[民法・成年被後見人]法理編 こはるノート
人を守ることと、人の自由を奪うことは、紙一重です。
判断能力がなくなったら。
契約はできないのでしょうか。
買い物もできないのでしょうか。
自分の財産なのに、自分では何も決められなくなるのでしょうか。
そして。
本人を守るはずの後見人が、本人の気持ちを無視してしまったら。
それは本当に、保護と呼べるのでしょうか。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かい、ノートを開いていました。
表紙には、大きくこう書いてあります。
――こはるノート・民法編。
「……禁治産者」
私は呟きました。
「何だか、ものすごい名前ですよね」
向かいで新聞を読んでいた相馬先輩が、顔を上げました。
「またそれか」
「だって、先輩」
「何だ」
「現代では成年被後見人って呼ぶんですよ」
「また未来の話か」
「でも、今回は大事なんです!」
私は鉛筆を握りました。
昨日の杉浦ハルさんの事件。
七十八歳のおばあさん。
判断能力が著しく低下し、既に家庭裁判所から禁治産の宣告を受けていました。
そこへ近づいた、丸福不動産の黒田重蔵。
土地六十坪と家屋を、わずか三百万円で買い取ったという男です。
契約書には、ハルさんの署名とハンコ。
しかも、
――後日、契約を取り消さないものとする。
という条項までありました。
「本人がハンコを押したんだから、契約は有効だ」
黒田は、そう言って笑っていました。
でも。
禁治産宣告を受けたハルさんには、民法による保護がありました。
後見人である娘の和子さんが、旧民法九条に基づいて売買契約を取り消す旨の内容証明を送った結果。
黒田は、弁護士に相談したうえで態度を一変させたのです。
契約に基づく権利は主張しない。
家の明渡しも求めない。
所有権移転登記も請求しない。
そして。
ハルさんの家は、守られました。
「よし!」
私はノートを開き直しました。
「今日は、成年被後見人と昭和の禁治産者の違いを、完全に理解します!」
「だから今は禁治産者だって言ってるだろ」
「分かってます!」
「本当か?」
「たぶん!」
「怪しいな……」
そこへ、奥から片桐所長が声をかけました。
「相馬」
「はい」
「今日は付き合ってやれ」
「……また俺ですか」
よし。
今日も強制勉強会、開催です。
「まず、一番大事なことから確認します!」
私はノートに書きました。
――判断能力が低下しただけで、自動的に禁治産者になるわけではない。
「先輩、ここが昨日の事件の急所でしたよね」
「ああ」
「ハルさんは、物忘れがひどくなっていました。でも、それだけでは禁治産者とは言えない」
「そうだ」
相馬先輩が頷きました。
「家庭裁判所の宣告が必要だ」
私は六法を開きました。
昭和六十三年の民法。
禁治産の制度。
心神喪失の常況にある者について、家庭裁判所が禁治産を宣告する仕組みです。
「……心神喪失の常況」
私は、その言葉を読み上げました。
「これも、なかなか強烈ですね」
「昔の法律用語だからな」
「でも、意味を理解すると重要なんです」
私は書きました。
心神喪失の常況。
継続的に、自分の行為の意味や結果を理解し、合理的に判断する能力を欠くような状態。
「ここで大事なのは、単なる物忘れではないことです」
私は言いました。
「うん」
「名前を忘れた。昨日の夕飯を覚えていない。それだけで禁治産になるわけじゃない」
「当然だな」
「財産の管理や契約について、どの程度判断できるかが問題になるんですね」
相馬先輩が頷きました。
「それに、宣告するのは家庭裁判所だ」
「はい!」
私は大きく丸をつけました。
判断能力の状態。
家庭裁判所の宣告。
この二つを区別する。
「昨日、所長が最初に確認したのも、そこでしたね」
「ああ」
ハルさんの診断書だけではありません。
二年前に出された、家庭裁判所の審判書。
あれが、事件の大きな鍵でした。
「じゃあ現代は?」
私は、もう一つの欄を作りました。
令和の民法七条。
――精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者。
「これが現代の後見開始の審判の要件です」
「事理を弁識する能力?」
相馬先輩が首をかしげました。
「また難しい言葉を使うな」
「簡単に言うと、自分の行為がどういう意味を持つか判断する力です」
「なるほどな」
