[民法・保証債務]法理編 こはるノート
借金をした人と、借金を保証した人。
どちらも、お金を返す責任を負うことがあります。
でも。
その責任は、同じではありません。
自分で借りた二百万円。
人のために保証した二百万円。
金額が同じでも。
法律上の立場は、大きく違うのです。
そして。
その違いを知らないまま、保証人になってしまったら。
自分の家も。
預金も。
長年かけて築いた生活も。
失うことがあるかもしれません。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かい、ノートを開いていました。
表紙には、大きく書いてあります。
――こはるノート・民法編。
「……保証人って、怖すぎませんか?」
私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「今さら何だ」
「だって、人の借金ですよ?」
「ああ」
「自分で一円も借りていないのに、何百万円も返すことがあるんですよ?」
「そういう約束だからな」
「しかも、利息まで!」
「そうだ」
「違約金まで!」
「そうだな」
「損害賠償まで!」
「うるせえ!」
怒られました。
でも。
今回の事件を思い出すと、どうしても声が大きくなってしまいます。
杉浦ハルさん。
六十八歳。
弟の正一さんが借りた二百万円の保証人になった女性です。
ところが。
弟が借金を返さなくなると、大黒金融はハルさんに四百八十万円を請求してきました。
しかも。
払わなければ、自宅を差し押さえると言う。
あの小さな家。
亡くなったご主人が植えた柿の木。
ハルさんが何十年も守ってきた暮らし。
それが、人の借金で失われそうになったのです。
「でも、最終的には弟さんが返済しました」
私は言いました。
「ああ」
「催告の抗弁権と検索の抗弁権を使って、まず本人に請求するよう求めたんですよね」
「そうだ」
「しかも、弟さんには工場の土地と建物があった」
「そうだったな」
「それで、大黒金融も方針を変えた」
私はノートに書きました。
――保証債務。
人の借金を保証する責任。
でも、ただの身代わりではない。
「よし!」
私は鉛筆を握り直しました。
「今日は保証債務を完全攻略します!」
相馬先輩が新聞を畳みました。
「完全攻略ねえ」
「何ですか、その顔!」
「お前、昨日も完璧とか言ってなかったか?」
「昨日は昨日です!」
「便利な頭だな」
「褒め言葉として受け取ります!」
そこへ。
奥の机から、片桐所長が声をかけました。
「相馬」
「はい」
「付き合ってやれ」
「……所長まで」
よし。
今日も強制勉強会、開催です。
私は最初のページに、大きく書きました。
――民法第四百四十六条。
「まず、保証人とは何かです!」
民法四百四十六条第一項。
保証人は、主たる債務者が債務を履行しないときに、その履行をする責任を負う。
「つまり」
私は説明を始めました。
「借金をした本人を、主たる債務者といいます」
「そうだな」
「そして、その人が返さなかった場合に、代わりに返す責任を負うのが保証人です」
私はノートに二人の名前を書きました。
主債務者。
杉浦正一。
保証人。
杉浦ハル。
「正一さんが二百万円を借りました」
「うん」
「正一さんが返済できなかったら、ハルさんにも支払う責任が生じる」
「そうだ」
ここまでは簡単です。
でも。
「先輩、保証人になるには何が必要ですか?」
「保証契約だろ」
「誰と誰の契約ですか?」
「債権者と保証人だ」
私は大きく丸をつけました。
そうです。
ここが最初の落とし穴。
保証契約は、主債務者と保証人が結ぶ契約ではありません。
債権者と保証人が結ぶ契約です。
「今回なら、大黒金融とハルさんですね」
「ああ」
「弟さんに頼まれたからといって、それだけで当然に保証契約が成立するわけではない」
「そうだ」
弟が姉に、
「保証人になってくれ」
と言った。
姉が、
「分かった」
と答えた。
それだけでは、債権者との保証契約の成立まで当然に決まるわけではありません。
債権者との間で、保証する合意が必要なのです。
「なるほど……」
私は頷きました。
「誰に約束したか、ということも大事なんですね」
「当たり前だ」
相馬先輩が言いました。
「契約ってのは、誰と誰が何を約束したかだ」
「はい!」
「そこを飛ばして条文だけ読んでも、実務じゃ使えねえぞ」
私はノートに赤線を引きました。
保証契約。
債権者と保証人との契約。
まず、これを覚えます。
「さて、ここからが問題です」
私は次のページを開きました。
「保証契約は、口頭でも成立しますか?」
相馬先輩が言いました。
「するだろ」
「……昭和六十三年では、そうなんです」
「何だ、その言い方」
私は思わず天井を見ました。
また出ました。
時代錯誤。
現代の私にとって、保証契約といえば。
