↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈民法 配点76点/300点〉 総則

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
434/614

[民法・被補助人]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、ノートを開いていました。


 表紙には、大きな文字。


 ――こはるノート・民法編。


「……難しいですねえ」


 思わず呟きました。


「何がだ」


 新聞を読んでいた相馬先輩が顔を上げました。


「人を守ることです」


「ずいぶん大きな話だな」


「だって、今回の事件ですよ!」


 私は昨日の書類を取り出しました。


 小野寺千鶴さん。


 六十八歳。


 小さな和菓子屋を営む女性です。


 最近、少し物忘れが増え、難しい契約の説明を一度に理解することが苦手になっていました。


 そこにつけ込んだのが、金融業者の黒田。


 八百万円の連帯保証契約。


 黒田は、


「形式だけだから、実際に支払う必要はない」


 と説明して署名させた。


 しかし、主債務者が返済を滞らせると、千鶴さんに全額を請求したのです。


「ひどい話だったな」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


 でも、証拠がありました。


 黒田自身が書いた覚書。


 杉浦建設側の打合せ記録。


 千鶴さん本人の説明。


 それらを整理して、民法九十六条の詐欺取消しを通知した結果、黒田は保証契約の取消しを争わず、請求を撤回しました。


 和菓子屋は守られた。


 千鶴さんも、店を続けられることになった。


 事件は一件落着。


 しかし。


「私、最初は千鶴さんを被補助人にしようと考えたんです」


「ああ」


「でも、昭和六十三年には補助制度がない」


「そうだな」


「しかも、現代だったとしても、補助制度を使えば何でも解決するわけじゃない」


 私は鉛筆を握りました。


「だから今日は、被補助人を徹底的に整理します!」


 相馬先輩は新聞を畳みました。


「……また未来の法律か」


「先輩!」


「何だよ」


「今回も試験に出るんです!」


「昭和の試験にゃ出ねえだろ」


「うっ……!」


 痛い。


 痛いところを突かれました。


 でも。


 私は未来に帰ったとき、行政書士試験に合格しなければならないのです。


 今のうちに整理しておきたい。


「所長!」


 私は奥へ声をかけました。


「何だ」


「今日も勉強会をお願いします!」


 片桐所長は帳簿を閉じました。


「相馬」


「はい」


「付き合ってやれ」


「……また俺ですか」


 よし。


 今日も強制勉強会、開催です。



「まず、被補助人とは何か、です!」


 私はノートに書きました。


 ――被補助人。


 精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分である者で、家庭裁判所による補助開始の審判を受けた者。


 現代民法十五条。


「……事理を弁識する能力?」


 相馬先輩が眉をひそめました。


「はい」


「また難しい言い方だな」


「物事の道理や、自分の行為の意味を理解して判断する能力、ということです」


「つまり、判断する力か」


「そうです」


 私は大きく頷きました。


「ただし、先輩。ここが大事です」


「何だ」


「判断能力が少し低下しているからといって、誰でも自動的に被補助人になるわけじゃありません」


 私は二重線を引きました。


 ――家庭裁判所の補助開始の審判が必要。


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きます。


「じゃあ、千鶴さんは?」


「物忘れが増えたというだけでは、被補助人ではありません」


「そうだろうな」


「判断能力の程度や、その原因について確認が必要です。さらに、家庭裁判所の審判を受けて初めて、被補助人になります」


 私は昨日の千鶴さんを思い出しました。


 桜餅を作ることができる。


 日常の買い物もできる。


 自分の店を続けたいという意思も、はっきりしている。


 でも、複雑な契約説明を理解することは苦手。


「こういう方に、必要なところだけ支援を用意するのが補助制度の考え方なんです」


「ふうん」


 相馬先輩が腕を組みました。


「じゃあ、本人が嫌だって言ったらどうなる?」


「そこです!」


 私は鉛筆を掲げました。


 現代民法十五条二項。


 本人以外の者の請求により補助開始の審判をするには、本人の同意が必要。


「たとえば、千鶴さんの娘さんが申し立てる場合です」


「うん」


「娘さんが『母は物忘れがあるから補助をつけてください』と言っただけでは駄目です」


「本人の同意が必要なのか」


「はい!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――本人以外が補助開始を請求するときは、本人の同意が必要。


