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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈民法 配点76点/300点〉 物権

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492/684

[民法・根抵当権]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 借金がゼロなのに、担保は消えない。


 債権を買ったのに、担保はついてこない。


 五千万円と登記されているのに、五千万円の借金があるとは限らない。


 ……。


 何ですか、この法律。


 普通の抵当権で覚えた常識が、ことごとく通用しません。


 しかも。


 元本を確定させるだけなのに、請求する人によって、三年だの二週間だの、条件が違う。


 私は思いました。


 根抵当権。


 あなた、本当に抵当権の仲間なんですか?


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、ノートを開いていました。


 表紙には、


 ――こはるノート・民法編。


 そして、今日の見出し。


 ――根抵当権。


 昨日の高瀬精機製作所の事件。


 あれは、なかなか強烈でした。


 工場を経営する高瀬正一さん。


 湖西信用金庫から運転資金を借りていた。


 工場の土地と建物には、極度額五千万円の根抵当権。


 借金を全部返したのに、担保は残っていた。


 そこへ、東海商事金融の黒岩という男が現れます。


「債権を買ったから、根抵当権も俺のものだ」


「三千五百万円払え」


「払わなければ工場を競売にかける」


 ……。


 今思い出しても、腹が立ちます。


 しかし。


 民法を調べて、内容証明郵便を送ったところ。


 黒岩は請求を撤回しました。


 さらに、高瀬さんが元本確定請求を行い、被担保債権が残っていないことを確認。


 根抵当権の抹消登記も完了しました。


 工場は守られたのです。


「……よし」


 私は鉛筆を握りました。


「今日は根抵当権を完全攻略します!」


「また始まったな」


 相馬先輩が、新聞から顔を上げました。


「先輩!」


「何だ」


「根抵当権って、普通の抵当権と違いすぎませんか!」


「違うから名前も違うんだろ」


「根がついただけじゃないですか!」


「その根が大事なんだよ」


 私は首をかしげました。


「根……?」


 相馬先輩が言いました。


「一本の枝を担保するか、次々に生えてくる枝をまとめて担保するか。その違いだと思え」


 ……。


 なるほど。


 根っこが残っていれば、枝はまた生える。


 借金を返しても、また借りる。


 その継続的な関係を担保する。


「先輩!」


「何だ」


「今の例え、分かりやすいです!」


「そうか」


「珍しく!」


「余計な一言をつけるな!」


 私は笑いました。


 でも。


 今日の勉強は、ここからが本番です。


 まず。


 普通の抵当権と根抵当権の違いを整理します。


 私はノートに二つの四角を描きました。


 左側。


 ――普通抵当権。


 右側。


 ――根抵当権。


「先輩、普通の抵当権は、基本的に特定の債権を担保しますよね」


「ああ」


「たとえば、銀行から一千万円借りた」


「うん」


「その一千万円の貸金債権を担保するために、土地に抵当権を設定する」


「そうだ」


「そして借金を完済すれば、その債権を担保する抵当権も消滅する」


「原則そうだな」


 私は頷きました。


 これが、普通の抵当権。


 特定の借金と、強く結びついている。


 では。


 根抵当権は?


「高瀬さんの工場を思い出せ」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「製造業は、何度も金を借りるだろ」