書面。
あるいは、法律上認められた電磁的記録。
それが必要です。
民法四百四十六条第二項。
保証契約は、書面でしなければ効力を生じない。
第三項。
その内容を記録した電磁的記録によって保証契約がされた場合には、書面によるものとみなす。
つまり。
現代では、単なる口約束だけの保証契約は無効です。
ところが。
「昭和六十三年には、まだ書面要件がないんですよね……」
「ねえな」
「口約束でも成立することがある」
「そうだ」
「怖い!」
「だから軽々しく引き受けるなって話だろ」
私は頷きました。
でも、現代の制度を知っている私は、どうしても考えてしまいます。
なぜ、保証契約に書面が必要になったのか。
それは。
人の借金を引き受けるという重大な約束を、安易に成立させないためです。
保証人になる人に、自分がどんな責任を負うのか慎重に考える機会を与える。
そのための仕組みなのです。
「所長!」
「何だ」
「現代では、保証契約が口約束だけでは効力を生じないようになるんです!」
所長が顔を上げました。
「そうなのか」
「はい!」
「いつからだ」
「平成十七年です!」
……。
相馬先輩が、ゆっくりこちらを見ました。
「こはる」
「はい」
「今、昭和何年だ?」
「……六十三年です」
「平成十七年って、いつだ?」
「……未来です」
「お前は何者だ」
「勉強熱心な見習いです!」
「答えになってねえ!」
危ない。
また正体がばれるところでした。
私は慌ててノートに書きました。
昭和六十三年。
保証契約は口頭でも成立し得る。
平成十七年以降。
原則として書面等が必要。
そして。
現代の民法四百四十六条第二項・第三項は、昭和には存在しない。
「……よし」
私は一息つきました。
「時代が違うだけで、同じ保証でも入口が全然違うんですね」
片桐所長が頷きました。
「だから、法律は時点を確認するんだ」
「はい!」
現代の条文を知っているだけでは、昭和の事件を正しく処理できない。
今回も、その厳しさを痛感しました。
「次は、保証債務の範囲です」
私は書きました。
――民法第四百四十七条。
「ここが、ハルさんの事件で怖かったところですね」
「ああ」
相馬先輩が頷きました。
元金二百万円。
それが、督促状では四百八十万円になっていました。
「先輩、保証人は元金だけを返せばいいんですか?」
「違う」
「ですよね」
私は六法を開きました。
民法四百四十七条第一項。
保証債務は、主たる債務に関する利息、違約金、損害賠償その他その債務に従たるすべてのものを含みます。
たとえば。
二百万円を借りた。
利息が発生した。
返済期限を過ぎたため、遅延損害金が発生した。
その場合。
保証人は、元金だけでなく、適法に発生した利息や損害金についても責任を負うことがあります。
「じゃあ、ハルさんは四百八十万円を全部払わないといけなかったんですか?」
私は自分で問いかけました。
「違うだろ」
相馬先輩が言いました。
「そうです!」
問題は。
その金額に、法律上の根拠があるかどうか。
大黒金融は、二百四十万円もの違約金・損害金を上乗せしていました。
でも。
借用証書には、その金額の約定がない。
請求の計算根拠も曖昧。
最終的には、担当者が社内の督促用の数字を使ったことまで判明しました。
「先輩、これって重要ですよね」
「何がだ」
「保証人は、何でも払うわけじゃない」
「そうだ」
「でも、元金だけ払えばいいわけでもない」
「そうだな」
「適法な主債務の範囲と、保証契約の内容を確認する必要がある」
相馬先輩が頷きました。
「やっと分かったか」
「はい!」
私は赤鉛筆で囲みました。
保証債務の範囲。
元金だけではない。
利息。
違約金。
損害賠償。
その他の従たる債務。
ただし、根拠のない請求まで認められるわけではない。
「それと、こはる」
片桐所長が言いました。
「はい」
「保証人自身の保証債務について、違約金や損害賠償の額を別に約束することもある」
「四百四十七条第二項ですね」
「そうだ」
私は頷きました。
保証人の負担を考えるときは、主債務に付随するものと、保証人自身が特別に約束したものを区別する必要がある。
ここも大事です。
「それから」
所長が続けました。
「金を返す債務だけが保証の対象とは限らん」
「え?」
「借家を考えてみろ」
借家。
私は首をかしげました。
「借家ですか?」
「借主が建物を明け渡すとき、元の状態に戻す義務を負うことがある」
「あっ!」
原状回復義務。
私は鉛筆を握り直しました。
「保証人にも、その責任が及ぶことがあるんですね!」
「そうだ」
昭和四十年六月三十日の最高裁判例。
建物賃貸借に伴う保証について、賃貸借から生じる原状回復義務なども保証の範囲に含まれ得ることが示されています。
「……保証って、お金だけじゃないんですね」
「そういうことだ」
私は感心しました。