「でも、どうしてだ?」


 相馬先輩が聞きました。


「保護するための制度なんだろ?」


「そうです」


「だったら、家族が必要だと思えば、それでいいんじゃねえのか」


 私は首を振りました。


「それだと、家族の都合で本人の自由を制限することになりかねません」


 私は、黒田の顔を思い出しました。


 あの男は、千鶴さんの物忘れを利用していました。


 でも。


 もし悪意のある親族が、


「母は判断能力が落ちたから、財産は全部こちらで管理する」


 と言い出したら?


 本人が自分の店を続けたいと思っていても。


 家族が勝手に店を閉めようとしたら?


「本人を守るはずの制度が、財産を奪う道具になってしまうかもしれません」


 相馬先輩は頷きました。


「なるほどな」


「だから、補助は本人の自己決定を重視しているんです」


 片桐所長が静かに言いました。


「保護の名目で、本人の意思を無視するなということだな」


「そうです!」


 私は嬉しくなりました。


 民法の条文。


 たった一行の同意要件。


 でも。


 そこには、誰の人生なのかを忘れてはいけないという考え方があるのです。



「では、次です!」


 私はページをめくりました。


 ――被補助人の行為能力。


「ここが、一番大切です」


 相馬先輩が聞きました。


「補助が始まると、本人は契約できなくなるのか?」


「いいえ!」


 私は即答しました。


「被補助人は、原則として単独で法律行為ができます!」


「ほう」


「これが出発点です」


 たとえば。


 千鶴さんが桜餅の材料を買う。


 お客さんに和菓子を売る。


 洋服を買う。


 日用品を買う。


 そうした日常の契約について、補助開始の審判を受けたというだけで、全部が制限されるわけではありません。


「じゃあ、補助人は何をするんだ?」


「必要なところだけ、助けるんです」


 私はノートに大きく書きました。


 ――原則自由。例外的に、指定された行為だけ制限。


「たとえば、借金や保証契約です」


 相馬先輩が頷きました。


「千鶴さんの事件だな」


「はい」


 家庭裁判所が、借財や保証について補助人の同意を必要とする審判をした場合。


 その行為については、補助人の同意が必要になります。


「でも、先輩」


「何だ」


「ここで間違えやすいことがあります」


「何だよ」


「補助開始の審判を受けただけでは、当然に借金や保証が制限されるわけではありません」


 私は強く線を引きました。


 ――同意権付与の審判が必要。


「つまり」


 私は説明しました。


「家庭裁判所が、どの行為に同意を必要とするか、具体的に指定するんです」


「何でも一律に制限するわけじゃねえのか」


「そうです!」


 私は二つの例を書きました。


 Aさん。


 補助開始。


 借財・保証について同意権付与。


 この場合、指定された借財・保証については同意が必要。


 Bさん。


 補助開始。


 借財・保証について同意権付与なし。


 この場合、補助開始だけを理由として借財・保証を取り消すことはできない。


「同じ被補助人でも、制限される行為が違うんですね」


「なるほどな」


 相馬先輩は頷きました。


「つまり、補助人がついたからって、本人が何もできなくなるわけじゃねえ」


「そのとおりです!」


 私は笑いました。


 ここです。


 被補助人の制度を理解するうえで、一番忘れてはいけないところ。


 人を一律に制限するのではなく。


 必要なところだけ、支援する。


 それが補助なのです。


「でも、こはる」


 相馬先輩が聞きました。


「家庭裁判所は、何でも好きな行為を同意の対象にできるのか?」


「できません!」


 私は六法の該当箇所を指しました。


「現代民法十七条です」


 同意を必要とする行為は、民法十三条一項に掲げられた行為の一部に限られます。


「十三条?」