「そうですね」


 材料を仕入れる。


 機械を修理する。


 従業員に給料を払う。


 売掛金が入るまでの間、運転資金が必要になる。


 たとえば。


 一月に、一千万円借りる。


 二月に、返済する。


 三月に、二千万円借りる。


 四月に、その一部を返済する。


 五月に、また五百万円借りる。


「これ、毎回抵当権を設定するんですか?」


 私が聞くと、相馬先輩が顔をしかめました。


「そんなことしてたら、登記の手間と費用が大変だろ」


「ですよね!」


 そこで登場するのが。


 根抵当権。


 民法第三百九十八条の二。


 一定の範囲に属する不特定の債権を、極度額の限度で担保する仕組みです。


「つまり」


 私は書きました。


 普通抵当権。


 ――特定の債権を担保する。


 根抵当権。


 ――一定の範囲に属する、不特定の債権を担保する。


「この『一定の範囲』が大事なんですね」


「そうだ」


「根抵当権なら、世の中のあらゆる借金を担保できるわけじゃない」


「ああ」


 たとえば。


 高瀬精機と湖西信用金庫との信用金庫取引から生じる債権。


 このように、担保する債権の範囲を定める必要があります。


「所長!」


 私は奥へ声をかけました。


「根抵当権って、何でも入れられる魔法の箱ではないんですね!」


 片桐所長が帳簿から顔を上げました。


「箱に入れる物の種類を決める必要がある」


「はい!」


「そのうえで、箱の大きさも決める」


「極度額ですね!」


 私は大きく丸をつけました。


 債権の範囲。


 極度額。


 この二つ。


 まず区別することが重要なのです。


「では、極度額です!」


 私はノートの真ん中に書きました。


 ――極度額五千万円。


 そして、その下に。


 ――借金残高五千万円?


「違う!」


 私は自分で大きくバツをつけました。


 相馬先輩が呆れた顔をします。


「一人で何やってんだ」


「昨日の黒岩への反撃を再現してるんです!」


「忙しい奴だな」


 そう。


 極度額。


 それは、借金の額ではありません。


 根抵当権によって優先的に弁済を受けられる上限額です。


「だから高瀬さんは、五千万円の根抵当権を設定していても、五千万円借りたわけじゃなかったんですね」


「そうだ」


「実際には、一千万円を借りたり、二千万円を借りたりしていた」


「ああ」


「しかも、返済すれば残高は減る」


「そうだな」


 私は、具体例を書きました。


 極度額五千万円。


 確定した元本の内訳。


 一千万円。


 二千万円。


 五百万円。


 合計三千五百万円。


 さらに。


 利息及び遅延損害金など。


 三百万円。


「合計、三千八百万円です!」


 相馬先輩が頷きました。


「じゃあ、その不動産が五千万円で競売されたら?」


「三千八百万円について、根抵当権に基づいて優先弁済を受けられます!」


「他の権利関係や競売費用などの問題がなければ、そういうことだ」


 なるほど。


 ここで重要なのは、極度額ではなく、実際に担保される債権の額。


 五千万円の極度額があっても。


 残っている債権が三千八百万円なら、五千万円全部を当然に受け取れるわけではない。


「じゃあ、先輩」


「何だ」


「確定元本が四千八百万円で、利息と損害金が五百万円だったら?」


「合計五千三百万円だな」


「でも極度額は五千万円!」


「そうだ」


「つまり、根抵当権による優先弁済の上限は五千万円!」


「正解」


 私は頷きました。


 五千三百万円の債権があっても。


 その根抵当権によって優先弁済を受けられるのは、極度額五千万円まで。


 残り三百万円は、その根抵当権では担保されない。


 もっとも、残りの債権自体が当然に消滅するわけではありません。


「ここ、試験で間違えそうですね」


「何でだ」


「極度額を、借金の最高限度だと勘違いしそうです」


 相馬先輩が頷きました。


「借金そのものの上限とは違うからな」


 そうです。


 根抵当権の極度額は。


 融資を受けられる限度額そのものではなく。


 その不動産によって担保される優先弁済額の上限。


 私は赤鉛筆で書きました。


 ――極度額は借金額ではない。担保の上限である。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「普通の抵当権で、利息を何年分まで優先弁済できるか覚えてるか」


