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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈民法 配点76点/300点〉 物権

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490/701

[民法・法定地上権]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 土地を失っても、家まで失うとは限りません。


 でも。


 家が建っているからといって、必ず守られるわけでもありません。


 大切なのは。


 その家が、いつから建っていたのか。


 そして。


 抵当権を設定したとき、土地と建物は誰のものだったのか。


 たった一日。


 たった一人。


 その違いが、一軒の家の運命を変えてしまう。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、ノートを広げていました。


 表紙には、


 ――こはるノート・民法編。


 と書いてあります。


「……先輩」


「何だ」


「法定地上権って、優しいのか厳しいのか分かりません」


 相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「いきなり何だ」


「だって、藤枝ハルさんの家は守ってくれたじゃないですか」


「ああ」


「でも、条件を一つ間違えたら、家を壊さなきゃいけないこともあるんですよね」


「そうだな」


「それって、すごく怖くないですか?」


 相馬先輩は煙草をくわえました。


「だから要件を調べるんだろ」


「……ですよね」


 私は昨日の事件を思い出しました。


 藤枝ハルさん。


 六十五歳。


 三十年以上暮らした土地が、抵当権の実行によって競売にかけられました。


 土地を買ったのは、東海土地開発の黒岩剛造。


 あの男は、


「土地は俺のものだ! 十日以内に家を壊せ!」


 と怒鳴りました。


 でも。


 調べてみると。


 抵当権設定当時、土地と建物は同じ藤枝正一さんの所有。


 旧建物も、すでに存在していた。


 しかも、土地だけに抵当権が設定されていた。


 その後、家を建て直していたけれど。


 昭和十年の大審院判例を踏まえると、旧建物のために認められる範囲内で、法定地上権が成立する可能性があった。


 私たちは、事実と法律を整理して内容証明を作成。


 ハルさん本人の名義で発送しました。


 すると。


 あの黒岩が、建物収去要求を撤回したのです。


「……気持ちよかったですねえ」


 私は呟きました。


「何がだ」


「あの黒岩が、自分のハンコで撤回通知を出したところです!」


「お前、まだ喜んでるのか」


「だって!」


 私は拳を握りました。


「『家を壊せ』って怒鳴ってた人が、民法三百八十八条を見せられた途端に大人しくなったんですよ!」


「民法が怖かったんじゃねえ」


「え?」


「自分の理屈が通らない可能性に気づいたんだろ」


 私は少し考えました。


 なるほど。


 黒岩は土地の所有権を持っています。


 それ自体は正しい。


 でも。


 土地の所有者だからといって、あらゆる利用を無制限に決められるわけではない。


 他人の地上権が成立していれば、その権利を尊重しなければならない。


「よし!」


 私は鉛筆を握りました。


「今日は法定地上権を、完全に理解します!」


「昨日もそんなこと言ってなかったか」


「昨日は現場です! 今日は法理です!」


「毎日忙しい奴だな」


 奥から片桐所長が言いました。


「相馬」


「はい」


「付き合ってやれ」


「……またですか」


 よし。


 今日も強制勉強会、開催です。


 ◇


「まず、法定地上権とは何か!」


 私はノートの中央に書きました。


 ――民法第三百八十八条。


 法定地上権。


「簡単に言えば、抵当権の実行によって土地と建物の所有者が別々になった場合に、一定の要件のもとで法律上当然に成立する地上権です」


「そうだ」


「ここで大事なのは、契約していなくても成立することです!」


 私は二重線を引きました。


 普通の地上権なら。


 土地所有者と、土地を利用する人との間で設定契約を結ぶことが考えられます。


 でも。


 法定地上権は違います。


 法律が、成立したものとみなす。


「先輩、これって不思議ですよね」


「何がだ」


「土地を買った人が、地上権なんか認めないって言っても成立するんですよね」


「ああ。要件を満たしていればな」


「黒岩みたいに怒鳴っても?」


「怒鳴ってもだ」


「内容証明を破いても?」


「破いてもだ」


「登記簿に法定地上権の登記がまだなくても?」


 相馬先輩が頷きました。


「成立そのものに登記が必要なわけじゃねえ」


 なるほど。


 法定地上権は、登記によって初めて成立するものではありません。


 ただし。


 成立した権利を第三者に主張できるかという対抗要件の問題は、別にあります。


 そこは混同しないようにしなければなりません。


「つまり、黒岩が何と言おうと、要件が揃えば法律上成立するんですね」


