↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈民法 配点76点/300点〉 総則

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
454/610

[民法・表見代理]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 代理権がない。


 だから、本人は責任を負わない。


 ……本当に、そうでしょうか。


 確かに、代理人には権限が必要です。


 他人の財産を勝手に売ったり、本人の名前で契約したりすることは、原則として許されません。


 でも。


 本人が、ある人を代理人として紹介したら。


 その人に、長年契約を任せていたら。


 そして、代理権を取り消したことを、取引相手に知らせなかったら。


 事情を知らない相手方が、その人を信用してしまうのは、当然ではないでしょうか。


 そんなとき。


 民法は、誰を守るのでしょう。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、ノートを開いていました。


 表紙には大きく、


 ――こはるノート・民法編。


 と書いてあります。


「……代理権って、消えたら終わりじゃないんですね」


 私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「何だ、突然」


「この前の丸福洋装の事件ですよ!」


「ああ。百二十万円の生地代金か」


「そうです!」


 私はノートを開きました。


 丸福洋装。


 元支配人の黒田昭夫。


 そして、小さな織物問屋を営む野村澄江さん。


 黒田は十年以上、丸福洋装の仕入れを担当していました。


 しかし、ある日、会社から解任されます。


 それなのに。


 解任から一週間後。


 黒田は従来と同じ注文書を使い、百二十万円分の生地を注文した。


 野村さんは、解任されたことなど知りません。


 いつもどおり生地を納品します。


 ところが、社長は言いました。


 ――黒田には代理権がなかった。だから払わない。


「でも、結局払ってくれました!」


「ああ」


「百二十万円!」


「そうだな」


「内容証明、大勝利です!」


 相馬先輩は煙草を灰皿に押しつけました。


「調子に乗るな」


「え?」


「相手が払ったからって、どんな事件でも表見代理が成立するわけじゃねえ」


「……はい」


「それに、内容証明を送っただけで法律上の結論が確定するわけでもない」


「そうですね」


 私は鉛筆を握りました。


 今回、丸福洋装が支払いに応じたのは、表見代理によって代金支払義務を負う可能性を、社長自身が理解したからです。


 ならば。


 どうして、その責任が生じるのか。


 どんな場合に生じるのか。


 そして、どんな場合には生じないのか。


 そこを理解しなければ、本当に民法を使えるようにはなりません。


「よし!」


 私はノートの中央に大きく書きました。


 ――表見代理。


「今日は、これを完全攻略します!」


「昨日もそんなこと言ってたな」


「昨日の私は、今日の私より未熟でした!」


「一日で偉くなったな」


「成長期です!」


「法律知識のな」


 そこへ。


 奥から片桐所長が声をかけました。


「相馬」


「はい」


「付き合ってやれ」


「……またですか」


 よし。


 今日も強制勉強会、開催です。



「まず、表見代理って何でしょう?」


 私はノートに書きました。


 ――表見代理とは。


 代理権がないにもかかわらず、代理権があるような外観が存在し、その外観を信頼した相手方を一定の要件のもとで保護する制度。


「長いな」


 相馬先輩が言いました。


「定義ですから!」


「もっと簡単に言え」


「ええと……」


 私は考えました。


「代理権があるように見えたことについて、本人側にも責任を負わせる理由があり、相手方が正当に信じた場合には、本人が責任を負う制度です」


「それでいい」


 私は頷きました。


 たとえば。


 Aさんが、Bさんに代理権を与えた。


 BさんがAさんの代理人として、Cさんと契約する。


 これは普通の代理です。


 代理権の範囲内なら、その効果はAさんに帰属します。


 では。


 Bさんに代理権がなかったら?