「はい!」


 私は得意になりました。


「原則として、満期となった最後の二年分です!」


「そうだな」


「民法第三百七十五条!」


「よし」


 私は胸を張りました。


 しかし。


 相馬先輩が、にやりと笑いました。


「じゃあ根抵当権も二年分か?」


「もちろん――」


 そこで止まりました。


 ……。


 あ。


「違います!」


「そうだ」


 私は慌てて六法を開きました。


 民法第三百九十八条の三。


 根抵当権者は、確定した元本と、利息その他の定期金及び債務不履行による損害賠償の全部について、極度額を限度に根抵当権を行使できます。


「つまり!」


 私は言いました。


「普通抵当権の二年分という制限を、そのまま根抵当権に持ち込んでは駄目なんですね!」


「そうだ」


「根抵当権では、利息や損害金も全部、極度額の枠内で担保され得る!」


「正解」


 私はノートに大きく書きました。


 普通抵当権。


 ――利息等について、最後の二年分という原則的制限がある。


 根抵当権。


 ――確定元本・利息・損害金等を、極度額まで担保する。


「なるほど……」


 私は鉛筆を止めました。


 根抵当権の極度額。


 それは、関係者に対して、担保による優先弁済の上限を明示する役割も果たします。


 後から融資する銀行も。


 土地を買おうとする人も。


 その不動産が、いくらまで根抵当権で担保されているかを確認できる。


「だから極度額が重要なんですね」


「そうだ」


 片桐所長が静かに言いました。


「担保の上限が見えなければ、後から権利を取得する者も困る」


 私は頷きました。


 ああ。


 民法は、銀行だけを守るために根抵当権を認めているわけではない。


 取引の安全も考えているのです。


「次は、昨日の事件で一番重要だったところです!」


 私はページをめくりました。


 ――付従性。


 ――随伴性。


 ……。


 似ています。


 非常に似ています。


「先輩」


「何だ」


「この二つ、名前を変えませんか?」


「俺に言うな」


「毎回混乱するんです!」


「なら覚えろ」


 私はため息をつきました。


 でも。


 昨日の高瀬さんの事件を思い出すと、区別できます。


 まず。


 付従性。


 普通の抵当権は、担保する債権が消滅すれば、原則として抵当権も消滅する。


 債権に従って、担保も存在する。


「だから付従性ですね」


「そうだ」


「では、根抵当権は?」


「元本確定前を考えろ」


 私は書きました。


 高瀬精機。


 借金残高ゼロ。


 でも。


 根抵当権は残っていた。


「……付従性がない!」


「そうだ」


 より正確には。


 元本確定前の根抵当権には、個々の被担保債権の消滅に伴って当然に根抵当権も消滅するという意味での付従性がありません。


「だから、完済してもすぐに抹消されなかったんですね」


「ああ」


 高瀬さんは、もう借金を返したのだから、担保も消えていると思っていました。


 でも。


 信用金庫との継続的取引は残っていた。


 また借りる可能性があった。


 だから、根抵当権は残っていたのです。


「では、随伴性です!」


 私は書きました。


 普通の抵当権。


 ――被担保債権が譲渡されると、抵当権も原則としてそれに伴う。


 根抵当権。


 ――元本確定前に、個々の債権を譲り受けても、根抵当権を当然には取得しない。


「これが、昨日の黒岩ですね」


「そうだ」


 黒岩は、信用金庫から債権を譲り受けた。


 だから根抵当権も自分のものだと言い張った。


 しかし。


 民法第三百九十八条の七第一項。


 元本確定前に根抵当権者から債権を取得した者は、その債権について根抵当権を行使できない。


「先輩!」


「何だ」


「つまり、元本確定前の根抵当権は、個々の債権について随伴性がないんですね!」


「そうだ」


「債権を買っただけでは、その根抵当権を使えない!」


「正解」


 私は、昨日の黒岩の声を思い出しました。


『債権を買ったんだから、担保も俺のものだ!』


 ……。


 残念でした。


 そう簡単にはいきません。


「でも先輩」


「何だ」


「どうして元本確定前は随伴性がないんですか?」


 相馬先輩が言いました。


「根抵当権は、一つの貸付金だけを担保してるわけじゃねえからだ」


「……あ」


「個々の債権を売るたびに担保まで勝手に移っていたら、継続的な取引のための担保として使いにくいだろ」


 私は頷きました。


 なるほど。


 根抵当権は、個々の債権とは別に、一定範囲の継続的取引全体を担保する仕組みです。


 だから。


 一つの債権を譲渡するたびに、根抵当権までついていくわけではない。


「ただし」


 片桐所長が口を開きました。


「元本が確定した後は、事情が変わる」


「はい?」


「担保する元本が固定されるからだ」


 私は目を見開きました。


 そうでした。


 元本確定。


 ここが、大きな境目です。


 確定前は、債権が入れ替わる。


 確定後は、新しい債権が担保元本に加わらない。


 つまり。


 根抵当権は、確定後には特定された債権を担保する性格が強くなる。


「だから、元本確定後は普通の抵当権に近づくんですね」


「そうだ」


 ただし、極度額など根抵当権特有の規律がすべて消えるわけではありません。


 私は書きました。


 ――元本確定は、根抵当権の性質を考えるうえでの分岐点。


「では、根抵当権そのものの譲渡です!」


 私は次のページを開きました。


 民法第三百九十八条の十二。


「昨日、黒岩が高瀬さんに承諾書を書かせようとしていたところですね」