「そうだ」


 私はノートに大きく書きました。


 ――法定地上権は、法律が作る土地利用権。


 そして、ふと思いました。


「所長」


「何だ」


「どうして、こんな制度が必要なんでしょう?」


 所長は六法を閉じました。


「土地と建物は、別の不動産だからだ」


「……あ」


 そうです。


 日本の民法では。


 土地と建物は、別々の不動産として扱われます。


 だから。


 土地だけを売ることもできる。


 建物だけを売ることもできる。


 土地だけに抵当権を設定することもできる。


 建物だけに抵当権を設定することもできる。


「例えば」


 私は言いました。


「Aさんが、自分の土地に自分の家を建てていたとします」


「うん」


「そこに、土地だけ抵当権を設定した」


「うん」


「その後、借金が返せなくなって競売になった」


「そうだ」


「そして、土地だけをBさんが買った」


 私はノートに家の絵を描きました。


 下に土地。


 上に家。


 土地の所有者、B。


 建物の所有者、A。


「このままだと、どうなるんでしょう」


 相馬先輩が答えました。


「建物所有者に土地を使う権利がなければ、土地所有者から建物収去を求められる可能性があるな」


「ですよね!」


 でも。


 最初は土地も建物もAさんのものだった。


 自分の土地に、自分の家を建てている。


 当然、借地契約など結んでいません。


 それなのに。


 競売で土地の所有者が変わった途端、


「土地を使う契約書がないから家を壊せ!」


 と言われたら。


 あまりにも酷い。


「だから、法律が地上権を成立させるんですね」


「そうだ」


 片桐所長が静かに言いました。


「だが、忘れるな」


「はい」


「土地を買った者にも、抵当権者にも、守られるべき利益がある」


 私は頷きました。


 そうです。


 法定地上権を無条件に認めてしまえば、土地の利用価値を大きく制限することになります。


 抵当権者が想定していた担保価値にも影響する。


 だからこそ。


 成立要件が重要なのです。


 ◇


「次は、成立要件です!」


 私はページをめくりました。


 大きく四つの数字を書きます。


 ①抵当権設定当時、建物が存在していたこと。


 ②抵当権設定当時、土地と建物が同一所有者に属していたこと。


 ③土地または建物の一方、あるいは双方に抵当権が設定されたこと。


 ④抵当権の実行による競売で、土地と建物の所有者が異なること。


「この四つが基本ですね」


「ああ」


「そして、何より大事なのが……」


 私は①と②を赤鉛筆で囲みました。


 ――抵当権設定当時。


「ここです!」


 相馬先輩が頷きました。


「ようやく覚えたか」


「覚えました!」


 私は昨日の藤枝家の資料を取り出しました。


 昭和三十二年。


 旧建物建築。


 昭和三十五年。


 土地に抵当権設定。


 昭和五十八年。


 旧建物取り壊し、新建物再築。


 昭和六十三年。


 競売。


「藤枝家では、昭和三十五年が重要だったんですよね」


「そうだ」


「競売された昭和六十三年だけを見てはいけない」


「うん」


「抵当権設定当時、旧建物が存在していて、土地と建物は正一さんの所有でした」


 よし。


 ばっちりです。


 そこで、相馬先輩が言いました。


「じゃあ問題だ」


「はい!」


「昭和三十五年、Aが更地に抵当権を設定した」


「はい」


「昭和四十年、Aがその土地に家を建てた」


「はい」


「昭和五十年、抵当権が実行され、土地をBが買った」


「……」


「法定地上権は?」


「成立しません!」


 私は即答しました。


「理由は?」


「抵当権設定当時、建物が存在していなかったからです!」


「正解」


 私はノートに大きく書きました。


 ――更地に抵当権、その後に建築。原則として法定地上権なし。


「でも、先輩」


「何だ」


「家を建てたとき、銀行が許可していたら?」


「それだけでは駄目だ」


「えっ」


「抵当権者が建築を承知していたからといって、当然に三百八十八条の法定地上権が成立するわけじゃねえ」


 なるほど。


 抵当権設定時に、更地だった。


 その時点では、建物のための法定地上権が成立することを前提として担保価値を考える状況ではない。


 あとから建物を建てたというだけで、当然に地上権を発生させるわけにはいかないのです。


「じゃあ、別の問題」


 相馬先輩が続けました。


「昭和三十五年、土地はA、建物はBの所有だった」


「はい」


「Aが土地に抵当権を設定した」


「はい」


「その後、AがBから建物を買い取った」


「……はい」


「競売のときには、土地も建物もAの所有だった」


「なるほど」


「土地をCが買った。法定地上権は?」


 私は少し考えました。


 競売時には、土地と建物が同じ人のもの。


 でも。


 抵当権設定時には別人。


「……成立しません!」


「そうだ」


「昭和四十四年二月十四日の最高裁判例ですね!」


 私は答えてから、胸を張りました。


 これは昭和六十三年の現在、すでに存在する判例です。


 未来の判例ではありません。


 安心です!


