[民法・留置権]現場編 「修理代を払うまで返さない」の罠。人質にされた父の懐中時計と、悪徳時計店が見落とした民法二九八条の逆襲
他人のものを預かっているからといって、好きにしていいわけではありません。
たとえば。
大切な時計を修理に出したとします。
修理代金を払わなければ、時計屋さんは返してくれない。
それは、法律上認められることがあります。
でも。
その時計屋さんが、預かった時計を勝手に誰かに貸し出していたら?
あるいは。
時計とはまったく関係のない借金まで持ち出して、
「全部払わなければ返さない」
と言い出したら?
そんなことまで、法律は許しているのでしょうか。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
その日の私は、民法の中でも、少し変わった権利と出会うことになります。
留置権。
読み方は、りゅうちけん。
文字どおり、他人のものを手元に留めておく権利です。
ただし。
この権利。
使い方を間違えると。
他人の財産を守るための法律が、今度は自分に牙をむくことになるのです。
「父の時計を、取り返していただけませんか」
十月の冷たい雨が降る朝。
事務所を訪れた女性は、そう言って頭を下げました。
名前は、杉浦千鶴さん。
三十四歳。
駅前で小さな洋裁店を営んでいるそうです。
膝の上には、古びた布袋。
その中から取り出したのは、一枚の写真でした。
銀色の懐中時計。
蓋には小さな桜の模様。
鎖の先には、使い込まれた金具がついています。
「立派な時計ですね」
私が言うと、千鶴さんは寂しそうに笑いました。
「父の形見なんです」
「お父様の?」
「はい。父は国鉄で働いていました。去年、亡くなったんですけど……」
その時計は、父親が四十年近く使っていたものだそうです。
列車の時刻を確かめるため。
毎朝、決まった時間に蓋を開ける。
カチリ。
小さな音がする。
その音を、千鶴さんは子供の頃から聞いて育ったといいます。
「父はね、よく言っていたんです」
千鶴さんが写真を撫でました。
「時計が正確なら、人との約束を守れるって」
私は黙って聞いていました。
「それで、亡くなる少し前に、私にくれたんです。でも、今年になって動かなくなってしまって……」
「修理に出したんですね」
「はい」
駅前商店街にある、黒田時計店。
古い時計の修理を請け負う店です。
店主は黒田源蔵。
五十五歳。
千鶴さんは、懐中時計をそこへ預けました。
修理代金は五万円。
昭和六十三年の五万円です。
決して安い金額ではありません。
「それでも、どうしても直したかったんです」
「はい」
「最初に二万円を払いました。残り三万円は、修理が終わったら払う約束でした」
私は頷きました。
ところが。
修理が終わったという連絡を受けて店へ行くと、黒田は突然こう言ったそうです。
「時計を返してほしければ、二十三万円持ってこい」
私は瞬きしました。
「……二十三万円?」
「はい」
「修理代は、残り三万円ですよね?」
「そうなんです」
「じゃあ、残り二十万円は?」
千鶴さんが唇を噛みました。
「昔、父が黒田さんから借りたお金だそうです」
私は椅子から少し身を乗り出しました。
「借金?」
「父が亡くなる前に、二十万円を借りていたと言うんです」
「証拠はありますか?」
「借用書を見せられました。でも……」
「でも?」
「私、そんな話、一度も聞いたことがないんです」
なるほど。
父親の借金。
その存在自体、まだ確かめる必要があります。
相続による債務の承継という問題もあります。
でも。
私は別のことが気になりました。
「黒田さんは、その二十万円も払わないと時計を返さないと言ったんですね?」
「はい」
千鶴さんは、鞄から一枚の紙を取り出しました。
黒田時計店から渡された書面です。
私は読みました。
――本件懐中時計について、修理代金残額三万円及び旧貸付金二十万円の完済まで、民法第二百九十五条に基づく留置権を行使する。
……。
出ました。
民法二九五条。
留置権です。
「相馬先輩!」
「何だ、朝から騒々しい」
「これ、留置権ですよね!」
「見りゃ分かる」
「でも、絶対おかしいです!」
私は勢いよく言いました。
「時計の修理代金は分かります。でも昔の借金まで時計を人質に取るなんて!」
相馬先輩が書面を受け取りました。
そして、口元を少し曲げました。
「ほう。面白いことを書いてやがる」
「ですよね!」
「だが、こはる」
「はい」
「まず、相手が正しく使ってる部分も見ろ」
「え?」
「修理代三万円だ」
私は止まりました。
先輩は六法を開きました。
「時計を預かって修理した。修理代が残っている。支払期限も来ている。だったらどうなる?」
「……留置権が成立する可能性があります」
「そうだ」
「でも二万円は払っているんですよ?」
「それがどうした」
「五万円のうち、二万円も払ってるんです!」
「だから?」
「時計を少しぐらい返しても……」
「時計のどの部分を返すんだよ」
「……あ」
私は固まりました。
時計の半分。
歯車を三個。
長針だけ。
……いやいや。
そんなもの返されても困ります!