「売買契約をしたら、何を失って、何を得るのか」
私は、ハルさんの事件を思い出しました。
家を売る。
代金を受け取る。
住む場所を失う。
そんな重大な結果を理解できるか。
「ここで『常況』という言葉が重要なんです」
「どうしてだ」
「一時的に判断能力を失っただけなのか、判断する能力を欠く状態が続いているのか。そこを区別するからです」
「そうだな」
「たとえば、お酒を飲んで一時的に泥酔した人を、そのことだけで成年被後見人にはしません」
「当たり前だ」
「その場合には、契約時の意思能力の問題を考えます」
私は頷きました。
そうです。
意思能力がない状態でした法律行為が無効となる問題と。
家庭裁判所の審判により、継続的な保護を受ける問題。
これは別なのです。
片桐所長が、静かに口を開きました。
「こはる」
「はい」
「では、成年被後見人というのは、判断能力を欠く状態にある人なら誰でもそう呼ぶのか」
「違います!」
私は即答しました。
「家庭裁判所の後見開始の審判を受けた人です!」
所長が頷きました。
「その区別を忘れるな」
私は赤鉛筆で囲みました。
――判断能力の状態だけでは足りない。後見開始の審判が必要。
「よし!」
私は拳を握りました。
「現代の民法七条と八条、これで忘れません!」
「今の六法にそんな条文はねえぞ」
「分かってますって!」
「どうだかな」
……。
昭和の職場で未来の法律を勉強する。
やっぱり、少し無理があります。
「次は、いよいよ行為能力です!」
私はノートをめくりました。
――成年被後見人の法律行為。
現代民法第九条。
成年被後見人の法律行為は、取り消すことができる。
「ここです!」
私は鉛筆を叩きました。
「昨日、黒田社長が完全に勘違いしていたところです!」
「何をだ?」
「ハンコを押していれば契約は絶対に有効だ、って」
相馬先輩が鼻で笑いました。
「ああ、あの馬鹿げた主張か」
「本人が署名した。契約書もある。だから家は俺のものだって」
「そうだったな」
「でも、禁治産者の法律行為は取り消せたんですよね」
「ああ」
私はノートに大きく書きました。
――原則、取消しができる。
「ここで、三つの言葉を区別したいんです」
「三つ?」
「有効、無効、取消しです!」
相馬先輩が頷きました。
「言ってみろ」
私は説明しました。
「まず有効。法律行為が効力を持っている状態です」
「うん」
「次に無効。最初から法律行為の効力が認められない状態です」
「うん」
「そして取消し。取消権者が取り消すと、初めから無効だったものとして扱われます」
「そうだ」
私は赤線を引きました。
無効と取消しは、違う。
「昨日のハルさんの売買契約は、禁治産者がしたから当然に無効だったわけではないんですよね」
「そうだ」
「取り消すことができる契約だった」
「そのとおり」
「だから、後見人の和子さんが取消しの意思表示をしたんです」
そうです。
禁治産者や成年被後見人の契約。
本人に署名能力があるか。
相手が善意だったか。
契約内容を覚えているか。
そうした話とは別に、制度上の取消権があります。
「先輩」
「何だ」
「もし、あの不動産屋が『契約した日は調子がよかった』と言い張ったら?」
「それだけで取消しを防げるわけじゃねえ」
「ですよね!」
私は嬉しくなりました。
現代の成年被後見人も同じです。
後見開始の審判を受けている以上、一時的に判断能力が回復していたとしても、成年被後見人の法律行為に関する取消しの規律が適用されます。
ただし。
ここで私は、一つの重要な違いに気づきました。
「……あれ?」
「どうした」
「昭和と令和で、九条の文章が違います!」
相馬先輩が嫌そうな顔をしました。
「また始まった」
「これ、本当に大事なんです!」
私はノートに二つの欄を作りました。
昭和六十三年。
禁治産者の行為は、取り消すことができる。
令和。
成年被後見人の法律行為は、取り消すことができる。
ただし、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、この限りでない。
「先輩!」
「何だ」
「現代では、ただし書があるんです!」
「ああ?」
「日用品の購入その他日常生活に関する行為については、成年被後見人であることを理由に取り消せないんです!」
相馬先輩は少し考えました。
「つまり、パンを買った場合か」
「そうです!」
「じゃあ、あのばあさんが梅干しを作るために塩を買ったら?」