 相馬先輩は頷きました。


「抵当権設定当時に土地と建物が別人の所有だったなら、あとから同一所有者になっても、それだけで法定地上権は成立しねえ」


「はい!」


 私は二重線を引きました。


 ――判断の基準は、競売時ではなく抵当権設定時。


 ……これ。


 行政書士試験では、本当に大切です。


 問題文に、


 ――その後、所有者が同一となった。


 と書いてあっても。


 慌てて飛びついてはいけません。


 抵当権を設定した当時、どうだったか。


 まずそこを見るのです。


 ◇


「さて、こはる」


 片桐所長が声をかけました。


「はい」


「藤枝家の事件で、一番危なかったところは何だ」


「……家を建て直していたことです」


「そうだ」


 私は資料を並べました。


 旧建物。


 昭和三十二年建築。


 新建物。


 昭和五十八年建築。


「ここで黒岩は言いました」


 私は低い声を作りました。


「この家は、抵当権を設定したあとに建ったんだ!」


 相馬先輩が顔をしかめます。


「似てねえ」


「物真似の評価は求めてません!」


 でも。


 黒岩の主張は、完全に的外れというわけではありませんでした。


 抵当権設定当時に建物が存在していること。


 これは重要な要件です。


 問題は。


 存在していた建物が、その後に取り壊されて再築された場合です。


「ここで出てくるのが、昭和十年八月十日の大審院判例ですね」


「そうだ」


 私はノートに書きました。


 ――土地だけに抵当権を設定した後、建物を取り壊して再築した場合。


 旧建物のために法定地上権が成立するはずだったときは、旧建物について認められるのと同一の範囲内で、新建物のためにも法定地上権が成立する。


「つまり、建て直したから絶対に駄目、ではないんですね」


「ああ」


「だから藤枝家は守られたんです」


 もちろん。


 実際に法定地上権が成立するかは、個々の事実関係によって判断されます。


 建物の位置。


 規模。


 利用状況。


 抵当権設定時の事情。


 そうした事実が重要になります。


「所長」


「何だ」


「どうして旧建物の範囲内なんでしょう?」


 所長は少し考えて答えました。


「担保価値だ」


「……担保価値?」


「抵当権を設定したとき、債権者はその土地の価値を判断している」


「はい」


「そこに建物があれば、その建物のための法定地上権が成立する可能性を考慮することになる」


「なるほど」


「だが、その後に巨大な建物へ建て替えて、土地の利用をさらに大きく制限されたらどうだ」


 私は想像しました。


 もともと小さな平家が一軒。


 それが。


 抵当権設定後に、巨大な建物に変わった。


 その建物のために、土地全体を広く使う権利が当然に認められたら。


「抵当権者にとって、予想外の不利益になる可能性がありますね」


「そうだ」


 私は頷きました。


 なるほど。


 再築でも守られる余地がある。


 でも。


 どんな建物に建て替えても無制限に守られるわけではない。


 建物所有者と抵当権者。


 両方の利益の調整が必要なのです。


「先輩!」


「何だ」


「民法って、優しいだけじゃないんですね」


「当たり前だ」


「一方だけを守ると、もう一方が困ることもありますからね」


 私はノートに書きました。


 ――再築した建物は、旧建物を基準に考える。


 そして。


 ふと、思いました。


 ……あれ?


 現代の行政書士試験では。


 再築について、もう一つ重要な判例があったはずです。


 そう。


 平成九年二月十四日。


 最高裁判例。


 私は思わず口を開きました。


「先輩!」


「何だ」


「でも、土地と建物の両方に共同抵当権が設定されていた場合は、また違って……」


「……共同抵当権?」


「はい!」


「どの判例だ」


「平成九年二月十四日です!」


 ……。


 静寂。


 相馬先輩が新聞を置きました。


「こはる」


「はい」


「今、何年だ?」


「……昭和六十三年です」


「平成九年って、いつだ」


「……未来です」


「未来の判例を持ち出すな!」


「すみませんっ!」


 やってしまいました。


 また未来の法律知識です。


 でも。


 私は心の中で、現代の受験知識を思い出していました。


 土地と建物の両方に共同抵当権が設定されていた。


 その後、元の建物を取り壊して、新しい建物を建てた。


 この場合。


 後の平成九年の最高裁判例では、新建物について土地の抵当権と同順位の共同抵当権の設定を受けたなどの特段の事情がない限り、新建物のための法定地上権は成立しないと判断される。