相馬先輩が笑いました。
「民法二九六条。留置権の不可分性だ」
「不可分性……」
「債権の全部について弁済を受けるまで、留置物の全部を留置できる」
私は唸りました。
なるほど。
修理代五万円。
うち二万円支払済み。
残り三万円。
その三万円が弁済期にあれば、時計全体を留置できる。
たとえ残額が少なくなっても。
時計を三万円分だけ切り離して留置するわけではない。
「じゃあ……」
私は千鶴さんを見ました。
「黒田さんが時計を返さないこと自体は、正当な場合もあるんですね」
千鶴さんの顔が曇りました。
「そんな……」
「ただし!」
私は慌てて続けました。
「二十万円の借金は、別問題です!」
相馬先輩が頷きました。
「そこだ」
私はもう一度、民法二九五条を読みました。
他人の物の占有者。
その物に関して生じた債権。
弁済を受けるまで留置できる。
その物に関して。
私は赤鉛筆で、その部分に線を引きました。
「先輩!」
「何だ」
「修理代金は時計に関係しています。でも昔の貸付金は……」
「時計に関係ねえな」
「ですよね!」
私は机を叩きそうになりました。
危ない。
また所長に怒られるところでした。
「つまり、修理代三万円については留置権が成立しても、関係のない二十万円まで留置権で担保できるわけじゃない!」
「そういうことだ」
千鶴さんが顔を上げました。
「じゃあ、三万円を払えば、返してもらえるんですか?」
「原則として、その修理代金債権が全額弁済されれば、それを理由とする留置権はなくなります」
私は答えました。
でも。
千鶴さんの顔は、まだ晴れませんでした。
「……実は、もう一つあるんです」
「何でしょう?」
千鶴さんが、鞄の中から写真を二枚取り出しました。
「黒田さん、父の時計を……」
その声が震えました。
「勝手に、ほかの人に貸していたんです」
写真を見た瞬間。
私は言葉を失いました。
一枚目。
洋館のような建物。
豪華なテーブル。
花瓶。
蝋燭。
そして、銀色の懐中時計。
二枚目。
時計の蓋が開かれ、鎖が飾り棚から垂れ下がっています。
私は写真と、最初に見せられた時計の写真を見比べました。
桜の模様。
鎖の金具。
蓋の小さな傷。
同じです。
「これ……」
「駅前の写真館の広告です」
千鶴さんが言いました。
「結婚式の記念写真に使う小道具だそうです」
「小道具……?」
「黒田さんが、古い時計を貸し出しているらしいんです」
私は眉をひそめました。
「それ、千鶴さんは承諾したんですか?」
「いいえ!」
千鶴さんは即座に答えました。
「そんなこと、一度も!」
その声が、事務所に響きました。
「父の時計なんです。知らない人の飾りにするために修理したんじゃありません!」
私は写真を握りしめました。
……ひどい。
しかも。
もっと嫌なことが頭をよぎりました。
留置権。
他人のものを預かっている人が、返還を拒める権利。
でも。
返さなくていいからといって。
勝手に貸してお金を稼いでいいのでしょうか。
「先輩!」
「分かってる」
相馬先輩が六法をめくりました。
「二九八条だ」
「二九八条……」
私は条文を覗き込みました。
――善良な管理者の注意をもって、留置物を占有しなければならない。
そして。
――債務者の承諾を得なければ、留置物を使用し、賃貸し、又は担保に供することができない。
私は息を呑みました。
「ある!」
「ああ」
「勝手に貸しちゃ駄目って、ちゃんと書いてあります!」
「ただし、保存に必要な使用は別だぞ」
「分かってます! でも結婚写真の小道具にするのは、保存に必要な使用じゃありません!」
相馬先輩が笑いました。
「そうだな」
私は勢いよく続けました。
「だったら、契約不適合責任で……!」
「……何だって?」
先輩が止まりました。
あ。
しまった。
またです。
未来の民法。
現代の受験勉強で覚えた言葉が、口から飛び出しました。
「い、いえ! 何でもありません!」
「契約……何とか?」
「忘れてください!」
「妙な言葉を作るな」
私は額を押さえました。
契約不適合責任。
それは、令和の民法で使う言葉。
昭和六十三年にはありません。
当時の売買に関する制度では、瑕疵担保責任という用語が使われています。
でも。
今回は、そもそも欠陥品を売られた事件ではない。
留置権の問題です。
「こはる」
片桐所長が静かに言いました。