「原則は無権代理ですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


「本人が追認しなければ、原則として本人に契約の効力は生じねえ」


「はい」


 ところが。


 AさんがBさんを代理人として紹介していたり。


 Bさんに与えた代理権の範囲を超えた行為について、Cさんが権限があると信じる正当な理由があったり。


 代理権が消滅したことを、Cさんが過失なく知らなかったり。


 そんな場合。


 一定の要件を満たせば、表見代理が成立する。


「つまり、無権代理なのに、本人が責任を負うんですね」


「そうだ」


「そして、その効果は?」


 私は少し声を張りました。


「本人が、相手方に対して契約上の責任を負う!」


 相馬先輩が頷きました。


「そこが大事だ」


 今回の事件でいえば。


 黒田が無権代理人。


 丸福洋装が本人。


 野村商店が相手方。


 表見代理が成立すれば。


 丸福洋装は、


「黒田には代理権がなかった」


 という理由だけでは、代金の支払いを拒めなくなります。


「所長!」


「何だ」


「じゃあ、表見代理が成立すると、黒田さんに本当の代理権があったことになるんですか?」


「いや」


「え?」


「なかった代理権が、過去にさかのぼって生まれるわけではない」


「あ……」


「法律が、本人に取引上の責任を負わせるんだ」


 私は鉛筆を止めました。


 なるほど。


 ここ、重要です。


 表見代理は、無権代理人に本物の代理権を与える制度ではありません。


 無権代理行為について、本人に責任を負わせる制度です。


「つまり、黒田さんが正しい代理人だったことになるわけじゃない」


「そうだ」


「でも、丸福洋装には責任が生じる」


「そういうことだ」


 私はノートに大きく書きました。


 ――表見代理の効果は、本人の責任。


 よし。


 まず一つ目です。



「次に、表見代理の種類です!」


 私はノートをめくりました。


「先輩、表見代理って何種類ありますか?」


「基本は三つだ」


「正解です!」


「お前、誰に問題出してるんだ」


 私は構わず続けました。


 民法第百九条。


 民法第百十条。


 民法第百十二条。


 この三つ。


「でも、現代の行政書士試験では、組み合わせた場合も含めて五パターンで整理できます!」


「五つ?」


 相馬先輩が眉をひそめました。


「増えたのか?」


「あっ」


 私は口を閉じました。


 しまった。


 また未来の民法です。


 昭和六十三年。


 今の民法には、百九条二項も百十二条二項もありません。


 でも。


 権限外の行為と、代理権授与の表示や代理権消滅が重なる問題自体は、昔から存在します。


 当時は、判例による条文の組み合わせが重要でした。


「所長」


「何だ」


「昭和六十三年と現代で、ここは整理の仕方が違いますね」


「どう違う」


「現代では、複数の表見代理が重なる場面が、条文上も明確に整理されています」


「ほう」


「でも、今はまだ、条文の重なりを判例で考える必要があるんです」


 片桐所長が頷きました。


「なら、その違いも覚えておきなさい」


「はい!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――表見代理の基本は三類型。組み合わせれば五パターン。