「ああ」


「元本確定前の根抵当権を譲渡するには、設定者の承諾が必要!」


「正解」


 私は頷きました。


 ここで、二つの譲渡を区別します。


 一つ目。


 個別の債権の譲渡。


 二つ目。


 根抵当権そのものの譲渡。


「先輩、これを混同すると危険ですね」


「昨日の黒岩みたいにな」


「そうです」


 たとえば。


 銀行Bが会社Aに一千万円を貸した。


 銀行Bは、会社Aの土地に根抵当権を持っている。


 ここで銀行Bが、その一千万円の債権だけを会社Cに譲渡した。


「Cは、当然に根抵当権を取得しますか?」


 私は相馬先輩に聞きました。


「元本確定前なら、しねえな」


「正解です!」


「何で俺が採点されてんだ」


「勉強会です!」


 私は続けました。


「では、銀行Bが根抵当権そのものをCに譲渡したい場合は?」


「元本確定前なら、根抵当権設定者Aの承諾が必要だ」


「はい!」


 ここです。


 元本確定前に根抵当権を譲り渡すには、設定者の承諾が必要。


 高瀬さんが、黒岩から持ってこられた承諾書に署名しなかったこと。


 あれは、非常に重要でした。


 もっとも、承諾だけで移転登記などの問題まで全部解決するわけではありません。


 不動産の権利関係を第三者に主張するためには、登記の問題も生じます。


「では、元本確定後はどうですか?」


 私は続けました。


「元本確定後は、第三百九十八条の十二第一項による設定者の承諾は必要ありません」


「そうだな」


「ただし、元本が確定したからといって、根抵当権だけを担保債権から無関係に切り離して、自由に売れるという意味ではありません」


 片桐所長が頷きました。


「その区別が大切だ」


 私はノートに書きました。


 元本確定前。


 ――根抵当権そのものの譲渡には、設定者の承諾が必要。


 元本確定後。


 ――その承諾規定は適用されず、確定した担保債権との関係で移転を考える。


「なるほど!」


 私は顔を上げました。


「根抵当権は、元本確定前と後で、考え方を切り替えないと駄目なんですね」


「そういうことだ」


 相馬先輩が頷きました。


 昨日の黒岩は。


 債権譲渡と根抵当権譲渡を混同した。


 さらに、設定者の承諾も得ていなかった。


 そして、極度額と借金残高まで混同させようとした。


「……三重に間違えていたんですね」


 私が言うと、相馬先輩は鼻で笑いました。


「間違えたのか、分かっていて騙そうとしたのかは知らねえけどな」


 私は頷きました。


 どちらにしても。


 民法を正しく理解していれば、見抜ける話だったのです。


「さて」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「次は元本確定だ」


「はい!」


 私は背筋を伸ばしました。


 今回の事件の、最大の山場です。


 元本確定。


 この言葉。


 最初は、意味がよく分かりませんでした。


 だって。


 借金は、借りたときから金額が決まっているはずです。


 一千万円借りたなら、一千万円。


 二千万円借りたなら、二千万円。


 それなのに。


 なぜ改めて元本を確定する必要があるのでしょう。


「先輩」


「何だ」


「借金の金額って、最初から決まってますよね」


「個々の借金はな」


「じゃあ、どうして確定するんですか?」


 相馬先輩は、昨日の高瀬さんの取引記録を机に置きました。


「これを見ろ」


 私は読みました。


 一月。


 借入れ一千万円。


 二月。


 返済五百万円。


 三月。


 借入れ二千万円。


 四月。


 返済一千万円。


 五月。


 借入れ五百万円。


 ……。


 どんどん変わっています。


「……あ!」


「分かったか」


「根抵当権が担保する元本の総額が、継続的な取引によって変動するんですね!」


「そうだ」


 元本確定前は、担保する債権が増えたり減ったりします。


 だから。


 どの時点の、どの元本を担保するのか。


 区切りをつける必要がある。


 それが、元本確定。


「元本確定後は、新しく発生した貸付金が、その根抵当権で担保される元本に加わらない」


「そうだ」


「でも、確定した元本についての利息や損害金は、その後も発生し得る」


「そこも忘れるな」


 私は大きく頷きました。


 そうでした。


 元本確定。


 元本の額を固定すること。


 利息や損害金まで、すべてその瞬間に凍結するわけではありません。


「だから、元本確定後も、極度額の範囲内で利息などが担保されるんですね」


「そうだ」


 私はノートに書きました。


 ――元本確定とは、担保される元本を固定すること。すべての債務を消滅させることではない。


 ここ。


 絶対に忘れてはいけません。


「では、元本確定請求です!」


 私は六法を開きました。


 民法第三百九十八条の十九。


 まず。


 根抵当権設定者からの確定請求。


「先輩、高瀬さんは根抵当権設定者でしたね」


「ああ」


「自分の工場の土地と建物を担保に入れた人です」


「そうだ」


「では、設定者はいつでも元本確定請求できますか?」


「できねえな」


 私は頷きました。


 原則として。


 設定から三年を経過したとき。


 それから、元本確定請求ができます。


 そして。


 請求した瞬間ではなく。


 請求から二週間を経過すると、元本が確定する。


「三年と二週間!」


 私は赤線を引きました。


「これ、セットで覚えます!」


「そうしろ」


 では。


 根抵当権者からの元本確定請求は?