「二九八条の続きを読め」
「はい?」
「第三項だ」
私は六法に目を戻しました。
そして。
そこに書かれていた一文を読んで、思わず声を上げました。
「……えっ!」
――留置権者が前二項の規定に違反したときは、債務者は、留置権の消滅を請求することができる。
消滅。
留置権の、消滅。
「所長!」
「何だ」
「これ……!」
「ああ」
「勝手に貸したら、留置権そのものを消滅させられるんですか!?」
「違反が認められ、適法に消滅請求がされればな」
私は固まりました。
待ってください。
留置権。
修理代金を払ってもらうために時計を預かり続ける権利。
その権利を持っている人が、預かり物を勝手に使ったり貸したりしたら。
権利を失う。
……つまり。
「黒田さん、自分で自分の武器を壊してるじゃないですか!」
相馬先輩がにやりとしました。
「気づいたか」
片桐所長は、写真をじっと見ていました。
「まず、事実を固める」
「はい!」
「本当に同じ時計なのか。誰に、いつ、何のために貸したのか。承諾はあったのか」
「はい!」
「そこを証明できなければ、条文だけでは動かせん」
私は頷きました。
そうです。
民法二九八条。
強力です。
でも。
写真だけで、すべてを決めつけてはいけない。
相手が、
「似た時計だ」
と言い逃れするかもしれません。
「相馬」
所長が言いました。
「写真館へ行ってこい」
「了解です」
「こはるも連れていけ」
「はい!」
所長が最後に言いました。
「修理代債権と留置権は、別々に考えろ」
「……別々?」
「留置権が消えても、正当な修理代金まで消えるわけではない」
私はハッとしました。
そうか。
留置権の消滅。
それは、時計を留め置く権利が消えること。
修理代金債権まで当然に消滅するわけではない。
「分かりました!」
私は手帳を握りました。
いよいよです。
時計屋の主人は、民法を盾にしていました。
だったら。
今度はこちらが、民法の裏側を見せる番です。
「似た時計なんて、いくらでもありますよ」
翌日。
黒田時計店。
店主の黒田源蔵は、私たちの顔を見るなり鼻で笑いました。
店内には、大小さまざまな時計が並んでいました。
柱時計。
置時計。
腕時計。
壁には古い振り子時計。
チクタク。
チクタク。
音だけは、やけに正確です。
「杉浦さんの時計のことで、事実関係を確認したいのですが」
相馬先輩が言いました。
黒田は腕を組みました。
「またその話か」
「はい」
「修理代も払わねえくせに、返せ返せってうるさいんだよ」
私は口を開きかけました。
でも、先輩が目で制します。
「留置権を主張されているんですね」
「ああ」
黒田は得意そうに答えました。
「民法二九五条だ。知ってるか?」
「ええ」
「なら話は早い。金を払うまで返さねえ」
「修理代金の残額は三万円ですね」
「それと二十万円だ」
「昔の貸付金ですね」
「そうだ」
黒田は机を叩きました。
「親父が借りた金だ。娘が相続したんだから払って当然だろうが」
「貸付金については、契約の成立や相続関係など、別途確認が必要です」
「借用書がある!」
「拝見できる範囲で、資料を確認したいということです」
黒田が舌打ちしました。
「行政書士風情が偉そうに」
うわ。
来ました。
行政書士を軽く見る悪徳業者の定番台詞。
私は反論しようとしました。
ですが。
「そうですか」
相馬先輩は、表情ひとつ変えません。
「では、時計は現在、こちらのお店にありますか」
「あるに決まってるだろ」
「今、確認できますか」
「何でだよ」
「預けられた物の所在を確認したいだけです」
黒田の目が、一瞬泳ぎました。
私は見逃しませんでした。
「……奥の倉庫だ」
「そうですか」
「何だよ。俺が売ったとでも思ってるのか?」
「売却されたとは申し上げていません」
先輩は淡々と答えました。
「ただ、写真館で使われていた時計とよく似ているようですので」
黒田の肩が、わずかに動きました。
「……写真館?」
「はい」
先輩は写真を一枚、机の上に置きました。
黒田はちらりと見ました。
そして笑いました。
「馬鹿馬鹿しい」
「そうですか」
「こんな時計、ほかにもある」
「なるほど」
「それに、仮に俺が貸したとしても、何が悪い?」
……。
私は思わず顔を上げました。
今。
仮に貸したとしても。
そう言いましたね?