「では、一つずつ見ていきます!」



「一つ目。代理権授与の表示による表見代理!」


 私は大きく書きました。


 民法第百九条。


「これは、本人が『この人には代理権がありますよ』という外観を作った場合です」


「例えば?」


 相馬先輩が尋ねます。


「そうですね……」


 私は考えました。


 ある呉服店の店主。


 忙しくて、仕入れ先との打ち合わせに行けない。


 そこで、従業員に言いました。


 ――今回は話を聞いてくるだけでいい。


 従業員には、契約を締結する権限は与えていません。


 でも、店主は取引先に手紙を送ってしまいます。


 ――今後の仕入れ契約につきましては、従業員の山田にお任せください。


「……おい」


 相馬先輩が言いました。


「それは相手が勘違いするだろ」


「そうなんです!」


 実際には、従業員に契約締結の代理権はない。


 でも。


 本人である店主が、相手方に代理権を与えたと表示している。


 取引先が、その表示を信じて契約した。


 しかも、代理権がないことについて、知らず、知らなかったことに過失もない。


 そんな場合。


 百九条によって、本人が責任を負うことがあります。


「つまり」


 私は言いました。


「本人が『代理人です』と言っておきながら、後で『本当は代理人じゃありません』と逃げるのを許さない制度です」


「分かりやすいな」


 相馬先輩が頷きました。


「でも先輩、注意点があります」


「何だ」


「ただ委任状を持っているだけで、必ず表見代理になるとは限りません」


「そうだな」


 私は続けました。


 白紙委任状。


 会社の印鑑。


 肩書の書かれた名刺。


 こうしたものは、代理権があるように見える事情になり得ます。


 でも。


 誰が交付したのか。


 どんな目的だったのか。


 本人が取引相手に代理権を与えた旨を表示したと評価できるのか。


 そこが重要です。


「つまり、白紙委任状があるから絶対成立、ではないんですね」


「そうだ」


「本人の表示と、相手方の善意無過失が大事!」


 私はノートに丸をつけました。


 ――百九条は、本人が代理権を与えたように表示した場合。



「二つ目。権限外の行為の表見代理です!」


 民法第百十条。


 私はノートに書きました。


「これは、代理権そのものはある。でも、代理人がその範囲を超えた場合です」


「例えば?」


 相馬先輩が聞きました。


「土地です!」


「また土地か」


「民法の問題では便利なんです!」


 私は鉛筆を走らせました。


 地主のAさん。


 知人のBさんに、土地に抵当権を設定するための代理権を与えました。


 委任状も渡します。


 ところが。


 Bさんは、その権限を利用して、土地そのものをCさんへ売ってしまった。


「……悪党だな」


「そうですね」


 私は頷きました。


 抵当権を設定する代理権。


 土地を売却する代理権。


 この二つは、違います。


 だから、Bさんは権限外の行為をしています。


「では、土地を買ったCさんはどうなります?」


「事情によるな」


「はい!」


 ここが重要です。


 Cさんが、Bさんに売却権限があると信じた。


 それだけでは足りません。


 そのように信じることについて、正当な理由が必要です。


「先輩、正当な理由って何ですか?」


「相手が勝手に信じた、だけじゃ足りねえってことだ」


「そうです!」


 例えば。


 本人が代理人に重要な書類を預けていた。


 これまで似たような取引を任せていた。


 本人が代理人の行動について、相手方に誤解を与える言動をしていた。


 こうした事情は判断材料になります。


 ただし。


 不動産の売却という重大な契約なら、通常の取引以上に確認すべき事情があるかもしれません。


 代理人が実印や権利証を持っている。


 それだけで、当然に売却権限があると信じてよいわけではありません。


「だから、正当な理由の有無は、具体的な事情で判断されるんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