「通常の日常生活に必要な量なら、原則としてその例外に当たります!」
「ほう」
「洗剤も!」
「うん」
「お米も!」
「うん」
「水道料金や電気料金の支払いも、通常の日常生活に関する行為です!」
私は勢いよく説明しました。
現代の成年被後見人は、日用品の購入など、日常生活に関する行為については、後見制度を理由に取り消されることはありません。
「じゃあ、百万円の高級腕時計を買ったら?」
相馬先輩が聞きました。
「それは通常、日用品の購入とはいえません!」
「百万円の布団は?」
「単に寝具だから日用品とは限りません! 金額や本人の生活状況、取引の性質などを見ます!」
「じゃあ、家は?」
「当然、通常の日常生活に関する行為ではありません!」
私は机を叩きました。
「ハルさんのような不動産売買契約は、現代でも取消しの対象になります!」
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
そこで私は、もう一度、昭和六十三年の六法を見ました。
旧民法九条。
禁治産者の行為は、取り消すことができる。
そこには。
現代のような日常生活行為の例外がありません。
「……先輩」
「何だ」
「やっぱり、昔の制度は厳しいですね」
「ああ」
「本人を守るためとはいえ、毎日の買い物まで取消しの対象になり得るなんて」
相馬先輩は煙草を消しました。
「守ることばかり考えて、本人が何もできなくなったら困るだろ」
「そうなんです」
私は頷きました。
人は、パンを買います。
花を買います。
好きなお菓子を選びます。
そういう小さな行動の積み重ねが、毎日の暮らしです。
判断能力に問題があるからといって。
その自由を、全部奪ってしまっていいのでしょうか。
「だから現代では、日常生活に関する行為を守るんですね」
「そういう方向なんだろうな」
私はノートに書きました。
――旧法は保護が広く、現代法は日常生活の自由にも配慮する。
すると。
奥にいた片桐所長が口を開きました。
「こはる」
「はい」
「ただし、勘違いするな」
「何でしょう」
「日常生活に関する行為だから、どんな契約でも絶対に有効になるわけではない」
「……あっ!」
そうでした。
成年被後見人であることを理由とする取消しが認められないことと。
別の理由で無効や取消しが問題にならないことは、同じではありません。
たとえば。
契約時に意思能力そのものがなかった場合。
あるいは、詐欺など別の問題があった場合。
それぞれ、その要件に従って判断する必要があります。
「つまり」
私は言いました。
「民法九条ただし書は、どんな場合でも日用品の契約が絶対に有効だと保証する規定ではないんですね」
「そうだ」
所長が頷きました。
……危ない。
また一つ、試験の罠を踏むところでした。
「次は、後見人の権限です!」
私は新しいページを開きました。
――成年後見人の三つの権限。
代理権。
取消権。
追認権。
「先輩、この三つ、似ているようで違います」
「説明してみろ」
「まず、代理権です」
私は昨日の和子さんを思い出しました。
ハルさんの娘。
家庭裁判所で選ばれた後見人。
母親に代わって、財産管理に関する法律行為を行う立場です。
「たとえば」
私は言いました。
「ハルさんの家の屋根が壊れたとします」
「うん」
「修理に五十万円かかります」
「うん」
「ハルさん自身は、工事契約の内容を十分に判断できません」
「それで?」
「後見人の和子さんが、必要な修理について、ハルさんを代理して工事契約を結ぶことができます」
「そうだな」
私は丸をつけました。
代理権。
本人に代わって法律行為をする権限。
「ただし!」
私は自分で言いました。
「何だ?」
「後見人だからといって、本人の財産を好き放題に使っていいわけではありません!」
たとえば。
ハルさんの預金を勝手に自分の旅行代金へ使う。
ハルさんの家を、自分の借金返済のために処分する。
そんなことが許されるわけではありません。
後見人の権限は、本人の利益のために行使するものです。
「それから、本人の居住用不動産の処分には、現代では家庭裁判所の許可が必要になる場合があります」
「ほう」
「民法八百五十九条の三です」
私は思わず書きました。
そして。
相馬先輩が怪訝な顔をしました。
「……八百五十九条の三?」
「あっ!」
「今の六法にあるか?」
「ありません!」
