろ」


「土地を借りて農業をしていたら、すぐに別の土地へ移るなんて難しいです」


「そうだな」


「建物だって、引っ越しには準備が必要です」


「うん」


「でも、借りている動産なら、比較的短い期間で返せるものもあります」


 相馬先輩が頷きました。


「そういう違いを考えた期間設定だと理解すれば、覚えやすいだろ」


「なるほど!」


 私はノートに書きました。


 ――借りている物によって、終了までに必要な準備期間が違う。


 これなら、単なる数字の丸暗記ではありません。


「ただし」


 片桐所長が言いました。


「土地の賃貸借でも、収穫の季節があるものには特別な規定がある」


「あ、民法六百十七条二項ですね!」


 私は六法を開きました。


 収穫の季節がある土地の賃貸借。


 その場合、解約の申入れは、収穫の季節の後、次の耕作に着手する前にしなければならない。


「つまり、農家が作物を育てている真っ最中に、地主の都合だけで契約終了の手続を進めると困るんですね」


「そうだ」


 私は、田んぼを思い浮かべました。


 春に田植えをする。


 夏に育てる。


 秋に収穫する。


 その途中で土地を失ったら。


 苗も。


 肥料も。


 汗を流した時間も。


 全部、無駄になってしまうかもしれません。


「土地の一年という数字にも、農業の季節にも、ちゃんと意味があるんですね」


 私は呟きました。


「そういうことだ」


 相馬先輩が頷きました。


 なるほど。


 法律の期間というのは、ただの数字ではない。


 人が次の生活へ移るために必要な時間を、法律が考えているのです。


 ◇


「でも!」


 私はノートを叩きました。


「ここで、喫茶こもれび事件です!」


 相馬先輩が笑いました。


「やっと本題か」


「はい!」


 私は黒田の主張を書きました。


 ――建物賃貸借は三か月で終了する!


「民法六百十七条だけ見れば、正しそうです」


「そうだな」


「でも、昭和六十三年の借家法が出てくる!」


 私は赤鉛筆を握りました。


 旧借家法第三条。


 賃貸人からの解約申入れは、六か月前にする必要がある。


 旧借家法第一条ノ二。


 賃貸人からの解約申入れには、正当事由が必要。


「つまり、黒田さんは二つの壁を越えなければならなかったんですね」


「そうだ」


「六か月という期間と、正当事由」


「うん」


 私はノートに大きく書きました。


 ――大家からの解約申入れは、期間だけでなく正当事由も問題になる。


「ここで大事なのは、借主側からの解約とは同じではないことです」


 私は言いました。


「貸主と借主は、完全に同じ条件じゃないんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


 なぜなら。


 大家が家を貸すのをやめたいという事情と。


 借主が住む場所や営業する場所を失う事情。


 その影響は、必ずしも同じではないからです。


「じゃあ、先輩」


「何だ」


「正当事由って、何を見て判断するんですか?」


「今回の事件を思い出せ」


 黒田は、建物を建て替えたいと言いました。


 でも。


 具体的な建築計画はありません。


 建物の危険性を示す資料もありません。


 一方、澄江さんは二十一年間、その建物で喫茶店を営んできました。


 家賃も支払っていました。


「だから、大家が『建て替えたい』と言うだけでは足りないんですね」


「そうだ」


「双方の事情を見ないといけない」


「うん」


 私は頷きました。


 現代の借地借家法二十八条では、正当事由の判断要素が明文化されています。


 貸主と借主が建物を使用する必要性。


 賃貸借に関する従前の経過。


 建物の利用状況。


 建物の現況。


 立退料などの財産上の給付の申出。


 そうした事情を考慮する仕組みです。


「でも、昭和六十三年では……」


「今の借家法を使えよ」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


 私は苦笑しました。


 昭和六十三年には、現代の借地借家法二十八条はありません。


 当時は旧借家法第一条ノ二の正当事由を、判例の積み重ねによって具体的に判断していました。


 条文の書き方は違っても。


 大家と借主、双方の事情を考慮するという基本的な考え方には、つながりがあるのです。


「だから、黒田さんの『俺の建物だから自由だ』という主張は通らなかったんですね」


 私が言うと、片桐所長が頷きました。


「所有権があることと、賃貸借を自由に終了させられることは別だ」


 私は、その言葉に二重線を引きました。


 今回の事件。


 まさに、そこが急所でした。


 ◇


「では次!」


 私は新しいページを開きました。


 ――解除。


「これは、契約違反などを理由に、契約関係を終了させるものですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