 私はノートに書きました。


 ――百十条は、基本となる代理権があり、その範囲を超えた行為について、相手方に正当な理由がある場合。


「所長」


「何だ」


「基本代理権って、すごく重要ですね」


「ああ」


「そもそも何の代理権もなかった人が勝手に契約した場合、百十条の問題として簡単に処理できるわけじゃない」


「そうだ」


 片桐所長が頷きました。


「まず、基礎となる権限を確認しなさい」


「はい!」


 なるほど。


 百十条。


 ただの無権代理と混同してはいけません。


 権限がある。


 でも、その範囲を超えた。


 ここが出発点なのです。



「三つ目。代理権消滅後の表見代理です!」


 私はノートに大きく書きました。


 民法第百十二条。


「これこそ、今回の野村商店の事件ですね!」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


 私は、もう一度事件を整理しました。


 丸福洋装の支配人、黒田昭夫。


 長年、仕入れの代理権を持っていた。


 ところが、九月十日に解任。


 代理権は消滅。


 そして九月十七日。


 黒田は、野村商店へ百二十万円分の生地を注文した。


「ここで重要なのが、野村さんの立場です」


「そうだな」


「野村さんは、黒田さんの解任を知らなかった」


「うん」


「しかも、解任されたことを知らなかった点について、過失がないと考えられる事情が揃っていました」


 私は指を折りました。


 十年以上の取引。


 従来どおりの注文書。


 従来どおりの仕入れ規模。


 会社からの解任通知なし。


 社長自身による過去の紹介状。


 そして、いつもの倉庫への納品。


「これだけ揃えば、黒田さんがまだ仕入れ担当者だと思っても、不自然ではありません」


「そうだ」


「だから、表見代理が問題になる!」


 私は頷きました。


 ただし。


 ここにも注意点があります。


 代理権が消滅したことを知らなかったとしても。


 そのことについて過失があれば、百十二条による保護は受けられません。


「例えば、会社から解任通知が届いていたのに、確認せず契約してしまった場合は?」


「過失が問題になるな」


「そうです」


 また。


 元の代理権の範囲も重要です。


 黒田が持っていたのは、通常の生地仕入れに関する権限。


 だから、百二十万円の通常仕入れについては、元の権限内だったと考えられる。


 でも。


 突然、丸福洋装の店舗そのものを売却していたら?


「それは単純に百十二条だけでは片づきません」


「そうだな」


 私は大きく書きました。


 ――百十二条の基本は、代理権が消滅した後、従来の権限の範囲内で行為した場合。


「先輩」


「何だ」


「今回の社長は、代理権がなくなったという事実しか見ていませんでしたね」


「ああ」


「でも、本当に問題だったのは、その消滅を野村さんに主張できるかどうかだったんですね」


「そこだ」


 相馬先輩は頷きました。


「代理権が消えたことと、その消滅を善意無過失の相手方に対抗できることは、別問題なんだ」


 私は鉛筆を止めました。


 ……なるほど。


 これが今回の最大のポイント。


 代理権は、確かに消滅していた。


 でも。


 その消滅を理由に、本人が責任を免れられるとは限らない。


 だから。


 法律は、取引の安全を守ることができるのです。



「さて」


 相馬先輩が煙草を消しました。


「基本の三つは分かったな」


「はい!」


「じゃあ、お前の言ってた残り二つは何だ?」


 私は待っていました。


 その質問。


「組み合わせです!」


「組み合わせ?」


「そうです!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――百九条と百十条。


 ――百十二条と百十条。


「現代の民法では、それぞれ百九条二項、百十二条二項として明文化されています!」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「また未来か」