保証人。
ただ代わりに借金を払う人。
それだけの理解では、足りないのです。
「さて、次です!」
私はページをめくりました。
――民法第四百四十八条。
保証人の負担と、主たる債務の関係。
「これも、事件で問題になりましたね」
「ああ」
「主債務者より、保証人の負担が重い場合です」
たとえば。
主債務者は二百万円を返す責任を負っている。
ところが保証契約で、
――保証人は三百万円を保証する。
とされていた場合。
「先輩、保証人は三百万円払うんですか?」
「単純にそうはならねえ」
「ですよね!」
民法四百四十八条第一項。
保証人の負担が、債務の目的や態様において主債務より重いときは、主債務の限度まで減縮されます。
「つまり」
私は書きました。
主債務者の負担より、保証人の負担が重くなってはいけない。
ただし、保証人自身の特別な約定や、従たる債務の扱いなど、個別の検討が必要な場合はあります。
「ところで、先輩」
「何だ」
「保証契約をした後で、主債務者の借金の条件が重くなったらどうなります?」
「どういうことだ」
「最初は二百万円だったのに、あとで債権者と主債務者が約束を変えて、負担を増やすんです」
相馬先輩が眉をひそめました。
「保証人抜きでか?」
「はい」
「それで保証人まで当然に重くなるなら、たまったもんじゃねえな」
「そうなんです!」
私は勢いよく頷きました。
現代の民法四百四十八条第二項。
保証契約の締結後に主債務の目的や態様が加重されても、保証人の負担は当然には加重されない。
これが明文化されています。
しかし。
昭和六十三年の条文には、その第二項はありません。
「……またないんですよね」
「またか」
相馬先輩が呆れました。
「はい……」
もっとも、昭和でも、債権者と主債務者が保証人の同意なく負担を増やせば、当然に保証人にもその全部を負わせられる、というわけではありません。
保証契約の内容や、従来からの法律上の考え方に照らして判断します。
現代では、その基本的な考え方が条文上も明確になったのです。
「所長」
「何だ」
「民法の改正って、まったく新しい制度を作るだけじゃないんですね」
「ああ」
「昔からの考え方を、条文で明確にすることもある」
「そうだ」
私はノートに書きました。
昭和。
四百四十八条に現在の第二項なし。
現代。
主債務の事後的加重は、保証人の負担を当然には加重しないと明文化。
時代の違いを理解する。
でも、民法の根底にある公平の考え方も忘れない。
これが大切なのです。
「次は、保証人になれる人です!」
私はノートをめくりました。
――民法第四百五十条。
「先輩、誰でも保証人になれるんですか?」
「場合によるな」
「そうです!」
私は頷きました。
ここ、少し引っかけ問題になりそうです。
民法四百五十条第一項。
債務者が保証人を立てる義務を負う場合。
その保証人には、二つの要件があります。
一つ。
行為能力者であること。
二つ。
弁済する資力があること。
「つまり」
私は説明しました。
「法律や契約によって、債務者が保証人を立てなければならない場合です」
「うん」
「そういう場合は、一定の能力と資力を備えた保証人でなければならない」
「そうだ」
私は赤線を引きました。
ここで大切なのは。
すべての保証契約について、保証人に十分な資力がなければ契約自体が無効になる、という意味ではないこと。
「え?」
相馬先輩が顔を上げました。
「じゃあ、財産がない人でも保証人になれるのか?」
「任意に保証人になる場合には、資力が乏しいというだけで保証契約が当然に無効になるわけではありません」
「なるほどな」
「四百五十条は、債務者が保証人を立てる義務を負う場合についての規定なんです」
私は続けました。
「それから、保証人として立てた人が後から資力を失ったら、債権者が一定の要件を備えた別の保証人に代えるよう求められる場合もあります」
「うん」
「ただし、債権者自身が保証人を指名した場合には、この規定による交代請求などは適用されません」
相馬先輩が頷きました。
「よく読んでるな」
「褒めましたね!」
「続きをやれ」
私は笑いました。
ちなみに。
昭和六十三年には、現代の成年後見制度がまだありません。
禁治産者。
準禁治産者。
そんな古い制度が使われている時代です。
だから、行為能力の判断についても、当時の制度に従わなければなりません。
「時代錯誤、怖いですね……」
「お前だけだろ」
「ぐっ……」
私は気を取り直しました。
なお、民法四百五十一条には、要件を満たす保証人を立てられない場合に、ほかの担保を供することで代える規定もあります。
保証人を立てる義務。
保証人の能力と資力。
代わりの担保。
こうして見ると、保証制度は、債権者の利益を守る仕組みでもあるのです。
「では、いよいよ本題です!」
私は新しいページを開きました。
