[行政手続法9条・情報の提供]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所には、昼間より少しだけ「途中」が似合います。
仕事が全部終わったわけではない。
でも、電話は減った。
来客も途切れた。
窓の外では駅前再整備の工事音が止まり、商店街の看板に一つずつ灯りがつき始めています。
そして私の机の上には。
「……軍手、多くないですか」
土岐さんからもらった軍手が積まれていました。
「使うだろ」
相馬先輩が言いました。
「行政書士事務所で?」
「書類箱運ぶ」
「それ以外は?」
「大掃除」
「年二回!」
「文句あるなら返してこい」
「採択のお祝いに持ってきてくれた物を返せるわけないでしょう」
私は軍手の山を脇へ寄せ、ノートを開きました。
前のページ。
標準処理期間。
その次の白いページ。
今日の題名は、もう書いてあります。
――情報の提供。
……地味です。
非常に地味です。
行政手続法の見出しって、どうしてこう、読者を絶対にワクワクさせない名前をつけるのでしょう。
情報の提供。
家電の説明書にありそうです。
「何だ、その嫌そうな顔」
「条文名に華がないなと思って」
「法律に華を求めるな」
「そうなんですけど」
でも。
土岐さんの顔を思い出すと、この地味な言葉が急に違って見えます。
一か月半。
補助金申請を出したまま。
何度聞いても、
「審査中です」
それだけ。
書類審査が終わったのか。
現地確認をしたのか。
どこか別の部署で止まっているのか。
いつ頃結論が出るのか。
何一つ分からない。
結果として土岐さんは、工事業者にも日程を伝えられませんでした。
ところが実際に市役所へ行き、倉田係長に一つずつ聞けば。
書類審査は終了。
現地確認も終了。
現在は庁内協議。
その後に決裁。
協議が順調なら、来週半ばには結論の見込み。
情報は、あった。
ただ、外へ出ていなかった。
「所長」
「何だ」
「今日は、あれですよね」
「あれとは」
「役所は何でも教えろ、という話ではない」
「そうだ」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「だが、何も言わなくていい、でもない」
私は頷きます。
そこです。
行政法って、どうしてこう両極端を嫌うのでしょう。
全部言え。
全部秘密。
どちらも雑。
その間にある、
言える範囲で、必要な情報を示す。
そこを制度にしたものが、未来の行政手続法第九条です。
もちろん。
今は昭和六十三年。
まだ行政手続法はありません。
行政手続法が制定されるのは平成五年。
施行は平成六年十月一日。
なので私は今日も、
「行政手続法九条によりますと」
とは言えません。
言えば相馬先輩に、
「九条って何の九条だ」
と聞かれます。
そして私は詰みます。
転生者、条文知識はあるのに出典を口にできない。
思ったより不便です。
「まず一項」
私は小さく呟きました。
「何だ」
相馬先輩が早速聞きました。
「独り言です」
「気持ち悪いぞ」
「勉強中なので放っておいてください」
未来の行政手続法第九条第一項。
行政庁は、
申請者から求められたとき、
その申請について、
審査がどのくらい進んでいるか。
そして、
いつ頃処分がされる見込みなのか。
それを示すよう努めなければならない。
私は現代のテキストで何度も見た文言を、頭の中から引っ張り出します。
審査の進行状況。
処分の時期の見通し。
この二つ。
「昨日の土岐さんなら」
私はノートに名前を書きました。
土岐正一さん。
駅前店舗改修補助金。
申請者です。
「土岐さんが聞きたかったのは、採択されるかどうかじゃなかった」
「そうだな」
相馬先輩が言います。
「採択の見込みを教えろ、でもなかった」
「そうだ」
片桐所長も頷く。
「じゃあ何だったか」
私は自分で答えました。
「今、どこまで進んでるんですか」
そして。
「いつ頃、結論が出そうですか」
まさに二つです。
進行状況。
処分時期の見通し。
「じゃあ」
相馬先輩が椅子にもたれました。
「土岐さんが聞いたら、役所は絶対答えなきゃならんのか」
「そこ」
私はペン先を向けました。
「試験ならかなり大事です」
「また試験か」
「ここで落とすんですよ」
「何を」
「受験生を」
「怖い言い方すんな」
行政手続法九条第一項は、
必ず示さなければならない。
ではありません。
示すよう努めなければならない。
努力義務です。
「つまり」
相馬先輩が言います。
「聞かれても答えなくていい」
「そこまで雑に言うと危ないです」
「でも義務じゃないんだろ」