「今回は重要なんです!」


 私は慌てて続けました。


「昭和六十三年には、まだその二項がありません。でも、組み合わせの問題自体は、昔から判例で扱われていたんです」


「ほう」


「だから、昭和の判例法理と、現代の条文を比べると分かりやすいんですよ!」


 片桐所長が言いました。


「説明してみなさい」


「はい!」


 まず。


 代理権授与の表示と、権限外の行為の組み合わせ。


 例えば。


 呉服店の店主が、従業員について、


 ――この者に、百万円までの仕入れを任せています。


 と取引先へ表示した。


 しかし、実際には代理権を与えていない。


 それなのに従業員が、三百万円の仕入れ契約をしてしまった。


「表示した範囲も超えてるな」


 相馬先輩が言いました。


「そうなんです!」


 これは、単純な百九条だけでは処理できません。


 本人が代理権を与えたと表示した範囲は、百万円まで。


 でも、契約は三百万円。


 表示した権限の範囲を超えています。


「そこで、相手方にその権限があると信じる正当な理由があったかを考えるんです」


「なるほどな」


 昭和六十三年では、百九条と百十条の重なりを考えることになります。


 現代では、百九条二項に明文化されています。


 ただし、表示の範囲を超えている以上、相手方に正当な理由が認められるかは、慎重に検討しなければなりません。


「つまり!」


 私はノートに書きました。


 ――表示した権限の範囲を超えた場合は、百九条二項型。


「よし」


 次。


 代理権消滅後と、権限外の行為の組み合わせです。


 私は先日の事件を少し変えて考えました。


 黒田が、丸福洋装の仕入れ担当だった。


 しかし解任された。


 その後。


 黒田が、今度は店舗の土地を売却してしまった。


「……また土地か」


 相馬先輩が言いました。


「分かりやすいので!」


 これは。


 代理権が消滅している。


 さらに、元の仕入れ権限を超えている。


 二つの問題が重なっています。


「先輩、この場合、百十二条だけで守れますか?」


「いや。元の権限を超えてるだろ」


「正解!」


 私は頷きました。


 現代の百十二条二項では、代理権の消滅を知らなかったことについて過失がないことに加え、権限外の行為について代理権があると信じる正当な理由が必要です。


 そして、昭和六十三年では。


 百十二条と百十条の重畳適用が問題になります。


「重畳適用……」


 私は思わず呟きました。


「すごい言葉ですよね」


「何がだ」


「重なるって意味なのに、難しい漢字を使いすぎです」


「法律用語に文句を言うな」


「だって受験生泣かせですよ!」


 私はノートに書きました。


 ――代理権消滅後に元の権限まで超えた場合は、百十二条二項型。


 これで、五パターン。


 ようやく揃いました。


「所長!」


「何だ」


「現代の条文って、昭和の判例で問題になっていた組み合わせを、分かりやすく明文化しているんですね!」


「そういう改正はある」


「昔から積み重ねた考え方を、条文として整理したわけですね」


 所長が頷きました。


「法律は、条文だけでできているわけではない。判例も重要だ」


 私は、その言葉を書き留めました。


 なるほど。


 民法改正。


 全部のルールを新しく作ったわけではありません。


 以前から実務や判例で認められてきた考え方を、条文上明確にした部分もあるのです。


 だから、昭和の法律を学ぶ意味がある。


 なぜ現代の条文が、こんな形になっているのか。


 その理由が見えてくるのです。



「では、ここで確認問題です!」


 私は得意になって鉛筆を掲げました。


「またか」


 相馬先輩が呆れました。


「先輩、付き合ってください!」


「仕方ねえな」


 私は問題を出しました。


「本人が、代理権を与えていない人について『この人が代理人です』と表示しました。その人が表示された範囲内で契約した場合、どの条文ですか?」


「百九条」


「正解!」


「代理権がある人が、その範囲を超えて契約しました!」


「百十条」


「正解!」


「代理権が消滅した人が、元の権限内で契約しました!」


「百十二条」


「正解!」


 私はさらに続けました。


「本人が代理権を与えたと表示した。でも、その人が表示された権限を超えた!」


「百九条と百十条の組み合わせだな」


「正解!」


「代理権が消滅した後、元の権限まで超えた!」


「百十二条と百十条の組み合わせだ」


「正解です!」


 私は拳を握りました。


 完璧!