――保証債務の三つの性質。
付従性。
随伴性。
補充性。
「先輩!」
「何だ」
「この三つ、名前が似すぎです!」
「また文句か」
「だって、全部『性』で終わるんですよ!」
「そこはどうでもいいだろ!」
「受験生には重大問題です!」
私は鉛筆を握り直しました。
でも。
ハルさんの事件を使えば、意外と簡単に理解できます。
「まず、付従性です」
付従性。
保証債務は、主たる債務に従う。
だから。
主債務が消滅すれば、保証債務も消滅します。
「今回なら?」
相馬先輩が聞きました。
「正一さんが借金を完済しました」
「うん」
「すると、その借金についてのハルさんの保証債務も消滅します」
「そうだ」
私は大きく丸をつけました。
付従性。
主債務が消えれば、保証債務も消える。
「じゃあ、正一さんが二百万円のうち百万円を返したら?」
「保証債務も、主債務が減った限度で減ります」
「正解」
「やった!」
保証債務は、主たる債務から切り離して勝手に増え続けるものではありません。
あくまで、主債務に従う関係があります。
「ただし、例外的な規定もあるんですよね」
私は小さく書きました。
民法四百四十九条。
行為能力の制限によって取り消せる債務を、その原因を知って保証した場合などには、独立の債務を負担したものと推定される特別な規定がある。
「細かいところは、また別の事件で扱いましょう」
「お前、勝手に事件を増やすな」
「法律が多すぎるんです!」
「法律のせいにするな!」
私は笑いました。
でも、付従性の基本は覚えました。
主債務と運命を共にする。
これです。
「次は、随伴性です」
私は書きました。
随伴性。
主たる債権が他人に移転すると、原則として保証債権もそれに伴って移転する。
「たとえば」
私は大黒金融の名前を書きました。
「大黒金融が持っている正一さんへの貸金債権を、別の金融業者に譲渡したらどうなりますか?」
相馬先輩が言いました。
「保証もついていくわけだな」
「そうです!」
私は頷きました。
ただし、正確には、債権譲渡に伴って保証債権も移転する、という話です。
債務者の交代や債務引受とは、区別する必要があります。
「つまり、保証人は、債権者が変わったからといって当然に保証責任から解放されるわけではないんですね」
「そういうことだ」
たとえば。
大黒金融から白山金融へ、貸金債権が譲渡された。
その場合。
適法な債権譲渡によって新たな債権者が権利を取得すれば、保証債権も原則として一緒に移る。
「保証が、主たる債権についていくんですね」
「そうだ」
私は書きました。
随伴性。
債権が移れば、保証も原則としてついていく。
「でも先輩」
「何だ」
「債務者が交代する場合には、同じように単純には考えられませんよね」
「そうだな」
債務引受では、その種類や合意、適用される法律によって保証の扱いが異なります。
特に現代では、免責的債務引受に伴う保証の移転について、保証人の承諾などが問題になります。
私は赤鉛筆で書き足しました。
債権譲渡と債務引受を混同しない。
ここも、試験で引っかかりそうです。
「そして、三つ目!」
私は勢いよく書きました。
――補充性。
保証人の責任は、主たる債務者の不履行を補う性質を持つ。
「ここが、今回の事件の中心ですね!」
「ああ」
相馬先輩が頷きました。
正一さんが借金を返さない。
だからハルさんに請求する。
保証という制度は、主債務者の履行を担保するために存在します。
そして、普通保証人には、さらに二つの重要な抗弁権があります。
催告の抗弁権。
検索の抗弁権。
「所長!」
「何だ」
「ここ、絶対に覚えたいです!」
「なら、あの工場を思い出せ」
「はい!」
私はノートの真ん中に、工場の絵を描きました。
……。
相馬先輩が覗き込みました。
「何だこれ」
「工場です!」
「倉庫にしか見えねえ」
「工場です!」
「煙突があるぞ」
「工場らしいでしょう!」
「修理工場にそんな煙突があるか!」
……。
絵心は、法律の理解とは関係ありません。
たぶん。
「まず、催告の抗弁権です」
私は気を取り直しました。
民法四百五十二条。
債権者が保証人に履行を請求した場合、普通保証人は、まず主たる債務者に催告するよう求めることができます。
「つまり」
私は言いました。
「ハルさんが大黒金融に言った言葉です」
――まず、弟に請求してください。
これが、催告の抗弁権。
「覚えやすいですね!」
「ああ」
「催告は、まず本人に請求!」
「そうだ」
ただし。
例外があります。
昭和六十三年の制度では、主債務者が破産宣告を受けている場合。
あるいは、行方不明の場合。
こうした場合には、催告の抗弁権を使えません。
現代の条文では、破産手続開始の決定という言葉が使われています。
「また用語が違うんですね」
「そうだな」
私は書きました。
昭和。
破産宣告。