「じゃあ、黒田のもう一つの主張は?」


「家賃が一度遅れたから解除だ、です!」


「それが通るか?」


「簡単には通りません!」


 私は勢いよく答えました。


 でも。


 ここで一度、整理が必要です。


「まず、催告による解除です」


 私は民法五百四十一条を開きました。


 債務不履行。


 つまり、契約上の義務を果たさないこと。


 たとえば。


 借主が家賃を支払わない。


 貸主は、相当の期間を定めて支払うよう催告する。


 それでも支払わなければ、解除が問題になります。


「ここまではいいな」


「はい」


 相馬先輩が頷きました。


 私は続けます。


「ただし、昭和六十三年と現代では、五百四十一条の書き方が違うんです」


「どう違う」


 来ました。


 未来の民法改正ポイント!


「現代の民法五百四十一条には、軽微な債務不履行では解除できないというただし書があります」


 私はノートに書きました。


 ――不履行が契約及び取引上の社会通念に照らして軽微であるときは、催告解除できない。


「でも!」


 私は赤鉛筆を持ち上げました。


「昭和六十三年には、そのただし書がありません!」


「そうだな」


 相馬先輩が頷きます。


「じゃあ、昭和では、ほんの小さな契約違反でも解除できたのか?」


「いいえ!」


 私は答えました。


「賃貸借では、判例上の信頼関係破壊の法理が重要でした!」


 相馬先輩が笑いました。


「よし」


 賃貸借は、長い期間にわたって続く契約です。


 毎月家賃を払う。


 建物を適切に使用する。


 設備の修繕に協力する。


 貸主と借主が、互いに信頼して関係を続けていく。


 だから。


 何か一つ約束に反することがあったからといって、必ず解除できるわけではありません。


「今回の澄江さんは、一度、二週間だけ家賃が遅れました」


「そうだ」


「でも、その後、きちんと支払っています」


「うん」


「二十一年間、家賃を払い続けた事情もあります」


「それで?」


「これだけで信頼関係が破壊されたと判断するのは難しいです!」


 相馬先輩が頷きました。


「そうだ」


 私はノートに書きました。


 ――賃貸借の解除では、単なる債務不履行の有無だけでなく、信頼関係の破壊を考える。


 なるほど。


 現代民法で軽微な不履行による解除を制限する規定が明文化されたことと、賃貸借における判例法理の積み重ね。


 その両方を意識すると、なぜ契約違反があっても必ず解除できるわけではないのか、理解しやすくなります。


「ただし!」


 私は自分で言いました。


 相馬先輩が顔を上げました。


「何だ」


「何か月も家賃を払わず、催告にも応じない場合は別ですよね」


「当然だ」


「その場合は、信頼関係が破壊されたとして解除が認められる可能性があります」


「そうだ」


 私は頷きました。


 借主が常に守られるわけではありません。


 貸主の権利も、法律は守っています。


 だから、どちらが可哀想かではなく。


 どんな事実があり、どんな要件を満たすか。


 そこを考えなければならないのです。


 ◇


「それから、合意解除です!」


 私はページをめくりました。


「貸主と借主が、契約を終了させることに合意する場合ですね」


「そうだな」


「でも、これも注意が必要です」


 たとえば。


 黒田が澄江さんに、


『半年後に店を閉めるなら、移転費用を支払う』


 と提案したとします。


 澄江さんが事情を理解し、納得して合意した。


 その場合には、合意による契約終了が問題になります。


「じゃあ、大家が『合意解除しろ』と言っただけで?」


「成立しません!」


 私は即答しました。


「双方の合意が必要です!」


「そういうことだ」


 私は頷きました。


 当たり前のことのようですが、ここは重要です。


 相手が契約終了に同意していないのに、


『合意解除したことにする』


 などとはできません。


「しかも、借主が怖がって署名したような場合には、意思表示の問題も出てきますね」