 土地だけに抵当権が設定された場合とは、結論が異なり得るのです。


 なぜか。


 抵当権者が、土地だけを担保に取ったのか。


 それとも、土地と建物を一体として担保に取ったのか。


 その違いが、担保価値の把握に影響するからです。


 ……うん。


 未来の試験では重要です。


 ただし。


 この昭和六十三年の事件で、未来の平成九年判例を引用することはできません。


 私は慌ててノートを閉じました。


「先輩!」


「何だ!」


「今日は昭和十年の判例だけにします!」


「最初からそうしろ!」


 怒られました。


 でも。


 これも転生者の宿命です。


 法律の基本条文が同じでも。


 裁判所による解釈の積み重ねは、時代とともに変わっていく。


 昭和六十三年の法律家は。


 昭和六十三年までに存在する法令と判例で、事件を考えなければならない。


 その当たり前のことを。


 私はまた一つ、学んだのでした。


 ◇


「次は、抵当権の順位です!」


 私は新しいページを開きました。


 ――一番抵当権。


 ――二番抵当権。


「法定地上権って、抵当権が複数あるとさらに難しくなるんですよね」


 相馬先輩が頷きました。


「そうだな」


「先輩。例えば土地に二つの抵当権があった場合です」


 私は図を描きました。


 昭和三十年。


 土地はAの所有。


 建物はBの所有。


 Aが土地に一番抵当権を設定。


 昭和三十五年。


 AがBから建物を買い取る。


 土地と建物がAの所有になる。


 その後、Aが土地に二番抵当権を設定。


「ここまではいいですね」


「ああ」


「では、一番抵当権が実行されて、土地をCが競落したら?」


 私は考えました。


 一番抵当権の設定時。


 土地と建物は別人所有。


 二番抵当権の設定時。


 土地と建物は同一所有者。


 ……。


 あれ?


 どちらを基準にするんでしょう。


 現代の勉強では、平成二年一月二十二日の最高裁判例が重要です。


 土地の先順位抵当権の設定時に法定地上権の成立要件を満たさなかった場合、後順位抵当権設定時に要件を満たしていても、先順位抵当権との関係では法定地上権を認めないという考え方です。