「絶対的な義務ではない、です」
ここ。
受験生が雑に覚えると危険なところです。
努力義務。
だから、
求められたら必ず答えなければ行政手続法違反になる。
ではない。
でも逆に、
努力義務だから何もする必要はない。
でもない。
行政庁は、
示すよう努めなければならない。
「努力義務って」
私は言いました。
「便利な逃げ道に見えますよね」
「見えるな」
相馬先輩。
「でも、“好きにしていい”とは違う」
「そうだ」
所長が言いました。
短い。
でも重要です。
努力義務は、
裁量で完全に無視してよい、
という意味ではありません。
制度として、
できるだけ情報を示す方向で行政運営をしなさい。
そういう要請です。
昨日の倉田係長は、
最初、
「審査中です」
しか言いませんでした。
でも聞き方を変えたら。
「書類審査は終わっています」
「現地確認も済んでいます」
「今は庁内協議です」
「その後に決裁です」
「順調なら来週半ばには結論が出せそうです」
ここまで言えた。
秘密でも何でもありませんでした。
「係長は何を怖がってたんでしょうね」
私が言うと、相馬先輩が答えます。
「途中の話をして、後で変わったら文句言われることだろ」
「ですよね」
倉田係長自身も言っていました。
途中経過を話すと、
確定前の話が一人歩きする。
だから何も言わない。
気持ちは分かります。
でも。
それは、
確定した結果。
現在の進行状況。
今後の見通し。
この三つを混ぜているからです。
私はノートに三本線を引きました。
確定した結果。
進行状況。
時期の見通し。
「別物ですね」
「当たり前だ」
相馬先輩が言います。
「でも現場だと、混ざるんですよ」
「役所だけじゃないけどな」
「会社でも?」
「上司に『あの件どうなった』って聞かれて、“検討中です”って言う奴いるだろ」
「いますね」
「中身がないやつ」
「急に社会人あるあるになった」
でも分かりやすい。
検討中です。
審査中です。
確認中です。
全部、便利な言葉です。
便利だからこそ、中身を隠せる。
「所長」
「何だ」
「進行状況を示すって、どこまで言えばいいんですか」
所長は少し考えました。
「必要な範囲だ」
「曖昧」
「案件による」
「もっと曖昧」
「だから法律は全部を細かく書かん」
正論でした。
たとえば昨日なら。
書類審査が終わった。
現地確認が終わった。
庁内協議中。
それで十分です。
都市計画課の担当者が、
「私はこの申請は通していいと思う」
と言った。
そんな内部評価まで伝える必要はありません。
むしろ、審査の公正や内部検討の妨げになることだってある。
他の申請者の情報なら当然もっと慎重です。
「何でも見せろ、じゃない」
「そういうことだ」
所長が言います。
私はノートに書きました。
情報提供と、審査内容の全面公開は別。
ここも混同注意。
「じゃあ時期の見通しは?」
相馬先輩が聞きます。
「これも確定日を約束する話じゃないですよね」
「そうだな」
「昨日なら、“今週中に庁内協議が終われば、来週半ばには結論を出せそう”」
「ああ」
「これで十分」
「十分かどうかは状況次第だがな」
「はい」
未来の行政手続法も、
処分をする日を確約しろ、
とは言っていません。
処分の時期の見通し。
見通しです。
ここが大事。
「つまり」
私は言いました。
「六月十日に必ず処分します、みたいな約束じゃない」
「そうだ」
「現時点ではこの辺になりそうです、という予測」
「そう考えろ」
だから、
事情が変わればずれることもある。
追加調査。
補正。
他部署との協議。
予想外の問題。
見通しは見通しです。
「ここ、標準処理期間と混同しそうですね」
私は前のページをめくりました。
標準処理期間。
行政手続法第六条。
「違い、言ってみろ」
相馬先輩が急に先生みたいな顔をします。
「なぜ偉そうなんですか」
「答えろ」
「はいはい」
標準処理期間は、
通常、この種類の申請ならどれくらいかかるか。
一般的な目安。
情報の提供は、
今、この人の申請がどこまで進んでいて、
いつ頃処分されそうか。
個別案件についての情報。
「昨日の土岐さんで言えば」
私は書きます。
一般論。
この補助金申請は通常一か月程度。
これが標準処理期間的な発想。
個別論。
土岐さんの申請は書類審査と現地確認が終わり、現在庁内協議。順調なら来週半ばに結論予定。
これが情報提供。
「なるほど」
相馬先輩が言います。
「前の森田さんの話とは違うわけだ」
「そうです」
前の営業許可では、
「普通ならどのくらいかかるんですか」
が大きな問題でした。
今回は、