「そうだな」


 相馬先輩が頷きました。


 民法の世界では。


 書面に署名があるかどうかだけでなく。


 どんな経緯で、どんな意思表示が行われたかも重要です。


「だから、澄江さんに勝手に合意書へハンコを押させなかったのも大事だったんですね」


「そうだ」


 私はノートに書きました。


 ――合意解除は、貸主と借主の双方が契約終了に合意すること。


 よし。


 これで解除の基本も整理できました。


 ◇


「さて」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「もう一つ、終了事由が残っているな」


「はい!」


 私は最後の項目を指差しました。


 ――目的物の全部滅失。


「借りていた物が、全部なくなってしまった場合です!」


「うん」


 たとえば。


 借りていた建物が、火災で完全に焼失した。


 建物として使用することができなくなった。


 このような場合です。


「ここで大事なのは、解除の意思表示を待たずに賃貸借が終了することですね」


「そうだ」


 私は頷きました。


 なぜなら。


 借りていた物が全部なくなってしまったら、もはや賃貸借の目的を達成できません。


「所長、現代の民法では六百十六条の二ですね!」


 私は言いました。


 すると。


 相馬先輩が顔をしかめました。


「またか」


「あっ!」


 やってしまいました。


 未来の条文番号!


「昭和六十三年には、まだ六百十六条の二はありません!」


 私は慌てて訂正しました。


「でも、全部滅失によって賃貸借の目的を達成できなくなれば契約が終了するという考え方は、当時から認められていました!」


 片桐所長が頷きました。


「そうだ」


 私はほっとしました。


 危ない。


 また時代錯誤です。


 現代の民法六百十六条の二は、令和二年施行の債権法改正によって設けられた規定です。


 それ以前から認められていた法理を、条文として明確にしたものです。


「ただし!」


 私は続けました。


「建物が古いだけでは、全部滅失ではありません!」


 相馬先輩が頷きました。


「そうだ」


「黒田さんのように『古いから建て替えたい』というだけでも、全部滅失にはなりません!」


「当然だな」


 私は笑いました。


 建物が古い。


 修理が必要。


 取り壊したい。


 そうした事情と、既に建物が全部滅失して使用できなくなったことは、違います。


「じゃあ、所長」


「何だ」


「建物の一部だけが壊れた場合は?」


「それだけで当然に賃貸借全体が終了するとは限らん」


「はい」


 私は頷きました。


 使用できない部分があるなら、賃料の減額や修繕など、別の問題が生じます。


 全部滅失と、一部使用不能。


 これも区別が必要です。


「なるほど……」


 私はノートを見直しました。


 期間満了。


 解約の申入れ。


 解除。


 全部滅失。


 最初は、全部まとめて「契約が終わる」という話に見えました。


 でも。


 法律上は、それぞれ違う。


 理由が違えば、判断も違う。


 そういうことなのです。


 ◇


「そして!」


 私は鉛筆を握り直しました。


「今回の最大の見せ場!」


 相馬先輩が嫌そうな顔をしました。


「何だよ」


「造作買取請求権です!」


「ああ」


「黒田さん、あれで青ざめましたよね!」


 私は思い出しました。


 契約書には、こう書いてありました。


 ――借主は、造作の買取りを請求しない。


 黒田は、この特約があるから大丈夫だと思っていた。


 でも。


 昭和六十三年。


 旧借家法では、その特約が無効になる。


「ここ、現代と大きく違うんですよね」


「そうだな」


 私はノートを開きました。


 まず。


 造作とは何か。


「建物に付加されたもので、賃借人の所有に属し、建物の使用や収益に客観的な便益を与えるものですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