黒田は続けました。
「こっちは修理代ももらってねえんだ。預かってる間、どう使おうが俺の勝手だろ」
私は思いました。
……ああ。
これは。
自分で墓穴を掘る人だ。
「そうですか」
相馬先輩は静かに頷きました。
「お考えは分かりました」
「だったら帰れ!」
「失礼します」
先輩は立ち上がりました。
私も慌てて後を追います。
店を出たところで、私は我慢できなくなりました。
「先輩!」
「何だ」
「何で言わないんですか!」
「何を」
「民法二九八条ですよ!」
「知ってる」
「勝手に貸したら留置権の消滅請求ができるって!」
相馬先輩は歩きながら言いました。
「こはる」
「はい!」
「俺たちは、依頼人の代理人として相手と法律紛争の示談交渉をする立場じゃねえ」
「……はい」
「事実を確かめて、本人名義の書類を整える。それが俺たちの仕事だ」
「でも、あんなに偉そうに……!」
「偉そうにさせとけ」
「え?」
「法律を知らねえ奴ほど、口が軽くなる」
先輩は煙草を取り出しました。
「今ので分かったろ」
「何がですか?」
「奴は、留置権があれば時計を自由に使えると思ってる」
「……はい」
「なら、わざわざその場で教えてやる必要はねえ」
先輩は煙草に火をつけました。
「必要なのは、本人のための正確な書面だ」
私は頷きました。
口で勝つのではない。
証拠で逃げ道を塞ぐ。
それが、この事務所の戦い方です。
写真館で確認できたことは、想像以上でした。
「ええ、黒田さんからお借りしましたよ」
写真館の主人は、あっさり認めました。
名前は、野口隆一。
四十二歳。
事情を説明すると、保管していた台帳を見せてくれました。
そこには。
――銀製懐中時計一個。
――貸出期間、九月十二日から九月十八日。
――貸出料、一万円。
――貸主、黒田時計店。
記載がありました。
さらに。
貸出票の控えには、時計の特徴まで書かれていました。
桜模様の蓋。
鎖の先端に傷。
裏蓋内側に刻印。
――S.S.
「これ……!」
私は息を呑みました。
千鶴さんのお父さん。
杉浦清三。
イニシャルは、S.S.です。
「先輩!」
「ああ」
「間違いない可能性が高いですね!」
「まだ確認するぞ」
先輩は慎重でした。
写真館の主人に事情を尋ねます。
貸し出された時計は、結婚写真の小道具として使用されたこと。
撮影後、黒田時計店へ返却したこと。
黒田から、
「店で預かっている時計だが、しばらくなら貸せる」
と説明されたこと。
そして。
「持ち主の許可が必要じゃないですか、と聞いたんですけどね」
野口さんは困った顔をしました。
「黒田さんが、店にある時計だから問題ないって」
私は手帳に書き込みました。
問題ない。
……問題、大ありです。
野口さんは、自分が見聞きした事実について確認書を作ることに協力してくれました。
貸出日。
返却日。
貸出料。
時計の特徴。
黒田の発言。
写真館に残っていた貸出票の写しも、提供してくれました。
もちろん。
野口さん自身が黒田とどんな契約を結んだのかは、別の話です。
でも。
千鶴さんの時計が、承諾なく第三者へ貸し出されたことを裏付ける資料が揃いつつありました。
帰り道。
私は手帳を見ながら呟きました。
「一万円……」
「何だ」
「黒田さん、千鶴さんの時計で一万円稼いでるんですよね」
「そうだな」
「なのに、修理代三万円を払えって」
「修理代金と貸出料は、別の問題だ」
「そうですけど!」
私は唇を尖らせました。
「納得いきません!」
相馬先輩が笑いました。
「じゃあ、民法をもう少し読め」
「え?」
「二九七条」
私は立ち止まりました。
民法二九七条。
留置権者による果実の収取。
留置物から生ずる果実を収取し、債権の弁済に充当できる。
「……あれ?」
私は首をかしげました。
「先輩!」
「何だ」
「これ、留置権者がお金を受け取れるって書いてあります!」
「ああ」
「じゃあ黒田さん、合法なんですか!?」
「落ち着け」
先輩は苦笑しました。
「果実の収取が認められることと、勝手に物を賃貸できることは別だ」
「……あ!」
「二九七条があるから二九八条の承諾がいらなくなる、なんて話じゃねえ」
私は頷きました。
そうか。
留置権者には、一定の果実を収取する権利がある。
しかし。
その権利があるからといって、勝手に時計を貸し出すことまで許されるわけではない。
条文を一つだけ読んで飛びついてはいけない。
民法は、複数の条文を組み合わせて読む必要がある。
「難しいですね……」
「だから面白いんだろ」
「先輩がそれを言うんですか!」
「何だ、悪いか」
私は笑いました。
でも。
今日の留置権。
かなり奥が深いです。
事務所に戻ると、片桐所長が資料を並べました。
修理依頼票。
二万円の領収書。
修理完了の通知。
時計の写真。
写真館の貸出票。
野口さんの事実確認書。
そして、千鶴さんが署名した、無断使用・無断賃貸を承諾していない旨の確認書。
「こはる」
「はい!」
「内容証明の原案を書け」
「分かりました!」
私は机に向かいました。
まず、何を書くか。
頭の中で整理します。
留置権の成立要件。
一つ目。
債権と物との牽連性。