「被保佐人が保佐人の同意を必要とする行為を定めた条文です」


「つまり、補助はその中から選ぶのか」


「はい」


 私はノートに整理しました。


 元本の受領や利用。


 借財や保証。


 重要な財産に関する権利の得喪。


 訴訟行為。


 贈与、和解、仲裁合意。


 相続の承認・放棄や遺産分割。


 一定の贈与・遺贈に関する行為。


 新築、改築、増築、大修繕。


 一定期間を超える賃貸借。


 そして、これらの行為を制限行為能力者の法定代理人としてすること。


「……多いな」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「全部覚えるのは大変です」


「だろうな」


「でも、考え方は一つです」


 私は言いました。


「財産や権利に大きな影響を及ぼす行為です」


「なるほど」


「ただし、補助の場合は、この中の全部ではなく、一部を指定するんです」


 私は赤い鉛筆で囲みました。


 ――民法十三条一項の行為の一部だけ。


「ここが試験の急所ですね」


 私は続けました。


「被保佐人は、原則として十三条一項の行為について同意が必要です。でも被補助人は、その中から家庭裁判所が指定したものだけです」


 相馬先輩が頷きました。


「被保佐人より、制限を細かく絞る仕組みなんだな」


「そうです」


 私は笑いました。


「千鶴さんが補助制度の対象になったとしても、和菓子を売る自由まで当然に奪われるわけじゃないんです」


「そりゃ大事だ」


「はい」


 私は頷きました。


 桜餅を売ること。


 大きな保証契約を結ぶこと。


 同じ契約でも、意味が違います。


 本人にどのような支援が必要か。


 そこを見極めることが、補助制度の核心なのです。



「さて」


 相馬先輩が煙草を取り出しました。


「さっきから同意権、同意権って言ってるが」


「はい」


「補助人が同意しなかったら、本人は絶対に契約できねえのか?」


「いい質問です!」


「お前に褒められる筋合いはねえ」


「でも大事なんです!」


 私は現代民法十七条三項を思い出しました。


 補助人の同意が必要な行為について。


 補助人が、被補助人の利益を害するおそれがないにもかかわらず同意しない場合。


 家庭裁判所は、本人の請求によって、補助人の同意に代わる許可を与えることができます。


「たとえば」


 私は言いました。


「千鶴さんが、店の設備を大規模に修繕したいと考えたとします」


「うん」


「その大修繕が同意権の対象に指定されていた場合、補助人の同意が必要です」


「そうだな」


「でも補助人が、何の合理的理由もなく反対したら?」


 相馬先輩が眉をひそめました。


「本人は困るな」


「そうです」


 私は続けました。


「その工事が本人の利益を害するおそれがないのに補助人が同意しないなら、家庭裁判所に同意に代わる許可を求めることができるんです」


「ほう」


「補助人に絶対的な拒否権を与えているわけじゃありません」


 私はノートに書きました。


 ――補助人も、本人の自由を理由なく妨げてはいけない。


 相馬先輩は煙草に火をつけました。


「面白い制度だな」


「でしょう!」


「守る側にも、勝手なことをさせねえわけか」


「そうです!」


 私は頷きました。


 補助人は、本人の主人ではありません。


 本人を支える人です。


 だから、本人にとって不利益のない行為を、理由なく妨げてはいけない。


 この仕組みは。


 千鶴さんの、


「最後に決めるのは、私でいいんですよね?」


 という言葉につながっている気がしました。


「では次!」


 私はページをめくりました。


 ――同意なしに契約した場合。


「千鶴さんが、補助人の同意を必要とする保証契約を、一人で結んでしまったら?」


 相馬先輩が答えました。


「取り消せるんだろ?」


「正解です!」


 現代民法十七条四項。