現代。
破産手続開始の決定。
そして。
行方不明も例外。
「でも、正一さんは町で工場を経営していました」
「ああ」
「だから、行方不明ではありません」
「そうだ」
「破産宣告も受けていませんでした」
「うん」
「なので、ハルさんは催告の抗弁権を行使できたんですね!」
相馬先輩が頷きました。
「そのとおりだ」
私は赤丸をつけました。
催告の抗弁権。
まず本人に請求してください。
ただし、破産や行方不明などの例外に注意。
「次は、検索の抗弁権です!」
私はページをめくりました。
民法四百五十三条。
ここが、ハルさんの家を守るうえで特に重要だった条文です。
「先輩、催告の抗弁権だけだと、どうなります?」
「債権者が本人に請求するだろ」
「はい」
「本人が払わなければ、また保証人に請求することになるな」
「そうです!」
私は頷きました。
つまり。
催告の抗弁権だけでは、主債務者の財産から先に取り立てさせるところまでは保障されません。
そこで。
検索の抗弁権です。
「検索の抗弁権には、二つの条件があります!」
私は指を二本立てました。
一つ目。
主たる債務者に、弁済する資力があること。
二つ目。
その財産への執行が容易であること。
「これを、保証人が証明する必要があります」
「そうだ」
相馬先輩が頷きました。
「口だけじゃ駄目なんだな」
「はい!」
例えば。
主債務者が、
「俺には土地がある」
と言った。
それだけでは不十分です。
本当に所有しているのか。
差押えや担保権の状態はどうか。
換価価値があるのか。
強制執行が容易なのか。
これらを調べる必要があります。
「今回、私たちは何を調べましたか?」
私が聞くと、相馬先輩が指を折りました。
「土地と建物の登記簿」
「はい!」
「抵当権の有無」
「はい!」
「不動産の査定」
「はい!」
「差押えの状況」
「はい!」
「それから、工場の所在地と営業実態だ」
私は大きく頷きました。
そうです。
昭和六十三年。
スマートフォンもオンライン登記情報サービスもありません。
法務局へ行って。
紙の登記簿謄本を取り寄せて。
地元の不動産業者に査定を頼んで。
工場の営業実態を調べる。
そうやって集めた証拠が、検索の抗弁権を支えたのです。
「先輩!」
「何だ」
「法律って、証拠がないと使えないんですね」
「使えねえとは限らんが、証明が必要な場面じゃ困るな」
「はい」
「条文を覚えるだけじゃ、仕事にならねえんだよ」
私は頷きました。
検索の抗弁権。
本人には財産がある。
そこから先に回収してください。
ただし。
資力と執行の容易さを、保証人が証明する。
「これ、催告の抗弁権と全然違いますね!」
「そうだ」
「催告は、まず本人に請求!」
「うん」
「検索は、まず本人の財産から執行!」
「正解」
私は嬉しくなりました。
ようやく。
二つの抗弁権の違いが、はっきりしました。
「ところで、こはる」
片桐所長が口を開きました。
「はい」
「催告の抗弁権と検索の抗弁権を、債権者が無視したらどうなる?」
私は止まりました。
「……え?」
所長が続けます。
「保証人が適切に抗弁したのに、債権者が本人への催告や財産への執行を怠った」
「はい」
「その間に、本人の財産がなくなったら?」
私は考えました。
例えば。
正一さんの工場。
九百万円程度の価値があった。
ハルさんが、
「まず、あの工場から回収してください」
と求めた。
ところが大黒金融が放置した。
その後、正一さんが工場を処分してしまい、回収できなくなった。
「……それ、保証人が困りますね」
「そうだ」
所長が頷きました。
「四百五十五条を見ろ」
私は慌てて六法を開きました。
そこには、催告の抗弁や検索の抗弁がされたのに、債権者が必要な催告や執行を怠った場合の規定がありました。
その怠りによって主債務者から弁済を受けられなくなったとき。
保証人は、適切に催告や執行をしていれば回収できた限度で、その責任を免れることがあります。
「……!」
私は顔を上げました。
「すごい!」
「何がだ」
「保証人が抗弁したのに、債権者が無視すると、責任が減ることもあるんですね!」
「そうだ」
相馬先輩が言いました。
「ただし、きちんと条件を満たした場合だ。何でも免責されるわけじゃねえぞ」
「はい!」
私は赤線を引きました。
抗弁権は、ただ文句を言うための権利ではない。
債権者の回収行動にも、法律上の意味を持たせる。
「なるほど……」
私は呟きました。
「だから、ハルさんの内容証明が大切だったんですね」
片桐所長が頷きました。
「そうだ」
自分の権利を行使した。
いつ。
どんな内容で。
相手に通知したか。
それを記録に残す。
内容証明郵便。
ただの紙ではありません。
後で争いになったときに、何を通知したかを証明するための、大切な手段なのです。