「では、令和の条文番号では?」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「……知らん」


「百九条二項と百十二条二項です!」


「未来の試験を受ける予定はねえ!」


「私は受けるつもりなんです!」


 ……しまった。


 言ってしまいました。


 私は慌てて咳払いしました。


「い、いつか試験制度が変わったときに備えて、という意味です!」


「妙な備えだな」


 相馬先輩は首を傾げました。


 危ない。


 未来人。


 また余計なことを口走りました。



「でも、こはる」


 片桐所長が言いました。


「今の問題には、一つ足りないものがある」


「え?」


「条文の番号だけ覚えても、表見代理が成立するとは限らない」


「あ……」


「相手方の信頼だ」


 私は頷きました。


 そうです。


 表見代理の要件。


 どの類型に該当するのか。


 そして。


 相手方の善意無過失や、権限があると信じる正当な理由。


 これらが重要です。


「ところで、所長」


「何だ」


「善意って、親切な人って意味じゃないんですよね」


「もちろんだ」


「法律用語って紛らわしいですよね」


 私はノートに書きました。


 ――善意とは、一定の事実を知らないこと。


 ――悪意とは、一定の事実を知っていること。


 例えば。


 野村さんは、黒田の代理権が消滅したことを知らなかった。


 だから、その点について善意です。


 でも。


 知らなかったというだけでは足りない。


 知らなかったことについて過失がないことも必要です。


「先輩」


「何だ」


「善意無過失って、要するに『知らなかったし、普通に注意していても気づけなかった』ということですね」


「そうだ」


「ただし、百十条の正当な理由は、その行為について代理権があると信じたことを客観的に裏付ける事情が必要なんですね」


「うん」


 私はノートに線を引きました。


 ここは、似ているようで大事な違いがあります。


 百九条や百十二条の基本類型では、代理権がないことや消滅したことについての善意無過失が問題になる。


 一方、百十条の権限外の行為では、その具体的な行為について代理権があると信じる正当な理由が必要です。


「例えば、本人が『商品の仕入れを任せた』と表示しただけなのに、いきなり土地を売却したら?」


「正当な理由が認められるか、かなり問題になるな」


「そうです」


「本人が『この人なら何でも契約できます』と言っていた場合なら?」


「表示の内容や状況を調べる必要があります。でも、信頼を裏付ける事情にはなります」


「そうだな」


 私は頷きました。


 結局。


 善意。


 無過失。


 正当な理由。


 この三つを、何も考えず同じものとして扱うのは危険なのです。


 法律は、信じた人すべてを守るわけではありません。


 守る理由がある信頼を、保護するのです。



「そういえば」


 私はノートを閉じかけて、手を止めました。


「先輩、今回の黒田さんって、会社から解任されていたんですよね」


「ああ」


「でも、もし野村さんがその事実を知っていたら?」


「百十二条で守られることはねえ」


「ですよね」


「ただし、その後に会社が改めて契約を認めたなら、追認の問題が出る」


「あ……」


 私は思い出しました。


 丸福洋装は、野村さんから納品された生地を使っていました。


 では。


 そのことだけで、会社が無権代理行為を追認したことになるのでしょうか。


「所長」


「何だ」


「生地を使ったことと、表見代理は別問題ですよね」


「そうだ」


 所長は頷きました。


「表見代理は、相手方の正当な信頼を保護する制度だ」


「はい」


「追認は、本人が無権代理行為を後から認めることだ」


 私は書きました。


 表見代理と追認。


 似ているようで違う。


 表見代理は、本人が追認しなくても、一定の要件で責任を負う。


 一方。


 追認は、本人が無権代理行為を認めることによって、その効力を本人に帰属させる。


「今回の場合、会社が生地を受け取って使っていたという事情は、追認を考えるうえでも重要だったんですね」


「そうだ」


「でも、それだけで必ず追認と決まるわけではない」


「そのとおり」


 所長が続けました。


「誰が、契約について何を知っていたのか。受領や使用が、本人の意思表示と評価できるか。そこを確認しなければならない」


「はい」


 私は頷きました。


 民法は、一つの事実から、いくつもの法律問題が生まれます。


 代理権。


 無権代理。


 表見代理。


 追認。


 そして、本人の責任。


「だから、最初から一つの条文に飛びついちゃいけないんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が笑いました。