 たとえば。


 貸主の同意を得て設置した畳。


 建具。


 建物に固定された収納設備。


 空調設備など。


 ただし、何でも造作になるわけではありません。


「喫茶こもれびには、木製棚と小上がりがありましたね」


「ああ」


「それらも、貸主の承諾を得て設置されていました」


「そうだ」


「でも、全部が当然に造作になるわけじゃない」


 私は頷きました。


 ただ置いてある机や椅子。


 簡単に持ち運べる冷蔵庫。


 そうしたものは、通常、建物に付加された造作とは区別されます。


 また。


 特定の営業だけに使う特殊な設備が、建物の使用に客観的な便益を与える造作といえるかも問題になります。


「重要なのは、名前じゃなくて実態ですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「同意の有無、所有者、設置の状態、建物に与える便益。それを一つずつ確認する」


「はい!」


 私は赤線を引きました。


 そして。


 旧借家法第五条。


 賃借人が賃貸人の同意を得て付加した造作などについて、賃貸借が終了する際に時価での買取りを請求できる制度。


「ここで、先輩!」


「何だ」


「黒田さんは、買取り請求をしないという特約を盾にしました!」


「そうだな」


「でも、旧借家法第六条!」


 私は六法を指差しました。


「賃借人に不利な特約を無効とする規定があるんです!」


「そうだ」


 私は大きく頷きました。


 だから。


 旧借家法の適用を受ける今回の契約では、造作買取請求権を排除する特約が、法律上の障害にならなかった。


「ところが!」


 私は少し声を大きくしました。


「現代では、違う!」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「また未来の話か」


「今回だけは絶対に必要です!」


 私はノートに書きました。


 ――昭和六十三年。


 旧借家法第五条・第六条。


 造作買取請求権を排除する借主に不利な特約は無効。


 ――現代。


 借地借家法第三十三条。


 造作買取請求権は存在する。


 ただし、排除特約は有効。


「つまり、現代では契約書の特約が効くことがあるんです!」


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きます。


 私は少し興奮しました。


「ここ、すごいですよ!」


「何がだ」


「昔の方が借主を強く保護していたんです!」


 そうです。


 法律の改正というと。


 新しい制度。


 分かりやすい条文。


 保護の拡大。


 そういう印象を持ちがちです。


 でも。


 必ずしも、全ての権利が強化されるわけではありません。


 旧借家法では強行規定だった造作買取請求権について、新しい借地借家法では当事者の特約によって排除できるようになった。


 契約自由を認める方向への見直しです。


「それに、もう一つ重要なことがあります」


 私は言いました。


「何だ」


「新しい法律が施行されたからといって、古い契約が全部、自動的に新しい扱いになるとは限らないんです」


 相馬先輩が眉を上げました。


「ほう」


 借地借家法には、施行前の契約関係について経過措置があります。


 だから。


 平成四年八月一日に新しい借地借家法が施行された後でも。


 それ以前に締結された契約について、旧借家法の規定が引き続き問題になることがあります。


「これは行政書士の仕事でも重要ですね」


「そうだ」


 所長が言いました。


「契約書の日付を見ずに、現在の条文だけ当てはめるな」


「はい!」


 私は大きく書きました。


 ――法改正があったら、契約成立日と経過措置を確認する。


 なるほど。


 昭和と令和の違い。


 単なる歴史の暗記ではありません。


 古い契約が残っている限り、現代の実務でも問題になり得るのです。


 ◇


「ところで、こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい?」


「造作買取請求権は、どんな終了原因でも認められるのか」


 私は鉛筆を止めました。


「……あ」


 重要な問題です。


 私は六法を見直しました。


 現代の借地借家法第三十三条には、こういう趣旨が書かれています。


 ――建物賃貸借が期間の満了又は解約の申入れによって終了するとき。


「つまり……」


 私は顔を上げました。


「債務不履行による解除の場合には、原則として造作買取請求権は認められないんですね!」


「そうだ」


 所長が頷きました。


 たとえば。


 借主が長期間、家賃を支払わなかった。


 貸主からの催告にも応じなかった。


 信頼関係が破壊され、契約が適法に解除された。


 そんな場合まで、借主が当然に造作を買い取れと要求できるわけではありません。


「……ということは」


 私は、喫茶こもれびの事件を思い出しました。


「黒田さんが一度の家賃遅延を強調したのって、解除の主張だったんですよね」


「そうだ」


「でも、その解除が認められないなら、単に『契約違反だ』と言うだけで造作買取請求権まで消せるわけじゃない」


「そのとおりだ」


 私は頷きました。


 ここも、終了原因が重要なのです。


 同じ建物賃貸借でも。


 期間満了による終了。


 解約申入れによる終了。


 債務不履行解除による終了。


 それぞれ、終了時に問題になる権利が違う。


「だから、書面を書くときには、まず終了原因を特定するんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が言いました。