 今度は銀行側です。


「根抵当権者は、いつでも請求できます!」


「そうだ」


「そして、その請求の時に元本が確定する!」


「正解」


 私はノートに大きく書きました。


 根抵当権設定者。


 ――設定から三年経過後、請求できる。確定は請求から二週間後。


 根抵当権者。


 ――いつでも請求できる。確定は請求の時。


「先輩!」


「何だ」


「これ、不公平じゃないですか!」


「何が」


「銀行はいつでも確定できるのに、設定者は三年待たないといけない!」


 相馬先輩が言いました。


「継続的な取引のために設定した担保だからな」


「はい」


「設定者がすぐに確定できたら、長く取引を続けるための担保として使いにくいだろ」


 私は考えました。


 確かに。


 銀行は、継続的に融資することを前提に根抵当権を設定します。


 ところが。


 設定した翌日に、設定者が一方的に元本を確定できるとしたら。


 継続的な信用供与のための担保という性格が弱くなります。


「だから、設定者側には三年という期間があるんですね」


「そう考えると分かりやすいだろ」


「はい」


 でも。


 永遠に固定されない担保では、設定者も困ります。


 だから一定期間を経過すれば、設定者からも確定を求められる。


 その一方で、根抵当権者は、自らの担保関係をこれ以上変動させない判断ができる。


「なるほど……」


 私は頷きました。


 ただし。


 ここには、重要な例外があります。


 元本確定期日の定めがある場合。


「先輩」


「何だ」


「契約で元本確定期日を定めていたら、今の三年と二週間のルールはどうなります?」


「その確定期日の定めが優先する」


「そうです!」


 民法第三百九十八条の十九第三項。


 確定期日の定めがある場合、前二項の確定請求の規定は適用されません。


 私は書きました。


 ――元本確定期日の定めがある場合は、確定請求の原則ルールをそのまま使わない。


「だから高瀬さんの契約書で、元本確定期日の有無を確認したんですね」


「そうだ」


 昨日。


 片桐所長が、真っ先に契約書を確認していた理由。


 ようやく、はっきり分かりました。


「所長って、やっぱりすごいですね」


 私が言うと、相馬先輩が笑いました。


「今頃気づいたのか」


「先輩も、たまにはすごいです」


「たまには余計だ!」


 私は笑いました。


 でも。


 法律の知識を現場で使うというのは、こういうことなのでしょう。


 条文だけを覚えても。


 契約書を確認しなければ、使えるかどうか分からない。


 だから、先に事実を調べる。


 法律を当てはめるのは、そのあとです。


「ところで」


 相馬先輩が言いました。


「こはる。元本確定って、請求しなきゃ絶対に起きないのか?」


「え?」


 私は止まりました。


 ……。


 あ。


「違います!」


「そうだ」


 元本確定には、請求以外の原因もあります。


 民法第三百九十八条の二十。


 たとえば。


 根抵当権者による競売の申立て。


 一定の要件を満たした競売手続の開始。


 あるいは、債務者や根抵当権設定者についての破産手続開始の決定。


 そうした場合にも、元本確定が問題になります。


「つまり!」


 私は言いました。


「元本確定は、当事者が請求する場合だけではないんですね!」


「そうだ」


「ただし、競売を申し立てたからといって、申立ての瞬間に必ず確定するとは限らない」


「そのとおり」


 条文で定められた要件を満たす必要があります。


 それに。


 競売や差押えの手続が終了した場合などには、確定しなかったものとみなされる場面もあります。


「……複雑ですね」


「民法だからな」


「またそれですか!」


 でも。


 根抵当権が担保する債権は、いつまでも無制限に変動するわけではありません。


 取引の終了。


 当事者の請求。


 競売。


 破産。


 そうした場面で、担保関係を固定する必要が生じます。


 私は、ノートに書きました。


 ――元本確定は、継続的な担保関係を、固定された担保関係に切り替える境界線。


 ここまで書いたところで。


 私は、ふと思いました。


「先輩」


「何だ」


「昭和六十三年の根抵当権って、現代と違うんですか?」


 相馬先輩が怪訝な顔をしました。


「また未来の話か?」


「あ、いえ……その……」