 補助人の同意を得なければならない行為について、その同意も家庭裁判所の代わりの許可も得ずに行った場合。


 その行為は、取り消すことができます。


「でも、ここで注意!」


 私は鉛筆を立てました。


「当然に無効になるわけではありません」


「取消しが必要なんだな」


「はい」


 そして、取り消すまでは、取り消し得る法律行為として扱われます。


 取消権を適法に行使すれば、初めから無効だったものとみなされます。


「じゃあ、補助人は必ず取り消さなきゃいけねえのか?」


「いいえ」


 私は首を振りました。


「追認することもできます」


「追認?」


「取り消すことができる行為を、確定的に有効にすることです」


 相馬先輩は頷きました。


「なるほどな」


「だから、補助人には取消権と追認権があります。ただし、対象となるのは、同意が必要とされた行為についての取消しや追認です」


 私はノートに書きました。


 同意権。


 取消権。


 追認権。


「この三つが、連動するんですね」


「そういうことか」


 相馬先輩が言いました。


「同意が必要な契約を、勝手にしたら取り消せる」


「はい」


「でも、本人にとって利益があるなら追認することもできる」


「そうです」


 私は頷きました。


 そして。


 もう一つ大切なことがあります。


「先輩、被補助人本人にも取消権があるんです」


「本人にも?」


「はい」


 私は現代民法百二十条を思い出しました。


 制限行為能力を理由とする取消しは、法律で定められた者が行うことができます。


 その中には、制限行為能力者本人も含まれます。


「つまり」


 私は言いました。


「補助人だけが、勝手に全部決めるわけではありません」


 相馬先輩は笑いました。


「結局、本人が大事なんだな」


「そのとおりです!」


 私はノートに、大きく丸をつけました。



「さて、こはる」


 片桐所長が声をかけました。


「はい!」


「同意権と代理権の違いは分かっているか」


「もちろんです!」


 私は勢いよく答えました。


 そして。


 少し考えました。


「……たぶん」


 相馬先輩が吹き出しました。


「たぶんかよ!」


「いえ、分かっています!」


 私は慌ててノートに書きました。


 ――同意権。


 本人がする法律行為について、同意する権限。


 ――代理権。


 本人に代わって、代理人が法律行為をする権限。


「ここ、似ているようで全然違います」


 私は説明しました。


「同意権は、本人が契約することを前提としています」


「うん」


「でも代理権は、補助人が本人の代理人として契約する権限です」


 相馬先輩が頷きました。


「本人が契約するのか、補助人が代理して契約するのかの違いだな」


「そうです」


 私は例を出しました。


 千鶴さんが、和菓子屋の店舗を修繕する。


 同意権がある場合。


 千鶴さん本人が業者と契約する。


 補助人は、必要な同意を与える。


 一方。


 修繕契約について代理権を付与されている場合。


 補助人が、千鶴さんの代理人として業者と契約することができる。


「ただし!」


 私は言いました。


「補助人だから当然に代理権があるわけではありません」


 現代民法八百七十六条の九。


 家庭裁判所が、特定の法律行為について代理権を付与する審判をする必要があります。


「つまり」


 私はノートに書きました。


 ――補助人という地位だけでは、当然に同意権も代理権も生じない。


「補助開始の審判は、同意権付与の審判か、代理権付与の審判の一方、または双方と一緒にされるんです」


 相馬先輩が頷きました。


「なるほどな」


「だから、補助人には同意権だけがある場合も、代理権だけがある場合も、両方がある場合もあります」


「ずいぶん細かいな」


「必要な支援が人によって違うからです」


 私は少し微笑みました。