「相手が『契約は終わった』と言っても、それだけじゃ何も分からねえ」


 私は笑いました。


 確かに。


 終了した。


 その一言に、どれだけ多くの論点が隠れているのでしょう。


 行政書士試験。


 本当に油断できません。


 ◇


「さて」


 相馬先輩が新聞を畳みました。


「もう一つ、似た名前の権利があるだろ」


「あ、建物買取請求権ですね!」


 私は新しいページを開きました。


 ――建物買取請求権。


 造作買取請求権。


 名前が似ています。


 でも。


 全然違います。


「先輩、問題です!」


「またかよ」


「土地を借りて、その上に自分の家を建てた人がいます」


「うん」


「借地契約が期間満了で終了し、更新されなかった場合、その人の建物はどうなるでしょう?」


 相馬先輩が頷きました。


「条件が揃えば、地主に時価で買い取るよう請求できる」


「正解です!」


 私は書きました。


 現代の借地借家法第十三条。


 建物買取請求権。


 借地権の存続期間が満了し、契約の更新がない場合。


 借地権者は、一定の要件のもとで、地主に建物などを時価で買い取るよう請求できます。


「これは、借地人を保護するとともに、建物をむやみに取り壊してしまうことを避ける意味もありますね」


「そうだな」


 私は頷きました。


 たとえば。


 三十年間、土地を借りて暮らしてきた人。


 その土地の上には、自分で建てた家があります。


 契約が終わった。


 だから、家を壊して土地を返せ。


 それでは、せっかく建てた家が無駄になってしまう場合があります。


 そこで。


 法律は、建物の時価買取請求を認めています。


「でも、先輩」


「何だ」


「ここ、造作買取請求権との最大の違いがあります!」


「言ってみろ」


 私は大きく書きました。


 ――建物買取請求権は、借主に不利な特約で排除できない。


「現代の借地借家法第十六条ですね!」


 私は言いました。


「建物買取請求権を排除するような、借地権者に不利な特約は無効です」


「そうだ」


「でも造作買取請求権は、現代では特約で排除できる!」


「そこだ」


 相馬先輩が頷きました。


 私は、二つの権利を並べました。


 建物買取請求権。


 土地を借り、その上に建物を所有する借地人の権利。


 造作買取請求権。


 建物を借り、その建物に造作を付けた借家人の権利。


「建物そのものを買い取らせるのか、建物に付けた設備を買い取らせるのか。そこが違うんですね」


「そうだな」


 さらに。


 特約による排除の可否も違う。


 これが重要です。


「ちなみに」


 私は続けました。


「昭和六十三年には、現代の借地借家法第十三条はありません!」


「もう分かってるよ」


 相馬先輩が呆れました。


「当時は旧借地法です!」


 昭和六十三年の建物買取請求権は、旧借地法第四条第二項などに規定されていました。


 そして、旧借地法第十一条によって、借地人に不利な特約が制限されていました。


「つまり、建物買取請求権については、古い時代から借地人を強く保護していたんですね」


「そうだ」


 私は頷きました。


 ただし。


 建物買取請求権も、どんな理由で借地契約が終わった場合でも認められるわけではありません。


 原則として、期間満了と更新がないことが問題になる制度です。


 借地人の債務不履行による解除などとは区別しなければならない。


 ここも、終了原因が鍵なのです。


 ◇


 窓の外は、すっかり夕暮れでした。


 私はノートを見直しました。


 期間満了。


 解約の申入れ。


 解除。


 全部滅失。


 正当事由。


 信頼関係破壊の法理。


 建物買取請求権。


 造作買取請求権。


 ……。


「多い!」


 私は思わず叫びました。