「また未来か!」
「すみません!」
そうでした。
成年後見人が成年被後見人の居住用不動産を売却するなど一定の処分をする場合に、家庭裁判所の許可を必要とする現代の規定。
これも、昭和六十三年の旧民法には、そのままの形では存在していません。
「でも先輩、これって大事ですよ」
「どうしてだ?」
「住む家を失うことは、本人の生活そのものに関わるからです」
私はハルさんの家を思い出しました。
梅の木。
縁側。
亡くなった夫との思い出。
もし後見人が勝手に家を売ってしまったら。
本人の生活は、大きく変わります。
「財産管理だから何でも代理できる、という考え方には歯止めが必要なんですね」
相馬先輩は少し黙りました。
「まあ、本人のための後見だからな」
「はい!」
私は頷きました。
次。
取消権。
「これは昨日の事件ですね」
「ああ」
「ハルさんが自分で売買契約をしてしまった」
「うん」
「でも、禁治産者の法律行為だった」
「そうだ」
「そこで後見人の和子さんが、取消しの意思表示をした」
私は書きました。
取消権。
本人がした取消可能な法律行為を、後から取り消す権限。
「これが、昨日の決定打でした!」
「そうだな」
そして。
最後の一つ。
追認権。
「……これ、地味に重要なんですよ」
私は言いました。
「追認?」
「はい。取消しができる行為について、取消権者が、後から確定的に有効なものとすることです」
相馬先輩が首をかしげました。
「わざわざ取り消せる契約を、有効にするのか?」
「そうなんです」
「何のために?」
私は少し考えました。
そして。
「たとえば、ハルさんが自分で庭の梅の木の剪定を依頼したとします」
「うん」
「職人さんが、適正な金額で剪定してくれた」
「うん」
「作業も終わって、ハルさんも喜んでいる」
「それで?」
「その契約が取消可能だったとしても、後見人が必ず取り消す必要はありません」
私は続けました。
「適切な契約なら、後見人が追認することもできるんです」
「なるほどな」
「本人に不利益な契約を取り消すだけが、後見人の役割じゃないんですね」
私は書きました。
――代理は代わりに行う。取消しは効力を覆す。追認は効力を確定させる。
これです。
三つの違い。
覚えやすい。
そして。
意味が分かります。
「所長!」
「何だ」
「後見人って、何でも取り消す人じゃないんですね」
「そうだ」
「本人にとって必要な契約なら、代理することも、追認することもできる」
「うん」
「不利益な契約なら、取り消して守る」
所長が頷きました。
「大事なのは、本人の利益だ」
私はその言葉に、二重線を引きました。
「ところで先輩」
「何だ」
「現代の成年後見人って、本人宛ての郵便物を管理する権限もあるんです」
「郵便物?」
「はい」
「手紙を勝手に読んでいいってことか?」
「そこが重要なんです!」
私はノートの端に、小さな封筒を描きました。
昨日の事件。
黒田は、ハルさんの家へ何度も訪ねていました。
もし、本人に大量の請求書や契約書が届いていたら。
後見人がそれを把握できなければ、財産管理に支障が生じるかもしれません。
「たとえば」
私は言いました。
「成年被後見人のところに、知らない会社から高額な請求書が届いていたとします」
「うん」
「でも本人は、手紙の意味を理解できない」
「そうだな」
「後見人が知らないままでは、問題に気づけないことがあります」
私は現代の民法を思い出しました。
第八百六十条の二。
第八百六十条の三。
成年後見人による郵便物等の管理。
「現代では、後見事務に必要な場合、家庭裁判所の審判を得て、本人宛ての郵便物等を成年後見人へ配達させる仕組みがあるんです」
「ほう」
「ただし、後見人が勝手に郵便局へ行って、全部よこせと言えばいいわけではありません」
「そりゃそうだろ」
「家庭裁判所が必要性を判断するんです」
私はノートに書きました。
郵便物等の転送。
家庭裁判所の審判が必要。
期間は六か月以内。
「六か月?」
「はい。ずっと無期限に転送できる制度ではありません」
「なるほどな」
「それから、転送された郵便物を成年後見人が開いて見ることはできますが、後見事務に関係のないものは、速やかに本人に渡さなければなりません」
私は続けました。
「本人も、成年後見人が受け取った郵便物の閲覧を求めることができるんです」
「へえ」
相馬先輩が少し感心した顔をしました。
「ちゃんと本人のことも考えてるんだな」