もっとも、内容証明は、書かれた事実の真実性まで郵便局が証明してくれるものではありません。
だからこそ。
通知書の中身を裏づける資料も必要になる。
私は、あの登記簿謄本と査定書を思い出しました。
なるほど。
条文と証拠。
両方そろって、初めて書面の力が生まれるのです。
「さて」
相馬先輩が煙草を灰皿に押しつけました。
「一番怖い話をするぞ」
「え?」
「連帯保証だ」
私は背筋を伸ばしました。
そうです。
今回の事件で、最大の分かれ道になった言葉。
連帯保証。
「先輩、普通の保証人には、催告の抗弁権と検索の抗弁権がありますよね」
「ああ」
「でも、連帯保証人には?」
「ねえな」
「そうなんです!」
私は大きく書きました。
――民法第四百五十四条。
連帯保証人には、催告の抗弁権も検索の抗弁権も認められません。
「つまり」
私は説明しました。
「正一さんが二百万円を借りて、ハルさんが連帯保証人になっていた場合です」
「うん」
「正一さんが返済を怠ったら、大黒金融は、先にハルさんへ請求することができます」
「そうだ」
「しかも、正一さんに十分な財産があっても、検索の抗弁権で先に本人の財産から回収するよう求めることはできません」
相馬先輩が頷きました。
「連帯保証は、それだけ重いってことだ」
私は震えました。
普通保証。
連帯保証。
たった二文字の違い。
でも。
その二文字で、保証人の立場が大きく変わります。
「所長!」
「何だ」
「もしハルさんが連帯保証人だったら、家を守るのはもっと難しかったんですね」
「そうだ」
「もちろん、根拠のない四百八十万円を払う必要はありませんけど……」
「うん」
「でも、催告と検索という二つの武器は使えなかった」
所長が頷きました。
「契約書の一文字を軽く見るな」
私は、その言葉に赤線を引きました。
普通保証と連帯保証。
名前は似ている。
責任は大きく違う。
絶対に混同しない。
「でも先輩」
「何だ」
「現代では、保証人保護の制度も増えていますよね」
「また未来の話か」
「はい!」
私は勢いよく説明しました。
現代では、保証契約の書面要件に加え、事業用融資に関する一定の個人保証では、公証人による保証意思宣明公正証書が必要になる場合があります。
また、個人が一定の根保証契約をする場合には、極度額を定めなければ効力が生じない制度もあります。
ただし、適用除外や契約の種類による違いがあります。
「昔より、保証人を守る仕組みが整えられているんですね」
「そうなのか」
相馬先輩が言いました。
「はい」
「じゃあ、今の保証人は安心だな」
「いえ、それは違います!」
私は強く首を横に振りました。
「現代でも、保証人になる責任は重いです!」
書面が必要になった。
意思確認の制度が整えられた。
でも。
いったん有効な保証契約を結べば、保証人は大きな責任を負います。
制度が整ったから、気軽に保証人になっていい。
そんなことには、絶対になりません。
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「便利になった分、安心しすぎるのも危ねえってことか」
「そうです!」
私はノートに書きました。
保証人保護の制度は、責任をなくす制度ではない。
重い責任を負う前に、慎重に判断させるための制度でもある。
窓の外は、もう薄暗くなっていました。
私はノートを見返しました。
保証債務。
最初は、単に人の借金を代わりに返す責任だと思っていました。
でも。
それだけではありません。
主債務に従う。
主債権の移転に伴う。
普通保証には補充性があり、催告と検索の抗弁権が認められる。
保証の範囲には、利息や損害金なども含まれる。
ただし、主債務より重い負担には制限がある。
そして、保証契約の成立要件は、昭和と現代で大きく異なる。
「所長」
「何だ」
「確認問題を出してもらっていいですか?」
「いいだろう」
私は背筋を伸ばしました。
所長が最初の問題を出しました。
「保証契約は、誰と誰が結ぶ?」
「債権者と保証人です!」
「昭和六十三年、口頭の保証契約は成立するか」
「成立し得ます!」
「現代では?」
「原則として書面等が必要です!」
「主債務者が借金を完済したら、保証債務は?」
「消滅します! 付従性です!」
「債権譲渡があった場合、保証債権は?」
「原則として、主たる債権に伴って移転します! 随伴性です!」
「普通保証人が、まず本人へ請求してほしいと言う権利は?」
「催告の抗弁権です!」
「本人の財産から先に回収するよう求める権利は?」
「検索の抗弁権です!」
「その検索の抗弁権を使うためには?」
「本人に弁済資力があり、執行が容易であることを保証人が証明します!」
「連帯保証人には、その二つがあるか」
「ありません!」
よし。
ここまで完璧です。
所長が頷きました。
「よし」
私は思わず拳を握りました。
やった!