 相馬先輩が顔をしかめました。


「うるせえな」


「覚えることが多すぎます!」


「だから事件と結びつけろって言ってるだろ」


「事件?」


「ああ」


 相馬先輩は、机の上にあった喫茶こもれびの資料を指差しました。


「黒田は何を主張した」


「三か月前に通知したから、契約終了です」


「それに対して?」


「旧借家法による六か月の期間と正当事由が問題になりました」


「次」


「一度家賃が遅れたから解除だ、と」


「それに対して?」


「信頼関係が破壊されたといえるかが問題になりました」


「次」


「造作の買取りは請求しないという特約がある、と」


「それに対して?」


「旧借家法では、その排除特約が無効でした!」


「よし」


 相馬先輩は頷きました。


「ほらな」


「何がです?」


「覚えてるじゃねえか」


 私は止まりました。


 ……。


 確かに。


 何も見ないで答えていました。


「本当ですね……」


「条文番号だけ丸暗記するから忘れるんだよ」


 先輩は新聞を取り上げました。


「誰が、何を言って、どこが間違っていたか。それを思い出せ」


 私は頷きました。


 なるほど。


 民法の論点は、ただの知識ではありません。


 それぞれの事件で、誰かの主張を検討するための道具です。


 だから。


 条文の数字ではなく。


 その条文が、誰を、何から守ろうとしているのか。


 そこを考えると、理解しやすくなるのです。


 ◇


「では、確認問題だ」


 片桐所長が言いました。


「はい!」


「期間の定めのない動産賃貸借。解約申入れから何日で終了する」


「一日です!」


「土地は?」


「一年!」


「建物は?」


「民法の一般原則では三か月です!」


「では、昭和六十三年の借家法の適用がある建物について、賃貸人からの解約申入れは?」


「六か月の期間と正当事由が必要です!」


「よし」


 所長が頷きました。


「次。借主が一度だけ家賃を遅らせ、すぐに支払った。貸主は必ず解除できるか」


「いいえ!」


「理由は?」


「賃貸借では信頼関係の破壊が重要だからです!」


「よし」


 私は嬉しくなりました。


「次!」


 所長が続けました。


「借りていた建物が全部焼失し、使用できなくなった。解除の意思表示が必要か」


「いいえ。賃貸借は当然に終了します!」


「昭和六十三年の民法六百十六条の二によるのか」


「違います!」


 私は勢いよく答えました。


「その条文はまだありません! 全部滅失による終了の考え方は、当時から認められていました!」


「よし」


 やった。


 未来の条文番号に引っかかりませんでした!


「では」


 所長が続けました。


「旧借家法の適用がある契約で、造作買取請求権を排除する特約は?」


「無効です!」


「現代の借地借家法では?」


「原則として有効です!」


「建物買取請求権を排除する借地人に不利な特約は?」


「無効です!」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は小さく拳を握りました。


 完璧。


 今日は、かなり理解できています。


「じゃあ俺からも一問」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「喫茶こもれびの棚や建具は、全部必ず買い取ってもらえるか?」


「いいえ!」


「なぜだ」


「造作に当たるか、貸主の同意があるか、契約がどのように終了するかなど、要件を確認しなければならないからです!」


「そうだ」


「それに、まだ契約が続いている段階で、当然に今すぐ買取り請求できるわけではありません!」


 相馬先輩が笑いました。


「よし」


 私は得意になりました。


 今日の私は。


 民法の賃貸借終了について、かなり強くなっています!