 千鶴さんのように。


 自分で商売を続けたい人。


 でも、難しい保証契約だけは誰かに確認してほしい人。


 そういう人には、その必要に応じた支援が考えられます。


 一方。


 特定の手続について、自分で契約することが難しい人には、代理権が役立つ場合があります。


「つまり」


 私は言いました。


「同意権と代理権は、本人を支えるための別々の道具なんです」


 所長が頷きました。


「道具を必要以上に持たせるな、ということだな」


「そうです!」


 私は嬉しくなりました。


 同意権。


 代理権。


 どちらも。


 補助人に与えればよいというものではない。


 その人にとって、何が必要か。


 そこが大切なのです。



「では、昭和六十三年と現代の違いを整理します!」


 私はノートに二本の線を引きました。


 左側。


 ――昭和六十三年。


 右側。


 ――現代。


「まず、昭和です」


 私は言いました。


「この時代の民法には、禁治産制度と準禁治産制度があります」


 相馬先輩が頷きました。


「そうだな」


「精神上の障害などによって判断能力に問題がある人を、一定の要件のもとで保護する制度です」


 私は書きました。


 禁治産者。


 準禁治産者。


「ただし、現代の成年後見制度と比べると、保護の仕組みが大きく異なります」


 昭和の禁治産制度。


 心神喪失の常況にある者について、家庭裁判所が禁治産を宣告する仕組み。


 禁治産者には後見人がつき、法律行為の取消しが広く認められました。


 一方、準禁治産制度。


 心神耗弱者などについて、家庭裁判所が準禁治産を宣告する仕組み。


 準禁治産者については、一定の重要行為に保佐人の同意が必要とされました。


「現代の補助制度は、当時存在しないんですよね」


「そのとおりだ」


 相馬先輩が言いました。


 私は続けました。


「そして、平成十一年の民法改正によって、現在の成年後見制度が整備されます」


 施行は平成十二年。


 二〇〇〇年です。


「ここで、禁治産・準禁治産制度が廃止されます」


「ほう」


「現代では、判断能力の程度に応じて、後見、保佐、補助という三つの類型が設けられています」


 私はノートに書きました。


 後見。


 保佐。


 補助。


「でも先輩」


「何だ」


「この三つを、単純に『重い、普通、軽い』だけで覚えるのは危険です」


「どうしてだ」


「それぞれ、法律上の要件と効果が違うからです」


 私は説明しました。


 後見は、事理弁識能力を欠く常況にある場合。


 保佐は、事理弁識能力が著しく不十分な場合。


 補助は、事理弁識能力が不十分な場合。


「補助の場合は、本人が原則として単独で法律行為をできることが特徴なんです」


「なるほどな」


 私は頷きました。


 以前の制度では、本人の状態に対して保護の選択肢が十分でない場面がありました。


 そこで。


 本人の能力や必要な支援に応じて、より柔軟に保護できるようにした。


 それが、成年後見制度改革の大きな方向です。


「つまり」


 私は言いました。


「昔は、制度に人を合わせる面が強かった。でも現代では、人に合わせた支援を重視するようになったんです」


 片桐所長が静かに頷きました。


「法律も、変わっていくんだな」


「はい」


 私は窓の外を見ました。


 昭和六十三年。


 この町では、まだ禁治産・準禁治産という言葉が使われています。


 でも。


 十数年後には。


 もっと細かく、本人の自己決定を尊重する制度が登場する。


 そのことを知っている私は。


 少し不思議な気持ちになりました。



「最後に、補助人の義務です!」


 私はノートの新しいページを開きました。


 ――身上配慮義務。


 相馬先輩が眉をひそめました。


「また難しい言葉だな」


「でも、これが一番大切かもしれません」


 私は言いました。