「少しは分かってきたじゃねえか」


「褒めました?」


「少しだけな」


「やった!」


 ……珍しい。


 相馬先輩が素直に褒めてくれました。


 今日は記念日かもしれません。



 窓の外は、すっかり薄暗くなっていました。


 私はここまでのノートを見直しました。


 代理権授与の表示。


 権限外の行為。


 代理権消滅後の行為。


 そして、それらの組み合わせ。


 表見代理には、いくつものパターンがあります。


 でも。


 根底にある考え方は、一つです。


 誰かが、代理権があるような外観を作った。


 相手方が、その外観を正当に信じた。


 その信頼を守るため、本人に責任を負わせる。


 それが、表見代理なのです。


「所長」


「何だ」


「最後に、確認問題を出してもらっていいですか?」


「いいだろう」


 所長は少し考えました。


「代理権がない人が契約した場合、原則として本人に効力は生じるか」


「いいえ! 本人が追認しなければ、原則として本人には効力が生じません!」


「では、表見代理が成立した場合は?」


「本人が、その契約について責任を負います!」


「代理権授与の表示は?」


「百九条!」


「権限外の行為は?」


「百十条!」


「代理権消滅後は?」


「百十二条!」


「善意とは?」


「一定の事実を知らないことです!」


「無過失とは?」


「知らなかったことについて、注意義務違反がないことです!」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は思わず拳を握りました。


 やった!


 これなら、行政書士試験の問題でも迷いません。


「じゃあ、俺からも一問」


 相馬先輩が口を挟みました。


「はい!」


「本人が百万円までの仕入れ権限を与えた。代理人が勝手に三百万円の契約をした。相手方が代理権があると信じた場合、必ず本人が責任を負うか?」


「いいえ!」


 私は即答しました。


「代理権の範囲を超えていますから、百十条の正当な理由が問題になります!」


「正解」


「では、代理権が消滅した後、元の権限内で契約した場合は?」


「百十二条!」


「相手方が消滅を知っていたら?」


「保護されません!」


「過失によって知らなかった場合は?」


「同じく百十二条による保護は受けられません!」


 相馬先輩が頷きました。


「よし」


 私は得意になりました。


「先輩、もう一問お願いします!」


「まだやるのか」


「最後です!」


 相馬先輩は少し考えて言いました。


「本人が代理人を解任した。しかし、取引先に知らせなかった。元代理人が従来どおり注文した。取引先は善意無過失だった。どうなる?」


「百十二条の表見代理が成立し得ます! 本人は代理権の消滅を相手方に対抗できず、契約上の責任を負うことになります!」


「完璧だな」


「やりました!」


 私は大きく息を吐きました。


 表見代理。


 やっと、頭の中で整理できました。


 でも。


 覚えたのは、条文番号だけではありません。


 誰を守るための制度なのか。


 なぜ本人に責任を負わせるのか。


 そこまで理解できたことが、何より嬉しかったのです。



「さて」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「最後に、一つ覚えておきなさい」


「はい」


「民法は、契約する人間の自由を尊重する」


「はい」


「だから、他人が勝手にした契約について、本人に責任を負わせるのは、本来慎重でなければならない」


 私は頷きました。


 確かに。


 無権代理人が勝手に契約しただけで、本人に全部の責任を負わせるなら。


 それは本人にとって理不尽です。


「だが」


 所長は続けました。


「本人が、代理権があるような外観を作ったり、その外観が残る原因を作ったりした場合はどうだ」


「……相手方が信用してしまいます」


「そうだ」


「しかも、その相手方に落ち度がなければ……」


「その信頼を守る必要がある」


 私は静かに頷きました。


 なるほど。


 民法は、誰か一人の利益だけを守っているわけではありません。


 本人の利益。


 相手方の利益。


 そして。


 取引の安全。


 その三つを考えながら、公平な結論を探しているのです。


「所長」


「何だ」


「今回、野村さんを守ったのは、ただの親切じゃないんですね」


「ああ」


「相手方の信頼を保護するだけの法律上の理由があったからなんですね」


「そうだ」


 私は、先日の澄江さんの顔を思い出しました。


 最初に事務所へ来たとき。


 百二十万円を失い、店を閉めるかもしれないと、涙を浮かべていた女性。


 でも。


 最後には、娘さんと笑って帰っていきました。


 誠実な取引の記録が、彼女たちを守った。


 その事実が、私は嬉しかったのです。



 私はノートの最後のページを開きました。


 ここに。


 今日の一行を書きます。


 鉛筆を握り直して。


 ゆっくり。


 ――表見代理は「権限がなくても、本人が作った外観を正当に信じた相手を守る制度」。


「……できました!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「まあ、覚えやすいんじゃねえか」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、たぶん忘れません。