 危ない。


 私は、現代の民法を知っています。


 令和の行政書士試験。


 そこで学んだ知識です。


 でも。


 昭和六十三年。


 民法は、今とかなり違う部分があります。


 契約不適合責任ではなく、瑕疵担保責任。


 成年後見制度ではなく、禁治産・準禁治産制度。


 消滅時効にも、現在とは異なる複雑な規定がある。


 だから。


 根抵当権にも、大きな制度の違いがあるのではないかと思いました。


 私は六法を見ました。


 民法第三百九十八条の二。


 第三百九十八条の三。


 第三百九十八条の七。


 第三百九十八条の十二。


 第三百九十八条の十九。


 ……。


「……あれ?」


「どうした」


「先輩、根抵当権の基本的な仕組みって、現代とかなり共通していますね」


「何を言ってるんだ、お前は」


 私は慌てました。


「あ、いえ! 民法の改正って、何でも大きく変わるわけじゃないんだなって!」


 片桐所長が、静かに言いました。


「根抵当権は、昭和六十三年になって初めてできた制度ではない」


「はい」


 そうです。


 根抵当権の制度は、昭和四十六年の民法改正によって、条文上の制度として整備されています。


 それ以前から、取引実務では根抵当権が利用されていました。


 継続的な融資に対応するための担保。


 それを、法律の上でも明確に整備した。


 だから。


 昭和六十三年の時点でも。


 根抵当権は、しっかりした民法上の制度として存在していたのです。


「なるほど……」


 私は頷きました。


 現代の制度と基本的な考え方が共通している部分も多い。


 ただし。


 昭和六十三年の六法には、当然ながら、後の時代に登場した制度や用語はありません。


 たとえば、現代の根抵当権に関する条文には、電子記録債権という言葉が登場します。


 でも。


 昭和六十三年には、電子記録債権法に基づく電子記録債権など存在しません。


 また、現代の条文にある担保不動産収益執行という制度も、昭和六十三年の制度ではありません。


 ここで未来の条文をそのまま読み上げたら。


 また相馬先輩に怒られます。


「……危ない」


 私は呟きました。


「何がだ」


「いえ、何でもありません!」


 私はノートの端に書きました。


 ――根抵当権の基本原理は昭和と令和で共通する部分が多い。ただし、後に整備された制度・用語を昭和の実務に持ち込まない。


 よし。


 これで転生者の地雷を、一つ回避しました。


「さて、こはる」


 片桐所長が声をかけました。


「はい!」


「昨日の事件を、最初から整理してみろ」


「分かりました!」


 私は、ノートの最後のページを開きました。


 高瀬精機製作所。


 土地と工場。


 根抵当権者。


 湖西信用金庫。


 極度額。


 五千万円。


 元本確定前。


 借入残高。


 ゼロ円。


「まず、高瀬さんは信用金庫から何度も運転資金を借りていました」


「うん」


「その取引を担保するため、極度額五千万円の根抵当権を設定していました」


「そうだ」


「でも、最後の借金を返しても、元本確定前だったので根抵当権は当然には消えませんでした」


 所長が頷きました。


「続けろ」


「そこへ黒岩が現れました」


「うん」


「黒岩は、信用金庫から個別の債権を譲り受けたことを理由に、根抵当権も取得したと主張しました」


「それは?」


「元本確定前の根抵当権には、個々の債権譲渡に伴う随伴性がないので、当然には取得しません!」


「そうだ」


「しかも、根抵当権そのものを譲渡するには、設定者の承諾が必要でした」


「うん」


「高瀬さんは承諾していませんでした」


「そうだ」


「さらに、黒岩は三千五百万円を請求しましたが、実際の債権の存在や金額を説明できませんでした」


 私は、一度息を吸いました。


「そこで、民法の条文と事実を整理した内容証明を送ったんです」


 片桐所長が頷きました。


「結果は?」


「黒岩は、請求を撤回しました」


「うん」


「そして高瀬さんは、信用金庫に元本確定請求をしました」


「そうだ」


「根抵当権設定から三年以上経過し、確定期日の定めもありませんでした」


「うん」


「請求から二週間後に元本が確定し、その時点の被担保債権がゼロであることが確認されました」


「そうだ」


「最後に、司法書士による根抵当権抹消登記が行われました!」


 私は、鉛筆を置きました。