「じゃあ、俺からも一問」
相馬先輩が言いました。
「はい!」
「保証人が二人いる場合は、どうなる?」
……。
私は止まりました。
「……またそれですか」
「前にも聞いただろ」
「はい……」
共同保証。
分別の利益。
それは、また別の論点です。
「先輩!」
「何だ」
「今日は保証の基本です!」
「逃げたな」
「逃げてません!」
「じゃあ答えろ」
「次の勉強会で答えます!」
「完全に逃げてるじゃねえか!」
私は笑いました。
でも。
保証の基本は、かなり整理できました。
それだけでも、大きな前進です。
私は最後のページを開きました。
ここに。
今日の一行を書きます。
まず。
ハルさんの顔を思い浮かべました。
震える手。
四百八十万円の督促状。
小さな家。
庭の柿の木。
そして。
内容証明を読んだ大黒金融の黒田が、慌てて声を小さくしたこと。
あの日。
ハルさんは、自分で借りたわけでもないお金のために、長年の暮らしを失いかけていました。
でも。
保証人だから何も言えない。
そんなことはなかった。
法律には、責任の範囲を決めるルールがある。
請求の順番を問題にするルールがある。
主債務者の財産から先に回収するよう求めるルールがある。
それを使ったから、あの家は守られたのです。
私は鉛筆を整えました。
そして、ゆっくり書きました。
――保証は主債務に従い、普通保証なら「まず本人に請求」「まず本人の財産から執行」。ただし、連帯保証には二つの抗弁権がない。
「……できた!」
私はノートを掲げました。
「どうですか!」
相馬先輩が覗き込みました。
「長えな」
「一行です!」
「文字数が多すぎるだろ」
「重要なことが多いんです!」
「まあ、間違ってはいねえな」
「褒めましたね!」
「気のせいだ」
「またそれですか!」
私は笑いました。
でも。
この一行は、たぶん忘れません。
もし試験で、
保証人は、主債務者に資力があっても、先に請求されたら必ず支払わなければならない。
そんな選択肢が出てきたら。
私は、あの工場を思い出します。
土地と建物。
登記簿謄本。
査定書。
そして。
検索の抗弁権。
普通保証人なら、条件を満たせば、まず主債務者の財産から執行するよう求めることができる。
逆に。
連帯保証人なら、その抗弁権はありません。
同じ「保証」という言葉でも。
法律上の責任のあり方は、大きく違う。
だからこそ。
契約書を読むときは、たった二文字でも見落としてはいけないのです。
「ところで、こはる」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「今日の勉強会は終わりか?」
「はい!」
「じゃあ、机の上を片付けろ」
「……またですか」
「まただ」
私は六法を閉じました。
そのとき。
ふと思いつきました。
「先輩!」
「何だ」
「もし私が掃除をしなかったら、先輩が代わりに掃除してくれますか?」
「は?」
「保証人みたいに!」
「何を言ってんだ」
「私が掃除をしない場合に、先輩が代わりに履行する責任を負うんです!」
相馬先輩が、ゆっくりこちらを見ました。
「……誰がそんな約束した」
「今、お願いしています!」
「断る!」
「ええっ!」
「保証契約が成立してねえだろ!」
私は笑いました。
「先輩!」
「何だ!」
「昭和六十三年なら、口頭でも保証契約は成立しますよ!」
「だからって、俺が承諾するわけねえだろ!」
「ぐっ……」
確かに。
保証契約は、債権者と保証人との合意が必要です。
私が勝手に、
「先輩が保証人です!」
と言っても、先輩が保証することに同意していなければ、保証契約は成立しません。
「……なるほど」
私は頷きました。
「保証契約は、押しつけられないんですね」
「当たり前だ!」
相馬先輩が呆れました。
「それと、こはる」
「はい?」
「所長から頼まれた掃除を、お前がしなかったとしてもな」
「はい」
「俺が勝手に保証人になるわけじゃねえ」
「……はい」
「そもそも、保証する約束をしてねえんだからな」
私は肩を落としました。
残念。
せっかく覚えた保証債務の知識で、掃除を回避できると思ったのに。