 でも。


 その判例も、まだ未来。


 昭和六十三年には存在しません。


「……先輩」


「何だ」


「土地の一番抵当権者は、最初から土地と建物が別人所有だと知って担保を取っていますよね」


「そうだ」


「そのあと土地と建物が同じ人のものになったからって、当然に法定地上権が成立したら……」


 私は手を止めました。


「一番抵当権者の担保価値が、あとから不利になる可能性があります」


 片桐所長が頷きました。


「そこが問題になる」


 なるほど。


 法定地上権の成立を考えるとき。


 後から設定された抵当権だけを見ればいいとは限らない。


 先順位抵当権者が、どんな土地を担保として把握していたのか。


 そこも考えなければならないのです。


「では、逆に建物に一番抵当権と二番抵当権があった場合は?」


 私は尋ねました。


 相馬先輩が答えます。


「昭和十四年七月二十六日の大審院判例がある」


「はい!」


 これは昭和六十三年でも使える判例です。


 建物の先順位抵当権設定時には土地と建物が別人所有だった。


 しかし。


 その後、土地と建物が同一所有者となり、建物に後順位抵当権が設定された。


 そして、先順位抵当権の実行による競売で、土地と建物の所有者が異なることになった。


 この場合、法定地上権の成立が認められるという判例です。


「……ええっ!」


 私は思わず声を上げました。


「土地の抵当権と建物の抵当権で、考え方が違うんですか!」


「そういう場面がある」


「何でですか!」


 相馬先輩は二枚の紙を取りました。


「土地の抵当権者が守りたいのは、何だ」


「土地の担保価値です」


「建物の抵当権者が守りたいのは?」


「建物の担保価値です」


「その建物が、競売された途端に土地を使えなくなったらどうなる」


 私は想像しました。


 建物だけが競売される。


 買受人が建物を手に入れる。


 でも。


 土地を使う権利がない。


 家を壊さなければならない。


「……建物の価値が大きく下がります」


「そうだ」


 私は頷きました。


 土地の抵当権では、土地の利用価値が問題になる。


 建物の抵当権では、建物を存続させられるかが重要になる。


 同じ法定地上権でも。


 何に抵当権が設定されているのかによって、利益関係が変わるのです。


「なるほど……!」


 私はノートに書きました。


 ――土地の抵当権と建物の抵当権は、同じように考えてはいけない。


 ただし。


 ここは単純な語呂合わせだけで片づけてはいけません。


 抵当権の設定時期。


 順位。


 土地と建物の所有関係。


 競売の対象。


 それらを具体的に確認する必要があります。


 そして、現代ではその後の判例も踏まえて整理することになる。


「先輩」


「何だ」


「法定地上権、四つの要件だけ覚えれば終わりだと思ってました」


「甘いな」


「甘かったです……」


「試験問題に『一番抵当権』『二番抵当権』って出てきたら、まず時系列を書け」


「はい!」


 私は鉛筆で大きく書きました。


 ――順位問題は、時間を並べる。


 これも忘れません。


 ◇


「さて」


 相馬先輩が、昨日の最後に見せた相談票を取り出しました。


「本題だ」


「……来ましたね」


 私は身構えました。


 土地の共有。


 あの問題です。


「土地はAとBの共有」


「はい」


「建物はAの単独所有」


「はい」


「Aが自分の土地共有持分に抵当権を設定した」


「はい」


「その持分が競売された。法定地上権は成立するか?」


 私は鉛筆を止めました。


 ……。


 これ。


 一見すると、成立しそうです。


 Aは土地の共有者。


 Aは建物の所有者。


 建物も存在している。


 抵当権もある。


 競売で土地の共有持分が別の人に移った。


 でも。


 何かおかしい。


「先輩」


「何だ」


「土地のもう一人の共有者、Bさんはどうなるんですか?」


 先輩が頷きました。


「そこだ」


「Aさんが勝手に抵当権を設定しただけで、Bさんの土地持分まで法定地上権の負担を受けるんでしょうか?」


「受けるべきだと思うか?」


「……思いません」


 私はノートを見つめました。


 Bさんは、建物の所有者ではありません。


 Aさんが借金をしたからといって。


 Bさんの同意なく、共有土地全体に地上権が成立してしまったら。


 Bさんの権利が不当に制限される。


「だから……」


 私は顔を上げました。


「この場合、法定地上権は成立しません!」


「正解」


 やった!


「昭和二十九年十二月二十三日の最高裁判例ですね!」


「ああ」


 私はノートに書きました。


 ――土地がA・B共有、建物がA単独所有。


 ――Aの土地共有持分に抵当権。


 ――法定地上権は成立しない。


 ここで大切なのは。


 法定地上権が土地の利用を認める強い権利だということ。


 だからこそ。


 抵当権を設定していない共有者の利益を、勝手に犠牲にはできないのです。


「なるほど……!」


 私は頷きました。


「所長!」


「何だ」


「法定地上権って、家を守るためなら誰の土地でも使っていい制度じゃないんですね!」


「そうだ」


 その言葉が、胸に落ちました。


 次。


「じゃあ、今度は逆です」


 相馬先輩が言いました。


「土地はAの単独所有」


「はい」


「建物はAとBの共有」


「はい」


「Aが土地に抵当権を設定した」


「はい」


「競売で土地をCが買った」


 私は考えました。


 土地はAだけのもの。


 建物はAとBの共有。


 ……あれ?


 今度は、建物の共有者Bさんがいます。


「先輩」


「何だ」


「これも駄目なんでしょうか?」


「考えてみろ」


 私はしばらく黙りました。


 土地はAの単独所有。


 つまり、土地に抵当権を設定したのは、土地全体を処分できるAです。


 建物はAとBの共有。


 もし法定地上権を認めなければ。


 Aだけでなく、Bの建物持分の価値にも影響します。


 でも。


 土地の単独所有者Aは、建物が存在することを前提に土地に抵当権を設定していた。


「……あ!」


 私は顔を上げました。


「この場合は、法定地上権が成立します!」


「そうだ」


「昭和四十六年十二月二十一日の最高裁判例ですね!」


 私は嬉しくなりました。


 土地が単独所有。


 建物が共有。


 この場合には、建物共有者のために法定地上権が成立する。


 つまり。


 土地が共有なのか。


 建物が共有なのか。


 その違いで、結論が変わるのです。


「先輩!」


「何だ」


「ややこしすぎませんか!」


「だから勉強してるんだろ」


「そうですけど!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――土地共有・建物単独は不成立となる典型。