 ◇


「ところで」


 私は、ふと気になったことを口にしました。


「所長」


「何だ」


「どうして法律って、こんなに複雑なんでしょう」


 片桐所長が顔を上げました。


「複雑?」


「はい」


 私はノートを指差しました。


「期間満了なら終了、解約申入れなら終了、解除なら終了って、単純に決めれば楽なのに」


「……」


「特別法とか、正当事由とか、信頼関係とか、買取請求権とか」


 私は少し考えました。


「どうして、こんなに例外があるんですか?」


 片桐所長は、しばらく黙っていました。


 それから。


「こはる」


「はい」


「喫茶こもれびを思い出せ」


 私は目を閉じました。


 木製のカウンター。


 畳敷きの小上がり。


 壁に飾られた、亡くなったご主人の写真。


 クリームソーダを飲む女の子。


 そして。


 二十一年間、その店を守ってきた澄江さん。


「……はい」


「黒田の言うとおり、三か月で出ていけという結論にしていたら、どうなっていた」


「澄江さんは、店を失っていました」


「そうだ」


「お客さんも、あの店に来られなくなっていました」


「うん」


「ご主人が残した造作も、撤去させられたかもしれません」


 所長が頷きました。


「それが、契約の外側にある現実だ」


 私は目を開きました。


「契約の外側……」


「法律は、紙の上だけで動いているわけじゃない」


 所長は静かに言いました。


「人が暮らしている。働いている。財産を使っている。契約の上に、生活が積み重なっている」


 私は黙りました。


「だから、契約を終わらせるときには、その現実も考えなければならん」


 ……。


 なるほど。


 期間満了。


 解約の申入れ。


 解除。


 全部滅失。


 どれも、契約を終わらせるための仕組みです。


 でも。


 法律は、ただ契約を終わらせるだけではありません。


 誰が、どのような理由で終わらせようとしているのか。


 相手にどんな不利益が生じるのか。


 どんな財産が残るのか。


 そこまで考えている。


 だから、複雑なのです。


 私は、少しだけ笑いました。


「……複雑なのにも、理由があるんですね」


「そうだ」


 片桐所長が頷きました。


 相馬先輩が、横から口を挟みます。


「まあ、だからって試験が簡単になるわけじゃねえけどな」


「それを言わないでください!」


 私は思わず笑いました。


 ◇


 窓の外。


 夕暮れの町に、家々の明かりが灯り始めていました。


 私はノートの最後のページを開きました。


 今日の一行。


 何を書こう。


 少し考えます。


 期間満了。


 解約申入れ。


 解除。


 全部滅失。


 そして。


 契約が終わった後に残る権利。


 今回の事件で、一番大事だったこと。


 私は鉛筆を握りました。


 ゆっくり。


 ――賃貸借は「どう終わるか」で要件も権利も変わる。民法の原則だけでなく、特別法と終了原因を確かめる。


「……できた!」


 私はノートを掲げました。


「所長!」


「何だ」


「今日の教訓です!」


 片桐所長は、一行を読みました。


 そして。


「いいだろう」


 短く言いました。


 やった。


「相馬先輩!」


「何だ」


「どうですか!」


 先輩も覗き込みました。


「まあ、悪くねえ」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、たぶん忘れません。


 だって。


 あの喫茶店のことを思い出せばいい。


 三か月という数字だけで、店を失いかけた澄江さん。


 契約書の特約だけで勝てると思っていた黒田。


 そして。


 旧借家法の条文が、その思い込みを覆した。


 法律は。


 契約書を読めば終わりではない。


 条文を一つ読めば終わりでもない。


 その契約が、いつ、どんな法律のもとで結ばれたのか。


 どういう理由で終了しようとしているのか。


 その結果、誰にどんな権利が生まれるのか。


 そこまで見なければならないのです。


 ◇


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今日の勉強会は終わりか?」


「はい!」


「じゃあ、机を片付けろ」


「え?」


「六法も戻せ」


「はい……」


「それから、そこの棚も整理しとけ」


 私は棚を見ました。


 古い書類。


 六法。


 判例集。


 それから。


 埃をかぶった木箱。