民法は、そんなに甘くありませんでした。
私は箒を手に取りました。
窓の外。
夕暮れの町に、家々の明かりが灯っていきます。
あのどこかで。
ハルさんは、今頃、夕飯の支度をしているのでしょう。
庭には、柿の木。
亡くなったご主人が植えた木です。
今年も、秋になれば実をつける。
その木を見上げながら。
ハルさんは、ようやく安心して暮らせるのです。
保証債務。
付従性。
随伴性。
補充性。
催告の抗弁権。
検索の抗弁権。
名前は難しい。
覚えるのも大変。
でも。
その一つひとつに、人の暮らしを守るための意味がある。
私は、今日それを学びました。
そして、もう一つ。
保証人になるということは。
単に名前を書いて、ハンコを押すだけの行為ではない。
誰かが約束を守れなかったときに、その責任を自分が引き受けるということ。
だからこそ。
契約する前に、考えなければならないのです。
どんな借金なのか。
どこまで保証するのか。
いつまで責任を負うのか。
普通保証なのか。
連帯保証なのか。
そして。
自分には、本当にその責任を負えるのか。
法律は、保証人を守る仕組みを持っています。
でも。
一度結んだ有効な保証契約を、気に入らなくなったからという理由だけで自由になかったことにできるわけではありません。
だから、保証人になる前の慎重さが何より大切なのです。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「ノート見てねえで掃除しろ!」
「今、学習内容を確認してたんです!」
「確認は後だ!」
「先輩!」
「何だ!」
「私は今日、保証人の責任について深く理解しました!」
「そうか!」
「なので、先輩にも掃除の責任を分担していただきたいです!」
「何でだよ!」
「公平の原則です!」
「そんな原則で俺に掃除を押しつけるな!」
……。
どうやら。
保証債務の補充性を使って、掃除を先輩に肩代わりさせる作戦は失敗したようです。
仕方ありません。
私は箒を動かしました。
でも。
今日覚えたことは、忘れません。
主債務が消えれば、保証債務も消える。
普通保証なら、催告と検索の抗弁権がある。
連帯保証には、その二つがない。
そして。
保証人になったからといって、根拠のない請求まで無条件に受け入れる必要はない。
私は箒を止め、ノートの最後の一行をもう一度読みました。
――保証は主債務に従い、普通保証なら「まず本人に請求」「まず本人の財産から執行」。ただし、連帯保証には二つの抗弁権がない。
よし。
完璧。
「こはる!」
「はい!」
「今度こそ掃除しろ!」
「先輩!」
「何だ!」
「保証契約って、本当に怖いですね!」
「知ってるよ!」
「でも、勉強すると少し安心できますね!」
「そうだな!」
「だから、もっと勉強しましょう!」
「まず掃除しろ!」
私は笑いながら箒を動かしました。
民法。
難しいけれど、面白い。
人の財産を守る法律。
約束を守らせる法律。
そして。
約束の責任を、必要以上に広げないための法律。
その全部が、今日の保証債務には詰まっていました。
残念ながら。
どれだけ保証債務を理解しても、私の掃除当番は消滅しません。
主債務も保証債務も、そもそも存在しないからです。
……なるほど。
存在しない保証債務を理由に、誰かへ掃除を押しつけることはできない。
これも立派な学習成果でしょう。
たぶん。
「相馬先輩!」
「今度は何だ!」
「次は共同保証を勉強します!」
「勝手にしろ!」
「先輩も一緒です!」
「何で俺まで!」
「共同保証ですから!」
「それは共同保証じゃねえ!」
……。
どうやら。
民法の勉強は、まだまだ終わりそうにありません。
ただし。
次からは、保証人という文字を見る前に。
誰の債務を。
誰が。
どんな内容で。
どこまで保証したのか。
そこを確かめることにします。
だって。
人の借金のために、一本の柿の木まで失ってしまうかもしれないほど。
保証契約は、重い約束なのです。
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