修理代金債権は、時計の修理によって生じた債権。
関係あり。
二つ目。
弁済期。
修理完了時に残代金を支払う約束。
修理は完了している。
支払期限到来。
三つ目。
他人の物の占有。
黒田時計店が、千鶴さん所有の時計を預かっている。
四つ目。
占有が不法行為によって始まったものではないこと。
今回は、千鶴さんが自分で修理に出した。
したがって、当初の占有は適法です。
「……うう」
私は呻きました。
相馬先輩が新聞から顔を上げます。
「どうした」
「最初の留置権、成立しちゃうんです」
「当たり前だろ」
「悪徳時計屋なのに!」
「悪徳だから全部の権利が消えるわけじゃねえ」
先輩は新聞を畳みました。
「いいか、こはる。法律は悪党を罰するためだけにあるんじゃねえ」
「はい」
「正当に修理したなら、正当な修理代は払ってもらう。それは守られるべき利益だ」
「……はい」
「ただし、それを口実にして何でもできるわけじゃない」
私は頷きました。
なるほど。
黒田の修理代金債権。
それ自体は、きちんと認めなければならない。
でも。
別の二十万円を一緒に担保すること。
預かった時計を勝手に貸すこと。
それは違う。
「所長!」
「何だ」
「留置権が消滅しても、三万円の修理代金は残るんですよね?」
「そうだ」
「千鶴さん、三万円は払う意思があります」
「確認したか」
「はい。昨日、支払えるように用意しているとおっしゃっていました」
所長が頷きました。
「なら、その事実も書け」
「はい!」
「こちらが正当な義務を果たす姿勢を示せば、争点がはっきりする」
私は鉛筆を握り直しました。
そして、書き始めました。
一時間後。
机の上には、内容証明郵便の原案ができていました。
宛先。
黒田源蔵。
差出人。
杉浦千鶴。
件名。
――懐中時計返還請求並びに留置権消滅請求通知書。
私は読み上げました。
「第一。本件懐中時計は通知人杉浦千鶴の所有物であり、昭和六十三年八月、修理の目的で貴殿に引き渡されたものである」
「うん」
「第二。修理代金五万円のうち二万円は支払済みであり、残額三万円について、通知人は正当な債務として支払う意思を有する」
所長が頷きました。
「続けろ」
「第三。貴殿は、右修理代金残額のほか、通知人の亡父に対する旧貸付金二十万円を理由に、本件時計の返還を拒絶している」
「うん」
「第四。しかし、右旧貸付金債権は、その存否及び相続による承継関係を別途確認すべきものであるうえ、本件時計に関して生じた債権ではない。したがって、民法第二百九十五条の留置権をもって、右貸付金債権の弁済を確保することはできない」
相馬先輩が頷きます。
「よし」
私は息を吸いました。
ここからが本命です。
「第五。貴殿は、通知人の承諾を得ることなく、昭和六十三年九月十二日から同月十八日まで、本件懐中時計を第三者である野口写真館に有償で貸し出した」
所長の目が、書面に注がれます。
「第六。右行為は、留置物の無断賃貸を禁ずる民法第二百九十八条第二項に違反するものであり、留置物の保存に必要な使用にも該当しない」
「続けろ」
「第七。よって、通知人は、民法第二百九十八条第三項に基づき、本件懐中時計に係る留置権の消滅を請求する」
私は一度、口を閉じました。
留置権の消滅請求。
相手が頼り切っていた権利を、法律の規定によって失わせる。
これが、今回の刃です。
「第八。通知人は修理代金残額三万円の支払を申し出るとともに、本件時計の返還を求める」
そして。
「第九。本通知後も正当な理由なく返還がなされない場合、通知人は弁護士への相談のうえ、所有権に基づく返還請求その他の法的措置を検討する」
読み終わりました。
「どうでしょう!」
相馬先輩が書面を覗き込みました。
「悪くねえ」
「本当ですか!」
「だが、これも入れろ」
「何をですか?」
「時計の現物確認と、今後の処分禁止を求める一文だ」
「あ!」
「また第三者へ貸されたら厄介だからな」
私は慌てて追記しました。
――本件時計の現状及び所在を明らかにし、通知人の承諾なく使用、賃貸、譲渡その他の処分をしないよう求める。
よし。
これで完璧。
……と思ったのですが。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「はい」
「少し説明が足りない」
「ええっ!」
「二十万円の貸付金についてだ」
「はい?」
「借用書があるというだけで、債務の存否も承継関係も確定していない」
「そうですね」
「しかし、仮に有効な貸付金債権があって、千鶴さんに承継されていたとしても、どうだ?」
私は考えました。
貸付金。
二十万円。
時計とは関係ない。
「……留置権の対象にはできません!」
「そうだ」
所長は頷きました。
「その点を明確にしろ」
私は書き直しました。
――仮に右貸付金債権が有効に存在し、通知人に承継されていたとしても、本件時計との牽連性を欠く以上、本件時計について留置権を成立させる根拠とはならない。
相馬先輩が、にやりと笑いました。
「これだ」
「え?」
「相手の言い分を、一番有利に考えてやっても駄目だって書くんだ」
私は目を見開きました。
なるほど。