「先輩」


「何だ」


「この棚、誰のものですか?」


「事務所のだろ」


「所長の承諾を得て、先輩が取り付けたんですか?」


「……は?」


 私はにやりとしました。


「造作買取請求権!」


 相馬先輩が眉をひそめました。


「お前、何を言い出すんだ」


「もし先輩が借りた建物に、所長の承諾を得て棚を取り付けていたら!」


「うん?」


「建物賃貸借終了時に、造作買取請求権が問題になるかもしれません!」


「ここは俺が借りてる建物じゃねえ!」


「あっ」


 確かに。


 相馬先輩は、片桐事務所の従業員です。


 建物の賃借人ではありません。


「じゃあ、造作買取請求権は……」


「関係ねえよ!」


「ですよね!」


 私は笑いました。


 相馬先輩は額を押さえました。


「お前、勉強した法律を何でも使いたがるな」


「だって、使わないと覚えられませんから!」


「使う相手と場面を選べ!」


 ……。


 なるほど。


 最後に、また一つ教訓が増えました。


 法律は、知っているだけでは駄目。


 使う場面を間違えても駄目。


 誰と誰の間に。


 どんな契約があるのか。


 そこを確認することが、何より大事なのです。


 私は笑いながら棚を整理しました。


 窓の外には、商店街の明かり。


 きっと今頃。


 喫茶こもれびでは、澄江さんが最後のお客さんにコーヒーを淹れているのでしょう。


 木製のカウンター。


 畳敷きの小上がり。


 壁の写真。


 そして、二十一年前から続く小さな鈴の音。


 契約は、いつか終わることがあります。


 それは、避けられないことかもしれません。


 でも。


 だからこそ。


 どう終わらせるかが大切なのです。


 相手を騙して終わらせるのか。


 力ずくで終わらせるのか。


 それとも。


 法律に従い、お互いの権利を確かめて終わらせるのか。


 その違いは、大きい。


 私は棚の整理を終え、ノートを閉じました。


 表紙には。


 ――こはるノート・民法編。


 そして、最後のページには。


 ――賃貸借は「どう終わるか」で要件も権利も変わる。民法の原則だけでなく、特別法と終了原因を確かめる。


 今日の一行。


 これなら、忘れません。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「棚の整理、終わったか!」


「終わりました!」


「じゃあ、帰っていいぞ」


「本当ですか!」


「ああ」


 私は鞄を持ちました。


 そして。


 ふと思いつきました。


「先輩!」


「何だ!」


「私、今日はもう帰ります!」


「そうか」


「これって、労働契約の終了ですか!?」


 相馬先輩が、ものすごく嫌そうな顔をしました。


「違う!」


「え?」


「今日の仕事が終わるだけだ!」


「あっ!」


 私は思わず笑いました。


「そうでした!」


「お前、明日も来るんだろ!」


「来ます!」


「だったら契約終了じゃねえ!」


「はいっ!」


 ……なるほど。


 賃貸借でも、労働契約でも。


 その日の使用や仕事が終わることと、契約そのものが終わることは違う場合があるのです。


 相馬先輩は、深いため息をつきました。


「こはる」


「はい!」


「頼むから、明日は法律用語を乱発するなよ」


「分かりました!」


 私は元気よく答えました。


 ただし。


 心の中では、少しだけ考えていました。


 次の相談。


 土地を借りて家を建てた男性の件。


 あれも、賃貸借の終了が問題になります。


 でも。


 建物買取請求権。


 旧借地法。


 更新。


 存続期間。


 ……。


 まだまだ、勉強することが山ほどあります。


 昭和六十三年。


 民法の世界は、今日も一筋縄ではいきません。


 契約を結ぶのは、簡単そうに見える。


 でも。


 終わらせるときには、その人が積み重ねてきた時間まで関係してくる。


 だから。


 私はこれからも、条文を読みます。


 判例を調べます。


 契約書を確かめます。


 そして。


 誰かが「もう契約は終わった」と言ったときには。


 まず、こう聞くことにします。


 ――どういう理由で、終わったのですか?


 その一言が。


 誰かの家を。


 誰かの店を。


 誰かの大切な生活を。


 守る最初の一歩になるかもしれないのです。

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