 ――土地単独・建物共有は成立する典型。


 そして。


 横に小さく書き足しました。


 ――ただし、具体的な所有関係と抵当権の対象を必ず確認。


 これなら。


 試験でひっかけられても、間違えません。


 ……たぶん。


「たぶん、って顔してるぞ」


 相馬先輩が笑いました。


「顔で分かるんですか!」


「分かる」


 私は頬を膨らませました。


 でも。


 ここまで整理すると、法定地上権が急に面白くなってきました。


 単に四つの条件を暗記するだけではない。


 土地と建物。


 抵当権者。


 共有者。


 競売の買受人。


 それぞれの権利を、どう調整するか。


 その考え方が、判例の結論につながっているのです。


 ◇


「ちなみに」


 私はノートの端に、もう一つ図を描きました。


 土地はAとBの共有。


 建物はAとCの共有。


 そして、Aの借金を担保するために、AとBがそれぞれ土地の共有持分に抵当権を設定する。


 ……。


 これは。


 現代の受験勉強で見たことがあります。


 平成六年十二月二十日の最高裁判例。


 この事案では、共有土地上に法定地上権は成立しないと判断されました。


 他の土地共有者が抵当権を設定していたとしても、それだけで建物のための法定地上権を認めることを承諾していたとはいえない場合があるのです。


 ……。


 私は鉛筆を止めました。


「こはる?」


 相馬先輩がこちらを見ています。


「何だ、その図は」


「あっ!」


 しまった。


 未来の判例です。


 またやってしまいました。


「い、いえ!」


「何だ」


「共有がもっと複雑になったら、どうなるのかなって!」


「今でも十分複雑だろ」


「そうですよね!」


 私は慌ててページをめくりました。


 でも。


 心の中では、少し感心していました。


 昭和の判例で示された、共有者の利益を守る考え方。


 それが、平成の判例でも重要な意味を持つ。


 時代が変わっても。


 民法の根っこにある公平の考え方は、つながっているのです。


 ◇


「さて」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「もう一つ、忘れてはいけないことがある」


「何でしょう?」


「地代だ」


「あっ!」


 私は顔を上げました。


 法定地上権が成立すると、建物所有者は土地を使うことができます。


 でも。


 土地を無料で使えるとは限りません。


「藤枝ハルさんも、地代を決める必要があるんですよね」


「そうだ」


 私は六法を開きました。


 民法第三百八十八条。


 後段。


 地代は、当事者の請求により、裁判所が定める。


「つまり、法定地上権が成立しても、土地所有者の利益は完全に無視されるわけではないんですね」


「ああ」


「黒岩にも、土地所有者として地代を受け取る利益があります」


「そうだ」


 もちろん、まず当事者間で合意できれば、その内容を定めることになります。


 合意できなければ、当事者の請求によって裁判所が地代を定める。


「先輩」


「何だ」


「法定地上権って、土地を取り上げる制度じゃないんですね」


「当たり前だろ」


「土地は黒岩のもののまま」


「ああ」


「家はハルさんのもののまま」


「そうだ」


「そして、ハルさんが土地を使うための地上権が成立する」


 私は頷きました。


 これです。


 土地の所有権。


 建物の所有権。


 地上権。


 この三つを混同してはいけません。


 法定地上権があるから、土地も建物所有者のものになる。


 これは間違い。


 反対に。


 土地を競売で買ったから、建物も土地買受人のものになる。


 これも間違い。


「だから黒岩は、土地の所有権を持っていても、当然には家を壊せなかったんですね」


「そうだ」


 私はノートに大きく書きました。


 ――土地の所有権と、土地を利用する権利は別。


 うん。


 ここも重要です。


 ◇


 時計を見ると、午後六時を過ぎていました。


 窓の外は、すっかり夕暮れ。


 私はノートを見直しました。


 法定地上権。


 成立要件は四つ。


 抵当権設定当時の建物の存在。


 抵当権設定当時の同一所有。


 抵当権の設定。


 抵当権実行による所有者の分離。


 そして。


 再築。


 順位。


 共有。


 地代。


 ……。


「先輩」


「何だ」


「多すぎません?」


「何が」


「論点です!」


 相馬先輩が笑いました。


「一つの条文で、これだけ考えられるなら得したじゃねえか」


「全然得してません!」


「試験問題を何問も解けるぞ」


「そういう得ですか!」


 私は溜息をつきました。


 でも。


 少しだけ、気持ちは分かります。


 以前の私は、法定地上権を四つの要件で丸暗記していました。


 建物あり。


 同一所有。


 抵当権あり。


 競売で別人。


 それだけ。


 でも。


 藤枝ハルさんの事件を経験して。


 初めて、それぞれの言葉の重みが分かった気がします。


 抵当権設定当時。


 この一言。