借金があるかどうかで争う必要は、ここではない。
仮に借金が本当に存在したとしても。
その借金を理由に時計を留置できない。
だから。
相手が借用書を振りかざしても、留置権の主張にはつながらない。
「……怖いですね」
私が言うと、相馬先輩が笑いました。
「何がだ」
「相手の主張を認めたとしても、結論が変わらないって……」
「悪党を相手にするときほど、相手の一番強い理屈から崩せ」
先輩は机を指で叩きました。
「世の中、声がでかい奴じゃなくて、書面にハンコを押させた奴が勝つんだよ」
私は思わず笑いました。
「またそれですか」
「大事なことは何度でも言う」
片桐所長が、最後に通知書を確認しました。
そして。
「よし」
短く言いました。
「本人に確認してもらえ」
「はい!」
千鶴さんに内容を説明し、事実に誤りがないか確かめてもらいました。
無断賃貸の期間。
承諾していないこと。
修理代金の支払意思。
そして、留置権の消滅を請求するという意思。
すべてを確認したうえで、千鶴さんは署名押印しました。
内容証明郵便。
差出人は、杉浦千鶴。
私たちは、本人の意思に基づく通知書の作成を支援したのです。
あとは。
この書面を受け取った黒田が、どう動くか。
私は封筒を見つめました。
小さな懐中時計。
大切な形見。
その時計を守るための、法律の刃。
いよいよ。
郵便局へ向かいます。
内容証明が届いた翌日。
黒田時計店の主人から電話が入りました。
「……片桐さんはいるか」
私は受話器を握り直しました。
昨日までの大声とは、まるで違います。
「少々お待ちください」
片桐所長に代わりました。
「片桐です」
『あの、杉浦さんからの通知書なんだが……』
「はい」
『その……二九八条ってのは、本当にあるのか?』
私は思わず、相馬先輩を見ました。
先輩は口元を押さえて笑っています。
所長は平然と答えました。
「民法の条文です」
『いや、それは分かるんだが……』
「はい」
『勝手に貸しただけで、留置権が消えるって……』
電話の向こうで、黒田が息を呑みました。
『俺は、修理代をもらってないんだぞ!』
「修理代金債権の問題と、留置権の問題は別です」
『そ、それは……』
「通知人ご本人の返還請求については、通知書をご確認ください。紛争上の交渉が必要なら、弁護士にご相談ください」
所長の声は静かでした。
黒田は、しばらく黙っていました。
そして。
『……俺も、弁護士に聞いてみる』
「そうなさってください」
電話が切れました。
「所長!」
「何だ」
「効いてますね!」
「まだ分からん」
所長は受話器を置きました。
「相手の返答を確認してからだ」
相馬先輩も頷きました。
「電話で慌てたくらいじゃ勝ちじゃねえ」
「はい!」
でも。
私は確信していました。
黒田は、民法二九五条だけを知っていた。
修理代が払われるまで、時計を留置できる。
その一点だけを。
でも。
民法二九八条。
預かっている物を勝手に貸してはいけない。
違反すれば、留置権の消滅を請求される。
そこまで知らなかった。
法律の一部分だけを武器にして、相手を脅していた人間が。
その法律の続きを読んで。
初めて、自分の足元に穴が開いていることに気づいたのです。
三日後。
黒田時計店から、千鶴さん宛てに書面が届きました。
その写しを、千鶴さんが事務所に持参しました。
私は読みました。
――本件懐中時計について、第三者への貸出しを行った事実を認める。
――当該貸出しにつき、所有者杉浦千鶴の承諾を得ていなかったことを認める。
――民法第二百九十八条に基づく留置権消滅請求について、争わない。
そして。
――本件懐中時計は、修理代金残額三万円の受領と引換えに返還する。
――旧貸付金二十万円については、本件懐中時計の留置によって支払を求めることをしない。
私は思わず立ち上がりました。
「所長!」
「何だ」
「黒田さん、認めました!」
「ああ」
「全部!」
「全部ではない」
「え?」
所長が静かに言いました。
「二十万円の貸付金債権そのものを放棄したわけではない」
「あ……」
「時計を留置する理由にはしないと言っているだけだ」
私は書面をもう一度見ました。
確かに。
借金自体の有無は、まだ別問題です。
「でも、時計は返すんですよね!」
「ああ」
千鶴さんは、目元を押さえていました。
「ありがとうございます……」
私は慌てて言いました。
「まだ、現物を確認していませんから!」
相馬先輩が笑いました。
「お、少しは実務が分かってきたな」
「毎回言われてますから!」
「いいことだ」
その後。
黒田は、自分が相談した弁護士から、無断賃貸による留置権消滅請求には法的根拠があり、争いを続けるのは不利だと説明されたそうです。
さらに。
修理代金とは関係のない貸付金まで時計の留置によって回収しようとしたことも、正当化できないと指摘された。
結局。
黒田は、時計の返還に応じました。
千鶴さんは、親族に立ち会ってもらい、黒田時計店へ向かいました。
その場で三万円を支払い。
時計の状態を確認し。
受領書と返還確認書を取り交わしました。
返還確認書には、黒田本人の署名押印。
そして。