「私の申請は今どこですか」
です。
似ている。
でも違う。
「試験で並べられたら嫌ですね」
「作る方は楽しいだろうな」
「やめてください」
私はノートに大きく書きました。
標準処理期間=一般的な処理期間。
情報提供=個別申請の現在地と見通し。
これなら区別しやすい。
「じゃあ九条二項」
私は次へ進みました。
「何だその九条」
相馬先輩が怪訝そうな顔。
危ない。
「私のノートの九個目の論点です」
「苦しいぞ」
「流してください」
未来の行政手続法第九条第二項。
こちらは少し種類が違います。
対象になるのは、
申請をしようとする者。
または、
すでに申請した申請者。
行政庁は、その人たちの求めに応じて、
申請書の記載事項。
添付書類に関する事項。
その他、申請に必要な情報。
その提供に努めなければならない。
「昨日の土岐さんだと」
私は思い返しました。
最初に見積書を提出。
でも、
「工事項目をもっと細かく分けてください」
と言われて出し直し。
申請案内には、その書き方が十分に書かれていなかった。
窓口での説明も不十分。
さらに、
工事前写真。
図面。
どこまで必要なのか曖昧。
「これも情報提供なんですね」
「申請するのに必要な話だからな」
所長が言います。
未来の第九条二項は、
申請後だけを対象にしていません。
申請をしようとする者も対象です。
「ここ、試験で狙われそう」
「どういうふうに」
相馬先輩。
「“申請者に対してのみ情報提供に努める”」
「違うのか」
「違います」
「申請前でも?」
「申請をしようとする者も含む」
「なるほど」
これは重要です。
まだ申請書を出していない。
でも、
「どう書けばいいですか」
「何を添付すればいいですか」
「この場合、どんな書類が必要ですか」
と聞きたい。
その段階から情報提供の対象になります。
「役所としても、その方が楽だよな」
相馬先輩が言います。
「ですよね」
「間違った申請出されて、あとで補正させるより」
「最初に説明した方が早い」
昨日の倉田係長も、最後にはそこに気づいていました。
案内書を直す。
見積書の内訳。
工事前写真。
図面。
よく問い合わせが来るところを明記する。
「同じ問い合わせを十回受けるより、一回書いた方が早い」
倉田係長の言葉です。
「行政手続って」
私は言いました。
「親切のためだけじゃなく、役所自身の効率のためでもあるんですね」
「当然だ」
所長が答えます。
「分かりやすい案内は、補正を減らす」
「結果的に審査も早くなる」
「そうだ」
なるほど。
制度って、片方だけ得をするようにできているとは限らない。
申請者が助かる。
行政も助かる。
だったら最初からちゃんとやればいいのに。
……というのが受験生の素朴な感想ですが、現場には現場の事情があります。
忙しい。
担当者が少ない。
制度が新しい。
案内書を作る時間も予算もない。
担当ごとに説明が違う。
結果。
申請者が聞かないと情報が出てこない。
「第九条って」
私は考えました。
「“求めに応じ”なんですよね」
そう。
ここもポイントです。
一項も。
二項も。
申請者などの求めに応じる形になっています。
「役所が全申請者に毎日電話して進捗報告するわけじゃない」
「そんなことしたら仕事にならん」
相馬先輩が言います。
「ですよね」
「昨日みたいに聞かれた時に、言えることは言えって話だろ」
「そうです」
一項。
申請者の求めに応じて、
審査の進行状況。
処分時期の見通し。
二項。
申請をしようとする者又は申請者の求めに応じて、
申請に必要な情報。
どちらも、
求めに応じる。
「一項と二項で、対象者が違うんですね」
私は気づきました。
片桐所長がこちらを見ます。
「言ってみろ」
「一項は申請者」
「うん」
「つまり、もう申請した人」
「そうだ」
「二項は、申請しようとする者、または申請者」
「そうだ」
来ました。
行政書士試験が好きそうな違い。
「先輩」
「何だ」
「嫌な問題作っていいですか」
「嫌だ」
「作ります」
「聞いてねえな」
たとえば。
行政庁は、
申請をしようとする者の求めに応じて、
その申請に係る審査の進行状況を示すよう努めなければならない。
「どうです?」
「申請してないのに進行状況あるのか?」
「正解」
「あ」
「そういうことです」
一項の進行状況や処分時期の見通しは、
すでに申請した申請者についての話です。
申請前の人には、まだ審査の進行状況なんてありません。
逆に。
申請書の書き方や添付書類は、
申請前の人も知る必要がある。
「人間関係で見ると分かりやすいですね」
私はノートに書きました。
土岐さん――申請後。