 教科書では、ただの時点の指定です。


 でも。


 現場では。


 昭和三十五年の登記簿を探し。


 昭和三十二年の建物の記録を探し。


 誰が所有していたかを確認し。


 古い建物と新しい建物を比べる。


 それだけの仕事が必要でした。


 そして。


 その記録が見つからなければ。


 ハルさんの家を守るための主張は、ずっと難しくなっていたでしょう。


「……法律って」


 私は呟きました。


「覚えるだけじゃ駄目なんですね」


 所長が頷きました。


「そうだ」


「条文を知っていても、事実が分からなければ使えない」


「うん」


「逆に、事実がきちんと揃えば、昔の判例が今の暮らしを守ることもある」


「そういうことだ」


 私は静かに頷きました。


 そして。


 最後のページを開きました。


「所長」


「何だ」


「確認問題、お願いします!」


 相馬先輩が呆れた顔をしました。


「まだやるのか」


「最後の仕上げです!」


 片桐所長は、少し考えてから言いました。


「抵当権設定時に更地だった。その後、建物を建てた。法定地上権は?」


「原則として成立しません!」


「抵当権設定時には、土地と建物が別人所有。その後、同じ人の所有となったら?」


「そのことだけでは成立しません!」


「土地だけに抵当権を設定したあと、建物を再築したら?」


「旧建物のために成立すべき法定地上権と同一の範囲内で、成立する余地があります!」


「土地がA・B共有で、建物がA単独所有。Aの土地共有持分に抵当権を設定したら?」


「原則として法定地上権は成立しません!」


「土地がA単独所有、建物がA・B共有。土地に抵当権を設定したら?」


「要件を満たせば法定地上権が成立します!」


 よし!


 所長が頷きました。


「最後だ」


「はい!」


「法定地上権が成立したら、土地の所有権は誰のものになる」


「競売で土地を取得した買受人のものです! ただし法定地上権の負担を受けます!」


「地代は?」


「合意できなければ、当事者の請求によって裁判所が定めます!」


 所長が短く言いました。


「よし」


 私は思わず拳を握りました。


 完璧!


「じゃあ、俺からも一問」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「昭和六十三年の裁判で、平成九年の最高裁判例は使えるか?」


「使えません!」


「よし」


「まだ存在してませんから!」


「そうだ」


「未来の判例を引用したら、怪しまれます!」


「未来って何だよ!」


 ……。


 危ない。


 また余計なことを言いました。


 私は慌ててノートを閉じました。


「き、気にしないでください!」


「気になるだろ!」


 相馬先輩が眉をひそめます。


 私は笑ってごまかしました。


 でも。


 これも重要な教訓です。


 現代の行政書士試験では、平成以降の判例も踏まえて問題を解く。


 しかし。


 昭和六十三年の実務では、その時点で存在する法令と判例を使う。


 法律の基本的な考え方を理解すること。


 そして、いつの時代の法令や判例なのかを正確に把握すること。


 どちらも欠かせないのです。


 ◇


 私はノートの最後の一行を考えました。


 法定地上権。


 土地を買ったからといって、家を壊せるとは限らない。


 でも。


 家が建っているからといって、必ず守られるわけでもない。


 大切なのは。


 抵当権設定当時。


 そして、土地と建物の所有関係。


 私は鉛筆を走らせました。


 ――法定地上権は「設定時に家があったか、同じ人のものだったか」から考える。


「……できた!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「まあ、覚えやすいんじゃねえか」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、きっと忘れません。


 藤枝ハルさん。


 三十年以上暮らした土地が競売にかけられた。


 悪徳不動産屋から、十日以内に家を壊せと言われた。


 でも。


 昭和三十五年の抵当権設定当時。


 すでに家が存在していた。


 土地も建物も、亡くなったご主人の所有だった。


 その事実が。


 法定地上権の成立を主張する大切な根拠になった。


 もし抵当権設定時に更地だったら。


 もし土地と建物が別人所有だったら。


 同じ結論にはならなかったかもしれません。


 ほんの少しの違いです。


 でも。


 その違いが、人の暮らしを左右する。


 だからこそ。


 行政書士は、登記簿を調べる。


 古い図面を探す。


 当事者から事情を聞く。


 条文と判例を照らし合わせる。


 そして。


 本人が自らの権利を適切に主張できるよう、書類を整える。


 争いが訴訟に進むなら、弁護士へ引き継ぐ。


 その一歩手前で。


 法律を知らない人が、不当な要求に屈しないように支える。


 それも、大切な仕事なのです。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今日は、もう勉強終わりか?」