――本件懐中時計について、今後、修理代金債権その他を理由とする留置権を主張しない。
そう記されていました。
時計は。
ようやく、持ち主の手に戻ったのです。
一週間後。
千鶴さんが、再び事務所を訪れました。
今度は、布袋を大事そうに抱えています。
「見ていただきたくて」
そう言って、袋を開きました。
中から出てきたのは。
銀色の懐中時計。
桜の模様。
古びた鎖。
小さな傷。
写真で見た、あの時計でした。
「戻ってきたんですね……!」
「はい」
千鶴さんは、そっと蓋を開きました。
カチリ。
小さな音。
そして。
チクタク。
チクタク。
秒針が、静かに動いていました。
「動いてる……!」
私は思わず身を乗り出しました。
千鶴さんが頷きました。
「ちゃんと直っていました」
「よかった……!」
「修理は、きちんとしてくれていたんです」
その言葉に、私は少し胸が詰まりました。
そうなんです。
黒田は、修理そのものはちゃんとやっていた。
だから、修理代金は支払われるべきものだった。
でも。
それと。
人の大切な物を勝手に使うことは、別です。
「父はね」
千鶴さんが時計を見つめました。
「この時計を、本当に大切にしていたんです」
「はい」
「時間を守ることは、人を大切にすることだって」
秒針が動きます。
チク。
タク。
「だから私も、これを持っていたかったんです」
私は小さく頷きました。
五万円の修理代金。
二十万円の借金。
一万円の貸出料。
数字だけ見れば、ただのお金の争いです。
でも。
その時計には。
お金では測れない価値がありました。
父親と過ごした時間。
毎朝聞こえていた音。
家族との約束。
そうしたものが詰まっている。
「法律って」
千鶴さんが言いました。
「お金のことだけじゃないんですね」
私は顔を上げました。
「え?」
「修理代を払わないと返してもらえない。それは分かるんです」
「はい」
「でも、勝手に貸してはいけないって、ちゃんと決まっていたんですね」
私は頷きました。
「はい」
「預かっている人にも、守らなきゃいけないことがある」
「そうです」
千鶴さんは、時計の蓋を閉じました。
カチリ。
「父の時計を、人質みたいにされて、本当に怖かったんです」
その目から、涙が一粒落ちました。
「でも、もう大丈夫ですね」
私は笑いました。
「はい。大切にしてください」
千鶴さんは、時計を胸に抱きました。
「一生、大切にします」
千鶴さんが帰ったあと。
私は六法を開いていました。
民法二九五条。
留置権。
他人の物を占有している人が、その物に関して生じた債権を持っている場合。
弁済を受けるまで、物を留置できる。
ただし。
債権が弁済期にないときは、認められない。
占有が不法行為によって始まった場合も、認められない。
民法二九六条。
不可分性。
全部の弁済を受けるまで、留置物全部について権利を行使できる。
そして。
民法二九八条。
善管注意義務。
無断使用、無断賃貸、無断担保提供の禁止。
違反すれば、留置権の消滅を請求される。
「……なるほど」
私は呟きました。
相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「何だ」
「留置権って、すごく公平な権利なんですね」
「ほう」
「修理した人は、代金をもらうまで物を返さなくてもいい」
「ああ」
「でも、預かった物を勝手に使っちゃいけない」
「そうだ」
「お金を払ってもらう権利と、物を大切に扱う義務が、両方あるんですね」
先輩が頷きました。
「そこが大事だ」
私は少し考えました。
「先輩」
「何だ」
「留置権って、現代でもあるんですよね?」
「当たり前だろ」
「民法二九五条から三〇二条も?」
「今の条文なら、そこにあるだろ」
「あ、はい!」
私は慌てました。
そうです。
留置権の基本的な仕組みは、昭和六十三年にも、現代にも存在します。
民法は、何でも改正で変わるわけではありません。
契約不適合責任のように、新しい用語や制度に変わる分野もあれば。
留置権のように、昔から続く考え方が現代でも大切にされている分野もある。
だから。
未来の法律を知っているからといって、必ずしも有利とは限りません。
大事なのは。
その時代の条文を正しく読むこと。
そして、目の前の事実に当てはめること。
「こはる」
片桐所長が、奥から声をかけました。
「はい!」
「今日の教訓は何だ」
私は少し考えました。
留置権。
修理代金。
別の借金。
無断賃貸。
消滅請求。
いくつもの言葉が、頭の中を巡ります。
でも。
千鶴さんの時計を思い出すと、答えは簡単でした。
「所長」
「うん」
「留置権は、代金をもらうために物を留める権利です」
「そうだ」
「でも、物を自分のものみたいに使える権利じゃありません」
「うん」
「そして、法律で認められた権利でも、使い方を間違えれば失うことがある」
所長が、静かに頷きました。
「それでいい」
私はノートに一行だけ書きました。
――留置権は「払うまで返さない」権利であって、「預かった物を好きにする」権利ではない。
よし。
今日の教訓。
これなら忘れません。
そのとき。
相馬先輩が、にやりと笑いました。
「こはる」
「はい?」