「以上です!」


 所長は静かに頷きました。


「よし」


 私は思わず笑いました。


 全部つながりました。


 根抵当権。


 極度額。


 付従性。


 随伴性。


 根抵当権の譲渡。


 元本確定。


 元本確定請求。


 最初は、バラバラの暗記事項でした。


 でも。


 高瀬さんの事件を順番に思い出すと、全部が一つの話になります。


「所長」


「何だ」


「やっと分かりました」


「何がだ」


「根抵当権って、借金を担保するための制度ですけど、その本質は継続的な取引なんですね」


 所長が頷きました。


「そうだ」


「だから元本確定前は、普通の抵当権と違う性質を持つ」


「うん」


「でも、元本が確定すると、担保する元本が固定される」


「そうだ」


「つまり、元本確定前と後を分けて考えれば、かなり整理できるんです!」


 相馬先輩が笑いました。


「ようやく気づいたか」


「先輩!」


「何だ」


「今なら、行政書士試験の根抵当権問題、全部解けそうです!」


「ほう」


 相馬先輩が、にやりと笑いました。


 ……。


 嫌な予感。


「じゃあ、五問出すぞ」


「ええっ!」


「全部解けるんだろ?」


「……はい」


 私は、背筋を伸ばしました。


 受験生の意地。


 見せてやります!


「第一問」


 相馬先輩が言いました。


「根抵当権の極度額が五千万円なら、債務者は五千万円の借金を負っている。正しいか?」


「誤り!」


 即答です。


「極度額は優先弁済の上限であって、実際の借金残高ではありません!」


「正解」


「第二問!」


「元本確定前に、被担保債権が全部弁済された。根抵当権は当然に消滅するか?」


「しません!」


「理由は?」


「元本確定前の根抵当権には、個々の被担保債権の消滅に伴って当然に消えるという付従性がないからです!」


「正解」


「第三問!」


「元本確定前に、根抵当権者から債権を譲り受けた者は、その債権について当然に根抵当権を行使できるか?」


「できません!」


「理由は?」


「元本確定前には、個々の債権譲渡について根抵当権の随伴性がないからです!」


「正解」


「第四問!」


「元本確定前に根抵当権そのものを譲渡するには、誰の承諾が必要だ?」


「根抵当権設定者です!」


「正解」


「第五問!」


「根抵当権設定者が元本確定請求をするには、原則として設定から何年必要だ?」


「三年!」


「確定するのは?」


「請求から二週間後!」


「根抵当権者なら?」


「いつでも請求でき、その請求の時に確定します!」


「ただし?」


「元本確定期日の定めがある場合は、今の確定請求の規定は適用されません!」


 相馬先輩が頷きました。


「……よし」


 私は両手を上げました。


「全問正解!」


「今日はな」


「今日は、って何ですか!」


「明日には忘れてるかもしれねえだろ」


「忘れません!」


「ほう」


「高瀬さんの工場を思い出しますから!」


 相馬先輩が、少しだけ笑いました。


「なら、大丈夫かもな」


 私は、嬉しくなりました。


 これまで。


 法律は、暗記するものだと思っていました。


 三年。


 二週間。


 極度額。


 随伴性なし。


 付従性なし。


 設定者の承諾。


 そんな言葉を、何度も繰り返して覚える。


 でも。


 事件と結びつけると、意味が見えてくる。


 どうして借金を完済しても根抵当権が残るのか。


 どうして債権を譲渡しても根抵当権がついてこないのか。


 どうして元本確定という区切りが必要なのか。


 そして。


 どうして設定者に確定請求という手段が用意されているのか。


 全部、人の取引と財産を守るための仕組みなのです。


 窓の外は、もう夕暮れでした。


 私は、最後のページを開きました。


 ここに。


 今日の一行を書きます。


 鉛筆の先を整えて。


 ゆっくり。


 ――根抵当権は「極度額の箱」。元本確定前は中身が入れ替わり、確定後は担保する元本が固定される。


「……できた!」


 私はノートを掲げました。


「先輩! どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「まあ、悪くねえな」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、きっと忘れません。