聞ける内容。
今どこまで審査が進んだか。
いつ頃結論が出そうか。
これが一項。
もし土岐さんが申請する前に、
「見積書はどう書くの?」
「写真は何枚?」
「図面はどこまで必要?」
と聞いたなら。
それが二項。
「これなら覚えられそう」
「試験で忘れるなよ」
相馬先輩。
「急に受験指導するじゃないですか」
「落ちたらこの事務所に長くいそうで嫌だからな」
「帰れる前提なんですか、私」
「知らん」
そこは私も知りたい。
私はペンを置き、少し考えます。
「所長」
「何だ」
「情報の提供って、行政指導とは違いますよね」
「違う」
「申請しろとか、書類を直せって指導する話じゃない」
「ああ」
「単に、必要な情報を示す」
「そうだ」
似たように窓口で行われるので、実務だと混ざりそうです。
情報提供。
行政指導。
相談。
補正の求め。
全部、会話で起きる。
でも法的には違う。
「昨日、倉田係長が“見積書を細かく分けてください”と言ったのは?」
私は聞きました。
「場合による」
所長。
「必要な記載内容を説明しただけなら、情報提供に近い」
「でも申請後に不備を直してくれ、と求めるなら」
「補正の問題になる」
やっぱり行政法。
一つの会話に何個も論点を埋めるのやめてもらえませんか。
「行政法って」
「何だ」
「役所の会話を分解する学問みたいになってきました」
「だいたい合ってる」
「合ってるんだ」
私は笑いました。
でも本当にそうかもしれません。
「審査中です」
という一言。
それだけなら曖昧です。
でも分解すれば。
申請を受け付けた。
書類審査をした。
現地確認をした。
庁内協議をした。
決裁する。
処分する。
通知する。
一つずつ別の段階になる。
曖昧な一言を、
制度の言葉で切り分ける。
すると、今どこにいるかが見えてくる。
「じゃあ試験まとめ」
相馬先輩が言います。
「はい」
「一項」
「申請者から求められたら、行政庁は審査の進行状況と処分時期の見通しを示すよう努める」
「義務か?」
「努力義務」
「絶対答える?」
「とは限らない」
「二項」
「申請しようとする者、または申請者から求められたら、申請書の記載事項、添付書類その他申請に必要な情報を提供するよう努める」
「これも?」
「努力義務」
「一項の対象者は?」
「申請者」
「二項は?」
「申請しようとする者と申請者」
「よし」
私は相馬先輩を見ました。
「何で完璧なんです?」
「お前がさっきから全部喋ってるからだろ」
「人の勉強、盗まないでください」
「情報の提供を受けた」
「うまいこと言った顔しないでください」
片桐所長が小さく笑いました。
私はノートに最後の欄を作りました。
――間違えやすいところ。
まず。
「行政庁は、求められたら審査の進行状況を必ず示さなければならない」
これは誤り。
努力義務。
次。
「行政庁は、処分時期の見通しではなく、処分の確定日を示さなければならない」
これも誤り。
見通しでいい。
次。
「情報提供の対象になるのは、申請後の申請者だけである」
これも全部については誤り。
二項では、申請をしようとする者も含まれる。
次。
「申請前の者にも、審査の進行状況を示すよう努めなければならない」
これはおかしい。
まだ申請していません。
進んでいません。
ゼロです。
「簡単そうで、細かい」
私はため息をつきました。
「行政書士試験ってそういうもんだろ」
「先輩、急に悟ったようなこと言いますね」
「知らんけど」
「最後で投げた」
もう一つ。
標準処理期間との違い。
これも重要。
標準処理期間は、
一般的な処理期間の目安。
情報の提供は、
具体的な申請についての進捗と見通し。
「時間の話だけ見てると似てますけど」
「誰の時間かが違うんだな」
相馬先輩が言いました。
私は少し考えます。
「誰の時間?」
「標準処理期間は、その種類の申請全体の普通の時間」
「はい」
「こっちは土岐さん本人の時間」
……。
なるほど。
「先輩」
「何だ」
「今の、ノートに書いていいですか」
「百円」
「著作権料取らないでください」
でも、かなり分かりやすい。
標準処理期間。
みんなに共通する普通の時間。
情報提供。
あなたの申請の今の時間。
私は小さく書き込みました。
「書いたな」
「見ないでください」
「百円」
「払いません」
事務所の外は、すっかり暗くなっています。
駅前の工事現場には仮設の照明がつきました。
土岐さんの店も、補助金が決まったことで改修工事へ進めます。
あのとき。
まだ採択されるかどうか分からなかった。
でも、
「今は庁内協議です」
「順調なら来週半ばには結論が出そうです」