「はい!」


「じゃあ、机を片付けろ」


「……またですか」


「見習いだろ」


「はい……」


 私は六法を棚に戻しました。


 そのとき。


 所長が帳簿から顔を上げました。


「相馬」


「はい」


「藤枝さんから電話があった」


「何でしょう」


「地代について、専門家に相談しながら話を進めるそうだ」


「そうですか」


「建物を壊せという要求は、改めて撤回されたことを確認したそうだ」


 私は顔を上げました。


「本当ですか!」


「ああ」


 所長は頷きました。


「それから、伝言がある」


「伝言?」


「柿が、今年も甘かったそうだ」


 ……。


 私は思わず笑いました。


 ハルさんの家。


 庭の柿の木。


 昭和三十二年に、ご主人が植えた木。


 あの木も、今日も庭に立っているのでしょう。


 家を壊せと怒鳴られた日。


 ハルさんは、きっと怖かったと思います。


 土地が他人のものになる。


 家を壊さなければならないかもしれない。


 思い出も、暮らしも、失ってしまうかもしれない。


 でも。


 民法三百八十八条と、古い判例がありました。


 そして。


 事実を調べ、正しい書面を作ることで。


 家を守るための道が開かれたのです。


「……先輩」


「何だ」


「法定地上権って、やっぱり優しい法律ですね」


「そうか?」


「はい」


 私は窓の外を見ました。


 夕暮れの町。


 家々の屋根が並んでいます。


 あの一軒一軒に、誰かの生活がある。


 誰かの思い出がある。


 誰かが、明日も帰ってくる場所がある。


 法律は。


 土地の所有権だけを見ているわけではない。


 建物の所有権だけを見ているわけでもない。


 その両方の権利をどう調整するか、考えているのです。


「先輩」


「何だ」


「法定地上権の四要件、もう忘れません!」


「本当か?」


「はい!」


「じゃあ明日、共有の応用問題を十問出すぞ」


「……え?」


「土地共有、建物共有、抵当権の順位。全部混ぜる」


「ちょっと待ってください!」


「何だ」


「それ、絶対難しいじゃないですか!」


「当たり前だろ」


「先輩!」


「何だ!」


「私の勉強時間にも、法定地上権を設定してください!」


「は?」


「そうすれば、私の休憩時間を勝手に取り壊せません!」


 相馬先輩が黙りました。


 そして。


「こはる」


「はい!」


「勉強時間は土地じゃねえ」


「……はい」


「休憩時間は建物じゃねえ」


「……はい」


「そもそも抵当権が設定されてねえ!」


「……!」


 私は机に突っ伏しました。


「駄目ですか……」


「当たり前だ!」


 所長が小さく笑いました。


 ……なるほど。


 どうやら。


 法定地上権は、建物を守ることはできても。


 受験生の休憩時間までは、守ってくれないようです。


 残念。


 でも。


 私はノートの最後の一行を、もう一度読みました。


 ――法定地上権は「設定時に家があったか、同じ人のものだったか」から考える。


 よし。


 これなら大丈夫。


 抵当権設定当時。


 その言葉を見たら。


 私はきっと思い出します。


 藤枝ハルさんの家。


 古い登記簿。


 昭和十年の大審院判例。


 そして。


 庭の柿の木。


 三十年前の家があったという事実が。


 今の家を守る力になる。


 それが。


 法定地上権という、少し不思議で、とても大切な民法の仕組みなのです。


「こはる!」


「はい!」


「ノート見てねえで片付けろ!」


「今、法定地上権の成立要件を確認してたんです!」


「確認は終わっただろ!」


「先輩!」


「何だ!」


「私の休憩時間には、まだ抵当権が設定されていません!」


「だから何だ!」


「今なら自由に使えます!」


「使うな! 仕事しろ!」


 ……。


 どうやら。


 私の休憩時間を守るためには。


 民法三百八十八条よりも。


 相馬先輩を説得する別の法律が必要なようです。


 そして。


 その法律は、残念ながら。


 今日の六法には、見つかりませんでした。

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