「そうなんです!」
郵便物の管理は、財産を守るために必要な場合があります。
でも。
郵便物には、本人の私生活が詰まっています。
友人からの手紙。
家族からの便り。
誰にも知られたくない個人的な話。
だから。
財産管理のためだからといって、無制限に中身を読んでいいわけではありません。
「……先輩」
「何だ」
「現代の制度って、権限を与えるだけじゃなく、使い方にも制限を設けているんですね」
「そうだな」
そこで私は、また気づきました。
「あっ!」
「今度は何だ!」
「この郵便物管理の規定、平成二十八年に施行された改正で設けられたんです!」
「……平成二十八年?」
相馬先輩が眉をひそめました。
「今は昭和六十三年だぞ」
「はい!」
「何年先の話だよ!」
「二十八年後です!」
「未来過ぎるだろ!」
私は苦笑しました。
そうなのです。
現在の民法八百六十条の二、八百六十条の三は、この時代にはありません。
そもそも、現代の民間信書便制度さえ、まだ存在していない時代です。
「でも、未来ではそれだけ制度が細かく整うんですね」
「便利なのか面倒なのか分からねえな」
「両方かもしれません」
私は笑いました。
本人の財産を守る。
本人の秘密も守る。
その両方を実現しようとすれば、制度が細かくなるのも当然なのかもしれません。
「さて」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「こはる」
「はい」
「後見人に、一番忘れてほしくないことは何だ」
私は少し考えました。
「……本人の財産を守ること、ですか?」
「それもある」
「生活を支えること?」
「そうだ」
所長は静かに続けました。
「本人が何を望んでいるかを、できる限り見失わないことだ」
私は手を止めました。
ハルさん。
七十八歳。
家の売買契約を理解できなかったおばあさん。
でも。
庭の梅の木は覚えていました。
夫が植えた木。
毎年咲く花。
梅干しを作る楽しみ。
その思いは、今も残っている。
「所長」
「何だ」
「それが、現代の身上配慮義務につながるんですね」
私はノートに書きました。
――民法第八百五十八条。
成年後見人は、成年被後見人の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務を行うに当たっては、成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない。
「これです!」
私は言いました。
「身上配慮義務!」
相馬先輩が首をかしげました。
「身上?」
「本人の生活や心身の状態に配慮することです」
「ほう」
「単に通帳の残高を減らさなければいい、という話ではないんです」
私はハルさんの家を思い浮かべました。
もし。
後見人がこう言ったら、どうでしょう。
――この家は古い。
――維持費がかかる。
――売って施設に入った方が合理的だ。
確かに。
財産管理の数字だけを見れば、そういう判断が必要になる場合もあるでしょう。
でも。
ハルさんは、あの家で暮らしたいと思っているかもしれません。
梅の木を眺めたい。
縁側に座りたい。
自分の家で朝を迎えたい。
その願いを、まったく考えずに決めてしまっていいのでしょうか。
「先輩」
「何だ」
「成年後見人は、本人の代わりに判断する立場です」
「そうだな」
「でも、本人の人生を自分のものにしていいわけじゃないんですね」
相馬先輩は、しばらく黙りました。
そして。
「まあ、そういうことだ」
短く答えました。
私は頷きました。
ただし。
ここでも、時代の違いがあります。
「現代の八百五十八条には、本人の意思の尊重と身上配慮が明文化されています」
「うん」
「でも昭和六十三年の八百五十八条は、同じ文章ではありません」
当時の規定は、禁治産者の後見人が、本人の資力に応じて療養看護に努めることなどを定めていました。
つまり。
本人を保護し、療養看護するという考え方はありました。
でも。
現代のように、本人の意思の尊重を明確に掲げた条文とは違うのです。
「昔は、本人を保護することが前面に出ていたんですね」
「そうだな」
「でも現代では、保護するだけでなく、本人の意思や生活も大切にする」
私はノートに書きました。
昭和六十三年。
禁治産制度。
療養看護と財産管理を中心とした保護。
令和。
成年後見制度。