それを聞いただけで、
土岐さんは業者に電話できました。
工事の日程を少し待ってもらえた。
人は、結果だけで動くわけではない。
途中の情報でも動ける。
私はノートを眺めました。
情報の提供。
地味な見出し。
でも。
行政が情報を持っている。
申請者は持っていない。
この差は、思ったより大きい。
役所は、
書類がどこにあるか知っている。
次に何をするか知っている。
どの部署に回っているか知っている。
だいたいいつ終わりそうか知っていることもある。
でも申請者には、
窓口の向こう側が見えません。
だから一言、
「審査中です」
と言われると、
その先が全部真っ暗になる。
情報の提供という制度は、
その暗闇に少しだけ灯りを置く仕組みなのかもしれません。
何でも見せるわけではない。
結果を先に保証するわけでもない。
秘密まで開けるわけでもない。
ただ。
今ここです。
この先はこうです。
だいたいこの頃です。
申請するなら、これが必要です。
そこを示す。
それだけ。
でも、
それだけで人は次の一歩を決められる。
「こはる」
所長が言いました。
「最後はどう書く」
私はノートの一番下を見ました。
一行の覚え書き。
少し考えます。
そして書きました。
――「審査中です」で閉じず、「今どこか」と「いつ頃か」を聞く。
「それだけか」
相馬先輩。
「もう一行あります」
私はその下に書き足しました。
――申請前なら、「何を書き、何を付ければいいか」を聞く。
所長が頷きます。
「それでいい」
私はさらに、試験用の小さな覚え書きを端に書きました。
――進行状況・時期の見通し=申請者。必要情報=申請前の人+申請者。どちらも努力義務。
「急に答案っぽいな」
「こっちは点を取るためです」
「最初の二つは?」
「人を助けるため」
相馬先輩が鼻で笑います。
「格好つけたな」
「たまにはいいじゃないですか」
でも本当です。
条文を覚えるだけなら、
努力義務。
申請者。
申請前も含む。
進行状況。
処分時期の見通し。
申請書。
添付書類。
そう並べれば済みます。
けれど。
土岐さんの顔を知ってしまった。
結果が出る前でも、
「来週半ばには分かりそうです」
と聞いただけで安心した顔。
あれを見てしまうと、
情報の提供という言葉は、もうただの試験用語ではありません。
制度の冷たさは、
人を待たせることがあります。
審査。
協議。
決裁。
どれも必要です。
公平に判断するためには、時間がかかることもある。
でも。
時間をかけることと、
黙って待たせることは同じではない。
結果をまだ出せなくても、
情報まで全部止める必要はない。
行政が持っている途中の情報を、
言える範囲で申請者へ返す。
冷たい制度の中に、
小さな窓を開ける。
それが情報の提供なのかもしれません。
私はノートを閉じました。
そして軍手を一組、引き出しにしまいます。
残りを数える。
「一、二、三……」
「一組もらうぞ」
相馬先輩が手を伸ばしました。
「もう一組持ってるでしょう」
「予備だ」
「必要性を説明してください」
「破れた時」
「いつ破れます?」
「分からん」
「見通しを示すよう努めてください」
「来年くらい」
「雑!」
所長が新聞越しに言いました。
「相馬」
「何です」
「軍手の残数」
「八組」
「事務所用六。お前一。こはる一」
「もう決まってるじゃないですか」
私は言いました。
「情報提供というより処分です」
「不服か」
「……今回はありません」
相馬先輩が笑いました。
「珍しいな」
「理由も分かるし、配分も見えるし、先の見通しも立ってますから」
「何の見通しだ」
「大掃除です」
「やる気満々じゃねえか」
やりたくはありません。
でも少なくとも、
いつ何をするか分かっている仕事は、
いつ終わるか分からない仕事より少しだけましです。
窓の外では、
昭和六十三年の町に灯りが増えていきます。
行政手続法は、まだありません。
それでも今日、
土岐さんは役所に聞きました。
今、どこまで進んでいますか。
いつ頃、決まりそうですか。
申請するには、何が必要ですか。
未来では、
その問いに制度上の名前がつきます。
情報の提供。
地味です。
やっぱり地味です。
でも。
役所の向こう側を真っ暗にしないためには、
たぶん、こういう地味な制度が一番効く。
私は机の灯りを消しながら思いました。
答えがまだ出ないことと、
何も教えられないことは、
同じじゃない。
今日覚えたのは、
それでした。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