 丸福洋装の事件を思い出せばいい。


 長年の仕入れ担当者。


 突然の解任。


 知らせなかった会社。


 従来どおり注文を受けた野村さん。


 そして。


 百二十万円という、生活を支える大切な代金。


 法律は。


 会社の内部で代理権を取り消したというだけで、それまで積み重ねた信用を消せるとは考えていない。


 もちろん。


 相手方が何でも信じてよいわけでもない。


 その信頼が、法律上保護するに値するか。


 そこまで確かめる。


 だからこそ。


 表見代理は、取引の安全を守る制度なのです。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「俺が所長から、文房具を千円分買ってくるように頼まれたとする」


「はい」


「でも、俺が勝手に一万円分買ったら?」


「権限外の行為です!」


「そうだな」


「お店の人が、先輩に一万円分の購入権限があると信じる正当な理由があるか、問題になります!」


「うん」


「でも、先輩がいつも一万円分の文房具を買っていて、所長も支払っていたなら、事情が変わるかもしれません!」


「そうだな」


「これが百十条!」


 私は得意になりました。


 相馬先輩がにやりと笑います。


「じゃあ、実際に千円渡す」


「はい?」


「鉛筆と消しゴムを買ってこい」


「……え?」


「千円の範囲内だ」


「先輩!」


「何だ」


「それ、私に買い物を頼んでるだけですよね!」


「そうだ」


「表見代理の問題じゃないじゃないですか!」


「代理権の範囲を超えるなよ」


「超えませんよ!」


 私は財布を受け取りながら、思わず笑いました。


「でも先輩」


「何だ」


「もし私が、勝手に高級万年筆を買ってきたら?」


「お前の小遣いで払え」


「ひどい!」


「当たり前だ!」


 片桐所長が奥から言いました。


「こはる」


「はい!」


「千円で足りるように買ってきなさい」


「はい!」


 私は立ち上がりました。


 夕暮れの商店街。


 店の明かりが、一つずつ灯っています。


 あのどこかで。


 今日も誰かが契約しています。


 商売をして。


 商品を受け取って。


 代金を支払って。


 誰かの言葉を信用している。


 その信用が、すべて裏切られずに済むとは限りません。


 でも。


 民法には、そんな信用を守るための仕組みがある。


 表見代理。


 名前は少し難しい。


 条文も三つ。


 組み合わせれば五パターン。


 昭和と現代では、条文の書き方まで違います。


 けれど。


 根底にある考え方は、変わりません。


 ――本人の自由を守りながら、正当な信頼も守る。


 それが、民法のリーガルマインドなのです。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「いつまでノート見てる! 文房具屋が閉まるぞ!」


「今、表見代理の本質を理解していたんです!」


「理解は歩きながらしろ!」


「難しいですよ!」


「お前ならできる!」


「そこでだけ信用しないでください!」


 私は笑いながら事務所を飛び出しました。


 今日の教訓。


 代理権があるかどうか。


 それだけでは、契約の効力は決まりません。


 誰が、どんな外観を作ったのか。


 誰が、何を信じたのか。


 その信頼には、正当な理由があるのか。


 そこまで考えること。


 そして。


 本人の責任を問う場合には、必ず条文と要件を確認すること。


 それが、表見代理を理解するということなのです。


 ……ただし。


 いまの私には、もっと差し迫った問題があります。


 千円。


 鉛筆。


 消しゴム。


 そして、閉店間際の文房具屋。


 表見代理を完全攻略したところで。


 千円しか渡されていない私が、勝手に一万円の万年筆を買ってよいことにはなりません。


 残念ながら。


 民法百十条は、見習い行政書士の物欲まで保護してくれる法律ではないのでした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さくら司法書士補助者の法務帳 〜 昭和に転生して泥沼の争いを収めたら、実務と試験知識が完全にリンクしました 〜
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。