本人の意思の尊重、身上配慮を明文化。
「所長」
「何だ」
「これは、単なる名前の変更じゃないんですね」
「そうだ」
所長は頷きました。
私は少し胸が熱くなりました。
禁治産者から、成年被後見人へ。
禁治産宣告から、後見開始の審判へ。
制度も用語も変わっていく。
でも。
その根底にあるのは、人を守るという考え方です。
そして、現代の制度では。
守られる本人も、一人の人間として意思を持っている。
そこを、より明確に重視するようになった。
「……なるほど」
私は呟きました。
「法律が変わる理由って、ちゃんとあるんですね」
「じゃあ、最後に確認問題だ」
相馬先輩が言いました。
「来ましたね!」
「自信はあるか?」
「あります!」
「本当か?」
「八割くらい!」
「残り二割は何だよ」
「昭和と令和の混乱です!」
「そこが一番危ねえんだよ!」
私は笑いました。
相馬先輩が、一枚の紙を取り出しました。
「第一問」
「はい!」
「現代の民法で、成年被後見人とは何だ?」
「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にあり、家庭裁判所の後見開始の審判を受けた人です!」
「よし」
「第二問」
「はい!」
「成年被後見人が一人で高額な土地の売買契約をした。どうなる?」
「原則として取り消すことができます!」
「第三問」
「はい!」
「成年被後見人が、近所の店で普通の買い物をした。成年後見人は、成年被後見人だからという理由だけで取り消せるか?」
「いいえ! 日用品の購入その他日常生活に関する行為は、民法九条ただし書により、その理由では取り消せません!」
「よし」
「第四問」
「はい!」
「成年後見人の三つの権限は?」
「代理権、取消権、追認権です!」
「第五問」
「はい!」
「追認すると、どうなる?」
「取消しができる法律行為を、確定的に有効にします!」
「第六問」
「はい!」
「現代の成年後見人が、本人宛ての郵便物を転送してもらいたい。何が必要だ?」
「家庭裁判所の審判です! 後見事務に必要と認められる場合に、六か月以内の期間で転送を認めることができます!」
「ほう」
「第七問」
「はい!」
「成年後見人が転送された郵便物を開封した。その中に、後見事務に関係のない友人からの手紙があった。どうする?」
「速やかに本人へ渡します!」
「正解」
私は拳を握りました。
よし。
完璧!
「じゃあ、最後だ」
相馬先輩がにやりとしました。
「昭和六十三年の禁治産者が、パンを買った。旧民法九条ではどうなる?」
私は即答しました。
「禁治産者の行為として、取消しの対象になり得ます!」
「現代なら?」
「通常の日常生活に関する買い物なら、成年被後見人であることを理由には取り消せません!」
「よし!」
相馬先輩が笑いました。
「やっと時代を間違えなくなったな」
「ありがとうございます!」
私は嬉しくなりました。
でも。
片桐所長が、静かに口を開きました。
「こはる」
「はい」
「もう一問だ」
「えっ?」
「昨日のハルさんの事件。禁治産者だからといって、後見人は必ず契約を取り消さなければならないのか」
私は少し考えました。
「……いいえ」
「なぜだ」
「後見人は、本人の利益を考えて判断する必要があるからです」
「うん」
「取消可能だからといって、すべて取り消すことが本人のためになるとは限りません」
「そうだ」
「適切な契約なら、追認することもあります」
所長が頷きました。
「では、昨日はなぜ取り消した?」
私は、あの契約書を思い出しました。
土地六十坪。
家屋。
三百万円。
しかも、代金の授受も不明確。
そして。
ハルさんは、あの家で暮らしていました。
「本人の生活を守るためです」
私は答えました。
「財産価値だけじゃありません。ハルさんの住む場所そのものが、失われようとしていたからです」
所長が、静かに頷きました。
「それでいい」
私は少し嬉しくなりました。
条文を覚えただけではありません。
あの事件の意味が、ようやく理解できた気がしたのです。
窓の外は、もう薄暗くなっていました。
商店街の明かりが、一つずつ灯り始めています。
私はノートを見直しました。
成年被後見人。
成年後見人。
取消権。
追認権。
代理権。
日常生活に関する行為。
身上配慮義務。
郵便物の管理。
最初は、難しい用語ばかりでした。
でも。
ハルさんの事件を思い出すと、全部つながります。