 五千万円の根抵当権。


 それだけで、高瀬さんが五千万円の借金を負っていたわけではない。


 借金を返しても根抵当権が残っていたのは、元本確定前だったから。


 黒岩が債権を買っても、当然に根抵当権を取得できなかったのは、元本確定前の随伴性がなかったから。


 そして。


 元本を確定させ、被担保債権の不存在を確認したことで、工場の担保を整理できた。


 そこには。


 一本の筋が通っていたのです。


「所長」


「何だ」


「私、根抵当権がちょっと好きになりました」


「そうか」


「最初は、名前がややこしいだけの制度だと思っていました」


「うん」


「でも、商売を続けるために、とても便利な仕組みなんですね」


 所長が頷きました。


「継続的な融資を支える制度だ」


「はい」


「ただし、仕組みを知らなければ、弱い立場の者が不利益を受けることもある」


「そうですね」


 私は、高瀬さんの笑顔を思い出しました。


 機械の音。


 職人さんたち。


 油の匂い。


 三十年続いた工場。


 その日常を守れたのは。


 難しい法律を、正しく使えたからでした。


 民法は。


 お金を貸す人だけの味方ではありません。


 お金を借りる人の生活も。


 担保を提供した人の財産も。


 そして、後から取引に参加する人の利益も。


 それぞれ考えているのです。


「……よし」


 私はノートを閉じました。


「今日は、これで完璧です!」


「じゃあ、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「最後に、もう一問」


「まだあるんですか!」


「簡単だ」


「本当ですか?」


「ああ」


 相馬先輩は、机の上に置かれた一枚の紙を指差しました。


「俺がお前に千円貸したとする」


「はい」


「その千円を返すまで、お前の机に抵当権を設定する」


「……先輩」


「何だ」


「机に普通の抵当権は設定できません」


「……」


「抵当権の目的は、原則として不動産などです!」


 相馬先輩が黙りました。


 私は、にやりと笑いました。


「先輩!」


「何だよ」


「引っかかりましたね!」


「……ちっ」


「やった!」


 私は拳を握りました。


 ついに。


 相馬先輩から一本取りました。


「所長!」


「何だ」


「先輩が間違えました!」


 片桐所長は帳簿から顔を上げました。


「そうか」


「はい!」


「なら、こはる」


「はい!」


「机を片付けておけ」


「……え?」


「今日はもう終業だ」


 ……。


 私は机を見ました。


 六法。


 ノート。


 鉛筆。


 赤鉛筆。


 資料。


 山積みです。


「所長」


「何だ」


「私の机には、根抵当権を設定しないでくださいね」


「しない」


「借金がゼロでも残ると困りますから!」


 相馬先輩が吹き出しました。


「心配すんな」


「何です?」


「お前の机を担保に金を貸す奴はいねえよ」


「ひどい!」


 私は笑いながら、書類を片付け始めました。


 窓の外。


 夕暮れの町に、少しずつ明かりが灯っていきます。


 そのどこかで。


 高瀬精機製作所の機械は、今日も動いているのでしょう。


 五千万円という数字に怯えることなく。


 明日の仕事を考えながら。


 私は、ノートの最後の一行をもう一度読みました。


 ――根抵当権は「極度額の箱」。元本確定前は中身が入れ替わり、確定後は担保する元本が固定される。


 よし。


 忘れません。


 根抵当権。


 それは、ただの難しい法律用語ではありません。


 商売を続けるための信用を支え。


 担保の限界を示し。


 必要なときには、担保関係を整理する道も用意している。


 そんな制度なのです。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「ノート見てねえで片付けろ!」


「今、学習内容を確認してたんです!」


「確認は後だ!」


「先輩!」


「何だ!」


「私の記憶には、根抵当権を設定できませんよ!」


「当たり前だ!」


「でも、知識は何度でも借り入れできます!」


「意味分かんねえよ!」


 ……なるほど。


 どうやら。


 私の頭の中の知識という箱には、まだまだ余裕がありそうです。


 ただし。


 その箱の極度額だけは。


 できれば、無制限にしていただきたいものです。

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