「じゃあ、もう一問だ」
「え?」
「修理代三万円が残っていて、時計を適法に留置してる。だが、十年も二十年も請求せずに放っておいたらどうなる?」
「え……?」
私は瞬きしました。
「留置権を行使してるんですよね?」
「ああ」
「じゃあ、債権もずっと守られるんじゃ……」
「本当に?」
先輩が、六法を指で叩きました。
民法三〇〇条。
私は読みました。
――留置権の行使は、債権の消滅時効の進行を妨げない。
「……ええっ!?」
私は声を上げました。
「留置してても、時効が進むんですか!?」
「そうだ」
「じゃあ、修理代金債権が時効で消滅したら……」
「どうなる?」
「……留置権も、成立の前提を失います!」
「そうだな」
私は頭を抱えました。
「なんてこった……!」
相馬先輩は笑いました。
「どうした」
「留置権、覚えること多すぎませんか!」
「まだあるぞ」
「まだ!?」
「相当の担保を供したときの消滅請求もある」
「ええっ!」
「それから、占有を失った場合の消滅もな」
「ちょっと待ってください!」
私は慌てて六法をめくりました。
三〇一条。
相当の担保を供して、留置権の消滅を請求できる。
三〇二条。
留置権は、原則として占有を失うことで消滅する。
……。
私は天井を見上げました。
「先輩」
「何だ」
「留置権って、弱点だらけじゃないですか!」
「そうか?」
「時効は進むし、無断で貸したら消滅請求されるし、担保を提供されても消滅請求されるし、占有を失ったら原則消滅するし!」
先輩は煙草を灰皿に押しつけました。
「だから、担保物権ってのは、何でもできる魔法じゃねえんだよ」
「……なるほど」
「権利には、使える条件がある。守らなきゃならねえ義務もある」
私は、ゆっくり頷きました。
そうか。
留置権は強い。
でも、無敵ではない。
修理代金を守る。
しかし、所有者の財産も守る。
その二つを両立させるために。
民法は、留置権の成立にも、行使にも、消滅にも、細かいルールを置いているのです。
「相馬先輩!」
「今度は何だ」
「民法って、やっぱり面白いですね!」
「また始まった」
「だって、時計屋さんが法律を振りかざしていたのに、同じ法律で負けちゃったんですよ!」
「法律で負けたんじゃねえ」
「え?」
相馬先輩は、机の上の返還確認書を指差しました。
「自分が守らなきゃならねえルールを、無視したからだ」
私は黙りました。
そして。
少しだけ、笑いました。
「……そうですね」
法律を知っていることと。
法律を正しく使えることは、違う。
その違いが、今日はとてもよく分かりました。
窓の外では、秋の夕暮れが町を包み始めていました。
どこかの家で。
銀色の懐中時計が、静かに時を刻んでいるのでしょう。
チクタク。
チクタク。
その時計を修理した職人には、正当な代金を受け取る権利がある。
そして。
その時計を大切にしてきた持ち主には、勝手に使われないよう守られる権利がある。
どちらか一方だけが、法律に守られているわけではない。
だからこそ。
留置権という制度には、意味があるのです。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「感心してる暇があったら、次の書類を整理しろ!」
「ええっ! もうですか!」
「見習いだろ!」
私は慌てて立ち上がりました。
そして、ふと思いつきました。
「先輩!」
「何だ!」
「私、今日のお給料をもらうまで、この六法を留置してもいいですか?」
相馬先輩が止まりました。
片桐所長も、帳簿から顔を上げました。
一瞬の沈黙。
そして。
「馬鹿野郎!」
先輩が叫びました。
「何で所長の六法が、お前の給料債権に関係あるんだよ!」
「……あ」
「牽連性がねえだろ!」
「そうでした!」
「しかも、勝手に持ち出すな!」
「はいっ!」
私は慌てて六法を棚に戻しました。
なるほど。
法律って、難しい。
そして。
ちょっと欲を出すと、すぐに自分に返ってくる。
今日の教訓を、私はもう一度、心の中で繰り返しました。
――留置権は「払うまで返さない」権利であって、「預かった物を好きにする」権利ではない。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
今日も、民法は誰かの財産を守っていました。
そして私は。
もう二度と、修理に出した時計を人質にする悪徳業者を見ても、ただ慌てるだけでは終わらないと思います。
まず、確かめることがあるからです。
その債権は、本当にその物に関係しているのか。
支払期限は来ているのか。
占有は、どのように始まったのか。
そして。
預かっている人は、その物を正しく扱っているのか。
そこまで調べて、初めて。
留置権の本当の姿が見えてくる。
……もっとも。
私のお給料を理由に六法を留置する作戦は、開始前に失敗しましたけど。
「こはる! 六法を戻したら掃除だ!」
「はーい!」
残念ながら。
掃除をしない権利については、民法のどこを探しても、まだ見つかっていません。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