判断能力が低下した人を守る。
そのために、家庭裁判所が後見開始を判断する。
不利益な契約を取り消せるようにする。
必要な契約は、後見人が代理できるようにする。
適切な契約なら、追認できるようにする。
そして。
日常生活の自由は、できるだけ残す。
本人の意思も尊重する。
「……先輩」
「何だ」
「昔の禁治産制度って、本人を守るための強い盾だったんですね」
「ああ」
「でも、盾が大きすぎると、本人の自由まで覆ってしまう」
相馬先輩は、少し考えました。
「まあ、そういう見方もできるな」
「だから現代では、保護と自由のバランスを考えた制度に変わっていくんですね」
私は頷きました。
そして。
ノートの最後のページを開きました。
ここに、今日の一行を書きます。
ゆっくり。
鉛筆を走らせました。
――成年後見は「代わりに決める」だけでなく、「本人の意思と暮らしを守る」ための制度。
「……できた!」
私はノートを掲げました。
「どうですか!」
相馬先輩が覗き込みました。
「まあ、悪くねえな」
「褒めましたね!」
「気のせいだ」
「またそれですか!」
私は笑いました。
でも。
この一行は、たぶん忘れません。
あの梅の木。
ハルさんの笑顔。
そして。
契約書のハンコを盾にしていた、黒田の青ざめた顔。
本人の判断能力が低下したからといって。
他人が自由に財産を奪っていいわけではない。
むしろ。
そういう人だからこそ、法律は保護する。
でも同時に。
守られる人にも、暮らしがある。
意思がある。
好きなものがある。
大切な思い出がある。
それを忘れてしまったら。
どんなに立派な財産管理でも、何かが欠けてしまうのです。
「さて、こはる」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「勉強会は終わりか?」
「はい!」
「じゃあ、掃除しろ」
「……またですか?」
「まただ」
私は腕を組みました。
「先輩」
「何だ」
「私には意思能力があります」
「あるな」
「行為能力もあります」
「そうだな」
「だから、自分の意思で掃除をするかどうか決めたいと思います!」
相馬先輩がにやりとしました。
「ほう」
「はい!」
「じゃあ、所長に相談しろ」
私は奥を見ました。
「所長!」
「何だ」
「私の意思を尊重していただけませんか!」
所長は帳簿から顔を上げました。
「尊重する」
「本当ですか!」
「ああ」
「じゃあ、掃除は……」
「頼む」
「……!」
相馬先輩が吹き出しました。
「ほらな!」
「何ですか!」
「意思を尊重することと、希望を全部かなえることは違うんだよ!」
私は言葉に詰まりました。
……確かに。
本人の意思を尊重する。
でも。
それが必ず、本人の希望どおりの結果になることを意味するわけではありません。
「ぐぬぬ……」
私は箒を手に取りました。
「分かりました! 掃除します!」
「いい返事だ」
「でも先輩!」
「何だよ!」
「先輩にも、私の意思を尊重する義務があると思います!」
「俺はお前の後見人じゃねえよ!」
「それは残念!」
「残念がるな!」
私は笑いながら、床を掃き始めました。
そのとき。
机の上に、小さな包みがあることに気づきました。
昨日、ハルさんが持ってきてくれた梅干しです。
私は箒を止めました。
あの家の庭にある梅の木。
今年も実がなった。
来年も、きっと花が咲く。
そして。
ハルさんは、その花を眺めるのでしょう。
自分の家で。
自分の好きな場所で。
自分らしく暮らしながら。
私はノートをもう一度開きました。
最後の一行。
――成年後見は「代わりに決める」だけでなく、「本人の意思と暮らしを守る」ための制度。
よし。
今度こそ、完璧。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「ノート見てねえで掃除しろ!」
「今、学習内容を確認してたんです!」
「確認は後だ!」
「先輩!」
「何だ!」
「私の意思を尊重してください!」
「だから掃除が終わったら尊重してやる!」
「順番がおかしいです!」
……なるほど。
後見制度を勉強しても。
見習いの掃除当番までは、取り消せないようです。
残念ながら。
民法九条は、掃除が嫌いな行政書士見習いを救済するための条文ではありませんでした。
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