 現代民法八百七十六条の十。


 同条が準用する八百七十六条の五第一項。


 補助人は、補助の事務を行うに当たり、本人の意思を尊重し、心身の状態及び生活の状況に配慮しなければなりません。


「つまり」


 私は説明しました。


「補助人は、本人の財産だけを見ていればいいわけではないんです」


「ほう」


「本人がどう暮らしたいのか。何を大切にしているのか。そういうことにも配慮する必要があります」


 私は千鶴さんを思い出しました。


 あの人は、和菓子屋を続けたいと言っていました。


 娘さんは、店を閉めた方がいいと考えていた。


 でも。


 それは、娘さんが悪いという話ではありません。


 娘さんは、お母さんの体を心配していたのでしょう。


 ただ。


 本人の意思を聞かずに、何もかも決めてしまうのは違う。


「たとえば」


 私は言いました。


「千鶴さんが、店を続けたいと言っているのに、補助人が勝手に店を閉めようとしたら?」


 相馬先輩が答えました。


「本人の意思を無視してるな」


「そうです」


「でも、店を続けることで本人が大きな損害を受ける可能性があるなら?」


「その場合は、本人の意思と利益を慎重に考える必要があります」


 私は頷きました。


「意思を尊重することは、本人の希望を何でも無条件に認めることとは違います。でも、本人の希望を最初から無視していいわけでもありません」


 片桐所長が静かに言いました。


「本人のためだと言って、本人を見なくなるなということだな」


「はい」


 私は、その言葉をノートに書きました。


 ――補助人は、財産だけでなく、本人の生活と意思を守る。


 ここまで書いて。


 私は、ようやく分かった気がしました。


 なぜ、現代の民法に補助制度があるのか。


 それは。


 判断能力が少し低下した人を、社会から切り離すためではありません。


 その人が、自分らしく生活し続けるためです。


 必要なところだけ。


 必要な範囲で。


 支援する。


 それが、この制度の目指すところなのです。



「さて」


 相馬先輩が煙草を消しました。


「最後に確認だ」


「はい!」


「千鶴さんが、現代の法律で補助開始の審判を受けたとする」


「はい」


「その時点で、過去に結んだ八百万円の保証契約は取り消せるか?」


「いいえ!」


 私は即答しました。


「補助開始の審判を受けたからといって、それ以前の契約が当然に取り消せるわけではありません!」


「よし」


「では、補助開始の後だったら?」


 私は少し考えました。


「保証について同意権が付与されているかを確認します」


「そうだ」


「指定されていなければ、補助制度による取消しはできません」


「うん」


「指定されていて、補助人の同意も家庭裁判所の代わりの許可もなく契約したなら、取り消すことができます」


 相馬先輩が頷きました。


「じゃあ、補助人に代理権があれば、当然に同意権もあるか?」


「ありません!」


「ほう」


「同意権と代理権は別です。それぞれの審判が必要です!」


「よし」


 私は少し得意になりました。


「では、補助人が同意を拒否したら、本人は絶対に契約できないか?」


「いいえ!」


 私は答えました。


「本人の利益を害するおそれがないのに補助人が同意しない場合、家庭裁判所が本人の請求によって、同意に代わる許可を与えることがあります!」


「よし」


「では、本人以外の者が補助開始を請求する場合は?」


「本人の同意が必要です!」


 相馬先輩が笑いました。


「よく覚えてるじゃねえか」


「ありがとうございます!」


 私は拳を握りました。


 やった。


 今なら、被補助人の基本は間違えません。


 ところが。


「じゃあ最後の一問」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「昭和六十三年の民法十五条には、補助開始の審判が書いてあるか?」


「書いてありません!」


「よし!」


「補助制度は平成十一年の改正で整備され、平成十二年から施行されます!」


「よし!」


「昭和では禁治産・準禁治産です!」


「完璧だな」


 私は笑いました。


 そうです。


 時代錯誤には、もう引っかかりません。



 窓の外は、すっかり暗くなっていました。


 私はノートを見直しました。


 被補助人。


 補助開始の審判。


 同意権付与。


 代理権付与。


 取消権。


 追認権。


 身上配慮義務。


 たくさんの法律用語。


 でも。


 その中心にある考え方は、とても分かりやすいものでした。


「所長」


 私は声をかけました。


「何だ」


「今日、補助制度のことが少し好きになりました」


「そうか」


「はい」


 私は笑いました。


「最初は、判断能力が不十分な人の契約を取り消す制度だと思っていたんです」


「うん」


「でも、違うんですね」


 私は続けました。


「本人ができることを残すための制度でもあるんです」


 所長が頷きました。


「そうだな」


「千鶴さんが、桜餅を作ること」


「うん」


「店を続けること」


「うん」


「自分の財産をどう使うか考えること」


 私は、ゆっくり言いました。


「そういう自由を守るために、必要なところだけ支えるんですね」


 片桐所長は短く答えました。


「そのとおりだ」


 私はノートの最後のページを開きました。


 今日の一行。


 これを書けば、勉強会は終わりです。


 鉛筆の先を整えて。


 ゆっくり。


 ――被補助人は原則自由。同意権も代理権も審判で必要な範囲だけ、本人の意思を尊重して支える。


「……できた!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「長えな」


「ええっ!」


「一行にしては長え」


「大事なことが多いんです!」


「まあ、覚えられるならいいんじゃねえか」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行を思い出すたびに。


 きっと、千鶴さんの顔が浮かぶのでしょう。


 六十八歳。


 少し物忘れがある。


 難しい契約は苦手。


 でも。


 自分の店を続けたい。


 桜餅を作りたい。


 自分の人生を、自分で決めたい。


 その意思は、確かにありました。


 だから。


 法律は、その意思を大切にしながら、必要なところだけ助ける方向へ変わってきたのです。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今日の勉強会は終わりか?」


「はい!」


「じゃあ、机を片付けろ」


「え?」


「六法も戻せ」


「はい」


「床も掃け」


「……また掃除ですか?」


 私は腕を組みました。


「先輩」


「何だ」


「現代の補助制度では、本人の意思を尊重するんですよね」


「ああ」


「私の意思も尊重してください!」


 相馬先輩は、にやりと笑いました。


「お前、被補助人なのか?」


「違います!」


「じゃあ、補助制度は関係ねえな」


「ぐっ……!」


 確かに。


 制度の趣旨を、何でも自分に都合よく使うことはできません。


「でも先輩!」


「まだ何かあるのか」


「意思の尊重は、補助制度だけの話じゃありません!」


「ほう」


「私は、掃除をしたくないという明確な意思を持っています!」


 相馬先輩は頷きました。


「なるほど」


「分かっていただけましたか!」


「ああ」


 先輩は箒を私に差し出しました。


「その意思は尊重する」


「本当ですか!」


「そのうえで、掃除を頼む」


「……!」


 私は固まりました。


 相馬先輩が笑います。


「意思を尊重するってのは、何でも言うことを聞くって意味じゃねえんだろ?」


「……そうでした」


 完敗です。


 私は箒を受け取りました。


「分かりましたよ!」


「いい返事だ」


「でも先輩!」


「何だ!」


「明日の勉強会は、先輩が問題を解いてください!」


「何で俺が!」


「今度は私が先生です!」


「勝手に決めるな!」


 私は笑いながら床を掃き始めました。


 窓の外。


 商店街の明かりが、ぽつぽつと灯っています。


 あのどこかで。


 千鶴さんは、明日の桜餅を作っているのでしょう。


 自分の手で。


 自分の意思で。


 自分の暮らしを続けるために。


 私は箒を止め、ノートの最後の一行をもう一度読みました。


 ――被補助人は原則自由。同意権も代理権も審判で必要な範囲だけ、本人の意思を尊重して支える。


 よし。


 完璧。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「ノート見てねえで掃除しろ!」


「今、学習内容を確認してたんです!」


「確認は後だ!」


「先輩!」


「何だ!」


「本人の意思を尊重してください!」


「だから尊重してるだろ!」


 ……なるほど。


 本人の意思を尊重することと、本人の希望が必ず通ることは、同じではありません。


 今日の勉強。


 どうやら、最後の最後まで実践問題だったようです。


 ただし。


 掃除を手伝ってくれる補助人がいたら便利だな、とは思いました。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さくら司法書士補助者の法務帳 〜 昭和に転生して泥沼の争いを収めたら、実務と試験知識が完全にリンクしました 〜
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。